目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:矢作

【オープニング】

岸田 がんノートminiスタートいたしました。きょうのゲストは、矢作さんです。よろしくお願いいたします。

矢作 よろしくお願いいたします。

【ゲスト紹介】

岸田 よろしくお願いいたします。矢作さんの経験が、ボリューミーなので、早速ちょっとプロフィールの自己紹介していきたいと思います。矢作さんはですね、今こちらに出ているように、出身は埼玉、そして居住地の埼玉で、お仕事は自営業されています。趣味はウオーキングということで、ウオーキング、どこに行くのが自宅の周りとかじゃなくて、結構がちなやつですか。

矢作 自宅の周りだったり、ちょっと遠出して10キロ、20キロ歩いたりもしています。

岸田 ということで、がんの種類は大腸がん。そしてステージが4、告知年齢が47歳。現在53歳という形で、治療は薬物療法、手術ということで。ここに関してはまたいろいろ伺っていきたいなと思っています。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんな矢作さんのペイシェントジャーニー、こちらになってまいります。矢花さん、ドンと。矢花さんのペイシェントジャーニー、こちらですね。一番上に行けば行くほど、ちょっとハッピー。下に行けば行くほど、ちょっとネガティブみたいな形になってまいります。

岸田 そんな矢花さんがですね、がんを経験してどういうふうに感情の起伏があったのか、それを可視化しているんですけれども。これを早速ですね、いろんな形でちょっと聞いていきたいと思います。

岸田 矢作さんのペイシェントジャーニー、まずこちら。心身とも楽な時期、このときはもう自由でハッピーなときなので、すごく楽な時期かなと思いますが、ここから下がっていくんですよね。ドンと。検診、大腸がん発覚と。これ、がん検診、受けられたんですか。

矢作 そうなんです。川口市に住んでいるので、市のがん検診を受けまして。ちょっと陽性になりまして、大腸カメラをしました。

岸田 大腸カメラをされたと。そこでがんが発覚していく。発覚したときのお気持ち、いかがでしょう。

矢作 そうですね、大腸カメラ初めてだったんですけど、ちょうど長女が、医療関係を目指しているということで、検査医にお願いして、勉強になるだろうと思って、私は大腸カメラのモニターだけ見せてもらえないかってお願いしたんですけど、検査医が気を利かしてくださいまして。

矢作 カメラ入れるところまで娘に。いや、そこまでお願いしてないよって言ったんですけど、お願いしちゃった手前断れなくて。娘に見られて、すごく恥ずかしかったです。

岸田 大腸はね、そういうところ。ただ、そこでがんが発覚していくっていったことで、結果、オーライなのですかね。

矢作 そうですね。大腸カメラを入れるときに、新米の先生で、とても痛かったんです。痛くて、力んじゃうから、先生は力を抜いてって言うんですけど、痛くて涙が出ちゃってるときに、ベテランの先生が代わってくださいましてね。

矢作 力を抜くのは君だよって、若い先生に指摘いただいた。代わってもらったら全然痛くなくて、痛みから解放されて、良かったっていうのでいっぱいで、がんが見つかったのは、ショックだったんですけど、なんだかよく分からない。おなか、娘は見てるし、ショックを受けてましたね。なんだか分かんない。

岸田 いろんな感情があったんですね。ありがとうございます。そして、この後、手術、上行・横行結腸摘出とありますけど、これは手術で全部取り除いたって形なんでしょうか。

矢作 私は、横行結腸にがんがあったんですけど、多めに取っておこうということで、上行、横行。手術後、家族が私の取り出した大腸を見たらしいんですけど、こんなに取っちゃうのっていうくらい。50センチくらいはあったよなんて言ってました。

岸田 そうなんですね。50センチか、すごいな。その中、手術のときにもあるんですけど、里子にがんを告白とあるんですけど。いきなり里子って出てきたんですよ。どういうことですか。

