治療の選択、副作用との付き合い方、後遺症に関して率直に書かれた体験談を集めています。
先生が結構普通に、最近は白血病って治る病気になってきたんですよねって言うんですよね。本当なんですかってびっくりして。ただし長いんですよ、治療が。
放射線治療で皮膚がよわよわに。下着で締められて痛いので、下着屋さんで色々試しました。私が合ったのはグンゼのカップ付きの下着がすごい優しくて、綿でしゅっと馴染んでました。
手術後、声が聞き取りにくい状態が続いたため、うなずいたりジェスチャーや指さしも使って、工夫して生活していました。1ヶ月半くらい経った頃に「声が出る!」と感じて、その1週間後には普通の声に戻りました。
自家再建じゃないので、結構できないことたくさんあります。うつ伏せが駄目とか。手は随分挙がるようになったんですけど、挙げるまでに非常に時間がかかるのと、あまり荷物は持てないっていうのはありますね。
声帯がちょっと炎症を起こして震えなくなっちゃって、ガラガラの声になっちゃって。だいぶこれ大丈夫かなっていう、すごい不安な。
放射線治療の副作用で、粘膜がただれて喋ることができず、パソコンのタイピングで医療従事者の方とコミュニケーションをとっていました。しゃべる速度は遅くなっちゃうんですけど、柔軟に対応していただきました。
同じ抗がん剤治療をしてるからといって、副作用の出方って一人一人違うから、同じがん種で同じ抗がん剤やってる人の治療が全然参考にならないこととかも全然あって。
体力がガクンと減りました。闘病前と同じようなペースでは生活できないので、少しずつ戻していく感じです。
手術によって排尿障害が起こりました。自己導尿をしなければならないのですが、練習をボイコットしました(笑)<br />
人工肛門になるという抵抗感はありました。でもこのままだと直腸の狭窄で、食べることができないということを考えたり、ネットで実際に人工肛門になった人の話を見たりとかして、抵抗感はなくなっていきました。
分子標的薬の副作用が、同じ薬を飲んでる人の中でもかなり強く出ちゃったみたいで。体中の筋肉がけいれんしてしまって。おなかの筋肉とか全部がこむら返りを起こすような感覚。
このときの抗がん剤の副作用が一番きつくて、最初は、「関節痛いんですよね」みたいな感じで看護師さんに言ってたんですけど、だんだん本当に殴られてんじゃないのくらいに、骨という骨が痛くて。
食べる事と飲む事が大変でした。普通のスプーンだと食べづらかったので、管理栄養士の方に相談して、猫舌堂さんのスプーンを見つけました。
大腿骨頭壊死になった時、成長期と重なっていたので左右の足の長さが違い、それが関係するかわからないですが腰痛も。でも病院側がリハビリの先生と連携してメニューを組んでくれました。
両親は反対しましたが、私は胃ろうでちゃんと栄養を取ることで、体力を維持できて、働いたりリハビリも続けられると思いました。説得して、胃ろうにして退院できて本当によかったな、と今でも思っています。
声帯に関わる神経も腫瘍と一緒に切ったので、声にちょっと障害があって。患者会を立ち上げて、見た目でわかりにくい障害を伝えるマークを作りました。
顔面神経の手術をして、鏡を見てショックを受けていた時に、ジャパンキャンサーフォーラムに参加しました。ようやく仲間と出会えて、嬉しい、楽しいという気持ちになりました。
抗がん剤で髪の毛が抜けたんですが、この瞬間を楽しまなきゃと思い、ドライヤーで乾かして飛んでいった髪の毛をキャッチするのを、看護師さんも一緒にやってくれました(笑)
ホルモン療法に変わってから、手とか手首とかも痛くなってきちゃって、すごく楽しんでやってきた趣味のテニスを一つ、諦めざるを得なくなりました。そのときはすごくさみしかったです。
胃を全摘しましたが、今はもう一般の成人男性と変わらないくらい食べます。ラーメン頼んだら、半チャーシュー丼も食べますし。胃のかわりに小腸が頑張ってくれて、人間の体ってすごいって思いますね。<br />