目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:河野

【オープニングトーク】

岸田 それでは、『がんノートmini』、スタートしていきたいと思います。よろしくお願いします。

河野 よろしくお願いいたします。

岸田 きょうのゲストは宮城から河野さんにお越しいただいております。きょうはよろしくお願いします、ぜひ。

河野 よろしくお願いいたします。

岸田 おしゃれな背景ですね。

河野 いや、そんなことないですよ。

岸田 そんなことない。

河野 そんなことないです。

【河野さん紹介】

岸田 デフォルトでおしゃれということでね、その理由も後で分かってくるかもしれません。きょうのゲスト、河野さんの自己紹介をさせていただきます。河野俊介さん、宮城県のご出身で、今も宮城にお住まいいただいている。

岸田 仕事がフリーで趣味がアニメ、マンガ、サッカーということで、アニオタつながりということでもあります。がんの種類はスキルス胃がん、珍しいほうの胃がんのほうですね、になりまして、ステージが4という形です。告知年齢は33歳で今が37歳、化学療法や手術、免疫チェックポイント阻害剤による免疫療法など行われているということなんですけれども、河野さん、仕事がフリーっていうのはどういうことなんですかね。自由人っていうことで。

河野 そうです、自由人ですね、ではないんですけど。

岸田 すいません。

河野 いえ、とんでもございません。仕事自体は何もできていないんですけれども、治療が仕事っていう感じで捉えさせていただいて。お友達からも言われたりとかして、そうだなってことで書かせていただきました。

岸田 前職はどんな感じだったんですか。

河野 前はアパレルだったんですよ、服が好き。

岸田 ほら、おしゃれな感じやから背景もおしゃれな感じで。

河野 背景はあんま関係ないですよ。

岸田 おしゃれな感じがすごく伝わってくるかなと思います。夜11時前の収録にも関わらず帽子をかぶっていただいてね。

河野 キャスケット。結構、好きで、いつもかぶっているんですけど。キャスケット、広げたいです。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 ありがとうございます。それでは、新しい試みとしてペイシェントジャーニーでお伺いしていきたいなと思っています。ジャーニー、旅って、旅路とか言われています。ペイシェントは患者ということで河野さんの患者の浮き沈みっていうね、上がちょっとハッピー、下がちょっとアンハッピーというような感じで、どんな浮き沈みがあったのかっていうのが表されているような感じになります。そこをどんな感情やどんなお気持ち、一緒のこと言ってますね、ごめんなさい。

河野 いや、分かります。

岸田 どんな感じやどんな気持ちでやってきたかというところをやっていきたいと思います。それでは早速やっていきましょう。まず、どどん、がん告知。告知されたときマイナス5からのスタートかと思うんですけど、結構、頭やっぱ真っ白になりました、若かったですもんね、30ということで。

河野 そうですね、33歳のときに告知を受けて、そのときに完全に理解できてたわけじゃないんですけど、やっぱりショックだったので、マイナス。ちょっと数字の付け方、難しかったんですけど、マイナスではあるんで。

岸田 数字は関係なく、思ったことを言っていただければ全然大丈夫です。僕たちに数字は測れないと思うんで。

河野 そうですよね。

岸田 ごめんなさい。やぼなこと言いました。

河野 いえ。

岸田 その中でどんどんいろんなことをお聞きしますので、どんどん進んでいきたいと思います。抗がん剤シスプラチンとティーエスワンというものをされたということで、抗がん剤値でガンと下がってたりとかするんですけれども、このときの心境ってどんな感じですか。

河野 気持ちとしては、使用が始まったことで、やっぱり自分ががんなんだなっていうことを体感した、実感したっていうのがやっぱり一番大きくて。それでやっぱりマイナスが一気に増えたって感じですかね。実感したっていうところですね

岸田 実感したと、自分のがんのことを。

河野 そうです。

岸田 実感した、それまではちょっとあまり実感・・・。

河野 だからあんまり、気持ちとしてはそんなに理解もできてなかったっすね。

岸田 その中、手術をしていくということですけど、手術してめっちゃ上がってるんですけど、これ、どういうことですか、手術、やったあって感じですか。

河野 一番最初の段階で手術はできないって言われてたので、これが抗がん剤によって手術ができたということで、上がったっていう感じですよね、僕ん中で。

岸田 手術ができないと言われてたんですね、最初。

河野 そうです。

岸田 そんぐらい結構ひどかったんですか。がん告知されたときの胃の状態って。

河野 ステージ4でそのときにもう余命の宣告とかもされて、手術ができないよと言われました。手術したときも回復するだけかもしれないって言われていたので、そういうことですね、手術できてよかったっていう。

