インタビュアー:岸田 / ゲスト:小田村

【告知・発覚】

小田村 2016年6月に左乳がんを告知されて。乳腺専門のクリニックなんですけど。

小田村 そこには10年来、乳がん検診で通っていまして。5月に1年に1回やってる乳がん検診をして、そこで左の乳がんは分かったんですよね。

小田村 いつもマンモとエコーをその施設の中でやってその日に画像を先生が見て、コメントくれるんですけども。

小田村 先生はマンモの画像も見て「もう去年と変わりないね」って。で、石灰化がずっとあって、そこを先生はちょっと気にして、毎年診てくれて。

小田村 それもそんなにひどくなってないし問題ないねって、それでエコーをそのまま、普通にルーティンでやってもらって。

小田村 そしたらエコーで写ってたんですよ、がんが。ぐりぐりっていう感じを自分でも受けたので。

小田村 そしたら先生もあれって感じになって。

小田村 で、画面見たら、ぼこってエコーのところに白く映ってたんで。

小田村 黒くかな、先生に「あれ、これ」って言ったら、「いつから気付いてたの」って言われたから、「いや、今、気付きました」「全然、自覚なかったです」って言って。

小田村 でも触ってみたら、本当に石みたいに硬いのがあったので、自分でもその5月の時点、これはもう黒かなっていうのは分かって。

小田村 それで先生も、これは生検したほうがいいし、99パーセントがんかなみたいな感じで。

小田村 そこで検査のスケジュールを立てて、帰って来たみたいな。

]小田村 2週間後6月の初めに病理の結果が出てるからっていうことで行ったら、やっぱりそうでしたって、告知されましたね。

小田村 ただ、乳がんは、そのために検診も受けてるわけだし、そこですごく不安が強かったわけでもなかったんですけど、でも、あまりたちのいいがんじゃないという病理の結果だったので、それはすごくがっかりして。

小田村 あと、いつも私、車でクリニック行ってたんですけど、やっぱりがんって聞くって分かってたので、車の運転、嫌だなと思って、その日は歩いて行って。

小田村 クリニック終わっても、すぐ帰れずに、すごい時間かけて歩いて帰ったのを覚えてます。

岸田 まず左側の乳がんだと思って、MRI撮ったら右側もあるかもしれない。生検取ってみたら、結局がんで、遺伝の可能性があるって話になって。

小田村 右が乳がんですって言われて、それでさらに遺伝の検査を最後に強く勧められた。

小田村 で、婦人科の先生にも話を聞いて。卵巣は今、もう萎縮しちゃっていてそんなに心配はなさそうだけど、もし遺伝子検査が陽性だったら、取るっていうのはありかもねって。

小田村 ただ、遺伝子検査受けるっていうのが、すごくハードル高かったです。

岸田 自分の遺伝子だけじゃなく、全体的に分かっちゃうわけですもんね、自分の家族的なことも。

小田村 乳がん卵巣がん症候群の遺伝子だけなんで、その遺伝子を調べる検査だったんですけど。

小田村 いわゆる、私がもしプラスだったら、妹もそれを持ってる可能性もあったりとか。

小田村 あとは、母は、持ってたとして、そこまで生きてたらすごいだろう、みたいな感じで。

小田村 それよりも、娘がいたのですごく心配だったのと。

小田村 あとは、めいっ子、兄のところに娘がいて。遺伝って、兄は乳がんにならなくてもその遺伝子は持ってる可能性はあって、それが娘に遺伝するってことはあるって言われると、すごく家族に影響することだし、私がいいと思って受けるだけでいいのかなと思ったら。

小田村 でも家族に相談してたら大変なことになるなっていう、パニックだなみたいな感じで。

小田村 実は、ちょっと夫にも相談できなかったんです。子どもが持ってるかどうかっていうのは、親が勝手に調べたりできないんですよね。

小田村 逆に言うと、娘が持ってるかもしれないっていうことを背負わなきゃいけないわけですよね、どっちにしても。

小田村 私の治療のために、調べるのかっていうのは、本当にいいことかどうかって、今でも思いますけどね。

小田村 すごくハードルが高いなっていうのを感じました。

小田村 どこの病院もそうだと思うんですけど、やっぱりちゃんと遺伝子検査受ける前には、きちんとカウンセリング受けるっていうのが大事。

小田村 だから、カウンセリングは受けた。家族の家系図描かされて。すごく複雑な気持ちになりながら。

小田村 もし陽性だった場合はずっとフォローしていくから、そこは安心してほしいみたいなことは言われてはいたんですが。

小田村 そうは言いつつ、そこの場で決めるなんていうことは、なかなか。

小田村 だけど、ブレストセンターの医長の先生がその後スタンバってて。私は、看護師さんと話したら終わりだと思ってたんです。

岸田 まだ第2関門が。

小田村 いや、もう、あなた、やるべきでしょうみたいな。

小田村 先生は専門職としていろんなケースを見てきて、いろんな症例がある中で「今、あなたの立場だとしたら、私だとしたら、それを分かって術式も決めたほうがいいし、やってたほうがいい」ってことを。