矢作 私、里親をしております。養育里親をしています。

岸田 養育里親を。あまり僕の知識がなくて、あれなんですよ。どういういった。

矢作 そうですね。一般的によく知られているのは、養子縁組里親だと思うんですけど。養育里親っていうのは、戸籍上は赤の他人なんですけど、実親さんのいろんな事情がありますから、育ての親としてお子さんを預かって、養育しています。

岸田 育ての親としてっていう、そういう制度があるんですね。里子さんに、がんを告白っていったとき、どうですか。里子さんにがんを告白したとき、里子さんの反応というか。

矢作 そうですね。告白したときは、本当に無表情でした。発達障害という状態でもありましたので、なかなか気持ちの伝達が難しい子でした。その前に私が、里子には病気のことを言わなくてもいいんじゃないかっていう、そんな気持ちだったんですね。

矢作 治ればいいんじゃないかって思ってたんですけど。ネットとか書籍で、親ががんになったときに、子どもにちゃんと言わなくてはいけないんだっていう情報を得まして。そうだなと思って、伝えました。

岸田 しっかり伝えてくださったということですね。その後、薬物療法に入っていきます。オキサリプラチン、ゼローダ。ただ、この薬物療法で結構副作用に苦しむということがあります。どんな副作用があったんですか。

矢作 一番最初は、しゃっくりです。

岸田 ありますよね。しゃっくりばかりあります。

矢作 最初は、副作用だとは思ってなかったんですね。ただ、どんどん頻度が増えまして、しまいには10秒に1回出る。これは止まらないんです。

岸田 結構ね。しゃっくりり軽視できないですよね。結構つらいですよね。

矢作 しかし、相談すると笑われちゃうんです。あははみたいな感じで。さすがに、夜も止まらないので。3日目ですね、寝られないで3日目のときは、しゃっくりで死ぬかもしれないと思って、病院に行きまして。そしたら主治医が、人はしゃっくりでは死なないよって。いやー、そんなんじゃない、つらいんですよとか言って、なんとか処方していただきまして。少しは軽くなったんですけど。それでも割と苦労はしました。

岸田 起病ってあれですかね、お薬、飲むとかですか。

矢作 そうですね、プリンペランっていう薬を出していただいて、それは胃腸の動きをよくする薬なんですけど。しゃっくりにも少し効きました。

岸田 ありがとうございます。ただそれ、そんな中また下がっていくんですよ。何があったのか。遠隔転移の発覚、どこに発覚したんですか、遠隔転移が。

矢作 薬物療法が終わりまして、順調だったんです。血液検査、マーカー値もどんどん正常値だったので、主治医もすごく安心してました。治療が終わって、CT検査を受けて、異常がなければ、経過観察になるはずだったんですけど、抗がん剤全く効いておりませんで、肺と気管に遠隔転移していまして。

矢作 主治医もびっくりしていたし、私も治ると思っていたら、ということで、かなり厳しい宣告を受けました。

岸田 そうですよね。このショックは計り知れないんだろうなということを思います。

矢作 この抗がん剤が効かなかったから、次の抗がん剤が効く保証がないんだ。だからあなたの場合は、緩和ケアだけでもいいかもしれない、そういう選択肢もあるから、来週の診察日まで、緩和ケアだけにするか、積極的治療にするかを考えてきてください、と言われました。

岸田 それが、次の抗がん剤選びに悩む、というところでもありますか。

矢作 そうですね。翌週、家族に積極的に治療してほしいと言われたので、治療したいんだと言ったら、主治医が、分子標的薬3種類ですね、抗がん剤3種類ずつ、詳しい説明とパンフレットをくれまして。この中から、一つずつ選ぶように言われました。

岸田 そんな選べないんですよね。分かんないですし。

矢作 最初は本当に分からないし、先生、分かりませんよって、どれ効くんですかって聞いたら、主治医も、私にも分かりません。全部効くかもしれないし、全部効かないかもしれない。酷だけど、自分で選んでほしいんだっていう説明で、これは厳しかったです。

