インタビュアー:岸田 / ゲスト:夏目

【発覚〜宣告】

夏目 夏目亜季です。私は、子宮頸がんでステージはⅠbⅠ期、そしてリンパ節にも転移していました。2014年9月から闘病して2015年1月に寛解しました。

岸田 子宮頸がん以外についても、どう発覚して宣告受けたかお願いできますか。

夏目 私は子宮頸がんになるまでも、2008年の17歳の頃から、自己免疫性溶血性貧血という難病になったり、それが何度も再発したりしていて、今もずっと治療を続けています。

夏目 ステロイドを使った治療なので、子宮頸がんの時も、ちょっと出血があったのはその薬のせいなのかな、くらいにしか思ってなくて。

夏目 子宮頸がんって聞いたことあるぐらいで、全然、怖さも知らなかったし、ちょっとくらいの出血は、あんまり気にしてなかったのですが、病気が分かる1カ月ぐらい前から、本当に出血の量が重くなってきて、病院行ったら、思いもよらぬ、がんだったという感じです。

岸田 すごいコンパクトにまとめてくれて、ありがとう。まず、がんになる前の病気について、お伺いしてもいいですか。

夏目 症状としては、高校1年からずっと、健康診断で毎年、貧血といわれていて、そのたびに注射を打って治してを繰り返していたのですが、高3のときに、注射を打ちに行った日の夜に発熱したり、疲れが人より非常に重くて、涙出るぐらい、しんどくなりました。

夏目 それで、熱出て病院に行ったら、「脾臓が腫れている」って言われて。エコーを撮って、「めっちゃ腫れているから、すぐ入院や」みたいなことを言われて、大きい病院に行って。

夏目 その後に骨髄穿刺という白血病の検査をして、白血病とかじゃなくて、自己免疫性溶血性貧血だと初めて分かりました。それから,ずっとプレドニンっていう薬を飲んでステロイド治療をしています。

岸田 がんになったとき、最初に行った病院は、小さいクリニック?

夏目 そうです。まだそのときはクラスⅢbの高度異型性って言われて。クラスⅢbはまだ、がんじゃないんですよ。クラスⅤだと、がんなんですよね。

夏目 だから、「もっと大きい病院で検査してください」って言われたけど、まだそこまで悪くなかったから大丈夫かな、と思っていたので、まさか「がんで、しかもリンパまで転移してる」と言われて、つらかったです。

岸田 そのとき、不安じゃなかったですか。

夏目 いや、もう、怖かった。怖いしかないですね。だって、まさか、がんとは思っていないし。その小さいクリニックのときも、検査日の前日に電話が掛かってきて、「もう絶対、きょう来てくれよ」みたいに言われて。ええ、そんなん、わざわざ病院から電話来るってやばいやろ、と思いました。

夏目 子宮頸がんがどんな病気なのかも、その時初めて調べたし、友だちにも、怖いって、連絡したり。もう、怖くてやばかったですね。

【治療】

岸田 その後、亜季ちゃんは、どんな治療をしていきましたか。

夏目 最終的に、ステージⅠbⅠで、基本的には子宮を全部取るのが標準治療。でも結局、もともとの病気があって、体にストレスがかかるし、リンパに転移しているというのが分かったので、もう放射線と抗がん剤治療でいこうって言われましたね。

岸田 2008年、自己免疫性溶血性貧血。その後に交通事故がありますが、これはどんな交通事故?

夏目 外傷性くも膜下出血やったから、そのときの痛かった記憶とかも全部覚えていないんですよ。で、視力も半分以下になって。まあ結局すべて治りました。でも、ひどかったですね、見た目とかが。

岸田 それから、、再発ね。

夏目 はい。再発した年に、今度は声帯結節もやって。このときから、もう東京に来て、歌の仕事をし始めていたので、病気を持ちながら、毎日忙しく無理をしてしまって。

夏目 そしたら喉が割れて声がガサガサになってしまい、「こぶができているので手術しましょう」と言われて、手術しました。

岸田 そこから、子宮頸がんが2014年にあって、2015年、治る。ざっくり(笑)。このときに、抗がん剤治療と、放射線治療。抗がん剤治療はどんなでしたか?

夏目 シスプラチンをやりました。その後、吐き気止めでステロイドをやりましたね。

岸田 放射線は同じタイミングで?

