目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:岸 

【オープニング】

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは、岸春希君です。よろしくお願いします。

岸 お願いします。

岸田 お願いします。春希君は、今、高校生よね。

 はい。

岸田 高校生で、がんを昨年、経験されて、治療も今年までやってきたというふうな春希君だと思いますので、いろいろ、お話を聞いていきたいと思いますが、まず、僕の自己紹介をしていきたいなと思います。

岸田 岸田と申しまして、25歳、27歳のときに肺細胞腫瘍となりました。当時、医療情報は、さまざまなお医者さんだったりとか、病院に聞いたらいいけれども、それ以外の情報、どうやって乗り越えたの?とか、そういった情報っていうのがあまりなかったので、経験者さんに聞いたら、それ、こうしたよっていうこと返ってきて、そうしたらいいんだみたいな、そういったことが分かってきて、がんノートという経験者さんのインタビューウェブ番組を行っております。きょうは、MCを務めさせていただきます。

【ゲスト紹介】

岸田 早速なんですけれども、きょうのゲストは、岸春希君になります。春希君は、東京の出身で、今も東京都で高校生ということで、高校1年生、今?

 そうですね、16歳で。

岸田 16歳で、高校1年生、そして、趣味がゲームということなんですけど、ゲームってどんなゲームするの、春希君?

 パソコンゲームなんですけれども、FPSっていう一人称視点のゲームをよくやってます。

岸田 一人称視点で、撃ったりとか、そういう。

 銃、撃ったりです。

岸田 そうやっていたりとか、そして、がんの種類はユーイング肉腫。ユーイング肉腫、ステージがないといったところで、ただ、転移性といったところは、春希君の場合、肺に転移したりとかしたよね。

 そうですね。

岸田 なので、転移し、告知年齢が15歳、そして、現在の年齢は16歳。手術や放射線、薬物療法を経て、今に至っております。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 春希君の、早速なんですけど、ペイシェントジャーニーで聞いていきたいと思います。ペイシェントジャーニー、吹き出しなどの色はこのような形になっておりますので、また見てもらえたらなと思います。

岸田 そんな春希君のペイシェントジャーニー、こんな感じになっております。どん。結構、ポジティブなところも多いのかなと思うけれども、間で2回ぐらい、どーんと下がってきているというふうなところがあります。春希君に早速聞いていきたいと思うねんけれども、最初は、中学生といったところ、14歳、中2、中3あたりよね。

 そうですね、中3、上がったぐらいのときです。

岸田 上がったぐらいから、その後、どうなっていくかというと、左足に突然力が入らなくなっていくという形やけれども、いきなり力が入らなかったん?

 中学2年生の期末テストの後なんですけども、終わった後、みんなでカラオケ行こうってことになって、行って、その帰り道に足が、がくっていって、あれ? 力、入んないなっつって、なんか変だなと思って。で、一緒に行った友達がいるんですけども、カラオケに行ったせいで、がんになったと思ってて、今でもあんまり一緒に行ってくれないっていう、嫌な思い出よみがえるから、一緒に行ってくれなくて悲しいなっていう、そういうのがあったりします。

岸田 突然、力入らなくなって、そこから痛みが強くなって、病院に行くんや。

 力が入らなくなったり、痛かったりするのが常にってわけではなくて、間隔で来るんですよ、1日何回かみたいな。ずっと痛いわけではなく、その痛くなったときが歩けないぐらい痛くなっちゃって、まずいんじゃないかっていうことで、病院に行ったって感じですね。

岸田 けど、ここら辺、赤色でポジティブな感じでなってんねんけどさ、春希君は、全然ポジティブやったん、こんときは?

岸 そうですね。別に、たかが足が痛くなるっていうものでは、がんっていうのは予想はつかないですし、ただの成長痛だったら、身長伸びてるしラッキーやなぐらいの感じで考えてたもんで、全然、心配なんかは1ミリもしてなかった。

岸田 そういう意味での、そういう心配もしなかったっていう意味での上がってた。そこから下がるのは、がん専門病院へ行った。さすがに、がん専門病院行ったら、ちょっとひやひやするんじゃないの?