岸田 矢作さんの場合は、どういう視点で選ばれたんですか。

矢作 相当悩みました。パンフレットもよくよく読んだんですけど、薬がどうやって効くかっていう仕組みが書いてあるんですけど、自分にどうやって効くかっていうのは分からないんで。3日悩みました。3日悩んで、4日目に、しょうがないから、サイコロ振って決めました。

岸田 最終的には、人生最大の賭けみたいな感じで、一発勝負で。

岸田 そして、その一発勝負、矢作さんの場合はこちらになります。薬物療法、イリテカン、フルオロウラシル、ベバシズマブ。合ってますかね。

矢作 これ、FOLFIRI療法、プラス、ベバシズマブという治療です。

岸田 治療されて、これに決めた理由っていうのを、さっき言ったようにサイコロ振る的な感じで、こういうふうにしてということですか。

矢作 それと主治医も、いろいろ調べてくれていまして、私はすごくラッキーだったんですけど、その頃出た論文で、上行、横行結腸の場合は、こっちのほうが効くんじゃないかというようなものを見つけ出してくれまして。偶然にも、主治医が選んだものと、私がサイコロで選んだものが一致したんで。悩んだ分、覚悟が決まったようなところがあります。

岸田 ありがとうございます。視聴者の皆さんは、しっかり主治医ともお話をして、しかもいろんなそういう論文、今、このときは2016年のお話ですけど、今だとまた変わっていくかもしれません。そこら辺は、情報アップデートをお願いいたします。矢作さんのときは、そういうだったということですね。ありがとうございます。

岸田 そして、そこから上がっていくんですよね。ごめんなさい、上がる前に、また下がってた。自営業、休業。自営業されているから、仕事どうされたんですか。これは。

矢作 家の隣が作業場だったんですけど、抗がん剤、効かなかったら、余命が大体、1年じゃないかっていうようなお話をいただいてたんで。来年、自分がいないとなると、工場を嫁さん1人で、片付けさせるということになりまして、忍びないということで、ちょっと片付けました。

岸田 すごい。

矢作 厳しかったですね。抗がん剤の副作用もあって、業者に頼んだんですけど、工場の解体ってなると、心身ともに自分の存在全否定されているような、布団にくるまってました。

岸田 そんな中、ただ、そこから上がっていくのがちょっとだけの希望なんですけど。そこから、エンディングノートを書く。なんかまたすごい。エンディングノート大事ですもんね。

矢作 大事です。

岸田 これは、どういうことですか。

矢作 私の父が、ほとんど突然死というか、その日の昼間に、具合が悪くなって、その日のうちに亡くなっちゃった経験があります。親が突然いなくなると、あと本当に大変なんですよね。いろんなことで生活も、仕事もそうですし、だから残された家族がそうならないように、どうしたらいいのかなっていうことを、書くつもりだったんですけど、なかなか書けませんね。市販のエンディングノートって、お金のことばっかりなんですよね。

岸田 そうなんですか。

矢作 そうなんですよ。だから、ちょっと金より、自分の気持ちだろうと思って。これはもう市販のではなく、普通のノートに自分の思い出話とか、こんなことあったよねっていうようなことを、とりとめもなくずらずら書いてきました。ちょっと発見だったのが、里親が里子に、血縁関係にないんだっていう話をするんですけど、それ真実告知というんですけど。

矢作 子どもの過去を話したりする。過去を肯定したときに、未来に進めるっていう人間の心理に、エンディングノートが、どうも一緒になるのかな。自分の過去を認めていったときに、あと残された時間に、自分が何をしたいのかなっていうのが、少しずつ分かってきたのが、すごく救いというか、心の支えになってきました。ありがたかったです。

岸田 そうか、エンディングノートで、そういうのもあるんですね。ありがとうございます。そしてその後、また上がっていきます。CT検査効果あり、抗がん剤が効いたということですかね。

