がんと診断されたとき、家族との関係や役割の変化に悩む方は少なくありません。ここでは、家族に関する体験談を集めています。
両親には絶対言いたくなかったんですよね。何か変なこと言われたら嫌やなっていうのもあったので。でもいつの間にか、旦那が勝手にしゃべってました(笑) 今思えば抱え切れなかったんじゃないかなと思います。
子どもを小さいまま置いてきてしまったことへの申し訳なさもありました。そんな時、テレビ電話で家族、とくに子どもの姿を映してもらうと、それだけで「よし、頑張ろう」って思えるんですよね。
入院中は筆談でコミュニケーションを取り、家では妻が毎回ミキサー食を作ってくれました。思うように伝わらずイライラすることもありましたが、今振り返ると本当に感謝しかありません。
つらいときは、ささいなことで当たってしまうこともあります。でも、そのわがままを受け止めてくれる人がいると、「そうよね」と共感してもらえるだけで、気持ちが落ち着くんです。
ありがたかったのは「1人にしないようにしていた」と後から言われたことです。これは本当に感謝しています。
1度目の入院の時は、母は自分の付き添いでずっと病院にいました。3歳の姉は祖父母の家に1年間預けられることになり、そのときは姉も相当つらい思いをしたそうです。大きな負担をかけてしまったと思います。
ネットなどで得られるのはつらい情報が多いため、私は自分の体に集中し情報収集はしないと決めていました。妻、父、義理の父が役割分担し情報収集してくれて、まさに「チームで病と向き合う」体制がとれていました。
親も妹も、忙しい中でも普通に接してくれました。後から聞いたのですが、母は私の高校時代のアルバムを見て泣いていたそうです。それでも私の前では平静を装ってくれていたことが、今ではありがたく感じます。
父との関係は特別で、入院中は父が病院に来てくれるたびに、病気のことだけでなく、世間で起きていることなども含めて、本当にいろんな話をしました。
親に伝えるときは本当に辛かったです。当時は東京に住んでいたので、電話で伝えたんですけど、きっと親は電話口で泣いていたと思います。それが何より辛かったですね。
驚いたとは思いますが、特に腫れ物に触るような感じではなく、自然に接してくれました。特に息子はすぐに病気のことをインターネットで調べたり、病院の情報を探したりしてくれて、いろいろ協力してくれました。
長女は淡々としているけど、「じゃあ私が家のことやるね」と。免許もなかったのに、買い物も全部歩いて行って、重い物もリュックに入れて運んでくれて。そういう姿勢が本当にありがたかったです。
姉がずっと、とにかくそばに居てくれました。放射線治療も検査もいつもついてきてくれて、本当に支えてもらいました。側にいる娘も然りなんですけど、本当に家族に支えられてっていう感じですね。
家族が近くにいる安心感が大きかったです。正直、東京に残りたかった気持ちもありましたが、生活面や親のサポートのことを総合的に考えて、地元に戻るのが最善だと判断しました。
両親は就職について、4月から働けるだろう、という感じだったんです。私が最悪のことを考えているのに対して、両親は最良のことを考えていて、そこですごく揉めました。
うちも主人も、手術したら全部治ったと思ってる口だったので。がんの特集番組を見て、『私こういう副作用があるの』っていうのを言ったら、『治ったんじゃないの』って言われたのでそこで初めて説明できました
もう奥さんはもう泣いちゃって、病室で泣いちゃって。で、先生もまあ、まだまだ決定じゃないので奥様っていう感じで。で2人でとぼとぼ帰っていくんですけども、その家路がすげえ遠く感じて。
母親は、あんまり自分の方にはネガティブな感情とかは多分見せてなくて、だけどその僕の視界の外で結構泣いたりしていたそうです。
舌がんの術後はコロナ禍で家族に会えず、しゃべれませんでした。だから、旦那と交換日記を毎日書いたり、100均に売ってるホワイトボードを使って、ビデオ通話で子どもと会話をしていました。
転院したところですぐ白血病だと分かったので、気持ちが追い付かないまま告知されました。妻もよく分からない状態でした。
私と双子の妹の手術が重なってしまったんですが、家族は体力的にギリギリの中本当によくサポートしてくれました。