インタビュアー:岸田 / ゲスト:ゆうと

【発覚・告知】

岸田 今日のゲストは、胃がん経験者のゆうとくんです。さっそく、がんがどうやって見つかったのか、どう立ち向かっていくのかっていうのを、壮大な24時間テレビばりに(笑)。

ゆうと (笑)。順を追うと、まず大学を卒業して、4月に就職をして、研修が3か月くらいあったんですけれども。パソコン関係の仕事で研修をしていて。

岸田 プログラマーだったんですね。

ゆうと そうですね。渋谷に通って、一生懸命勉強したり。学生から社会人になって気を引き締めなおしてやるじゃないですか。ちょうどそういう時期で、なんか疲れるなとか、いろいろあったんですけど、仕事始めたばっかりっていうのがあって。でもその中でも食べ物がちょっとつまるっていうのがあって、肉とかよりも酢の物とかのほうが、なぜかおいしいみたいな感じになりました。

岸田 もうおじいちゃんじゃないですか。

ゆうと そう。だから、「本当に疲れてるんだよな、俺」って思って。「社会人ってこんな大変なんだな」みたいな感じ。それで研修を3か月やってて、研修が終わったら配属が決まる段階だったんですけど、決まる前に、ちょっと体調悪いし、なんか喉つっかえるから医者に行こうって。本当に小さな町医者に行ったんですよ。食べ物がつまりやすいから、薬とかでさっと治したいくらいのノリで行ったんですけど、急に胃カメラやCTとかその日に受けることになって。で、「来週必ず大きい病院に行ってね」って言われて。

岸田 そのときは何も言われず?

ゆうと まあ、何かがありそうな感じ。今思うとあるんですけど、「胃に穴が空いてんだよね」みたいな感じの言い方で。

岸田 軽いですね(笑)。胃に穴が空くことはありますもんね。

ゆうと そう、「ああ、穴が空いてるのか」と思って大きい病院に行ったんですよ。会社には、「月曜日、病院に行きます」って言って。そしたら、そこでもう胃カメラとかやって、「胃がんです」と改めて言われて。

岸田 えっ、大きい病院で胃カメラ撮ったら、その日に胃がんと宣告されたわけですね? 宣告されて、どう思いました?

ゆうと けっこうクールな冷静な先生で。

岸田 ほうほう。男性?

ゆうと 男性で。けっこう若い人で、落ち着いて語ってくれたというか、「落ち着いて聞いてほしいんだけど」という前置きもちゃんとされて、「これは胃がんなんですよ」っていうことを言われました。

岸田 ショックはありました?

ゆうと うーん、けっこう先生の言いかたが冷静だったので、映画とかドラマみたいな感じで取り乱したりっていうのはなかったですね。

岸田 なるほど。いちばん初めに宣告を受けてやったことってなんですか?

ゆうと 親に「胃がんらしい」ってことを電話したぐらいしか覚えてないですね。

岸田 もう親御さんも大変だったでしょうね。

ゆうと たぶん、大変だったと思います。でも、親もけっこう冷静に対応してくれましたね。

【治療】

岸田 どんな治療を、どれくらいやりました?

ゆうと 7月頭に宣告されたときに、そこで手術を受けるか、がん専門病院か選んでくださいという感じで。それで親と相談して、結局別のがん専門のところで治療を受けました。

岸田 そうなんですね。

ゆうと 理由としては、病室がけっこうどの病院も埋まってて。手術をするなら何日が最短か、いろんな病院から聞いて、 結局がん専門病院がいちばん早かったんです。

岸田 3週間くらい待って、手術?

ゆうと そうです。病院変えるとまた胃カメラとかやらなきゃいけないんですけど、そういうことをやっているうちに、 3週間経ってっていう感じです。

岸田 待ってる間、怖くなかったですか? だって胃がん持ってて3週間って。

ゆうと そう。だからやっぱり早いほうがいいなって。

岸田 そうですよね。

ゆうと できるだけ早くがんを取りたい、悪いものを体から取りたいなって思って。転移みたいな情報を、素人ながら知ってるから、早く体からがんを取っちゃいたい気持ちがあって、その病院を選びました。で、「やっぱり胃カメラは嫌だな」 とか言ってる間に手術になった感じで、わりと3週間忙しくしてたから、ちょっとは気が楽だったかなと。けっこうその3週間で考え方とか、受け止め方も変わったんで。いろいろありましたね。

岸田 胃はどのくらい取ったんですか?

