目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:小宮

【オープニング】

岸田 はい、それではがんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは小宮さんです。よろしくお願いします。

小宮 よろしくお願いします。

A- なんのお手伝いをしましょうか。

岸田 ちょっと待ってください。いきなりなんのお手伝いしましょうかって、アップルウオッチさんから言っていただいてますね。

小宮 ナイスウオッチですね。

【ゲスト紹介】

岸田 ちょっと黙っておいてもらえるとすごくうれしいなと思います。ありがとうございます。はい。では、そんな中で。早速なんですけれどもちょっと私の自己紹介をしていきたいと思います。岸田と申します。27歳と25歳のときにがんになりました。今、がんノートの代表理事ということで、きょうはMCを務めさせていただきます。

岸田 きょうの、その中で、ゲストは小宮さんでございます。小宮さんのちょっと紹介をさせていただきたいんですけれども。東京のご出身で茨城に住んでいらっしゃると。会社員といったことで。趣味は音楽ということなんですけれども、音楽っていうのはどういう音楽をお聴きになるんですか。

小宮 今、会社員、やってるんですけど。その前にちょっとだけ音楽のマネージャーをやっていたことがありまして。

岸田 何それ。マネージャーを。

小宮 もう下っ端の下っ端ですけど、そういう経験もありまして。なんで、本当に雑多に何でも聴きますし。ライブからクラブ系から何でも聴きます。最近はファットボーイスリムのアルバムばっかり聴いてます。

岸田 すごいいろんな。すごい衝撃的。初っぱなから、邪魔されていたという。衝撃的っていうと、誰も使わなかったこの写真もなかなか衝撃的なんですけど。

小宮 そうなんですね。

岸田 これの写真は治療中のとき?

小宮 はい。38歳に発症したんですけれども、そのときに自分の写真を撮ったときのものですね。この1時間後にはもう坊主になってました。

岸田 あれですよ。わざとこれでっていうんじゃなくて。小宮さんにプロフィール写真くださいって言ったらもうこのときしか自撮り撮ってないっていうことでね。ここに置いてあるということですから。

小宮 失礼いたしました。

岸田 いえ。なかなかすごい、くる写真やなと思って。そんな中でステージ。急性骨髄白血病ということでステージではなく。告知年齢は38歳、そして現在の年齢は40歳ということになります。2年前なんですね、治療は。

小宮 はい。そうです。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そして治療方法は手術、移植、放射線治療といったところで。いろいろちょっとまたお伺いしていきたいと思います。そんなどうやってお伺いしていくのかというと、ペーシェントジャーニーというものを使っていきたいと思うんですけれども。

岸田 上に行けば行くほど気持ちが上がっていく、下に行けば行くほど下がっていく。そんな中で右に行けば行くほど時間の経過といったものを表しています。

岸田 そんな中で吹き出しといったところでポジティブなこと、ネガティブなこと、どちらでもないこと、そして治療などっていったものをこの色で表しておりますので参考までにと。ていうことになります。

岸田 そんな小宮さんのペーシェントジャーニーこちらになります。どん。ということで。結構いいときも悪いときもあるようなペーシェントジャーニーということになりますけれども。まず早速初め一番上がっていたときというのは、友人と忘年会ということで。ご友人たちとね。それはコロナ前ですもんね、2019年ということは。

小宮 ちょうどまだ始まる4カ月前ぐらいですね。楽しく過ごしてました。

岸田 楽しく過ごしていた。そこから一気に急転直下ということに何があるのかというと、インフルエンザと副鼻腔炎。ダブルパンチみたいな。

小宮 そうですね。忘年会なんですが、これがちょうど正月1月2日にインフルエンザに発症しまして。そのまま。年明けから結構大事な仕事とかもあったんですけれども、インフルエンザがずっと終わらず。そのまま副鼻腔炎で頭痛とかもひどくてなかなか出社ができない状態が続きました。

岸田 それきついですね。今からするとそれってがんと関係あるんですか。

小宮 関係あります。実はこの忘年会の前の12月の前半に健康診断を受けてるんですね。健康診断の結果、この時点では分からなかったんですけど、実はここの段階でもう、要は白血病の疑いがあるような数字が出ていたので。要は免疫力が低下していたっていうのは後から分かりました。

岸田 そういうことね。そういう症状あったってことですね。免疫力が下がっていって。そんな中で、歩行困難ってなかなかなワードですけど。歩行困難になっていってーの救急車で運ばれーの入院しーのみたいな。これがもうそのときに一気に押し寄せた感じ?

