目次
- 土橋 武彦さんテキスト / 動画
- 島村 清子さんテキスト / 動画
- 西口 洋平さんテキスト / 動画
- 鳥井 大吾さんテキスト / 動画
- 小田村 美歌さんテキスト / 動画
- 吉野 彩さん・内田 美奈さんテキスト / 動画
- 片岡 紀子さんテキスト / 動画
※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。
インタビュアー:岸田 / ゲスト:友寄・泉川・保坂・川口・清水
【オープニング】
岸田 本日のがんノートは、毎年1回開催されているジャパンキャンサーフォーラムに来場されている方や、これまでの歴代ゲストの皆さんをお招きし、フォーラムの会場内からゲリラ配信という形でお届けしています。それでは早速、本日1人目のゲストをご紹介します。自己紹介をお願いします。
土橋 土橋武彦と申します。5年前にGISTを発症し、現在は発症から6年目になります。発症当時はステージが不明でした。腫瘍が小さく、かつ完全切除ができていたことから、恐らくそこまで進行していなかったのではないかと考えています。現在は分子標的薬であるグリベックを毎日服用しながら治療を続けています。
GISTという病気は、肉腫、いわゆる希少がんに分類され、10万人に1人か2人といわれるほど非常にまれな病気です。同じ病気の方になかなか出会えず、孤独を感じる方が多いのも特徴です。また、ステージが不明というのもGISTならではで、もし転移が確認されていればステージⅣになることが多いと思います。私の場合は、当初は良性腫瘍だと思って手術で摘出したところ、実は悪性だった、という経緯でした。
岸田 2014年から分子標的薬を使い、現在まで治療を続けていらっしゃいますが、どのようなきっかけで病気が見つかったのでしょうか。
土橋 会社の健康診断で行った胃のバリウム検査がきっかけでした。その検査で、胃の外側に腫瘍が見つかりました。その後、精密検査として胃カメラを受け、腫瘍があることが確定しました。地元の病院で経過観察となり、半年後に再度胃カメラを受けたところ、「少し大きくなっている」と主治医から言われました。そのときは「良性だと思います」と説明されていたのですが、どこか胸騒ぎのような、すっきりしない感覚がありました。そこで「手術をして、はっきりさせたい」と思い、手術をお願いしたところ、実はGISTだったことが分かりました。
【治療】
岸田 病院はどのようにして決められたのですか。
土橋 もともとは会社の健康診断がきっかけでした。その後、地元の病院に知り合いの看護師さんがいまして、「うちの病院に消化器のスペシャリストがいるよ」と教えてくれたんです。家からも近く、気軽な気持ちでお願いしたのですが、結果的にその先生がGISTについてもよく知っている方でした。
また、私の家系はがん家系で、祖父は食道がん、叔母は乳がんを患っていました。そうした背景もあり、「自分もひょっとしたら」という思いがどこかにあったので、思い切って手術をしてすっきりさせたいと考えました。手術は全身麻酔で行われ、時間も1時間もかからなかったことには正直驚きました。
胃の約10分の1を切除しましたが、術後に障害などは全くありませんでした。腫瘍は大きさで言うと2センチから3センチほどで、小さいうちに取ることができました。見た目は良性の小さな腫瘍でしたが、実際の中身は悪性だったということになります。
実は、手術前日までは腹腔鏡手術の予定だったのですが、前日の夜に主治医から「開腹手術にします」と言われました。主治医も何かを感じ取ったのだと思います。今振り返ると、すべてが良い方向に、良い方向に転がっていったように感じています。
手術後、最初に検査結果を聞いたときには、「一つは結果が出ているけれど、もう一つはまだ出ていない」と言われました。悪性であること自体は確定していましたが、遺伝子変異の検査を行っていたようです。
グリベックが効くかどうか、保険適用になるかどうかを調べる検査だったらしく、その結果がまだ出ていない段階で、「もしかしたら悪性かもしれない」という感覚はありました。当初は良性と言われていたのですが、胃の粘膜下腫瘍について調べていく中で、GISTという病名も出てきていました。GISTは10万人に1人か2人といわれる希少がんだということも知っていたので、「ああ、そっちなのか」という、そんな受け止め方でした。

