目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:上原

【オープニング】

岸田 スタートしました。がんノートmini。ということでね。きょうのゲストは、上原あみちゃんです。よろしくお願いします。

上原 お願いします。

【ゲスト紹介】

岸田 自己紹介として、きょうのゲスト、あみちゃんですけれども。上原あみさんというお名前で、出身が千葉県、そして今も千葉県で。今、大学生ということですね。大学生の中で、趣味は旅行、アイドルオタク、読書、音楽鑑賞、おいしいもの探しということになります。

岸田 いろんなね、多趣味なあみちゃんなんですけれども、旅行って書いてますけど、旅行、どこに行くのが好きやったりとかするんすか、あみちゃんは。

上原 特によく行くのは関西圏に旅行に行くことが多くて。

岸田 特に関西圏のどことかあるんすか。

上原 神社、仏閣巡りが好きなので、京都、大阪、奈良、あと和歌山とか。

岸田 おすすめの仏閣は?

上原 奈良だと室王寺っていう女人高野と言われてるお寺があるんですけど、が一番好きなお寺かなって感じで。あとは、おすすめなのは京都の養源院っていうところがあって、そこの俵屋宗達の杉戸絵がめっちゃ好きなので、おすすめですね。

岸田 そんな上原あみさんは、がんの種類が子宮経がんということで。ステージは1Bの1ということなんですけど。告知年齢が17歳ということなんですよね。また後でいろいろお伺いしていきたいと思います。

岸田 そして現在の年齢は21歳。治療方法は手術と薬物療法っていうことなんですけれども。今回、子宮経がんで17歳ということで。子宮経がんってヒトパピローマウイルスというウイルスが、原因ということが多くあったりとかするんですけれども。今回、上原さんの場合、違うパターンだったということをお聞きしているので、そういったこともお伺いしていきたいなと思っております。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんなあみさんのペイシェントジャーニー、こちらになります。こんな感じで、大体上に行けば行くほどハッピー、下に行けば行くほどアンハッピーっていうか、バッドなシチュエーションで。赤色がポジティブなこと、青色がネガティブなこと、白色はどちらでもないみたいな形でね。また出てくるので、それを見ていきたいなと思うんですけれども。

岸田 一番最初が、一番ピークになるんやけれども、あみさんの場合ね。一番最初の一番ピークは何かというと、高校の入学ということで。

上原 高校生になりたてぐらいのときが一番、友達とよく放課後もいっぱい遊びに行ったりしたりとか、一番楽しかった時期かなっていうのが、高校1年生かなって思います。

岸田 楽しかった高校生。そっから一気にどんと下がっていきます。こちらは何かというとご両親のご離婚ということで。けど別にネガティブではないよね。下がってはいるけど、青色がネガティブになるので、白色のどちらでもないということなんやけど。別にこれ淡々とって感じ?

上原 淡々と、というよりは正直、母が離婚して、うちから離れた感じなんですけど。私的には悲しいっちゃ悲しいけど、マイナスの悲しいじゃなくて。次に進む一歩・・・。

岸田 ために。

上原 ・・・みたいな感じ。意味があったから、ネガティブではないかなと。

岸田 ありがとうございます。そんな中、また上がっていくんです。あみちゃんは不正出血。不正出血って上がっていくし、しかも赤色のポジティブって。普通考えたら、すごい不正出血ってあかんようなイメージがあんねんけど。ここの意図は何?

上原 別にそのときもがんだと思ってなかったっていうのと。生理不順なんて女性誰しもある話っていうか、この年齢だったら誰しもある話だから。別に重く受け止めてなかったっていう。

岸田 ありがとうございます。そんな中、またすっと下がっていきます。それは下がっていくっても、プラスマイナスゼロぐらいなんですけれども。保健室で相談。不正出血のを保健室の先生に相談したってことかな?

上原 保健室の先生に。ちょうど私が通ってたのが、中高一貫の女子高にずっと通ってたので。一応、体質のこととかをよくすごい理解してくださってたので。一番相談しやすい先生だったので、軽く相談したところ、今すぐ病院に行けと散々怒られまして。なんで今まで黙ってたんだって怒られちゃったんで。

岸田 怒られて、病院に行かなあかんなと思いつつも。そんな中で、親に気付かれるということで。親に気付かるってどういうこと? 不正出血がってこと?