小宮 そうですね。インフルエンザになったのが1月で、その後、またちょっと出社をしてたりしたんですけど。この歩行困難になったのが3月になりまして。ちょうどコロナが始まるぐらいのタイミングだったと思うんですけれども。

小宮 そのときに仕事をして、通常歩いて電車とかに乗ってるんですけれども、地下鉄の階段が全く歩けなくなってきたりとか普段30分で行けるところが1時間半かかってたりしたんですよね。

小宮 なんか足が痛いなって思いつつ、お風呂とかもう熱々のお風呂とか入ってごまかしたりして。ちょっと仕事、穴、空けらんないとかっていうふうにやっていたんですけれども。ちょうど3連休が始まる前の日に夜中に熱を測ってみたらもう40度近い熱が出ていたので、もうこれは無理だと思って救急車を呼びました。

岸田 救急車呼んで、それで運ばれて。そして行ったらもう即入院。

小宮 はい。血液検査の結果を見たら。足の痛みもそうなんですけど、そもそも血液検査の値がもう異常値だったので「そのまま入院です」と言われて。

小宮 翌日にはもうちょっと大きい病院に。初めて救急車で高速道路を乗りました。そのまま転院して1日も、なんで、帰れずにそのまま入院生活が始まったっていうことですね。

岸田 それはもうやばいなっていうのは、もちろん救急車呼んでる時点で感じてるわけですよね。歩けないし。

小宮 ただ、帰れるとは思ってました。夜中ですけど、帰れるとは思ってました。そんな想像力はなかったですね。

岸田 さすがにね。もう全身倦怠感とかもすごい感じ? このときは。

小宮 どちらかというと足の痛みっていうのが。後から蜂窩織炎っていう太ももに入るウイルスによるものだったんですけれども、そこの痛みが尋常じゃなくて。歩行困難なんていっても何とか歩けてた状態がもう全く歩けない状態だったのと、あとはもう高熱でうなされる状態で寝れなかったので。今、思えばちょっと我慢し過ぎてたなと思います。

岸田 で、すぐ即入院し、その後、薬物療法。告知とかっていうのはないんですか、特に。

小宮 一応。もう救急車で運ばれて血液検査を受けた段階でおそらく血液の何かしらの病気だろうっていうことは言われて。その転院したところで即座に検査とかをした後に白血病ですっていうような診断をされました。ごめんなさい。ちょっとすぐに。それで薬物療法がすぐに始まったっていう感じですね。

岸田 じゃあもう、がんなんだ白血病なんだとかっていうのを考える間もなく、すぐ全部やっていった感じですか。

小宮 そうですね。気持ちが追いつかないぐらいのスピードでいきましたね。妻もよく分からない状態で。取りあえず、みんな分からない状態でスタートしたっていうところですね

岸田 スタートしてって薬物療法。これは緩解導入療法っていって後で移植等々も出てくると思いますけど、その前に抗がん剤でたたいていくというふうな感じですよね。

小宮 はい。

岸田 そしてその後、こちら外界との遮断生活ですかね。遮断生活。こちらはどういうことでしょうか、小宮さん。

小宮 3月の後半から入院生活が始まったんですけれども、2020年の3月がまさに東京でコロナが最初にまん延し始めたタイミングで。一番最初の1日2日とかはまさに2日目にうちの妻が来れて、荷物とかの受け渡しとかをしてくれたんですけれども、入院した場所が血液内科で無菌病棟なので簡単には入れないんですよね、そもそもが。