【2020に向けてひとこと】
岸田 最後の質問になります。2020年に向けて、一言お願いします。
土橋 私自身、仕事を続けながら治療をしていますが、同じ職場にも同じような立場の方がいらっしゃいます。まずは、身近なところから「一人じゃない」ということを実感してもらいたいと思っています。そのために、情報共有をしたり、お互いに悩みを吐き出せる場所をつくりたいと考え、社内でランチ会を始めようと思いました。
スタートしたばかりの今は、参加者は3人から4人ほどですが、不定期で集まっています。そのときの様子を社内誌に載せてもらい、社内全体に知ってもらうことで、関心を持ってもらえたらと考えています。
そこから、がんや難病について、より多くの方に理解を深めてもらえたらという思いがあります。基本的には、社内の患者さんや、そのご家族を対象にした取り組みとして続けていきたいと思っています。
岸田 できるところからですね。ありがとうございます。また、がんノートに出演していただいた際には、ぜひご報告をお願いします。
【自己紹介】
岸田 次のゲストは島村清子さんです。島村さん、自己紹介をお願いします。
島村 島村清子と申します。今から5年ほど前に、急性前骨髄性白血病を発症しました。現在は寛解期にあり、生活に特別な制限はなく過ごしています。普段は病院で栄養士として働いていますが、患者スピーカーバンクというNPO法人でも活動しており、現在は二つの仕事をしています。
岸田 島村さんの治療や、これまでに分かってきたことについて、少しお伺いしたいと思います。まず、「急性骨髄性白血病」という言葉は聞いたことがあるのですが、「急性前」とはどういう意味なのでしょうか。
島村 「急性前」とは、血液がつくられる途中段階にある前骨髄芽球という細胞が、がん化することで発症する白血病のことです。血液がつくられる過程にはいくつもの段階がありますが、その中の特定の段階にある細胞ががん化したものが、急性前骨髄性白血病です。

島村 自覚症状が出始めたのは2014年4月頃でした。仕事中に床に膝をつく作業をした際、軽く膝をついただけにもかかわらず、両膝に強いあざができてしまい、そのあざがなかなか消えなかったことが最初の異変でした。
その後、歯磨きをした際に歯ぐきから出血し、それが一晩中止まらず、翌朝になるとナメクジのような血の塊が出てくるようになりました。そこで思い切って病院を受診しました。いつも通っていた地元の病院で診てくださった先生から、「血液の病気であることは間違いない」と言われ、入院設備のある大きな病院を紹介していただきました。
最初は歯ぐきの腫れがひどかったため歯科にも行き、腫れを抑える薬を塗ってもらいましたが、症状はなかなか改善しませんでした。その後、大きな病院を受診してすぐに骨髄検査を行い、そのまま入院となりました。
治療は、飲み薬の抗がん剤と点滴の抗がん剤の2種類を使用し、約8カ月間続けました。大きな病院で詳しい検査をする前から「血液の病気だろう」と言われていたため、自分自身でもある程度予想はしており、強いショックはありませんでした。むしろ原因が分かって、少し気持ちがすっきりした部分もありました。
入院中は、3日ほどの一時退院を2〜3回挟みながら、約8カ月間治療を続けました。徐々に出血症状は治まっていきましたが、副作用は非常に強く、髪の毛がすべて抜けてしまうなど、つらい時期もありました。
特につらかったのは外見の変化と吐き気です。吐き気が本当にひどく、今よりも体重が10キロほど減っていました。吐き気止めの点滴も上限量まで使ってもらいましたが、それでも改善せず、耐えるしかありませんでした。
約8カ月の治療を終えて退院した後は、普通の生活をして問題ないと言われています。現在は定期的に骨髄検査を受けるのみで、治療は行っていません。白血病の種類によっては継続治療が必要な場合もあるそうですが、私の場合は今のところ必要ありません。また、骨髄移植も行っていません。白血病にはさまざまなタイプがあり、それぞれで治療法が異なるそうです。なお、入院中は無菌室での治療も経験しました。
岸田 先ほど自己紹介の中で、患者スピーカーバンクでも活動されているとお話がありましたが、どのような活動なのか、また参加されたきっかけについて教えていただけますか。