ゆうと 胃は全摘。で、けっこう上のほうにあったんで、食道も念のため上のほうを取って、胆嚢と脾臓とかも取ったみたいなんですよ。

岸田 えっ!?

ゆうと なんか、構造上取るらしくて。 インフォームドコンセントで、「胆嚢も取っちゃいますね、脾臓も取りますね」って。で、それを取ってから、周りのリンパを病理検査(※1)で出して、顕微鏡でチェックして、そこに転移があると 今後も抗がん剤治療とか、術後の治療を考えなければいけないので、入院中はずっとその結果を1か月くらい待ってて。で、そこは大丈夫だったんですよ。

岸田 転移はなかったんですね?

ゆうと はい。そこでないのがわかって。ただ、待ってる間がけっこう精神的につらくて。「転移はちょっとはしてるだろう」と先生も言ってたんで、それがすごいつらかったですね。

岸田 え、ステージ2ってどういうレベルなんですか?

ゆうと 昔の基準だと、ステージ1の後半みたいなところらしくて。今の基準だとステージ2の前半みたいなんですけど。

岸田 転移はしてないけど?

ゆうと うーん、転移がその線引きにあるのかはわからないですけど。で、抗がん剤やったんですよ、結局。けっこう話し合いがあってから。

岸田 どんな話し合いを?

ゆうと まず、抗がん剤でまた別の専門の先生に代わって。で、本来やらないぐらいのステージらしいけど、23歳で胃がんっていうのはあんまりいないから、予防のために。予防を科学的に証明できるものが抗がん剤しかないから、念のためやってもいいんじゃないかっていう。ただ副作用がすごくあるから、強制はできないんで、自分で考えてくださいみたいな感じ。で、すごい考えて、やっぱやろうと。それで抗がん剤を、1年弱ぐらい飲んで。

岸田 飲む抗がん剤なんですね。

ゆうと そう、毎日カプセルを飲んで。 朝3錠、夜3錠を食後に飲んで、4週間やって2週間休むサイクルで。

岸田 それを1年弱やって。いや、すごいですね。抗がん剤……予防的にか。

ゆうと そう、予防的に。転移してないからやる意味ないかもしんない。だから、もしかしたら無駄に飲んでいたかもしれないんだけど、でも今は安心のために飲んだかな、とかそういう気持ちです。

岸田 そうなんですね。その時の治療の時の写真があるんですね。

ゆうと 術後元気になりましたっていう感じの。

岸田 このときも抗がん剤はしてない?

ゆうと このときはもうしてないですね。抗がん剤をしているときは無理すればこのくらいになれたかな。このときはもう元気なときです。

【家族】

岸田 次に家族のこと。家族のサポートはどうでしたか?

ゆうと まず、実家にいさせてくれたのが、退院してからリハビリですごい良かったのと、車で病院まで送ってくれたりというサポートがすごい助かったなって思ってます。

岸田 なんか、こうしてほしかったとか、あります?

ゆうと うーん、当時はそんなにお見舞いに来てほしくなくて。

岸田 えっ、友達も家族も?

ゆうと 友達にはそもそも言ってなかったから。まあ何人か電話くれたりとかはあったんですけど、自分が本当に衰弱しきってたから、なんかあんまり。

岸田 何か月入院したんですっけ?

ゆうと 入院は3週間。

岸田 3週間くらいだったらけっこうバタバタですしね。胃がなくなって、そこからまた食べるような練習とかもあるんですよね?

ゆうと 吐き気がすごくて。入院中ゲーゲー言ってるところに親が来ても、それで治るわけでもないし。ありがたいんだけど、また迷惑かけてるなとか、そっちをけっこう考えちゃって、っていうのはすごいありますね。サポートに関しては……

岸田 申し分ない。

ゆうと はい。あと、23歳とかで、健康的な暮らしなんてしてなかったので。

岸田 (笑)。まあ、変な言い方すると、 毎日カップラーメンみたいな?

ゆうと 毎日カップラーメン。極端に言えば。タバコも吸ってて。

岸田 ああ、そうなんですね。

ゆうと 不摂生っていう感じで。お酒も飲んでたし。で、食事も特に気を遣ってなかったんですけど。

岸田 今はタバコは?