小宮 ただ、それでも急に休んだので仕事の引き継ぎだったりとか最初は会社の方とかに来てもらう予定だったのが、外からの人が全く病院の中に入れないっていう状態が、特に最初のときは結構厳しかったので。

小宮 今の状態も厳しい状況、続いてるとは思うんですけれども、全てを断らなきゃいけなくなってしまった状態で、かつ私の疾患的な問題もあって自分が逆に外にも出れないので。もう病棟内から全く出れない状態っていうのがそこから始まりました。

岸田 なかなか。ある種、軟禁生活みたいな感じですよね。

小宮 もちろん中にいらっしゃった医療関係者の方とかクラークさんとか清掃員の方はすごい皆さん、いい方だったんですけれども、それでも急にそういう場所に入って誰とも会えないっていうのは結構厳しい状態でした。精神的にもすごいつらかったですね。

岸田 だから1番下がってるわけですよね。遮断生活。

小宮 はい。

岸田 そっか、こっからコロナが始まっていったらもう本当に誰とも会えず。

小宮 妻とも。妻も入れませんでしたね。

岸田 これも退院するときまでずっと?

小宮 唯一許されたのがインフォームドコンセント、いわゆる治療の説明の際のみは妻は病室に入れた瞬間があるんですけれども。例えば衣服の受け渡しとかに関しても、扉越しに看護師の方が渡されて私が看護師の方から受け取るっていう状態だったので。あくまでも中には入れないっていうのが前提でした。

岸田 結構、制限された生活をされてたんですね。

小宮 もちろんこのときって入院生活に限らず皆さん、多分すごい大変な思いをされてたとは思うんですけれども。それでも過酷でしたね。

岸田 それがまだステイホームで家にいるっていうのかそれとも病室なのかっていう違いが出てきますしね。そこから、ただ、上がっていくんです。何かというと友人から救援物資。何もらったんですか。

小宮 この頃、例えばアルコール消毒のものだったりとかウェットティッシュとかそういうのもそうですけど。思い出していただくと、あの頃ってすごい枯渇の状態が続いていたと思うんですよね。

岸田 確かに。

小宮 そのときに私も一時退院をする予定とかができて外に出るんだけれども、そもそも、そういう衛生環境とかを保つのが大変な状態を少しFacebookとかSNSで少し吐露をしていたら友達がもうびっくりするぐらい。

小宮 多分皆さんすごい大変な時期だったと思うんですけど、皆さん本当に気を使っていろんなものを送っていただいたりしたところで。物のありがたみも感じるんですけど、そういう行動してくれた気持ちに触れてすごいうれしかったのを覚えています。

岸田 そういう、こみやんのためにこれをやろうみたいな、皆さんが立ち上がってくれたっていうのがうれしかったと。そこの中で一時退院ができるようになっていったということですね。ようやくそこで。一時退院、どれぐらいに退院できました?

小宮 最初が40日間ぐらいの入院して、その後2週間ぐらいの一時退院をできました。これも主だって足の痛みがある程度改善されたので一時退院をして少し休憩時間をできたので。逆にいうと子どもと会えたのはこれが初めてなんですよね。その間全く会えてなかった。

岸田 お子さんは何歳頃。

小宮 当時は4歳と6歳ですね。の子どもと1カ月以上会わない生活っていうのが初めてだったので。なかなか。最初会うときはもう、ぎゅってしちゃいましたね。

岸田 いや、そうですよね。本当に。全く会えない状態だからね。そこから上がっていきます。何かというと治療ですね。放射線治療と薬物療法、そして臍帯血移植。この放射線治療と薬物療法は移植するための前処置としてやるやつですかね。

