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インタビュアー:岸田 / ゲスト:横山

最近観る映画は『すみっコぐらし』と『ドラえもん』——娘と暮らす横山さんの今

岸田 それでは がんノートスタートしていきたいと思います!今日のゲストは横山さんです!横山さん、よろしくお願いします〜!

横山 よろしくお願いします!

岸田 はい、お願いいたします!横山さん、簡単に自己紹介をいただけますでしょうか?

横山 はい!ちょっと緊張しておりますけれども…福島県に住んでおります、横山と申します!42歳の時に大腸がんの方に罹患しまして、抗がん剤の方ですね、半年間行ったんですけれども、肝臓の方に再発が見つかりましてまたそちらで肝臓の手術の方を受けまして…さらに抗がん剤の方を投与・服用しまして、その後、今現在経過観察に移れているというような状況です。

岸田 こちら経過観察中ということですね。そしてですね、趣味が映画鑑賞やウォーキングとあるんですけれども、何かこう…皆さんにおすすめの映画みたいなあったりとかしますか?

横山 映画〜ですね…最近はちょっと子ども生まれてから。

岸田 全然、昔のでもいいですよ!

横山 子ども…『すみっコぐらし』とか、あと最近はそうですね…『ドラえもん』とかになっちゃってるんです、すみません!すぐに今…出てこないんですけど、はい。

岸田 そんな趣味、映画でございます(笑)

横山 すみません!はい。

岸田 大丈夫です!そんな中でメインはこれからなので…大丈夫です!この後お話しいただく内容といたしましては皆さんにお伝えしておきたいのが、個人の経験談でございますよといったところと、特定の治療を推奨しているものではございません。ご自身のご病気は主治医の方に、また聞いていただければと思っております!またこの後グラフが出てくるのですが、このような吹き出しだったりとかこのような内容となっておりますので、また見ておいていただければと思います。

両親の大病、2度の震度6、そして大腸がん——横山さんのペイシェントジャーニー

岸田 こちらですね、横山さんのペイシェントジャーニーこちらになります!ちょっとレイアウトを変えさせていただきます。こちらですね、横山さんのペイシェントジャーニー、まず…何があったのか?ちょっとまず始め…上がっている部分に関してはこちらになります!娘さんの誕生!ということで、娘さん今は何歳ですか?

横山 12歳ですかね。

岸田 12歳!この2014年に娘さんが誕生し、そこからガクンッと下がっていきますが…それがこちら、お父様が脳梗塞、そしてお母様が子宮体がんに罹患をするということで…これ同時期ですか?

横山 同時期ですね!ある日…朝ですね、突然親戚の人たちから大量に電話がかかってきまして、何事か!?と思って出たら、うちの父親が脳梗塞で病院に運ばれたということで病院に駆けつけていきまして…で、うちの父親が幸いかなり軽症で済んだんですけども、退院の前日ぐらいですかね、うちの母親が顔真っ青になって…私のところに来まして…。だいぶ強い下血があって病院で検査してもらったらがんが見つかったと……いうことで、もう本当に同時期に2人が大病になる!ということで、大変ショックではありましたね〜!

岸田 そんなね、もう本当に…お父様・お母様は今はどうですか?

横山 うちの父親の方はやっぱり脳梗塞をやってしまったので、一部やっぱり後遺症が残っています。本当に脳梗塞を患ったにしては日常生活も送れているんですけど、視界の一部がちょっと見えなくなっているんですね。なんですけど、一応医師からは車の運転は大丈夫と言われている状況なんですけど。どうしても後はやっぱり…後遺症としてちょっと物忘れだったりとか勘違いが多かったり、まあ年のせいもあるんで…まあその辺は脳梗塞って言っちゃうのもちょっと本人にはちょっとかわいそうかなっていうとこはあるんですけど…まあなんとか日常生活は送れてる感じですかね。

岸田 母様は?

横山 そうですね、うちの母親の方はちょっとあの…残念ながら…亡くなってしまいまして。まあ結構長いこと、7年ぐらいですかね、だから2020…何年かまではちょっと元気ではあったんですけども。

岸田 同時期にお父様やお母様がこのようなご病気になられて…結構バタバタしたっていう時期なんですかね?

横山 そうですね!だいぶバタバタしましたね〜!自営業をやってたんですけど、結局うちの父親の会社でやってたので、いきなり社長が体調崩したっていうことで仕事を請け負わなくちゃいけなかったのもそうなんですけど、うちの母親が…今度は闘病に入ったので、うちの父親が完全に介護を…(母親の)看病っていう形に入ったのでその辺のバタバタありましたし。あとまあ…話すと長くなっちゃうんですけど、うちの母親がやっぱり療養しながらもちょっとメンタルやられちゃったんですよ。で、ちょっとなかなかその程度の方も幻聴とか幻覚とかちょっと徘徊(はいかい)的なものもやってしまったので、その辺のところでちょっと精神科の方にご厄介になったりというところで…看病をする家族側としては結構…なかなか重いものがありましたね〜。

10年後にまた震度6、そして便潜血陽性——内視鏡では「腸きれいだったよ」

岸田 その中でですよね、こちら、福島県沖地震…ああ〜この時なんですね!?

横山 そうですね…本当に。皆さんご存知の通りというか、2011年ですね、東日本大震災があったんですけどちょうど10年後…大きな地震がくるよ!っていうのはニュースとか気象情報とかでは聞いてたんですけど、まさかぴったり10年後に…震度6クラスの地震が来るとは思わなくて…本当に大変な思いはしましたね〜。もちろん自分の住んでるところも、もうぐっちゃぐちゃ!でしたしもう…で、アパート住んでるところは住めなくなっちゃったんで…うちの妻の実家の方に避難してそこで生活してたいう感じでした。

岸田 本当…すごいいろいろな時期の中で、その中で便潜血が陽性になっていく。これは何か検査されたんですか?

横山 そうですね…うちの母親ががんになったっていうところから、ちょっと言い訳がましくなっちゃうんですけど、自営業だとなかなか…その健康診断って毎年受けてなくてですね、うちの母親がんになったことをきっかけに定期的に一応(健康診断を)受けるようにはなってて…(便潜血)陽性って実は…時々出てたんですよ。

岸田 あっ、そうなんですね?

横山 なんですけど…内視鏡検査を受けても結構問題ないっていうふうに言われてたので、この時も陽性が出た時点ではさほど気にしてなかったんですよ。

岸田 いつぐらいから、じゃあちょっと…便潜血陽性が出てたんですか?

横山 えーっと…2年おきぐらいにはなんか…出ちゃってましたね。

岸田 この2年前にも(陽性が)出てたってことですか?

横山 そうです、はい。で、内視鏡(検査)もやってもらって、なんともなかったよ!腸きれいだったよ!って言われて。

岸田 ああ〜、(内視鏡検査を)やってはいたんですね?

