インタビュアー:岸田 / ゲスト:柿本・鳥井・小林・宮澤・藤森・木口・宮城・浜田

【自己紹介】

岸田 今回は『がんノート』歴代ゲストをお招きしてクリスマスパーティです。食べ物のことや闘病あるある等の話を聞かせてください。

岸田 歴代ゲストのリアルな闘病経験が見通しになればいいですし、ネット等を通じてこの時間を皆さんと共有できればなと思っております。よろしくお願いします。

柿本 柿本です。みんなからはかっきーって呼ばれています。私は9年前に大腸がん、直腸肛門がんで肛門を全適して、今は人工肛門を付けたオストメイトを利用しています。

柿本 その後も再発転移を繰り返し、今も多臓器がんで闘病中です。

 

 

鳥井 鳥井大吾といいます。3年前に左下腿軟部腫瘍という肉腫の一種がふくらはぎにでき手術をしました。

鳥井 今はオンコロというがんに関する治験や臨床試験を含む医療情報の配信サイトを運営する会社で働いています。

小林 小林真と申します。慢性骨髄性白血病で4年ぐらい罹患していて、今は投薬治療中です。

宮澤 宮澤理恵と申します。私は中学生のとき急性骨髄性白血病になり、1年半の間入院していました。皆さんの役に立つ情報があればと思い参加しています。

 

 

藤森 藤森香衣と申します。5年前に乳がんを宣告され、4年前に右胸全摘出と同時に再建しました。今はNPO法人C-ribbons設立して活動しています。

木口 木口マリと申します。私は4年前くらいに子宮頸がんになり手術と抗がん剤治療を行いましたが、後に合併症になりまして一時期オストメイト、人工肛門を付けていました。現在は経過観察中です。

宮城 宮城といいます。7歳のときに慢性骨髄性白血病を発病しまして9歳のときに兄弟間で骨髄移植をしました。来年の3月24日で移植してからちょうど1万日を迎えます。

宮城 病気の後遺症で、ホルモンが実は出ていないことが2年前に分かり、今は男性ホルモン投与治療中です。

浜田 浜田勲と申します。僕は耳下腺という唾液が出る腺の一つにがんができる、腺様囊胞がんという頭頸部のがん特殊ながんになりました。

浜田 今日本全国にいる同じ病気のサバイバーさんたちを集めて活動をしております。

 

【闘病あるある】

岸田 入院してたときの闘病あるある、何かございますか。

鳥井 僕が入院してたのが、2014年の7月で、Facebook見てると海行ったり、バーベキューしたりみんな楽しそうなんです。かたや僕は入院している。

鳥井 当時、左足のふくらはぎから腫瘍を摘出してて、全然10メートルも歩けないようなどん底の状況だったので結構つらかったですね。

小林 僕はCMLでは入院してないんですけど、過去、20年前ぐらいか良性の骨巨細胞腫っていう骨にできる良性腫瘍でよく入院していました。結構時間つぶすことができなくて、困ります。

宮澤 私の頃は1人に1台もテレビがなく、病棟に一つあるだけでした。

宮澤 私は小児科に入院してたので、みんながそれぞれ見たいものが始まる時間になると、ロビーに集まって、朝はみんなで「おかあさんといっしょ」を見てたり、小学生が帰ってくるぐらいの時間になるとアニメ番組を選んだり、夜になるともうちょっと年上の子が集まってきてドラマを見るとか、そんな感じでした。

木口 私は大学病院に入院してたので、白い巨塔みたいな部屋に入りきらないくらい大勢のお医者さんを引き連れた院長の大回診がありました。

木口 私のおなかを院長が診て、「盲腸で入院したんですね」って言われて、違うよって思ったけど、さすがに言えなかったです。

岸田 他に医療者に病名間違えられた人いますか?

柿本 私も一緒です。おなか切ったから、「盲腸かね、腸閉塞で入院したかい?」「いえ、がんです」とその教授の先生に伝えましたが、教授回診のときにまた間違えられて、本当に病院変えようかと本気で考えてました。

藤森 私は内臓とかじゃないし、痛みも特にないですが手術前のいろいろな検査とかをしないといけない。

藤森 他のがん専門の病院で手術をしたので、ご高齢の方とかいろんな患者さんと一緒にレントゲンを待っているとその方方から相談とかされるんですよ。「本当にしんどいわ」とか、「私は何がんでね」みたいに。

藤森 あと注射待ってるときとかは、私は乳がんにしては少し若かったので、同じように注射待ってる方から「私どっちの胸だと思う?」とか聞かれたり。若いがん患者だと年上の色んながん患者さんの話を聞く機会が多くなるのかなって思ってます。