小宮 はい、そうです。

岸田 そして臍帯血移植なんですけど。普通、造血幹細胞移植とか他の移植の方法があると思うんですけど。臍帯血移植は。小宮さん、なんで。

小宮 入院生活が始まってから。入院させていただいた病院はがん拠点病院で、移植のコーディネーターさんもいらっしゃる病院でした。まずは造血幹細胞移植の骨髄バンクのドナーさんを探したりしたんですけれども一部不一致がずっと続いている状態で。

小宮 どうするかっていう話をしていく中でなかなか決まらない状態がありました。最終的に担当医含めて判断をしたのが臍帯血移植を適合するものを選んでいただいて、その臍帯血移植を実施をしたっていう次第です。

岸田 全然ごめんなさい、僕そういう素人で恐縮なんですけど。

小宮 いえいえ、私も素人です。

岸田 まず移植しようってなったら、血液の病気だから移植して全部血を変えないとみたいなときにまずきょうだいとか親御さんから選ぶんですよね。

小宮 はい。きょうだいにも実際にお願いをしました。そこで合わなかったっていうことですね。

岸田 型がマッチしなかった。その後に骨髄バンクとかで探して。けど、そこでは小宮さんの場合は見つからなかったと。

小宮 見つからなかった。今の現状で私も医療的なところは明確に言えるわけではないんですけれども。ある程度、もし実施をするんだとすれば比較材料があると思うので、そこの中ではドナーさんを探したけれどもいなかったっていう判断ですね。

岸田 探したけれどもいなかった。そうして、臍帯血移植だと何かしら見つかったってことです?

小宮 はい。なんで、骨髄バンクの一部不一致でやるのと、臍帯血で私に適合するものっていうのをどっちかを比較したときに、臍帯血のほうがリスクが少ないだろうというのが私の担当医の判断でした。

小宮 ただ、臍帯血移植も。私、結構体が大きいんですけれども体重があまりにも多いと臍帯血の場合はちょっと生着率が悪いとか、いろいろな諸条件もあるので。いろいろな選択肢の中で、今、現況として今のところうまくいってるので、それはいろんな方の考えていただいた結果が今いい方向に進んでるっていうことですね。

岸田 ありがとうございます。治療に関しては、このがんノートではなく主治医の方に、皆さん、見てくださってる方は聞いてくださいね。あくまでも経験談の一つでございます。

小宮 はい。そうですね。

岸田 そしてその後、ばーんと下がっていきます。そこは。移植できたが。これ、ポジティブの赤で書かれているけど、めっちゃマイナスな感じなんですけど。どういうことですか、これは。

小宮 この治療中はとにかく後ろ向きになってはいけないという気持ちはあったんですけれども。先ほど言ったみたいに、例えば移植のドナーさんが見つからなかったりとか。あとは、その治療の中で出てきてしまう症状。例えば、高熱が出てしまったりとか体にいろんな症状が出たりとかっていう中で弱気になってしまう部分があって。

小宮 前日までは、よしやるぞ、頑張るぞっていうふうに思ってたんですけど。その翌日になったら1人で泣いてもうつらい、このままどうなるんだろう、子どももいるのにどうなるんだろうとかっていう不安にいろいろ駆られていた時期ではあります。

小宮 本当に毎日、自分がポジティブになったりネガティブになったりの繰り返しでした。それは、それこそ相談できる方もなかなかいらっしゃらなかったりとか、さっき言った面会ができない状態の中で解決する手段が少し少なかったのかもしれないです。

岸田 そっか。もう情緒不安定な時期ってことですね、もうこのときにはね。それにコロナもあるしみたいで。そらな。大変やな。だからマイナスな状況やけどポジティブになったりネガティブになったりというふうなカラフルな感じですね、このときね。

小宮 そうです。

岸田 そんな中で上がっていきます、何かというと、退院していく。退院できて、そして自宅療養になっていく。そんな中で手術、短期入院ということで。退院できたけど、これ。臍帯血移植とかしたら手術しないといけなくなるんですか。

小宮 これはまたちょっと違うんですけれども

岸田 違うんですか。

小宮 はい。白血病の治療自体はこの退院のタイミングで入院生活が始まって大体200日ぐらいなんですけど。ここで終わったんですけれども。いろいろと検査をしていく中で、私の場合は心臓のほうに期外収縮っていって不整脈のようなものが少し出ていました。

