目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:柳澤

岸田 ライブ配信開始ということで、がんノートoriginスタートしていきたいと思います。今日のゲストは佳奈さんですけれども、佳奈さん結構、後ろ色んなキャラクターとかがいっぱいある感じですか、背景。

柳澤 ゴチャゴチャしてます。

岸田 その中で、以前、心を燃やせという鬼滅の刃の会に出ていただいた時の、煉獄さんとかのキャラクターとかもいらっしゃったりだとかするっていう感じですよね。

柳澤 そうですね。

岸田 緊張してるやん、大丈夫?

柳澤 大丈夫です。

岸田 佳奈さん節をまた出していただきたいと思うんですけれども。まず僕の自己紹介をさせてください。NPO法人がんノート代表の岸田と申します。僕は25歳と27歳の時にがんになりました。

岸田 胚細胞腫瘍という珍しいがんなんですけれども、当時、医療情報に関しては、お医者さんだったりだとか、病院に聞いたら教えてくれるんですけれども、それ以外の情報ですね、どうやって皆さん社会復帰したのかだったりだとか、お金どう工面したらいいのかだったりだとか、恋愛、結婚どうしたらいいのかとか、そういった情報が、あまり無かったので、それを先輩の患者さんに聞いたら、結構いろいろ教えてくれるんです。

岸田 じゃあ、これってみんなと情報シェアしたらええやんということを思って、がんノートという、患者さんのインタビューを2014年からスタートをしてまいりました。なので、こういったライブ配信で、場所は違えど、同じ時間を皆さんと一緒に共有出来たらなと思って、ライブ配信をしております。そんな、今日のがんノートorigin、90分の配信になっていくんですけれども、今日のゲストは、柳澤佳奈さんになります。佳奈さんよろしくお願いします。

柳澤 お願いします。

岸田 佳奈さん、簡単に自己紹介お願い出来ますか。

柳澤 はい、柳澤佳奈と申します。2015年、36歳の時に子宮頸がんの告知を受けて、翌年の1月に広範子宮全摘出をして、今、7年目に入って経過観察中です。よろしくお願いします。

岸田 佳奈さん、今、北海道に住んでらっしゃるんですよね。札幌でしたっけ?

柳澤 違います。旭川。

岸田 もう雪は結構、降ってますか

柳澤 まだ降ってないです。

岸田 これからっていうことですよね。

柳澤 今週から寒くなって来る、ぐっと気温が下がるっていう予報です。

岸田 じゃあ、雪虫はもう飛んでる?

柳澤 雪虫はもう結構、だいぶ昔に飛んでた。

岸田 雪虫っていう存在を全然、知らなかったんです。雪が降る前に雪虫みたいなのが舞うんですよね。

柳澤 いないんですか。北海道だけなんですか、あれ。

岸田 分からへんけど、僕は関西にいたころ雪虫は見たことないような気がする。

柳澤 じゃあ、いないのか。

岸田 そして皆さんライブ配信しておりますので、気になったこととか、何かしら、何でもいいのでコメントお待ちしております。よしさんから、こんにちは今日も楽しみです、だったりとか、やまやんさん、こんにちはと、mikaさんも、こんにちはよろしくお願いします、KOさんも、久し振りにライブ、リアルタイムで見れて嬉しいという言葉もいただいております。ありがとうございます。

【発覚から告知まで】

岸田 では早速、佳奈さんの闘病経験をお伺いしていきたいと思います。まず、発覚から告知までお伺いしていこうと思いますので、是非よろしくお願いします。それでは、佳奈さんの闘病経験、まず、2014年からスタートしていくんですよね、2014年から、佳奈さんは双子が幼稚園に入園したということがあると思うんですけれども、双子さんがいらっしゃったんですか。

柳澤 はい、そうです。います。

岸田 いますって、めっちゃ堅苦しそうな感じになってるけど、全然、大丈夫です。

柳澤 すいません、ガッチガチなんです、まだ。

岸田 90分後には時間が足らへんみたいな感じになってたら嬉しいなと思います。双子さんは、性別的にはどうなんですか。

柳澤 女の子2人。

岸田 女の子2人、双子さんを育てていくって、子育てはもちろん大変だと思うんですけれど、双子さんだと倍になるっていうのはどうなんでしょう、そこら辺の子育てって。

柳澤 私は苦労しました。2倍とかじゃなくて、3倍にも4倍にもなるんです。掛ける2じゃなくて、それにプラスして色々あって、小さい時は本当に、もう大変でした。

岸田 そんな双子ちゃんが、幼稚園に入園していくの、2010年9月っていうことで、4月じゃないんや、9月なんや入園は。

柳澤 うちの子10月が誕生日で、3歳になったら保育料安くなるんだけど、3歳までめちゃくちゃ高いんです。だから、2人入れるから凄い頑張って、10月まで頑張ろうと思ったんだけど、もう頑張り切れなくて1カ月前倒しで。

岸田 そういう背景があるのね。

柳澤 そうそう、家族で話し合った結果、もう1カ月分の3~4万か5万ぐらい、2人分で結構したんです。だけどうちの父が、じいちゃんが、お金とか言ってられないから、前倒して俺が出してやるから入れろって言って。

岸田 そんだけ色々大変だったんですね、本当に。

柳澤 そうです。皆なしんどくなってて。

岸田 それで入園していって、その2カ月後パートを始めるという、パートっていうのはどういったパートを始めたんですか。

柳澤 まず、短期で探して、社会復帰もう何年もしてなかったから、ちょっと慣らしで何カ月とかの短期で探してたら、丁度いい2カ月くらいのパートがあって。

岸田 短期で2カ月のパート、どんな?

柳澤 会計事務所で年末調整の関係の事務で、確か10月、11月だったと思う。このぐらいの時期だったと思うんですけど。

岸田 じゃあ事務職のパートを見つけて、それをやり始めたということですね。それをやり始めた後に、2015年2月に不正出血と書いてあります。この不正出血って、まず不正出血ってどんなやつなのかって、男性陣があんまりなじみが無かったりとかするので、どんな感じでどういうふうになっていったのか教えてもらえますか。

柳澤 月経とは別に、不正のタイミングっていうんですか、それなんていうの。不正のタイミングおかしいよね。

岸田 定期的なタイミングじゃない、生理の時期じゃない時に。

柳澤 そうそう、突発的に全然、違うタイミングで出血する。

岸田 だから血が付いちゃったりとかして、気付くみたいな感じなんですよね。

柳澤 そうです。あれ、まだ時期じゃないのになっていう時に、出血したりとかっていうのが、頻繁に起こってたんです。

岸田 頻繁にね。

柳沢 2月に1回、出血してから、ちょっと置いてから、がんが発覚する1カ月前くらいからは、凄い頻繁だったんです。止まらなかったっていうか、生理が終わらない、ずっと続くみたいな。

岸田 生理がずっと続く、エンドレス。そういった不正出血が2月頃から始まったといったところ。

柳澤 そうです。

岸田 コメントもちょっと来ております。敏希さんも、こんにんちは、やまやんさんも、雪虫は初耳ですと、栃木は山から雪の花が飛んで来たねって言ってました。

柳澤 何か、素敵じゃないですか。

岸田 栃木県民素敵やな。

柳澤 虫より花のが全然良いじゃん。

岸田 けど、本当に虫ですよね、違う?

柳澤 虫。私もそんな雪虫好きじゃないから、あんまり詳しく見ないけど、白い綿みたいなの付いてました、この前。

岸田 綿みたいなのがね、あと、双子の子育ては大変ですねだったりだとか、KOさんも、うちは双子の息子でしたと。色んなもの破壊されて、家の中ボロボロでした。トイレのドアにぶら下がったりして壊れ、何年かトイレのドア無しで、暖簾で過ごしていたので、私の友人が来た時、嫌そうでした。女の子だったら可愛いんだろうなっていただいております。

柳澤 そこまでじゃないかもしれないけど、結構、似たような感じです。

岸田 さすがにトイレのドアまでは壊されてない。

柳澤 さすがにトイレのドアは壊してないけど、壁とか天井とか落書きやり放題とか。

岸田 確かに、そう思ったら確かに暖簾っていうか、後ろのカーテン系になってくるね。

柳澤 新築だったら、多分、私もぎゃーって言ってるでしょうね。古い家だから、もう良いよって、全然書いて良いよって、その代わり人の家ではやらないでねっていうのはよく言ってました。

岸田 そして、その不正出血がまだ続いていったっていったところで、毎日のように続いてたんですよね、不正出血が。

柳澤 そうです。生理が終わるはずなのに、勿論、だんだん出血量って少なくなっていくんですけど、それがスパッと終わらないで、まだ血、混じってたりとか、茶色いものが出てたりとか、本当にパツッと終わらないのが続いて。

岸田 どれぐらいまで続いていったんですか。

柳澤 最終的には、多分、病院行くまで続いてた。

岸田 病院行くまでずっと続いてたんですね。その時には、出血だけですか、何か他に。

柳澤 これは後から思い返したらそうなのかなと思うんですけど、夏、残暑ぐらいの時から、背中とか腰が、人が乗ってるかのようにだるくて、疲れも本当に取れないっていうか、寝ても寝ても疲れてる状態だったんですけど、それって、まだ双子が3~4歳だから、産んでからずっとエンドレスで疲れてたから、そんなに気にもしないっていうか、そんなもんなんだろうって思ってたけど、今、思い返したら、もしかしたらそういう不調もあったのかなって。

岸田 そして2015年の11月頃になっていくと、不正出血だけじゃなくて、変なおりものも出てくるということで、おりものも男性陣にとっては、あまり馴染みがないことなんです。

柳澤 何と説明していいのか。

岸田 分泌物的なもの。

柳澤 そうです、そうです。生理来る前になると、そういう。

岸田 分泌物的なものが出る。

柳澤 そうです。

岸田 変なっていうのは、色が混じってるとか、そういうこと?

