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インタビュアー:岸田 / ゲスト:宮田

65歳、毎日泳いでレクサスで湘南へ——和歌山生まれ・元電気メーカー社員の宮田さん

岸田 今日のゲストといたしまして、宮田さんとなります!宮田さん、改めてよろしくお願いします!

宮田 よろしくお願いします!

岸田 宮田さん、簡単に自己紹介からいただいてもいいでしょうか?

宮田 生まれは和歌山でございまして、仕事をしてからずっと東京に現在も住んでおります。現在65歳です。家族は妻ともう独立してますけれど息子3人がおりまして、仕事は会社員、電気メーカーをしてまして、60歳の時に定年退職をしております。

岸田 じゃあ、もう定年退職から5年経って?

宮田 そうですね。

岸田 そして、趣味は?

宮田 そうですね!旅行、車でドライブすることも含めての旅行と、水泳を毎日しております!

岸田 毎日!すごいですね!!そんなドライブっていったところの趣味ってあるんですけど、ドライブ…ちなみにどちらの方にドライブ行かれるとかあるんですか?

宮田 いろんなところ行きますけれど、やっぱり海の方に行ったり湘南の方に行ったりとか、あるいは山を見るのが好きなので富士山の方に行ったりとか、そういう方面に行ったりするのが好きですね!

岸田 そうなんですね!えっ、ドライブの魅力ってやっぱり景色とかそっちなんですか?それとも…車で…ガンガン攻めているとか?(笑)

宮田 ガンガン攻める歳でもないので(笑)もちろん…走ること自身が好きですし、走りながら…歌を歌いながら走ったりとか、横で妻は寝てますけれど、一人で気楽に歌を歌いながら走って。もちろんきれいな景色っていうのも大好きですね!

岸田 今のがんノートの歴代ゲストさんの中にも車が趣味っていうふうな方もいらっしゃって、どんなお車に乗られているとかあるんですか?

宮田 ちょっと自慢ですけど、トヨタのレクサスっていう車でございます!

岸田 いいやつですね!そんな宮田さんなんですけれども、がんのことについても教えていただけますでしょうか?

宮田 今からもう約20年前ですけれど、44歳の時に直腸がんが見つかりまして、ステージ3Bという診断でした。手術をいたしまして、現在は寛解して快復しております。

「絶頂期」から始まった20年——週末起業、血便、そして再発疑いまで

岸田 手術・薬物療法などをして今は寛解しているというふうな形でね、その時のちょっと…いろいろお話を聞いていけたらなということを思っております。

これからですね、具体的に聞いていくんですけれども、個人の経験談でございまして、特定の治療法を推奨しているわけではございません。何かありましたら主治医の方にご相談いただければと思っております。また、この後グラフが出てくるんですけれども、グラフはね、感情の浮き沈みなどを表しております。

といった中で、こちら、ドン!というふうな形でですね、だんだんちょっと下がっているような…そんな宮田さんのペイシェントジャーニーかなということを思います。はい、まずですね、ちょっとこの宮田さんのペイシェントジャーニーをお伺いしていければと思います。

まず初め、こちら!2005年の44歳の時、週末起業されていたと?

宮田 そうですね。ちょっとこの前の話も…実はあったりするんですけれど、40歳の時に実はビジネススクールに行ってMBA(経営学修士)取ったんですよ!で、それも会社のお金で(費用を)出していただいて、2年間給料をもらいながら早稲田(大学)のビジネススクールでMBAを取得しました。

非常にラッキーな思いしてですね、会社に戻っていろいろ新規事業のトライとかもしてたんですけど、やっぱりなかなか…やりたいことができないなというのがすごくありまして、44歳の頃にもう…これ以上やっぱり会社にいても自分のやりたいことを実現できないから、本当はもっと長く会社にいなきゃいけないんですけれど、辞めようかな〜と思ってました。

当時 流行ってた言葉なんですけど、週末起業という言葉が流行りだしてまして、いきなり…会社辞めて起業するよりも、ある程度準備をしながらですね、めどが立ってから辞めた方がいいんじゃないの?という考え方が週末起業でして、とりあえず形から入ろう!と思って妻の名義で企業を作っちゃいまして、登記もしまして、で、私は全くボランティアとして仕事をし始めた頃でした。

岸田 ちなみにどんな業種というか?

宮田 もともとIT関連の仕事でしたので、IT関連の仕事をするような準備をしてました。

岸田 バリバリ仕事を、平日は自分の今のお仕事をされて、休日は違うお仕事を?

宮田 絶頂期というか一番…てんぐになっていた時ですね。

岸田 MBAを取得されてね。絶頂期!から、一つずつ下がっていきますが、それがこちら、まず血便と?

宮田 そうですね、はい。大したことなかったんですけれど本当にトイレで用を足して、本当にこれ幸いなんですけど、当時うちのトイレにウォッシュレットはなかった。毎回紙できれいに拭き取るというのが習慣でしたけれど、本当にトイレで紙を拭き取って見た時に、ペーパーにちょっと血が付くなという程度の血便。血がバーッと流れるというのではなくて、その程度の血便があったんですね。

普通そういうので、がんだな!と思う人ってなかなかいないと思って、私もそうでしたし、痔(ぢ)なんだろうなというふうに思ってましたね。

岸田 初めは痔(ぢ)ということを思われていて、そこまで気にされていないからこの…赤色のポジティブというか?

宮田 そうですね、ちょっと心配だなという程度ですね。

岸田 うんうんうんうん。じゃあ、その時は…あ〜血が出たな〜ぐらいでそのまま終わっていたという感じですね?

宮田 ずっとではないですし、つく時もあるし・つかない時もあるという程度だったので、本当に日々の忙しさに紛れて全然気にしてはなかったというのが実態だと思います。

岸田 血便って…我々のイメージしている血の色と、血便の血の色はどうなんでしょう?

宮田 わりと赤い色でしたね。ですから、トイレでトイレットペーパーでお尻を拭いた時に、便の茶色とそこの中に少しだけ赤い血がついてるなっていう程度なので、でもその…出口の近い部分なので赤い血なんですよね。

岸田 じゃあ鮮血というか?

宮田 そうですね、はい。

岸田 鮮やかな血があるということですね。

宮田 なので、もし…うちにウォシュレットがその時にあったら、気づかなかったかもしれないです。それはすごく、もしかしたら今…その時にウォシュレットがあったら、私はここにいないかもしれないなとか思ったりもします。

岸田 ちなみに今は?

宮田 もちろんありますね(笑)

岸田 ウォシュレットが今はあるんですね(笑)そっか!もうそれ…。

宮田 あまり言うと…TOTOさんに叱られるんで(笑)

「痔だろう」と言われ続けて——子どもが遊んでくれない夏休みに受けた注腸検査

岸田 いやいやいや(笑)今はウォシュレットを使われているということですね。その後こちらですね、クリニックで診察と?

宮田 そうですね、近くの行きつけのお医者さんのところでちょっと軽く相談したんですね。痔(ぢ)だろうと。年齢もまだ…(当時)44歳ですし、痔(ぢ)だろうということで、でも…心配だったら大きな病院に紹介状を書くから行ってみたら?といって紹介状を書いてもらっていたんですね。

岸田 それで気になったらということで、紹介状を書いてもらったりとかしている。まだその時は…大事にはいたらずということで?

宮田 全然そうですね。まさかがんだとは全然思ってませんでしたので。

岸田 このクリニックは…なんか肛門科とかそういうやつ?

宮田 いえいえ、内科ですね。

岸田 内科に、普通の内科で診察していって。その後ですね、これが何だったのかというと…病院で検査。

宮田 はい。紹介状を書いてもらって、ちょうど…子どもが夏休みの頃だったんですね。この頃小学生、中学生1年生かな、子ども3人男の子がいるんですけど、やっぱり休みになると子どもと遊ぶのが大好きだったので、その頃ずっと週末になるとどっかで車でドライブして遊びに行くっていうのが日課だったんですけれど。

中学生になってきた頃からだんだん子どもが、一番上がね、中学生になってくると遊んでくれなくなるんですよ(笑)子どもは子どもでいろいろ忙しい(笑)会社の夏休みの時だったと記憶しているんですけれど、子どもたちがいないと、遊んでくれないんです、暇だと。

しょうがないからじゃあ病院に行ってみようかな?というので大きな病院に行ったというのが、もしその時に行っていなかったら、多分また夏休み終わって仕事に翻弄されていたら、何か月も行かなかったかもしれないなと思いますね。今思うと本当にそんな偶然の積み重ねです。

岸田 じゃあ、本当にタイミングなんですね?