小宮 これは将来的にリスクになり得るっていうようなものでもあったので、私の場合はアブレーション手術っていうのを実施をしました。こういうのは白血病とか長期入院していく中でいろいろな検査を実施をしたがゆえに見つかったものではあったので、その手術を。退院したんですけど、他の手術をしたっていう感覚ですかね。

岸田 じゃあ、白血病の中で心臓に何かしら異変があるのが見つかって、それの手術をしたというふうに。

小宮 そうです。

岸田 そういう短期入院して、その後、病室Wi-Fi協議会議の参加。そして茨城がんスピーカーバンクさんの参加。こういったがんに関する活動といったところ、それぞれどういったもので、なんで参加されたのかはどうだったんでしょう、小宮さん。

小宮 自分自身は病気になるまであまり社会と何かをつながるような活動っていうのはしたことがなかったんですけれども、自分自身がこういう病気をへて何か関われることがあるんじゃないかな、自分の経験の中でいろんな方にお伝えできることがあるんじゃないかなと思って参加をしました。

小宮 一番最初に参加をしたのはSNSとかでつながりがある中で、病室にWi-Fiを設置を促そうっていうようなことを実施している所がありまして、そちらに参加をさせていただきました。これも自分自身が結構、苦労したのが。

小宮 病院の中で療養をする上でも何もないのもつらいんですよね、とても。何かやっぱり人とつながっていたかったり、もちろん情報を調べたりとかいろんなことがある中で、コミュニケーション手段が各自にあったりするととてもいいなと思ってこの活動に参加をしています。

小宮 ちょっと難しいんですけど。自分自身が入院していたときにはコロナの面会の謝絶があったのでご年配の方が1人、テレビに向かってずっとしゃべっている方がいらっしゃって。

小宮 それは多分、人とコミュニケーションが取れないがゆえにそういうことになってしまったり、その方はすごい精神的に不安定で看護師さんとかに当たってしまったりとかっていう場面を見たりして、つらいなっていうのは思ったんですよね。本当に外に出れない生活なので。

小宮 一方、他の方でご年配の方でいらっしゃったのは、お孫さんとLINEの電話でしゃべっているのを見て本当にうれしそうな顔をされていたりして。病気になっているからこそ、そういう環境があったらいいなっていうのは今でも思って活動をしています。

小宮 がんのスピーカーバンクに関しては、こちらは茨城県で活動をしていて、学校だったりとかにがん教育の講演をしたり、がんに実際に経験をされた方が講演会をしたりして健康診断の促進だったりとか自分の体験を通じてこういうことをぜひ考えていただきたいとかっていう活動をしている団体です。

小宮 これも私自身が自分の子どもがいて、子ども自体が、例えば私が白血病になったことでいじめられたらどうしようとかいろいろなことを考える中で、正しい知識だったりとか白血病ってうつるの、うつらないのとか、白血病って怖いの、死んじゃうのとかいろんなことを、もし例えば誰かに言われたときに、うちの子どもはちゃんと正しいことを言えるのだろうかとかっていうことを考えたときに、病気について知るってすごい大事なことだと思うので、こういった活動に参加をさせていただいて。

小宮 今でもまだ勉強をしながら話ができるように。みんなといろいろな話をしながら少しでも知識になるように。ごめんなさい、ちょっとうまく言えないんですけど、活動をしています。

岸田 そういういろいろ、お仕事以外にもいろんな活動を広げていき。そして、そんな中で尊敬している方と面談と。この方もがんの経験者さんですか。

小宮 サワダさんという方がいらっしゃいまして、私が学生の時代からよく見ている雑誌とかに出ている方で。もともとユニクロに勤められていたりとか、その後自分の会社で、いろんな海外から日本に飲食店とかを持ってきたりしていた方なんですけれども。その方があるホームページのサイトで、自分のがんの経験談を話されていて。それが仕事に通ずるような内容でもありました。