岸田 もう胃がんがいろんなところに散らばってたって感じですか。

河野 胃がんと、あと、腹膜播種っていう腹膜に見えないがんが散らばってるんじゃないかっていうことで、手術不可っていうことになりました。

岸田 けど、手術できて胃が全摘できたから、やった、みたいなことですね。

河野 そうです。

岸田 ていうことだったってことですね。そして手術をして、やったあと言ってる中でその後また、抗がん剤してるんですね。

河野 そうですね。術後の抗がん剤っていうことで、先生からは標準治療としてはなかなかないケースだったみたいで、どういうの、したらいいか分からないけれども、シスプラチンとティーエスワンを推奨されて、術後これを頑張ってやっていこうっていうことになったっていう形です。

岸田 それ、やってるときには結構いろいろ、ここからちょっとまた下がっていくっていう感じかもしれませんが、その後、あったのが肺炎。

河野 肺炎、なりましたね。

岸田 大変でした? 大変でしたっていうとなんか。

河野 僕としては、病院に行ったときにレントゲンとか撮って、肺炎って言われたんですけど、それまではあまり実感もなくて、症状としてもそんなに感じてはいなかったんですけど、これ、肺炎だよっていうことで言われて入院になっちゃったんですよね。

岸田 ここまでは別に症状としてはそこまで、いろんながんに関しての症状っていうのはそこまでだったんですね。

河野 そうです。

岸田 ちょっと待ってください、なんで分かったんですか、がんって。

河野 一番最初ですか。

岸田 うん。

河野 胃が痛いっていうのは常にあったんですね。胃が痛いっていう、おなかが何か痛いなっていうことで、検査とか病院には行っていたんですけれども、なかなかスキルス胃がんって発見されにくい。

岸田 難しいんですよね。

河野 そうなんですよね。このときは自分が住んでいる街の近くの、バリウム検査を街でやってて、やっぱそこにも行ってみようって行って。胃カメラをやってくれってまた言われて、そこから発覚したって感じですね。

岸田 じゃあ街の検診に行って見つかったっていう感じなんですね。

河野 そういうことですね。

岸田 ありがとうございます。そしてそれで肺炎になって、苦しいぞってなってから、その後に、どん、腹膜播種、再燃、絶食、なんかいろんなこと、ありますけれども、これは。

河野 これは手術ができたっていうところで、腹膜の播種がないんじゃないかってところまでいってたと思うんですけど、そこに腹膜播種があったっていうことで、直腸のところが狭窄してしまって。

岸田 狭窄っていうのは。

河野 直腸が狭まってしまって、なかなか便が出づらい状態になってしまったんですよね。自分でもそれ、違和感で感じてたので。で、病院に行ったら腹膜播種の再燃なんじゃないかっていうことで言われたんです。

岸田 腹膜播種って腹膜に散らばってるってことですよね。

河野 そうです、腹膜にがんが散らばっているっていうことですね。

岸田 それがないと思ってたけど、それがまた発覚していったと。絶食っていうのは。

河野 絶食っていうのは直腸が狭窄していることで、便が出づらいので、食事を取らせることができないということで絶食になったんですね。

岸田 そういうことか、ごめんなさい。

河野 いえ、全然。

岸田 そしてそれが結構つらかったかと思うんですけど、その後に抗がん剤パクリタキセルをやって、ちょっと上がるんですね。

河野 そうですね、ちょっと上がってますね。そこに対して何かをやれるってことが、治療があるっていうことが自分の中で希望だったので。パクリタキセルをやれるってことでちょっと上がってるっていうところですかね。

岸田 ありがとうございます。ただ、そこから下がります、なぜか。アカシジアに。なんです、アカシジアって。

河野 これは正式名称だと錐体外路症状っていうらしいんですけど。結構、難しいんですけど、どういう症状かっていうと、そわそわしてじっとしていられない状態になっちゃうんですよね。