夏目 そうですね、毎日、放射線は当てに行きました。毎日病院に通って放射線をやりながら、毎週1回、抗がん剤をしました。途中から火曜日に、腔内照射という痛い放射線が増えました。

岸田 何カ月ぐらいでしたか。

夏目 1カ月半ぐらいです。10月から12月半ばぐらいまでやりました。そして1月には、治ったと言われました。

岸田 じゃあ、治療が効いたんですね。

夏目 そうですね、吐き気は若干あったんですけど、実際に吐いたりすることもなかったし、髪の毛が抜けることもありませんでした。それは、うれしかったです。

岸田 良かったですね。で、2016年。

夏目 はい。これ再発や、と思ったら、全身性エリテマトーデスでした。これも難病ですが、今までのあなたの自己免疫性溶血性貧血は、全身性エリテマトーデスの症状の一つだったと言われました。いろんな、脳とか腎臓とか悪くなる可能性があるのはこっちなので、嫌なこと言われたなって感じです。

【家族】

岸田 亜季ちゃんがご家族に、がんをどう伝えたのか、どういうサポートをしてもらったのか、など、ありますか。

夏目 お母さんには何でも言えるので、「最近出血やばいけど、なんか病気なんかなあ」「また悪くなってんのかなあ」みたいに言う流れで、「いや、なんかクラスⅢbって言われてる」って、全部実況中継みたいに言っていましたね。

岸田 じゃあ、告知された当日は、お母さん、いらっしゃったんですか。

夏目 そうです。なんかもう「子どもとか、もう別にええやん。あんたが生きとったらそれでええんやから、別にそんなん、落ち込まんと、とにかく治そう」みたいに、お母さんに言われて。

夏目 そういうふうに言ってくれたから、逆に救われました。もう気にしなくてよくなったというか、自分の生きたいように生きようって思えたので、すごくうれしかったですね。ネガティブにならない家族なので、全員がそんな感じで。

【妊孕性】

岸田 では、妊孕性について、お願いできますでしょうか。

夏目 病気になってなかったら、将来について不安はありながらも、選択肢として、子供を産むことは持っておきたかったので、それがなくなったことは、すごく悲しかったです。

夏目 でも、逆に、閉ざされたことによって、この世界で頑張れっていわれているのかな、と思えたのもあります。

夏目 一般的に結婚して子どもができてというのが幸せといわれてますが、そうじゃなくても幸せになれる生き方を自分で見付けていかないといけないし、自分が頑張ることで世の中にも提示できたらなと思います。

岸田 妊孕性については、先生から一方的に言われましたか。

夏目 「無理ですよ」って言われて、それから、卵子凍結ができるかとか、望みを持っていたけど、それも駄目だったから、それなら、もう切り替えるしかないと思って。

岸田 切り替えるしかないと。

夏目 そうです。だって、病院もいっぱい行って、電話して、それでも駄目だったら、切り替える以外、もうなくなったから。子ども産めなくても幸せはあるって、思っています。

夏目 あと、養子縁組の制度とかあるじゃないですか。だからもし、子どもが本当に欲しくなったら、そういう制度を利用するのは、私は全然ありだと思っていて。だから、どうにでもなるって思いました。

【仕事】

岸田 じゃあ、当時がんが見つかって、その後、お仕事をどれぐらい休んだのか、どうやって復帰しましたか。

夏目 がんを最終的に告知されるまでは、休ませてもらいましたが、分かってからは関係者の人に言ったり、ブログにも書いたりして、そこからも仕事をしていましたね。今みたいな感じではないですけど、大事な仕事は受けて。そこも、減らし過ぎてない。

岸田 アイドル活動をしていたら、自分で管理しないといけないですもんね。

夏目 そうですね。私の気持ち的にも、活動はなかなか止められないので。

岸田 逆に、そういう治療以外のこともしていたから、気が紛れたのかもしれないし。

夏目 それはあると思います。もちろんつらいときもありましたけど、紛れたのはありますね。

岸田 そういった自分の仕事を調整して、治療終わってから、すぐ復帰したのですか。

夏目 そうですね、何やかんや、1月に寛解しているけど、正式に復帰ライブみたいなのをちゃんとやったのは、4月でした。

岸田 3カ月後ぐらい。体力的なところもありましたもんね。

夏目 そうですね、もう寛解って言われた瞬間、私も飛び上がる感じで喜んでしまったので、がんに関わる自分の経験を生かせる活動をしたいと、送り始めたんです。治ったって聞いた瞬間、もう、やるぞという気持ちになったんだと思います。