柳澤 そう、何か、感覚的なんですけど、本当に何か見た目も違う気がするし、おりものって実際そんな匂いとか絶対無いはずなのに、凄い激しい、エッ待って、凄いびっくりするぐらい。

岸田 激しい匂いっていうのが、全然、想像出来ひんねんけど。

柳澤 魚腐ったみたいな匂い、本当に。しかもそれが、透明なおりものが出たんです。おしっこのような。だから私、変な話、ツーって出てきた時に、あ、やべ漏らしたって思った、本当に。軽い尿漏れ起こしたと思って、やばいと思ってトイレに行って確認したら、尿でも無いし、尿の匂いでもないし、なんだこれはと思って、病院はこれは行かなきゃ駄目な感じだなと思って行ったんです。

岸田 それで、病院に行かなあかんと思って、行ったのは個人病院に受診していったと。

柳澤 そうです、そうです。

岸田 個人病院には最初、がんの疑いって書かれてるけど、どんなことされて、どういう初見とかあったんですか?

柳澤 まず、とにかく検査っていうか、がん検診暫くやってないし、不正出血あるってことは、子宮体がんの可能性もあるから、体がんの検査しましょうって言われたんですけど、検査方法違うんです、子宮頸がんと体がんって。

岸田 どう違うんですか?

柳澤 頸がんって頸部だから、手前のほうの細胞を取るだけだから、そこまで痛くないんですけど、体がんになると子宮本体の細胞組織取るから、痛いんです滅茶苦茶。変な棒みたいな入れて、ガッてやる。1回だけやったことがあって、若い時に。気絶したんです私、痛過ぎて。本当に痛くて、失神しちゃってっていう経験があったから、先生に体がんって言われた瞬間、それは無理って言って、検査は難しいですねって言って。

柳澤 でも、不正出血だったら体がんの疑いあるからあれなんだけど、取りあえず頸がんだけやるかってなって、診察台に上がってっていう流れで。先生、出血してる箇所をすぐ見つけて、何かこれって、カーテン越しに不穏な空気っていうか、えっと思って、変なんですかって言ったら、何かちょっとっていう話をして、ポリープかなんかですかって言ったら、いやって、全部言葉を濁すんです。

岸田 いやって感じ?

柳澤 ただ、見た瞬間にこれは悪いものだなって、多分、先生は思ったんでしょう。

岸田 佳奈さん、この個人病院行く時も、デリケートな部分だから女性の先生が良い、男性の先生が良いってあるじゃないですか。佳奈さんどう探して行きました?

柳澤 正直、私、子どもも出産してたから、初め本当に若い時は、男の先生凄い嫌だったんですけど、もう慣れちゃったので、全然、その辺は男の先生でも女の先生でも、どちらでも良いんだけど。仕事終わりにやっていて、ある程度色々口コミみたいなの見て、そこの病院初めてだったんです、行ったのが。

柳澤 出産した病院は、休み取るって行かなきゃいけないから、大きな病院なので。そこまでではないなと思って、最初、個人病院と思って調べて、正直あんまり良い個人病院が思い当たらなかったから調べて。そうしたら、元々、出産した病院が、旭川厚生病院っていうんですけど、その旭川厚生病院の婦人科担当だった先生が開業されてるっていう情報を見て、間違いないかなと思って行ったんです。

岸田 それなら安心するね。それで、そこに行って、先生に組織の取って、全部、言葉濁されて、がんの疑いがあると。

柳澤 そうです。あんまり言えないっていうか、あれなのか、子宮頸がんの検診はしたんだけど、もっと先に進んだ、細胞診、組織診、パツってちょっとその組織を切り取って、もっと詳しくする検査があるんですけど、それまでやったほうが良いって言われたんです。

柳澤 その時に、最初に行った段階で。そのままやっていいですかって言われたんだけど、いや、ちょっと待ってくださいと、心の準備が無いっていうか、こっちとてそんな重大なことだと思って来てもいないし、心が追い付かないから、一旦帰っていいですかって言ったんです。

柳澤 持ち帰っていいですかって、その話は、家族と相談したいので。パニックっていうか、何が起こってるのか分からなくなっちゃって、まさか自分が、がんかもしれないっていう話とかされると思ってもいないし。

岸田 そうやねえ、1回持ち帰りました、その後、大きな病院に転院って書いてあるけど、どうした、持ち帰ってから。

柳澤 うち下に両親が住んでるので、直ぐ、両親にこうこうこうだったんだけどって言ったら、うちの父が開口一番、おまえそれはがんだぞって、医者でもないのに、医者からもがんだぞとか言われてないのに、うちの父が、おまえそれ、その言い方がんだぞって言われて、エエッて。

柳澤 明日、直ぐお母さんと一緒に、もう一回病院に行ってきなさいって言われて、恐らくがんで間違いないからその言い方は、早く見つけてもらったほうが良いんだから、明日、お母さんと一緒にもう一回行きなさいって言って、次の日、母ともう一回行って、そこで色々話をして、やったほうが良いっていうことで、詳しい検査をそこでしてっていう感じです。

岸田 個人病院で詳しい検査したんだね。でも、大きな病院に行ったほうが良いって言われたってこと?

柳澤 そうです。その検査結果が、やっぱり腺状のがん細胞で出てると、だから今、直ぐこれを持って、今から連絡付けるから、厚生病院のほうに、先生に直接連絡するから、これ持って今、直ぐ行ってって言われて、その日に直ぐ行ったんです。

岸田 じゃあ翌日もう一回検査してもらって、そのまんま大きい病院に行ったってことか。

柳澤 翌日検査して、検査結果で1週間、10日くらいかかったので、それの検査結果また聞きに行った時に、直ぐ今行ってって言われて。

岸田 大きな病院にようやく行きました、結構、その間、不安だったでしょ。

柳澤 不安でした。忘れかけてるけど、その年2015年って、年末とかの記憶が無いっていうか、がんかもしれないって言われた時で、もうその年終わってるんです、2015年は。ばたばたしてるし、あんまりよく覚えてないけど、でも、不安だったと思う。ただ、悪いことしか検索しなかった気がする。検索魔になっちゃってて。

岸田 その中で、大きな病院に転院していって、そこからは、手術って書いてあるけど、結構トントン拍子で手術になっていったんですか、円錐切除。

柳澤 そうです。そこの病院でも、もう一回そのコルポスなんとかっていう、もう一回、同じ検査やったんです、組織パツッと取る検査をやって、で、怪しいと。そうしたら円錐切除、まずしましょうと、がんの確定するのにステージも確定しなきゃいけないから。円錐切除しましょうっていって、子宮頸部を円錐にくりぬく手術を11月の末ぐらいにして。

岸田 円錐切除は1日ぐらいで、直ぐ終わるようなやつ?