 がん専門病院に紹介状が書かれる前までに、いったん、がん専門病院じゃないところで、もし重い病気だったら、あなたは聞きたいですか的なこと言われて、え? ドラマみたいなこと急に言われても、本当にあんだみたいな、そんな感じで。でも、がんかもしれないって言われても、15年しか生きてない人には、がんの深刻さなんてものは分からないので、なんか、んー、みたいな、そんな深刻な感じでもなかったですね、別に。

岸田 で、ただ、そこから、がん専門病院行くやん。そこで、その後、生検していくんよね。

岸 そうですね、ユーイング肉種の疑いがあるっていうことで、それを確かめるための、がんの種別を確定させるために生検をして。

岸田 いったといったところで、ただ、がん専門病院って書いてあるからさ、結構、気持ち的にはどきどきするとか、そこまでやった?

 いや、そんなこともないですね。もはや、がんが何なのかすらも分かってないもので、何も、だからといって、ちょこちょこ、最近、病院で学校休めてるし、祝日が増えてよかったなみたいな、そんぐらいのノリでしか考えてなく。

岸田 そういうことね。だから、結構、テンション高めだよね。

岸 そうですね。

岸田 で、生検していって、その後、小児科のある病院へって書いてあるけど、これはどういうこと?

 その、がんの専門病院のほうには小児科がなくて、そうすると、がん専門病院のほうは、手術するのが上手で、別にもう1個、薬物の治療が上手な病院があるってことなので、そこにも小児科があって、そっちでやったほうがいいよねっていって、そっちに移らせてもらって。

岸田 がん専門病院で、小児科がなかったんだね。そんときは、薬物療法していこうみたいなことを言われて行くってことは、このときにがんの告知があったってこと?

 そうですね。この前の生検でがんだって言われて、でも、その当時は、生検をしたときに全身麻酔を使ったんですよ。それで大層なことしたし、これで治ったんだなっていう解釈で完全にいたので、あれ?みたいな、治ってないのかなみたいな。病院、移ったときに、まだまだ続くのかなみたいな。でも、続いても1カ月もないだろうぐらいの軽い感じでいたんで、そこでも、まだ別に深刻な感じではないですね。

岸田 そうか、生検で、そんな大層なことしたから、これで、もうええんちゃうんと思ったら、そこから小児科の病院に紹介されてみたいな、そういう感じやってことか。ただ、このとき、がん告知受けるやん。春希君的には、ユーイング肉腫ですって言われたら、どんな気持ちやった、そんときは?

 がんになったからといって、別に、そのがんのつらさなんかも分からないですし、これから何が行われていくかも分からないので、入院がしばらく続くなら、別に、勉強以外の好きなことでもやって過ごそうかな的な、長期休暇もらったみたいな感じで、ずっといましたね、ときまで。

岸田 すげーな。達観してんな。ただ、そこから、ちょっと下がっていくんですよね。何かというと、薬物療法のVDC療法ということでやったりとか、IE療法という薬物療法。この小児科のある病院で化学療法していこう、抗がん剤していこうとなったから、治療していくねんけど、下がってるってことは結構きつかったん?

岸 そうですね。その薬物治療が始まる前日までは能天気でいたんですけれども、始まって、具合がなり始めた瞬間に、これ、やべーやつだって感じで、そこで、事の重大さをやっと知ったって感じです。

岸田 そうなんや。

 それが計14回やるっていうのは、前々から医師の方から聞かされていたので、これ14回もあるんだ、乗り越えられんのかみたいな、そういう不安が、そこで初めて出て、かなりマイナスな気持ちになったっていう。

岸田 14回ってことは、期間としてはどれぐらいやったん?

 間が1週間ぐらい空けてやっていたので、5月から1月なんで、結構、1年の7割、8割ぐらいは、確実に続くっていう感じでしたね。

岸田 なるほど、ということだね。ここから、いろいろまた話聞くけど、薬物療法っていうのは、この後も退院するまで続いていくってことよね。

岸 はい、継続的に1週間おきにあるっていう感じですね。

岸田 そんなつらい薬物療法の中に、ちょっとだけでも上がるタイミングあります。それは何か。手術前? 手術前でテンション上がんの?