上原 不正出血をしてたのでナプキンを買うじゃないですか。

岸田 買いますね。

上原 生理用品を買うので。父に、当時、買った物のレシートを、お金もらうために渡してたんですよ。レシートで買ってる回数が明らかにおかしいので、ばれました。

岸田 そういうことね。

上原 どうしたのって。実はねみたいな。最初は黙ってる気でいたんですけど、ばれて。

岸田 いうことで、親に気付かれ。そこでその後。

上原 それで病院行けと、父にも言われ。

岸田 そして病院に行くわけになるんです。クリニックの受診。これは地元の近くのクリニックに行ったってことよね。

上原 そうです。

岸田 そこでどうやった? 婦人科でクリニックを受診して、なんかそのとき言われた?

上原 保健室の先生には内診はされないよみたいなことを言われてて、だけど行ったら即、内診台に座らされまして。

岸田 保健室の先生、言ってたこと、ちゃうやんみたいな。

上原 おい、聞いてたのと違うが?ってなりました。

岸田 聞いてたこととちゃうやんという形になって。そしてその後、大きな病院行けって感じになったってこと?

上原 すぐにクリニックの先生に、もう即、その場で紹介書を書くので、即、おっきい病院に受診してくださいと言われまして。即受診する形になりました。

岸田 大きな病院に行って、どういうこと? がん専門病院? クリニックの病院、行って大きな病院に行ったと。大きな病院、なんかあったから、がん専門病院に行ったってこと?

上原 そういう感じです。最初、おっきい病院に行って、おっきい病院で血液検査が細胞診されて、あとMRIかなんか撮ったんですけど。血液検査はちょっと腫瘍マーカー、高いぐらいで。別に、そんなすごい異常があるってほど高いってわけでもなかったんですけど。別にMRIも気になる所見はないみたいな感じだったんですけど、細胞診が引っ掛かっちゃって。

岸田 細胞診がね。

上原 地元のおっきい病院だったんですけど。ここだと、がんだった場合に関しての症例がないみたいな話で。もともと疑われてたのも、クリニックのほうで筋腫だって言われてて、それでおっきいほうの病院でも最初は筋腫って言われたんですけど。

上原 検査の過程で、細胞診が悪性みたいな話になって、ここだと症例がない。この年齢では症例がないからっていうことで、おっきいがんの専門病院のほうに診てもらってくださいってことで、それで即紹介状、書かれました。

岸田 即紹介状書かれて、がん専門病院に行くというわけになります。がん専門病院行って、ちょっとだけ下がるんですよね、そこでは。ちょっと待って。ちょっとだけ下がんねんけど、なかなかハードな告知な感じやねんけど。

岸田 しかも赤色って、さっき言ったようにポジティブなあれなんですよね。がん専門病院に行くのもポジティブやし、子宮経がんの告知を受けるのもポジティブっていう。ごめんね。もう想像が僕には全然できないんでやけど、あみちゃんの場合はどういうふうに受け止めたんでしょうか。

上原 不正出血が続いてたときに、貧血気味で体がしんどいとか。体がしんどいのの原因が分かっていって、原因が分かって治療ができて取り除けたらラッキーぐらいの気持ちが勝ったんで、最初は。こんなにがんって大変だって、周りにがんになった人はいたけど、大変だっていうのも知ってたけど。

上原 取りあえず体調悪いのの原因取り除ける、ラッキーっていうのが、まず一番にあったっていうのがおっきかったのが、まずポジティブだった原因の一つかなっていうのと。あと、大丈夫だろうってどっかで思ってたっていう。生半可な気持ちだったんですね。安易な考えが。てのと、受験勉強が続けられればどうでもいいやっていう。

岸田 ような感じやったんやね。

上原 このときの私の第一優先が受験勉強。とにかく受験勉強が優先だったから、それが早くちゃんとできるようになれば、それでいいって思ってたんで。それもあった。

岸田 このときはもう高校3年生やったってことかな?

