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インタビュアー:岸田 / ゲスト:柴田

岸田 開始ということで、がんノートoriginスタートしていきたいと思います。いつも柴田さんのこと、あっつんさんと呼ばせていただいてるんで、あっつんさんと呼ばせていただきたいと思います。

柴田 はい。

岸田 大体、フルネームで呼ぼうと思ったら、しばたあつきょみたいな感じで思っちゃうので、しばたあつこというふうな形で。あっつんさん、今日は自宅から参加してくださって。

柴田 はい、自宅で。犬のいる部屋で、今ちょっとゲージが見えてると思うんですけど。横に寝てます、犬が。

岸田 ワンちゃんが。じゃあ起きてくるかもしれないという。

柴田 かもしれない。噛まれるかもしれない。

岸田 噛まれるはやばい。自分の家の犬に。それはちょっと、ちゃんと躾していただけたらと思うんですけども。そんな、今日はがんノートoriginということで、まずちょっと僕の自己紹介をさせていただきたいということを思っております。

岸田 私、岸田徹と申しまして、25歳と27歳の時に胚細胞腫瘍っていう珍しいがんになったんです。その中で、抗がん剤手術など経て、今、経過観察をしてるんですけれども。

岸田 当時、色んな医療情報は、お医者さんだったりとか、看護師さんだったりとか、色んな薬剤師さん、医療従事者に聞いたら教えてくれたんですけれども。それ以外の情報、親にどう打ち明けたの、もしくはお金、どう工面したのとか、恋愛結婚どうするのとか、色んなそういった情報っていうのがあんまり無かったので、それを患者さんに聞いたら結構色々教えてくれたりとかして。これ、みんなとシェアしたらええやんみたいな感じをことを思って、2014年、がんノートというものをスタートしました。

岸田 今日はがんノートoriginということで、がんノートスタートした時の原点である90分のライブ配信。90分、患者さんの根掘り羽掘り、聞いて行こうということなので、皆さんも、ライブ配信であのyoutubeのコメントなどをいただけたら、柴田さんにそれを聞いて行きたいと思いますので、是非、是非コメントをお待ちしております。 そんな今日のゲストは、柴田さんになります。柴田さん、こちら。柴田さん、簡単に自己紹介をお願い出来ますか。

田 柴田敦巨と申します。私は腺様嚢胞がんっていう珍しいがんが耳下腺にできまして、40歳の時に発覚しました。手術と、抗がん剤と放射線併用療法をしまして、今、経過観察中です。現在47歳でございます。よろしくお願いいたします。

岸田 よろしくお願いします。関西の今在住ということなので、結構、そういう関西的なのりも、結構、今日出てくるかと思いますが、是非よろしくお願いします。

柴田 お願いします。

【発覚から告知まで】

岸田 では、柴田さんの早速なんですけれども、発覚から告知までをちょっとお話、聞いていきたいなと思っております。まず、柴田さん、腺様嚢胞がんって、あんまり聞かない珍しいがんだと思いますけれども、それはどこに出来て、どういうふうに見つかっていったんでしょうか。

柴田 はい。

岸田 他人事じゃないですよ。自分のことなので、自分のことですから。誰のこと言ってんのやろとかじゃないですから。あなたの腺様嚢胞がんのことです。

柴田 私は、実は、この耳の裏の耳下腺っていう所です。おたふくになったら腫れる所、おたふく風邪とかで腫れる所なんですけど。その耳の裏辺りに、何かこんな、これぐらいのポチってしたものが出来てたんです。それが、発覚の前の15年ぐらい前から実はあったんです。

柴田 それが、ちょっとずつ大きくなったなと思い始めたのが、丁度発覚する1、2年ぐらい前からっていうところで。時々、ピリってする痛みとか、ジリジリっていう気持ち悪い痛みっていうか、感覚とかがあって。ある日、顔のマッサージに行ってたんです、エステってやつですけど。そしたらそこの人が、何かおかしいよって。病院行ったほうが良いんじゃないということで言っていただいて、意を決して病院に行くと、これは一寸手術したほうが良いよっていうことになりました

岸田 15年ぐらい前からしこりがあったんですか。

柴田 あったんです。

岸田 それで、それは触ったら分かるような小っちゃいしこり?

柴田 小っちゃいやつで、押さえたら痛かったんです。押さえたら、いてって感じだったんですけど。一回、病院には行った時に、あれ、何だろうって。ばい菌感染、細菌感染かな。ちょっと一回、抗生剤飲みましょうって飲んだけれども、痛みも治まらなくて、何やろうねって終わってたけど、ほっといたんです。

柴田 勝手に自分の思で、痛いからそういう本当に炎症のものかなっていう、勝手な自己判断もあったんですけど。なので、まさか、がんっていうことを思ってもなかったので。

岸田 15年前からあって、それが急に1年でちょっと大きくなってきた。

柴田 何かジリジリっていう、何とも気持ち悪い感じ。

岸田 その、豆粒ぐらいのやつが、どれぐらい大きくなったんですが。その1、2年ぐらいで。

柴田 手術して取ったら、4センチ弱ぐらいあったみたいです。

岸田 やばい、4センチ弱が分からへん。

柴田 これぐらい。

岸田 ああ、それぐらい。OKのちょっと小っちゃいぐらい。

柴田 OK。

岸田 それが、首の根元、ここにあった。

柴田 ここの、耳下腺っていう所で。その腺様嚢胞がんって、神経とかに浸潤していく、広がっていくタイプのがんなので、本当に広がってた感じです。ジワジワ、ワリャワリャと。それが、4センチぐらいになってたと。

岸田 それで、エステシャンの人に見つけて、見てもらって、それで病院に行って、その病院で取って貰うってことですけど。そのとき、病院ってどんな所、行くんですか、ここだと。

柴田 病院は、まず、私が勤めていた病院。

岸田 まずですね、看護師として勤められているんですよね。

柴田 はい、そうなんです。それで、そこの耳鼻科に行って、色々検査してもらったんです。針突いて細胞取ってもらったり、あと、MRI撮ったり、エコーしたりとか、色々検査したんですけど。その時点では、まず、良性の腫瘍、何ちゃらかんちゃらって腫瘍があるんですけど。

岸田 何ちゃらかんちゃらとは。

柴田 多形成腫っていうけど。で、良性で、でも、これは絶対取ったほうが良い腫瘍だから、手術は絶対しましょうって言われて。で、取りました。取ったら、腺様嚢胞がんだったと。見つかり難い、病理でしっかり取って調べたら、腺様嚢胞がんだったっていうことで、もう一回手術しました。これは、ちゃんと手術しましょうってことで、もう一回手術、しっかり周りを取って、リンパ節を取ってっていうことで。

岸田 ありがとうございます。それが、今フリップに出ているこちらでございます。いきなり、大阪マラソンは気になるんですけど、色々やってて。

柴田 楽しく活動、遊んでたっていうか。

岸田 普通に遊んでた。

柴田 病院の職場の仲間と一緒に、7人で出る団体戦に混ぜてもらって、一番遅かったんですけど。そんなこと、楽しくやってました。

岸田 楽しくやってました。ただ、その中で、さっき言ったしこりが大きくなって病院に行ったら、良性だろうと思って、手術を受けていくと。

柴田 はい。

岸田 だから、ここ、悪性と診断されるといったところ、取ったもの病理検査すると。結構、腺様嚢胞がんですって言われても、看護師の人たちだったら、ああ、腺様嚢胞がんねって分かるもんなんですか。

柴田 分かんない。全然、分からなかったです。ただ、耳下腺がんで、耳下腺がんの中の組織型が20種類以上あって。

岸田 そんなあるんだ。

柴田 あるんです。何々がん、扁平上皮がん、何ちゃらがん、いっぱいあるんです。その中の腺様嚢胞がんですって言われて。その時は、もう全然ピンと来なくて。耳下腺のがんかっていうぐらいでした。

岸田 で、耳下腺のがんが、それは全部その病院で淡々とやっていく感じ?

柴田 取り敢えず、一回手術をして、もう一回悪性の手術をきちんとしましょうって言われたので、そこでまた手術して貰ってっていう流れになりました。

【治療から現在まで】

岸田 手術して取ってっていったところですけれども、次の、この後の治療に入って。治療というというか、各治療から現在までといったところに少し入っていくんですけれども。治療から現在までのところで、ここでまた次のフリップになります。ここで、一旦、治療は終えたんですよね、そのときに。

柴田 一回、手術、標準治療が無いっていうことで、取り敢えず、手術取り切ったから、経過を観察しましょうっていうことになって。別に、この病気に対する標準治療っていうのが無いので、放射線も当てることもあるんだけれども、それが、もしそれで再発してしまった時に、一回放射線当てると、もう放射線は使えないから、まずはこの状態で様子見ましょうって言われて、もう何も治療もないまま経過観察になりました。

岸田 それで、経過観察入って、仕事復帰していくと。

柴田 復帰して。

岸田 職場、看護師の仕事ですよね。

柴田 そうです。外来化学療法室っていう所に配属されてまして、通院して抗がん剤治療受ける所なんですけれども、そちらのほうでまた戻って、仕事復帰しました。

岸田 仕事復帰していったと。その後、その3月に娘さんの高校の卒業式、写真撮影というありますけど、これ、わざわざ入ってる理由はなんかあるんですか。

柴田 そうなんです。実は、その2回目のがんが発覚した後の手術の時に、顔面神経のほうも、ちょっと触る手術をしたので。だから、本当に顔面神経って、耳下腺の中の近くには、顔面神経が凄い通ってて。2回目の手術の時には、一回手術した後だったので、その辺腫れも残ってるし。

柴田 何を優先するかっていうのは、このがんは初めの手術しっかりしないといけないってことで、どうしても顔面神経の手術にも影響を及ぼしてしまったっていうところがあって、顔面神経麻痺を起こしちゃったんです。

岸田 顔面神経って、あんまり、顔面に神経あるんやろうなぐらいで思うんですけれども。どんな感じの?