岸田 はい。

河野 緊張感とか、絶えず歩き回るとか、足を落ち着きなく揺らしたりだとか、本当じっと座ってることがなかなかできなくて、または立ってることも同じ格好ができないっていう症状がアカシジアっていうんですけど、それになったんですよ。

岸田 はあ。

河野 これ、脳に作用してるらしいんですけど、脳に作用してアカシジアになるみたいなんですけど。薬の、そのとき僕は睡眠導入剤を点滴で入れてもらってたんですよ、それの副作用でアカシジアっていうのがあるみたいで。

岸田 ほう。

河野 そうなんです。良くなる薬なのに、それによって副作用でアカシジアになってしまって。本当、立ったり座ったりっていうのをずっと。

岸田 やってた感じなんですね。

河野 気が済まないっていう。

岸田 落ち着きのない、なんか学校の教室にいる子みたいになっちゃった感じですね。

河野 本当そうです。そういう感じになって。最初は僕、そのアカシジアっていうことも分からなかったので、なんか狂ってしまったんじゃないかっていうぐらい自分が思ってしまって。病院に行って、先生、本当、何なんですかね、これって聞いたら、アカシジアっていう症状があって、ほっとできたところもあります、正直。名前があったっていうのが。

岸田 そっか、これ、僕もあったわ、そう言われたら。

河野 あるんですか。

岸田 あった、治療して多分これを、入院してたときやけど。ずっと右、右半分ぐらいでずっとこうしないと、なんかいても立ってもいられないような状況とかあって。

河野 それ、アカシジアでした?

岸田 ごめんなさい、それ、そのときはなんか耐えるしかなかったから何も、そういう症状だけでしたけど。もしかしたらですよ、全然もう。

河野 なるほど。

岸田 すみません、で、それを。

河野 はい、本当に。

岸田 それは耐えるしかないですか、アカシジアは。

河野 ずっとそういう状態になってたんで。一応、対応する薬はあるんですよね。すぐ対応する薬、打ってくれました。

岸田 打ってくれて、そうなんですね。

河野 それでも全然抜けなくて、僕の場合は。

岸田 はい。

河野 それで絶えずこうなってて、でも、やれることやったんで、耐えるしかないよっていう状態までなってたんですけど。これが結構つらかったですね。

岸田 そうですよね。

河野 結構しんどいです、これ多分、一番しんどかったのかもしれないですね。

岸田 そんな気狂いそうになりながらも。

河野 はい、そうです。

岸田 次、脱毛していく。

河野 はい。

岸田 これ、副作用ですね。

河野 はい、パクリタキセルの副作用で髪の毛が抜けていくという。

岸田 シスプラチンで抜けなかったんですね。

河野 そうですね、シスプラチンでは全然抜けなかったです。

岸田 パクリタキセルの副作用で脱毛していって、人工肛門。人工肛門になるってどういうことですか。胃全摘、ここまで何かそうなる要素ありますっけ。さっきのあれか、直腸の。

河野 そうです、腹膜播種、これ、実は腹膜播種の再燃と言われているんですけど、実際に見えてないんですよね。見えて診断されているというよりは直腸が狭窄しているから腹膜播種の再燃なんじゃないかっていうことを言われていて、実際にCTとかで映ってはないんですよ。

岸田 そういうことね。

河野 そうなんです。そのときにも人工肛門にするか、抗がん剤をするか。人工肛門したら、しばらくやっぱり抗がん剤できないって言われたので、僕にとって一番最初にまず何かしたいなっていう思いから抗がん剤治療を選んだんですけど。

河野 抗がん剤治療をしても、2クールか3クールかパクリやったんですけど、その後にCT取って評価を先生にしてもらったら、やっぱ直腸の狭窄はあんまり良くなってないよと、やっぱり物は食べさせることはちょっとできないんだって言われて。なので、そこで、先生、人工肛門お願いしますっていう流れなんですよね。

岸田 人工肛門って結構、ショックって言い方、変ですけど、なんか。

河野 はい、抵抗感というか、人工肛門になるっていう抵抗感みたいなものはやっぱりあったんですよ、一番最初のところに。しばらく考える時間もいただいたし、パクリタクセルもやって、なかなか食べさせられないっていうことを聞いたら、考えてくうちに抵抗感が抜けていったんですよね、自分の中で。