上原 はい。3年になってた。

岸田 子宮経がんっていう告知やったら、結構、さっき言ったようにヒトパピローマウイルスっていうウイルスで、性交渉によるウイルスの感染っていったところがメインな、多くの子宮経がんの原因になっているっていうこと言われたりとかしてんねんけれども。あみちゃんの場合はそうじゃなかったんよね?

上原 はい。性交渉の経験がなく、なっちゃったんで、ウイルスじゃないんじゃない?みたいな話になりっていう感じなんで。原因、違うんじゃないかっていう話になってるって感じです。

岸田 ただ、周りの人は結構いろんなこと言ってこんかった? 大丈夫やった? いろんな偏見とかで。

上原 言われましたね。特に母に。母に言われた。

岸田 お母さん。

上原 母におまえ、ということを、母が私に言えずにおばに死ぬほど愚痴ってたらしくて。それを初手で聞かされたっていうよりかは、私がそれをそういうことだよっていうのも母は。母、医療関係者なんで。

上原 絶対そういう偏見で物事をしゃべってくるだろうと、先に私は初手で予想してたので、ちゃんとそこまでしゃべった上で理解して、はああと納得していたので。私に直接、があって、最初言ってきたってよりかは、そういう出来事があってねっていうのを、おばとかにも話した後に聞かされて、やっぱそういうこと言ってたかあってなりました。やっぱ言うよなと。

岸田 おばにそういうのを、ずっとお母さんは言って愚痴ってたっていうか、あったってことね。

上原 母の姉に散々、愚痴ってたらしいです。面白いなって。でも私もそこまで予想してたのも、ああ娘だなって思いました。

岸田 すっげえ。その後ちょっとだけ上がっていくんすよね。それは何かというと、手術していくんや? 広汎子宮全摘術という。子宮全摘?

上原 全摘してます。でも卵巣だけ残してる感じですね。

岸田 別に転移がいろいろあったってわけではないんやけどってこと?

上原 転移はないですね。転移はないけど、リスクのあるとこは切っちゃおうっていう話で、なるべく再発とかのリスクがあるのが嫌だったから、どうせやるならできるだけ切っちゃおうって言ってたんですけど。

上原 その後のホルモン療法とかの話が大変だからってことで卵巣だけは。ちょうど私の主治医の娘さんが私と同い年だったっていうのがあって、主治医の先生が私の将来とかそういった部分をすごく心配してくれて。なんで、生活に支障がなるべく出にくいようにっていうことで、卵巣は残したほうがいいんじゃないかっていうことで、卵巣を残そうっていう話になって。

岸田 将来のことを考えて卵巣は残して。ただそのとき、妊よう性と言われる、将来子どもを残すっていったところに関しては失われていくわけになるやん。そこに関してはどういうふうに思った? あみちゃんの場合。

上原 とにかくそこまで正直、考えられなかったっていうのが、まず一つあって。とにかく早く、夏休みだったんで手術を受ける期間が。とにかく休み中にどうにか終わらせたかったっていうのが、まず一つあって。

上原 学校をなるべく休みたくなかったので、頼むからとっとと手術したいと思って。妊よう性だなんだっつって、卵子凍結だなんだとかってやると、1カ月手術が遅れるっていうのを言われたのと。あと、どうせ子宮、取るのに、保存しといても自分じゃ産めないじゃんと思って。無理ならやんなくていいよ。とっとと手術しちゃおうって。

岸田 もう至極、まっとうなご意見でございます。当時、夏休みだったりとか、受験勉強もあったしね、いろいろね。

上原 受験生だったんで、とにかく受験勉強ができる状況を早くつくんなきゃが、私の中で先行し過ぎてて。今、考えたら、なんでそんな短絡的な思考になれたの?みたいなことが、全然起きてるんですよ。

岸田 分かるよ。いろんなこと考えなあかんからな、当時な。全摘をしましたと、その後、受験勉強できない。今、言ってた受験勉強できないってどういう? 結局、受験勉強、どういうこと? できないっていうのは、結構こっから治療がまたいろいろあったってこと?