ゆうと もちろんやめて、禁煙4年目。強制終了みたいな(笑)。

岸田 強制終了(笑)。たしかに。

ゆうと うん、やめられてよかった。おかげでやめられたな。そのへんをグチグチほじくらないでくれたのはすごい感謝していて。

岸田 あー、「あんたほんと不摂生だから胃がんなったんじゃないの?」って。

ゆうと そうそう。もしそれ言われたなら、たぶん逆切れみたいに取り乱してたと思うから。そこはすごい冷静に、「もうなっちゃったもんはしようがない」的なノリで一緒に病院を探してくれたりとか。

岸田 それ、ありがたいですね。

ゆうと そうです。すごい良かったなって思いました。

【仕事】

岸田 当時、仕事はどうなったんですか?

ゆうと けっこう会社が待ってくれてて。

岸田 お、いい会社。

ゆうと そう。結局3月まで待ってくれてたんですよ。

岸田 そうなんですね。

ゆうと 3月に辞めちゃったんですけど。辞めたきっかけとしては、抗がん剤で体力が落ちて、合併症で腸閉塞になっちゃって。そこで入院しちゃって1週間弱くらい。で、ちょっとさすがにって思って。

岸田 もう、待っててもらってても心苦しいみたいな。

ゆうと あと、戻れないなって気がした。研修しかしてなくて、特に自分のポジションみたいなのもないから。まあ、もう、戻る場所も特にないし、いろいろありすぎて。ちょっと1回治療に専念しようと思って、その1年後、アルバイトから、 ちょっとずつ社会復帰したという流れですね。

岸田 アルバイトはどんなことをしたんですか?

ゆうと 書店。本屋さんで。本が好きっていうのももちろんあるんだけど、食事ができないので飲食業はダメだなって思って。食事のタイミングがバラバラなのと落ち着いてそうだったから、そこで。

岸田 まずちょっと体力も。

ゆうと はい。9時から17時、週5日がある程度のラインって感じじゃないですか。それを、「できるぞ」ってなりたくて。お願いして、1年間週4と、ちょっと時間少ない週5の期間が終わったら、9時から17時残業もあるみたいな感じで働いて。雇用形態は正社員じゃなかったんですけど、それができると、「もう大丈夫なんだな」って自分の自信にもなったから。

岸田 もう働けるぞと。

ゆうと そう。で、今の仕事を見つけるまで半年間くらい、いろいろ探して。

岸田 そこを深く聞きたいです。就活どうしました?

ゆうと 術後3年ってなかなかいい節目だから、もう働こうと思って、正社員としてちゃんと戻りたいなと思って。ハローワークとかで探しながらとかなんだけ ど、やっぱりもう1回、大学出てからやっていた仕事にしようと思って。

岸田 SEとかパソコンとかそっちの?

ゆうと そう。何になろうかとかもうまくまとまってなくて。それで、仕事探しっていうか、自分が何をするかとかも含めて、いろいろ半年くらい考えて。決めてからはちゃんと面接とかして、なんとか雇ってもらえた感じですけど。

岸田 就活のときに、書店で働こうとは思わなかったんですね。

ゆうと 書店は業界的に、正社員にちょっとなれなさそうな感じがあって。すごくいい仕事だったんですけど、自立するためには、書店だと時間もかかりそうだなって思って。

岸田 言える範囲でいいんですけど、がんって言いました?

ゆうと そこ! すごい難しくて。

岸田 僕だったらネタで言ってみようかなっていうのありますけど。どう?

ゆうと 書店でも言わなかったんですよね。ずっと言わずに、誰からもそういう疑いもなく過ごせたから、就活もそういう感じでいこうかなと思ってたんだけど。 やっぱり面接するうえで、履歴書に、”一身上の都合で“みたいなのが……。

岸田 たしかに空白時間が。

ゆうと そう、1年で辞めちゃってる。空白のところが、一身上の都合だと……。

岸田 辻褄が。

ゆうと 辻褄が合わなくて。「いや、ちょっと」って感じになるとアピールが弱いんです。

岸田 弱いですよね、面接官的にはなんか隠されてるって感じしますよね。

ゆうと はい、その感じがあるから、やっぱりけっこう落ちて。

岸田 何社くらい受けました?