河野 いろんな人の、それこそネットとか見て、実際に人工肛門になった人の話とかを見たりとかして、抵抗感がなくなっていって、自分の中でよしっていう形で、そのときはもう抵抗感みたいなの、なかったですね。お願いしますという感じでした。

岸田 そうなんですね。やっぱり時間も必要っていうことですしね。

河野 そうですね、時間必要でした。

岸田 ありがとうございます。そしてその後、上がっていくんですけど、『ひまわり』爆誕。なんか『クレヨンしんちゃん』の世界じゃないですか。

河野 そうですか、『ひまわり』。

岸田 『ひまわり』爆誕。

河野 そうですね、そう言われると、そうかもしれないです。これは、AYA世代っていうのがあるじゃないですか、今、結構、多分、取り上げられたりしてると思うんですけど。

岸田 15歳から39歳までの世代のことですね。

河野 そうです。これもAYA世代サークルっていうのに団体として自分がちょっとやってみたいなと思って立ち上げて、その団体の名前が『ひまわり』なんですね。

岸田 すてき。それが『ひまわり』っていうものを作って。それはやっぱり周りの人とつながりたいと思ったから、周りって若い人とつながりたいと思ったからっていう感じですかね。

河野 そうですね、同世代の方とお話ししたときにもらえるパワーっていうのが結構、自分の中では大きかったので、1人じゃないんだよって思えたのがすごく大きかったんですよね。なので、それを気軽に、なかなか会えないんで、若い世代の方、気軽にちょっと集まろうぜっていう感じで。楽な、気軽に集まろうぜ、みたいな感じで作れたらいいなっていって作った感じです。

岸田 ありがとうございます。そしてその後、患者カフェを開催し、河北新報に掲載とありますけども、それがこちらになりますね。

河野 ありがとうございます。

岸田 これがカフェの。左側、告知のやつですかね

河野 そうです、ポスターを作って。ポスター、チラシか。

岸田 それで右側の、取り上げてもらったときの新聞の抜粋みたいな感じですね。このときの写真がこんな感じですかね。

河野 そうです、そんな感じでやらさせていただきました。

岸田 どうでした、実際やってみて

河野 実際やってみて、すごいやってよかったなって思いました。みんなに会えて元気とか勇気とか、そういう感じですけど、やっぱり1人じゃないんだなって思えたのが大きかったと思います。

岸田 1人じゃないという、やっぱそれ、大事ですよね

河野 はい、非常に前向きになれましたね、やっぱり。

岸田 そんな、1人じゃないよと思ってからのこの下がり具合。何があったんでしょうか。第2回の患者カフェ、これを断念。

河野 はい。

岸田 これはコロナだから?

河野 そうです、単純にコロナがまん延してしまって、やることは難しいんじゃないかなっていう判断の下、断念せざるを得なかったということですね。

岸田 そして、ただその後、また上がっていきます。

河野 はい。

岸田 何があったのか、どどん。オンラインおしゃべり会、オンラインにシフトしたってことですね。

河野 そうです。意外とやってみると皆さん、お話しする機会もなかったので、すごい盛り上がったんですよね、話自体が。すごい好反応っていうか好感触だったので、やってよかったなと思って、継続して今もやってるんですけど、すごくよかったなと思うんです、オンラインでつながって。

岸田 そしてオンラインおしゃべり会の後、増悪。増悪っていうのは。

河野 これは造影剤CT、多分、抗がん剤治療を続けていっていたんですけれども、造影剤CTを撮ったときに増悪。腫瘍マーカーっていうものが初めて、どばっと上がったんですよね。増悪してるよって言われて結構ショックだったんですよね。

岸田 悪くなっていくっていうの、見るの、つらいですよね、自分でね。

河野 つらいです。たかが数字かもしれんけど、やっぱりショックでしたね。

岸田 そんな中、まだ同じぐらいの大変なのが続きます、それは肺気胸。

河野 肺気胸になりました。

岸田 肺気胸って、シンプルに言うと肺に穴が空くってやつですよね。

河野 そうです。

岸田 これは副作用か何かで。

河野 これは先生には全く関係ないところで肺気胸になってるよ、河野さんっていう。副作用とか完全に関係ないよって言われて。関係ないんですかって言って。胸腔ドレナージか。