柴田 なんか、この辺、ブワア、あるみたいです。

岸田 この辺から、こういう。

柴田 表情、こうやってまばたきしたりとか、こうやって口、動かしたりとか、全部顔面神経が筋肉を動かしてるっていう形で、ご飯、食べたりとか、笑ったり、しゃべったりするんですけど。まばたきしたり、この顔の動きをするわけです。きっしーさんも、今まばたきした時も、これ今、顔面神経がこうやって動いたりとか。

岸田 左側の顔面神経まで、2回目。1回目は、良性だと思って取ってるから、2回目悪性と思ってガッツリ。

柴田 そう、2回目の手術の時に、その時に神経もちょっと傷っていうか、顔面神経も触ることになったって感じです。

岸田 それは、言われるの。そういうふうにスリープしますっていうのは?

柴田 かもしれないっていうのは言われましたけど、まさかここまで動かなくなるとは思わなかったのは、ショックでしたけど。でも、仕方ない。がんは取ってもらわなきゃっていうのはあったので。仕方なく。

岸田 そこは、傷つける可能性はあるっていうのは言われてて、そこまでガッツリ取らないと仕方ないなと思って治療受けて。

柴田 まばたき出来ないし、食べこぼしもするし、この辺が動かないので。

岸田 左のほう取ったら、左顔面が動かなくなるの。

柴田 そうです、ここら辺が。まばたき出来ないんで、コンタクトレンズも出来ないし。

岸田 ドライアイになっちゃうから?

柴田 ドライアイ。目、開きっ放しで、まばたき出来ないので。

岸田 どうすんの、じゃあまばたき。自分で、手でやんの。

柴田 そう、もうなんか開きっ放しでした。でも、人間の身体が守ろうとするので、涙が出るんです。だから、その、タラタラって涙が出て来たりとか。あと、ご飯です。食べてたら食べこぼすとか。口が大きく開かなくて、そんな状態で。

柴田 顔面神経がまばたき出来ないので、コンタクト出来ないので、眼鏡をして。後は、外来化学療法室は、常にマスクして仕事するので、仕事中は気にならなく、マスクは当たり前だったので、顔、隠れるのは良かったですけど。

岸田 けど、今、結構まばたき出来てません?

柴田 今は、また後の、もう一回手術するんですけど、その時に、顔面神経再建術っていって、ふくらはぎから神経取って来て植え付けるっていう。その今まで動かなかった神経を、ふくらはぎの神経たちが。今、ふくらはぎの神経たちが、ここで私の顔を動かしてくれてるんです。

岸田 ふくらはぎの神経が、今、顔、動かしてるの。

柴田 顔、動かしてるんです、左の。

岸田 そんなん出来んねや。

柴田 凄いですよね。顔面神経麻痺で一つ良かったなと思う点は、しわは綺麗に無くなるんです、動かないから。それは、本当にまあ、ツルンとしたお肌でしたわ、当時は。

岸田 ありがとうございます。結構、またそこの顔面神経の話、後遺症のところでもしっかりまたお話を聞きたいというふうに思います。

柴田 で、そんな時に写真。

岸田 顔面神経が結構色々あったから。

柴田 それで、写真撮った時に、何か凄い顔で映ってたっていうのと、私、目がまばたき出来ない目を隠すために、こんな色付き眼鏡を使ってたんです。ちょっとでも隠そうと思って。何か、そんな色付き眼鏡かけた変なおばさんが写真に写ってるのを見て、凄い自分で改めて写真で顔を見ると、メチャメチャショックを受けてというか。

柴田 改めて、その時よりは、後々になってそういう写真を客観的に見た自分の姿を見て、その時が一番落ち込みました。

岸田 客観的に。確かに、それを自分で見て、あんまりマジマジ見ることって無いですもんね、そういう機会無いと。

柴田 鏡映ってる時って、どっちかっていうと、自分の都合の良い顔で映ってるじゃないですか。なんだけど、客観的な写真を見ると、こんな顔なんやと思って。

岸田 それで、結構ショックだったということですね。ありがとうございます。ちょっと、色々コメントいただいておりますので、コメント拾っていきたいと思います。よしさんも、『こんにちは。今日も楽しみにしております』。

岸田 つっちーさんも、『楽しみに待ってました』とか。まーしーさんも、『おはようございます』と。みかさんも、『おはようございます。雨ジメジメしてますね』っていうことで。そちら、雨のほうあるんですか、今。

柴田 曇りです、多分。

岸田 こちらは、まだ雨、降ってないかな。大丈夫です。そして、ともさんも『おはようございます。7月10日納豆の日』ということで。

柴田 納豆。

岸田 『猫舌堂のイイサジーお箸で納豆食べて、originとても贅沢な日曜日の朝です』というコメントもいただいております。『岸田さん、柴田さんおはようございます』だって、きゅーちゃんさん。ゆかさん、りょうたんさんも、『おはようございます』ということです。

柴田 おはようございます。

岸田 『ふくらはぎの神経さんは、良い仕事してますね』ということです、来ております。今、涙、拭かれたのもあれ?

柴田 これは、本当に乾燥してよく涙が出るんです、左だけ。

岸田 全然、拭きまくってください、本当。ありがとうございます。そして、その後どうなっていったかというと、2015年8月、ジャパンキャンサーフォーラムに参加してみたと。言ってみたということなんですね。

柴田 なるべくそういう自分ががんになったこととかを、周りにもお話し出来ずで。周りにも隠そうとしながら生活をしてたんですけど。自分ってこの情報が欲しかった、自分ってどうなるんだろう。耳下腺がんって教科書でも殆ど習わ無いですし、患者さんもそこまで会ったことないし、どんな経過を辿るんだろうって、漠然とした不安っていうのもずっと抱えながらも。

柴田 でも、自分もずっと、がん患者さんが通う部署で仕事もしたし、何か経験を役立てたいっていうのもちょっとはあって。ジャパンキャンサーフォーラムっていうのが、秋葉原で行ったことがあったんです。

岸田 これ、キャンサーネットジャパンさんが主催してやられている、がん患者さんだったり、そういったところの大きなイベントっていう形ですかね。

柴田 2回目だったんですかね、第2回だったかな、あったんです。そこに、たまたま、私が仕事をしてた時に、全然がんになる前の話で、一緒に仕事をしてたドクターが登壇するっていうので拝見して。何か、その先生も一緒に仕事しなくなって、色んな所に転々としながら、ここに出るっていうことを聞いて、凄い仲良しだったので、ちょっと会ってみようかなって、会いに行ってみようかなっていうところもあって、勇気を出して初めて1人で新幹線に乗って東京に行きました。

柴田 初めてです、1人で東京に行ったのは。メチャメチャドキドキしました。しかも、秋葉原って、凄い所っていう。

岸田 ディープな。ディープっていうか、僕らにとっては聖地ですけど。そこに先生に出会えるから行って、聴講してっていうふうなところだったりとか。

柴田 だけど、中々自分からは話しかけられなかったっていうか。先生って言ったんですけど、向こう、気付いてくれたんですけど。患者側、ドクター側って、何となくそういう線引きっていうのを感じて、凄い寂しくって。

柴田 凄く悲しかった時ではあったんですけど。あと、そこに頭頸部がんの患者会っていうので、ブースがあって。そこに会長さんが、フライヤーを配ってたんですけど。私も、実は、中々言い出せなくて。フライヤーだけもらって、何も出来ずに帰ったっていう。メチャメチャ寂しかった。

岸田 今のあっつんさんから見たら、全然そんな感じ、思わないですよね。

柴田 本当に、あの時は凄く私何も出来ないし、寂しかったです。悲しい気持ちで新幹線に乗って帰ったの覚えてます。

岸田 あーー、そうなのか。

柴田 それで、こういうのには2度と行かないかもと思ってました。

岸田 行かないかもと思ってて、この後、家族や友人たちと色々参加したりとか。もう、自分の満喫されてる感じ。

柴田 ちょっとずつ。がんのイベントではそうだったんですけど、周りの人たちとちょっとずつ、お友達との飲み会とかも、中々出来なかったんですけど、人と食事が出来なくなってたんですけど。

柴田 ちょっとずつ、気の知れた人たちとちょっとずつ、色んな所に行けるようになって来たかなというところ。フェスとかも、夏の、大阪万博公園の夏フェスとかにお友達と参加して、ビール飲んだり。イェイ、イェイとかしてましたけど。

岸田 そういうふうな感じで、エンジョイしてというか、いうことをしていて。その後、冬にアピアランスケアの研修受講ということで、これはどういうこと?

柴田 アピアランスって外見っていう意味なんですけど。外見ケア、医療者が行うアピアランスケアっていうことの研修会を、丁度、始まって間もなかったぐらいの時だったんですけど、私もこういう状況になったっていうところもあって、社会との繋がりと外見って、すごく影響する。

柴田 がんの治療したんだけど、その後の生活をするために、この外見、社会的なところっていうところは、大事かなって自分の中でも考えてて。したら、この研修があるっていうことを知って。自分だったら、経験者としてもだし、看護師としてもだし、なんか自分の出来ることはこれかもしれないって。

岸田 そうか、看護師でもあるから。

柴田 フォーラム見て打ちのめされて帰ってきて悲しい思いしたけど、そういうのでなんか自分が出来ることないかな。これ、私が出来ることかもしれないっていうので、研修を自ら申し込んでいきました。

岸田 どうでした、良かった?