柳澤 何時間で終わるんですけど、前後1泊したので、2泊3日だったかな。

岸田 その後、翌月その検査結果が分かってくるんですよね。

柳澤 はい、そうです。

岸田 その検査結果はどうだったんでしょうか。

柳澤 私は、あんまり自分でそこまで進んでるっていうふうに思ってなかったし、思いたく無かったっていうのも、多分あると思うんだけど、1人で大丈夫って母に言われたんですけど、大丈夫って言って、割となんか気軽に行ったんです、聞きに。そうしたら、割とステージ進んでて、子宮頸部腺がん1b1期ですって告知受けた時に、エッと思って。多分0期とかなのかなって勝手に思ってたから、先生の口ぶりが、がん細胞っぽくも見えるけど、うーんみたいな感じだったから、違うのかもしれないっていう期待を勝手にして行ったけど、やっぱりそういう結果だったから。

岸田 そっかー、結構ショックでしたよね、恐らく。

柳澤 かなり、もう泣き崩れて、診察室を出て待合室、バッて椅子あるんですけど、人目をはばからず、そこで大声を出して1人で泣いちゃって。

岸田 そっか、それ1人で行ってるのか。

柳澤 そう、1人で行ってるから、まさかの結果に、堪え切れなくなっちゃって。

岸田 そこから、がん告知っていうと、その後、次に札幌の病院にセカンドオピニオンってあるんですけど、今の判定に納得出来なかったからセカンドオピニオンって。

柳澤 そう、判定に納得っていうよりも、1b1期の治療方法としては、広範子宮全摘出。

岸田 そういうこと言われたんや。

柳澤 放射線治療も無いことはないけど、腺がんに対してはあんまり効かないから、やっぱり手術が良いと思うって言うので、子宮も取るし、場合によっては卵巣も、温存出来たら温存するっていう話で、あと骨盤内リンパ節、それが標準治療だって言われて、子宮取ることも嫌だったし、リンパ節切除するとリンパ腫になるっていう情報はあって、やっぱり悪い写真とか見てたら、本当に酷くなった人とか見てたら、これやりたくないなと思って。

柳澤 で、なんか、もしかしたらリンパ節を取らなくても良い、センチネルリンパ生検って、よく乳がんの患者さんはやるんですけど、子宮頸がんの患者さんはあんまり一般的じゃないんですけど、リンパ節の入り口をちょっと取って、そこにがん細胞がいなければ、奥のリンパ節にもいないから、その場で閉じるっていう方法を、札幌のがんセンター、北海道がんセンターだったかな、そこがやってるっていう話を聞いて、そっちに話聞きに行きたいって言って、セカンドオピニオンに行ったんです。

岸田 因みにこの、ご覧になられてる皆さまに関しては、これは2015年ときの経験談っていう形であります。今は、もし変わってる可能性だったりとか、最新の情報に関しては、主治医の方だったりとか、ネットでも、国立がん研究センターがやってる、がん情報サービスだったりとか、そういった信頼出来るところを見てもらえたらということ思っております。あくまでもこちら、経験談になりますのでといったところで。セカンドオピニオン行きましたと、セカンドオピニオンでは、何て言われてんでしょうか。

柳澤 開口一番、手術は絶対必須だと。私、あわよくば、子宮温存出来ますよって言ってくれるんじゃないかって、そういう期待も込めて行ったんです。その、リンパ節のっていうのもあるけど、それって誰か言ってくれる人いるんじゃないかなと思って行ったけど、もう全然、そんなの当たり前だよみたいな、これはもう絶対だよって。

岸田 セカンドオピニオン折角行ったのにとか思わなかったですか?

柳澤 思いました。しかも、30分5000円、1時間まで1万円で、33分とかで1万円取られましたから。

岸田 そんな計ってるの先生が。

柳澤 計ってない、別にストップウオッチとかで計ってるわけじゃないけど、結局1万取られたもん、なんだよと思ったけど。5000円で終わらせてよ、それだったらと思ったけど、ただ怒られて1万円払ったみたいな。

岸田 怒られた?それは。

柳澤 怒られた。

岸田 手術しなくて、そこまでやらなくて良い方法はないんですかって言ったら。

柳澤 多分それを凄い見抜かれてて、あなた分かってるの?自分の病気って言われて、あなた死ぬ病気なんだよ、ちゃんと理解しないと駄目よって言われて。そこでも半笑いで言ってたのがばれたんでしょう、母と2人で行ってるんだけど。母も半笑い、こっちも半笑いで。

岸田 それは怒るかもしれへん。冗談ですけど。楽観的に見たいって感じですよね。

柳澤 そう、テンションがおかしいんです。上げていかなきゃいけないっていうのもあったのか、テンションが自分でもおかしくて、それ言われた瞬間にまた、ブワーって泣いちゃって。

岸田 けど、ちゃんと標準治療としては、取らないといけないといったところで、納得してなのかどうか分からないですけど、それで旭川に戻っていくっていう感じ。

柳澤 はい、そうです。

岸田 そしてその後、大量出血とありますけども、これも不正出血みたいなやつの、大量版?

柳澤 いいえ、円錐切除した後の傷って、縫ったわけじゃなくて焼き切ってるみたいな感じらしいんです。そのかさぶたが剝がれて来て一部が、そっからピューって本当に噴水みたいに出てたみたいで、そういうこともありうるっていう説明は受けてたんです。

柳澤 1カ月後くらいに出血する人もいるけど、絶対出血するわけでもないし、出血したら直ぐ連絡してって言われてたんで、そうしたら本当にちょうど1カ月後くらいに、会社の年末の収めで窓拭きしてたんです。

柳澤 ちょっと高いところの窓拭いてて、ジャンプしたんです。そしたら、バーって何か出たと思って、痛くもなんともないの、でも何か出て、やばいと思ってお尻上げながらトイレに行ったら、ジーパンとかビチャビチャになるぐらい、トイレとかも殺人現場みたいに、ウワーって出血して、何これって思って、どうしよう、でもこれはやばいからと思って、トイレから電話して、今こういう状況なんですけどって言ったら、今直ぐ来れますかって言われたから、分かりましたって取りあえず言って、ナプキンとか持って来ていたのであるだけのナプキンをひいて、でもランチ行くって言ってたんで。

岸田 ちょっと待って、ランチ行く、どういうこと。

柳澤 掃除終わったらランチ行くっていうふうに、社長がランチ連れて行ってくれるっていうのは、最初から言ってたから、ランチも食べたいし、取りあえず応急処置をして、そのまんまちょっと上げ気味でランチには行ったんです。今、直ぐ来れますかって言われて、はいって言ったんだけど。

岸田 そうなんや、救急車で運ばれたんかなと思ったんやけど。

柳澤 いや、違う。自分で運転して行きました、腰を上げながら。

岸田 ほんま?ランチは行って、その後に自分で運転して病院に行って。

柳澤 そうです。おなかいっぱい食べて、近かったので、会社から病院が。すいません、ちょっと私、もう病院行かなきゃいけないので先に帰りますって、速攻食べて直ぐ行って。

岸田 病院で緊急入院して。

柳澤 緊急入院、緊急手術、縫わないと止まらないってなって、これは止めないと駄目な部分っていうんですか、動脈、静脈、血が凄い出る部分から出てるから、これじゃ普通に止まんないから、もう縫わないと駄目だってなって、縫う手術をしました。

岸田 凄いな、今まで色んなことが迫りくる感じですけれども、コメントもいただいていますので、コメントも読ませていただきます。Fuzokuさんからは、いつもの佳奈ちゃん節、楽しみにしてるよだったりだとか、Sakaideさんからですね。さなとりうむさんからは、こんにちはと、男性の先生のほうが丁寧に気を遣ってくれる気がしますと、女性の先生よりも。そんな気はしましたか?そんなことは。

柳澤 あーー、男性の方がってことですか。

岸田 丁寧に見てくれる。

柳澤 人にもよる。私、女性の先生にも見てもらったことあって、男性でも初めに断りを入れておくと、私すごい痛みに弱いからって言うと、結構、丁寧にやってくれます。

岸田 あーー、最初に断りを入れておくっていうね。

柳澤 あと、凄い年のじいさん、おじいちゃんとかのほうが結構、ガッチャガチャやる人が多かった気がする。

岸田 そういったものもあるかもしれないっていうことですね。

柳澤 そうです。

岸田 そして、よしさんからは、個人病院から一旦持ち帰った道すがら、どんなことを1人で考えられながら帰りましたかとか。

柳澤 どうだったかな、でも何か本当に不安で、一旦友達に電話したはずなんです。こうやって言われたんだけどって言って。

岸田 あと、自覚された代として、セカンドオピニオン良かったのだと思いますよっていう、笑いっていう感じで。

柳澤 私もそう思います。自分で自覚したってことですよね。

岸田 kaokickyさんから、セカオピって、藁をも掴もうとする思いで行くのに、厳しめなことを言われたら心、折れそう、愕然としますよねっていうことだったりとか、理想と現実ギャップがありますよね。Fukuokaさんからも、セカンドオピニオンには苦い思い出ありますとか、怒られてもらって良かった、33分は腹立つけどって、セカンドオピニオンのやつだったりとか、殺人現場、分かるっていう言葉。出血と仕事納めのランチ、凄いですと、ジャンプが出血の原因だったんですかね、みたいなかたちで、分からないですよね。

柳澤 分からないです。

岸田 ジャンプして結構、色んな、バーってなったんだったらそれかもしれないし。

柳澤 じゃあ、ジャンプしたら駄目だってことですね、術後は。

【治療から現在まで】

岸田 術後はジャンプされる方、あんまりいないような気がするけど。あと、山田さんから、最初にお断りを入れておくことは大切ですねっていうコメントもいただいております。ありがとうございます。そして、そこからのところっていった時、治療から現在までについてお伺いしていきたいということ、思っております。治療から現在まで、その後どうなっていったかっていったところを、2015年の12月に止血のための手術、2016年の1月から止血のための手術をしていって、最終的には手術は、セカンドオピニオンとかでも言われた、全部取らないといけないよっていう手術は。

柳澤 翌、2016年の1月18日に、本手術っていうんですか、やってたんです。

岸田 書いてあるように、広範子宮全摘出手術と。

柳澤 はい、そうです。

岸田 文字通り、広範に全部取っていくと。

柳澤 そうです。子宮、卵巣、卵管、骨盤内のリンパ節。

岸田 卵巣、卵管とか、全部取っていくって結構、気持ちの整理とか必要になってきません?