宮田 そうですね。

岸田 そのタイミングがあってというか、それで病院で検査をやるということで病院で。この時じゃあ…この時は何科に通うんですか?

宮田 外科に行きましたね。行った病院が、私の自宅の近くの総合病院なんですけれど、いわゆる肛門科みたいなものはなかったので外科の診察を受けました。

そこでも先生に血便が出てどうのこうのと話したら、その先生も痔(ぢ)だろうというふうに言われて、実は簡単に…お尻の穴に何か器具を入れたりとかして一応簡単な検査をされたんですよ。その時もちょっと痔(ぢ)があるから大丈夫だろうという形だったんですが、その時はそれで多分終わったんです。

その後でまたもう一回なんか違う用事で病院に行った時に改めて行って、この辺りは自分がブログを書いているのでブログを読み返してみたんですけれど、改めて相談して、じゃあ心配だったらもうちょっとちゃんとした検査をする?って聞かれて、で、お願いしますって言ったんですね。

その検査というのが、当時今ほど内視鏡がまだメジャーじゃなかった。大腸の検査をするのに一番最初にやる検査というのが注腸(造影)検査といって、バリウムをお尻から入れて胃からのバリウムと同じようにこういう台の上に乗ってグルグルグルグル回されるというような検査をしたんですね。で、その検査で…痔(ぢ)じゃない、結構大きなものが見つかったというのがこの病院での検査です。

岸田 じゃあしっかり検査してみようということで、検査して。

宮田 そうですね。

岸田 そこの中で検査をしていってどうだったのか?ということになっていくと…がん告知を受けると。

宮田 そうですね、検査の時は全然そんなつもりじゃなかったんですけれど、その検査結果を聞きに行った外来で、先生もびっくりしてまして、あったよ!まさかこんなのあるとは思わなかったよ!みたいなことを言われまして、がんですと。で、かなり…まあ早期ではないですと。5センチぐらい直腸のところにがんらしきものがあって、もうすぐにでも手術をしないといけませんっていうふうに言われましたね。

頭は真っ白にならなかった——母をがんで亡くした経験と、『患者よ、がんと闘うな』

岸田 へー!ただ、この時の感じではがん告知…全然プラスマイナスでもなくなんかフラットな感じなんですけど。

宮田 何なんだろうな…そのいわゆる頭が真っ白になってっていうようなことを聞くこともありますけれど、私のその時の印象は頭が真っ白になってというよりも、うーん…いいのかな…私の母親はその時の20年ぐらい前にがんで亡くしているので、がんという病気に対してそんなに…全く初めてじゃなかった、知らないものじゃなかった。

かつ、その時母親のがんの闘病の経験から思っていたことは、お医者さんが言う通りにそのまま受け止めてすぐに入院して・手術してということが果たしていいのかどうかな?という疑問も少しあったんですね。

今から本当に20年前の話ですので、今ほど…がんの治療というのが標準化されていないこと、時代でもありましたし、あるいはベストセラーになった『患者よ、がんと闘うな』っていう本を読んでたこともありましたので、かつ…私の母親の闘病っていうのはやっぱり無理な治療で寿命を縮めたなっていうのは結果論として思ってたこともありましたので。

がんの告知を受けた時っていうのは、がーん!!っていうわけではなくて、わりと冷静に、じゃあこれから自分はどうしたらいいのか?この先生を信じていいのか?この先生の言うとおりにすぐ入院して手術していいのか?みたいなことを頭の中ですごく考えてた記憶があります。

岸田 そうなんですね、お母様のこともあって…というふうなことがあった。その中で、この…がん告知を受けていった中で、治療に入っていかれます。その治療が…手術ということで。

宮田 はい。

岸田 あれ?先ほど…いろんな本を読まれていた中で、僕の記憶違いでなければそういった本ってどちらかというと治療をやめておいた方がいいんじゃないか?みたいな医療否定本だと思うんですけど…?

宮田 その本の中にも書いてあったんですけれど、大腸がんってやっぱり形が大きくなっていくと、放置しておくと便が通らなくなるというような事態にもなることが多いので、そういう場合はやっぱり手術で取るということは非常に大事な選択肢だというようなことも書いてあったので、そういうこともあって手術をしようというふうに決めました。

「人工肛門にならずに済んだよ」——目覚めて最初に言われた言葉と、退院後の湘南ドライブ

岸田 で、手術をされていくということですね。皆さんね、こちらの治療に関しては、まず主治医の先生にしっかり話を聞いてというのが大事だと思いました。あと、今さまざまなエビデンス、科学的根拠などがありますので、そちらを参照にしていただいたりだとか、それで決めていっていただければと思います。これは当時の『20年前のお話』ということで、皆さんにも聞いてもらえたらと思っております。

そして手術、治療をされていく中で開腹手術、これガッツリ切ったんですかね?

宮田 そうですね、今でも…かっこいい傷跡が残ってますけれど、いわゆる開腹手術ですね。

岸田 で、この時に…直腸がんですよね?

宮田 そうです。

岸田 であれば、直腸というところを取って人工肛門にするとかそういったところは?

宮田 直腸の手術の場合は、やっぱり肛門にどれだけ近いかによって人工肛門になるか・ならないかというのは決まるみたいでして、私の場合は…かろうじて多分人工肛門にならずに済むよというふうに手術の前には聞いてました。ただ、やってみなきゃ分からないからというふうに言われていましたので、手術から目覚めて最初に主治医の先生に言われたのは、 人工肛門にならずに済んだよというふうに言われました。

岸田 そうだったんですね。ただその直腸は…大部分は摘出していってということですね?

宮田 はい。

岸田 そっか、じゃあ…もう結構これは、ご自身的にはそんなに下がってないということは、もう…なんでしょう、つらくなかったって言い方変ですけど…?

宮田 もちろん手術は…術後は結構痛かったですし、ただなんていうのか、起業をしてね、起業をした時にブログを書き始めたんですよ。当時(2005年)そのブログということが一つのいろんな情報発信の手段として、今のようにSNSがあまり広がっていない世界ですので、ブログで何かを始めよう!というのが流行り始めていた頃。で、起業のブログを書き始めたんです。

岸田 あ〜、そうなんですね。

宮田 3日ぐらい書いた時にがんが分かって(苦笑)そのブログを今度は、新しく今度は…がんとの闘いの闘病ブログを書き始めていたんですね。だからすごく…ふざけた言い方かもしれないですけど、自分の人生なんかこう…いろいろ波があって面白いな!っていうふうに感じながら、手術ということに関してもがんということに関しても、すごく語弊があるかもしれないですけれど、自分の運命を楽しんでいるような、そんな…側面もあったかもしれないですね。

岸田 すごい客観的にね、見られて。そんな中でなんですけど、少し上がっていくのはこちら、おっ!退院して湘南ドライブと書いてあります。これはどういうことですかね?

宮田 1か月間ほとんど入院、手術の後入院してまして、おかげさまで本当に退院できて、すぐね、復職ということはせずに1週間ぐらい自宅で療養をしようということになりましたけれど。ただ結構…その時点でも体力も回復していましたし、家にいてもつまらないなと。平日だったので、子どもたちもいないし遊んでくれないなと。

妻と2人で、じゃあちょっとどっか行こうかって言って車で海の方まで走っていって、湘南で海岸沿いのレストランで、直腸の手術の後なのであんまり食べるものもおいしくいただけないこともあるんですけれど、なぜかすごく気持ちいい風のところでおいしくごはんを食べられて、気分がよくなったな!ということがすごく印象に残ってますね。

岸田 それを退院されてドライブされてちょっと自分のテンションが上がって、そんな形だったんですね〜。食事も普通に食べれるんですか?

宮田 そうですね、手術の後、入院中にだんだん本当におかゆみたいなものから通常食まで戻りましたので食事は普通に食べれますけど、ただやっぱり…直腸っていうのは便が溜まるところなので、トイレは近いというかやっぱり時間がちょっと怖いですよね。

例えば電車に乗るとか車に乗るとか、トイレにすぐ行けない状況を作るのは怖くは少しありましたけれど、その辺はなんとかなるだろう!と思って車で行きましたね。

ステージ1のはずがステージ3Bへ——血管に色がつく点滴と、小腸に詰まったニンニクの芽

岸田 そしてね、その後、ちょっとドライブの後…下がっています。何があったのか?あっ、薬物療法、治療をされていくんですね?