横山 はい、取り越し苦労だったな!っていう感じのイメージでしたね。

岸田 この時も…まあ大丈夫じゃないか?みたいな。

横山 そうです、完全に高(たか)をくくってました!はい、甘く見てましたね。どうせまた何ともないんだろうな〜と思ってました。

親友を肺がんで亡くし、妻に一喝されて入れた精密検査の予約

岸田 その中でですね、親友を肺がんで亡くされていく。

横山 そうですね、ちょうどこれコロナ禍だったんですけど、コロナ禍に入る前にあの毎年ですかね…地元の中学校の仲間で集まって飲み会やってるメンバーの一人なんですけど、肺がんになったっていうことを言って励まし会をやって。で、コロナ禍になってなかなかちょっと集まれなくなった中だったんですけど、急に…亡くなっていついつ葬式だからっていう連絡が来たっていう状況でしたね。
だからちょっと母親ががんになって多少検査行くようになって、それでもなんかこう自分とがんって無縁だなと思ってたんですけど、本当に仲間が身近で亡くなったところでようやく ちょっとずつ頭の方が…健康の方に向いたというか、というところがありましたかね。
で、この時に陽性の結果が出ていて、友人が亡くなったというのを受けて…ちょっとすいません前置き長くなっちゃうんですけど…それでもまだ精密検査の予約ってちょっと自分自身でできてなかったんですよ!まあ地震の対応で忙しかったっていうのもあったんですけど。で、ちょうど年明けの3月が妻との結婚10周年だったんですね!それで僕は旅行を計画しててそっちの方に頭がいってたんですけど…まあ…こういった流れの中でうちの妻が激怒しまして!僕に。(精密)検査を受けないんだったら旅行は絶対行かん!と、行きたいなら一人で行ってこい!!って話しまして、それで しぶしぶ…精密検査の予約を年末に入れたっていう状況でした。

岸田 そうだったんですね〜。

横山 はい。

岸田 まあ後々ね〜それがちょっとなんか…ファインプレーになるかもしれない?

横山 そうですね〜もう本当に…今考えると、その時行ってなかったら今どうなってるか…ちょっとよく分からないと思いますし……。

2021年12月22日、4センチの腫瘍——駐車場には娘と妻が待っていた

岸田 そこからね、ちょっと下がっていくのは次こちら、内視鏡検査をしたらがんを告知されていくと。

横山 はい、そうですねもう忘れもしない2021年の12月22日、クリスマスの2日前ですね…年末に忘年会の予定も入ってたんですよ。僕が不動産屋なんでちょうど飲み会の場所どこにするか?みたいなのも年末の予定を仲間のうちで決めてたんで、内視鏡検査を受けることになっちゃったんだよね〜って話はしてたんですけど。その時はもう内視鏡検査受けるのは…飲み会の話のネタにするぐらいしか考えてなくて、お尻からカメラ入れちゃったんだ!っていうのをネタにしよう!と思ってただけで、何か見つかるなんて全く思ってない!っていう感じでしたね。なんですけど…病院行ったら…もう麻酔かけて鎮静剤ですか、かけてもらったんですけど…鎮静剤が切れ始めた時に…看護師さんが…なんか今日検体を取らなかったんでってっていう話し声が聞こえてきて、あれっ!?これヤバいぞ?と思って。で、目覚めたらご家族は今日いらっしゃるんですか?診察室に入る時に必ず…家族と付き添って中に入ってくださいって言われて、ああ〜これもう何か言われるな…っていう思いで診察室に入ったら…先生からは(腫瘍は)4センチの大きさでもう顔つきで悪性(腫瘍)で間違いないから、もう検体は出さないと。できるだけ早く総合病院に行って手術を受けてくれというような説明で。ああ…ああもう本当に…その言葉聞いた瞬間に…口の中がカラッカラになって、なんかもう視界が暗転して、なんかめまいがしてましたね〜。あの時の恐怖は忘れられないです。

岸田 告知は結局お一人で受けたんですか?

横山 そうですね。ちょうどその時…だから僕何も見つかるなんて思ってなかったんで、うちの娘を幼稚園に妻が迎えに行って…で、終わるぐらいの時に駐車場に娘と妻がいる状態でそれを言われたんですよ

岸田 お〜!

横山 もちろん娘と妻を連れて3人で診察室に入るわけにはいかないんで、いやもう1人でいいですという形で入りましたね、はい。

岸田 そっか〜その後…駐車場には娘さんと奥様が待っていらっしゃるわけですよね?

横山 そうです、はい。

岸田 終わった後の検査の結果をそのまま伝えた?

横山 そうですね〜。娘の見る前では暗い顔はできなかったので…LINEでちょっと最悪の結果が出たっていうので…車の中も家に帰ってからも、本当にあの時はもう表情を作るの大変でしたね〜。

岸田 そんなね、もうがん告知を受けて…。じゃあ ここから病院を紹介されていくんですかね?

横山 そうですね、はい。地元の病院で(がん診療連携)拠点病院等の情報はちょっと頭に入ってたので、そちらに紹介状を書いてもらって行ったという感じです。

直腸を4センチ残す手術——その1か月後に、また震度6

岸田 そして手術を受けられていきます。これは直腸 S状結腸部切除手術ということで…結果的に直腸・S状結腸の部分に腫瘍が見つかった?

横山 腫瘍の場所でいうと、ちょうど直腸とS状結腸のちょうど境目ぐらいのところにあったんですね、4センチで。手術を受ける前にPETと検査とを受けて、腫瘍が一応検査上だとそこだけだということだったので、直腸の方を4センチぐらい残していただいて、S状結腸は全て切除して下行結腸と直腸をつないでもらったような手術になっています。

岸田 結構あれですか?その…治療自体はすごく長かった・短かったというと、どうだったんでしょう?

横山 手術…そうですね、手術受けて入院期間は1週間ぐらいでしたかね。そこから大腸がんの方は皆さんそうなんですけど、排便障害の方が2か月ちょいぐらいありましたかね…。

岸田 人工肛門はしなかったんですか?

横山 そうなんです!その可能性もなくはなかったんですけど、今やっぱり手術の技術がある程度上がってきてるっていうのもあって、直腸を4センチ残してもらえたっていうのが一応人工肛門を避けられた理由になってて、主治医からもそういう説明を受けましたね。

岸田 あ〜そうなんですね。そういう意味でもあれですか?手術のところちょっと(気持ちが)上がっている?

横山 あっ、そうですね!気持ちとしては、これさえ終われば…元の生活に戻れる!と思ってたので、ここさえクリアできれば!っていうところだったんですかね、気持ちとしては。

岸田 ただね、そこからこちら、おっ、次に福島県沖の地震!?次の地震が!?

横山 そう!(東日本大震災後の)10年後に地震があったんですけど…東日本大震災が100年に一度って言われてて10年後に起きて、で、10年に一度って言われて、そしたらまだ翌年 地震が来る!っていう。あの…なんかの漫画の笑い話みたいなね、冗談かよ!っていうような感じだったんですけど。ちょうど…手術を受けて1か月後ですかね、病理検査の結果を聞きに行く前日の夜に…忘れもしない11時過ぎですかね、はい、3月の…また震度6の地震が来て!娘が寝てるところに布団を覆いかぶさって揺れるの収まって…で、そのまま またいろいろストッパーをつけてたんですけど、テレビは倒れるわ!家電は壊れるわ!皿はバリンバリンになるわ!で、また奥さんの実家の方に引っ越しというかさせていただいて。何がつらかったって、僕が…不動産屋なんですよ!その時に管理物件の方からね、天井から水が滝のように降ってくる!とか、エレベーターももちろん止まっちゃいましたしね!動かなくなって。支柱が曲がった!だとか、あとその日のうちに結構閉じ込められて亡くなっちゃう方とか怪我されてる方も出たりするので、それを点検に行かなくちゃいけなくて。で、玄関のドアとかね、ゆがんで開かなくなった!とか。あと…結構助け出すの大変だったんですけど、玄関の下駄箱のところにいろいろ飾られてるお客様っていうかね、ご入居者がいらっしゃる。それが全部玄関を塞いでしまって出れなくなったとか、それの対応で結構…。

岸田 助け出すっていうか?