柳澤 そうです。私、幸い卵巣は残せたんです。でも、多分それは私の予想なんですけど、全部切った後で、卵巣持って来て付けてると思うんです。縫ってるって言ってたから先生が。

岸田 そこを縫ってる?

柳澤 卵管はもう取っちゃってるんです。こう繋がって、こういうふうになってる、ここの卵管は取っちゃってるから、このボロンとこの二つだけは、縫って付けてるって。縫って付けてるって凄いですよね。

岸田 それで、全摘出手術をやっていって、子宮も全部、今、無いっていう状態ですよね。

柳澤 そうです。

岸田 違和感とかあるんですか、そうなると。

柳澤 なんも。分かんないです全然。見えて無いものだから。

岸田 質問なんですけど、子宮を取ります、けど、子宮頸部はありますよね。

柳澤 無いですよ。

岸田 子宮頸部も取ってるんですか。

柳澤 だって子宮頸部あったら、その子宮頸部線がんって子宮頸部にがんが出来てるから。

岸田 じゃあ頸部も全部取ってるのか。

柳澤 多分、取ってると思う。膣の断端って、袋とじになってるって言ってたので、確か手術。

岸田 ありがとうございます。手術をしていってといったところで、その広範囲取っていって、ただ卵巣は残せたと。その後、後遺症で片足が腫れて歩けないとありますけれども、これはどういうことですか。

柳澤 麻酔の、これは凄く稀な例らしいんですけど、手術する時に血栓予防のために、着圧ソックスとフットポンプを付けたんです。私、9時間ぐらいかかったんですけど手術に、ずっとそのフットポンプを、足に圧を掛け過ぎたせいで、片足がバンと腫れてしまう、コンパートメント症候群っていう名前を発症して、よくスポーツする人がなるみたいなんです。筋肉が腫れて、酷い人はそこを切開して、筋肉を冷やすふうにしなきゃいけなくなる人もいるみたいですけど、私はそこまでしなかったんですけど。

岸田 手術のそういうポンプの影響で、それで腫れて歩けないっていうことがあったんですね。

柳澤 そうなんです。手術から目覚めた時、開口一番、私、痛いって。おなかとか何も痛く無いんだけど、足が痛いって先生にずっと言って。

岸田 これは最終的に歩けるようになるんですか。?

柳澤 なりました。もしかしたらちょっと、痺れとか残っちゃうかもって言われたけど、もう今は何も、普通に。

岸田 それは日が経っていくとだんだん治っていく感じですか。

柳澤 そうです。だから、1カ月くらいでだいぶ良くなった。

岸田 因みに、手術とかは最終的にはセカンドオピニオンで札幌行ったけど、旭川でまた手術を受けたということ。

柳澤 そうです、そうです。

岸田 そして、退院が延期になっていくってありますけど、それはこの後遺症のせいで?

柳澤 そうです。

岸田 予定だと1週間ぐらいで退院する予定だったんですか。

柳澤 そうです。腹腔鏡だったので、早かったはずです。開腹じゃなかったから。腹腔鏡だから、おなかのほうとかの傷もあんまりないし、痛みとか本当に無くて。

岸田 その、後遺症の影響で退院が延期になってくっていうことで、またそこから数週間後になった感じ?

柳澤 1カ月以上、入院してた。

岸田 結構いくね。腫れがひいて来たというか、歩けるようになって退院していったという感じだった?

柳澤 そう、完全な状態ではないですけど、まだ良いかなっていうか、だいぶ片足ひいてでも歩けるから。

岸田 退院していく、その後凄いパワーワードが来てるんです、ボイコットっていう。排尿障害になっていって自己導尿して、それをボイコットして、これはどういうことでしょう。

柳澤 入院中に、手術によって排尿障害が起こることがありますっていうのは説明を受けていて、どうしても膀胱をいじるから、おしっこが、例えば出なくなる人もいるし、尿意を感じ無くなる人もいるし、出ても全部出きらない自分の力で、出たと思ってもまだぼうこうに残ってるって言う状態だと、毒素を出さなきゃいけないって、そしたら、カテーテルを自分で尿道口に入れて、出さなきゃいけない、その訓練をちゃんと習得しないと退院出来ませんって言われたんです。

岸田 膀胱には残っちゃう場合があるから、それ自分で、自己導尿ってやつね。

柳澤 そうです。

岸田 ちなみに、それの排尿障害には、やっぱりなったんですね、そういう感じのこと。

柳澤 自分では自覚無かったんです。別におしっこ行きたいっていう感覚もあったし、大丈夫なのかなって思ったけど、行って出した後に残尿測定ってやるんです。自分で出した後に、看護師さんに最初は、残尿が残って無いかって、それこそカテーテルを入れて、残尿が200くらいまだあるんです。

岸田 200って多いんですね。

柳澤 ワンカップ。200以上とか残ってたりするから、それじゃあ駄目だから、自分でトイレに行くたんびにカテーテル入れて、出し切ってくださいっていう。手術もつらかったけど、それが私は結構、本当につらかったです。

岸田 つらかったって言ってるけど、ボイコットって書いてあるけどこれ。

柳澤 もう出来ないですって言って、練習が。無理です、こんなものをこんなところに入れられませんって。

岸田 結構、ストローみたいなやつを入れるの?

柳澤 自分の身体だけど、自分の尿道口なんて見たことないじゃないですか。まずその尿道口がどこかっていう確認をさせられるんです。鏡を持って看護師さんと2人で。

岸田 へえー、ここに入れるんですよって言ってくる。

柳澤 ですよって言われても、ここですかって、本当にボールペンのペンで、ぷすんってやったみたいな、虫眼鏡で見たいぐらい。無理でしょ、普通に無理だし、こんな態勢で、私、なんでこんなことやってんだろって思ったら、情け無くなって来て、自尊心がゴリゴリ削られてて。

岸田 最終的に、こんなん出来ませんって言っても大丈夫なの?

柳澤 毎日、代わる代わる違う看護師さんが説得に来てくれて、先生とか、柳澤さんまだ駄目って言われたから、いや、駄目です、駄目ですって言って。そっか、みたいな。

岸田 強制されても出来ひんからね。最終的にどうなっていくのそれは。

柳澤 1人厳しめの看護師さんが、私の母くらいの看護師さんが、あんたまたビービー言ってんのかいって言われて、やんないといけないものは、やんないといけないんだよって言われて。いやと思ったけど、これやんないと帰れないし、それで自分を奮い立たせて、やると割と早めに習得しました。

岸田 やり方を?

柳澤 うん。

岸田 最終的に、ビシっと言ってくださる看護師さんから、嫌々ながらもしていったら、それでようやく。

柳澤 そうです。

岸田 退院出来ていくっていうことですね。退院していった時に、その日にやったことがあるんですよね?

柳澤 次の日ですか。

岸田 次の日か、そう、退院した次の日。

柳澤 飲みに行きました、足引きずりながら。カテーテル持って。

岸田 これはやっぱ、飲みに行きたかったから?

柳澤 そこを結構、目標っていうか、絶対、普通に行けるようになりたいって思ってたから、外で飲みたいって思ってたし、ちょうど良いタイミングでお誘いを受けたから、行くって言って。

岸田 次の日、飲みに行って、飲みに行った先では、尿を出した時、自己導尿すんの?

柳澤 そう、だからカテーテルかばんに挿して、これ何って言われて、おしっこの相棒。トイレ行ったら長くなるからごめんねって一言、断りを入れて。

岸田 長くなるってどれぐらい時間かかんの、20~30分くらいかかんの。

柳澤 いや、そんなにはかかんないです。普通よりは長いって言う感じ。普通に終わって、カテーテル入れて出さなきゃいけないから。

岸田 普通が数分としたら、5分から10分くらいかかる。

柳澤 そうです。そのくらいの感覚。

岸田 飲みに行って、そして仕事に復帰していくと。また、仕事復帰のことは後でご説明いただきます。そして、その後、摘出の喪失感が増すということで、これは結構、精神的に来た感じですかね?