小宮 そこに対してちょっと感想をお送りしたら、ぜひ会いましょうということを言っていただいて。まだちょっと休職中ではあったんですけれども、実際にお会いすることができました。

小宮 さっきのWi-Fiの協議会だったりとかがんのスピーカーバンクに関しては社会活動だとは思うんですけど、その方はすごいビジネスマンとしてとても尊敬している方で。今のそういう活動とはまた別の側面で、そういうのがちゃんとビジネスとして成立するかどうか。

小宮 そういったことがしっかりあることによって、どんどん普及するっていうような内容もお伺いできたので、自分がいろんな関わり方ができるなって。会社員としてビジネスマンとしてもこういう活動を普及させていくために自分の頭をうまく使ってどんどん進めていきたいなというのはこの方とお会いして改めて思いました。

岸田 すごいすてき。そういう、自分から行動を起こして会うというのもすごいなと思います。そんな中で職場に復帰していくということで。職場の復帰はスムーズにできましたか。

小宮 これは本当は10のほうに持っていきたいんですけれども。なかなか、うまくいく部分といかない部分があって。ちょうどゼロの部分になってしまったんですけれども。

岸田 例えば。

小宮 白血病っていう病気自体は見た目からしてみてもそんなに分からないっていうか。

岸田 そうですよね。ぱっと見ね。

小宮 私なんかがこんなので電車の優先席とかに座ってると、何、こいつ、座ってるんだっていう感覚になったりするのは。それは外から見てて分からなくもなくて。復職をする際に人事の方と話をしたときに、どの程度の配慮をいただいて復職をするのが適切かどうかっていうのは産業医もいるような会社なのでそれなりに考えてはくださってはいたんですけれども。

小宮 ただ、なかなか自分自身が思っているほど考慮はしていただけなかったのも事実ではあったので。

岸田 大変ですね。

小宮 衛生環境がなかなか自分自身で確保するのが難しい。例えば、どこかのお掃除をしますっていうときも、私の場合は初期の段階だとなかなかそういう、衛生環境は自分自身で気を付つけなきゃいけなかったりするので。そういうことに対しての配慮とかっていうのまでは、なかなか伝えられきれなかったっていう部分がありますね。

岸田 そっか、免疫がどうしても下がっちゃってるんですよね。

小宮 そうですね。

岸田 その中でちょっと、言い方が悪いかもしれないですけど、汚いところも行かないといけないみたいな形だと、ちょっとなかなかね。その後は変えていただいたんですか。部署みたいなのは。

小宮 これが会社の面白いところで。私自身の環境を理解を、病気になる前から知ってくださってる方っていうのは、復職をすると同じ部署にいたりして。そういう人たちがちょっと動いてくれたりしたことで、外勤からまた今は内勤に変えていただいたので。今はすごいそういう方たちのご尽力いただいて、少し自分には合った環境で働かせていただいてます。

岸田 そうなんですね。やっぱり周りの働きかけ方も大事なんやなっていうの思います。そしてその後、会えなかった人たちと会っていったりだとか、今回がんノート出演いただいたりだとか、トレーニングをしていくと。

小宮 ありがとうございます。

岸田 いえ、ありがとうございます。トレーニングをしていく。今はどんなトレーニングされています?

小宮 病気になってマイナスなことばかりかなって思ってたりしたんですけど、私は意外とそうでもないと思っていて。例えばそれの一つが東京マラソンに移植者部門っていう部門があるのを知ったんですよ。みんな東京マラソン、出るのをすごい確率で頑張ってるけど、もしかしたらこれだったら確率、他の人よりかは出れる確率が増えるんじゃないかなとか。