横山 そうですそうです!だからバール持ってって、こうやって…!!それで、もうほとんど…だから次の日病理検査の結果を聞く予定だったんですけど、1週間くらいはほとんど寝てないんですよ!事務所でソファーのところに電話を足元に置いて、こうやって布団かけただけの状態で過ごしてて。排便障害もあって傷もまだ正直ちょっと痛かったんですけど、なんか…もうやらないとどうしようもないので、はい、仕事の方に…まあなんでしょうね?がんで死ぬんじゃなくて地震で死ぬんかな!?ぐらいの、そういったところもありましたけどね〜、その時は。ただ、まあ今思い返してみると…大変だったんで、ちょっとがんのことは若干忘れてた期間があったので、むしろそれがよかったのかどうなのか。ただこれで結果的にどうなってももうどうしようもないな!という、半分あきらめの気持ちも、天災と闘っているのか!?という感じがしていましたね。

ステージ2ハイリスク——グレード4の副作用、点滴を受けながら妻の手を握って泣いた

岸田 そうですね〜。もうね…そんな中で!ですよ、下がっていきます。これは薬物療法されていくということなので、手術の後そういったことをしようかという話にはなっていたんですね?

横山 そうですね、これも病院に行って初めて言われたんですけど、最初手術の時はステージ1って言われたんですよ。なんで手術さえ乗り切れれば抗がん剤も必要ないし、後遺症があっても普通の生活に戻れる!と思ってたんですけど、地震があってバタバタと病院に行かないわけにいかないんで行ったら…ステージ2のハイリスクって呼ばれるものに分類されてて。結局がん細胞が結構下の大腸の血管のところに根っこのようなものが入りこんじゃってるんで、抗がん剤の適用の範囲内ですとステージ2のハイリスクはステージ3のAかBと同じぐらいの再発の危険性があるので(と言われて)、半年薬物療法をやりましょうと言われて。で、薬物療法をスタートしたんですけど、ここでちょっとつらかったのが、オキサリプラチンっていう薬剤が体に全く合わなかったんですよ!投与に大体生理食塩水4時間ぐらい病院で点滴を受けるんですけど、点滴を受けてる時から左手が完全にしびれてしまって、とんでもない痛みが出てたんですよ!投与が終わって…部屋を出た時には、もう…右手・左手両方 麻痺(まひ)するぐらいつっちゃって…バネ指みたいになって動かなくなって…左腕が…肩から下がもう激痛で動かない!っていう感じ。オキサリプラチンはしびれるって話は出てたんですけど、冷気とか冷たいのでビリビリするっていうのは聞いてたんですけど、その日春先で気温20度ぐらいだったんですけど、もうすでにそれでも顔面がビリビリビリ!ってなって、歯医者で麻酔してもらった後みたいにこの辺が…もう動かなくなる!固まって動かなくなるみたいな感じの状況で。でも、まあこれ…みんなこうなのかな?と思って、で、2〜3日したらよくなっていくんだろうなって何も知らなかったんで、それが皆さんそういうもんだと思ってそのまま退院したんですけど…とんでもない…ことで、もう水が一切受け付けなくなっちゃったんですよ!で、喉が締まって全部吐くっていう状態で、完全に脱水症状に。

岸田 なりますよね!

横山 起こして…死にかけたって言い方はちょっとよろしくないのかもしれないんですけど、本当に…何も食べれなくなって病院に電話をかけたら、水500ミリリットルは1日必ず飲んでくださいって言われてたんですけど飲めなくて…。

岸田 どうするんですか!?

横山 最終的に…すぐ病院来てくださいって言われて、救急車を回しますんですぐ来てください!って言われて。で、なんかもうはい…1週間でダウンしちゃって病院に運んでもらって、点滴受けて、で…何ですか?副作用のグレードで言うと4ですと言われて。

岸田 命に関わる?

横山 一歩手前というか…そうですね。で、主治医からは横山さんは何も悪くないから自分のことを責めないでくれというふうに言われたんですけど、そうですね…今でも覚えてるんですけど、ちょうど点滴を打ってもらって、なんかもう本当に悔しくてしょうがなかったんですよね…。大腸がんの治療で抗がん剤って手術できなくなったらオキサリプラチンかイリノテカンにプラスアルファで投与するじゃないですか?その分の主要なやつ1個を自分にはもう使えないっていうことが分かったんで…これはもし再発した…場合には、あっ、他の人は治療できるけど僕はできないんだなっていうふうな考えになったので、その時はもう悔しくて悔しくて…。点滴あの時…2時間とか3時間打ってもらってたんですけど、妻に手握ってもらってわんわん泣きましたねあの時は…ただただ悔しいのとつらいのとで…。

岸田 それはね、本当に自分の体質ですからね。

横山 そうですね、もうどうしようもなかったんだと思うんですけど…悔しかったのと…で、あの時のつらさはちょっと忘れられないのと、すいません!ちょっと余談になっちゃうんですけど、その時妻の実家のところに地震で避難した流れでいたので、妻の実家にあの時ずーっとお世話になって、合計で3〜4か月ぐらい住まわせてもらってたんですけど、2階で天井を見ながらずーっと毎日泣いてて。その時にまだ娘がね、小学校2年生だったんですけど…たまごボーロを持ってきてくれたんですよ!何も食べれなかったんで。その時のたまごボーロの味がもう忘れられなくて!だから娘には甘い…というですね、もう欲しいものは何でも買ってやりたいな!という気にもなりますし、それで妻とはケンカになりましたね(笑)

岸田 難しいですね〜!娘さんも…よくなってほしいという思いでたまごボーロを持ってきてくださったりとかして…。そういうね、いろいろとさまざまな葛藤があった中で…少し上がってまいりますがこちら!治療をしながらそれでも仕事をしていくということで、仕事…できるんですね!?そんな状況で!?

横山 仕事にはならなかったんですけど、もう薬物療法が決まった段階で…脳梗塞をやった父親にはあまり大きな仕事はしてもらってなかったんですけど、その中でも事務仕事のかたわらやってもらって、自分がやるしかないんでもうはってでも会社には行くから!って強いこと言ってたんですけど、結局寝たきりになった時間もあって…。そうですね、これがちょっと自営業だからできたことではあったんですけど、結局自分が現場に出てるわけじゃなくて、僕がいろんな業者さんに動いてもらって会社を回してるっていうところがあったので…事情を取引業者に包み隠さず説明して協力してもらった。それで何とか仕事を回したというところはあります。あと一件一件の取引がある方に全部を説明するのも大変だったので、その時すでに遺書代わりにブログをちょっと書き始まってたんですよ、自分がどういう思いで治療に臨んでたかとか、治療の経過とかを書いてたのを自分の会社のホームページのところにドカッとリンクを貼っ付けておいて…。で、僕のことを知ってる方だったらそれを見てくれるだろう!というところでやったんですけど、それがちょっと功を奏して…全部を説明しなくてもそれ見てくださっている業者さんはもう察してくださって…全部を説明しなくても日程調整をうまく組んでくれたんで。この地震の補修をまだ全然残ってる状況だったんですけど、僕が変な話午前中だけ会社に行って午後はちょっと休むっていうような形も取らせてもらったんですけど、全部電話を僕がいる間に対応してくれたりとか、休薬期間に合わせて…立ち会いとかですね、時間の調整してくれたりっていうところで。もう日頃の…はい、そうですね、協力してくださった業者さんにはもう本当に感謝しかないですし、本当にいいお付き合いさせてもらっているというか、おかげでなんとか乗り越えられた!っていうのは今もありますね。

腫瘍マーカーは正常値のまま肝転移——肝臓の30%を切除して経過観察へ

岸田 そんな中で…また下がっていくんですよね、それはこちら、お〜肝転移の発覚ということで転移してしまっていたんですか?