宮田 そうですね。私の主治医の先生というのは本当に今から思うと、なんというか昭和のボスみたいな感じの先生でして、実は手術前の判断はおそらくステージ1だろうというふうに言われていました。

ただ、手術をした後周辺のリンパ節も取ったんですけど、そのリンパ節の中にいくつか、実はかなり多くのリンパ節に転移があった。ステージ3Bというふうな診断なんですけど、正確な数字は覚えていないですけど、リンパ節に例えば10個とかそれぐらいの数の転移があったので、これは標準的な治療として術後は抗がん剤を投与して再発の防止をするための抗がん剤投与というのが一般的でしたので、それを行いました。

そういったことも、先生は結構軽く言うんですね。ちょっとだけなんか周りにあったから、じゃあ手術した後注射するよ〜みたいな軽い感じで、多分ステージ1からステージ3Bというと結構数字でいくとね、いわゆる5年生存率みたいな数字でいくとわりと大きな開きがあるんですよ。

そういったことを冷静に考えるよりも、むしろその先生の軽い感じの、大事じゃないんだというようなことを匂わしてくれる表現がすごくありがたかったなと後から思いますね。

実際はやり始めたら、1回目2回目は点滴で抗がん剤の通院治療をしたんですけど、大丈夫だったんですが、やればやるほどやっぱりね、キツくなってきまして、吐き気であったりとか、あるいは…見た目もその抗がん剤ですので、この点滴をね、ここから入れますけれど血管に色がついていくのが外から見えるんですよ。

別にそれ自身はそんなに悪いことではないと思うんですけど、なんか…自分の体がこうやって壊れていくんじゃないのかな?みたいな、なんかそういう不安に陥ったりとか。やはり、やればやるほどどんどんどんどん…副作用も強くなってきましたし、キツくなってきましたね。

岸田 だから手術の時よりもちょっと下がっていくような、そんな状況で。この薬物療法はなんか…通院で行うタイプの?

宮田 そうです、通院です。

岸田 通院で行っていくようなタイプの抗がん剤をされていったという感じなんですね。ちなみに抗がん剤はどれぐらいの期間されました?最終的に。

宮田 本当は1年間しなきゃいけなかったんですけれど、多分…半年いくかいかないぐらいの間に、もう結構先生にもキツくなってきたって言ったら、あとは飲み薬に途中から変えました。最初は点滴だったものを飲み薬に変えて、それでもまあまあ…つらかったですけどね。

岸田 飲み薬に変えても、半年〜1年ぐらいは(継続した)?

宮田 で、飲み薬に変えてしばらくしているうちに、だんだん次の事象がおこってくるという話になるんです(苦笑)

岸田 それが次、こちらになります。腹痛ということで、お腹が痛い?

宮田 そうですね、だんだん…ちょっと痛くなっては治まってということが何回かありまして、痛み止めの薬を飲んだり、あるいは主治医のお医者さんに痛み止めの注射をしてもらったりして治まるということが何度か起こってきてたんですけれど、やっぱり不安じゃないですか?何だろうこの痛み?っていうのは。

そういう不安がどんどん大きくなってくるのもありますし、だんだん痛みが強くなってきて、ある日、朝起きたら痛くて痛くてしょうがない!これはもうどうしようもないなと思って、手術をした病院に行って。

休日だったんですけど、休日の緊急の受付をしてもらって、1年前にここで手術をしたものですけどっていっていろいろ検査をしてもらったんですけど、朝その病院に入って…いろいろ検査をしててもなかなか何が原因かが分からない。内視鏡で見たりとか血液検査したりとかレントゲン撮ったりしてもなかなか原因が分からない。

夜までかかったんです。夜になって主治医の先生が休みなのに出てきてくださって、最後その先生に、自分が痛い痛い!とうなっているところに来ていただいて、宮田さん分からないから、もう…お腹を切るしかないからと、切って調べるよ!って言われまして、もう何でもいいから先生やって〜!って言ってやってもらったんです。

で、結果が開いてみたら腸閉塞だったということが、自分が当然手術から目覚めてから知らされて、小腸に前の日に食べたニンニクの芽が詰まってて(笑)それが出てきましたよ!と。

岸田 ほお!

宮田 消化の悪いニンニクの芽なんですね。もちろんそれがとどめになっただけであって、手術して癒着するっていうのは多くの人が経験してらっしゃることだと思いますし、そういう中でだんだん癒着が激しくなって、その癒着のとどめを刺したのがニンニクの芽だったと(笑)

岸田 ニンニクの芽が…。

宮田 詰まって、もう小腸の中で詰まって、で、そこがもうパンパンになって。

岸田 パンパンになって。

宮田 なので、そこを切り取って、まあ小腸はこれぐらい取ったのかな?

岸田 そうだったんですね〜!それがこのね、今のお話を聞いているのはこちら、緊急受診して腸閉塞だったと。

宮田 そうですね、はい。

岸田 それは…あれですね、本当にもうこの時はなんかがんの原因がなんかあるんじゃないか?とか。

宮田 そうですね、本当にお腹が痛くなるっていうのは、まだ…私自身もそのがんに、転移についてのこともあんまり知識もなかったですけれど、なんかがんって転移するみたいだし、もしかしたらどこか違うところに転移してて痛くなってるのかな?っていう不安もありましたけれど。

あの…なんかこう手術をした後、癒着して腸閉塞がよく起こるなんて知識はなかったので、腸閉塞なんて全然思わなかったんですね。なので…逆に痛みの原因が腸閉塞だということが結果として分かって、それはそれでありがたいというか、ちょっと不安が解消されたんですけれど。

心配だったのは、腸閉塞になった原因が1年前の手術だと。で、今回腸閉塞を治すために手術したと、無限ループじゃないの?というふうに思ってしまいまして(笑)

岸田 またなるんじゃないかと?

宮田 そうですね、そういうところに対しての不安はありましたね。

岸田 そうですよね〜、また次いつ腸閉塞なるのか分からないですもんね。

宮田 それが心配ではありましたけど。

岸田 あれですね?先生駆けつけてくれて、その日のうちに手術してもらってよかったですね?

宮田 翌日、目が覚めて入院病棟に戻って看護師さんに言われたのは、宮田さんって昨日の緊急室の人ですか?って言われたんですけど、多分その病棟の中では結構大騒ぎだったんでしょうね、後から言われたのは、本当に朝まで置いておくと…パーン!と非常に危ない状態だったということは後から言われましたね。

岸田 その痛さっていうのは、もう想像しがたい…。

宮田 痛かったですね〜、本当にね。のた打ち回ってましたね。

岸田 そんなね、中でもう…緊急オペ!みたいな形で、それで腸閉塞と分かって、今はもう大丈夫になってということで。ちょっと聞きたいのは、その…全然…まだ これもフラットなところですが?

宮田 はいはいはい…そうですね、腸閉塞・緊急手術って分かったというところはフラットですね、安心した。ちょっとその…無限ループの心配もありましたけれど、がんの転移じゃなかったということと、原因がはっきりしたということで安心はしましたね。

岸田 そこからね、ちょっと次こちら、退院して湘南ドライブ、おお〜!

宮田 これはもう恒例行事になりまして、これも腸閉塞の時も1か月余り入院をしましたので、じゃあ退院して同じようにしばらく自宅で療養している間にまた行こうか〜!ということで、妻と同じようにドライブをしましたね。

岸田 ドライブ行って、また気分を紛らわせて。

宮田 そうですね!

また退院できてよかったな〜というふうに思いましたね。

岸田 その後こちら、経過観察が終了、おっ!これはもう…。

宮田 この間ちょっと4年は経ってますけどね。実はこの間が4年あるんですけれど、妻も大腸がんになりまして。

岸田 えっ!?

宮田 夫婦ですので全然…遺伝とかも関係ないですけれど、2人とも40代で大腸がんになるなんて、なんて…仲がいい夫婦なんだろうな!と思うんですけれど(笑)で、妻も同じように大腸がんになって、どっちかというとすごく…これも変な言い方かもしれないですけど、気が楽だったと。自分が経験したことだから、妻ががんになって、あらまあ!って。

妻の方は結腸…直腸のちょっと上の方でステージ1だったんですね。同じように開腹手術もしましたけれど、私は直腸でね、直腸の方が大変なんですよ!いろんな神経とか絡まってるので、いろんな副作用もあったりもしますし、ステージ3Bだよと。君は結腸のステージ1だよと、盲腸みたいなもんだよ!みたいに(笑)こんな感じで…ある意味、私自身も妻も気が楽だったかもしれないですね。

岸田 ああ…そんなことがこの中であったんですね!