矢作 抗がん剤初めて1年ぐらいたったときに、初めて効いた結果が出たんで、これはうれしかったです。もうちょっと生きられるって。

岸田 良かったです。そして、そこからまた上がっていきます。何かというと、里子さんの励まし。これは、どんな励ましがあったんでしょうか。

矢作 ちょうど抗がん剤の副作用で、吐き気をもよおしていたときにですね。発達に問題の、ある子どもが、里子が駆け寄ってきまして、いいんだよって言うんですね。何がいいんだい。生きてるだけで、いいんだよって言うんです。

矢作 今まで三つの死ってあるんですけど。これはがんなんだ、キャンサー、がんなんだっていうのと。ノットキャッチ、これはうつらないんだよ。それからノットコースト、これは誰のせいでもないんだよっていうことを交えて、子どもに伝えていたんですけど。

矢作 伝えていたときは分かったのか、分かんないのか、よく分かんない表情だったんですけど。そのときに、うつらないんだよね、大腸がんなんでしょうとか、それから余命を、遠隔転移のときには、がんに、病気に負けちゃうかもしれないんだって、お話もちゃんと理解しててくれて。自分なりに考えて生きてるだけでいいんだよって、言ってるのが分かったときに、もう号泣しました、泣きました。

岸田 すごいですよね。そうやって励まして、里子さんなりの言葉で、自分の言葉で励ましてくださるのって、すごく勇気になりますよね。

矢作 うれしかったです。

岸田 無理に言うというよりは、自分の言葉で、しっかり伝えてくださるっていうのは、すごくありがたいんだろうなということを思いました。ありがとうございます。

岸田 そんな中、ちょっと下がっていくんです。何かというと、里子のがん教育の必要性を訴える。あれ、がん教育の必要性を訴えるっていうのだったら、良くても良さそうな気がするんですけど、どういうことでしょうか。

矢作 子どもに伝える大切さを実感したんで、里親さんにも、こういうことって、病気になったらそれを隠すんじゃなくて、言っていくことが、すごく大事なんだって思ったんです。実際、児童養護施設の先生がたに、こういうことをお話しすると、すごくいいことなんですよって言われたんです。

矢作 施設の子ども、養護施設の子どもたちって、なかなか具合の悪い大人の人を見る機会がないんですよね。職員さん、風邪をひいたりすると、施設を休んじゃう。そうすると、子どもたちは、大人はいつも元気って勘違いしてしまいがちなんです。それが里親家庭にいると、里親さんの具合が悪かったりすると、大丈夫、優しい気持ちが育まれるんだ。

矢作 だから、家庭はいいんですよって励ましていただきまして。それを、里親さんにも発信していきたいと思ったんですけど、なかなか十分な里親経験があれば、そんなのいらない、がん教育いらないって、このときは言われてしまいまして。その後、機会があるたびに必要ですよって言っても、なかなか聞いていただけなかった。そんな経験がありました。

岸田 そうだったんですね、ありがとうございます。そんな経験も共有してくださって。そんな中、ただ上がっていくんですよね。患者会の参加、そしてがん・ピア・サポーター講座。とうとう次のステップをされていると思うんですけれども、患者会はどうして知って、どういうふうに参加されたんですか。

矢作 そうですね、やっぱり里親仲間に伝えることができなかった。同じがん患者に聞いたら、どうなんだろうっていう、そんな気持ちから参加していったんですけど。さすがに、里親ってなると、ジャンルが違うとか、ちょっと話題にはならなかったんですけど。

矢作 でも、いろんながん種の、悩みがあるんだな、それから、大腸がんでも、結腸がんと直腸がんって、治療法にも違いはあるんだなって、すごく勉強になりました。

岸田 そして、ピア・サポーター講座も受けられてっていう形ですね。

矢作 埼玉県なんですけど、埼玉県でピア・サポーター養成講座ないんですよね。この頃はまだ抗がん剤やってまして、来年は自分にないなと思ったから、最短でこの講座受けられるのどこだろうと思ったら、京都だったんで。京都府に電話したら、休まず来れればいいですよ。京都府の税金で、養成講座受けさせていただきました。京都府の皆さん、ありがとうございます。