島村 患者スピーカーバンクは、病気や障害を経験した当事者が、自身の体験を人に伝える活動を行っている団体です。病気や障害というと、どうしてもマイナスなイメージを持たれがちですが、その経験の中で得られる学びや気づきもあります。そうした、単に「つらかった」というだけではない、自分にとってプラスになった部分を、企業の方や医療従事者の方など、本当にさまざまな立場の方々に伝える活動をしています。参加したきっかけは、たまたま新聞か何かでこの団体を知ったことでした。どのような活動をしているのか純粋に興味があったことと、それまで自分以外に病気を経験した方と接する機会がほとんどなかったため、他の方のお話を聞いてみたい、会ってみたいと思ったことが始まりです。
【2020に向けてひとこと】
岸田 2020年に向けて、この1年で取り組みたいことや、考えていることがあれば教えてください。
島村 来年に向けて、というよりも、今現在も力を入れて取り組んでいることになりますが、患者スピーカーバンクでの活動を続けていきたいと考えています。私自身、講演をさせていただく機会もあるのですが、病気を経験して初めて知った気持ちや、初めて気づいた事実が本当にたくさんありました。
患者スピーカーバンクに参加してくださっている方、これから参加しようと考えている方、そして講演を聴いてくださるすべての方の気持ちが、少しでも楽になればいいなという思いで活動しています。皆さんが、より穏やかな気持ちで日々を過ごせるよう、これからも頑張っていきたいと思います。
【自己紹介】
岸田 3人目のゲストは、キャンサーペアレンツの西口洋平さんです。
西口 西口洋平と申します。私は2015年に胆管がんと診断され、現在で5年目になります。胆管がんは5年生存率が3パーセントといわれているがんで、本当に厳しい病気だと感じています。罹患してから1年後に、「キャンサーペアレンツ」という団体を立ち上げました。キャンサーペアレンツも、現在で4年目の活動になります。
【治療】
岸田 治療の状況や、いわゆるグッチさんの近況について教えてください。
西口 現在は、この放送が行われている国立がん研究センターで治験に参加しています。治験に入ってからは、だいたい半年ほどになります。治験の内容としては、分子標的薬という飲み薬を2週間連続で服用し、その後1週間休薬する、というサイクルを繰り返しています。
岸田 治験には、どのようにして参加されるのですか。
西口 まずセカンドオピニオンを受けて、治験に参加できるかどうかを確認したうえで入ります。私の場合は第2相試験に参加しており、本物の治験薬か、あるいはプラセボと呼ばれる偽物の薬か、どちらを飲んでいるのか分からない状態で、その効果を比較する試験です。今、私が日々飲んでいる薬も、もしかしたら偽物かもしれません。ただ、今のところがんはコントロールできているようなので、「偽物でもいいかな」と思えるような状況です。
もともと通院していた病院の主治医から、「セカンドオピニオンに行ったほうがいいのではないか」と勧められたことがきっかけで、セカンドオピニオンを受けました。そういう意味では、当時の主治医には本当に感謝しています。「何かあったらいつでも言ってくださいね」と常に声をかけてくださっていて、とてもありがたい存在です。

岸田 順調ですね。他の患者さんにとっても希望になるお話だと思います。この放送を初めて聴かれている方のために、キャンサーペアレンツの代表をされているという点について、改めてご紹介いただけますでしょうか。
西口 私ががんだと分かったとき、娘は6歳でした。現在は10歳になりますが、当時は「がんである」ということを、どうしても子どもに伝えることができませんでした。そのときに、「ほかの人たちはどうしているのだろう」と思ったのですが、周囲に同世代で同じ立場の人がまったくいませんでした。そこで、インターネット上に、同じようにがんを経験し、子育てをしているお父さんやお母さんが集まれる場所をつくり、子どもにどう向き合っているのかを共有できたらいいのではないかと考えました。それが、キャンサーペアレンツを立ち上げたきっかけです。
現在は、会員が約3,200人ほどいまして、子どものことだけでなく、仕事のこと、治療のこと、お金のこと、親のことなど、さまざまなテーマについて日々話し合っています。お互いの経験を共有し合える、そうした場になっています。
【2020年に向けてひとこと】