小宮 せっかくだったら入賞を目指して頑張ろうと思って、毎日今は犬と一緒に散歩をしたり、ジョギングをしたりっていうのをしています。来年、エントリーしていけるかどうか分からないですけど、そういう目標を持てるのはすごい、いいなと思って。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 いいですね。そういう、マイナスだけじゃなくてそういったところをしっかり拾っていくっていうのは本当、小宮さんらしいなということを思いますけれども。そんな小宮さんのゲストエクストラ、困ったことっていうのは、コロナ禍での面会謝絶。さっきありましたよね。それで誰も会えないときにどう乗り越えたか。スマートディスプレー、AmazonEchoShowって書いてあるんですか。どういうことですか。

小宮 こういうのが。

岸田 はい、はい。CMかなんかで見たことある。

小宮 アレクサって。呼んでくれるやつがあるんですけど。こういうディスプレー。さっき言ったみたいにうちの子どもはその頃4歳と6歳で、自分でスマートフォンとかを持っていなかったんですよね。

小宮 じゃあ、子どもとは全く病院にも入れない状態なのでどうしようって思ったときに。これをダイニングに置いて、夜ご飯になったときにつなげるんですね。そうするとここに私の顔が映るので、スマートフォンで自分の病棟にやったときに、こっちに私の顔が映って。

小宮 子どもはここを見ると、ここにカメラがあるので顔が見れるので。「やっほー」て言いながら「じゃあご飯、一緒に食べよ」て言って食べることができました。なかなか、コミュニケーションを取る機会がこれしかなかったんですけど、これがあるかないかはもう本当に大きな違いでしたね。

岸田 そっか。そうですよね。子どもたちと会えないけれども、そのスマートディスプレーでコミュニケーションを取って、ずっとお父さんはそこから見守ってくれてたんですね。

小宮 でも、いいことばかりじゃないのが。子どもは私がこれを映って、お行儀が悪いとこれで怒るので。子どもからしてみると嫌なこともあったと思います。「ちゃんとお箸持ちなさい」とかってここから言ってるの。

岸田 いやそれも家族団らんな、いい。子どもたちにとってはうざいかもしれないですけどね。今からしたら。

小宮 本当に病院を非日常の中にちゃんと日常を取り込めたっていうのは、本当に精神的な安定する一つの材料ではありました。

【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。そんな小宮さんに、こちらメッセージ。視聴者の皆さん、患者さんだったりご家族だったりいろんな方が見ていると思います。その方にメッセージ、こんなメッセージをいただいております。

小宮 一言ということで、私は再生中という言葉を選ばせていただきました。もともと音楽が好きで、音楽で言うとNowPlayingとかって出てたりするんですけど。病室でいろいろお会いした方にはご年配の方もいらっしゃって、移植、例えば同じ病気になられてても体力的に移植が選べない方も多くいらっしゃいました。

小宮 自分自身の病気の経験をして、過去のこととか未来のこともすごい大事ではあるとは思うんですけど、今をしっかりと生きることの大事さっていうのをとても強く感じました。

小宮 ぜひ、これは健康な方も病気になられている方も、ご家族の方、どなたでも多分同じかと思うんですけど、今を楽しむことっていうことにすごい注力をすれば、何かその先、いい未来が開けるんじゃないかなと思うので、この言葉を選ばせていただきました。本当に、今何か闘病をされている方がいらっしゃれば、ぜひ今を楽しく生きていただければと思います。以上です。

岸田 そうか、NowPlayingの再生中っていうことですね。さすが音楽のマネージャーさん、していただけある。そうか、なかなか。再生中ってどういうことなんやろうと思いながら聞いてましたけれども。今をしっかり楽しまないと、ということはあると思いますし、やっぱりがんがそういったところを気付かせてくれたのかなっていうのも僕も思ったりとかもしてます。

岸田 なので、こうやってがんノートいう活動を、今、しっかり届けたいなと思ってやっている次第であります。そんな中で、きょうはお時間になりましたので、小宮さん本当にさまざまな経験談をお話ししてくださいまして、どうもありがとうございました。

小宮 ありがとうございました。

岸田 これにてがんノートmini、終了していきたいと思います。それでは皆さん、バイバイ。

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