上原 そうなんです。術後2週間で病理、取ったものの、検査とかもろもろして、抗がん剤治療することになって。抗がん剤治療するってなると、受験勉強が厳しいなということになり、塾にも通えないし、学校にも通うのが結構波が出てくるし。

上原 月に1回、確実に入院があるっていうことなので、無理だなということになり、そこで初めて、まじかって思うって感じでした。そもそも手術入院してたときも、ずっと塾のテキストを持ち込んでたし、学校の問題集も持ち込んで、ずっと病室で元気なときは勉強してたので。

岸田 だってここで、ようやく青色のネガティブが出てくるってことやもんね。今まで、がんのことでは一切出てこないのに。

上原 そこで初めて、受験勉強ができないっていうところが、一番ショックがおっきかったです。友達と一緒に大学生になれないんだっていう。そこが突きつけられたのが、一番おっきかった。

岸田 おっきかった。そっから下がってくんよね。薬物療法ということで抗がん剤治療をしていくんよね。抗がん剤治療がスタートして、結局的に抗がん剤治療ってどれぐらいやったん?

上原 6カ月。約半年ですね。

岸田 約半年やって。外来で通う皮下注射ということで。薬物療法、これは入院とかじゃなくて全部、外来とかやったん?

上原 私の抗がん剤はDC療法っていうので。一応、外来でもできる抗がん剤治療なんですけど。うち、片親で送り迎えとかしてもらうのが厳しいっていうのが一つと。体調面とかもろもろあって、抗がん剤治療自体は入院で受けてたんですけど。入院して抗がん剤治療受けて、翌々日退院して、退院した翌日また外来に行って、ジーラスタっていう皮下注射の、好中球が下がり過ぎるのを上げるためのお薬をわざわざ外来に行って打たなきゃいけないっていうことをやってました。

岸田 だから、入院して抗がん剤治療してんのに、一回退院して、外来でジーラスタ打たなあかんっていう理不尽さじゃないけどね、大変さ、ほんまにね。

上原 往復がきついっていうね。

岸田 入院しながらやらせてくれよって感じやんなあ。そんな中でも、より一番下がっているといっても過言ではないときが、こんなときです。誕生日の前日に大泣きということ書いてます。これはどういうこと?

上原 抗がん剤治療始まって8月末で、夏休みぎりぎり最後から抗がん剤治療始めて、学校にはちょいちょい行ってたんですよ。月に1週間から2週間ぐらいは全然、学校、行ってたんで行ったりして。友達が受験勉強にがんがん励んでいるのを、端で見てる、間近で見てるわけじゃないですか。

上原 なのに自分、治療しかしてない。ベッドにずっと張り付いた、縛りつけられたまんまみたいな生活をしてたので。自分だけどんどん置いてかれるんだなあ。受験生っていうか、最後の高校生活も楽しめずに、友達にも置いていかれ、治療しかやることがないみたいなのが、非常にメンタルにきて。さらに、高校最後の文化祭にも出られず。

岸田 最後の文化祭とか一番楽しいやつやんなあ。

上原 みんな楽しそうなのをインスタで見る。いいなあ。インスタで見る。入院してて、たまに友達も見舞いに来てくれると。来てくれてるのもすごいうれしいし、友達としゃべってリフレッシュするんだけど。

上原 結局、メンタル、ずどんって。私にはできないことができているのがうらやましい。受験勉強ができることすらうらやましい。最後の学校生活が送れているのもうらやましい。うらやまし過ぎて、全部。だから、ないものねだりなんですけど、それでとにかくメンタルにきてしまい。

岸田 自分のハードさも相まって誕生日前日に、もう全部があふれ出したっていう感じよね。

上原 誕生日って自分が生まれた日を祝うわけだから、生存意義みたいなのを祝われる日なんだと私は思ってたので。今の私、生きてる意味ある?みたいな。そういう思考回路に落ちちゃって、そうなった感じなんですけど。

上原 それでわおわおと、初めて人前で泣いた、病気になってから。1人になったときにああってなって落ちて、体、しんどいと思って、ぶわあって泣いたりとか、夜中に寝れない、つらいっていう泣いたりはあったものの。人前で初めて泣きました、このとき。

岸田 それぐらいいろんなものが積み重なってということがあったと。ただそっから、ちょっと上がっていくんすよね。それは何かというと、センター試験。待ってな。すげえ受験に生きてるやん、まじで。センター受験、受けたん?