柴田 良かったです。国立がん研究センターが主催でやるんですけれども、何かねえ、大事だなと思いました。

岸田 大事だなって。

柴田 あと、このアピアランス、外見に関して研修を行って、これから医療の中でも取り入れていこうっていうその方向性に、どっちかっていうと私は感動したっていうか。院長先生のお話を聞いた時に、何故か1人で涙が出てました。顔面神経麻痺かもしれへんのですけど。そうなんだ、そうだって。

岸田 どっちか分からへんっていう。

柴田 どっちか分からへんけど。

岸田 病院長の言葉で泣いてるのか、自分の顔面神経麻痺で泣いてるのか。

柴田 で、こんなんなってました。

岸田 はたから見たら、凄くめっちゃ感動してくれてるってなりますもんね。

柴田 ちょっとずつ、自分の出来ることをやろうって思って、思るようになって来たかなって時です。

岸田 研修終えて。その後、また次にジャパンキャンサーフォーラムもう一度行くんですかね、その翌年の。

柴田 そうこうしてたら、自分の病気って何だろうって情報が無かったので、インターネットとかで見てると、同じ腺様嚢胞がんの仲間、耳下腺がんに負けないぞってブログを書いてた仲間たちが、ジャパンキャンサーフォーラムに出るってブログに書かれてたんです。

柴田 これ、去年私が行ってくそ悲しかったやつだけどって思ったんですけど、これは絶対この人に会いたいと思って、気持ちは180度変わって、あのー会いに行きました。

岸田 初めて、同じ、がんの種類の人たちが集まるというふうに。

柴田 集まるということで。

岸田 それ、行ってみてどうでした、会えた? ちゃんと。

柴田 会いました、会いました。凄い嬉しかったです。感動しました。1人じゃなかったんだなと思いました。その時に、自分も1人で孤独を感じてたのかなっていうのは。

岸田 それで、ようやく仲間と会えて、行って良かったと。去年のジャパンキャンサーフォーラムとは全然違うという形で。

柴田 違う。頭の中にドリカムの曲が流れるんです。

岸田 ほう、何の曲?

柴田 『嬉しい!楽しい!大好き!』って歌が出る。ごめんなさいね。

岸田 全然。何でそれが流れんの。

柴田 やっとこういう人たちと会えたんだなっていう、そういう嬉しい、楽しいとかっていう気持ちになったなって。

岸田 自分の脳内でそれが。

柴田 そう、脳内で。

岸田 何かテーマ曲なんかなと思ったけど、そうじゃ・・・。

柴田 違う、違う。こういう時に、1人でずっと破綻してたところもあるなというところもあったので、変わりました。

岸田 コメントにも、『親しい医療者と患者の線引き、辛い経験ですね』だって。ゆっこさんから、『あの日、あの時ですね』ってコメントもいただいております。

柴田 あの時です。

岸田 そして、また2016年10月に研修で上京ということ、オフ会の開催があることと。

柴田 たまたま、私アピアランスケアの研修を受けてて、また東京に10月に行く予定があるんだっていうことをこのキャンサーフォーラムの時にお話ししてたら、じゃあこの日に皆なでオフ会をしようよって話になって。

柴田 チームACCっていうのを立ち上がった直後だったんですけど、初めて、そういう一緒に集まってお話しするカフェでも開こうっていうことを言ってくださって。初めて、その日に合わせて開催、お茶会じゃないですけど、ご飯、食べながらっていうのを開催してくださいました。

岸田 皆なで会って。本当に『初めて同じ病気の仲間と出会った時のことは、忘れない出来事です』とか。

岸田 『その一歩踏み出すのに、勇気がいりますね』という言葉もコメントいただいております。そこで、皆なで集まって、それも楽しかったですか。楽しいっていうと、何かあれかもしれないですけど。

柴田 笑いっ放しでした。凄い笑ってました、皆な、皆な。辛い状況の中、これから治療どうしようっていう方も来られてましたし。私みたいに、中々話せなかったって人もいますし。でも、何かずっと笑ってて。

柴田 何か、もう。安心して話せる、自分がこうやって食べる時とか、初めて、初対面の人とも一緒にご飯を食べることにはなるんですけれども、食べこぼしても大丈夫だし、分かる、分かるとか言ってから。ずっと笑ってました。

岸田 楽しい出来事だったんですね。ただ、その後、こちらのフリップになります。2017年3月、局所再発していくと。

柴田 同じ所に、また腺様嚢胞がんが発生しまして。

岸田 それ、取り切れて無かったってこと?

柴田 一応、断端陽性っていうところもあったので、再手術でしっかり取ったんだけれども、細胞って目に見えないものなので、ちょっと残ってたのかもしれないです。

岸田 そっかー、ちょっと。

柴田 それも、もう本当に、私、たまたま年のせいもあって物忘れが酷いからって、ちょっとMRとって貰うことになって。MRを撮ったら、MRIって。撮ったら、あら、ちょっと待ってよってなったんです。で、発覚。PET-CTとかも撮ったりとか色々したけど、これ再発かもしれないねって。でも取りましょうよって取ったら、再発だったっていう形で。

岸田 再発かもしれへんから取ろうってなったんや。

柴田 ただ、でも、腺様嚢胞がんって、これががんだってガーンって出ないんです。PET-CTでも何か微妙だなって、そんなんでした。

岸田 そんな感じなんや。もう、ガッテて分かるような感じじゃないのね。

柴田 分かる場合もあるんですけど、私の場合は、本当に大丈夫だと思うんだけどね、でも取ってみようかな、でも微妙だな。本当に、初めの初発の時もそうだった。良性かなっていう。本当に悪い、たちが悪いっす、本当に。

岸田 それは、腺様嚢胞がんは大体そういう感じ?

柴田 色々あると思います、それは人それぞれで。私の場合は、もうそんな感じだったです。で、手術と顔面神経再建。

岸田 さっきの顔面神経再建術、ふくらはぎの神経持ってきた。

柴田 そうです、この時にふくらはぎ登場です。その時までは、一回ちょっと切れた所を上手いこと再建出来てたので、そんなのは無かったです。今度は、しっかり顔面神経がつって一緒に、腫瘍と一緒に、ガッて取って、ウエーって。

岸田 それは、先生から提案があったん? こういうふうにしましょう・・・。

柴田 それは、形成外科の先生と一緒にしましょうって言ってくださったから、良かったです。形成外科の入ってもらえるんだと思うと、綺麗にしてもらえるはずって思ってて。

岸田 これ、結構時間かかった? 一緒に手術するんよね。

柴田 腫瘍を、まず耳鼻科の先生が取ります。その後、形成外科の先生にタッチ交代してします。神経のほうの手術のほうが、長く時間かかるので。腫瘍が2時間半とか3時間で取れたとしても、後の7時間は顔面手術。だから、10時間かかりました。

岸田 10時間かけて、手術。

柴田 一番は、神経取った所に、その神経の枝と枝がうまいこと合わさる所を探すのが、時間かかるみたいで。ふくらはぎをガッと切って、これぐらい傷があるんですけど、25センチぐらい。そっからここにふさわしい枝を取るのに選別するって言われました。それにうまく枝があれば良いけど。

岸田 無ければ。

柴田 その見分けるのもプロの技術みたいな、らしいです。知らんけど。。。

岸田 出た、関西人の知らんけど。

紫田 10時間かかったってことで、ふくらはぎの神経はここにあります。

岸田 けど、今はうまく動いてるってことは、良い枝を見つけて? その整形外科の先生が。

柴田 そうです。でも、7割ぐらい、ここの場所だったら、ここの部分はこうだけど、口の部分はもうこのまま上がらないかなっていうのは言われています。

岸田 神経再建術をして。ただ、その後の手術後の補助化学療法に悩むとありますが、これは何で悩むん? やったらええやんって思っちゃうねんけど。

柴田 これっていうのが無かったんですけど、放射線治療どうするかっていうところで悩んで。もう取ったから良いや。放射線治療受けるのが、ほんまにやっぱり必要なのかなって。エビデンスがないとかっていうのもあるけど。

岸田 エビデンス無いんや。じゃあ標準療法じゃないってこと? 標準療法っていうか、そういうガイドラインが無いのかな。

柴田 ガイドラインが無い。なんだけど、最近は、でも後で放射線当てたほうが良いっていうふうには言われて、段々来てたんだけど。当時は、微妙。本当に、人によって、施設によっても、先生によっても、見解が様々っていうところがあって。悩んだので、セカンドオピニオンとかにも行きました。

岸田 行ったんですね、セカンドオピニオン。

柴田 はい。3月に手術して、放射線、当てるまでに決まるまでに、2カ月ぐらいかかりました。悩んで。

岸田 セカンドオピニオン、どういう所に行って、どういうアドバイスを貰ったんですか。

柴田 セカンドオピニオンは、がん研有明に行きまして、大阪から。そこに行って、そこの先生に聞いて、放射線治療はしたほうが良いんじゃないっていうことがあったので、しようかなっていうのもあったんですけど。

柴田 それだけじゃなく、チームACCの仲間たちの情報集めながら、したほうが良いなっていう。皆なからの情報を基に決心したかなっていう。セカンドオピニオン、高かったです。

岸田 高かった。 いくらぐらいでした?