岸田 今後、2020年に向けての一言をお願いします。
西口 2020年は、告知を受けてから丸5年にあたる年です。告知された当時は、正直に言って「2020年を生きて迎えられる」とはまったく思っていませんでした。私にとって2020年の目標は、ただ一つ、「生きる」ことです。本当にそれだけです。2020年という年は、私にとって大きな節目の年になります。
その丸5年に向けて、何とか頑張って生きたいと思っています。6年目に入ることができれば、5年生存率3パーセントを超えた側の人間になります。そこまで行けたら、正直かっこいいと思っています。
岸田 本当にすごいお話です。そして、5年、6年、7年、8年、9年、10年と、毎年がんノートでもお待ちしていますので、ぜひよろしくお願いいたします。
【自己紹介】

鳥井 2014年7月8日に入院し、翌9日に手術を受けました。手術では、肉腫の腫瘍部分に加えて、腫瘍と接していた血管や、腓骨というすねの細い骨も摘出しました。その後は、リハビリ中心の生活になりました。手術時間は、8〜9時間ほどだったと思います。薬による治療は行っていません。
手術後は、立つことすらできない状態でした。血管を2本摘出しているため、立っていると血液がうまく上がってこないんです。今でも長時間立っていると、すぐにしびれが出てきます。
現在は、皮膚の下にある毛細血管がその役割を補ってくれているようで、歩くことで足がポンプのような働きをし、血液がある程度上がってくるそうです。そのため、ずっと立ちっぱなしでいるよりも、歩いているほうが、しびれは出にくいと感じています。
また、足首の筋肉も摘出しているため、足首はあまり上がりません。術後は、足首を曲げるリハビリも並行して行い、手術から1週間ほどで、ようやく5〜10メートル程度歩けるようになりました。現在も、長時間立っているとつらいことや、しゃがむことができないといった後遺症は残っていますが、それ以外については、散歩をしたり、軽くランニングをしたりする程度であれば、問題なくできています。
【近況】
岸田 近況報告として、現在はいかがですか。
鳥井 治療から2年が経った7月にがんノートに出演させていただき、そこからさらに丸3年が経ちました。がんノートに出させていただく2〜3カ月ほど前から、「オンコロ」を運営している会社で働き始めました。仕事の内容も少しずつ変化してきています。以前は、がんに関するサービスの中でも、主にウェブサイトの運営やセミナーの運営を担当していましたが、最近は会社全体で運営しているウェブサイト全般を見るようになりました。
特に今関心があるのは、ウェブサイト運営におけるユーザーエクスペリエンス、いわゆる「ユーザー体験」をどのように高めていくか、という点です。そのほかにも、アプリの運営などについても関わりながら、現在はいろいろと勉強しているところです。
【2020に向けて】
岸田 2020年に向けて、この1年をかけて取り組みたいことについて、一言お願いします。
鳥井 がんノートに出演させていただいてから、もう丸3年が経ちました。当時27歳だった私も、気がつけば30歳になりました。そろそろ結婚したいという気持ちもあり、まずはしっかりと相手探しのところから本気で取り組んでいこうと思っています。
岸田 来年には、彼女ができたというご報告をいただけることを楽しみにしています。本日はありがとうございました。
【自己紹介】
岸田 5人目のゲストは、今回が初めてのご出演となる小田村美歌さんです。まずは自己紹介をお願いします。
小田村 小田村美歌と申します。2016年6月に乳がんステージⅡと診断されました。転移ではなく、両側に異所性の乳がんが見つかりました。別々の乳がんが同時に見つかった形で、結果的に同時に治療を行うことができました。
岸田 2016年6月に発見され、現在はキャンサーペアレンツの「えほんプロジェクト」のリーダーを務めていらっしゃいますが、両側の乳がんはどのようにして見つかったのでしょうか。
小田村 最初に左側の乳がんが見つかったのは、年に1回受けていた定期検診でした。妹が10年前に乳がんを経験していたことや、石灰化が毎年見られていたこともあり、「年に1回はフォローしたほうがいい」と言われていました。ただ、5〜6年ほどは特に大きな変化もなく経過していました。ところが、いつも通り検診を受けた際、エコー検査で左側にごろっとしたしこりが見つかり、その時点で医師から「99パーセントがんです」と告げられました。「とうとう来たか」という気持ちでした。