岸田 なんかね、ぶっ刺されるやつですよね。

河野 ぶっ刺されるんですよ、あれ、本当にびびってました。めちゃくちゃびびりました。

岸田 僕もあれの痕が自分のがん手術の手術痕よりも大きいっていうね。

河野 本当ですか。

岸田 僕も副作用になったんですけど。

河野 なったんですか。胸腔ドレナージしたんですか。

岸田 やりました、僕も。1回目の手術の直後かな、になって本当に。

河野 痛かったですか。

岸田 痛かったですし、もう死ぬと思いましたね、あのときは本当に。

河野 いや、笑えない、笑っちゃいけないんですけど。

岸田 全然いいです。

河野 同じですね、じゃあ。

岸田 ですね。そしてその後、肝数値が異常、これも数値が悪くなっていくということですかね。

河野 そうですね、ちょっと数値が悪くなっていくという。

岸田 そんな中、ここで医療用麻薬が出てきます、オキシコンチン、オキノーム、フェントステープ、オプソ。医療用麻薬って、これ、あまり僕も医療用麻薬のお話とか聞く機会ないんで、ぜひお伺いしたいんですけど、どうなんですか、医療用麻薬って。ほわーってなる感じで、痛みもほわーってなる感じなんですか。

河野 ほわーってなります。細かく言うと、やっぱりすごい痛いんですけど、痛みを感じて麻薬を投与するんですけど、痛みが取れます、痛みがやっぱり緩和されます。ただ、その分、僕の場合は眠気が強かったりとかしましたし、麻薬への抵抗感がなかったかって言われると、やっぱりありましたし。

岸田 その麻薬への抵抗感って麻薬ってワードによる、その。

河野 ワードによる、なんて言うんだろうな。

岸田 いけないことしてる感。

河野 そこに手を出していいんかなっていうことなんですけど。でも、実際やってみて、やっぱ我慢するよりやったほうがいいなって思いました、痛みが取れましたし。あれが逆にないと、つらいですね。

岸田 今もやってるんですか。

河野 今も医療用麻薬を使いながらやってます。

岸田 どれぐらいの頻度でやるんですか。痛くなったらすぐやる感じ、1日何回とかあるんですか。

河野 なるほど。僕が今、やってるのはフェントステープっていうんですけど、これを胸に貼ってて、これが24時間継続で効いてるんですよ。

岸田 すごい。

川田 そうなんですよ。24時間後に剥がして新しいのを付けるっていう。これがメインで、どうしても痛みがきついんだよっていうときは、さっき書いてあったオプソってやつを飲むんですけど。それが30分おきであれば飲んでもいいっていう許可は出てます。

岸田 実際どうですか、オプソを使う機会とかあります。

河野 すごいあります。今のところ7回、8回とかですかね、1日に換算すると。

岸田 医療用麻薬して今、こうやってご出演いただいてもいて。

河野 そうなんです。我慢しないでっていうことと、薬剤師の人からですよ、言われたのは。あと、依存性みたいなのはないので、痛いんだったら使ったほうがいいということを言われました。

岸田 ありがとうございます、なかなか医療用麻薬について聞く機会がないので、ありがとうございます、勉強になります。そしてその中、ちょっと上がっていきます。オプジーボ、免疫チェックポイント阻害剤を今やってるってことなんですかね。

河野 そうです、いろいろ増悪だったり、異常っていうのがあったかと思うんですけれども、そこでなかなか抗がん剤とかオプジーボを打てなかったんですよね。ずっと打てない時期が続いていて、なので、今回、やっと打てるようになって。使えないってずっと言われてたので、それが使えるようになって上がったっていう。

岸田 それが効くか、効かないかはまだ分かんないですもんね。

河野 そうなんです、効くか、効かないかは分かんないですし、それはもう神のみぞ知るって言われました。

岸田 本当に効いてほしいなということを思います。

河野 ありがとうございます。

岸田 ありがとうございます。そして最後。どん、訪問介護開始。これはどういうことですかね。

河野 僕が痛みのコントロールができなくて、ずっと入院してたんですよね。2週間くらいかな、2週間くらい入院してたんですけど、家に帰れるようになって、痛みのコントロールができて。オプジーボも打てるようになったんですけど、絶食とかっていうのは続いていて、高カロリー輸液っていうのが24時間点滴するんですよね。