柴田 30分で3万ちょっとするんですけど、私、結構決断が10分ぐらいで、15分もかからなかったんです。セカンドオピニオン。自分、聞きたいこと決まってたんで。そしたら、この15分もったいないなと思いながら、どうしようってケチなこと考えてました。

岸田 関西人らしい。だって、30分3万やったら、10分、1万ですもんね。

柴田 そう。

岸田 最初の10分で終わったら、後の20分ね。

柴田 何とかして、この後の15分、20分、お話しをつなげたかったんですけど、つながらず。

岸田 話しつなげれず。

柴田 はい。

岸田 その次のフリップで、ただ、色んなオフ会で、結構色々な経験者の話を聞いたということで。

柴田 丁度この治療が始まる直前くらいに、チームACCのカフェっていうのがあったんですけど、そこで手術した後、放射線受けた人の話を聞いて、どういう経過を辿るのか。あんなの食べれた、こんなの食べれたとか、こういうところが辛かったとか。でも、大体これぐらいで回復したとか、実際の生の情報を聞くことが出来て、じゃあ私も頑張ろうって思ました。

柴田 ただ、化学放射線治療の予定じゃなくて、私、放射線治療の予定だったんです。ただの放射線だけ当てる予定だったんですけど、一番ピンポイントに当てるIMRTっていう放射線治療があるんですけど、それを受けるために別の病院に行った時に、そこの病院は化学放射線治療だって言われて、え、抗がん剤も入れるの?っていうのが、自分の想定の中には無かったので、そこでもメチャメチャ迷いましたし。

柴田 仲間の中では、化学放射線治療した人はあんまりいなくって。放射線だけ当てたとか、陽子線当てたとか、そんな方はいたんですけど。抗がん剤と併用でっていうのが、あんまりいらっしゃらなかったところもあって、一寸凄く不安だったので、何回も、何回も先生の話を聞きに行って、やっと決心しました。その仲間の情報と合わさって。

岸田 仲間の情報と、先生の情報とで、化学放射線をしたと。

柴田 メチャメチャ悩みましたねえ。

岸田 でも、最終的に何が決定打だったとか、あるんですか?

柴田 最終的には、先生が化学放射線治療する時に、抗がん剤を一寸入れることによって、効果が5パーセント上がるとか、効果が一寸でも上がるっていうデータを教えてくださったので、この5パーセント、10パーセントをどう捉えるかって考えた時に、一回手術して再発してる身なので、一寸でも確率が上がるほうが良いのかなと思って、決心しました。

岸田 ありがとうございます。医療の情報に関しては、皆さん、聞いてくださっている皆さんは、主治医だったり、その病院に相談して貰えたらと思います。あくまでも、今回はあっつんさんの例というふうな形になりますので。そして、化学放射線治療したという形で。その後、また8月にジャパンキャンサーフォーラムに行くというふうに。

柴田 そこで、チームACCのブースを出すということで、仲間にも会いに行きたいしっていうので。この時は、まだお仕事休んでた時なんですけど、東京まで行って、治療後のみんなと、治療頑張ったよっていうところで会いに行きました。

柴田 その時に、たまたま、初めてプロのメイクさんと、ヘアメイクさんが、プロのカメラマンが撮ってくださるっていうイベントを、その時初めてやるんですかね、あったっていうところがあったので。それがやるって聞いて、申し込んで、参加したっていうところです。写真撮るの、凄い怖かったんですけどねえ。

岸田 参加して良かった?

柴田 良かったです。一回自分の写真を見て凄い気持ちが下がってたことがあって。それからは、自分の写真を撮ってなかったです、怖くて。こんなん見たくないわ。だけど、プロの方にやって、凄くこれも勇気がいったんですけど、これに参加するっていうことにも勇気がいったんですけど。

柴田 ちょっと参加して見て、出来上がった写真を見た時に、何かこんな自分がいるんだっていうのを、術後初めて感じることが出来て。そこから一寸気持ちも前向きにドンドン変わっていったかなっていうのはあります。

岸田 ここから、ようやく前向きになって行くわけになるんですね。

柴田 少しずつ。

岸田 少しずつ。すいません、因みに一寸戻るんですけど、化学放射線治療っていうものに関しては、化学療法、抗がん剤治療と、放射線治療を同時にやるっていう感じ? それとも、抗がん剤治療を先にやってから、放射線治療をやるって感じ?

柴田 私の場合は、シスプラチンって化学療法の抗がん剤を、点滴を打って、1日だけ打って、放射線を打って。また何週間後に抗がん剤打って、併用でやっていくっていう形です。メチャメチャしんどかったんで、私の場合は、抗がん剤、一回だけで止めてもらいました。

岸田 大事、大事。

柴田 メチャメチャしんどかったです。

岸田 体調は、コンディションが良くないと、全部。

柴田 こりゃ、いかん。

岸田 そうなんや。

柴田 死んでました。

岸田 結局、放射線治療は、どれぐらいやったん?

柴田 放射線は、66グレイ、33回。だから、2カ月ぐらいかな。週5回行って。

岸田 やっていったと。毎日、病院で。

柴田 毎日、病院に通って。シスプラチンの時だけは、1週間入院しました。

岸田 ありがとうございます。そして、コメントも。『最初にイベントに参加した時は、かなり勇気が必要でした』とか。『仲間の情報大切ですね』っていう言葉もいただいております。そして、その次のフリップこちらになります。

岸田 ここからは、2018年、がんに関するセミナーなどに積極的に参加するようになっていくというふうな形で、そこからさっき言ったように、前向きになっていってという形ですよね。

柴田 自分に出来ることをやっていこうって思るようになって。勿論、その時に看護師として何か出来ることっていうことも、勿論あったので。そういうセミナー。だけど、がん経験者の人が登壇するようなセミナーとかにも、積極的に、時間作って聞きに行ったりとかしてました。その中にきっしーさんのセミナーもあったと思います、きっと。

岸田 本当ですか。あのー、適当なこと言ってなかったですか、大丈夫ですか。

柴田 凄く、ああ凄いなあと思って。

岸田 よう言うわ。

柴田 本当に。でも、がん経験を人前で話すって、凄いことだなって凄いその時も思ってて。凄い勇気がある人たちだなって。ただただ、それだけでした。

岸田 ありがとうございます。そこで、その後2019年企業チャレンジ制度に応募し、そして猫舌堂を2020年に設立されていくということなんですけれども。これも、セミナーなどに参加していったところから、応募して、設立していくことになるんですか。

柴田 そうです。セミナーとかも、自分が出来ることって、体験をドンドン発信することも大事だっていうことも学んだりしながら、病院で働く中では、私も体験しなければ分からないことは沢山あったので。これって、体験した人が発信していかないと伝わらないなってことを考えるようになって。

柴田 そのチャレンジ制度っていうのも、伝えることをまずやってみようと。そしたら、どういうふうな反応が伺えるか。どういうふうなふうに社会が変わっていくかとかっていうのもあって、一寸チャレンジっていう形で応募してみたってところがあります。

岸田 そこから猫舌堂の設立。ここについても、ちょっと後でまた色々お伺いしていきたいと思いますので、今、こういったものを活動をして。猫舌堂の簡単な説明だけ、お願い出来ますか。

柴田 猫舌堂は、生きることは食べることである。全ての方に食べる喜びをっていうところで、オリジナル商品とかコミュニティを通じて、食べる喜びを一寸でも感じていただけるきっかけ作りになるようなことをやっております。

岸田 その中でのカトラリーですよね。

柴田 フォークとか、オリジナル商品です。

岸田 ていうことで、ありがとうございます。そういった、今までのあっつんさんのこの闘病歴ということもあって。コメントでもいただいてます。『あっつんさんのご経験が、自分と重なるところが多くて。今日も、お話伺いながら1人ではないを感じています。発信大切ですね』と、いただいております。

岸田 そんなあっつんさんですけれども、闘病前と、闘病中と、闘病後の写真といったものをいただいておりますので。まず、闘病前の写真、こちらになります。

柴田 じゃん。これ、大阪マラソンの時の写真ですけど。

岸田 大阪マラソンと、ちょっとあれですか、テレビ局に勤めてる人みたいな。ディレクターのトレンディーな感じ。

柴田 凄いですよね。この衣装。一応、7レンジャーっていう名前で。レインボー、大阪マラソンって、7色、レインボーってところがコンセプトにあったんですけど。それで、7人で7色の7レンジャーっていうところで、こういうカラーの服を仲間の方が見つけて来てくださって、皆なお揃いのこの衣装で走りました。

岸田 それは、左のやつ?

柴田 左側。

岸田 左側のやつは、7色のレインボーのやつで、皆なで走ったと。右側のこのトレンディーな感じ?

柴田 右は、これはビール飲んでます。見たら分かると思いますけど。

岸田 普通にビール飲んでる。

柴田 大好きなドリンクを。これは、娘と一緒に恵比寿っていう所にちょっと行った時に、一寸エビスビールを飲んだという。あるんですよね、恵比寿っていう所にエビスビールが飲める所で、中々飲めないものがあるって所で、一寸行ってみて、一寸気取ってみたという。

岸田 元気な時は、そんな感じで。これは、柴田さんの別に手術する前なのでってことですよね、これが。

柴田 そうです。一寸、これ飲み過ぎで顔、むくんでますけど。顔面神経麻痺が無い時です。

岸田 そこから治療をしていって、こんな感じになっていきます。ドン。

柴田 左側が、これまだ手術、良性かなっていう手術の後で、悪性の手術の前です。なので、顔面神経は傷ついて無かったかなと思います。でも、こんな形でドレーンが首から入ってて、これドレーンバッグなんですけど。こんなんぶら下げて、記念写真をつけたというお調子乗りな感じなんですけども。こういう時なかなか無いので、こんなことをするのは。

岸田 右側は?

