がんの診断・治療中に学校生活がどう変わったか、復学の経験などについての体験談です。
高3の2月に入院して、卒業は問題なくできたんですけど。国公立大学受けられなかったので、とりあえず受かった私大に入学手続きだけして、すぐに休学手続きをしました。
周りは楽しく高校デビューしてるのに、自分は松葉杖を未だについてなかなか遊びにも行けず。理想としていた高校生活とはかけ離れていました。そこが苦しくなって、退学をすることになってしまいました。
通っていた高校から入院先の特別支援学級の高等部に転校になりましたが、先生たちが連携してくれて、そこでの勉強やテスト結果をもとの高校の単位に認定してもらえました。おかげで留年や退学をせずに卒業できました
同級生たちは大学生活を楽しんで、アルバイトもしている。でも自分は体力的にバイトができるのか不安で、「無理したらまた体調を崩して学校生活も続けられないんじゃないか」と思っていました。
野球部の練習が忙しく、主治医からドクターストップがかかり、通信制高校へ転校を決意しました。やめようと思ってから転校まで2週間くらいしかなくて、学校探しや資料請求、電話や面談も全部自分でしました。
自分の選んだ通信制は、年1〜2回のスクーリングと年数回のレポート提出だけで単位が取れる学校なので、治療のスケジュールに合わせて柔軟に勉強できました。
ある日今でも仲の良い友人が突然『学食行かない?』と声をかけてくれたんです。それがきっかけで少しずつ交流が広がりました。私自身、どう声をかければいいか分からず、声をかけられるのを待っていたのだと思います
ありがたかったのは、腕を切断して戻ったときに就職を決めて、大学の就職サポート窓口の方がとても親身になってくれたことです。学校経由で求人を紹介してくれたり、相談に乗ってくれたのはありがたかったです。
留年して治療することも視野に入れていたんですが、仲間と一緒に卒業できたのは大学での思い出の宝物です。だから卒業してから手術に入ったのは、選択肢として間違っていなかったと思います。
インスタグラムのストーリーで、大学の同級生だけ見えるように設定して、「手術を受けて声があまり出ないので、あまりそういうことを聞かないでほしい。普通に接してほしい」と書き、noteのリンクも貼りました。
大学院に対面復帰するまで3年かかっちゃってる。こういう辛い経験をなるべく他の人にさせないようなサービスを開発していきたくて、大学院ではそういう(企業育成・医療機器開発)プログラムは参加して修行中です。
受験勉強ができないっていうところが、一番ショックがおっきかったです。友達と一緒に大学生になれないんだっていう。そこが突きつけられたのが、一番おっきかった。
国家試験は受かっていましたが、定期テストや授業に出られていなかった関係で卒業できませんでした。<br /> 復学しようか本当に迷いましたが、友達から「こっちの業界で待ってるから頑張って」って言われて、復帰できた。
治療期間は主に大学の春休み期間だったので、意外と治療中心のスケジュールを立てれたことが不幸中の幸いでした。
退学した元の大学のところに行ったら、先生が「うちの大学には単位持ち越しで再入学できる制度もあるから、よかったら受けない?」って声掛けてくれて。もう一度30手前で大学に戻りました。
期末テストの後、みんなでカラオケ行った帰り道に足に力が入らなくなって。一緒に行った友達が、嫌な思い出がよみがえるからと、あまり一緒に行ってくれなくなってしまいました。
学校、通うの無理ですね。車の揺れが首、無理だったし、まず自転車をこぐなんてもっての論外ですし。食べ物を食べれないですし。
生着して白血球の数が割と増えてきたぐらいに、高校3年生だから卒業するかとか進路とかいろいろ一応、考えとかなきゃいけないじゃないですか。
学校の先生がサポートで何ができるかなど病院に聞きに行ってくれたり、先生たちが考えてくださったりしました。
治療で大学受験ができなくなり、高校から留年を提案されました。3年間いた仲間と卒業したい気持ちもすごくあったけれど、留年して良かったと今は思います。
主治医から「取りあえず1年はお休みすることなると思う」って言われたんで、1年お休みすることにしました。