宮田 そうですね、はい。激動の40代だった…ですね。

「再発以外は考えにくい」と言われた7年後——腫瘤、サードオピニオン、そして自然に消えるまで

岸田 そして経過観察をようやく終了していきまして、それから2年後。これがめちゃくちゃ下がっているんですよね。

宮田 そうですね、仕事も復帰しまして、もうやっぱりその頃になりますと周りの方も全然、当然退院してしばらくは気を遣ってくれますけれど、だんだんね、そういうことは周りは忘れてしまって仕事がキツくなって、50代の前半…いわゆる会社員として一番仕事をしなきゃいけない時期でもありましたし、いろんな責任が乗っかってきてつらかった…時期でもあったんですね。

で、だんだんそういうつらい仕事をしていると、私やっぱり体って正直なのかな?と思うんですけれど、あの…ちょっと異常が出てきたと。書いてあります通り、前立腺のあたりがちょっと痛くなってしびれるみたいな症状が出てきまして、これは何なんだろう?と。場所が場所ですので泌尿器科を受診しましていろいろと調べていただいたりもしましたけれど、なかなかはっきりとした答えが出ない。

で、診断名は非細菌性慢性の前立腺炎という診断だったんですけど、それ何か?といったら前立腺炎の人って結構たくさんいらっしゃるみたいなんですけど、いわゆる菌が出てこない、おしっこからも菌が出てこないと。でも何か患者さんが痛いと言ってるよと、原因がよく分からないよ!みたいなことを、そういう病名を付けざるを得ないのかな?というふうに理解したんですけど。

なので、その…なかなか菌が出てこないので、菌が出てきたら多分抗生物質をね、この菌に対してはこれというふうに治療できるんでしょうけれど、いろんな試行錯誤をしながらいろんな薬を変えたりしながら治療を続けて、何件か本当に前立腺の炎症のために泌尿器科を受診しました。

でも、なかなかよくならなくて、むしろどんどん悪くなっていって、もう1日寝込んで動けないとかいうようなことにもなってきてました。

岸田 動けなくなるって相当ですね?

宮田 そうですね、本当につらかったですね。

岸田 そこからどうされるかというと、えっ!?腫瘤が見つかる?

宮田 あの…前立腺の炎症だとずーっと思ってて泌尿器科に行ってるんですけれど、ある日ある時ふと自分で…前立腺って体の図鑑の図を想像してて、私が手術した直腸のすぐ近くにあるんですよね。もしかしたらこの手術の影響が何かあるんじゃないかな?と自分で思いまして、で、泌尿器科じゃなくてもともと手術していただいた外科を、その時点では卒業していたんですけれど、卒業したところに改めて診察に行って検査をしてもらいました。

そしたら…CTを撮ったらびっくり!先生もびっくり!なんだこれは!?と。以前はこんなのなかったのに、本当に手術した直腸のすぐ近く、多分それが前立腺を圧迫したのかな?というふうに思うんですけれど、結構大きな腫瘤ができてるよというふうに言われまして、これは何なのかな?と。

先生がおっしゃるのには、もう手術から7年経ってるから再発ということは考えにくいけれど、ただこんな場所にこんなものができてるのは再発以外は考えにくいと、どっちかは分かりませんというふうに言われて。で、あの…先生いわく、このまま放置しておくと遠隔転移する…もしがんだったら。でも、がんじゃない可能性もあると。手術をするとなると大きく取っちゃうよと。

つまり…人工肛門になる可能性も高い、もしかしたら人工膀胱になる可能性もある、手術するんだったら大きく手術するしかない。かといって、放置しておくと遠隔転移してしまったらもう手術もできなくなるよと、さあどうする?というふうに先生に言われたんですね。

岸田 迷いますね〜!それは。

宮田 そこで…とにかく白黒をはっきりつけなきゃいけないと思って、検査が非常にしづらい場所だったんですよ。大腸って通常…中から検査しますけれど、中からだと検査できない、大腸の外だったので。

なので、CTを撮りながら針を刺して細胞を取るとかいうような検査の仕方をしたりとか、あるいはその内視鏡で、内視鏡の先にエコーがついている内視鏡があるんですけれど、それを大腸の中からエコーでこの辺だなというのを見定めて針を出して細胞を取ってくると、いろんなやり方があるんですけれど、そういうことを繰り返して、結果的には多分…がん…じゃないだろう、がん細胞は出てこないというような状態になりましたね。

岸田 あっ、そうなんですね!よかった!そっか。じゃあこの…腫瘤が見つかったけど、それががん細胞じゃないだろうと?

宮田 そうですね、その時点でかなり可能性が高いと言われたんですけど、再発のね。結果的にはそうじゃなかったと。

岸田 この後ね、腫瘤が見つかってきて、その後セカンドオピニオンやサードオピニオンも受けられていたんですけど?

宮田 そうですね、これはもうほとんど最初の病院で、あの…実は覚悟を決めてて、再発だろうというふうに自分も覚悟をしたんですけど、結果的にはそこははっきりしなかったんですね。検査をしたけれど、どっちか分からないと。なので、じゃあ検査のためのセカンドオピニオン・サードオピニオンをやってみました。

岸田 ああ〜検査のためのね!

宮田 そうですね。

岸田 へえ〜、どうでした?なんかちょっと…ネガティブ?

宮田 そこで検査をして、セカンドオピニオン・サードオピニオンでも非常に珍しい症例だというふうに言われまして、国立がん(研究)センターでも診てもらったんですけど、国立がん(研究)センターでも非常にまれな症例だと言われまして。

ただ、過去に本当に…数例なんかあったらしくて、同じような症例が。それはがんじゃなかったと言われたのと、その検査の方法もがんセンターの方では非常に細かいというか精密な検査もしていただいて、その結果も細胞が出てこなかったので、これはもう再発じゃない可能性が高いから経過観察しようというふうになりました。

岸田 そうなんですね!そっか〜経過観察。その時は、経過観察しようと言われた時は、ご自身としては治療したいのになんで!みたいにならなかったですか?

宮田 うーん…でもね、手術するとそれこそ本当に大きく取っちゃうという可能性もありますから、これ以上検査して出てこないようになったらあとはもう信じるしかないかなというふうに思いましたし。なんとなくこの辺から…気持ちがグラフでも上がっている通り、楽になってきてたんですね。

一番最悪なのは最初の病院で、多分再発だよって言われた時が最悪だったんですけど、セカンドオピニオン・サードオピニオンをしているうちに、だんだん…これはもしかしたら再発じゃないのかな?という気持ちが出てきまして、気持ちが楽になっていきました。

岸田 その後こちらですね、経過観察していたら痛みは改善していく!

宮田 そうですね、これ時間かかりましたけれど、最初に言っていた前立腺のあたりの痛みっていうものが、急ではないんですけれどだんだん改善していきまして。何の治療もしてないんですよ。最初の病院に戻って経過観察というのはCTを半年に1回とか撮りますけど、撮るたびに先生がびっくりするぐらい、あれ?小さくなってるよ!何もしてないのに!って。

で、本当に4年ぐらい経ったら、ああ…なくなっちゃったね!結果オーライだね、何だったのかは分かりませんというのが結果オーライだったんですね。

「ガソリン代だけで、好きなところへ」——定年後に一人で始めたキャンサードライブ

岸田 そういうことだったんですね!そんな、もう最終的になくなっていったということで、そこからですね、宮田さんはこちら、『キャンサードライブ』という活動を始動されていくと。

宮田 この時点で、経過観察が終わってというか56歳ぐらいで再発の疑いであったことも落ち着きまして、あと数年60歳までをサラリーマンとして平穏無事に過ごしまして、じゃあそこから起業しよう!なんてことはやっぱりちょっとね、年齢も年齢だったので考えなかったんですけれど。

ただ…60歳定年を迎えた後、なんかやっぱり自分でやりたいな!と。まあ以前はあの…それこそね、起業をしようと思っていたんですけれど、改めて新しく法人を作ってビジネスを始めようという気持ちにはならなかったんですが、自分一人で小さくできることで、がん患者の仲間の皆さんの役に立てることができないかな?と思って立ち上げたのが、この『キャンサードライブ』というのが活動ですね。

岸田 でね、こちらはどんな活動なのか?というのを、ちょっとお写真ありますのでこちらをご覧ください!これはホームページ?

宮田 そうですね。『キャンサードライブ』で検索していただきますと、このページに出てくると思います。詳細はページの中にいろいろ書いてますけれど、がん患者の方を、ガソリン代とか高速道路代だけいただければお好きなところにドライブ、私の自家用車でお連れするというサービスです。

岸田 おっ!レクサスで来てくださるんですね?

宮田 はい!お迎えに、ご自宅までお迎えにも行きます!

岸田 それはあれですね?だから…タクシー代わりに使えるということですね?