上原 受けました。受験勉強ができないと嘆きながらも、センター試験だけはどうしても受けたくて。どうしても最後に高校3年生らしいことがしたいっていうのを。

岸田 そういうことね。

上原 担任に嘆いてたら、担任が別室受験とかで受けれるよみたいな話をしてくれて。散々、私が病室で死ぬほど小論文を書いてたりとか、夜中に寝れないとか嘆きながら英語の『ネクステ』とかあるじゃないですか。

岸田 『Next Stage』ね。

上原 あれをひたすら、寝れないとか散々言いながら見てたりしてたのを、先生たちも知ってるから、寝なさいといつも怒られてたんですけど。本当に手術で麻酔明けてすぐに、取りあえず携帯と日本史の単語帳が手に届くとこに置いといてって親に言ったの。まじで受験に生きてて、めちゃめちゃ気持ちの悪い人なんですけど。

岸田 俺、まじで、そこまで受験に生きてる人、俺はもう。

上原 あんときは受験生ができないことが、こんなにストレスがあるとは思わなくて。勉強しないと高校3年生じゃないっていうか。高校3年生として生きてることを否定されてる気がして、勉強してると治療のこととか考えなくていいじゃないですか。

岸田 確かに。

上原 ネガティブになることを結構、紛らわせてたんで。それもあって勉強せざるを得ないみたいな。

岸田 そしてまた上がっていくんです、ちょっとずつ。念願のディズニーということで。ディズニーに行きたかったんすよね、このとき。

上原 病棟からディズニーの花火が見える病棟にいたんで。

岸田 すてきな病棟。

上原 だから、ずっと入院中っていうか、治療中、ディズニーの花火を見ることを楽しみに夜8時に窓を見に行ってたぐらい、楽しみにしてたんですけど。最後のPET-CTを受けた翌日に、友達と制服ディズニーをして。めっちゃうれしくて、超、ディズニー行けるの楽しみにしてて、超うれしかったんですけど。花火が上がったの見たときに、ぶわあっていろんなことがこみ上げてき過ぎて、号泣しちゃって。

岸田 そこからまたちょっと上がっていくんですよね。こちらは高校の卒業。卒業できたんや? 休学とかせずに?

上原 ちゃんと卒業しました。さっきも言ったんですけど、抗がん剤治療を受けたりとかもしながら全然、普通に月のうちの1週間から2週間は確実に学校に行く生活をしてたので。何なら放課後、友達とタピオカ飲みに行ったりとか、ラーメン食べに行ったりとかしてたときも、本当に元気だった日はあったりするぐらい高校、行ってたんですよ。学校に行くのが、生きるモチベーションみたいな感じで学校に行ってた。

岸田 卒業して、そしてその後ちょっとだけ下がっていくのは浪人生活。浪人生活での、無理すると熱発して座ってるのがつらいと。結構、手術だったりとか抗がん剤とかの後遺症とかで結構、大変やったってことかな?

上原 排尿障害って婦人科系で子宮周り切除している方なら分かると思うんですけど。導尿を最初してたりとかするんですね。ぼうこう周りの神経を傷つけて手術してるので、それで排尿障害があったりして。

上原 私は比較的、導尿とかはすぐしなくて済むようなったんですけど、尿の感覚みたいなのが結構、分かりにくくなっちゃってて。すごい我慢してると思ってるのに突然トイレ行きたくなって。結構、限界ぎりぎりにならないと気付かないってことがすごい増えて。結構1年ぐらい苦しんだのかな、それに関しては。

岸田 そんなにね。ありがとう。そういったところも、いろいろあったりとかしつつも、またちょっと上がっていくのは大学入学。無事、進学し。

上原 何とか。

岸田 何とかって。すごい、本当によ。入学して、そして『あの風プロジェクト』というプロジェクト。そして、出版に携わるということがあります。

上原 『あの風プロジェクト』っていうのは、女性のがんサバイバーが闘病当時の思いとかのことをサバイバー短歌って言って、思いを31文字に込めるみたいな短歌にするっていうののプロジェクトに参加してたよっていう感じなんですけど。

岸田 出版に携わるっていうのは、その関係してってことかな?