 

 

木口 私は色んな治療や手術も4回したので、結構大変だったんですけど、とても元気そうに見えたらしく、「あなた随分元気そうだけど何の病気?」と言われ、「がんになって4回手術して人工肛門にもなって、それを閉じに来たんです」って言ったら、「あら、上には上がいるのね」って言われました。

小林 最近病院とかお見舞い行くと、みんなカーテン閉めてるじゃないですか。僕が昔入院してたときは、大部屋でも大体日中カーテン全開だったんです。

小林 だから病室の中の人とは結構仲良くなって普通に日常会話をよくしてましたね。

鳥井 僕はほとんど閉めきってました。全然話そうともしなかったですね。

柿本 女性部屋ではいろんな井戸端会議をやってるっていう感じで、男はカーテン閉めきって自分の世界っていう感じがしますね。

岸田 順君と理恵さんは小児病棟で闘病してたと思うんですけどどうでしたか。

宮城 カーテンなんてトイレ以外は閉めることがないまんま全部オープンで、今と違うとしたら点滴が瓶だった。

宮城 パソコンとかなかったし、お見舞いでジグソーパズルを持ってきてもらったときに、各部屋からみんなが集まってきて、多分みんな暇だったからか、僕が検査行ってる間に完成してたので、もう一回崩してもう一回やりなおしたり。そうやってみんなで遊んでましたね。

岸田 お見舞い品で何か心に残っているものありますか。

柿本 本当に手術したばかりのときに、柔道を教えてる生徒たちから千羽鶴とメッセージカードを貰いました。

柿本 その時手術が終わって10何時間しかたってない状態だったので、そのときそれ見て感動しちゃって、大泣きしたらCTとかの数値がおかしくなって、病棟中のナースさんとドクターたちがみんな集まって大騒ぎになったことがありました。

柿本 でもあれをもらったら、もう一回頑張ろうっていう気になった。

宮澤 闘病あるあるだと髪が抜ける、かな。

木口 入院するとき、私は毎回抗がん剤治療だったので入院中に髪が抜けると病院も迷惑だと思って家でできるだけ抜いてから入院しました。

宮澤 治療のたびに入院するっていうのが私の頃じゃ考えられなくて、常にずっと入院していました。

宮澤 治療の合間の休む期間もずっと入院だった。ずっと具合悪くて1年半もずっと入院してました。

 

 

柿本 僕は全部抜けてくれればよかったんですけど、ちょっと残りました。一番抜けたのはお風呂のシャンプーのときだったので100均とかであるようなシャンプーのときのブラシとかでこすって抜いた。

柿本 コロコロローラーの話はいろんな人から聞くんですよね。当時、知ってりゃよかったってのはあります。そうすると楽できたかなって。

【食べ物のこと】

岸田 次は入院する前とか闘病する前に食べたもの、最後に食べたものとか、あと闘病してから最初に食べたものとか食べたかったものっていうのをお話しいただきたいです。

鳥井 がんって告知されたときに食事も気を付けなきゃいけない、これを食べたらがんが消えたみたいな本を親が買ってきて、科学的根拠は薄いけれどその本に書いてあった四つ足の動物のものを食べちゃいけないみたいになって、逆に入院前好きなもの食べれなくなりました。

鳥井 そばがめちゃくちゃ好きなので退院後はそば食いに行きました。入院前は好きなものは逆に食べられなかった。

浜田 僕は頭頸部のがんなんで、「浜田さんは退院したら一生ミキサー食、流動食とかきざみ食しか食べれないから、それだけは覚悟してね」って言われたんです。

浜田 なので、入院する前は本当に大好きなもの食べまくり。

浜田 入院する前の日に食べたのが、ケンタッキーフライドチキンのバレル。かみさんが買ってくれて、全部食べれなかったですけどねもちろん。手術後の入院中でも絶対食いたいなってやっぱりあるじゃないですか。

浜田 なので売店行ってこっそりチョコレート買ってきたんです。チョコレートなら口の中に入れたら自然に溶けるので食える域にある。他にもハッピーターンがどうしても食べたくなって、割って口の中に入れたら溶けて食べられた。

浜田 結局今では自分的には完璧に調子戻ったと言ってもいいくらい90パーセントぐらいのものは食べられています。それでも食べにくいものはあって、例えば大きなお肉なんかは自分ではさみでカットして、ナイフで切ってちっちゃくして口の中に入れてしまえばなんとかなる。

 

 