河野 そういった針の管理とかを家でやらなきゃいけないってなったときに、訪問介護士さんを家に呼ばせていただいて、針を差し替えとか、ずっと差しっぱなしってわけにはいかないので、衛生面なのかな、多分。1週間に1回替えなきゃいけなかったりするので、訪問介護士さんに来ていただいてっていうことでって感じですね。なんで上がったかっていうと、家に帰れたからっていうのが大きいかも。

【ゲストエクストラ】

岸田 そういうことですね。ありがとうございます。そんな中、ちょっと他の質問というかまとめを一気に、これも初めてなんですけど、お聞きしたいです。大変だったこと、シスプラチンの副作用。これはシスプラチンの副作用で、どういうことが大変でした。

河野 これは僕が一番最初にやった抗がん剤、シスプラチンだったんですけど。とにかく吐き気もひどかったですし、入院しないと打てないって言われていて、毎回、入院してたんですけど、打って6日目から8日目とか9日目、3日間、4日間は立ち上がれなかったりするぐらい気持ち悪かったですね。プラス、吐き気、あとは便秘にもなって、めちゃくちゃおなか痛くて救急車で実は運ばれました。

岸田 ええ。かつ、狭窄もその後していくし、大変ですね。

河野 そうですね。1回目のシスプラチンのときに便秘になってしばらく出なかったんで、おなかを腸を刺激する、あるじゃないですか。それを飲んだら、出ないんだけど、おなかがめちゃくちゃ動いてすごい痛くなって。もう耐え切れなくなって、救急車、呼んだんですけど、僕は、うわあってなってて。でも、子どもたちは救急車でテンション上がってんですよね。ああ、救急車やあ、みたいな、あーみたいな。

岸田 父ちゃん、乗ってく、みたいな。

河野 そう、ああみたいな。というのがあったんで、結構、大変でした。

岸田 結局それは運ばれてからちゃんと処置してもらって、大丈夫だったんですよね。

河野 そうですね。ちょっと汚い話になっちゃうかもしれないんですけど、診てもらって腸閉塞ではないと、便秘だよと。だから、かん腸してもらってっていう感じでした。

岸田 ありがとうございます。そして工夫したこと、食べやすいスープを奥さまが作ってくれたこと。

河野 そうですね。工夫したことといえば、食べやすいように、吐き気ってすごい強かったので、夜中でも食べやすいように、しょうがとか、卵スープとか、そういった食べやすいスープを作ってくれたっていうのがありがたかったし、気持ち的にもなんかぐっときましたね、僕は。

岸田 いいですよね、やっぱ支えてくれる人がいるっていうのはね、身近にね。

河野 結構でっかいですね。

岸田 大きいと思います、そうやって食の面からも支えてもらえるっていうのは。ありがとうございます。そして保険活用した制度、高額療養費制度、そして傷病手当金、あと、県民共済にも入られていたということで。これら活用したということですね。

河野 そうですね。

岸田 治療費とかはこれでまかなえてる感じですか。

河野 結構しんどくて、ですね。やっぱり両親とかだったり、助けていただいたりだとかはしました。

岸田 いろんなサポートないと、若くてね、やっぱりうん百万っていうね、お金が必要になりますよね。

河野 そうです。なってくるので、大変です。

岸田 ありがとうございます。そして最後に励まされた曲、言葉。これも初めて聞くんですけれども、SEKAI NO OWARIさんの『MAGIC』という曲です。ここで流したら著作権で引っ掛かりそうなので、流せはしないんですけど。どういうところが励まされた感じですかね。

河野 これは励まされたというか、ぐっと来たっていう表現が多分、強いかもしれないんですけど。なんかごめんなさい、全然違うかもしれないですけど、ちょっとうろおぼえなところもあって申し訳ないんですけど、友人が亡くなったときの曲みたいな感じだった気がするんですよね。YouTubeで見ると、SEKAI NO OWARIさんが歌ってて、その姿が必死に、生きるってなんだろう、みたいな訴えかけるような歌い方だったんですよ。それを見て僕はぐっと来て、頑張って生きていこうってなんか思ったんですよね。すみません、うまく伝えられてない。