横山 そうですね、ちょうどオキサリプラチンが使えなくなった時に抗がん剤をゼローダ単剤の方に切り替えて、ちょうど半年終わって10月の末ぐらい、下旬でしたね。最後この診察でクリアできれば経過観察に移れますって言ってもらえる予定だったはずの診察で、今日なんか…待たされるなぁ〜待合室でと思ってて診察室に入ったら…先生から肝臓に影が…っていう話をもらいまして。その時診察室で、僕は血圧が下がったのか何かで倒れてしまいまして。

岸田 えっ!?

横山 そのまま、本当に情けない話なんですけど…フラフラ〜ってバターンッ!と倒れて、で、だからその時の説明は僕は聞いてなくて妻が聞いてくれて、僕は看護師さんに囲まれながら大丈夫ですかー!?って言われて、こう点滴を打たれて…そんなになってました。

岸田 えぇ〜!?

横山 その時は…ちょっとまあ情けない話です。

岸田 いやいやいや。どれぐらい転移してたんですか?結局は。

横山 これがですね、転移の兆候が全くなかったんですよ。腫瘍マーカーも全て正常値を示してまして…その前のCTでも(腫瘍)らしきものが写ってて発覚じゃなくて…その診察の前の、だから1週間くらい前のCTにいきなり現れたっていう状況だったんですよね…2センチまではいってなかった…1センチ台の。

岸田 1センチ台の1個だけ?

横山 はい、そうなんです、幸い1個だけでしたね。

岸田 ということですね。そこからどう…治療をどうしていくのか?手術か!手術を受けられていく?

横山 そうですね、1個転移が見つかっちゃうと他のところにもあるんじゃないか?ということでCTを撮り直して、MRIとPET検査ですかね、全部やり直して…幸い写るものは肝臓の上のところだけだろうということで。その時もちょっと…肝臓の方は執刀医がまた元の主治医とは別の先生になってどのタイミングで手術するか?っていうのを話し合った上で、ちょっと実は少し置いてるんですよ、手術まで。

岸田 おっ、それはなぜ?

横山 万が一手術した後に微小なのでも出てきちゃうと、続けて手術ができないから…ちょっと置いて…もし開けた時にあったら一緒に切っちゃおうっていうような戦略で。それも主治医の先生と何回も話し合って決めたことだったんですけど、それで…本当に幸い…1か所だけで。ですけど、ちょうど開いて見てもらってた時には1センチ台だったのが4センチ台まで大きくなったので。

岸田 えぇ〜!

横山 肝臓の上30%は…切っていただいたっていう感じですかね。

岸田 肝臓の上部分を切ったんですね?

横山 上の裏側のところですね、はい。

岸田 (肝臓の)30%を切って。肝臓ってまた戻ってくるんですよね?

横山 そうですね、ただ完全には戻らなくて切ったところは切ったままでへこんだままで、なんか全体が膨らむらしいんですけど。

岸田 へぇ〜!

横山 なんで、半年ぐらいあれば元の肝臓の機能の85%から9割ぐらいまでは戻るとは言われて…。あとは術後なんですけど…再発率もだいぶ高いと言われていて、肝臓の先生とは…これ何回でも切れるんですか?って聞いたら切れるって言うんで、じゃあ体調を整えておくんで先生よろしくお願いします!って言って、診察室で話したのは覚えてるところですかね。

岸田 手術を受けていって、これで一応取り切ってっていうことですよね?

横山 そうですね。

岸田 その後どうなっていくか?あ〜、薬物療法をするんですね!

横山 はい。薬物療法に関しては、実は肝臓を執刀してくれた先生と元の主治医で提案してくれた薬が違かったんですけど、執刀してくれた先生はXELOX(ゼロックス療法)をもう一度、やはり再発率が高いんで強い薬を使おうっていうのを提案してくださって…。元の腸を切ってくれた主治医の方は…うーん、まあ…僕の考えを聞いてくれたうえでこっちを選んでくれたっていう感じなんですけど、やっぱり僕の中で抗がん剤で…自分が寝たきりになっちゃうとか弱ってる姿をどうしても娘に見せたくなくて、正直ちょっと抗がん剤やらないのも考えたんですよ、はい。まあ変な話、どうせダメなら元気な時間を少しでも長い方がいいかな?っていう考えを持ったんで。で、その時にいろいろ主治医と話し合って提案してくださったのがこちらの飲み薬だけのものということで…こちらを選択したという状況です。

岸田 こちらの方が比較的XELOX(ゼロックス療法)よりは、横山さんの体調には合った?

横山 そうですね、こちらが食事の影響を受けやすい抗がん剤なので、6時間おきに飲まなくちゃいけないというのと、前後1時間食事が取れないというのが…大変なところではあったんですけど、それが生活習慣を整えることにもつながったんですかね、はい、結果的には今こうしていられるんでよかったのかな…っていう感じですかね、はい。

岸田 またね、皆さん治療法に関してはぜひ主治医の方とぜひ横山さんのように検討していただいて、ご自身にあったものというふうな形でガイドラインにね、いろいろありますので、そちらに従っていただければと思います。横山さんの場合はこのような形で主治医と話をして、したという感じですね。

岸田 そんな中で、その後オンライン勉強会に参加していく…これは…何かきっかけでなんか勉強しようというのがあったんですか?がんのことに関してですかね?

横山 そうですね。まず…オキサリプラチンで強い副作用が出てもう寝たきりになってしまってとんでもない悔しい思いをした時に…まあ〜とにかく他に何かオキサリプラチンを使えないんじゃって時に、何か薬はないのか?とか治療法はないのか?っていうので、もうとにかくネットもあさりましたし、文献とか論文とかも、僕の性分もあるんでしょうけどいろいろ調べ始まりまして…。で、その時にとにかく医学というか学ぼう!っていう気持ちは持ってたんですけど、実際まあ独学でね、ニュースとかネットの情報だけ見てても…っていうところがあったんですが、すいませんちょっと前置きが長くなるんですけども…実はがんになってすぐの時にYouTubeを上げられているカロリーナ(佐々木香織)さんに出会ってカロリーナさんの動画を拝見してて。カロリーナさんが『Peer Ring Bleu(ピアリング・ブルー)』ですかね、立ち上げる時だったんですけど、大腸がんの患者会がないっていうことで。僕もやっぱり大腸がんの患者さんたちと薬のことも含めて…情報交換したいなっていう気持ちも強かったので、その時にちょっとクラウドファンディングが始まっててそれのお手伝いさせてもらった時に…たまたまなんですけど、押川先生に実際にオンラインでお話しさせていただく機会があって。そこから押川先生が主催でやられている『がんここ』っていう名称のオンライン勉強会の方に参加させていただくことになったというところですね。

岸田 YouTubeをご覧になられている方はご存知かもしれませんが、押川先生のYouTubeなども医療のことを載せてくださっていますけれども、そこのオンラインの勉強会に参加されていったということですね〜。そこで勉強会でいろんなことを学んで、そこからこのような形で経過観察に入っていくということで…こちらはもう経過観察入って…ひととおりがんはもう見えないだろうと?

横山 そうですね、3か月ごとのCT検査で…そうですね、薬物療法のUFT +ユーゼル(療法)の方が服用期間を終わって…ようやく…手術からスタートして抗がん剤の服用もここで終わったっていう状況でしたね。で、UFT +ユーゼル飲んでる時もゼローダの時も、とにかく僕は下痢と味覚障害に悩まされてきたので、もう経過観察に入って…とにかくごはんが美味しい!味が分かる!これがもう嬉しくてしょうがなかった時でしたね〜。

岸田 本当にね、ようやくお薬も全部抜けて、そして経過観察。今はもう…今の状態もないですよね?