乳がんは現在、非常に細かく分類されているため、治療方針を決める過程でMRI検査を行いました。その際、今度は右側にも異変が見つかりました。こうした話は不安に感じる方もいるかもしれませんが、右側はエコーやマンモグラフィでは指摘されておらず、MRIを撮ったことで初めて影が見つかった形です。
「どうせ両方手術をする予定だから、生検もしてみようか」という流れで検査を行ったところ、右側もがんであることが分かりました。しかも右側は、小葉がんという比較的珍しいタイプで、しこりになりにくく、乳腺に沿って広がっていく性質のがんでした。そのため、実際には左側よりも右側のほうが広がりが大きい状態でした。広がり自体は乳房内に収まっていましたが、左側の全摘手術前の検査で右側のがんも確認されたため、結果的に右側も全摘手術を行うことになりました。
【近況】
岸田 現在、キャンサーペアレンツのえほんプロジェクトリーダーを務めていらっしゃるとのことですが、その活動についても含めてご紹介いただけますでしょうか。
小田村 私は2016年にがんを経験し、約1年ほど治療を続ける中で、家庭の中がいわゆる家族崩壊のような状態になってしまいました。「これは誰が救ってくれるんだろう」と感じるほど追い込まれていたときに、キャンサーペアレンツに出会いました。
どこにも吐き出せなかった夫への愚痴や、子どもの反抗期に関する悩みなどを、同じ立場の方々と共感し合えた場所が、まさにキャンサーペアレンツだったんです。その中で、「がんを子どもにどう伝えるか」というコミュニティーに関わるようになり、「自分に何かできることはないだろうか」と考えるようになりました。そして2017年に、えほんプロジェクトを立ち上げました。
子どもにがんのことを“説明する”“伝える”だけではなく、もっと別のアプローチができないかと模索していたときに、「絵本が一つのツールになるのではないか」というアイデアを出してくださった方がいました。そこからプロジェクトが動き出し、『ママのバレッタ』という、髪留めが使えなくなることをテーマにした絵本が完成しました。そしてこの夏には、初めての原画展を、聖路加国際病院の第二画廊にて開催しました。

【2020に向けてひとこと】
岸田 今回はお二人にお越しいただいています。まずは、吉野さんから自己紹介をお願いします。
吉野 吉野彩と申します。私は乳がんで、ステージⅡBでした。2015年2月に告知を受け、3月に左側の手術を行いました。毎年、行政のがん検診は受けていたのですが、そちらでは特に異常は見つかりませんでした。その後、新しく入った会社で人間ドックを受けたところ、そこで初めて異常を指摘されました。それまでは会社勤めではなかったため、市の検診のみを受けていたのですが、会社指定の医療機関で検査を受けた結果、「要精密検査」という通知が届きました。そのときはエコー検査のみでしたが、それで異常が分かりました。改めて詳しい検査を受けても、マンモグラフィーには何も写らなかったのですが、実際に手術をしてみると、腫瘍は5.5センチもありました。
岸田 精密検査を経て告知を受けたとき、どのように感じましたか。当時の心境を教えてください。
吉野 告知を受けた瞬間は、もう何も耳に入ってこなくなりました。「えっ、うそでしょう」「どうして私が」という思いで頭がいっぱいでした。「私はもう死ぬんだ」「これから先どうしたらいいんだろう」ということしか考えられませんでした。
手術が終わった後、私は抗がん剤治療を受けました。私の場合、HER2は陰性で、ホルモン受容体は陽性でした。本来であれば、もっと早く見つかっていれば、抗がん剤をしなくても済んだ、おとなしいタイプのがんだったと言われています。ただ、腫瘍の大きさが5センチを超えていたため、「抗がん剤を行ったほうがよい」という判断になり、治療を受けることになりました。全摘手術を行ったため、放射線治療はせず、現在はホルモン治療を続けています。
治療を受けた病院は、乳房再建にあまり積極的ではなく、再建に関する情報もほとんど入ってきませんでした。胸を失い、さらに髪の毛も抜けてしまい、「女性としてこれでいいのだろうか」と強く落ち込んでいました。そんなときに患者会に参加し、そこで乳房再建についての情報を得ることができました。現在は再建を終えており、保険も適用されました。