宮田 そうですね。ガソリン代は大まかに言うとタクシー代の20分の1ぐらいで、ガソリン代が済みますので、タクシーで1万円かかるところはガソリン代だったら500円ぐらいで、大ざっぱに言うとね、それぐらいでいけますので、高速代は残念ながら同じだけかかりますけれど、それぐらいの費用感で使っていただいて。

私が湘南にね、ドライブしてリフレッシュしたことがすごくやっぱりよかったな〜と思いますので、そんな体験をしたいなと思う人がいらっしゃったらぜひご利用いただければと思います!

岸田 地域的には東京・神奈川?

宮田 そうですね。私が東京に住んでますので、東京・神奈川・千葉・埼玉であればご自宅までお迎えにあがって、好きなとこ行ってご自宅までお送りするというようなサービスを行っています。

岸田 そんなことをされている中でにはなるんですけれども、次の始動をしていった後…残念ながらなかなか…利用されなくなっていると。

宮田 ホームページを作るのは結構チャチャッとやってしまいました。もうそれこそ退職前の1か月というのを有給(休暇)を消化してたので、退職前の1か月の間にホームページを作って、もともとはIT関連の仕事もしてましたのでその辺は楽しみながらできて、さあホームページできたぞ!どんどん申し込みが来るだろう!と思って待ってたんですけど、来ないんですね。

で、なぜ来ないかな?って改めて考えてみたら、こんなことやってる人って世の中にいらっしゃらない。例えばその…がん患者会に行って何かあるよっていうのは知っていらっしゃる人が多いと思うんですけど、自分が大腸がんになってなんか…がん患者会ないかな?って探す人はいらっしゃるかもしれないです。

でも…がんになったから誰かドライブに連れてってって思って探す人っていないじゃないですか?だから…そんなホームページだけ持ってても検索して…する人もいらっしゃらないし。じゃあどうやったらもっとね、いろんな人に使ってもらえるのかな?というのも考えて活動をいろいろしました。

岸田 それで、いろんなイベントに行ったりだとか?

宮田 そうですね まず…これ退職直後だったのでハローワークに行ったんですね。ハローワークに行って仕事を探す中で目についたのが、『訪問診療のお医者さんの運転手』というのがあったんです。あっ!これがいいなと。

なぜかというと、訪問診療のお医者さんの運転手をしたら、多分その先生と信頼関係ができるだろう、で、まんざら悪いやつじゃないなと、まんざら運転も荒っぽくないなということで信頼いただけたら、その先生の患者さんが、がんの患者さんいらっしゃったらその人を連れて行けば私も安心ですし、患者さんも多分安心していただいてドライブできるんじゃないか?というような思いで訪問診療の運転手をしました。

岸田 いかがでしたか?

宮田 やってみてですね、結果的には…いい経験になりました。お医者さんを送迎するだけじゃなくて、患者さんの送迎も行ったんですね。そうすると、いろんな人をお乗せする、いろんな状態の人を車でお乗せするということで経験ができたので、それはすごくいい経験になったと思ってまして。

例えば…先生が、あの患者さんをちょっと迎えに行ってきてと言われるじゃないですか?で、非常に状態が悪いからもしかしたら途中で死んじゃうかもしれないけど、救急車を呼ぶと面倒くさいから連れて帰ってきてね!と言われるんですよ(苦笑)もちろんこんな笑い事で言うことじゃないんですけれど。

そういう経験をすると度胸がつくというか、いろんなね、それまで電気メーカーでサラリーマンとしてしか仕事をしていなかったし、病院…自分がね、病気になったといっても本当に知らない人をお乗せすることに対しての心配っていうのが少し緩和されたのがよかったんですけれど。ただ…利用者さんが増えるか?っていうと、なかなか増えなかった。

岸田 僕ちょっとあの…無知なんで教えて欲しいんですけど、そういうなんかこう…なんですかね、患者さんをお乗せして、こう…どっか行くとかっていうところが、それはなんか…法律的には大丈夫なんですか?

宮田 よく言われるのが『白タク』っていうね。

岸田 あ〜!そうですそうです!

宮田 白タクって、例えば我々若い頃渋谷でお酒を飲んでて電車がなくなっちゃって、私横浜に住んでたんですけどね、そうするとタクシー乗り場で並んでるところに怪しいおっちゃんが来るんですよ、横浜まで5000円どうですか〜?みたいな。あれなんですよね(笑)

あれは…いわゆる違法行為で、要するにタクシーとしての許可をも取らずに白ナンバーの自家用車で人を送迎して料金を取ることは罰なんですね。これは明らかに違法行為です。

『キャンサードライブ』の違いは何かと言いますと、『キャンサードライブ』は基本的には実費…ガソリン代とか高速代だけをいただくだけでそれ以上は基本的にはいただきませんので、その範囲内でやる分だったら誰がやっても許可も届け出も必要なくできるっていうのは国土交通省のホームページも非常に分かりやすく明記してますので、その辺はご安心いただければと思いますし。

考えてみたら、お友達とね、例えば旅行行く時に、俺車出すからガソリン代割り勘で!みたいなあるじゃないですか?あれと同じなんですよね。

岸田 ただ、それは…知っている人なのか、宮田さんの方なのかというところなんですね?確かにただ…めちゃくちゃ便利だと思うんですけど、ただ…宮田さんを知らなかったらちょっと頼みづらいというのはありますよね?

宮田 さっき言った、そのお医者さんの運転手をしていて利用者は1人2人だったんですけど、それ以上広まらなかった理由の一つは、残念ながら訪問診療をされていらっしゃる方々、行き先の患者さんって…やっぱりちょっともう手遅れだったりするんですね、ドライブに行けるような状態じゃないという方が多かった。

なので、がんという病気ってね、本当に人それぞれだと思うんですけれど、宣告されてから治療をするという段階で、まだまだその…体は自由で動けるのに心が結構落ち込んでいるという人が多いじゃないですか?そういうご経験されている方が多いと、私自身もそうだったんですけれど。

そういう人たちって、訪問診療の患者さんじゃないんですよね。自分で通院されてらっしゃるんですよね。そういう人たちにもうちょっとお知らせして使っていただけるにはどうしたらいいかな?というのを考え直して。

いったん病院の方は退職して、改めてがんの患者会ですとか患者支援団体さんを私の方からいろいろアプローチしてお知らせしたりとか、あるいはその…『患者・市民パネル』、がん患者の市民パネルっていうのはご存知の方も多いと思いますけど、そういうところに参加してがん患者の皆さんの集まりに行って。

で、私はこういうことをしてますよというのをお知らせするような活動を地道に続けまして、それでだんだん利用者の方が増えてきたっていうのが今の段階ですね。

岸田 そうなんですね〜!そっか!だからこう…そのね、活動が実って…こちら、新聞に掲載と。

宮田 はい。国立がん(研究)センターさんの方でイベントがあって、で、そこでがん患者の声を聞くっていう講演のコーナーがあった時に、他の患者仲間と一緒に私も5〜10分お話をさせていただいたんですね。それを聞いていただいた新聞記者の方がお声がけいただいて、記事にしたいのでっていうので取材していただいて。で、おかげさまで新聞にも乗ることができました。

岸田 新聞に掲載されて活動がメディアにも?

宮田 そうですね。

岸田 そんな中でですね、宮田さん本当今ね、こういう活動も広げられていってといった時に、ちょっといろいろこれからですね、ちょっと各項目についてもお伺いしていこうかなと思います。重複する部分もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

症例数ランキングの本を頼りに——再発を覚悟して選んだセカンド・サードオピニオン先

岸田 まず1つ目こちらですね、病院や治療の選択といたしまして、どのような病院を決められていって、セカンド・サードオピニオンをされた時でもいいですし、あと治療といったところに主治医が信頼できる・できないというお話もあったかと思うので、ここのお話などお伺いできたらと思うのですが、まず病院はどういうふうに選びましたでしょうか?

宮田 手術した病院は、本当に家からも歩いていけるところでしたし、子どもたちも生まれたのもそこの病院だったので、病院としては一択でしたね。で、近くのクリニックさんに紹介状を書いてもらうのもそこに書いていただいたので、そこは…あまり選択は考えずに行きました。

岸田 まず病院の話ですが、この後のセカンドオピニオン・サードオピニオンをされた時、この病院とか どうやって決めていったんですか?