横山 そうですね、経過観察でこのまま…。

岸田 その後ですね、リレー・フォー・ライフ・ジャパンの福島に参加されていく。リレー・フォー・ライフ・ジャパン、これね、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんけれども、がん啓発をされているね、(がん)啓発のイベントが全国各地であったりとかする、その中での福島でやられたものに参加していくというふうな形で。これは何かきっかけがあったんですか?

横山 そうですね、このオンライン勉強会…押川先生のところのですね、『がんここ』という勉強会のところで…一番…医学とかがんの知識、抗がん剤の知識などを学ばせていただくことも大きな収穫ではあったんですけど、もう一つがやっぱりそこに参加されている医療者の方と(がん)サバイバーの方に出会えたのが大きくてですね。
リレー・フォー・ライフに参加するきっかけになったのが、白川勝さんというですね、肺がんのサバイバーの方がいらっしゃいまして、この方がですね、肺がんで寝たきりの状態から体に合った薬の方が見つかって日常生活を送れるまでになったっていう体験をされている方で、僕もその情報だけはネットで知ってたもんですからいつかお会いしたいな!と思ってたらこちらの勉強会にいらっしゃって会うことができて。
で、オンライン勉強会のオフ会というか飲み会があった時に白川さんとお話をさせていただいたら、なんと同郷の福島で…しかも近所だ!ということが分かりまして。そこからちょっと白川さんと交流をさせていただいてて、ちょうどこの2024年なんですけど、リレー・フォー・ライフというイベントの存在自体を白川さんから教えてもらって、白川さんに誘われて僕も参加する予定だったんですね。
で、その時ちょっとこれは…完全に僕のスタートのところは勘違いの部分もあったんですけど、白川さんがすごい人望の厚い方で、当時温泉を予約されて全国の…どのぐらいの人数だったんですかね?バスを借りて福島のリレー・フォー・ライフにみんなで旅行がてらというか、集まって行こう!というような企画をされてて。
そこに僕も誘っていただいてたんですけど、僕は…ちょっと勘違いして実行委員にその時お手伝いで入る形にして、白川さんとは僕は現場でお待ちしてますと、皆さんでいらっしゃった時にっていう話を2人でしてたんですけども、この8月末のリレー・フォー・ライフ2024の直前といいますかその月にですね、白川さんが病態が急変してちょっと亡くなられてしまって…。
それで…代わりにですね、奥様に参加いただいてスピーチをしていただいて、その時いろんな白川さんの思いをお聞きした時にですね、僕はこのままリレー・フォー・ライフに在籍して患者さんがリレー・フォー・ライフというイベントに参加していただけるような、福島に来ていただけるようなことをしなくちゃいけないかな!というふうに決めて動き始まったっていうところですかね!
だから本当に若干スタートは勘違いのところもあるんですけど、本当にご縁があって、なんかちょっと…思いをつないでいければなっていうふうに思ってますし。で、なにせ白川さんが同郷の福島でしかも近所だった!っていうところが…もう、どうにもこうにも、まあ…白川さんもちょっと道半ばというか気持ち残されて亡くなられたところもあるんですけど…。
まあこれはもう本当に…自分勝手な思いのところなんですけど、それをつないでいけるのは自分しかいないかな〜みたいなふうな考えに至ったんで、もうここに今、はい…今年も開催されますけれども。

岸田 今年はいつ?

横山 (2026年)7月12日ですね!日曜日 1日開催になっちゃってますけど

岸田 もしね、福島の方がいらっしゃれば、またこちらにも参加していただければなと思います!

横山 お待ちしています!

岸田 そして一番上がっているところがですね…娘さんの小学校の卒業ということで。

横山 そうなんです〜!本当にこれをなんとか見届けることができました〜!本当にもうこれはこの上ないです!はい、卒業式では…泣いてました〜(笑)

岸田 このね!卒業見届けるためみたいな形でこう…なんか途中思われた?

横山 そうです!はい、がんになって…特にあの肝臓に転移発覚した時に、やっぱり…肝臓に転移した後の平均的な生存率を調べるわけですよ。再発率が70%か80%ぐらいで、3年生存率で確か40〜50%で、5年生存率で30〜40%ぐらいですよね?卒業を見届けられるまで確率…その数字上ですよ、これは誰かに当てはまるわけじゃないんですけど、その数字を見た時に僕の中では半々だな…っていうふうに思ったんで。とにかく…これだけは!もし何があってもこれだけは見届けてから!っていうふうに思ってたんで、僕の中の本当に最終目標だったですかね。はい、だから、ようやくここまで来れたな〜っていうので、すごい感慨深いですね〜。

岸田 よかった〜!

横山 ありがとうございます!

「QOLを優先したい」と主治医に伝えた——強い薬と弱い薬のあいだで

岸田 そんな横山さんの、ペイシェントジャーニーの今までのグラフでございました。ここから各項目に分けてお話をお伺いしていきたいなということを思っております。まず一つ目が、病院や治療の選択といった中で、このお話の中でもね、主治医の先生とね、執刀医の先生とどのようなお薬をしていくか?というところがありましたけれども、病院は最初の…クリニックというか病院から紹介された病院に行ってということだと思いますが、病院や治療の選択、これで迷ったこと、そしてここをこう考えて自分はこうしたよ!みたいな、そういったものってあったりとかしましたか?

横山 そうですね、先ほども肝臓を切った後の抗がん剤の選択については強い薬と…ちょっと言い方変ですけど、弱い薬とを選択できたんですけど、僕は…俗に言うQOLですよね、生活の方を優先したいというふうに主治医に伝えてそれを理解してもらって薬を選択した・できたっていうのが、治療に向かうにあたってやっぱり気持ちの整理ができてたんですよね。だから結局…弱い薬を選んで生きることをあきらめたってわけじゃなくて、オキサリプラチンっていうのに強い副作用が出てしまったのもそうなんですけど、もうとにかく異変があったらすぐに病院に行って肝臓に再発していれば何度でも手術を受けられる、手術を受けられる間は生きられるっていう考え方にいったので…。そこの辺のところで抗がん剤も選択したし、頭でそんなふうにいたので、やっぱりその…筋肉をつけとこう!とかウォーキングを継続しておこう!っていうふうな考え方になれた…っていうところですかね。

手術後は「トイレが友達」——1日数十回、便意を感じない体との付き合い

岸田 はい。そんな中で次こちらですね、つらかったこと、副作用や後遺症。先ほどね、オキサリプラチンのお話もありましたし、味覚障害などのお話もあったかと思いますけれども、大変だったこと…いかがでしたか?

横山 はい。大腸がんあるあるですけど、やっぱり…排便障害ですよね、まずは。手術後はもうトイレが友達ですよね。1日の回数ってもう数十回ですよ!もうお尻が…痛くて!痛くて!!しょうがないですし。で、S状結腸がないんで、今もそうなんです、トイレに行きたいっていう感覚がないんですよ。

岸田 あっ、そうなんですね!

横山 はい、ほぼないんです。だから…手術の直後って、急にあの…漏れそうになる限界値のあれがいきなり来るんですよ!いきなりもう…ギリギリのここにやつがいる!っていう状況がいきなり来るんで、もうトイレに駆け込んで出すっていうのが常に…。

岸田 じゃあ…自分の中で時間を決めて行かないといけないみたいな感じですか?