浜田 あと、固めのベーグルみたいなパンとかはちょっと食べにくいけれど、全部今は克服はしてるというふうには思う。こういうふうな環境になっちゃうよって言われても、絶対に諦めないほうがいいと思います。それは闘病してる方にも伝えたいなと思いました。

宮城 僕は移植中にファンギゾンシロップっていうオレンジ色のすごいまずい薬があって、それを飲むのに一番大好きだったコーヒー牛乳を使ってどうにか飲んでいた。

宮城 ずっと移植中はその薬をコーヒー牛乳と一緒に飲んでいた結果、その時のトラウマで今でもコーヒー牛乳は一切飲めない。

宮城 大好きだったものが大っ嫌いになる。コーヒー牛乳の色を見るのも嫌になってしまったっていうくらい。

鳥井 思い出しちゃうんですか?

宮城 オレンジと茶色のが苦手で。これ多分飲んだことある人は分かる。

小林 僕は幸いにも食べ物の制限みたいなのはないので、今も普通に食べれてますけど、入院時の食べものがらみだと母親にすごく1個申し訳ないエピソードがあります。

小林 入院してた病院で焼き魚が頻繁に出てきてたんです。焼き魚ばかりがいっぱい出てきてて、入院中すごい嫌いになった。

小林 無事退院できて、少ししてから家の食卓で母親が焼き魚を出してきたときがあって、理不尽なぐらいキレましたね。

小林 本当あれは母親に申し訳ないことをしました。今だったら喜んで食べますけどね。

岸田 入院中とかってごはんが楽しみなとこありますもんね。

小林 入院中の食べ物の変化は大きいですよ。悲しい話です。

藤森 私5年前に罹患して、翌年にSNSで乳がんを公表したんです。

藤森 皆さんご丁寧に乳がんになる人はこういう人は食べて、こういうのは食べてるからなるみたいな、勝手にいろんな食べちゃいけないと言われる、言われてるURL貼ってきて、いろんなもの食べれない感じになった。

藤森 罹患ピーク年齢より若くしてがんに私がなったから、それ食べてたからなったって言いたいのかなとか思って。パンとか病気になるよとか言ってくる人がいて、でもお金払ってでもパンにするものが入院で出るんだからいいんじゃん食べてって思ったんです。

藤森 だから退院してから何にも気にしないで食べてる。食事が病気と関係ないのか分かんないですけど、人それぞれの考え。でもそれを押し付けてURL貼られたりするのはちょっと嫌かな。

浜田 それストレスですよね。

岸田 入院食結構自分たちで工夫してました?

宮城 小児病棟だとごはんでも決められたものしか食べちゃいけなくて、コンビニとか絶対いけないんで絶対飽きる。

宮城 だからこっそり味付けのりとかふりかけとかを親に持ってきてもらうのが楽しみでした。ちょっとでも味を変えたくて。

 

 

宮澤 私もダメなんですけど、みんなお母さんが病棟にいるので、スーパーでお総菜とか買ってきてもらったりして、食べてたりしてた。

宮城 看護師さんに見つかったこともあったけれど、暗黙の了解で怒られなかった。

宮澤 他にも本当はいけないんだけど、小児科は電磁調理器とか電子レンジとトースターが内緒で確保されてました。

宮澤 他の病棟の看護婦さんが回ってくるときにはみんな片付けるんだけど、その病棟の看護婦さん黙認の部屋があったんです。だから、そこでちょっと親が野菜炒めたりとかしてました。

岸田 柿さんオストメイトの説明していただけますか。

柿本 オストメイトとは人工肛門や人工ぼうこうの患者のことを言います。私は肛門から半径5センチをくりぬき肛門から大腸を40センチ切って肛門がない状態なので、大腸を、直接腸をおなかの外に出してるんです。

柿本 括約筋もないので、絶えず便やガスが勝手に出てしまうのでそれを受ける袋もおなかに付けていて、だからこっち側だけ特に膨らんで見える状態になっています。

柿本 食べ物に関しては、基本ドクター、ナースさんたちは制限ないと言うんですが、やはり詰まる可能性のあるものは気を付けてます。

柿本 野菜関係も便を出すために食物繊維よく取れって、言うけど、基本的に私はなるべく野菜ジュースで取るようにしています。

岸田 マリさんも、人工肛門してた時期がありましたよね。

木口 きのこやわかめが腸閉塞の原因になるみたいな話を聞いて最初は気を付けてたんですけど、今は全然気を付けてないです。

木口 私の場合小腸の人工肛門だったので、胃から小腸ですぐ出ちゃう。急いで食べたときは見た目がちょっと大変な感じで、ちゃんとかんで食べるって大事なんだなって思いました。