宮田 これは…多分この時点で私はもう再発していると思っていました。なので、検査のためにというよりも、最初に行った病院で再発っていうことが決定的になって、で、じゃあ手術をどうするか?ということを考えなきゃいけないと思ったんですね。

その手術をする先、治療をする先としてあらかじめ…それこそ一般的な書籍ですね、一番やっぱり大きかったのは症例数のデータが載っている書籍ってあるじゃないですか?大腸がんだったらここだ!みたいなこともありますので、そういったところの症例数とかを参考にして。

やっぱり症例数がたくさんあって、特に再発の手術というのは最初の手術…最初の手術の時っていうのはどこの病院でも、もちろんお医者さんによって腕はあるかもしれないですけど、方法論は同じだと思うんですけど、再発の手術の仕方っていうのは多分標準化・一般化されてないことも多いと思って、より多くの症例数があるところがいいかなと思ってましたね。

岸田 決められていったということですね、ありがとうございます!じゃあちょっと ここの治療の際なんですけれども、あれ?なんか…主治医を信頼する・信頼しないの話があったと思うんですけれども、ここは…?

宮田 最初に受診したお医者さんが本当に話をしてて、この人はあんまり信用できないな…というふうに感じたんですね。

岸田 それは、なぜなんですか?

宮田 う〜ん…なんでなんだろうな…なかなか話をしてて、例えば最初言ったように痔(ぢ)だろうって言う方で、検査する?しない?もう検査つらいよ!みたいな、ちょっと極端ですけれど(笑)投げやりな。検査するかどうかも患者さんが決めることだからね!っていうふうに…。

で、私が検査した、で、見つかったと。よかったやん!って言うんですよ。あんた検査しなくていいって言っただろうって思うんですけれど(苦笑)あの…そういうところから なんか、自分の責任を負いたくないんだろうなこの人は…みたいな、なんかそんな印象を受けたので、この人に命を預けるのはちょっとごめんかなというふうに思って。

もともとクリニックで受診した先生にお願いして、もう一回違う先生を紹介してもらうような形でちょっといろんな技を使ってやってもらったんですね。

岸田 同じ病院で?

宮田 同じ病院で。

岸田 へー!そんなことができるんですか?

宮田 その外科の医長さんと、多分個人的につながりがあったんだと思う、で、医長さんに連絡してもらって、その医長さんの受診の時、診察の時間に無理やり1回ねじ込んでもらって、で、それ以降は医長さんにずっとかかって。なかなかね、こういうのって難しいですよね。一度大きな病院でついた担当を変えてもらうっていうのは、その辺は…。

岸田 クリニックの先生に相談したってことなんですね〜。それで、その先生に手術してもらったりだとか。

宮田 それはすごく信頼してできましたし、結果もよかったですし。

岸田 薬物療法だったりとかもしていった。ただ…この時にもちょっと、もし言いづらかったらあれなんですけども、どちらかというとその…医療否定派の本を読んでいたりとかされていて、手術に関してはそれをしていったものの、こちら薬物療法とかなっていくと、やめた方がいいんじゃないの〜とかそういったことは思われなかったですか?

宮田 うーん…思わなかったですね。やっぱりその1か月診断を受けて、先生を変えていただいてからね、その先生に対しての信頼はどんどん高まってきましたので、この先生の言う通りにしようというふうに思いましたので。

岸田 やっぱりそこは医師の信頼関係なんですね〜。医療者の人たち本当にね、ぜひ患者さんとの信頼関係、本当にぜひよろしくお願いします!

「全てから逃げたかった」——再発疑いと仕事のストレスで、腫瘍マーカーが上がった時期

岸田 そして次こちらですね、ちょっとお伺いしたいのはこちらになります。つらかったこと、副作用や後遺症などという形になります。こちらはですね、薬物療法の後遺症、もしくは手術の後遺症など、そんな中でこれ大変だったなとかっていったものはどちらになりますでしょうか?

宮田 やっぱり抗がん剤の吐き気がつらかったのはありますね。先ほどお話した通りですね。やっぱり一番つらかったのは、とにかく…再発の疑いの時、一番どん底まで下がった時ですね。何が起こっているか分からないし、仕事のストレスも絶好調だし、本当に…なんていうか逃げたかったですね、全てから。仕事からも逃げたかったし。

で、なんかこう仕事から逃げようというネガティブな気持ちがすごくね、全く個人的な医学的根拠もない話ですけれど、ネガティブな気持ちがなんか…悪化させていったのかな?っていうふうに思ってるんですよ。そうですね、というふうに思います。

岸田 全てに対してネガティブに考えて?

宮田 そうですね。

岸田 いってしまって…仕事も?

宮田 がんになって思うことは、再発するのがやっぱり怖いじゃないですか?

岸田 怖いですね

宮田 仕事でストレスがたまると再発するんじゃないかな?というふうに思うじゃないですか?それがすごくネガティブな気持ちになっていった。で、こんなにストレスある仕事をしてたら、これって…再発するんじゃないかな!?っていうふうに思ってしまうんですね。思ってしまうと、なんか…腫瘍マーカーの値が上がってきちゃったりするとか(笑)不思議なことがどんどん起こってきたのが急降下の時期ですね。

岸田 これは…乗り越えるとかってできるんですか?どうなんでしょう?

宮田 まずは上司に話して、会社を本当に辞めようと思ったんです。今のまま仕事を続けていくのも、すごく前立腺の痛みは激しかったので休みがちだったし、精神的にもつらかったですし、上司に話しても…治療に専念したいから、再発の可能性もあるだろうし辞めようっていう話をしたんですけれど。

当時のその上司が言ってくれたことが、後ろ向きの気持ちで辞めるなと。前向きの気持ちでね、新しい仕事にチャレンジするとかいうふうに辞めるんだったら応援するけれど、そういう後ろ向きの気持ちで辞めるんだったらお前にとっても決していいことじゃないからというふうな話をしてくれて。

で、本当に嫌だったプロジェクトを外してくれたんですよ。最大のストレスの原因のところでいうと(笑)で、それのおかげで気持ちが楽になったということがあります

岸田 あ〜そうなんですね!そういった配慮をしてくれた?

宮田 そうですね。

岸田 そこでちょっと気持ちも余裕が戻って?

宮田 潮目が変わったのがその辺かなと。なんか…がんとの闘いって、スポーツの試合なんかでもそうですけど、流れがあるじゃないですか?悪くなっていったり、良くなっていったり。そういう潮目が変わるタイミングだったのかな?というふうに思います、後から思うと。

岸田 結果的には分からなくて、経過観察でね、治っていくというかなくなっていく?

宮田 なっていくという不思議な現象だったんですね。

「あ〜!がん保険入っとけばよかった!」——告知を伝えた妻の第一声

岸田 そしてね、次こちらになります、こちら、家族パートナーのことと。お子様の話はちょっと後でお伺いしますので、パートナーのことをお話しいただきたいんですけれども。治療中 (宮田さんが)経過観察している間にね、奥様もがんになられてってありましたけれども、治療をトータルしてその、こうしてもらってよかったよ〜なのか、こうして欲しかったよ〜なのか、いろいろいかがでしたか?

宮田 とにかくなんか明るかったかな〜!と思います。家族として、子どもも含めてですけれど、もともとその時点で私の母親はがんで亡くなってましたし、私の父親はまだ存命でしたけれど二度のがんになってました。妻の母親も私が入院している時、同じタイミングで乳がんで入院してました。父親だけは まだがんになってなかったんですけれど。なので、本当にがんだらけだったので、私もがんになって。

私ががんの診察を受けて家に帰って妻に話した時に言われたことは、やめてよ〜!みたいなことを言われて。その時点でお義母さんも入院してたので。次に言ったことは、あ〜!がん保険入っとけばよかった!って言われたんですよ。いや…そういう問題じゃないだろう(笑)1週間くらい前にがん保険入るかどうかって話をしてたんです。入っとけばよかった!いや、そういう問題じゃないだろうと思うんですけど…みたいな感じで。

なんかこう本当に…がんだ!って言って、二人でなんか落ち込んだり二人で泣いたりするような場面っていうのは、子育ての時期でもあったしバタバタしてたし、幸か不幸かなかったですね。

岸田 そのような奥様はこう…なんでしょう、しんみりってなるんじゃなくて?

宮田 わりと明るく。がんのね、手術行く時なんかも、あのストレッチャーに乗せられて病室からゴロゴロッと行くんですね。で、エレベーターのところでここから先は手術室ですっていうところまで一応妻が一緒に来てくるんですけど、写真撮るんですよ、こうやって。で、ピースするんです。一緒に付き添ってくださった看護師さんが、こんな人いませんね〜って言っちゃってましたね(笑)

岸田 すごい明るいね〜!そんな奥様で。それがよかったってことですね?

宮田 そうですね。妻が手術行く時は、私が写真(笑)

「パパ、手術頑張ってね」——中1の長男の言葉に、大人になったなと思った

岸田 逆にね!そのような形でね、接してくださってっていうふうなことかと思います。その中で今奥様の話を聞きましたが、お子様は3人息子さんがいらっしゃったかとお伺いしているんですけれども、当時…治療の時はお子様はおいくつでしたでしょうか?