小田村 「やらなかったとしても、もしかしたら持ってるんじゃないかという思いはあるよね」って。

小田村 分かってて持つのもつらいけど、今のまま持つのも、だから安心するわけじゃないよね、みたいなことも言われたな。

小田村 だから、じゃあもう検査してこようか、みたいな。結果は陰性だったんです。先生が「よかったね」って言ってくれて。

小田村 でも、そのときに、私なんかいろいろ混乱してたんでしょうね。全然よくないしと思って。よかったねって言われても、みたいな。

小田村 もうちょっと、そういう医療者に対する、そのときは自分のキャパがなかったせいか。

岸田 いや、ないよ、普通。

小田村 よかったねって言われたことで涙するみたいな。そんな複雑な気持ちでしたね。

小田村 結果、別にそうじゃなくても、私も妹もがんになってんじゃん、みたいな。そういう投げやりな、やさぐれた感じになってたなって。

小田村 誰のせいでもないし、何が理由でがんになったなんかは、医療者だって分からないんだよっていうことを。

小田村 職業看護師なんですけど。だから、そういうことを言ってきた立場でもあるし。

小田村 例えば、あなたがこれやったから、がんになったんでしょう、なんていう、イコールなんて引けないわけですよね、医療者だって。

小田村 でも、やっぱり遺伝はでかいなという気はして、すごくショックでしたね、そのときは。私のせいで娘ががんになるかもしれないとか思うのは、本当に苦しいことだし。

小田村 でも、そのときに遺伝子のカウンセリングの看護師さんと話したのは、やっぱり医学が発展してきて、いろんなことが分かって。

小田村 むしろ遺伝子検査とかもできて、だから助けられる命もある一方で、だからこそ苦しむ、悩む、選択が難しいってことも出てきてるよねって。

小田村 だからそれを、どうサポートするかってことをきちっと考えていかなきゃいけないねっていう話を、看護師さんとしたときに、本当にそうだなって。

小田村 そこは私としても、医療者としてはそこは一つ、気付きの視点だったというか。

小田村 法整備っていう意味でも、例えば遺伝とか分かっちゃうと保険とかも入りにくくなるとか、そういうことも将来、あるかもしれない。

小田村 だから、そういった守秘義務もそうだけど、プラスになった人たちも、それを抱えてやっぱり生きていけるように。

小田村 じゃないと、この遺伝子治療って発展していく意味ってあるのかなっていうのを、本当に身をつまされて。

小田村 すごくいいことなんですけどね、いろんなことが分かっていくってことは。でも、分かることでの苦しさってやっぱりあるなって。

【手術】

小田村 手術は、私は両側全摘しました。

岸田 両側全摘、ステージ1と2なのに?

小田村 左のほうは結果的に、私、リンパ節転移が奇跡的に両方なかったんですけど、先に言うと。

小田村 でも左は、結構、浸潤がでかいというか、2センチあったんですけど、それこそMRIで見たら、別の所にも、1.5センチかな、がんがあったんです。

小田村 それもあって結構、遺伝のこともすごく言われたんですけどね。

小田村 だから同じ乳房の中にそうやって浸潤しちゃってる、一つのしこりがすごく大きくなってるんじゃなくって。

岸田 点在してる感じ。

小田村 しこりが点在してあるって言われて。例えば最初、左が出たときに、術前に抗がん剤をやって小さくして部分切除するって方法もあるとか、聞いたんですけど。

小田村 「でも、あなたの場合、多分それはできない」って言われて。

小田村 「ちょっと離れた場所にも、もうがんがいっちゃってるから、そこだけくりぬくってわけにいかないので、どっちみち小さくなっても全摘でしょう」って言われたから、左はもう決まってたんですね。