【お金・保険】

岸田 当時、お金はどうしたのですか。

夏目 お金は正直、親が、やってくれました。でも、大体これぐらい掛かっているというのをいろいろ聞いてはいたので。だから、高額医療制度の申請をしていたのと、家族が入っている保険に私も入っていたので、そこまでだった気がするんですよね。

夏目 この間のSLEのときは、2カ月ぐらい入院して60万ぐらい、掛かっていましたね。多分がんのときも、そのくらい掛かっていたと思います。

岸田 今、お薬も飲んでるじゃないですか。今は毎月どれぐらい掛かってるんですか。

夏目 それも難病の医療保険みたいなのがあるから。でも、10割で、全額払うってなったら、多分10万ちょいくらい掛かっていると思います。

【辛い&克服】

岸田 では、肉体的につらかったとき、どう克服しましたか。

夏目 腔内照射のときは、本当に痛くて、妊娠台みたいな、あんな体勢で、お医者さんにいっぱい囲まれて、みんなに手を握られて、放射線の治療の器具を入れないといけないので、ヒーヒーフーみたいな、そんな経験して、全てにおいて、つらかったですね。

夏目 みんなは子どもを産むためにやるようなことなのに。私は治療のために、しかも、子宮の機能を失わせるために、こんな痛い思いしてるんや、つらい、と思いながら、毎週やっていました。

岸田 あれ、普通に横になって受けるだけじゃないんだ。

夏目 そう、だから、麻酔する病院もあるんですよ。でも私の所はなかったので。しかも、1時間半ぐらいかかるんですよ。毎週そんな感じで、つらかったです。

岸田 逆に全身麻酔で、寝ている間にやってくれ、ぐらいだよね。

夏目 あともう一つ、ステロイドを使うと、顔がむくむんですよ。ムーンフェースっていって。SLEのほうなんか、特にむくむんです。食欲もばかになるし。

岸田 めっちゃ、食べたくなる?

夏目 食べたくなるんですよ。だから、そのときは、それを抑えるために、ずっと昆布を食べてたんですけど。でもやっぱり、むくむのは治りませんでしたね。副作用なので、何しても、ぱんぱんになりました。

夏目 これは本当につらかったんですけど、そういう容姿とか、顔の変化とか、つらい気持ちとかをSNSとかTwitterでつぶやいていたら、ファンの人が、ものすごく支えてくれるんですよ。みんなの元気パワーで克服できました。

岸田 すごい。亜季ちゃん、精神的につらかったとき、ある?

夏目 最初の段階ですね。やっぱり、もう治すぞってなってからは、ずっと前向きなんですけど、それまでは、仲の良い友だちにも、つらい気持ちを長文で送ったり、電話していましたね。

夏目 私は話すことで、ちょっと紛れるので、思ったことは言える相手に全部ぶつけて、受け止めてもらってというのを繰り返して、気持ちを浄化させていました。

岸田 それをオープンにしようと思ったきっかけとはどうだったんですか。

夏目 もともと、自己免疫性溶血性貧血で、何度も入院してるじゃないですか。そのときも書いてたんですよ。だから、がんのことも書こうと思って。今まで、別に隠すことなく生きてきたんです、いろんなことを。

夏目 だから、別にがんのことも、事実だから、普通に書こうと思って。書いたほうが、関係者の方とかにも、今はオファーせんとこ、とか、いろいろ分かってくれたりするのもあるじゃないですか。

岸田 アイドル、芸能といった業界は、そういうことを発信するのを、やめておこうという雰囲気があるイメージですが。

夏目 一昔前は、そんな感じでしたが、今の人って、私、がんですって言う人、多くないですか。それを意識したわけじゃないんですけど、私は、性格的にあんまり隠し事できないタイプというのもあって、周りにも気を使わせないかなと思って、言っていました。

夏目 だから、業界でどう思われるかというよりも、自分の気持ちを優先した感じはありますね。元気にしたくないときに、無理に元気に振る舞うのも嫌やったから。

【後遺症】

岸田 じゃあ、次に、妊孕性の他にも後遺症があれば、教えてください。

夏目 やっぱり女性ホルモンの分泌が減る、というのがあったので更年期障害は、すぐに訪れました。気温的には暑くないのに汗が出たりとか、引いたりとか。

岸田 ホットフラッシュってやつですよね。

夏目 ささいなことが気になるような、いらいら感もありました。あと、放射線で、大腸とかも、当てているので、おなか痛いなと思ったら、もう全部血だったりとか。それが私は、肉体的につらかったですね。

岸田 そっか。大腸、ちゃんと動くん?