柴田 右側は、シスプラチンを打つ時です。入院の時です。2回目の再発手術した後なんですけど。なので、顔面神経も、ここ。

岸田 確かにちょっと。

柴田 腫れてる。腫れと麻痺とあって。今、点滴、これ何が、これはただの生理食塩水かな。時間なんぼになってるかな。生理食塩水かな。シスプラチンが、シスプラチンかもしれないです。これを。

岸田 入れてるところ。

柴田 入れてるところで。

岸田 どちらも同じ写真、角度から撮っている。

柴田 自撮りすると、同じ角度になるんですけど。

岸田 分かり易い。ありがとうございます。これは治療中。そして治療後がこの写真になります。

柴田 仲間と一緒にご飯食べれて、食べれないと思ってた、諦めてたハンバーガーにチャレンジしたぞっていうときの写真と、右がピアナースって、自分が出来ることは何か。出来たいな、したいなっていうので、がんを経験した看護師の会っていうのもあって、そういう所でピアカウンセリングナースの研修とかをやってたんで、ちょっとそれを受けて、受講したってときの写真です。

岸田 それで、今も活動をされているという形で。ハンバーガーは結局食べれたんですか、ちゃんと。

柴田 美味しかったんですよー。

岸田 良かった。

柴田 口に付けても、こぼしてもみんなと一緒だったら平気。何とか、皆なとだったら人の、周りの目を気にせず食べれたってところがあって。これこそ、食べる喜びってこれだなと思いました。美味しいねって言って食べて。これだ、食べる、美味しいってこれなんだ。誰と、どんな時間を過ごしたかなんだなって感じた時の思い出の写真です。

岸田 コメントでも、『夢を追いかける、あっつんさんがどんどん成長していくんですね』とか、『ビールが似合いますね』っていう。この組み合わせだと、ビールをメッチャ飲んでる人みたいになりますけど。ありがとうございます。

【家族】

岸田 そして、ここからは、各項目ごとで色々伺っていきたいということを思うんですけれども。まず、あっつんさんに、家族のことについてお伺いしていきたいということを思います。

岸田 まず、家族っていっても、自分のご両親だったりとか、あとは自分のパートナーだったりとか、あとお子さんのこととあったりするので、ちょっとそれぞれ聞いていきたいと思うんですけれども。自分のご両親だったりとか、そういうところに関しては、がんになったことっていうのはどのタイミングでどう伝えましたか。

柴田 私は、両親には絶対言いたくなかったんですよね。何か心配かけるっていう、かけたくないっていうのは勿論だったんですけど。何か、罰が当たったんちゃうとか、変なこと言われたら嫌やなっていうのもあったので、絶対言いたくなかったんです。

柴田 元気になったときに、自分は実はこんなことしたんだって伝えるつもりだったんですけど。いつの間にか、旦那が勝手にしゃべってました。何で言ったん?って。私も怒ったんですけど。母親には、何で言ってくれなかったのって泣かれましたけど。だから、察してよって思いながら。そんな感じでした。

岸田 まあねえ、旦那さんが言っちゃうパターンだったんですね。

柴田 多分、抱え切れなかったんじゃないかなと思います。今、冷静に考えると。その時は、何で言ったん?ってなりますけど、きっと自分、もっと辛かったんじゃないかなって思います。

岸田 周りとしては、何かあった時に、言ってなかったらちょっと心残りが残るというか、ちょっと罪悪感になるっていうのもあったかもしれないですよね。そして、じゃあ、旦那さんにはどういうふうに伝えましたか。

柴田 旦那は、もう先生から説明の時に。

岸田 一緒に行ってるんですね。

柴田 一緒に来たので。何か、旦那さんいっつも来てたんです。病院と会社が近かったから、お昼ご飯に来てたんで、毎日、旦那が。その時に。

岸田 何で、お昼ご飯食べに来るってどういうこと、あっつんさんとこに?

柴田 そう。お弁当持って、お昼ご飯。

岸田 めっちゃ仲良いやん。

柴田 仲良くない。

岸田 一緒に食べるってことやろ、だって。

柴田 そう。私は食べれなかったりするし、痛い、痛い言いながらやってたんですけど。

岸田 ああ、そういうこと。

柴田 何か、自分でお弁当買ってきて、ベッドの横にある、床頭台じゃないですけど、引き出し出したら机になるっていう。そこで、旦那がお弁当食べに来てたんです。

岸田 そういうことね。あっつんさんが、病院の看護師で、同じ病院で入院してるから、仕事してる時に普通に旦那さんも来て、一緒に食べてるのかと思った。

柴田 入院中。

岸田 入院中ね。

柴田 入院中で、来てたりしてたから、旦那さん今日は何時ごろ来る?って言うから、今日何時ごろでしょうねって言ったら、一緒に説明するから来たら言ってねって。ああ、なんか悪いお知らせでもするのかなって一寸思いながらも、一緒に聞いたので。

岸田 ということだ。

柴田 ていう感じです。説明聞いても、あんまり分かってなかったですけどの。はいはいって聞いてとか。その後、なので、一緒に聞きました。

岸田 じゃあ、次、お子さんは、お子さんにはどういうふうに。何歳だったんですか、お子さんは。

柴田 当時は、娘が高校3年生で、下の子が小学校5年生だったんですけども。娘のほうには、直ぐう旦那のほうから、すぐ、抱え切れない人やから、直ぐ言うんです。直ぐ言ってたみたいです。でも、息子は小学生なんで、どうしようかな、私から言うからあなたは黙っといてって言って。

岸田 何かのフラグじゃない、大丈夫?

柴田 大事だから、小学生だからちょっと待ってって言って、私が一回退院して、お母さんが家におる状況で、落ち着いたタイミングで、しかも学校から帰って来た後、この日は多分学校では何も無かったんだろうなとか、その様子を伺って、一緒におやつを食べる時だったかな。

柴田 ママ入院しとったやんって言って。何で入院してたかって言うと、実はなって、がんやってってん、話をしました、直ぐに。そんな長い時間なく。

岸田 反応はどうでした?

柴田 えー、そうなの。早く言ってえや、入院してる時に言ってえやって言われました。でも元気そうやんって感じ。私もこっから下はめっちゃ元気なので、なので、別に家にいて、ベラベラいつも通り生活してたので。なので、でも元気そうやんって言ってくれてたから、良かったなと思いました。すごく、こっちは凄い身構えて色々セッティングして、お話しはしましたけども。

岸田 じゃあ、長女さんのほうも、高3だったから別にそこは。

柴田 その子、その子の色々性格もあると思うんですけど、うちの子の場合は、皆なそういう感じで、軽く、スッと受け止めてくれたというところでした。

岸田 どうですか。逆にしんみりなるよりも良かった、柴田家的には?

柴田 全然、隠しごと、子どもに嘘付くなとか、隠しごとするなとか言ってるのに、親が隠しごとしてちゃ駄目だなと思うので、ちゃんと正直に話してとは思いました。

岸田 その後、色々病院に入院もあったりとか、通院もあったと思うんですけど、家事とかはどうしました?

柴田 家事は、化学放射線治療の時が、一番辛かったです。入院中は、皆な分担して、旦那とか子どもたちがやってましたけども、通院の化学放射線治療の時はほんまに辛くて。ご飯作るのも、ご飯炊く匂いが、オエみたいになったりとか。

柴田 ご飯作るのが嫌で、ずっとこんなしかめっ面でしてたけど、お弁当は何とか作りたいと思ってたので、休みながら。お弁当はちゃんと、ちゃんとっていうか手抜きなんですけど、作ったりはしてました。

岸田 何か頼るとかはしなかった? 自分で全部やった?

柴田 基本、うち、お掃除は旦那さんがしてくれますし、元々。お掃除大好きなんで。

岸田 分担して。

柴田 分担したんですけど、本当に朝も皆な送り出したら、ソファでこうやって死んでました。お昼から放射線治療、行かなきゃいけないって起きて。そんな感じです。

【仕事】

岸田 ありがとうございます。そんな中、今、家族のことでしたけど、次、お仕事のことといった中で、看護師の仕事もされていてといったところで。約3カ月ぐらいで復帰したんでしたっけ。

柴田 初めの時は。化学放射線、初めの時って、初発の時は3週間ぐらいで復帰しました。

岸田 3週間。

柴田 3週間です。

岸田 はっや。

柴田 でも、あと傷がってことと、あと休暇が無くなると、子どもの学校行事にも行けないしっていうのもあって。あとは、自分が抜けている分、皆なに迷惑掛けてるってところもあったので、早く復帰したいなっていうところで、初めの時は、早めに復帰しました。

岸田 初めの時は、別に、それはだって、看護師の仕事って結構体力使うじゃないですか。

柴田 そうですね。あと、手術の後遺症のことになるのかもしれないですけど、手術した後って、耳が聞こえ難いんです、左側。多分、液、中でまだ腫れが残ってたりすると、重くて聞こえ難かったりとか。あと、顔面神経の影響で、柴田が言えなかったんです。

柴田 しわた、ぱぴぷぺぽとか、ばびぶべぼが言いにくくて、しわたとなっちゃうんです。そうすると、電話も取れないし。あと、うち化学療法室で、時間きっちり管理しながら患者さんの薬剤投与とかをしてたんですけど、時間、タイマーとか付けてもタイマー聞こえなかったりとかするから。だから、本当にそれは大変だったのと。

柴田 あと、頭、頭痛とかがずっとあったので、常にお薬を飲みながらだったので。元々、看護師の仕事しながら、自分の体調よりは目の前の患者さんっていうところもあったので、自分が少々しんどくても、何とかお薬とかでコントロール出来れば、仕事してたところも、無理してたところもあったので。そんな形で仕事してました。

岸田 そっかー、それが、今の、一回目の手術の時の仕事ということですけれど、2回目の時はどうしたんですか。

柴田 2回目は、半年間休み頂きました。笑顔で仕事しなきゃいけないところもあるんですけど、辛い、辛い、絶対駄目だ、仕事にならないというところで、診断書先生に書いてもらって、半年間しっかりお休み頂きました。

柴田 なので、放射線治療終わって、2カ月ぐらいリカバリー期間としてプラスアルファお休みを頂いて。だから、3月手術だったので、9月に復帰しました。だけど、その後大変でした。休暇が無いので、自分がこの休み欲しい時に休み取ると、欠勤になっちゃうんです。

岸田 それ、分かるわ。

柴田 そうすると、お給料が凄い減るんです。その1カ月。生活がちょっと苦しくなったり、元々苦しい中、更に苦しくなってっていうところもあって。そういうことで、でも、それを仕事の仲間たちが凄く色々考えてくれて。どうやって、その休暇制度を上手く使えるかっていうのを凄く考えてくれたのが、凄い有難かったです。

岸田 効果あった、何か出来るようになった?