岸田 全然、やっぱ生きていくってね。本当にそういう感じる。やっぱ分かります、そういうなんか。

河野 難しいんですね。

岸田 ちなみに家族の話とかもありましたし、こういう曲の話もありましたけど、今の話題の人生会議っていう、自分のいろいろこういったときはこうしてほしいとか、いろんなそういう会議っていうのが話題というか、医療業界でもあったりするんですけども、そういったことっていうのは奥さんだったり、医療従事者だったりとか、されてますかね。

河野 こういうとき、どうするか、みたいなこと。

岸田 そう。こういうとき、どうするかとか、どうしてほしいかとか。

河野 なるほど。そういう話はもちろん出ますよね。こういうときはこうしてほしいとか。

岸田 結構それってはばかられません? なんかちょっと縁起が悪いんじゃないのとか、怖くなっちゃうじゃないですか。

河野 そうですね。ただ、現実と向き合うって意味では、そこは避けては通れないと僕は思います。向き合いつつやってかんと、それはちょっと僕の中では逃げになっちゃうような気がして。持論ですよ。あくまで僕の意見ですけど。現実を見るってところではそういう話は絶対必要だと思う。

岸田 強えな。

河野 いや、そんなことないですよ。すごいびびってばっかりですけどね。びびりまくりですね。

岸田 そう、だってTwitterで先週でしたっけ、なんか結構、俺、やばいかも、みたいなツイートしてませんでしたっけ。

河野 正直、治療法がないよとか。ぶっちゃけっていうと、オプジーボすらお薦めしないよとか、そういう意見もやっぱあったりするんですよ。だけどやれることはやっときたいっていう。

岸田 もちろん。

河野 僕としての最終的な気持ちとしてはね。それが多分ツイートに出ちゃった。

岸田 そうですね。本当に残された時間を、QOLを大切に過ごしてほしいとっていうね、言葉を。奥さんと一緒に話、聞いてきて。それで今すぐどうにかならんけど、危なくなることはあるみたい、でも、負けないと思ってるわというね。

河野 そういうことです。

岸田 ツイートをすごいいただいて、『いいね』も1000以上出てね。

河野 ありがとうございます、本当に。俺はめちゃくちゃ励みになってますし。

岸田 本当。

河野 ありがたいことだと思います。

岸田 ですよね。僕、『いいね』できてないや。

河野 おおい、岸田さん。

岸田 すいません。

河野 ありがとうございます。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 ありがとうございます。そんな河野さんのがんの経験から学んだことシリーズ。がんの経験から学んだこと。こちらの言葉をいただいております、どん。

河野 当たり前のことが当たり前じゃない。学ばせてもらった、学びました。

岸田 これの意図は、お伺いしてもいいですか。

河野 普通に起きて子どもらと遊んで嫁さんと会話してとか、今、ゲームにはまってるんですけど、『フォートナイト』っていう。

岸田 めっちゃ人気ですよね、『フォートナイト』。

河野 子どもたちとやって、めっちゃ怒られたりもするんですね。そっち行かないでとか、あっち行かないでよ、パパ、みたいな。こういうのやって日常を過ごしていくことが当たり前じゃないよっていうことに気付いたんですよね。普通の日常は宝物だってことに僕は気付きました。

岸田 すてきな言葉をいただきました。当たり前のことが当たり前じゃないってことですね。言い残したことないですか、大丈夫ですか。

河野 なんだろうな、僕、AYA世代についてこの場を借りて一つだけかな。

岸田 一つだけ、はい。

河野 僕はそのAYA世代っていう世代に入っていると思うんですけども、なかなかお会いすることができないんですよね、闘病をしていく上で。なので、会えたときにすごいパワーももらえるし、やっぱり1人じゃないんだなって思えるし、自分の中ですごいパワーになるんですよね。AYA世代の輪を少しでもちょっと広げていけたらなと思っているし、AYA世代って言葉だけでも知ってもらえたらなと僕は思っています。そんな感じです。

岸田 すてき。ありがとうございます。

河野 ありがとうございます。

岸田 ぜひ宮城の若い患者さんは『ひまわり』を検索していただければと思います。それではきょうのゲスト、河野さんでした。本当きょうはどうもありがとうございました。

河野 ありがとうございます。

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