岸 そうですね。手術と化学療法って並行して行われないんですよ。そうすると、手術前に、手術をする病院に戻ったんですね、がん専門病院のほうに。そうすると、化学療法のほうが1カ月ちょっと、しばらくお休みって聞かされてたんで、解放されたわなっていう喜びが勝つっていう。そこでも手術のつらさを知らないんで、知らないことに恐怖はできなくていいんで、化学療法が一段落したんだなっていう喜びが勝って、結構、上がったっていう感じですね。

岸田 そういうことで上がってるってことか。その後に、手術という形で上がってくるね。手術するとき、そんな上がる? がんが取れるからみたいな感じ上がってんのかな。

 がんが取り切れるっていうよりかは、手術をすると、あらかじめ手術の概要は聞いてて、左側の骨盤半分ぐらい取るよ、左側の骨盤を取るっていう概要を聞かされてたんで、そうすると障害者になるってことで、社会の自分に対する、社会が自分に甘くなんじゃないかなみたいな。

 ある程度、融通が利く人生が送れるんじゃねえかみたいな。医師の方からは、別にすぐ日常生活ぐらいは送れるようになるでしょうみたいなことも言われてたので、じゃあラッキーぐらいかなみたいな感じで、手術をする、その直前までは思ってました。どんなことするんだろうなみたいな、手術をするっていう、この年齢で大掛かりな手術をするっていう、そのオンリーワン感にも気分が高揚してて。

岸田 ちょっと興奮して、なかなか大きい手術する機会とか、15~16年、生きてて、ないもんね、だから、そういう意味でテンションが上がってというふうな形。ちなみに、この手術、どうやった? 結構、大変な手術やった? 10時間ぐらいする手術とか、どうやった?

 10時間ぐらいはやってたんですけど、全身麻酔で寝てたので、手術をしたうちの記憶は、ほぼなくって感じですね。

岸田 なるほど。で、その後、また、けど下がってくるよね。何かっていったら、手術後の痛み。術後、痛かった?

岸 術後、ずっと痛いなって思い続けたのは、1日、2日ぐらいで、そのときは、あまりのつらさに記憶はなくて、どんだけつらかった覚えてないんですけど、その後に、3日、4日たつと、日常の痛みが薄れてきて、意識もはっきりしてくるわけですよ。で、そのときに、1日1回、着替えと体拭きの時間があって、背中も拭かないといけないし、着替えられないので、寝たままだと、体起こさなきゃいけなくて、そのときに、すげえ激痛が走るっていうことがあって、かなり痛かったな。

 でも、それも1日1回、このときだけ痛いっていうのは分かりきってたんで、覚悟をして、これだけ乗り切れば、後はずっと遊べるんやって思いながら、いてって思いながら送ってましたね、その時期は。

岸田 これ、痛いところも、左足に痛みがあったから、手術も左足の、結構、そういったところを手術したってことやんな? どこら辺を手術した?

 手術したのは左側の骨盤です。

岸田 骨盤のところから、結構。

 骨盤の周りの筋肉しかり、その骨盤周りの結構な広範囲を丸ごと、すぽって取った感じですね。

岸田 だから、その手術後の痛みっていうのも、そこを動かすときに痛くなったってことよね。

 かなりあります。本当に少しでの振動でも響いてくるので、着替えのときと体拭きのときは確定してるので、来るのが、覚悟をしてから臨めるんですけれども。くしゃみするときが一番怖くて、くしゃみって、出るってなってから3秒ぐらいで出るじゃないですか。そうすると、これから痛いのが来るっていうのを覚悟する猶予が3秒しかなくて、くしゃみ出るってなったときは、やばい、あーってなっちゃうっていう。くしゃみが一番しんどかったです、だから。お願いだから本当にくしゃみ出ないでくれっていう。

岸田 分かるわ、そうだよね。あれ、本当、振動とか体への負担って結構あるもんね。

 はい。

岸田 そんな中、手術の痛み、そして、その後、薬物療法、化学療法する病院に戻っていって、そこで神経まひにって書かれてるけど、これ、どういうこと?

 骨盤を取ってしまったので、左足を動かせないんですよ、自分で。そうすると、重力に負けてしまって、ベッドに接地されている面もずっと同じなので、そこで神経が圧迫されちゃって、神経まひになっちゃってっていう。手術後の痛みっていうのは、動いたときだけだったんですけれども、神経痛ってなると1日中ずっと続くので、そっちのほうがしんどかったですね。それに加えて、手術した後の痛みもまだまだ続いていくわけで、そこが一番しんどかったですね。

岸田 神経痛って、どんな痛みやった、春希君の場合?

岸 正座、長時間すると足しびれるじゃないですか、あれの最上級みたいな痛みが続くっていう。

岸田 あれの最上級はきつい、それは下がるわな。

岸 しんどいです。だいぶしんどかった時期ですね。

岸田 そこから上がっていきます。仲のいい看護師ができるっていうのはあるけど、看護師さんに助けてもらったりとかしたってこと?