柴田 何?

岸田 いや、考えてくれて、色々やってくれたんやろ?

柴田 そう、そう、ずっと私が日勤、続いてると、そろそろ辛そうなことだから、この日に・・・。

岸田 そういう、シフト制やからな。

柴田 それで、ちょっとそろそろこの日落ち着いて、スタッフもう1人休み出しても良いんじゃないかっていう時に、柴田さんどうですか。ただ、休暇が無いけど、何かそろそろ生理になりません?っていう感じ。お腹痛いんですって言って、生理休暇とか取れるんですよね。

柴田 本当に有難い。そんなこと、中々してくださらないじゃないですか。それを、特別休暇、欠勤にならない休暇にしてくださったりとかを考えてくれたのは、メチャメチャ有難かったし、だからこそ、私は何か自分の恩返しとして、自分が出来ることとして、何かやりたいなって思うようになってっていうところも、関係してます。自分の活動とかには。

岸田 じゃあ、復帰してから、色んな休暇的なやつを、色々有効活用したってことですね。

柴田 してくださった、有難い。

岸田 してくださった。それは周りのメンバーの。

柴田 自分では言えないけど。

岸田 周りのサポートもあってというふうな感じで。

柴田 凄い良かったです。

【お金・保険】

岸田 良かった、良かった。ありがとうございます。そして、次のこのお金、保険というふうなところで、お金はついて回るところだと思うんですけど。

柴田 本当ですよ。

岸田 保険入ってた?

柴田 保険は、医療保険に入ってて。手術とか入院費が出るやつでした。がん保険では無かったので。その時は、がん保険って大事だな。自分はがんにならないって内心思ってたところもあったので。

岸田 皆な思うよね。

柴田 思う。がん保険、自分には関係無いなっていうのもあったんです。うち、がん家系じゃないしとか、勝手なことを考えてたので。なので、高額医療制度と、それから保険の入院保険、手術加算、手術特約ですか。というのを使いました。

岸田 じゃあ、金額的には、高額療養費制度を使って、大体1カ月8万いくらとか?

柴田 そうです。

岸田 3カ月目以降が、4万4000円とかになるやつだよね。

柴田 とか、あと、私は健康保険があって、うちの健康保険は、自己負担がいくらまでっていうのが決まってたので、それ凄い有難かったです。

岸田 自分の所属してる会社だったりとかに、いろんな。

柴田 あって。

岸田 それは、5万ぐらい? 3万ぐらい?

柴田 3万ちょっとだったかな。なので、実際自分が払うのは3万ちょっとなんだけども。

岸田 凄い。

柴田 そう、有難いことに。なので、自分が別の病院っていうか、化学放射線治療とかで、月上限額を払った時に、その差額、3万円との差額は返ってきました。めちゃめちゃ有難かったです。

岸田 それは有難いね。

柴田 後は、でも、ただ、シスプラチンとかで入院した時は、入院と外来とはそれぞれ払わなきゃいけなかったので、だから、倍払ってました、その時は。その制度、え、何で外来、同じ治療やのに入院の場合と外来の場合と違うのって、何か凄く大変でした。

岸田 ただ、一時的に払って、後で返ってくるから、最終的には3万円がその月数分って感じ?

柴田 3万が、2倍になるのかな。入院の場合と外来の場合とっていうところで。

岸田 それは別々で、それも3万なの、上限が。

柴田 だったと思います。

岸田 なんかね。医療保険も入ってたから、その治療の時はお金も出て。外来とか。

柴田 そうです。あとは、入院した時にがんの入院と、普通の。がんの手術と普通の手術とは、また手術加算の違ったみたいで、がんの手術だったから、ちょっと多めに手術加算がいただけたっていうところはあって。

柴田 その時は、がんで手術のほうが得やんって、その時思いました。どれも大変な手術なのに、切って。それってどの手術も一緒ぐらい出して欲しいなとかって思いながら、そういうのを思いました。あとは、個室に入ってたので、個室は自腹だったので、結局トントンになりましたかね、結局は。保険、出ても。

岸田 保険、出ても、それと3万プラス個室代だったりとか、色んなやつやってってことか。

柴田 保険は、でも、凄く大事だなと思います。

岸田 最終的には、100万ぐらいはかかってる?

柴田 かかってると思います。もう、計算してないですけど。

岸田 そうだよね、分かる。めっちゃ計算する人もいるから、もう、ちょっと現実見たくない的な。

柴田 知っておかきゃいけないんですけど。あとは、入院とか治療以外で色々かかることってあるんです。自分が入院するから、おうちの準備をするのに、ちょっと食べ物とか、日用品とかを多めに買っておくとか。

柴田 あとは、入院するためにいつもボロボロのパジャマだったけど、ちょっときれいなパジャマを買うとか。タオルとか、そういうものを準備するのもお金かかったし。私の場合は、眼鏡にお金を使いました。色付き眼鏡。

岸田 ほう。

柴田 その眼鏡。コンタクト使えないから眼鏡なんだけど、ちょっとでもすっぴんが綺麗に見えるように、レンズを色付けるとか、そういうプラスアルファの金とか。

岸田 大事。

柴田 何か、その日常生活にかかるお金って、凄くかかりました。

【辛い・克服】

岸田 ありがとうございます。そういうお金、保険。それでも、医療費的にはトントンで、プラス生活費がかかっていったということですね。ありがとうございます。そして、次に辛い克服という中で、あっつんさんがこの時辛かったなってタイミング、いつでした?

柴田 辛いのは、自分の写真を見た時とかです。がんになったとか、そういうことじゃなく。一番自分がうわって思った時は、映った写真を見た時。私って、何か凄く良からぬ病気になったのかもっていうところで、そういう姿を見ることによって感じた。

岸田 それをどう克服って。克服するのは、写真見たら、写真ー。

柴田 ひろしーって、ちゃう。それ違う。克服しようとは思わないし、いつの間にか克服してたかなと思いますけど。克服してないと思います、今も。

岸田 してない。けど、見れるんでしょ、普通に見ても。

柴田 今も、さっきの中にも写真のイベントがあってからは、これが本当の姿の私みたいな。今、映ってるこのこれは仮の姿みたいな。あとは、同じ境遇の仲間たちと交流が、支えになって。なんか大したことないやんって思るようになるっていうか。

柴田 自分の人生の中で、そういうところに時間を取るぐらいやったら、もっと違うところに時間を使いたいなっていうのを思るようになったっていうところですか。

【後遺症】

岸田 ありがとうございます。そして、次、後遺症のことについて、ちょっと伺っていきたいと思うのですが、改めて、後遺症について、色々あるじゃないですか。さっきの顔面神経の話だったりとか。そこのところから、今の活動にも繋がっていってるかと思うので、一寸そこのところ深く聞きたいのですが。後遺症、何がありますか。

柴田 後遺症は、ここの傷とか凹みとか。外見もそうなんですけど、ご飯を食べてたら、噛み難かったりとか、口が開き難かったりとか、飲み込み難かったりなんですけど。食べてたらポロポロこぼれたりとか、口の周り付くんです。

柴田 この前も、知らん間にこぼれてて、シミになってて、シミが取れなくなったりとか。洗濯しても取れなかったりとか。黒い服が良いなと思いましたけど。ちょっとでも薄めの服にすると、シミが出来ちゃうから。食べることの後遺症っていうのは、一番生活に繋がる、影響を及ぼしてます。外見と、食べること。

岸田 食べること、そのポロポロ、知らん間に。だから、神経が無いから感じひんってことですもんね。一応、感じはすんの?