上原 それです。

岸田 それらの『あの風プロジェクト』で出版に携わって。そして今は、進路の模索中ということで迷える子羊って言うことで合ってますかね。

上原 はい。

岸田 将来いろいろ考えることあるからね、本当ね。

上原 もともと大学の一番、第1志望の行きたかった学部じゃないとこに進学したので。ていうか、やりたかったことが今、現状、できてる状態じゃないっていうので、進路を考え直さなきゃいけなくなっちゃったっていうのが、一番迷ってる理由の一つと。

上原 あとは今、コロナで留学に行けない。私、大学在学中に世界一周したかったんですよ、実は。ていう夢があったけど、今、コロナの状況なのでそれが厳しいっていうのがあって。大学院に行くのか、もう一回、専門大に大学、行き直すのか、それとも就職するのか。まだ三つで悩んでるぐらい、悩んでる感じなんですけど。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 本当、今後の将来のあみさんのこの先、皆さん、要注目でございます。次、こちらですね。ゲストエクストラということで、あみさんが困ったことや大変だったことっていったとこで、三ついただいてます。話せないこと、一般的な励まし、そして体調の変化。それぞれどういうことですか。

上原 友人たちには、自分のがんの話とかっていうのはしてた。今、治療がこんな感じでみたいなのは、ある程度は話はしてたんですけど。やっぱり言っても分からない子っていうのが多いじゃないですか。

上原 さすがに17歳、18歳はまだ分からないことが多かったし、あと大人でもこの年齢で発症してるってかわいそうって思われることが多かったんですね。かわいそう、そういう目で見られることが多かったので。そういう1発目から否定で入る感じのアドバイスとか、かわいそうにみたいなテンションで言われるから、自分が思ってることとか聞いてみたいこととか、そういうことが結構、聞けなかったりとかっていうのが。

上原 病棟外、一緒に入院してる人とかの、病院内で仲良くなった人とかには全然、そういう話とかはできたんですけど。親戚、私の友人たちとか、あとは周りの人、もともと病気になる前から知ってる人たちに、病気のこととかをあんまり相談しにくかったっていうのが。

岸田 一般的な励ましっていうのは?

上原 一般的に他の人に、病気になった人に言うであろう励ましって、結構、言われると疎外感みたいな。結局、向き合ってもくれてないというか。さっき言った、かわいそうみたいなのを思われてるだけで、別に一緒に病気に向き合ってくれるわけではないから、それって結局励まされないかなっていう。すごい逆に心が悲しくなるかなっていうのを、すごく感じる場面があったところでした。

岸田 あとは体調の変化で、味覚や髪質とか、いろんなものが変化して、ちょっと苦しかった。それをあみちゃんの場合はどういうふうに工夫していったのかというと。逃げるように旅行、エッセー、短歌、違うがん種の体験談とあります。こちらについて伺えますか。

上原 特に逃げるように旅行って言っても、いまだにがんを乗り越えたこととか、がんによって残ってる症状とか、さっき言ってた妊よう性のこととか、将来を考える上でめちゃめちゃ大きく足かせになる部分があるんですけど。そういうことで、があって、がつんって落ちることは、いまだに正直、メンタルで落ちるっていうとこはあるんですよ。そういうことを考えるときに、落ちてるメンタルを回復させるのは、現実から逃げるじゃないけど、旅行に行くこととか。

上原 新しい景色を見て、新しい考え方の人と出会って、新しい物事の見方を知ることって、すっごいいい気分転換になるし。あと、自分の視界がすごい狭くなってた。自分が固定観念にとらわれてたんだなっていうことに、すごく気付かされるので。その考え方だけじゃないよっていうの見るために、旅行に行くっていうの、すごくおっきいことなのかなと。

岸田 かっこええな。それで関西に行って、神社とかお寺とか行って、いろんなことを吸収して。そして、エッセー、短歌っていうのは、先ほどの『あの風プロジェクト』だったりとかってするのかな。

上原 あとは他にも、自分でエッセーを書いてみたり。あと、大学の授業とかで小説を、短編小説を書く授業、取ってたりとか。あとはフォトエッセーを書く授業、取ってたりとかするので。そういう中ですごく文章、言葉に思いを込めるっていうことで、自分の中から毒素が抜けていくじゃないですけど。