岸田 闘病前と闘病後で食生活が一番変わったこと、何かありますか。

浜田 奥さんが僕のために、自宅へ帰ってからも1日3食続けてくれてました。いつの間にか何でも食べられるようになり、今の食生活は別にこれ食べちゃダメって言われることもなくて、食べられるものは食べていいと思います。

岸田 入院前と入院後で好き嫌いは変わりましたか。

小林 好き嫌いというか食生活は普通に変わって、健康志向になる。僕、病気してからカップ麺、年に1、2回しか食べなくなりました。どうしても食べたい時は自分へのご褒美として食べます。

小林 でも、野菜多めにとるようになったり。すごく健康に気を遣うようになって、健康度はあがったような気がします。

 

 

柿本 お酒を飲まなくなりましたね。手術をして、お神酒だっていうのでちょっと日本酒をちょっとなめた程度だったんですけど傷口とかがうずいて熱くなってかゆくなって、ちょっとなめただけでも、今までの手術した傷という傷がうずきだして赤くなる。

柿本 アルコール消毒とかは問題ないんですが、体の中に入れるとなんか変な感じになるので、お酒はまともに10年くらい全くといっていいほど飲んでないですね

岸田 お酒を飲む、飲まないは人それぞれだと思いますけれど。心の傷含め、傷口がうずくとかありますか?

藤森 雨が降る前に分かります。もうすぐ雨降るわみたいな感じになるので、天気予報見ると、雨雲レーダーで来てたりするのでやっぱりと思ったり。

藤森 雨で気圧が不安定なときは、引っ張られてる感があります。

宮城 僕は心の傷のほう。ある特定の音楽を聴くと、当時のことを思い出して、その一つがナースコール。ナースコールだったエリーゼのためにを聞くと結構うってなってしまいます。

宮城 後、面会が終わる時間に流れていた浜辺の歌のオルゴールにも切なくなっていました。

浜田 僕は頭頸部のがんだったので、左のももを20センチぐらい切除して、その部分のお肉と血管を持ってきて移植してます。移植の際整形手術を一緒にやっていて、足の傷も結構深いんです。

浜田 足の肉を取った後にぐっと寄せてるので、肉が引っ張られてる感じ。もちろん移植先の顔もずっと違和感はあるんですけど、足はたまに痛くなる。

岸田 僕も傷口がうずくというかかゆくなります。たまたま歴代ゲストの西口さんが参加してくださっているようなのでお呼びします。キャンサーペアレンツの代表であり、胆管がんのステージ4の患者さんでもあって、週に1回抗がん剤治療で通っている西口さんです。

 

 

西口 この時期、みんな年納めですよね。

柿本 柔道やっているので、練習納めで生徒たちに投げられて、投げられ納めて、きょうもこれだけ動けたな今年も良かったな、と。

柿本 大体1日で100本か200本ぐらいぼろ雑巾のように投げられます。

岸田 きょうは23日、もうあと1週間ちょっとで今年も終わります。今闘病してる人にとって皆さんの雄姿を見れるのが、多分すごい元気になるかなと思います。

岸田 もし、何か来年に向けてこう思ってるみたいなインフォメーションや自分の活動の宣伝など何でもいいので何か言いたいことがある方、言っていただきたいと思います。

宮城 来年の3月24日で移植をしてから27年と4か月で1万日たつことになります。

宮城 まだ当時ほとんど移植手術もなくて生存率という考えすらない頃に、親も本当に将来助かるのかどうか半信半疑だったろうと思うので、今こうして生きていられることも親孝行になっていると思います。

宮城 来年3月25日の1万1日目にはフルマラソンを走る。それを目標に今トレーニングに励んでおります。

小林 僕はまだハーフしか走ったことはないので、順ちゃんの足元には及ばないんですが、僕も来年のうちにフルマラソンを走ります。

浜田 来年の1月に昔高校時代から大学生まで一緒にバンドを組んでたんでたメンバーとギター2本でデュオみたいな感じにして、懐かしい曲を5~6曲だけ歌うステージをやります。

岸田 西口さん、来年の抱負は。

西口 僕は毎年同じです。病気になってから2月で丸3年なんですが、4年目に入る。

西口 僕のがんは5年生存率が3%ぐらいなので、来年乗り切ったらいよいよ5年が見えてきて伝説の男になれるんじゃないかな。来年乗り越えられれば。5年近く生き延びた事件として、ぜひ語り継がれたいなと。

岸田 きょうはこの感じでお開きにさせていただいて、皆さんいらっしゃる人たちでまたパーティーを楽しみたいと思います。きょうはクロストーク、お時間いただきましてありがとうございました。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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