柴田 いや、でも、痺れてる所はあるのでそれもあるんですけど、動きが悪いからかな。

岸田 そういったところを、あっつんさんはそういう顔面神経麻痺のある人だったりとか、そういう頭頸部のがんの人たちが食べやすいようなものを、そういう後遺症を持ってる人たちが食べ易いものを開発されていったんですよね。

柴田 その仲間たちのお話の中で、食べることって一番辛い、大変だ。QOLに影響があるってことをお話の中で、皆などういうふうに工夫してるかってお話の中で、食べ物ももちろん形状が工夫されたものは沢山あるんだけど、形状って、何か凄く見た目からしてテンション上がらなかったりだとか、凄い悲しい思い、自分だけ違うものを食べているとか。

柴田 あと、食べ易いものだったら、プラスチックの長いお弁当用のものをケースに入れて持ち歩いてるんだけど、プラスチックだったら凄く味気無いし、自分だけ違うものを使ってるって、お店の人からも覗かれたりして、社会からの疎外感を感じたとか、そんな話は沢山聞く中で。私も、スポーン、フォーク、もう大き過ぎて、カレーが好きなんです。

岸田 カレー、美味しいもんね。

柴田 カレーを食べ歩きしてるんですけど、カレースプーン凄く大きくて、一寸小さいスプーン貸してくださいってなったら、ティースプーンとか出て来たりとか、子ども用出てくると、益々食べ難かったり。

岸田 小さいやつは無理よな。

柴田 何でこうなんやろなと思って、凄くスプーンに関しても、凄く食べ難いよねって色々買い集めたりしてたんですけど。何か、これって言うのが無いって話もあって。そうだよねって、皆なもそういうことを考えてて。

柴田 無かったら作ってしまおうかってところが、まず一つのアイデアの一つなんですけど。何で、こんなに大きいの、世の中のスプーン。調べたけど、その大きさに関する根拠ってあんまりなかったんで。

柴田 それやったら、みんな都合の良い者を皆なで使ったら、自分だけが特別な扱いを受けることなく、介護用とか嚥下用とかそういうスプーンを使わなくても、皆なで楽しく食事の時間を過ごせるんじゃないかなっていうところが、今の事業、オリジナル商品に繋がった経験です。

岸田 それで出来上がったのが、今、見せれる?

柴田 はい。こういう形なんですけど。どこが違うねんってことになるんですけど。ここの幅が狭くて、薄くて、先に向かって平らになってるんですけど。フォークも、尖ってない、先が丸くて、幅が狭くて。

岸田 しかも、フォークも、確かに隙間が半分までなんですね。

柴田 隙間っていうか、幅ですね。ていうものが出来たんですけど、これは別に何々用とか、がんで手術したから食べ易いよとか。勿論、食べ易いんだけれども、皆なで使っていただきたいなってところで、こういうピンクゴールドの美しい輝きのあるものを、高級なものを作りました。

岸田 高級。

柴田 オシャレな物。オシャレで、高級で、社会に溶け込むっていうところで、新潟県の燕市の職人さんに1個ずつ作って貰ったっていうところで。皆なが、良いねって思えるもの。実は、こういう状態の人でも凄く食べ易いし、自分が年取って飲み込み難くなっても、これがあるから何の違和感もなく生活出来るってところで。

岸田 僕も使ってますけど、僕も大きいスプーンでカレーを食べる、いつもずっと食べてたんですけど、それに変えてからよく噛むようにもなりました、毎回。

柴田 丁度良い量が口の中に入ると、ちゃんと人間噛むんですよね。沢山入ると、多分噛み切れないまま飲み込んでるパターンが多いんじゃないかなと思いますけど。

岸田 胃腸に優しいいことしてるなっていうのは、ちょっと食べながら思ったりはしてます。

柴田 ありがとうございます。

岸田 ほんと、おしゃれなんで、また皆さん見て見て貰えればっていうことで。

柴田 この月見桜です。ピンクゴールド。

岸田 お箸も最近ありますよね。

柴田 はい?

岸田 お箸も無かったでしたっけ。

柴田 お箸もありますイイサジーお箸。お箸も、メチャメチャ、スプーン、フォークだけじゃないです。お箸も割り箸だったら食べ難かったりっていう、仲間たちの声で、口当たりに良いものを職人さんに、熊本県の職人さんに作って貰ってるんですけど。

柴田 竹で出来たお箸で、軽い。軽いのが。本当に放射線で食欲が無い時、もう、一口、口に入れるだけで、本当に大変やったんです。一口が大変やったんです。今も、夏バテで食欲無い方もいらっしゃると思うんですけど、そんな状態がずっと続いてたってところで、軽さに拘わってます。

岸田 ちょっと、テレビショッピングっぽくなってたんで。

柴田 そうじゃないです。

岸田 でも、まだお箸買ってへんから、今度お箸、使ってみようかなと思います。

柴田 お箸、ありがとうございます。

岸田 ちょっと、コメントもちょっといただいておりますから。

柴田 すいません。

岸田 ちょっと読ませていただきます。つっちーさん、『子どもに伝えるのは凄く悩みました』と。『4年6カ月かかった』というつっちーさん。ゆうこさんは、『職場のチームワーク素晴らしいですね』とかだったり。

岸田 りんさんは、『本当お金かかりますよね』っていう、生活費とかで、だったりとか。なつみさんも、『日常にかかるお金、馬鹿にならないですよね』と。りょうたんさんも、『黒い服分かります』ということで。『スプーンもアイスを食べるのに最高です』とか。

岸田 りょうたんさん、『顔面神経麻痺があると、フォークが凶器になることもあるんですね』。そうなの? 『イイサジーは安心して使えます。職場でも違和感なく使えることもうれしい』というこれ、なんか、あれですね。テレビショッピング的な購入者の声みたいなの出てますけど。そうなん、凶器にもなり得るの?

柴田 なります。先が尖っていると危ないですよね。

岸田 神経麻痺だと、それで。

柴田 感覚が無いので、気付いたら。

岸田 ガサっといってる。

柴田 血が出てるとか。

岸田 分からへんもんやな、実際なってめえへんとな。

柴田 皆ながこれ使ってたら、実際なってもなんの違和感もなく生活出来ると思いますけど。私、テレビショッピングになっちゃうから止めておく。

【反省・失敗】

岸田 良いんですけど、時間もあるから。次、反省、失敗といった中で、色んな数々の粗相を犯して来たと思われる、嘘。色んなハプニングがあったと思われる柴田さんの反省、失敗何かありますか。

柴田 失敗は、沢山あります。本当に、がんになる以前からも、私はそういう人生を歩んでいるんですけれども。でも、別に失敗したっていいじゃないというところもあるので。何とかなるっていうのもあるので、今、別に後悔したっていうのは、今の時点ではあんまり無いんですけど。一つ言うと、眼鏡に色を付け過ぎたかなって。

岸田 あるやんけ。眼鏡に色、眼鏡ある、今?

柴田 あるんですけど、ちょっと麻痺を隠そうと思って、こうやったら凄い不自然な色になるから、逆に、どうしたん、その眼鏡?って逆に見られたくないからこういうふうにしてるのに、逆に視線を浴びるようになって、これ失敗でしたわ

岸田 もうちょっと薄かったら、あれやねんけど。結構、中々いくと、サングラスなのか、ちょっと微妙なラインになってきますしね。

柴田 それやったら、もっと濃くしたほうが良かったのかもしれないです。

【医療者へ】

岸田 逆にね。ちゃんと皆さん、この、後のことも考えて、ちゃんと買うようにしましょう。ありがとうございます。そして、その次は、医療者へというふうなところで、あっつんさん自身も医療者かもしれませんけれども、改めて、治療してくださった医療従事者の方に、別にありがとうございますでもいいですし。

岸田 逆に、医療者側だからこそ、いや、こういうこともう一寸やって欲しかったとかあれば、教えていただけないでしょうか。

柴田 やあ、もう本当に、治療に当たってくださった先生方とかには、本当に感謝しかなくて、ありがとうございます。どうか、心と身体だけは大事にっていうところで、本当に思います。

柴田 でも、やっぱり、これから私たちみたいにがん経験をした人が、こういう所でお話ししたりすることがあるので、そういったところも、生活が続くっていうところの中でも関わっていただけると嬉しいなっていうところもあります。

岸田 生活のところまでも、だから病院とかだけじゃなくってこと?

柴田 そうですね、中々難しいとは思うんですけど、病院も忙しいし、治療とか、それぐらいのとこにしか焦点が当たらないかもしれないんですけど、1人の人間として、患者さんではあるんですけど、患者なんだけど、1人の人生を抱えた人間というところで、その人の生活がある。

柴田 その人なりの生活を良くするためにっていうところを、医療の中で取り入れてもらえると嬉しいなっていうのは。それやってない、出来てないとかそういうのではなくて、自分が思うのは、そういうのが理想だなってところです。

【Cancer Gift】

岸田 ありがとうございます。一人一人の人生がありますから。そして、その後、キャンサーギフトといった中で、がんになって得たこと、得たものについてお伺いしたいんですけれども。得たものは何でしょうか。

柴田 がんになったことで、失ったものとか、沢山あるし、凄い理不尽な思も沢山してるし、成りたくなかったですけど。がんになって知り合った仲間たち、こういうところで、きっしーさんもそうなんですけど、そういった素敵な出会いがあったってことには凄く感謝してるし、私の人生の中で宝となるかなって思ってます。

岸田 出会いとか、色んなそういう。

柴田 出会い。

岸田 こういうこと無ければ、こういうふうに出ていただいてないですし。

柴田 出会いとか、気付きとか、気付け無かったこともあるし。

岸田 気付け無かったこと、例えば?

柴田 気付け無かったこと、例えば。

岸田 自分で言ってんで?

柴田 自分が病院で看護師をしてる中で、患者さん、自分が経験をしたことによって、大事なことなんかなって。家族だったり・・・。

岸田 じゃあ、患者さん側のことだったりとかも、ちゃんと分かって仕事が出来たと。

柴田 人と人なんだなって。さっきもちょっと言ったように、その人の人生を抱えた、ただ病気の患者さんじゃなくて、その人っていうところです。

岸田 ありがとうございます。そういう失ったもの、勿論、神経も失ってますし。

柴田 はい、失ってます。

【夢】

岸田 その中でも得たことっていうのは、そういうことだったということです。ありがとうございます。そして、この項目としては夢というふうなところ、最後のほうなんですけど。夢のことといったところをお伺いしたいんですが。柴田さん、あっつんさんの今後の夢っていうのは、猫舌堂の東証1部上場?