宮田 長男が中学1年生、次男が3つ下だから小学4年生と小学2年生か。

岸田 お〜!それぞれのお子さんたちにがんのことは伝えたんですか?

宮田 そうですね。もちろんこういう家族なので、がんになったけど手術したら治るよ!というような表現で伝えたと思います。

岸田 子どもたちの反応も?

宮田 そんなに…やっぱり心配してたんだろうと思うんですけれど、手術の前日かな?お見舞いに来てくれて、明日手術だよって言ったら長男が、パパ、手術頑張ってね!っていうふうに言ってくれたことが、ちょっと大人になったな〜というふうに嬉しかったのを覚えてます。

岸田 それで、頑張ろうと?

宮田 自分が頑張ってもしょうがないんですけどね(笑)

岸田 頑張るのは先生ですね。治療されていって、そんな中で子どもたちとがんを通じて何か大変だったことっていうのは特段…大丈夫ですか?

宮田 そうですね。あとは手術の後に入院している期間なんかも家族でね、妻と子ども3人が来て病室でワチャワチャしてましたから、そういう意味では明るかったですね!

上司には「言わない方がいい」と止められたが、同僚には自分の口で伝えた

岸田 そしてですね、先ほどちょっとお話にも出てきました、仕事のことについてお伺いしたいんですけれども。お仕事電気メーカーで正社員で仕事されていてといった時に、再発の疑いの時にね、プロジェクトを外してもらったりとかいろいろありましたけど、その…前の段階と言いますか、がんの治療を、このような治療をしていた時の会社への報告、もしくは…休職などしていたらどうでしたか?

宮田 (がんが)分かった時、会社に行って一応上司に報告しました。びっくりしますよね。あまり周りにもがんの人もいらっしゃらなかったのでびっくりしてまして。その時点である程度入院して手術することは決まっていましたので、そういう話をしました。

で、上司にはあまり手術するから当然休むのも分かるけれど、がんという病気のことはあまり言わない方がいいんじゃないか?って言われたんですけれど、逆に私は直接 一緒に仕事をしている人たちには、直接会ってがんっていうことをはっきりと伝えました。

言わなくても噂は広まるのは目に見えてますし、噂が広まったらきっと尾びれ・背びれがいっぱいついていろんな話が広がっていくだろうと思ったので、自分から正確に情報をお伝えした方がいいと思って仕事仲間には自分から直接伝えました。

岸田 仲間たちの反応はいかがでしたか?

宮田 びっくりしてやっぱり言葉が出ないですよね、周りの人の方が。私は何回かいろんな人に話してだんだん慣れてくるんですけど、聞く方は…やっぱりね、びっくりして言葉が出ないですよね。もう頑張ってください!としかね、言いようがないと思いますので。なんかそういう…皆さんがびっくりするのを見て、楽しんでたところはある(笑)

岸田 どんだけびっくりするか!?

宮田 そうそうそう(笑)こいつは…どういった反応を示すのかな〜?とか(笑)

岸田 それがね!宮田さんらしさ。

宮田 あっ、そうですね!はい。

岸田 そこから復職はされていくんですかね?

宮田 まあ有給(休暇)の範囲内で1か月だから…1か月半ぐらいだったのかな?休んだのは。なので有給(休暇)消化で。

岸田 有給(休暇)消化でやっていったと。薬物療法の時も、普通に…通院だから?

宮田 そうですね、はい。全然休むことは…2週間に1回ぐらい通院で休むっていう程度だったので。

岸田 お〜!そうなんですね。そして先ほどの…この時は辞めるか・辞めないかという時にプロジェクトを外してくれたという感じですよね。で、無事60歳定年まで勤め上げてという感じですね。本当にね、周りの人たちすごい同僚とかですよね、なんかいろいろお見舞いにも来てくれたんじゃないですか?

宮田 そうですね!やっぱり皆さんお見舞いに来てくださったんですけど、一から話するじゃないですか?なんで見つかったの?とかなんで分かったの?とかどういうふうになったの?とか。来てくれる人に話するんですけどだんだん面倒くさくなってきて、ブログを書いてましたので、メールもいただいていついつお見舞いに行くよ!っていう連絡をいただいたりする時は、来る前にブログを読んできて〜と(笑)

岸田 そこで予備知識を全部…。

宮田 失礼だと思うんですけれど(笑)

岸田 今の状況はこんなのだからと。毎回ね〜いろいろお話ししていくとね、どうやって分かったの、どうなってしまったのって大変ですもんね。これは入院患者さん あるあるかなと思います!いろんなお見舞いの人が来たら、毎回お話…同じ話をしないといけないというね。

1か月の入院でも自己負担は月数万円——「いい健保組合だった」と後から思ったこと

岸田 そんな中で次、こちらになります、お金や保険のこと。先ほどがん保険の話が出てましたけれども、治療費って…ざっくり本当に最初の段階とかじゃない、もう大腸がんの治療とか入院も含めて、ざっくりどれくらいかかりましたかね?

宮田 1か月の入院ですので数十万単位だったと思うんですけれど、改めて…ありがたいなと思ったのは、私がいた会社の健保(健康保険組合)の制度が、いわゆるその高額医療に対しての補填がかなりあったんですよ、一般的な国保(国民健康保険)よりも。なので…保険診療の範囲内で治療している限りでは月数万円で済むんですね。

なので、当然保険診療じゃないとこっていうのは、その入院の食事の費用とかは自腹ですけれど、食事なんてどこでやってもね、要りますから。保険診療の範囲内でやってる限りには本当にそんな…家計をね、圧迫するような治療費がかかることはなかったですね。それは…後から本当にいい健保(健康保険組合)だったなと思いました。

岸田 それは素晴らしいですね〜!そっか。それで治療費というのは抑えられているといったところで。民間の保険は入られてましたか?

宮田 それこそ同じような組合関連の共済に入ってましたので、そんなに多くは出ないですけれど、手術1回いくら、入院1日いくらというのは出てましたので。なので、それもあったので大きな出費、マイナスになるということはなかったですね。

岸田 じゃあ、お金に対する苦労というか大変というのは…特段この時は大丈夫だった?これはね…すごいやっぱりご自身の入られている会社の健保組合がね、どうか?っていうのはすごく大事ですもんね。

宮田 そういうことがないと、なかなか本当に高額療養費がどれだけ自己負担が〜なんてことは考えないですからね!普段は。

岸田 そうですよね。今ね、高額療養費制度が引き上げになるんじゃないか?というところで結構いろいろありますけれども。こういったところで、それはもうね、入られていた会社様の健康保険組合のでやっていったと。

携帯禁止の病室でPHSの通信カード——入院中もブログを書き続けた

岸田 次はこちらですね、工夫したことなんですけど、治療中でもいいですし治療後などでこういう工夫したな、食べ物でもいいですし、なんかこう…入院中にこれで気を紛らわしたでもいいですし。そういった工夫したこと、いかがですか?

宮田 やっぱり…当時ネットワークが今のように…便利じゃなかった!病院なんていうのは皆さんもご存知かもしれないですけど、携帯電話絶対使っちゃいけない!っていう時代だったんですね。

岸田 へえ〜!

宮田 なのでパソコン持って行ったんですけれど使えないのが分かったので、入院前の数日の間に、PHSって…懐かしいでしょ?(笑)あれならよかったんですよ。

岸田 PHSは大丈夫なんですね!

宮田 PHSの通信カードを入院前に契約してそれをパソコンに挿して、もちろんスピードは遅いですけれど、ブログを書くのはそれで。

岸田 あっインターネットで?

宮田 インターネットでつないでブログを書けてたので。あるいはその…いろんな人とのメールのやり取りもできたので、あれは非常にやっぱり…あるかないかはね、大きかったかな!と思いますね。

今だったらWi-Fiつながってるからね、病院に入院中の方も結構コミュニケーション取れるでしょうけれど、それは…わりと時代の、一番まだそんなにネットワークが進歩しない頃ですけど。その辺はITの仕事してたので、得意だったっていうのがありますね!

岸田 それでネットにつないで、ブログを書いていたっていうのがよかった?

宮田 そうですね、自分の励みになりましたし、ブログを見て応援のね、メッセージをいただける方も多くいたので。

岸田 そっか〜ネットっていうのね、今だとWi-Fi。

宮田 当たり前ですけどね、今だと。

偏った本より、分厚いランキング本の症例数——20年前に頼った情報源

岸田 そういった時代だったと。そんな中でなんですけど情報といたしまして、当時インターネットで情報を得ていたのか主治医からなのか、はたまたマスメディアなのかいろんなものがあると思いますけれども、がんの情報はどういったもので得ていましたでしょう?