夏目 動く。もうぱんぱんになるけど、全部血の塊みたいなときもあって、それは先生に相談したんですけど、やっぱこの2、3年は我慢してくれ、治療の方法がない、と言われたのはかなりつらかった。

夏目 ライブ中も、それを感じながらやっていたときもありました。あと、体重も、十何キロも太ったりしたのを繰り返していたので、それもつらかったですね。

岸田 どのくらい、今、ホットフラッシュしているんですか。

夏目 今は、先生に相談して、ホルモン補充のパッチみたいなのをやってから、あんまり、気にならなくなりましたね。

岸田 なるほど、ありがとうございます。

【反省・失敗】

岸田 あのとき、こうしておけば良かったなっていうことはありますか。

夏目 これは全部の先生が、言っているわけじゃないとは思うんですけど、子宮頸がんを宣告された時に、免疫抑制剤を使った治療をしている人は、そういうがんになりやすいと言ってきた先生もいたんですよ。

夏目 「あなたがその腫瘍のサイズの割に、リンパにも転移しているのって、そういうのが原因じゃないの」って、言われたんですよね。

夏目 もしそういう意見が、それまでに耳に入ってたら、子宮頸がんのことを調べる気になったと思うんですよ。けれど、全く知らなかったから、そこは、反省しています。

夏目 子宮頸がんの怖さとか、病気のことを知らな過ぎたので。もっと早く言われたとおりに検診を受けに行っていれば、こんなことにはならなかったから、やっぱり検診は受けようってことは、いろんな人に私は言っていますね。

【医療従事社への感謝&要望】

岸田 では、医療従事者への感謝・要望はありますか。

夏目 要望よりも、私は感謝のほうが、いつも大きいですね。入院するたびに、看護師さんっていい仕事だなあって思います。様子伺いに来てくれて、ささいなことを気にして話してくれたりするので。本当にすてきな仕事やなっていつも思いまして、いつも好きになります。

岸田 お医者さんに対しては?

夏目 そうですね、最初の病気になったときに、その薬によって、ちょっとでも可能性のあることだったら、予防できたかもしれないから、教えてほしかったなっていうのはありますけど、基本的には、お医者さんにもとても感謝していますね。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって、得たものって、何かありますか。

夏目 得たものは、がんになってから出会った人っていうのが、大きいですね。アイドル、タレントの仕事も、もちろんそうですが、今まで難病、がんの経験があったから、今、こういう医療関係のお仕事もできるのかなと思って。

夏目 だから、がんをきっかけに、全ての経験が生かされる仕事ができるようになったっていうのは、私にとって、すごく良かったですね。

夏目 それに、ヘルプマークのことも知ってもらいたいとか、患者さんに対して伝えたい気持ちって、やっぱりがんを経験して、講演をするようになって、強くなったので、そういう意味では、がんがくれたものだと思います。

夏目 あと、本当にいろんな人の生き方を、私自身も受け入れようって思う気持ちが高まりました。いろんな生き方があって、みんな本当に十人十色だから、他人のことをどうやこうや言わんでも、自分を信じて生きたらいいんだっていうのは、すごく思うようになりました。

【夢】

岸田 亜季ちゃんの今後。どうしていきたいですか。

夏目 はい。今の活動、ヘルプマークとか、子宮頸がんの啓発とか、今やっているものを、ずっとこれからもやり続けたいし、もっと大きくできればいいなっていうのと、タレント活動も、もっと頑張ろうっていうか、もっと自分ができることを増やして、今やっていることを大きくしたいです。

夏目 職業、肩書き、何でもいいんですけど、私が発信者として、何かを発信していたいっていうのはあるので。今みたいに、話をしたり、そういうのをずっとやっていたいですね、何歳になっても。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 では、最後になるんですけども、「今、闘病中のあなたへ」をお願いします。

夏目 はい。ずばり、「負けない」です。この曲は、闘病中に書いた曲のタイトルでもあるんですけど、やっぱり、人生、別に病気に限らず、つらいこととか、いいことの繰り返しだから、この負けない気持ちで頑張っていただきたいです。

岸田 では、きょうのゲスト、夏目さんでした。どうもありがとうございました。

夏目 ありがとうございました。

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