ゆうと 10から20くらいは仕事しながら受けました。書店の仕事をしながらだったから、あんまり数は受けられてないんですけど、やっぱり落ちて。で、途中から面接で「がんだったんですけど」って言うように変えました。

岸田 面接官びっくりですよね。

ゆうと そう。〝大病を患いました〞みたいなことは、絶対に書いて、必ずそこ聞かれるから、そのタイミングで。

岸田 なるほど。

ゆうと 書類の段階でがんだったことは書かなかった。

岸田 書かないで、大病という表現で、突っ込むポイントを付けておく。

ゆうと そう。包んで、とりあえず渡して、面接で開いてもらう。そのときに、「胃がんだったんですけど、書店のバイトでこれだけ働いてたし、けっこういろいろ乗り越えた」というエピソードを、 前向きに捉えてもらえるように伝えて。 けっこうこっちもアピールしやすくなり、それで今の会社に雇ってもらえました。

岸田 今の会社は、がんっていうことも知ってる?

ゆうと うーん、一応、人事の人だけ。

岸田 上司とかは知らない?

ゆうと そうですね。

岸田 それでも大丈夫ですか?

ゆうと まあ、まだ入りたてだから。自分しだいでもあるんですけど。

岸田 書店のときもずっと言わずに、飲み会とかでも言わなかったんですよね?

ゆうと そうですね。もう食事もできてるし、「痩せてるね」、「少食だね」とか、それくらいで。

岸田 あえて、エントリーシートで、”大病をしました“って突っ込みどころを作って、〝乗り越えました〞っていうエピソードで自己アピールをする。ゆうとくんの方法ですね。

ゆうと そう。そこをプラスに取ってくれる会社で働きたいし。

岸田 そこプラスに取ってくれる会社じゃないと難しいですよね。これだけ乗り越えてきたのに、それで落とすとかブラックだなってなりますよね。

ゆうと たしかに(笑)。でもまあ、自分がもし雇う側になったときに、きっと普通に若くて健康な人を取りたいだろうな、とか。そっちの側で考えて、ちょっとアピールをしたり、がんばってみたりしたんで。

岸田 仕方ないですもんね、なりたくてなってるわけじゃないですしね。

ゆうと そう。

岸田 「あなただっていつ何が起こるかわかりませんよ? がんになったらいい病院紹介しましょうか?」みたいなね (笑)。

ゆうと そうですよね。「いっぱい紹介できますよ」みたいなね(笑)。

【今、闘病中のあなたへ】

ゆうと 「前向きに行きましょう、きっといいことがあるよ」ということなんですけど。身体的につらかったことをけっこうしゃべったんですけど、精神的につらいことってすごい多いんです。将来が見えなかったりとか。友達と食事をしたりとか、それだけでありがたみがどんどん、日に日に積み重なっていくんで、必ずいいことがある。少しずつ積み重ねるためには、もう前向きになって、きっといいことがあるんだなっていうのを信じて、がんばってもらいたいなって思いますね。

岸田 そうですね、今だから言えるかもしれませんけど、当時は?

ゆうと 当時はね、たしかに前向きにはなかなかなれない。痛いほど、なれない気持ちはわかる。「食べられるようになるよ」とか言われて、「本当かな」って思ってたけど、言われてた以上に今食べられてる。言われてた以上に今、元気にやってるし。なので、想像以上に良くなるよって。

岸田 想像以上に良くなるよ。

ゆうと まあ、人しだいではあるけど、自分を信じて少しずつ、前向きに、一歩一歩、耐えること耐えたり、やることやったりして、がんばってほしいなと思いますね。

岸田 ちゃんと、いいことはあると。

ゆうと いいことはある、うん。

岸田 いちばん良かったことは何ですか。

ゆうと いちばん良かったこと、うーんやっぱり、食事。誰かとおいしいごはんを食べてるときがすごいいいなと、良かったなと思います。

岸田 みんなで。

ゆうと そう。いやもう、ごはん食べられないと、「ごはん食べ行こう」って誘いもできないから。人との交流も、けっこうごはんが食べられるかがでかくて。 それが叶っているとき、よくあることだけど、すごくいいなと。

岸田 まあ、今、闘病してたら、前向きになれなかったりするかもしれないけど、こうやってちゃんと、胃が全部なくても食べれてる人がいたりするので。

ゆうと そう、そうなんですよ。

岸田 その人たちを見て、勇気をもって、 闘病がんばってほしいなと思います。

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