岸 そのときらへんに、別のほうの病院から研修で看護師の人が来ていて、その人が自分の担当になってくれたんですね。研修だったので見学的な感じで、一緒にいる時間がかなり長くて、そうすると話もするし、生活も大半は一緒にいるので、必然的に仲良くなれるっていう感じで、そのときに仲良くなったことで話し相手ができて、しんどいこととか楽しいこととかも共有できたりして、精神状態が、そこでだいぶ安定しましたね。

岸田 ここで、他の所から研修に来ている看護師さんと仲良くなって、いろいろ話をして打ち解けてみたいな、何事も共有できたっていうことね。

 精神状態が安定してくれたおかげで、いろいろ気持ちにも余裕ができたりしてっていう感じですね。

岸田 気持ちの余裕が大事ね。その後、歩けるように。結構、歩くの大変じゃなかったん?

 実際に歩けるようになったのは、手術してから2週間ぐらいなんですよ。でも、その、ちょっとたって歩けるようになったときから神経痛が始まっちゃって、そっから、ずっとベッドの上だったんですけれど、そのときに、さっきも言った看護師の人がいて、精神状態が安定してきて、こういうのって精神状態が一番大事じゃないですか。

岸 結局、治療することは変わらないので、何も。精神状態がだいぶ響いてくるんですよ、体調に。そこで安定すると、いろいろやる気が出てくるわけで、そのときに歩けるようになったって感じですね。

岸田 そういうことね。

 歩けるようになったときは、ずっと立つ練習を頑張ってやってたとかではなく、看護師の人としゃべってたら、急に、「あれ? 俺、なんか今なら歩ける気がしてきた」とか、急に言い始めて、「ちょっとやってみるわ」って言ったときに、立って、そのまま歩行器で歩けたっていう。

岸 なんだか分からないですけど、何の突拍子もなく、突然、歩ける気が湧いてきて、やったら歩けたっていう。歩ける気がしてきたっていう自信だけで歩いたんで、本当に精神状態って大事なんだなっていう、そこで実感した感じですね。

岸田 すごい。精神状態すごい大事やねんな。そこから歩けるようになっていって、神経痛が治る。大丈夫になってったん?

岸 そうですね。神経痛になってしまった原因に、ベッドに接している足のところがいつも同じなんですよ。でも、歩けるようになったり立てるようになったりすることで、違う面っていう、圧迫が解除される時間が長くなってきたので、そこから、だんだんと良くなってきてって感じですね。

岸田 そういうことね。

岸 神経痛が治るまでの過程なんですけれども、神経痛があまりにもひどかったんで、準麻薬を使ってたんですよ、痛みを和らげる特効薬みたいなのを。

岸田 大事。

 準麻薬っていうぐらいですから、麻薬みたいな効果があって、打つと痛みは引くんですけれども、楽しくなっちゃうんですよね、打つと。同じような効果なんで。そうすると、はまっちゃうんですよね、それに。

岸田 はまるとは?

岸 何回も使いたくなっちゃうっていう。でも、自分はやってないって、はまってないって思っている人ほど、はまっているっていう事前情報を知ってたので、これは、はまってんじゃないかっていう自覚はできてたんですよね。

 それでも、やっぱり麻薬の効果がすごくて、自分は、はまってないから大丈夫だっていう感覚が湧いてくるんですよね。それで、今はそんなことはないんですけれども、立ち直った方法ってか、やめられた方法ってのが、その同時期ぐらいに、『どうぶつの森』を買って。

岸田 Nintendo Switchで?

 はい、Nintendo Switchの『どうぶつの森』を買って、そのときに、それが思ったよりやり込みゲーで、1日12時間ぐらいやってたんですよ。そうすると、その薬を使いたいっていう脳なんか完全になくなって、リソースの10割が『どうぶつの森』になってたんで、気付いたら使いたくなくなってたっていう。本当に『どうぶつの森』がなかったら、今どうなってたことやらみたいな感じで、危ないって感じなんですけれども。

岸田 一応、病院から出されるやつやから、病院が管理してくれてるとしても、結構、自分自身は、それを使いたいってなっちゃうってことね。

 はい。

岸田 けど、それは、そのところを『どうぶつの森』が救ってくれたと。

 そうなんですよね。

岸田 偉大だな、『どうぶつの森』。その後に、放射線、ここの後に放射線治療、入っていくんか。

岸田 そうですね。ユーイング肉腫が肺に転移していて、肺に転移してるっていうのは、手術が一般的にはやらないっぽくて、そうすると、放射線を当てて消そうっていうことで、放射線治療をやり始めましたね、そこら辺から。

岸田 これ、どれぐらいの期間やった?