柳澤 そうです。身体がドンドン元気になっていくんです。日々元気になっていって、ほぼ自分の元の状態に戻っていく中で、気持ちだけがドンドンこういう感じ。気持ちは反比例していって、何であの時、取らなきゃいけなかったんだろうとか、何で私だったんだろうとか、そういうことを、まず考え出してきちゃって。何でこんな思いしなきゃいけなかった、本当に取らなきゃいけなかったのっていうのを、また繰り返しリピート、自分の中で。

岸田 それは、ずっと、ずっと悶々と考えている感じよね。

柳澤 そうです。

岸田 その後、2019年になっていくんですけれども、仲間に出会っていくといったところで、AYAshipっていう旭川の患者会さんと出会われていくんですかね。

柳澤 はい。

岸田 こういったものが出会って来たからこそ、さっきの喪失感とかはちょっと薄らいだとかっていうの、そんなはあるんですか。

柳澤 そう、やっぱり私も、本当に同じ病気をした人に、やっぱり、まず会いたくて。どんな同じ気持ちなのかなとか、どういうふうなあれなのかなっていうのがあって、色々出たりしてたんです。

柳澤 だけども、勿論出会ったりとかも、何人か会ったんですけど、病気が違ったりとかっていうのが多くて、あと、年代が凄く違ったりとか、年代が違うとやっぱり考えもちょっと違ったりとかで、AYAshipは、みんな病気は違うけど年代は一緒とか、私よりももっと若い子も沢山いますし。そんな中で、他愛も無い話。うーーん。

岸田 出来るような関係が、自分にとって良かったってことですね。

柳澤 そうです。本当に。

岸田 最終的には喪失感の悲しみというか、そういったところっていうのは、ちょっとは薄らいではいるの、今は?

柳澤 たまにやっぱり、それは全く消えることは、多分ないと思うんです。これは多分、私、死ぬまで持ち続けていかなきゃいけない感情なんだろうなとは思いますけど、何かを失うっていうか、自分の中の一部ですから。

岸田 AYAっていう15歳から39歳の人のことを指すんですけれども、それの患者会っていう人たちが患者会をやっていて、病気は違えど色んな人たちと交流出来て、最高の仲間と出会っていく。そして、2021の4月に5年が経過して、今、年に1回の受診となって、今は問題なく経過観察、過ごしてる感じ?

柳澤 全然、婦人科のほうは問題無く。

岸田 婦人科のほうはっていうことは、他は問題あるの?

柳澤 肝臓の数値が悪いっていうか、高いっていう。

岸田 それは、また違う原因でっていうことでいいかな?

柳澤 単純にお酒を止めなさいっていう話だと思うんですけど、私は先生に、女性ホルモンとかと関係無いんですかっていう話は、ちょいちょい持ってってるんですけど、うーんっていう感じ。

岸田 ホルモンってやっぱり出なくなったりとか、出づらくなったり。

柳澤 一応、卵巣付いてるので、出てるとは思うんですけど、一般的な普通に子宮があって生理があってっていう女性よりかは、多分、少ないんじゃ。測ったりしないから分かんないんですけど。

岸田 そういった影響もあるんじゃないかって、個人的に思ってるっていうことですね。

柳澤 そっちにかこつけたいから、先生に凄い言ってるんだけど、うーん、ちょっと止めてみたらって、お酒を。

岸田 まずお酒を、そこだよね、確かに。そりゃそうやもん。先生その通りです。そして、コメントもたくさん入れております。りえさんが、初めまして、私も子宮頸がんで子宮全摘の手術を受けるために、今、入院してて、ライブを見つけて拝見させていただいてます、だって。佳奈さん、今、手術のために入院されている方いらっしゃるので、何か是非メッセージを。

柳澤 いやあ、とにかく不安だと思うんですけど、もう、凄く元気です、今。本当に普通の生活をエンジョイしてるので、多分、つらいだけの言葉以上に本人は本当に不安だし、どうしていくんだろうって言う気持ちはあると思うんですけど、大丈夫、本当、仲間は沢山いるし、うん、大丈夫。

岸田 ありがとうございます。もし何かあったら、またこのがんノート見ていただくだったりだとか、もしくは、周りにいっぱい医療従事者の人が、沢山サポートしてくださると思いますので、自分で我慢せず相談してくださいね、その人たちに。

岸田 そして、皆さんもりえさんに対して、りえさん頑張ってくださいねっていうコメントをしてくださっている、良い方たちだ、ありがとう。術後しんどいのは、2~3日ピークだからっていうふうなことで、経験者さんたちも言ってくださっていて、後遺症怖いが、乗り切りますということで言ってくださっています。

岸田 そして、排尿障害、自己導尿、自己肯定感の低下、術後なのに更にメンタル下がりますよねとか。喪失感を感じたきっかけって、何かあったんですかってあるんですけど、何かそういうのは特になく、急に来るっていう感じですか。

柳澤 なんかもう、最初に、生理のナプキンのCMを見た時に術後、もう関係無いんだなとか思ったら、感傷的になったりしてた、そういうので。あと、今、生理中でとか、例えばそういう話を聞くと、ちょっと、ああー、そっかと思って。

岸田 気になるって感じ。

柳澤 そういうことで、結構、落ち込んだりとか、最初はありました。

岸田 深いところまで本当、佳奈さん言ってくれて、多分これが、結構いろんな方たちの、分かるだったりだとか、見通しになったりすると思うので、本当にざっくばらんにありがとうございます。そんな佳奈さんに、お写真をいただいております。闘病前と闘病中と闘病後のお写真、いただいてるんですけれども、まず、闘病前のお写真がこちらになります。これは夢の国?

柳澤 夢の国です。

岸田 お母さんと一緒に写ってるのかな。

柳澤 そうです。

岸田 そして右の写真は、双子ちゃんですね。

柳澤 はい。

岸田 その双子ちゃん、最初のところっていうのは、幼稚園に入園していくところからですもんね。また、家族のことは後でもお伺いしていきます。そして、治療中の写真が、次こちらになります。オッ、左側の足が腫れてる。

柳澤 凄い腫れてますよね。それまだ術後、何日目だったか忘れちゃったんですけど。

岸田 こんだけ違ったんや、だから歩けないよね、流石に。

柳澤 痺れとかもあって、本当に歩けなかった。

岸田 けど、さっきあったように退院は出来ていくから、数週間したらちょっとずつ、ちょっとづつみたいな感じかな。

柳澤 そうです。本当にとき薬っていうんですか、日にちを重ねるごとに良くなっていく。1日1日良くなっていきました。

岸田 そして、右側のやつが、これもしかして例のやつ?

柳澤 例のやつです。それがカテーテル、尿カテ、それかばんに挿して。

岸田 結構でかない?

柳澤 長い、だからかばんからピュって出てた。

岸田 しかも、太さも結構あるやん。

柳澤 あるんです。だからもう、そんなのおかしい。それはおかしいんです、それを入れようとすること自体が。

岸田 入るんやね。

柳澤 入るの。びっくりした、私も。

岸田 痛くない?

柳澤 最初は痛いけど、もう慣れたら何にも思わないっていうか、スペシャリストになっていました、私。鏡とか見ないで入れれるようになってた。

岸田 入りますみたいな感じで?

柳澤 そう、前は鏡、見ながら、鏡当てて合わせ鏡みたいにして見たりしてたけど、もうなくても、片足上げてすっと、男子みたいに。やってみたかったんです私、立ちション。女子って絶対出来ないから、それシステムになるんです、それが。

岸田 もうプロになったらそうなる。そして闘病後の写真は、こちらになります。結構、凄い、してる感じやん。

柳澤 ライジングサンのフェス、2016年にONE OK ROCKが来たんです。2016年に退院して、私、ONE OK ROCKがすごい好きで、ONE OK ROCKのライブを見に行くのを目標として、絶対この人の歌を生で聞きたいと思ってたら、凄いタイミングよく8月にライジングサン、ONE OK ROCK来るってなって。

岸田 ONE OK ROCKのライブに、こうやってライジングサンで行けた。

柳澤 フェスに行って、その時に生きてて良かったって本当に思った。涙流しながら見てた。

岸田 良かったです。バナナ食べててね。何でこの写真チョイスしたのか、ちょっと謎ですけど。

柳澤 その写真ぐらいしかなかったんです。

岸田 栄養補給したかったんですね。

柳澤 そう。

岸田 全然、大丈夫です。ありがとうございます。ここから佳奈さんに、今からラスト30分で様々なことを、一問一答形式で聞いていきたいということを思います。コメントも2個いただいてるので、りえさんが、佳奈さん、岸田さん、温かい言葉ありがとうございます、人の繋がりって素敵で大切なものですねっていうことで、いただいております。本当に応援しておりますし、さなとりうむさんからは、カテーテル太い、笑いみたいな感じでいただいてます。

【家族(パートナーと子)】

岸田 そんな中で、家族のことについてお伺いしていきたいと思います。パートナーと子っていうことで、パートナーさんにはどのように伝えたか、そして、お子さんにはどのように伝えているかっていったところは、どうしていますか。

柳澤 当時、夫が、私、病院行く前の日ぐらいに、出張に旅立ってしまって、道外に行っちゃったので飛行機で、いなかったんです。だから電話で、こうやって言われたっていうのを言ったぐらいで、あんまり夫には、あんまり、事後報告みたいな感じでした。

岸田 パートナーの方のサポートで、これ良かったなとかっていうのはありました?

柳澤 無いです。

岸田 一寸フォロー気味に。

柳沢 食い気味で言いましたけど、特に無いです。

岸田 こういうことして欲しかったなっていうことはありますか、例えば。お見舞いの時に持って来て欲しい、何かあります?