上原 毒となっている部分、あとは人に話せない心の重さみたいなものを、その物語とか自分の書く文章自体に反映してしまって、自分の体の中から抜き切るとか。あとは抜くんじゃなくて、それを客観的に見ることができるようになって。

上原 視点が変わるだけで全然悩んでることが、なんだそんな大したことじゃないじゃんって気持ちが軽くなるみたいなのがとか。そんなことで悩んでたの? 自分?みたいなのが、客観的に見れるって結構すごく大事なんだなって思って。文章とか書いたりとかすることがすごい発散というか。

岸田 そして、違うがん種の体験談っていうことで、子宮経がんじゃないがん種の方の体験談とかが参考になったってことかな。

上原 めっちゃ参考になりました。特に味覚障害とか、あとはウィッグのこととか。あと結構、共通する部分ってあったりとかすると思うんですよ。違うがん種でも治療の中で共通する部分があったりとか。逆に同じ抗がん剤治療をしてるからといって、副作用の出方って一人一人違うから、同じがん種で同じ抗がん剤やってる人の治療が全然参考にならないこととかも全然あって。

上原 違うがん種だけど、例えばウィッグこうやってかぶるといいよとか、ウィッグこうやって着けると自然だよとかっていう情報を発信してくれてる方がいたりとか。あとは、病気との向き合い方、メンタルとかのことも発信してくれてる方がいたりとかするのが、すごく役に立ったりしたし。あと、味覚障害のこととかも、毎回、私は駄目になる食材が違ったんですけど、そういうときに。

上原 ていうのも、私、トライしてみて、前、いけたのにみたいな。すごい駄目だったこととかが、すごいメンタルにきちゃったりしてたので、そういうこともあるよみたいなことを書いてる人がいて。

上原 そうなんだ、私だけじゃない。それで、いろんなものトライしてみようとか。前、これはいけたんですけど、これが駄目になって、次はこっちいったらいけましたみたいなのの情報とかがあって。私もそれ食べてみようとか。そういうふうになれたりとかしたのがありましたね。

【メッセージ】

岸田 そして、そんなあみちゃんに、次、こちら。今、見てくださっている方に、あみさんにいただいてるメッセージはこちらになります。悲しむんじゃなくて一緒に向き合い続けてという言葉をいただいております。

上原 悲しむんじゃなくて一緒に向き合い続けてっていうのは、家族の人とか、がん患者さんだけじゃなくて、患者さんと一緒に生活してる人とか周りの人っていうのは多分、一緒にすごく、最初はショックとか、すごい何らかの心に変化があると思うんですよ。

上原 特に悲しいって思う方が多いかなとは思うんですね。周りの方に特になんですけど。そうやって悲しまれても、ずっと治療は続くし、治療が終わったとしても、がんって終わってからも5年10年って、いろいろ節目になるときがあると思うんですけど。そこまでずっと付いて回るもので、一生付いて回るものと言っても過言じゃないものなので、ずっと心の中とかに悩みとして残るものなんですよ。

上原 がんになったよっていうときとか、治療中だけ、がんって悲しまれて。その後、普通にもう治ったでしょって思われるのって、結構すごく患者本人としては精神に来る部分があります。なので、がんになったよって告知されたときに、そのときに悲しむだけじゃなくて、治療中も治療後もがん患者さんに対して、周りの人が一緒に向き合い続けるっていうこと、病気に対してずっと向き合い続けるっていうことが一番のサポートになるし、頑張ろうとか生きようとか思えるきっかけになるんじゃないかなと思うので、悲しむだけではなく、一緒に向き合い続けてほしいなと思って、こういうメッセージを書かせていただきました。

岸田 どうしても患者さんって本当に、かわいそうな人みたいなイメージもあるかもしれませんけれども。じゃなくて、一緒に頑張っていこうよっていうか。本当、向き合い続けてサポートしてくださったりとか。

岸田 そうしてくれると、患者としてもうれしいと思いますので、皆さんもぜひよろしくお願いいたします。そういった中で、きょうは本当、あみさんにいろんな経験談をお話ししていただきました。これにてがんノートmini、終了していきたいと思います。どうもありがとうございました。

上原 ありがとうございました。

岸田 バイバイ。

 

 

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