乳房を一度失い、それを再建できたことで、ようやく病気から離れられたような気がしました。胸がない状態だと、ずっと「がん患者」という立場を背負い続けている感覚がありましたが、再建によって「元に戻れた」という実感を持つことができ、とても満足しています。今はとても幸せですし、がんを経験した友人もたくさんできました。毎年イベントのお手伝いもさせていただいており、そうした仲間とのコミュニケーションが、今の私の生きがいになっています。
【2020に向けてひとこと】
岸田 2020年に向けて、一言お願いできますでしょうか。
吉野 今取り組んでいる活動を、そのまま引き続き続けていければと思っています。私は「KSHS」という団体で活動しており、主に乳房再建に関する情報を発信している患者会です。私はこの団体を通じて、多くの仲間や勇気、そして知識をもらいました。だからこそ、今まさに悩んでいる方々にも、同じような支えを届けられたらいいなと思っています。KSHSは「キチンと手術・ホンネで再建」の頭文字を取った名前で、特に「ホンネで再建」という部分を大切にしています。
多くの方が、「このことでお金をかけていいのだろうか」「手術をしていいのだろうか」「これは贅沢なのではないか」と、さまざまな思いを抱えていると思います。でも、そうした遠慮はせずに、本音で考えていいんだ、というメッセージを伝えていきたいと思っています。
岸田 きちんと本音で話し合い、いろいろな相談に乗ってもらえる場所があるということですね。それでは続いて、内田さんの自己紹介をお願いします。

【自己紹介】
内田 内田美奈と申します。ステージⅡの乳がんを経験しました。罹患したのは2013年12月で、翌年2014年1月に左乳房の全摘手術を受けています。乳がんのタイプはホルモン受容体陽性であったため、治療としては手術とホルモン療法を行ってきました。
岸田 2013年から治療を続けてこられて、現在で6年目になりますね。ホルモン療法は今も継続されているとのことですが、乳がんのホルモン療法については、以前は5年間で問題ないとされていました。しかし、5年で終了した場合と10年間続けた場合を比較すると、10年間続けた方が再発率が低いという結果が出たことから、現在は10年間の継続が推奨されています。そのため、内田さんも現在もお薬を飲み続けているという状況ですね。治療の経過や、がんが分かったきっかけについても教えていただけますか。
【治療】
内田 がんが分かったきっかけは、職場の健康診断で受けた腫瘍マーカー検査でした。もともと消化器系の腫瘍マーカーの数値が非常に高く、再検査として胃や大腸の検査を行いましたが、どこにも異常は見つかりませんでした。それでも腫瘍マーカーの数値は高いままで、最後に乳房のマンモグラフィを撮ったところ、そこで乳がんが見つかりました。
最初の異常を指摘されてから診断がつくまで、半年ほどかかってしまいました。その間に、乳腺炎のように胸が真っ赤に腫れ上がり、強い痛みも出てきたため、大学病院の産婦人科を受診しました。その際には「乳腺炎ですね」と言われたのですが、その診断にどうしても違和感がありました。そこで自分で調べ、予約を取ってマンモグラフィを受けることにしました。
もし自分でも「乳腺炎だろう」と思い込んでいたら、もっと発見が遅れていたのではないかと思います。実際に、知り合いの中には「乳腺炎」と言われていたものの、結果的に乳がんで、若くして亡くなった方もいました。ある程度の覚悟はしていましたが、実際に「がんです」と告げられたときは、頭が真っ白になりました。医師がその後の治療予定を説明してくれていましたが、ほとんど頭に入っていなかったと思います。
治療中は副作用が非常に強く、ホットフラッシュや関節痛、強い倦怠感に悩まされました。6年が経った今でも、そのつらさは続いています。医師からは「だんだん慣れてきますよ」と言われていましたが、正直なところ、まったく慣れません。慣れないままですが、「仕方がない」と受け入れるような、ある種の諦めの境地にいるというのが正直な気持ちです。
乳房再建はすでに行っていますが、まだ途中の段階です。将来的には自家再建も考えており、現在はいろいろと勉強しているところです。【近況報告】
岸田 内田さんの近況報告。活動は一緒?