柳澤 言い出したら切り無くなるし。

岸田 そうですね、そうしたらあと30分で終わらなくなっちゃうんで、色々あるという。

柳澤 お察しください。

岸田 お子さんにはどのような形で、伝えました? その後。

柳澤 伝えたって、私が言ったんだか、うちの母が言ったんだったか、記憶が曖昧なんですけど、おなかに悪いものが出来て取らなきゃいけないから、病院に入院するっていうような伝え方しかしてないはず。

岸田 子どもたちも、それで、うん、そうみたいな。

柳澤 分かってるのか、分かってないのかだったと思います。

岸田 最終的に、それからね、がんになってから7年間っていうのが、今、もう小学生?

柳澤 今、5年生。

岸田 もう、そういった形であれば、認識出来ると思うんですけども、がんだったってことは、お母さんのことは知ってる?

柳澤 言ったら、え、そうだったのって言うけど、ちょっとやっぱり、まだその子宮を取ったっていうことは言ったけど、深く理解してるかっていうと、ママもがんだったんだよって、テレビとかで誰々が、がんとかっていう話で、ママもそうだったんだよって言ったら、え、そうなのって言うのは言ってます。

岸田 手術したりとかして、子育てで大変だったことってありました、いっぱい大変だと思うんですけど、その時、こう工夫したよとかってあります?

柳澤 逆に、感傷的にもなったりもしてたけど、それを深くこういうふうになる前に、子供を普通に、子育てしなきゃいけない忙しい毎日が、また日常で戻って来たから、あんまりそこまで感傷的にもならずに、普通の生活に戻っていけたっていう、逆に良かったのかなって、それは。あまりこうなると、本当に鬱っぽくなったりとかっていうのがあるし、実際そういう人も沢山いるって言ってたので、うーーん。

岸田 そして、家族の中でも、ご両親だったりとか、姉妹のことっていったところあると思うんですけども、お姉さんがいらっしゃるんでしたっけ。

柳澤 はい、東京にいるんです。

【家族(親・姉妹)】

岸田 ご両親に関しては、最初、お父さんに言って、おまえそれがんだぞだったりだとか、お母さんが病院について来てくれたりだとか、お姉さんにはどのタイミングで伝えたんですか。

柳澤 姉にも、もしかしたら、がんかもしれないんだっていうことで、普段から結構、電話とかよくしてるので、姉には、だから、なんかよく電話してだと思う。

岸田 家族のサポートで良かったなと思うのは、やっぱり一緒に付いて来てくれたりだとか、そういったところ?

柳澤 子どもを面倒見てくれたのが、やっぱり良かったです。

【妊よう性】

岸田 佳奈さんには、切っても切れない、妊孕性のことについてお伺いしていきたいんですけれども、妊孕性って、子どもを作る能力のことを妊孕性って言うんですけれども、佳奈さんの場合はやっぱり、摘出してるじゃないですか、その時は、そういう説明ってしっかりありましたでしょうか?

柳澤 しっかりした説明、勿論。

岸田 子どもを、もう今後、作れなくなるよっていうことについて、佳奈さん思うことありました?

柳澤 もともと双子の下を産むとか、本当に何も考えてなかったんですけど、いざ自分がもう子どもを産めなくなるという状況になると、失くすと思うと取り戻したいじゃないけど、もう出来ないってなったら、その時考えたのが、今もし妊娠して、出産と同時に子宮、取るとか、それは難しいんですかって聞いた。

柳澤 それって私のエゴなんですけど、そんなんで上手く妊娠するかも分からないことだし、本当に失うってなった時に、折角だったらもう1人産んでおけば良かったっていうのは、正直思った。全く産みたいとか思ってなかった、双子でいっぱいいっぱいだし、双子で全然、もう手回らないのに、でも、失くすってなると。

岸田 そういうのありますよね。先生の言葉としては、治療を優先しましょうっていう言葉。

柳澤 勿論、そんな上手いことはいかないと、単純に子宮全摘するだけでもないし。

岸田 因みに、皆さん気になることなので聞くんですけれども、広範囲で全摘すると、夜の営み的なところって出来るようになるんでしょうか。

柳澤 普通です。普通と考えてもらったほうが良い。別にそこの部分は関係ないっていうか。

岸田 先っぽのところは縫ってるっていうか。

柳澤 そうみたいです、袋とじになってる。膣自体を、1~2センチ切ってるんです。広範囲にブーっと切ってるから、膣も短くなってる、そういうことは先生に言われました。短くなってますからって、でも筋肉だから伸びるんでみたいなことは言ってました。

岸田 あとそこの話、色々聞くと、あまり濡れ難くなるから、それ用のローション的なものをっていうふうなところもあったりとかするんですけど、そこら辺って佳奈さんは大丈夫?

柳澤 なんかそれ、私、多分、女性ホルモン出てるっていうか、卵巣が付いてるので、特に。でも、卵巣無い方はそういう、あとは、精神的なものもあるんじゃないかな。精神的なものが一番な気がします。

岸田 人にここは、よりますので。そういったところも結構、大事なところだと思うんで、それは全然、先生だったりだとか、先生に言いづらかったら看護師さんとかに相談すると、色んな。

柳澤 本当に、もっと突っ込んだ話を、医療従事者の方から言ってくれたら良かったんじゃないかなって、私は、ちょっと思います。あんまりそういうことって、濁していうんです。勿論、こっちも聞きづらいから、それ以上のことも聞かないし、そんな。私はまだいいんです、先生からそうやって言われるから。夫とかのほうが良く分かってないというか、そんなことを私にも言って来ない、聞いて来ないし、だから夫だけに説明をする時間とかを、医療者の方がしたりするのが良いんじゃないかなって、今はちょっと思った。

岸田 きっと旦那さんも、めっちゃググってると思う。

柳澤 いや、どうだろう?

【仕事】

岸田 次、行きましょう。仕事のことっていったところで、事務職の仕事を短期でされてたってお話ありましたけど、当時はお仕事、その後、続けられたりとかどうだったんですか。

柳澤 さっきのあれで、補足なんですけど、2カ月働いた後に、今の会社に就職したんですけど。10月、11月とそこの短期でやって、明けて1月に今の会社に就職して、その10カ月後くらいにがんだって分かって、パートなので辞めるつもりで社長に言ったんです。がんだって言われて、1カ月半ぐらいは休まなきゃいけなくなるから、他に探していただいたほうが良いかもしれないって話をしたら、いや、もう、ちゃんと治して来て、待ってるから、ちゃんと元気になって、また戻って来てくださいって言ってくださって。

岸田 おー、すてき。

柳澤 ありがとうございますって、戻らせていただきました。

岸田 仕事復帰は、治療終わってから直ぐ戻られました?何カ月後ぐらいに戻りました?

柳澤 2月も確か中旬まで入院してて、2週間ぐらい休んで、3月1日から時短しながら、最初2時間行ったりとか、その辺は自由に。身体まだ戻ってないだろうからって言ってくださって、3月から一応、復帰して。

岸田 時短でやってて。その年の12月に年末の掃除とかしていて、ジャンプしていたら大量出血したって感じですか。

柳澤 それは、入院する前。就職した年の、がんと告知されて入院する前の12月です。

岸田 それで、会社の人たちが待っててくれて、手術終わって2週間後ぐらいに、復帰していったけれども、徐々に復帰していったってことですね。

柳澤 はい、そうです。

【お金・保険】

岸田 ありがとうございます。次、お金、保険のことについてお伺いするんですけれども、結構、お金とかも大事になってくると思うんですけど、保険、お金どうしました?

柳澤 保険は、主人の家族型っていうか、付随して、主人が100パーセント出るところを、家族がなったら60パー出るっていう保険に入ってたので、がん保険は。それと自分のコープ共済とで、賄ったって感じ。

岸田 それで賄えるもん?もう覚えてないかもしれんけど、どれぐらい出るもんなん?