柴田 そうですね、やっぱり、もうそうです。違う。気軽にフラっと立ち寄れて、一緒に食事をしながら、あるあるって話しが出来るような、そんな場所を作りたいっていうふうにずっと前から、本当はそこに向かって進んでいけたらと思うので、そういったところ、カフェを作るところが夢です。

岸田 カフェ作るとこも夢なん?

柴田 本当はそこなんです、私がやりたいのは、気軽にフラっと立ち寄れて、食事も出来るっていう所。何気無い、何相談して良いか分からないとか。相談支援室とかあるけど、そこの相談支援室で何をしゃべったらいいか分からなかったりするじゃないですか。そこで、フラっと来て、何か話すことによって、自分はこういうことに悩んでたんだとか、そういうことを感じられる。1人じゃないってことを感じられる、そういう所を作りたいなって思ってます。

岸田 じゃあ、最終的には、もしかしたら猫舌堂カフェが出来てるかもしれない。

柴田 猫舌堂カフェを作りたいです。そのための今プロセス、プロダクトだったりしますので。

岸田 因みに、だから、またちょっと余談にはなりますけど、さっきのイイサジーとかも、この前国立がん研究センター東病院って千葉にある病院にホテルが出来たんです、敷地内に。病院とホテルが本当に側に出来たんですけど。そこのホテルにも、イイサジー導入されたんですよね

柴田 そうなんです。使えますので、宿泊された方、是非。レストランでも使えるみたいなので。あと、コンビニにも販売してますんで。

岸田 ガーデンホテルで導入してくださって。

柴田 はい、有難いです。夢に近づくためには、まずこのスプーン、フォークをヒットさせなければ、その夢には届かないので。またショッピングになっちゃった。

岸田 そこだけちょっと、後で皆な早送りしてもらって。嘘、嘘、嘘。ありがとうございます。そんな乗りにも付き合っていただいて、ありがとうございます。いつかちょっと、カフェ出来たら、皆なで行きましょう。

柴田 宴会しましょう。

岸田 宴会ね。カフェで宴会っていう。居酒屋じゃないっていう。

柴田 ビールは必ずあるので。

岸田 ビールは必ず。コメントでもいただいてます。『猫舌堂カフェ出来たら絶対行きます』とか。『新幹線に1人乗ってから、今じゃ、どこでも1人で行かれるお忙しいあっつんさん、お身体に気を付けて頑張ってください』ということでございます。

柴田 ありがとうございます。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 最後、ペイシェントジャーニーを、ちょっと最後、皆さんと画面共有をさせていただきます。ペイシェントジャーニーといった中で、一寸今日の話のおさらいというか、ちょっとお話をやっていきたいと思います。

岸田 まず、大阪マラソンに出場して、その後左耳の耳下腺にしこりが出来ていて、病院では良性だろうと思われていたけれども、結局は、それが取ってみたら悪性だったという告知になってきます。その後、約3週間で職場復帰したんですけれども、その時は、あんまり顔を見られないようにもしてたんですよね。

柴田 あまり、はい、そうです。マスク生活です。

岸田 マスク生活をして、この時に眼鏡を買った。

柴田 眼鏡と。

岸田 買って、逆に注目されると。そこから下がっていきますが、卒業式、娘さんの。娘さんの高校卒業式が嫌だったんじゃなくてってことですよね、下がってるの。

柴田 そうです。卒業は嬉しかったですけど。

岸田 卒業せんといてってことじゃないですよね。因みに、これ赤色がポジティブで、青色がネガティブで、白色が普通の出来事というふうなところを入れております。その後、一番下がっているのは、一番最初のジャパンキャンサーフォーラムというイベントに日帰りで参加して、線引きが明確になったと。医療者と患者の。

岸田 そこから上がっていきます。家族や仲間との旅行。ただ、上がって行くんですけれども、ネガティブの事象なんですね、あっつんさん。

柴田 何か前向きとか、そういうのでは無く。悶々としながら生活してたのかなと思います。何だろう。

岸田 悶々としてた。で、そんな中で、アピアランスケアという研修を受講していって、勉強をし、その後、初めてジャパンキャンサーフォーラムで、腺様嚢胞がんの患者さんたちの仲間と出会う。その後、オフ会に参加して、親交を深めていきつつ、また次、下がっていくのは、局所再発をしていくといった所からです。

岸田 そこで手術をしていくんですけれども、悩まれていくと。手術の後の化学放射線をするか、しないかと。そういったところも、化学放射線治療を仲間の話を聞いたりとか、セカンドオピニオン行ったりだとかして、決心をしていって、化学放射線治療をしていったということ。結果的には、化学放射線治療をして良かったんですか。

柴田 今のとこ。

岸田 再発無くて。

柴田 しなくて5年経ちましたので。お陰様で。

岸田 その後、ジャパンキャンサーフォーラム、イベント参加したり、がん関連のイベントに多数参加して。そして、企業チャレンジ。この企業チャレンジは、珍しいんですけれども、あっつんさんの病院の中での企業チャレンジ?

柴田 病院が親会社があって、その親会社での企業チャレンジ制度っていうのに応募して。病院のスタッフも参加出来るっていう制度でした。

岸田 親会社のチャレンジに応募して、それ通ったんですよね、勿論ですけど。

柴田 はい。審査に通って、その間も色々やって、実証実験とか行って、設立。

岸田 設立して、今、3周年になっているというふうな流れになって来ております。この勢いで、色々、ペイシェントジャーニー伺ってまいりました。そんな中で、こちら、色々言っていただいた中で、この日帰りで参加した時は、本当に一番下がっていったんですね、あっつんさん。

柴田 そうですね。その時に、写真見て辛い思をしてるんですけど、何となく、社会的な自分はがん患者なんだっていうところで、何も出来ないっていうところが、一番落ちたときなのかなと思います。

岸田 その後、段々色んな活動にも参加して、最初は一歩踏み出すのは怖かったけれども、今では、色んな活動に参加されているというふうな、このペイシェントジャーニーという形でございました。ありがとうございます。

柴田 ありがとうございます。

岸田 ここからは、ちょっとインフォメーションになります。まず、がんノートをご支援してくださっている、「生きる」を創るAflac様。そしてIBM様。そしてI-TONGUE様。いつもご支援ありがとうございます。また、見てくださってる皆さんも、本当にいつもありがとうございます。

岸田 そして、次回は、この方をゲストにお迎えしたいということを思っております。ドン。乳がん経験者の古川愛さんでございます。古川さんもがんを経験して、その後、どのように進んでいったのか。是非、8月14日、お盆の時ではございますけれども、もし、午前中時間が空いてたら、見て欲しいなということを思っております。

岸田 そして、こちら皆さん、見てくださってる皆さん、もし良かったら、この後、ゲストの柴田さんにメッセージを入れるURLリンクを、こちら概要欄だったりとか、コメントの所に貼らせて頂きますので、こちらをちょっとクリックして頂いて、柴田さんにメッセージを頂けましたら、それを色紙調にして、明日以降に、ちょっと柴田さんにお届けしたいと思いますので、画像ではございますけれども、皆さん是非、是非感想などをそちらに書いてもらえたら嬉しいなということを思います。

【今闘病中のあなたへ】

岸田 といった中で、最後の最後の項目になってまいりました。あっつんさん、今闘病中のあなたへ、この放送を聞いてくださっている闘病中の方に向けて、あっつんさんからこの色紙をいただいております。こちらになります。『1人じゃないよ』という言葉であります。こちら、改めて、あっつんさん、この言葉の意味だったり、色んなことご説明お願いします。

柴田 私も1人じゃないよと思たことで、自分が出来ることは何かないかって思るようになって来たっていうところがあるので、その人らしく、自分らしく生きるために、生きて欲しいなと思って、皆さんに『1人じゃないよ』と伝えたいなと思います。

岸田 今、あっつんさんも、最初のさっき、一番下がっちゃった所っていうのは、本当に1人で行って、1人で帰ってってことでしたけれども。ただ、仲間とイベントで出会って、そこからはもう、変わっていったってことですもんね、気持ちも。

柴田 はい、全然違います。

岸田 だったりとか、自分一人で抱え込まず、周りに、それは別に患者さんでも良いし、患者さんじゃなくても、病院の相談支援センターだったりとかでも良いですしね。

柴田 その出会いとか繋がりが、1人じゃないよって感じたところで増えていったところが、生きる力になっているって日々感謝しています。

岸田 ありがとうございます。あっつんさん、メッセージとか来たけど、大丈夫そう?

柴田 何か聞こえます?

岸田 聞こえたけど。大丈夫。

柴田 オフにしとかなあかんね。

岸田 最後、コメントいただいておりますので、読んで終わっていきたいと思います。ともさんから、『ここに行けば、何だかホッと出来る自分の場所を感じられる場所、そういう場所があるんだって知っていただけでも、とても大きな力になりますよね』と。『だから、そういうカフェとか出来たら、是非そういう所もお使いになって欲しいと思うし、次回も楽しみです』という言葉もいただいております。

岸田 これにて、もう90分のがんノートoriginは終わっていきたいと思いますけれども、どうでした、90分、あっつんさん?

柴田 あっという間ですね。お手洗い心配しましたけど、何とか持ちました。

岸田 そう、放送前に、もしかしたらお手洗い、行くかもしれへんっていうこと言ってたんですけど、何とか膀胱が持ちこたえてくれたと。

柴田 持ちこたえました。 膀胱よ、ありがとう。

岸田 はい、ありがとうございます。それでは、これにて、がんノートorigin終了していきたいと思います。皆さん、では、また次回お会いしましょう。バイバイ。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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