横山 それもありますね、はい。だから…出たいか・出たくないかじゃなくて…必ず朝と寝る前にはトイレに座るっていうのは習慣にしてましたし…。

岸田 そっか!ただ手術直後はね、コントロールが難しいでしょうから。

横山 はい。

岸田 やっぱあれですか?オムツ的なものを履いたりするんですか?

横山 いや!あのそれも…アドバイスは受けたんですけど、オムツを履く僕はちょっと…覚悟は持てなかったですね。だからもうトイレは友達で、出かける時は常にトイレのある場所でウォシュレットのある場所はチェックしておく…は絶対ですね。あとはトイレをどうやって快適に過ごすか?ということに関しては結構気を遣って。これは妻に結構 言われたんですけど、漫画をトイレにいっぱい置かせてもらって…。

岸田 漫画を読んで?

横山 そうですそうです!

岸田 出るのを待つみたいな?

横山 そうですね、出るのを待つのもありますし、出っ放しの時もありますから、出っ放しの時も漫画を読みながらっていう感じですね!

岸田 ちなみにどんな漫画を?

横山 『東京リベンジャーズ』とか当時『 呪術廻戦』とか、(週刊)少年ジャンプで学生の時読んでたのようなのを…当時CMかなんかで流行ってたのを見始まったって感じですね!だからこの年になって…漫画を久しぶりにまた集め始まってましたかね!

岸田 そのような工夫をされてトイレを乗り切っていた!ということですね〜。

「もう頭上がんないです」——両親の看病と地震のなかで支え続けた姉さん女房

岸田 そして次こちらになります、家族やパートナーのこと。主に奥様のお話をお伺いしたいんですけれども、やっぱり奥様…さまざま支えてくれたエピソードをお話いただきましたけれども、こうしてくれて嬉しかったよ〜ということとか、もうちょっとこうしてほしかったな〜みたいなもの、あったりとかしますか?

横山 そうですね、こうしてほしかった……。

岸田 あっなかったらいいです!そんな!これで嬉しかった!だけでも。

横山 もう…うちの妻にはもう頭上がんないです!姉さん女房なんですけど、本当に地震があって…仕事の方もそうですし、うちの父親と母親の体調もあったっていう中で本当に両方を見て私のことを支えてくれて、病気の時にもうやるだけのことをやってくれたんで…。で、冒頭にもありましたけど、10周年の旅行を連れて行ってないんで!後から過ぎた後にね…行こうか〜っていう話なんですけど、もういいわ〜!っていう

岸田 そうなんですかー!?

横山 ちょうど15年目にあたるのが2027年の3月にあたるんで、その時にはちょっとね。

岸田 うん!

横山 どっか一緒に…娘と3人でですかね…。最近娘が生意気なってきたんで、置いて2人で行ってもいいですけど…(笑)

「サンタクロースの正体って誰だか知ってるんかな?」——12歳の娘に、初めて病気を話した日

岸田 いやいやいやね!家族でね!そういう本当に…もういろんなところでサポートしてくださった、そんな奥様もいた中で…今のお話も出てきました、娘さんのこと。結局娘さんにはがんのことは伝えたんですか?

横山 えっとですね、あの……なかなかやっぱり(がんに)なった時は伝えられなかったですね。当時小学校2年生ですね。で、何かは入院して家を開けるっていう状態を説明しなくちゃいけないと思ったんで…なんとなくちょっといないよっていう話はして…たんですけど、自分ががんであるっていうことは面と向かってはやっぱり言えなかったんですよね。ショックを受けんじゃないかっていうことと……理解できるとは僕の目からは見えなかったんで…どう伝えたらいいか?っていうのはもう何年も悩み通し…悩んできていました。

岸田 今はどうですか?今はもう伝えた?伝えてない?

横山 ぶっちゃけ…そうですね、あの…(がんノートの)収録が決まって…で、3月ですかね、あのサンタクロースって…家にサンタクロース来てたけどサンタクロースの正体って誰だか知ってるんかなぁ?っていう話から…。

岸田 ほうほう。

横山 うーんと…まぁちょっと…あの初めてですね、ちょっと話はできま…した。

岸田 した!?

横山 した!

岸田 がんの話が全然つながらないんですよ!(笑)どういうこと!?

横山 ちょっといいですか?僕やっぱ…12月22日に最初…見つかったじゃないですか?2日後クリスマスですよ!で、実は肝臓の手術を受けたのが12月の22日なんです、また。っていうことは…12月のクリスマスって……ちょっとがんの治療中の間ってまともにちょっと…いれなかったんですよね。だから…そのクリスマスが最後かもしれないと思ったんで…ちょっとデータがないんですけど…めちゃくちゃでかい…僕UFOキャッチャーが結構得意な方なんですけど、UFOキャッチャーでじゃがりこの大きな袋をUFOキャッチャーで取って、そこにドン・キホーテでお菓子を大量に買って入れて、で、あとその時々で娘が欲しいプレゼントをこう…サンタクロースだよ!って言って…渡してあげてたっていうことがありまして…。で、そこからまあ…ちょっと恩着せがましい言い方ですけど…あれは…本当に一回一回一生懸命、クリスマスいないけどさみしい思いをさせたなっていうところで…一生懸命やったよって。ごめんなさい!うまく説明できてないんですけど、恩着せがましく(笑)話をして、そういうふうにしてたのは実はパパが…病気でいれなかったからだよっていう話からでですね。ちょっとすいません!まとまってなくて。

岸田 いやいやいや。娘さんの反応はいかがでした?

横山 え〜…うん、どうでしょう?どうなんでしょうね(笑)なんかさらっと、ふーんみたいな感じのところもありましたけどね…どうなんでしょう?僕のしゃべり方が悪いですか?

岸田 いやいやいや!あの…娘さんに十分伝わってなさそう…(笑)

横山 親の心子知らずってことですよね!

岸田 分かんないですけど(笑)僕らに…そうですね、気持ちは伝わってきました!すごく!!なので、あとはどう娘さんが思われているかっていうのはね、その娘さんしか分からないような状況ですけど、一応横山さんなりには伝えた!ということでね

横山 そうですね!

岸田 別にその後、ギクシャクしてなったりとかないですもんね?普通に今まで通り?

横山 そうですよ!何もなかったように、はい。

1日3時間トイレから出られない日は、予定が組めない——抗がん剤服用中の働き方

岸田 そして次こちらですね、お仕事のことに関してなんですけども、お仕事のことね、先ほどペイシェントジャーニーのところでいろいろお話をいただきました。取引先の人たちがね、察してくれてというか…考えてくれて動いてくれてというお話でしたけれども、最終的に…仕事を今フルでできるようになったのってどれくらいかかりました?

横山 やっぱり抗がん剤の服用が終わってからですね。経過観察に移るまでは…やっぱり人と会う仕事がすごく多いのと、あと仕事柄…1回受けた仕事が終わるまで半年以上かかることもあるんですよ!結局、例えばなんですけど、土地を処分したいおじいちゃん・おばあちゃんがいて…その方から土地を預かって購入する方に引き渡してお金を渡してっていうところまではやっぱり3か月・半年…長いと1年ってかかるんですけど、そういった仕事はもうほぼ受けられない感じだったので、単発・単発で短いものをやらせてもらったのが…。そうですね…ちゃんと不動産屋に戻れたのは…本当につい最近という感じはしてますかね〜。

岸田 それはやっぱり…体力的な部分もあれば、その副作用の部分だったりいろんな部分があって?