柳澤 がんと診断されたら、いくらだったかな、主人が確か診断されて100万だったから、私60万だったのかな。あと、5,000円、日額のやつは、女性コースってやつに入ってたので、確か1万ぐらい出たはず。

岸田 女性特約的なやつで。

柳澤 そう。手術のやつも出たし、結構、出たんじゃないかな。

岸田 治療費はそれで全部賄えた感じ。

柳澤 そうです。だけど、色々かかりますよね。

岸田 よくあるのは、治療費は、高額医療費制度だったりとか、マックスの金額が決まってるっていうのはあったりとかして、結果的に多分、60万出たりだとか、他にも出たりだとかすると、100万ぐらいは出てるとすれば、結構プラスにはなるかもしれないんですけれども、それ以外で生活していくところでお金かかってきますよね。

柳澤 そうです。出ない手術、出血止める手術に関しては、出なかったんです、手術費用。だから、結構それが普通に10何万とか確かかかって、縫ったものを1カ月もしない2~3週間後に全部取らなきゃいけないって、凄いワイルドじゃないです、金15万払って、縫ってもらって、それを取るって考えたら。私さっきから金の話して、亡者みたいになってる気がする。

岸田 いや、お金は大事やから。こういった話が普段出来ひんから、がんノートで大事やから配信してるだけで、全然そんな、みんな金の亡者とか、金の猛者とか思ってないから、大丈夫、大丈夫。

柳澤 本当思った。あともう1カ月もないぐらいで手術決まってんのに、10何万もかけて止血の手術して、しかも、保険出ないとか、ええと思って。

岸田 それはきついな、取るために。けど、せなあかんから。

柳澤 そう、死んじゃうから、出続けてたら。

【辛い・克服】

岸田 次、つらい克服っていったところがあるんですけれども、佳奈さん、どのタイミングが一番つらかった、今までトータルして。

柳澤 本当に、術後、悪いループに入ってた時がつらかった。

岸田 悪いループとは。

柳澤 子宮無くなってとか、色んな悪いことばっかり考えて、すさんでるっていうか、なんで私が、私、何やったんだろうとか。

岸田 その時、どう克服したかっていうと、どうしました?

柳澤 やっぱりそういう集まりに、色んなところに行ってお話を聞いてもらったり、他の人の話を聞いたりとか。臨床心理士さんがずっと付いててくれたんです、私に。旭川厚生病院にいる臨床心理士さんが、がんって診断された時に、私がソファのところで大泣きしてる時に、看護師さんが、こういう人いるんだけど呼びますっていうので連れて来てくださって、それからずっと寄り添ってくれてる、臨床心理士さんがいるんですけど、本当、その方に助けられました。最初から最後までっていうか。

岸田 そうなんですね、病院にはよるかもしれないんですけれども、見てる皆さんも、心理士さんもいらっしゃる病院があったりとかすると、そういったこと受けれるということがあるわけなんですね。

柳澤 そうです。

【後遺症】

岸田 そして、そして、後遺症のことといったところで、さっきの左足が腫れたりだとか、自己導尿をしていかないといけない、自己導尿は最終的に、今は大丈夫なの?

柳澤 半年ぐらいで止めました。

岸田 半年ぐらいで、戻ってくるの?

柳澤 多分その神経が戻って来て、残尿もほぼ出なくなったら、もうOKっていう感じで。

岸田 他、後遺症って何か、パッと持ってたりとかします?

柳澤 リンパ浮腫。さっきのコンパートメント症候群とは、また全然、別なんですけど、リンパ浮腫ってリンパ節を取ったことによって、足が浮腫みやすくなったりするから、そこまで酷くはないのかもしれないですけど、着圧のタイツ履いたりとか、足けがしないとか、虫刺されしないとか、そういう。

岸田 リンパ浮腫は、ちょっとあるんや、今。

柳澤 あります、あります。浮腫みを感じることが多いです。

岸田 着圧ソックスも高いんよね。

柳澤 3割負担でくれるから。だけど、本当に普通のただの黒いタイツの何倍するかなっていうぐらいします。

岸田 そういったものも、ずっと買い続けないといけないっていう。

柳澤 そうです。それは一生続くので、治ることはないので、取ってしまってるので。だから悪くならないようにケアをしていかなきゃいけない感じ。それが一番面倒くさいなっていうのが。

【反省・失敗】

岸田 それは、ずっと付き合っていくといったところで。そして次に、反省、失敗といったところで、佳奈さん、あの時しておけば良かったなっていったところで、例えば、不正出血した時に、直ぐ病院行っとけば良かったなとか、そういったところ。

柳澤 あーー、1回目に本当に大きめの出血した時には、行ってたら、もしかしたら子宮温存出来てたのかなっていう思いはあります。分かんないけど。その時に行かなかったから、それが、受診する9カ月前の話だから、その9カ月で何が変わったかっていうのは、ちょっと分かんないけど、先生言わくは、本当に進行の早いがんで、もし11月にでも来てなくて、あと2~3カ月遅かったら、もしかしたら駄目だったかもしれないような言い方されたんです。

柳澤 だから本当にここで来てくれて良かったって言われて、あと2~3カ月遅かったら、本当にかなり進んでるし、もしかしたら駄目だったかもしれないしっていうようなこと言われたから、逆にその遡って、何カ月も前だったら、どうだったんだろっていう思いはあります。もしかしたら取らなくて済んだのかなっていうのはある。だから気付いて、何かおかしいなと思ったら、直ぐ行くべきだなっていうのは、本当に。ちょっと様子見るとかじゃなくて、様子見なくて良いなと思いました。

【医療者へ】

岸田 ねえ、なので、皆さんも何か違和感あったら、ちゃんと病院に掛かって欲しいなということ思います。そして、医療者へと行ったところで、こうやって感謝だったりとか、もう少しこうして欲しかったなとか、そういった要望だったりとかありますか。

柳澤 本当に、私、助けていただくことしかなかったので、文句なんて無い。

岸田 助けてもらった中で、例えばさっきの、色んな叱咤激励というか、強い言葉でこうしなさいよといったことだったりだとか、あって良かった、もしくは臨床心理士さんが付いていてくれて良かったとか、良かったことって他に何かありますか。

柳澤 それはやっぱり、臨床心理士さんが付いてくれたのが良かったし、私の主治医って、もの凄く忙しい人なんですけど、外来もめちゃくちゃ何時間待ちとかなのに、納得するまで説明してくれたんです、私が。病気に対して、手術はどうしてこういうふうに受けなきゃいけないかとか、こういう手術になりますっていうのを、何回も同じこと聞いてたと思うんです、不安だから。そこを嫌な顔一つせず、一つ一つ丁寧に、何時間でも掛けて、納得出来なかったらまた来てねって言って、凄い向き合ってくれた先生なんです。

岸田 素敵。ありがたいですよね。

柳澤 大好きです、命の恩人なので、一生付いていきたいなと思う。

【CancerGift】

岸田 次、Cancer Giftについてお伺いしていきます。がんになって失ったこととか大変なこと、いっぱいあると思うんですけど、敢えて、得たこと、得たものっていうのは、敢えていうと何かありますか。

柳澤 敢えて言うとで、まず、自分の父親と和解。色々な溝っていうか、うちの父とは、一緒に暮らしてたんですけど、凄く確執があったんですけど、私ががんになったことと、うちの父も2年前に腎臓がんを患ってて、同じがん友みたいな感じに、がんを患ったもの同士みたいな、変な友情が生まれたみたいな。あと、私に対する父の気持ちを知れたというか、そういう思いだったんだって、そうは思ってなかったんで、感じてなかったんで、この人もそういうふうに思ってたんだなって思ったら、全てのことが許すというか、もう良いだろうっていうふうになって。

岸田 父との関係の改善になっていってたんですね。

柳澤 それと、やっぱりAYAshipの仲間に出会って。

岸田 患者会のメンバーに出会って。

柳澤 そうです。よく話してるのが、病気にならなかったら出会わなかっただろうし、かといって病気になって良かったかって言われたら、全然良くないし、がんになんか絶対なりたくなかったけど、でもなってなかったらそのメンバーにも会えなかったし、そういう出会いも無かったしっていうところで。

岸田 なることはもちろん良くないですけれども、なったから出会えた仲間たちがいるっていうことですね。

柳澤 そう、しかも本当に支えられてるっていうか。

【夢】

岸田 そして、佳奈さんの夢についても、お伺いしていきます。夢、何かありますか。

柳澤 夢は色々、夢というかやりたいことというか、真面目な夢としては。

岸田 全然、真面目な夢、お願いします。

柳澤 真面目な夢は、何だっけ。

岸田 言えんのかい。

柳澤 本当に今、ど忘れしちゃった、何だっけ、亡くなった人、グリーフケア。

岸田 はい、遺族のケア。

柳澤 グリーフケアを学びたいんです。

岸田 その理由は。

柳澤 やっぱりこういう病気して、同じ仲間内で亡くなっていった子も、何人か見送ってる子がいる中で、自分があの時こうしておけば良かったとか、どうしたら良かったんだろうかっていうことが色々あって。

柳澤 周りを見てても、誰かを亡くしたとか、動物を亡くしたとかでも、生き残ってるって言い方おかしいけど、残された人間が生きていくのに、凄くつらい思いを抱えながら生きていかなきゃいけないじゃないですか、勿論、亡くなった方もあれなんですけど。それを学んで、自分自身もそういう勉強をしたいし、そういうのを学んで相談に乗ることは出来たらなと思って、今、それを勉強したいなと思ってます。

岸田 素敵だと思います。学んで、次、支える側というか、色んな人にね。

柳澤 そうです、私も支えていただいたので。

岸田 因みに、真面目な夢あるって言ってました、真面目じゃない夢もあるの?

柳澤 真面目じゃない夢っていうか、ボイストレーニングに行きたいとか。

岸田 ボイトレ?