宮田 今ほどインターネットで検索してっていう…正しい情報にありつける時代でもなかったですので、さっきもちょっと話したように、本屋さんに行って本を探す、で、さっきのような言ってたような感じ、『がんと闘え』みたいな、わりと偏ったね、本もありますし。そういうものよりも、むしろやっぱりデータが欲しかったなと。治療の件数ですとかそういう…リアルなデータが わりと参考になりましたね。

岸田 それも本から…リアルなデータがあって?

宮田 わりと分厚めな本で、本当にデータがずらーっと。大腸がんだったら…開腹手術だったら…ランキングが載ってるんですよね。

岸田 そういうランキング本ということですね!大手メディアさんからね、そういった手術件数とか出てますね〜。

宮田 そういったものを参考にしましたね。

岸田 はい。今だったらネットも使えますよね?

宮田 本当に…いい情報がね、たくさんありますけれど。

「ギラギラしたところがなくなったね」——上司にそう言われ、起業への思いを封印した

岸田 そして次こちら、がんになる前と後で変わったこと。気持ち面でも生活習慣でもなんでも構わないんですけれども、宮田さんががんになる前と(がんに)なった後でどう変わったか?

宮田 仕事に対しては さっきからも話した通り、起業してやろう!という気持ちから、いったんそれは置いといて、やっぱり無事にね、勤めあげるというか、少なくともその時点で子どもはまだ小さかったですから、親の責任を果たすために無理なことをするよりもサラリーマンとしてね、続けていく方が安全だろうということで起業への思いっていうのはいったん封印して…おとなしくサラリーマンしてました(笑)

上司からはやっぱり…ギラギラしたところがなくなったねと言われました、良い意味でも悪い意味でも。

岸田 一度病気したがゆえに?

宮田 そうですね。(病気を)してなかったら、もう会社にはいなかっただろうと思うし。逆に言うと、もう少し…がんが見つかるのが遅くて、起業してからだったら多分病院に行く間なんかなかったかもしれないと思ってるんですよ。

岸田 ああ〜、そっか。

宮田 そんな時間が取れないでしょうから。だから本当に、がんが分かるタイミングと起業のタイミングってほとんどドンピシャだったんですけれど、それがちょっとずれてたらまた人生変わってたのかもしれない。

岸田 そうですね〜!

宮田 …思いますね分かんないですけど。

岸田 何が起きるかわかんないですね〜確かにね。

「勝手にやれば」と妻に言われて始めた——60歳で気づいた「サラリーマン向いてなかった」

岸田 そんな中で…ちょっとこちらの項目ですね、今大切にしたいこと、もしくは夢・目標。今後 大切にすることでもいいですし、今どういった目標を、大切にしたいことありますでしょうか?

宮田 やっぱり起業したかったということはすごく…ずっと思ってまして、で、その結果、『キャンサードライブ』という活動ね、退職後に自分一人でやるということをしました。やってみて思ったんですけど、めちゃくちゃ楽しいな!と(笑)

岸田 ああ〜!

宮田 いわゆる…例えばこれ会社員時代に、こんな『キャンサードライブ』じゃなくても結構新しいサービス事業の企画の仕事がわりと多かったんですね。で、自分でこんなことやりたいな!って思いついて、それを形にして承認をとって実際スタートするまでどれだけ大変かっていうのをもう散々…味わってきたんですよ。

やりたいけど、できない、ボツになることの方が圧倒的に多いわけじゃないですか?で、こんな企画を書いたらきっとあの人はこう言うだろうなって、この人はこう言うだろうな、あいつにきっと…ダメって言われるだろうなみたいなことがいっぱいあったんですけれど。もちろんそれはね、会社という組織としては絶対必要なことだと思うんですけれど。

それを改めて、一人でこんなサービスを立ち上げるなんていうのは一応ね、習慣上企画書は作ったんですよ、簡単に。それを妻にプレゼンしてこんなことやりたいです!って、勝手にやればっていうことを言われて(笑)ああ〜いいな!って。あとはもう…自己責任で自分がやりたいことを形にして、世の中に出して世の中から評価してもらうということが、非常にやってて気持ちがいいというか楽しいというか。

やっぱりもしかしたら、がんじゃなくて起業してたらこれのもっと何倍も面白い充実したこともできたのかもしれないなとは思うんですけれど、60歳になって改めて気がついて、俺サラリーマン向いてなかったな!って思いました(笑)

岸田 ずっと やってきたけれども…。

宮田 一人で自分の思う通りにできるのって、こんなに楽しいことなんだな!っていうふうに。それは『キャンサードライブ』っていう今の活動っていうのは大きなね、お金を儲けるためにやってるわけじゃないので、そんなに失敗といっても大したこと…リスクを取らなくていいんですけど。

それが実際事業としてね、自分で起業して会社として回していくっていうのは違いがあると思うんですが、本質的にやっぱり…自己責任で何かをやるということの楽しさ、それを大切にしたいなと思いますし。それが今充実した、活動としては本当に小さな活動なんですけれども、それが楽しいな!と思いますね。

岸田 この活動を続けられていく!ということですね。ありがとうございます。

「がんは気から」——医学的根拠はなくても、気持ちの切り替えが潮目を変えた

岸田 ここからですね、メッセージとなっていくんですけれども、宮田さんに皆様へのメッセージというのをいただいておりますので、こちらになっております。

宮田 『がんは気から』。ちょっと字足らずなんですけれど、『病(やまい)は気から』という言葉は非常によく言われる言葉だと思うんですけど、やっぱり病(やまい)の中でがんっていう病気は本当に…気持ちの持ち方が大事な病気だというふうに私は思ってます。

今まで…経験をね、いろいろお話しさせていただきましたけれど、本当に私自身が再発の疑いがあった時っていうのは、もう気持ちから落ち込んでいって、結果的にお医者さんがびっくりするようなことにもなりました。ただ…お医者さんが分からないうちに治ってしまったのは、気持ちの切り替えができたからだと思っています。

もちろんね、こんなこと医学的には何の根拠もない話ですし、私自身の経験談でしかないんですけれど、本当に気持ちの持ち方次第で治療っていうのもきっといい方向になることもあるんじゃないかな?というふうに思っていますので、とにかく気持ちを前向きに持つことが大事だ!というふうに思います。

岸田 はい、という中でね、『がんは気から』というコメントをいただきました。宮田さん…ここまでのお話いただいて、宮田さんいかがでしたでしょうか?

宮田 なんか…しゃべるのは嫌いじゃないので、岸田さんが上手にいろいろと導いてくださるので非常に話しするのは楽しかったです!ありがとうございます!

岸田 ただね、僕ね、一個だけ気になることがあります。

宮田 はい!

岸田 宮田さん…今日ずっと帽子をかぶって出演してくださったと思うんですけれども、これにも何か意味が?

宮田 あの…ね、こういうさっきも言いましたように『キャンサードライブ』という活動を広めるにあたって、いろいろとがん患者の方の集まりとか、あるいは患者市民パネルみたいなところに参加していろんな方とお話しする機会が多くございます。その中でよく話題になるのが、皆さん抗がん剤の治療をされて、頭に帽子をかぶったりとかいろいろされていらっしゃる方もいます。

私の場合20年前なんですよ、抗がん剤したの。まだね、生えてこないんですよ、これ〜!!っていう話をよくするんです(笑)そうするとね、暗い顔して皆さん…抗がん剤の治療がね、髪の毛生えてこなくてって悩んでらっしゃる方が明るくなっていただける、これが嬉しくて こういうことをしています。失礼しました(笑)

岸田 いえいえ(笑)超…野暮(やぼ)な質問かもしれないですけど、これはあの…経年的なやつなのか?それとも?(笑)

宮田 実は…こういう話をしたらね、がんのこと全然ご存じない方って、あっ、大変ですね!って言われるんですよ、20年経っても生えてこないんですって言うと、あっ、そうなんですか!って。そうすると私…ボケようがないんですよ、これ以上(笑)がんのこと知ってらっしゃる方は笑ってくださいます。皆さん笑ってください!

岸田 あ〜、じゃあボケ、ということでね(笑)皆さんの認識してもらって。超野暮(やぼ)な質問で失礼しました。

宮田 明るくトークをするっていうのがね、非常に大事だと思うので、そのネタにぜひ使わせていただければと思います!

岸田 そんなね、明るい宮田さんのね、闘病経験談でございました!これが皆さんの何かのヒントになれば嬉しいなということを思っております!それでは皆さん、また次の動画でお会いしましょう〜!それでは皆さんバイバイ〜!

宮田 ありがとうございました!

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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