横山 そうですね、もうとにかく排便障害で、抗がん剤服用中で何がつらいってやっぱり下痢だったんですよ…!副作用も波があるんですけど、やっぱりひどい時は1日にトイレに3時間いるとか…あるんですよ!そうすると予定を…入れられないですよね!?すいません!トイレから出れません!っていうので断らなくちゃいけないとか、予定がもう全く組めなくなっちゃうんで、そこの仕事はものすごくしづらかったですし。あと…ケモブレインという言葉が最近聞くようにはなったと思うんですけど、やっぱり頭が回らなくなってケアレスミスも自分でも自覚するぐらい結構出てはいたので。

岸田 そっかそっか〜。

横山 そこは終わってからですかね〜、副作用的な面で言うと。

岸田 今は下痢の症状とかはどうですか?

横山 あっ、そうですね!不安定ではあるんですけど、今は逆にちょっと便秘になりやすかったり…便意を感じない分、気がついたら便秘になってた!っていうことが結構起きやすくはなってるんで、そこの対策としてはやっぱり(酸化)マグネシウムをある程度常備しておいて…排便の回数とか量とかをある程度把握しておいて、あっちょっとこれ危険だな!と思ったら定期的に服用するっていうのと。あとは腸に刺激を与えるためにも、ウォーキングはもう常時毎朝習慣でやるようにしてる感じですかね、はい。

岸田 それに関してもだんだん…もうマシになってきた感じですかね?

横山 そうですね…あとはまあ僕も…徐々に年も取ってきておりますので…そこらへんの境目はちょっとある(笑)

岸田 皆さんね!そう、自分の加齢の影響なのかそれとも抗がん剤の影響なのか分かんないってよく言いますよね〜!

横山 困った時は ケモって言っちゃえ!っていうのはありました。

岸田 あるあるです(笑)じゃあ今は、仕事は普通に戻られてっていうことですね?

横山 そうですね、普通には戻れてるかな〜と思います!

会計事務所に勧められていた保険が、自営業の売上を3年に分けて支えた

岸田 あそして次こちら、お金や保険のこと。お金のことね、大事ですからね。特にやっぱり横山さんの場合、自営業ということもありましたのでちょっとお伺いしたいんですけれども、まず民間の保険は入られてましたか?

横山 入ってました!これもちょっと…自分の意識が高くて入ってたっていうわけじゃなくて、どうしても付き合いの…保険屋さんがいらっしゃったんで付き合いで入ってた。それが、たまたまよかったっていう結果にはなってますね。僕の場合には医療保険とがん保険と入ってたので…もう本当に治療費には全く保険で困らなかった!っていう状況です。あと自営業で会社の方の収入がやっぱり影響が出ちゃったんですけど、実はそこも…付き合いのある会計事務所さんから何かあった時のためにっていうので入ってた保険があったので、会社の売上を補填するためのものですね、なのでそこで3年分…ってわけじゃないんですけど、括でドカッと下ろしてもらって、それをちょっと3年に分けて払い出してもらったっていう感じで…助かりましたね〜。ほとんど自身の報酬は(治療の)費用に飛んでったんですけど、それで助かりました。

岸田 そっか!その中で…ご自身の医療の保険・がん保険であったりだとか、収入を保証するような…収入というか、自営業で…少なくなった分を補填するようなそういったものにも入っていて?

横山 そうですね、だから改めて保険は入っておいてよかったな〜っていうのは、もう本当に実感は身をもってしているところですね。だからもし迷っている方いたら、経験上は入った方がいいよっていう話は必ずしてます!

岸田 これは横山さんの経験談としてですね。他にお金…その他に必要なものとかありました?大丈夫でした?

横山 そうですね、あの保証が結構手厚く入ってたので…例えば…健康管理に使う別のところの支出っていうのもそこで僕は賄うことができたので、本当に…そうですね〜よかったですね。他のところは特段は…。

家中の調味料を皿に出してなめたら、生姜と胡椒だけ味が分かった

岸田 治療費に関してはそういったところで、全部賄えてっていうふうな形かなと思います。そして次こちらですね、工夫したこと。何かこう治療中もしくは治療後ね、先ほどウォーキングのお話もありましたけれども、工夫していること・したことはありましたか?

横山 そうですね〜、えっと、排便コントロールで運動っていうのは取り入れて、間違いなく効果がある!っていうことは実感できたのと、あと味覚障害の対策として僕がやったのは、やっぱり食べるの好きなんですよ!はい。妻にもよく怒られるぐらい間食も好きですし肉も好きでして食べること自体が好きなんですけど、味が僕は塩味と甘みが全く抗がん剤の副作用で分からなくなったんですけど。それでも…食べる楽しみを奪われたっていう思いと、なんとか…おいしいって感じたいな〜って思ったので…家中の調味料を本当に味が分からない…味が分からないって言っても人によってさまざまなんですけど…本当に何の味も分からないのかな?っていう疑問を自分の中で持って、家にある調味料を全部出して皿にこうやって…なめたんですよ!そしたら…生姜(しょうが)と胡椒(こしょう)の味が分かったんですよ!

岸田 ほう!生姜と胡椒!

横山 なんていうんですかね、生姜の辛味成分みたいなのと胡椒の辛いっていうか…が分かったんで、うちの奥さんにその生姜と胡椒で味付けをしてもらいました。

岸田 ふ〜ん!

横山 当時…妻がすごく真面目で、図書館から全部本を借りてきて、で、書店に行ってがんのための食事みたいなのを全部いろいろ調べてくれて、料理を作ってくれたんですよ!で、そこに関してはものすごい感謝しかないんですけど、やっぱり…本に載ってるやつ全部を合算すると、例えば肉ダメだ〜!とか加工食品ダメだ〜!味の強いものはダメだ〜っ!ってなってくるじゃないですか?そうすると、妻が健康のためにって作ってくれた料理が…ただでさえ味覚がない状態で、すごく味気ないものだったんですよね。正直これ妻には…うーん、ありがたいんだけどつらい…っていう話をして、で、じゃあどうする?って言った時に、結局何がつらいのか?って言ってもなかなか家族でも伝わりづらいところあるじゃないですか?だから、そこの意思疎通を図るためにも自分の味覚に疑問を持って、生姜と胡椒が分かる!ってなったんで、生姜と胡椒で味付けしてもらった料理を食べた。それで食べれるようになったし。なんで食べれないの?とかこれだけやってるのに!っていう部分も多分あったと思うんですけど、そこの妻とのコミュニケーションもそこでうまくいったし意思疎通も図れたしっていうところで…そこの工夫というかは、自分でもやってよかったな〜って思ってるところですかね。

岸田 全ての調味料をね!味見すると…味がするものにちょっと料理を変えてもらうっていう?

横山 そうですね。

岸田 すごい!そこは。それは多分…人それぞれ違いますよね?多分ね。

横山 多分違うと思います!いろんな患者さんとしゃべってても、味覚障害の出方って皆さん全然違うじゃないですか?全部甘く感じるとか苦く感じるとかってあるんで…だから、これはもう…もしかしたら皆さんにやってくれっていうのも変な話ですけど…何かはもしかしたら…当たるっていうかいける!もしくは組み合わせ自体でちょっと変わったりするのかな?見つかったらいけるかな?っていう感じですね。

腫瘍マーカーは正常値のまま再発した——数値をどう受け止めるか

岸田 ありがとうございます。次こちら、情報といたしましてがんに関する情報をどうやって手に入れていたのか?といったところになるんですけれども、あれですよね?横山さんは先ほど…勉強会にも参加されたというふうなことがありましたけど、情報に関してはどういったところでいろいろ情報を手に入れましたか?