岸田 ありがとうございますね。休まずってことは、何日もあるんですか。

矢作 そうですね、1週間おきだったんですけど、1週間おきに京都に行って、3日間講座を受けました。

岸田 すごい。受けて、そしてその後、治療の休止。これ上にいるってことは、治療がいい意味での休止ってことですか。

矢作 そうなんです。主治医からは、抗がん剤、効いてきても、耐性ができるから、あんまり喜んでもしょうがないよみたいな。一気に治癒しないでねってずっと言われてて。自分もそのつもりで言ったんです。

矢作 順調にがんが小さくなっているっていうことは、効いてたんですけど、ちょっと見えなくなっちゃったねっていうことで。副作用、やっぱりつらかったんですね。お休みしたいっていう希望を出しました。主治医から、本当にあなたのような場合でも、抗がん剤、続けるのが普通ですよって言われてたんですけど、再発してからでもいいから、ちょっと休みたいっていう希望を出しまして、お休みできたのはすごくうれしかったです。

岸田 そうですね、自分の体調もそうですし、気持ちのところも大事ですからね。そういうことも、主治医もちゃんと納得した上であれば、全然いい。それは大丈夫なのかなと思います。そして障害年金の受給というのがあるんですけれども、これは受給できたということなんですね。

矢作 できたんです。患者会で、障害年金っていう存在を知りまして、最初はなんだろうと思ったんですけど、詳しい説明を聞いて、社会福祉、社会労使さんですね。社労使さんにお願いして、受給に至りました。ただ、いろんなショックなことがありました。

矢作 医師の診断書を、社労使さんがお願いして、医師から自分の診断書を手渡されるんですけど。やっぱり受給になるように悪く書くんですよね。それを見たときに、やっぱり自分ってこんなに症状悪いんだ、落ちたり。

矢作 それから年金機構でも、受給に必要なことを、いろいろ社労使さんをとおして言うわけで、社労使さんも、こんなこと言われたらこう対処しますね、それで連絡いただきました。社労使さんにお願いしないと、とても無理かなと思って、一時は、受給は無理かなと思ってたんですけど、なんとかとって受給に至りました。お金が入って、すごくありがたかったです。

岸田 そしてCNJさんのがんナビゲーター講座も受講されたということでもあります。そして、下がっていきます。教師向けの小学校でのがん教育。里子のがん教育から、必要性を訴えて、小学校でできたということを思ったんですけど、下がってますね。これはどういうことですか。

矢作 はっきり言いまして、うまくいかなかったということなんです。娘が小学校に通っていた頃でした。だから私が、がんに罹患したことを、学年主任の先生に伝えました。で、娘に変わった様子があったら教えてくれっていうことを言っていたんですね。

矢作 ちょうど小学校で、がん教育をどうやって進めようかっていうときに、学年主任さんが、私を推薦してくださいまして。それでがん教育をやってみようじゃないかということで。

矢作 でも、私もがん教育って、どうやって進めていいのか分からなかったので。当時、患者会に所属してました、そのメンバーと一緒に、がん教育をしたんですけども、正しく伝わらなかった部分がありました。

矢作 例えば、拠点病院とか標準治療ということを伝えたかったんですけど、その感想文を見たときに、その言葉が一つもなかったということで。後で私が通っている、川口市立医療センターの、がん相談支援センターの室長さんと相談しながら、プリントを作りまして。こういう理解にお願いしますっていうふうに訂正しました。伝える大切さを学んだんですけど、その難しさも実感しました。

岸田 難しかったというところもあって、伝えたいことと伝わることっていうのは、往々にして違うっていうのも、あったりしますもんね。そんな中での、がん友との別れ。ここでも友達たちが、お亡くなりになっていくということですかね。

矢作 結構へこんでました。この時期から続いていったんですけど、がんに罹患して、知り合った仲間たちが、時期的には自分が先にいっちゃうのかなって思ってたんですけど、悲しい別れが続いたんで、かなりへこんでいました。