内田 そうです。同じKSHSで活動してます。ピンクリングもやってます。ピンクリングっていう若年性乳がんの患者団体さんも両方兼用してやっております。
【2020に向けてひとこと】
岸田 2020年に向けて、一言お願いします。
内田 私は、佐倉市の花火大会で花火を打ち上げる活動をしています。もともと、なぜ花火をやろうと思ったのかというと、病気になったからといって、自分が「やりたい」と思うことを諦めてしまうのは、少し違うのではないかと感じたことがきっかけでした。
また、今まさに病気と闘いながら頑張っている方々に向けて、私自身が命を懸けて花火を打ち上げることで、少しでも勇気を届けられたらと思い、この活動を続けています。ですので、来年もまた頑張ろうと思っています。今年の佐倉市の花火大会には、多くのサバイバーの方々が見に来てくださり、涙を流されている姿もありました。来年も続けていく予定ですので、よろしければぜひ見に来ていただけたらうれしいです。
岸田 本日は、お二人とも本当に貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
【自己紹介】
岸田 次は、ラストのゲストとなる患者さん、片岡紀子さんにお越しいただきました。まずは自己紹介をお願いします。
片岡 片岡紀子と申します。今から12年前に肝内胆管がんを発症し、手術で肝臓の約40パーセントを切除しました。リンパ節への転移が確認され、ステージⅣという診断を受けました。現在は、患者スピーカーバンクという団体で、事務局スタッフとして働いています。
当時は、なんとなく体調が悪く、産婦人科や呼吸器内科、精神科など、さまざまな病院を受診しましたが、なかなか原因が分かりませんでした。検査を重ねても改善せず、最終的に、近くに新しくできた「肝臓」を専門とする病院を受診したところ、「何かありますね」と言われ、そのまま手術を受けることになりました。「やっと原因が分かった」という気持ちでした。そのときは、「これでようやく治療が始まる」と思い、不安よりも安堵感のほうが大きかったです。ステージⅣという診断は、手術を終えた後に分かりました。

【治療】
岸田 発覚してから、どのような治療を受けてこられたのか教えてください。
片岡 発覚後は、「とにかく切るしかない」と言われ、肝臓の約40パーセントを切除しました。その後、1年間にわたって抗がん剤治療を行いました。
最初の1回目は入院して、点滴による抗がん剤治療を受けましたが、副作用があまりにも強かったため、途中から飲み薬に切り替え、通院での治療になりました。使用していた抗がん剤は、ジェムザールとティーエスワンです。肝臓は40パーセント切除しましたが、現在は大きさとしてはほぼ元に戻っています。ただし、左葉を切除しているため、形は以前とは変わっています。また、ステージⅣだったこともあり、リンパ節も複数切除し、このあたり一帯の郭清を行いました。
抗がん剤では、特にジェムザールの副作用が非常につらかったのですが、ティーエスワンに切り替えてからは、何とか治療を乗り越えることができました。現在は経過観察中です。後遺症としては、たくさん食べるとすぐに苦しくなり、吐き気が込み上げてくるような感覚があることです。以前は問題なく食べられていた量でも、今は同じようには食べられなくなりましたが、それ以外は大きな支障なく過ごしています。
【近況報告】
岸田 近況報告として、現在取り組まれている活動について、改めて患者スピーカーバンクのことを教えてください。
片岡 患者スピーカーバンクでは、今お話ししたような自分自身の病気の経験や体験を、製薬企業や学校などに出向いてお伝えする活動をしています。講演を行うにあたっては、事前に研修を受け、メンバー同士で「ここは良い」「ここはこうしたほうが伝わりやすいのではないか」と意見を出し合いながら、切磋琢磨して内容を磨いていきます。そうして、みんなで一つの講演を作り上げ、それぞれの現場でお話しするという活動を行っています。
【2020に向けてひとこと】
岸田 2020年に向けて、一言お願いします。
片岡 2020年は、患者スピーカーバンクの活動に加えて、ほかの団体での取り組みや、学校と関わる地域コーディネーターの仕事にも引き続き力を入れていきたいと考えています。最近は、地域に新しくできた学校のコーディネートに関わっており、学校でがん教育を行う際には、さまざまながんの患者さんをお招きしています。子どもたちに対して、がんに限らず、明日から何か困難なことが起きたときに「どうやって乗り越えていくか」をテーマに、グループワークを行い、みんなで話し合ってもらうような活動をしています。
2020年は、こうした活動を土台にしながら、患者スピーカーバンクの活動も含めて、「子どもたちに何を残していけるのか」を考えながら取り組んでいきたいと思っています。もともとこの活動は、将来、自分の孫に何かを残せたらという思いから始めたものでしたが、正直なところ、こんなに長く生きられるとは思っていませんでした。
だからこそ、これからはもっと生きて、より多くの子どもたちのために、自分の経験を語り、みんなで一緒に考えていく機会を届けていきたいと思っています。
岸田 ぜひ、もっともっと生きてください。本日は本当に多くの方にご出演いただきました。現在闘病中の方、そして闘病を終えて今も活動を続けていらっしゃる方など、さまざまなロールモデルがあったと思います。これらの声が、多くの方に届くことを願っています。今後とも、がんノートをどうぞよろしくお願いいたします。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。