柳澤 ホイットニーヒューストンを歌えるようになりたいです。

岸田 それも良いんじゃないですか。ぜんぜん。

柳澤 良いですよね。歌えるようになったら、披露したいと思います、ここで。

岸田 是非お願いします。がんノートナイトのテーマで、ホイットニーヒューストンみたいなテーマ、分かんないけど、歌とかテーマでやっていきたいなって、素敵な夢だと思います。という中で、様々な色んな話を聞いていきました。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 折角なんで、今までの話をトータルして、佳奈さんのペイシェントジャーニーといった、今までの旅路といったところを纏めたグラフがありますので、こちらを少しご覧いただければと思っております。画面共有をさせていただきます。

岸田 こちら、佳奈さんのペイシェントジャーニーになります。佳奈さんが、最初、双子さんの幼稚園入園と、名前が双子幼稚園みたいになってますけれども、佳奈さんが幼稚園入園をされていって、パートを始めて、ごめんなさい、僕の出欠のあれが間違って、こっちじゃないやつで。

柳澤 大丈夫じゃないですか。

岸田 不正出血といったところがありましたと。直前に漢字間違えて修正したのバレバレです、すいません。そして身体がだるくなっていって、そして不正出血が続く。ずっと続いていったら、こちら個人病院に受診していって、がんの疑いがあるといったことがありました。

岸田 その中で大きな病院を受診していって、最初は円錐切除術をしていくと、そんな中で、ようやくがんの手術結果が分かっていって、がん告知になっていく。

岸田 その後、札幌の病院にセカンドオピニオンに行ってきましたけれども、また大量に出血していったといったところがあります。大量に出血していった時に、青色がネガティブ赤色がポジティブなんですけど、白色ってどちらでもないことなんです、出血した時めちゃくちゃネガティブにはならなかったんですね。

柳澤 そう、ランチ行く、いいもの食べれるって思ってたから、これは絶対、食べてから行こうと思ってたので、あんまりネガティブにはならない、痛くなかったからかな、もしかしたら。

岸田 ランチの力は偉大やなといったところです。その後、止血のための手術をしていってからの、広範子宮全摘出術で手術をしていきます。そしてその後、退院延期になっていく、退院延期がポジティブなんですね、佳奈さん。

柳澤 なんでなんでしょうね、もしかしたら、そのまま帰されるの不安だったから、延期になって良かったって思ったのかも。

岸田 もうちょっと病院にいたほうが安心する部分もありますしね。その後で、排尿障害になっていきますが、自己導尿のボイコットをしていくというようなところでなっていきますが、最終的には、ちゃんと自己導尿も出来るようになっていって、退院をしていきます。

岸田 そしてその後、待ってくれてた職場に復帰していって、ただ、さっきおっしゃっていただいたように、子宮の摘出の喪失感がずっと続いていったといったところ、これは今も拭えているわけではないけれどもっていったところではあると。

岸田 その後に、AYAshipの仲間、患者会の仲間と出会っていって、その後、5年経過していくといったところになっているんですけれども、佳奈さん、その中で何か言い足りてないこととか、これは伝えたいなっていうことありますか。

柳澤 いや、伝えられたんではないでしょうか。

岸田 ありがとうございます。といった中で、色々様々コメントもいただいておりますので、コメントも読ませていただきます。時間延長しちゃって申し訳ないです。あいにゃさん、私も子宮頸がんで手術ではなく、同時化学療法をしましたと。

岸田 今、生理も無くなったんですが、娘が2人いるのでナプキンは購入しなきゃいけません、けど自分が無いものだから、ナプキンの在庫の管理が頭に無くて、いつも切らしちゃいます、笑い。

柳澤 分かる、分かる。

岸田 きょんさんから、あいにゃさん同じくっていう、同じような皆さんのコメントもあります。術後の夫婦生活について、パートナーに対して医療者からの別途説明って、凄く大事ですねとか、そして、あいにゃさんも、病気すると治療のお金以外に、留守番の子どもの衣食住とか、入院の準備とか、金で物を言わす生活になるから、お金は大事です。

柳澤 物を言わすって面白い。でも、本当、物言わせる。

岸田 もっと良い保険に入っておけばと後から、後悔しましたということだったりとか、Sakaideさんから、がん相談支援センターの職員さんや心理士さんって、お医者さんや看護師さんとは別の面から、本当に一生懸命考えて助けてくれる印象がありますということで、アッヒーさん初コメです。

岸田 りえさん、無事に手術終わりますようにって、コメントの中で先ほど手術ですって言われた方の手術が終わりますようにということだったりとか、女性は出血に慣れてるから、様子見がちになっちゃいますよねっていう。様子見がちになっちゃうんですね。

柳澤 そうかもしれないです。

岸田 ゆっこさんから、ジャンプしたりボイコットしたり、翌日飲みに行ったり、驚くことが沢山ありました、新しい気付きをありがとうございますっていうことだったりとか。手術を今後受けられる、りえさんから、私は2年前、息子を出産後から不正出血していて、ホルモンバランス崩れてるせいかなと思っていたので、早く病院行けば良かったと思っていますと、子宮頸がんの検診は定期的に受けて欲しいなと思います。ということで、定期的に検診受けてます? 当時、20歳から、子宮頸がんの検診って。

柳澤 産後に子宮頸がんの検診やってから、私、2年半置いたんです。だから、ちゃんと定期的には、どうしても、りえさんもおっしゃるように、子育てしてたら、後回しになるんです、自分のこと。そんなにそこまで体調が悪くなかったりすると、行く時間もあれだし、そこが良くないですよね、だから産後のお母さんたちには、自分を優先して欲しいです。

岸田 自分の身体も優先してもらいたい。ここまで本当に、様々なお話を聞いてまいりました、このあとちょっとだけインフォメーションをさせてください。まず、この配信をご支援くださっている企業さんを、紹介していきたいと思います。

岸田 「生きる」を創るアフラック様、グローバル企業IBM様、そしてI TONGUE様にご支援いただいております。ご支援いただきありがとうございます。皆さんもこうやって見てくださって、本当にご支援くださったりとか、色々様々ありがとうございます。

岸田 そんな中で、次回の、がんノートのoriginの紹介をしていきたいと思います。次は12月11日の日曜日、11時から配信をしていければと思うんですけど、慢性骨髄性白血病の秋山千登世さんに来ていただきたいと思っております。また皆さん見ていただければと思います。

岸田 あと、皆さんにちょっとだけお願いがございます。ゲストへのメッセージの入力のお願いになります。この後、YouTubeの概要欄、そして、YouTubeのチャットのところにURLを貼らせていただきます。

岸田 そこでチャットで皆さんアクセスしていただくと、今日の佳奈さんに向けてメッセージを書ける場所がございますので、これを電子的にはなりますけれども、後で佳奈さんに、色紙状にしてメッセージ画像でお送りしたいと思いますので、是非皆さんよろしくお願いします。出来れば今日中にいただければ、明日、作業してお送り出来ればと思っておりますので、皆さんよろしくお願いいたします。

【今闘病中のあなたへ】

岸田 こういったところで、皆さんありがとうございます。最後の最後、佳奈さんにいただきたい言葉がございます。それは、今、闘病中のあなたへといったところで、まさに今、闘病されている方が見てくださっているというところなので、皆さんに是非、佳奈さんからこの言葉をいただいておりますので、この言葉を読んでいただいて、メッセージをお願いします。

柳澤 『自分を信じる』っていうのを書いたんですけど、治療のことにしても何にしても、振り返ってあの時、こうしてれば良かったのかなとか、こういう選択肢があったのかとか、後悔したり悩んだりすることがあると思うんですね、やっぱり決断することが多くて。

柳澤 でも、その自分が選んだ決断が全てというか、それが正しいって私は思って、信じて今まで来たので、自分を信じて、絶対に元気になるっていうことも信じて、元気になりますし、自分を信じて頑張って行きましょう。はい、以上です。

岸田 本当、様々な選択があると思うんですけれども、その選択を、自分はこう選択したと、その選択を信じてくださいというメッセージだったかなと思います。ありがとうございます。はーい。

柳澤 ありがとうございます。

岸田 佳奈さん全然、90分に収まらず、それ以上いきましたけれども、最初のころと全然、変わってますやん。どうでしたかこの時間は、佳奈さん。

柳澤 楽しかったです。ありがとうございます。

岸田 もう緊張感、ちゃんと取れました?大丈夫でした?

柳澤 ガチガチじゃない気がします。

岸田 ありがとうございます。大丈夫、滅茶苦茶色んな話、出来てたので。

柳澤 つたない話を聞いてくださり、ありがとうございます。

岸田 本当に、今日、長丁場でありましたけれども、こうやって経験談、聞いてくださって、そして、佳奈さんも話してくださってありがとうございました。

柳澤 ありがとうございます。

岸田 これにて、がんノートorijin終了していきたいということ思います。それでは皆さん、次回の配信でまたお会いしましょう。それでは、バイバイ。ありがとうございます。ライブ配信終了。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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