岸 5日間ぐらいやりました。1日30分ぐらい放射線浴びるんですけど、それを5日間ぐらいでやって。放射線を浴びるだけなんで、つらいとか気持ち悪いとかはなかったので、別に、精神状態は変わらずだったんですけれども。

 ずっと続いてる化学療法をやる時期と、その放射線治療をやる5日間がぴったり重なって、化学療法をしてる、めちゃめちゃ気持ち悪いときに、下の放射線治療をやる場所まで行かなきゃいけないっていう苦行をさせられて、わーおっていう、これ同時にやるんだみたいな、そんな感じでしたね。

岸田 そういう重なったりとかすると、この放射線の薬物療法、化学療法がずっと続いてる中でやらないといけないって大変よな、本当。

 そうなんですよ。同時並行すると、つらくないものもつらくなっちゃうっていうのがあって。

岸田 ただ、その中で、上がっていきます。治療の終わりが見えてくるという中で、見えてきたんかな、その後には。

 治療が残り3回、2回と減っていく中で、退院するんだなって分かり始めてきて、そうすると、その退院した後に何をしたいかみたいなことが頭をよぎってくるわけですよ。そういうことを考えているうちに、退院なんだなってどんどん実感が湧いてきて、楽しくなってきて、だいぶ精神も良くなったっていう感じですね。

岸田 そして、その後、退院していくという形で、このときは、気持ち晴れ晴れって感じかな。

 そうですね。ずっと病院の中にいたんで、病院の中だと行動も制限されてしまうので、それがやっと終わったっていう感じで。

岸田 本当にやっと出れた。ただ、そっから、ちょっと下がるのは、不便さを感じるってあるけど、これ、どういうこと?

岸 2022年3月ぐらいから、学校にちょこちょこ行き始めたんですけれども、そのときに外に出ると、だいぶ不便さを感じて。

岸田 例えば?

 例えば、車いすだと、信号のところ、信号渡るところに車道と歩道を区切る段差みたいなところがあるじゃないですか。そこすら自力で上れないみたいな。かなり、そのレベルの細かい不便さが顕著に現れてきて、だいぶ生きづらさを感じる、大変だなって感じで気持ちも下がっちゃったっていう。

岸田 そっか。今、春希君は、車いすで生活してんの?

岸 今は、リハビリも結構、進んで、主につえを2本使って歩けるようになったんですけど、そのときは、まだ車いすで、ずっとっていうことで大変でしたね。

岸田 そっか。そんな中で、今は慣れた、生活?

 結局、慣れますね。できないことは、どうあがいてもできないんで、どうしようもねえやってことで慣れていくんですよ、だんだん。環境に適応してきましたね、最近は。

岸田 そういうことね、さすが。

 自分のできないことに関する知識も増えていくわけで、これはできないから、こうしようっていうことも、だいぶできるようになっていくので。

岸田 それはすてきやね。そういうふうに頭が柔らかいというか、そういったところで、いろんな臨機応変に対応してんにゃろうなっていうことを思います。ありがとうございます。そんな中で、春希君が大変だったこと、困ったことを、どう乗り越えたかっていうことで、こんな形いただいてます。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 どん。大変だったこと、困ったこと。病院側とのコミュニケーション。これを看護師と仲良くなっていくことによって乗り越えていきます。こちらについて、ちょっとだけ詳細にお願いできますでしょうか、春希君。

 大変だった、困ったことの、病院側とのコミュニケーションとあるんですけれども、やはり病院側と患者側の気持ちってのは違うわけで、病院側としては、治療をするっていうところに重きを置きたいんですよ。

 でも、患者側からとしては、生活もあるし、治療のためになんでここまでしなきゃいけないんだっていうのもたくさんあるんですね。でも、それは、病院側としては、治療をより円滑に確実に進めるために必要なことなんですよ、その辺の認識の違いがあって。

岸田 あるよね。そういう、病院側は、ちゃんと治療をスケジュール通りこなしていくっていう使命があるし、ただ、患者側としたら生活があって、結構、それで大変だったりとかして、なんで、そのどおりに指示されなあかんねんみたいな、いろんなそういうところもあったりするよね。