岸田 それが同時期だったということで、この時期がへこんでいたということですね。そんな中で、がんピアサポーター講座、これはまた前のやつとは違うやつですか。

矢作 そうですね、小学校でのがん教育もうまくいかなかったんで、もうちょっと学ばないとと思いまして。これは、NPO法人がん患者団体支援機構さんの、ピアサポーター養成講座を受講しました。すごく勉強になったし、アドバイスもいただいたし、実際、その病院でのピアサポーター活動にも参加できたので、すごく良い経験になりました。

岸田 そして、そこから100キロ歩く、いきなりジャンルが。趣味、ウオーキングですもんね。

矢作 そうなんです。抗がん剤で、膝関節があまり良くなくて、走ると痛くて、次の日歩けなくなっちゃうくらいだったんですね。ただ、この歩くんだとそれほどっていうか、普通に歩けてたんで、じゃあ歩きでいこうと思って。

矢作 ふさぎ込んでいた自分を、嫁さんが励ます意味もあって、小田原城から、がんセンターの隣の朝日新聞本社まで歩くというイベントを見つけてまして、出ない?って誘ってくれました。私は、夫婦で出るのかなと思って楽しみにしてたんですけど、私、出ないわよって。あんただけよって、何それって言って出されました。すごくいい経験にやりました。

矢作 歩いてるときはすごくつらかったんですけど、やっぱり抗がん剤とのつらさとは違いまして、歩いただけ充実感っていうんですかね。歩ききったときは、ほとんどビリだったんです、私。100キロ、26時間ぐらい歩いたんですけど、歩ききったときは涙、出てきちゃったし、感動して、生きてる実感っていうんですかね、うれしかったです。

岸田 それはね、がんを経験したからね、すごいなということを。100キロ歩くっていうだけでも、そこまで時間がたってないのにもかかわらず。そんな中、AYA世代の里親、養親も体験談をと書かれていますけれども、こちらはどういうことでしょうか。

矢作 機会のあるごとに、里親のがん教育とか必要だよって言っていました。それがこの時期になって、ようやく聞いてくださる方が増えてきまして。いろいろがんについて勉強していったときに、AYA世代の抱える問題にも学ぶ機会がありまして。

矢作 そういう方たちにも、里親制度していただきたいなってことでお話を始めました。コロナ禍だったんですけど、私にとっては少しラッキーで、オンラインを通じて、地元を越えてお話しすると、結構、理解してくださる方がいるんだなっていうことで。今、里親にもがん教育が必要なんじゃないかと、ご理解いただける人たちで行動を始めています。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 ありがとうございます。常に次のこと、次のことを実践されている矢作さんでございますけれども、次、質問をさせていただきます。こちらになります。ゲストエクストラということで、大変だったことを、乗り越えた方法をお伺いしております。

岸田 大変だったこと、命の限りを知った、そして気持ちを理解されなかったこと。乗り越えた方法は、エンディングノートや可能な限り情報を探したとあります。それぞれ、矢作さん、教えていただいてもいいでしょうか。

矢作 病気にならないと命の大切さとか、ずっと生きていけるような感覚は。私、持っていたんですけど、余命を言われちゃったりすると、本当に人間って死ぬんだなっていうのがよく分かったし、自分の気持ちを周りの人に伝えたり、後継者を育てなくちゃいけないなとか、いろんな気持ちに変わってきましたね。すごく大変だったんです。