横山 情報自体はやっぱり最初はネットを見あさってましたし、新聞記事というか…がん情報サービスも含めて見れるものは見させていただきましたかね〜。ただやっぱり情報ってどれが正しいかどうか?って判断するのは…すごく難しいんですよね〜。その中でやっぱり押川先生の勉強会に参加させてもらって…腫瘍マーカーをどういうふうに捉えたらいいのか?とか、情報の精査の仕方はちょっと学ばせてもらったところがありますかね。

岸田 腫瘍マーカーをどう捉えたらいいんですか?

横山 僕も結局…がん再発したんですよ。腫瘍マーカーは正常値だったじゃないですか?だから腫瘍マーカーってどこまで信じていいの?っていうところは…僕の中でもやっぱりそこの時、疑問出ましたよね。だって再発見つかるまで腫瘍マーカーが大丈夫だったら…再発はないだろうと思って抗がん剤も服用してて…腫瘍マーカーに全然動きがないから安心してたんですけど……結果自分が身をもってそうじゃないっていうことを分かってしまったわけじゃないですか?腫瘍マーカーの精度ってどのぐらいなんだろう?って言ったら、やっぱり…ごめんなさい、これ訂正入れてもらわないといけないかもしれないですけど、4割程度らしいんですよ。だからがん種によっても全然違うし、腫瘍マーカーの扱い方、だからがんって腫瘍マーカーが数値がグッと1万とかなんぼって上がった状態で治療を行って減っていく時には腫瘍マーカーって有効だけど…。がんかどうか分からない、0か1の状態で腫瘍マーカーってあんまり気にしても意味がないんだなっていうことも…ちょっと押川先生から教えていただいて、なるほどな〜!だから…自分も腫瘍マーカーが全然正常値だったんだっていうのは納得いったので…そこで数値に惑わされなくなったっていうところもありますしね〜。

岸田 数値ね、本当細かいところを見ていったらね、それで一喜一憂してしまう方もいらっしゃるかもしれないですけどね〜。そこに関してはあくまでも参考値という形でね…思っていくっていうのが横山さんの経験談かなということになります。

運動ゼロからウォーキング、そして市民マラソンへ

岸田 そんな中で、がんになる前と後で変わったことといたしまして、がんになる前と後、何が一番変わりましたか?

横山 そうですね…妻に言わせると、がんになったおかげで健康になったね!って言われるんですよ。これ皮肉が混じってるんですけど、結局それまで僕は運動って全くしてなかったので、そこからウォーキングして、今は一歩ランニングとかするようになって市民マラソンにも4月末にまた地元のやつ出る予定にはしてるんですけど…そこの健康の意識は明らかに変わりましたかね!あとは悪い方で言うと…食べたいものを食べたい時に食べるようになっちゃってるので、我慢しなくなった…。

岸田 全然いいじゃないですか!

横山 あとはまあ…そうですね、人付き合いのところでいうと、あんまり顔色を窺うようなことはなくなったかな〜というところはあります。嫌なものは嫌でいいんじゃないかな〜というのと、好きな人と一緒にいたいな!みたいな感じ。どうですかね?

岸田 顔色を伺わない!というふうにね。すごくね…僕もすごく…感じるものがあります(笑)

「早く行け、この野郎」——検査を先延ばしにした自分への喝

岸田 それでは次にですね、あのときの自分へということで、あのときの自分にこう言葉がけするとしたらこうするなっていうこと、何かあれば教えてください!

横山 いやあの…どこのタイミングかのあのときにもよるんですけど、まずは検査を先延ばしにしたせいでこうなったので…、そのときの自分が目の前にいるとしたら、もう早く行け!この野郎っ!ていう感じで喝は入れてると思います!

岸田 検査を先を延ばししない!と。

横山 そうですね、あとは…暗くてすごい落ち込んでる自分に関しては…もうとにかく落ち込んでる暇なんかないぞ!と、もう今やれることやれよ!!っていうのは、多分本当に…喝入れる感じで言ってると思います!自分に対しては。もう落ち込んでても何も変わらんぞ!っていうことは言ってると思います。

娘の成長を、妻と2人で見届ける——卒業と入学の、その先へ

岸田 だからね、今ね、いろんな活動もされていったりとかしているということかなと思います!そして次こちら、大切にしたいこと、夢や目標などっていったところにはなるんですけれども、いかがですか?横山さんの今後の夢や目標。

横山 そうですね〜、夢と目標で言うと、今本当にがんになってから娘の成長をそばで見たいっていうことで…小学校の卒業とそれこそ中学校の入学も見届けることができたので、もう…この先に関してはそうですね、もうできるだけ娘の成長を妻と2人で見届けたいな〜っていうのと。あと (日本)癌治療学会の時にがんノートの企画の方に観覧させていただいて…遠藤(健正)さんと舞台袖で握手しながら固くしゃべってたのは、娘の彼氏をぶっ飛ばそうか!っていう話。

岸田 (笑)そっちか!(笑)そっちか〜(笑)ほう。

横山 遠藤さんがボクシングやってるんですよね。大腸がんでって言って…舞台層で降りて…横山です!僕も大腸がんなんです…って、話感動しました!って言って、バーッて子どもさんがいるのを、娘いるんですって言って…そしたら……やるしかないね〜!!って(笑)やるしかないね〜 !って(笑)やります!って言って(笑)そんな…話をしていたので、娘の彼氏に会うことを目標に頑張っていきたいと思います!

岸田 はい、将来の娘さんの彼氏さん……逃げてください。

横山 (笑)

岸田 もう…はい(笑)本当に切実にお伝えさせていただきます!

横山 (笑)

「ひとりじゃないよ」——横山さんからのメッセージ

岸田 最後メッセージといたしまして、横山さんからですね、視聴者の皆さんにメッセージをいただいておりますので、こちらになります!

横山 私からは、ひとりじゃないよという言葉を送らせていただきたいと思います!僕も一人で本当に…つらくて夜寝れない時とかもあったんですけども、本当に同じ先輩(がん)サバイバーさんに出会って勇気をもらって、一つ一つ考え方であったりとか不安から抜け出すことができたので、もし。がんとの闘いってやっぱり…恐怖とか不安とか自分の気持ちとの闘いでもあるかなと思いますが、その時必ず誰か手を差し伸べてくれる方はいると思いますし、今僕が活動しているリレー・フォー・ライフについても来てさえいただければ、必ず誰か手を差し伸べてくれる方いますので!一人で抱えている方、一歩踏み出していただければ何か変わるんじゃないかな!と思っております。

岸田 はい!テイク2終了でございます(笑)

横山 まとまってない…すいません。

岸田 いやいやいや、しっかり伝わりましたよ!

横山 そうですかね?まとまってないな…。

岸田 本当にね、周りの人にも頼ってもらえたら!ということを思いますので、ぜひね!リレー・フォー・ライフが全国でありますので、(日本)対がん協会さんがやっているイベント、こちらにももしタイミングが合えば足を運んでもらえたら嬉しいな!と思います。福島には横山さんがいらっしゃいますので!ということでございます。

横山 お待ちしています!

岸田 といった中でがんノートを終了していくんですけれども、横山さんいかがでしたでしょうか?

横山 楽しかったですね〜!

岸田 楽しかったです!?

横山 岸田さんの…セッティングの裏話と。

岸田 セッティングの裏話…!?(笑)

横山 (収録の)裏側が見えたのが、本当によかったです!

岸田 皆さんね、裏側を見てみたいな!という方はぜひ応募してもらえたら(笑)出演者として見にきていただければ、私がわちゃわちゃして…収録しながら…画面を操作しているのが見て分かるかなと思います(笑)はい、それではですね、これにてがんノート終了していきたいと思います!皆さん次の動画でまたお会いしましょう!それでは皆さん、バイバ〜イ!

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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