 はい。

岸田 けど、それを看護師さんと仲良くなるっていうことで乗り越えていくっていうことに関しては、これは他の所から来た研修の看護師さんと仲良くなってみたいな。

 研修の看護師さんと仲良くなり始めた頃から、他の看護師、病院の看護師の人とも仲良くなり始めて。

岸田 その人が仲介してくれたりとか、いろいろしてくれたってことかな。

 そうですね。話していくと、こういうの不便だよねみたいな話も出てくるわけで、そうすると、できる限りのことはしてくれるので、仲良くなってしゃべっといたほうがいいなっていうのは。

岸田 そういうコミュニケーションのところっていうのは、どんだけ医療者とちゃんと密にコミュニケーションできるかってところで、だいぶ変わってくるもんな。

 はい。

【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。では、その後、こちら、春希君が、今、闘病中の方だったりとか、親御さんだったりとか、いろんな家族の方、さまざまな方が見てくださっていると思いますので、春希君から、見てくださっている方へのメッセージをいただいておりますので、春希君、こちら、お願いいたします。

岸 まず、治療をしている人に向けてなんですけど、我慢せず、家族や友人を頼るってとこなんですけれども、治療って、今後の人生も生きてくのを全て総括しても一番大変ぐらいの時期なんですよ。

岸 そのときに、明日をどうやって生きるかっていうことしか考えられないような時期に、あれこれしないようにしようとか遠慮しちゃうとか、そういうことは考えないほうがいいんですよね。事の重大さが違い過ぎるので、楽しく、精神状態が大事なので、なるべく楽しく、楽に過ごせたほうが絶対に楽なんですよ、体調としても。なので、我慢は絶対にしないほうがいいですね。

 それで、家族と友人を頼るっていうのあるんですけれども、結局、最後に、最後の最後まで自分のことを心配し続けてくれる人っていうのは、看護師とか医師でもなく、家族と友人なんですよ。看護師と医師っていうのは、自分以外にも患者を抱えてるわけで、自分以外のことも考えないといけないんですけれども、家族と友人は、絶対に自分のことをずっと考えてくれてるわけなんですね。

 で、家族と友人は必ず心配してくれてるので、つらいこととかあったら遠慮せず話したほうがいいですね。話すことで相手に迷惑になるんじゃないかとか考えることもあると思うんですけども、その考える迷惑よりも、絶対に、今、治療をしているっていう事実のほうがしんどいはずなので、それで楽になることも必ずあると思うので、そうしたほうがいいと思います。

 で、退院した後なんですけれども、なるべく楽して生きる。これは絶対に徹底したほうがいいですね。今、退院した後、自分が楽しく生きてないって分かったら、過去の自分は絶対に、じゃあなんで、あんだけ、つらい治療を乗り越えたんだって思うはずなんですよ。

 過去の自分がつらい治療を乗り越えられたのって、絶対に、退院した後に楽しい生活が送れるっていうのを信じて治療してたはずなんですよ。なので、退院した後の自分が、楽しく、楽して生きてないっていうのは、今まで治療を頑張ってきた理由がなくなっちゃうんですよ、そうすると。で、退院して治療がなくなったからといって、生活が元に戻るかといわれたら、そんなこともなく、変わらず、普通の人よりは大変な生活が待ってるんですよ。

 でも、そこで周りの人とかを頼ることによって、楽になったりすることもあるし、融通を利かせられるんですよね、こういうことができないからっていうのがあって。なんで、何かあったら抱え込まないで周りの人に言ったり、こういうのはやらなくていいやっていう感じで、楽しく生きるっていうことに重点を置いて生活したほうが絶対にいいと思います。

岸田 ありがとうございます。ちゃんと周りを頼って、そして我慢せずやっていくっていうのは、本当大事やなっていうこと、いや、春希君が、だって高1やろ、今。

 そうです。

岸田 そんなタイミングで、こういったことに気付いてるって、将来どうなんねやっていう、僕は期待しかあらへんけれども、がんを経験して、春希君も、こうやって自分の経験がみんなの役に立てばということで、今回も出演してくださって、本当にありがとうございます。また、見てくださってる皆さんも、もしよかったら、春希君の闘病のことも参考にしてもらえたらなということ思っております。これにて、がんノートmini、終了していきたいと思います。春希君、どうもありがとう。

岸 ありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。それでは、また、ばいばい。

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