矢作 気持ち理解されない部分では、里親ががんになるってことは、本当に皆さん、理解できないんだろうなと思うんですけど。特にジャンルが違うよっていつも言われたり。

岸田 誰に言われるんですか。ジャンルが違う。

矢作 そうですね。がん患者、患者会だったり、支援団体だったりです。割と専門家の人からも、ちょっとジャンル違うのよねとか。

岸田 悩みの質が違うってことですかね。

矢作 そうです。里親というジャンルと、がんというジャンルは違うんだよっていうような感じで。だから、私の悩みや気持ちは、どこで言えばいいのかなって。

岸田 それは、どう乗り越えたかっていうと、可能な限り情報を探したってことですか。

矢作 そうですね。結局探しても、あまりないんですよね。ちょこちょこ里親さんでも、がん経験者がいるんですけど、やっぱり情報発信まではいかないし、どうしたらいいかなっていったら、やっぱり自分の情報を発信するしかないな。

矢作 ただ、この難しいのが、養育里親さんって、皆さんも知ってる人はあまりいないと思うんですけど、発信するのに制限があったりもします。それは、親権者、子どもの親が、自分の子どもを取られちゃったんじゃないかと、勘違いする場合があるので。このコマーシャルというか、広めるのにも問題がある。ただ、私はちゃんと情報発信すれば、誤解ないように、理解いただければいいんじゃないかなと思っています。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 ありがとうございます。そして、そんな矢作さんが、がん経験から学んだこと、こちらになります。三ついただいてます。生きてるだけでいいんだよということだったりとか、四十にして、惑わずと書いて、囲わずと。枠組みを超える大切さ、そして他人が言う限界を超えろと。この三ついただいてるんですけど、それぞれ、矢作さん、教えていただいてもいいでしょうか。

矢作 はい、これ、生きてるだけでいいんだよ、里子ちゃんに言われた言葉です。これは、私も衝撃を受けましたし、がんを治療に向かっていくと、できないことってどんどん増えていきます。私の場合は、しゃっくりだったり、手がしびれっちゃったりで、落ち込んでいくんですよね。

矢作 自分の価値が、どんどん下がっていくかのように感じてしまったんですけど、生きてるだけで価値があるんだってことに、気付かせていただきました。子どもに感謝しています。

矢作 次は、四十にして、囲わず。昔は、皆さん知っているように、孔子の言葉で、惑わずっていうのが本当らしいんですけど。孔子の時代に、惑うという字がまだできてなくて、本当は囲わずじゃないかという、これは金田一秀穂先生の講演を聴いて知ったんです。

矢作 四十にすると物事の常識を知っていくんだけども、その枠にとらわれないで、越えていくことも大事なんだよっていう、そういう教えだそうです。私自身が、がん、それと里親っていう、この枠組みのまん中にいて、理解者が得られなかった。でも、それを越えて理解者を求めていく、情報を発信していく大切さを学びました。

矢作 三つ目は、他人が言う限界を超えろ。これは、上のこの囲わずとも一緒なんですけども、医療者でもないあなたが、情報を発信していいのか、ということも言われたときもあったんですけども。実際、私の抱える問題があるんだよ。

矢作 これは、例えばLGBTの人が抱える問題、AYA世代の人が抱える問題、もう本当マイノリティー。でも、そういう人にも、ちゃんと問題があって、それを、蓋をしない。そんなものっていう人もいるけど、それを飛び越えて情報発信、そして理解を求めていくことがすごく大事なんだということを、経験から学んだと思っています。

岸田 ありがとうございます、そうですよね。課題って本当にいろいろあって、共通しているところだったりだとか、本当に皆さんが分かるものが(****ホントトシテ@00:38:08)あるし、そういったところだったりだとか。生きてるだけでいいんだよという言葉、そしてこの枠組みを超えていく大切さ、いろいろこの言葉から僕自身も学ばせていただきました。ありがとうございます。

矢作 ありがとうございます。

岸田 それではですね、今回のがんノートmini、矢作さんの経験談でございました。矢作さんは、本当に大腸がん経験されて、ステージ4ということで、治療も今、休止中ですけれども、本当にいろいろ、本当にまだいろんな恐怖と戦われていると思います。そんな中、ご出演いただきまして、どうもありがとうございました。

矢作 ありがとうございます。

岸田 それでは、がんノートminiに以上となります。ありがとうございました。失礼します。バイバイ。

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