小田村 右はちょっと腫瘍自体は小さかったんだけど、やっぱり同じようにMRIでは右も1カ所じゃなかったんです。

小田村 がんかなっていう所がたくさんあるみたいな画像だったらしくて。先生、すごく迷ってて。

小田村 だから、小さくは切れないけど何とか残せるかな、みたいな。頑張れば右は部分切除で抗がん剤で、すごく先生も悩んでくれて。

小田村 「でも、残念ながら、右はあまり抗がん剤効かないタイプなんだよね」って言われて。

小田村 術前に抗がん剤するのは、右にはあまり効かないから、それはもうなしねって。もう手術先にしようって。

小田村 で、手術は、術式どうするっていったときに、かわいそうと思ったのか、一生懸命残す方向で先生、考えてくれてた。

小田村 でも、もしそれで取って、取った部分が断端陽性だったら、もしかしたら右も、もう一回、全部取らなきゃいけないかもしれない。

小田村 取った上にまた取るの、と思ったら、いいかなと思って。

小田村 どうせ左もないし、じゃあもう両方、全摘でいってくださいっていうのは一番リスクを下げたいっていうとこで決めた。

岸田 じゃあ朝やって、夕方には終わってる感じで、終わりましたと。ちょっとやぼな質問ですけど、全部二つともなくなるじゃないですか。再建はして・・・

小田村 再建はしてないんです、私。実は同時再建もできた、やろうと思えば。

小田村 保険適用になってましたし、そこは形成外科の先生も一応チームにいるので、形成外科の先生の診断も受けて。

小田村 で、形成外科の先生は面白かったのが「両方取っちゃったほうがいいよ、きれいに再建できるから」って。

【化学療法】

岸田 化学療法で、副作用も含め、なんか大変だったことありますか。

小田村 私は味覚障害が割と長く続いてつらかったですね。

小田村 食べる楽しみがないのが、本当に生きててつまんないですね、楽しみがないってつらいですね。

小田村 たまにはごほうびと思って、甘いものとかも、ちょっと元気出そうと思って、見た目で食べに行ったりとか、友達とか誘ってくれたりして行くんですけど、見た感じの味がしないんですよね。

小田村 だから、これ絶対おいしいはずなのに、なんでこんな味しかしないのみたいな。

小田村 あと、これ面白いから撮ったんですけど。これドセ(=抗がん剤)やってるときかな、手足にしびれが出るんですよね。

小田村 少しでもそれが、点滴落としてるときに末梢にいかないように冷やしてたほうがいいっていう。看護師さんたちがちゃんと冷やしてくれてて。

岸田 だから冷たいんですね、これ。グローブみたいなの。

小田村 それで、このグローブと、この足もちゃんと靴下みたいなの履いて、これ専用にちゃんと作られたものなんですよ。

小田村 私の友人が、別の病院でケモの専門の看護師やってるんですけど、「うちの病院買ってくれないんだよね」とかって言ってて。

小田村 「こんなん、ちゃんとあるよ」って言って、撮った写真。

岸田 手を入れて、足の所も冷たい。

小田村 そう、冷たい。でも、それで予防できるんならっていうので。

岸田 どうでした、やってみて。

小田村 どうでしょうね。結果しびれましたけど、もっとしびれてたのかなと思うと。

小田村 でも、こういうこと、ちょっとでもよくすれば防げるかもみたいなこと、本当に研究してくれて、こういうこと開発するっていうのは、やっぱり患者にとってはすごいうれしいことで。

【キャンサーペアレンツ】

小田村 紆余曲折、今まであったので、非常にメンタルをやられましたし、ちょっと家族もぶっ壊れそうになったりとかしたので。

小田村 私、2017年くらい?ケモが終わるくらいの2月くらいに、もうどん底ですよね、退職も、仕事もなくなっちゃってみたいな。

小田村 もう何もない、もう失うものは何もないくらい、あとは何を失うんだろうくらいになってたんですね。本当にきつくて、そのときにキャンサーペアレンツという。

岸田 ちなみに、初めて聞かれる方のために、キャンサーペアレンツとは。

小田村 キャンサーペアレンツは、子どもがいるがん患者でつながろうっていうピアサポート団体で、主にはSNSでつながって、日記書いたりコメントしあったりとかするんですけど。

小田村 でも普通に、集会も各地で。東京、大阪、名古屋、福岡にも進出したのかな、所で開いてくれて、そういう活動をしている、すてきな。

小田村 ピアサポートに入るなんて思ってなかったんですよ、自分は。でも、もうどこに行っていいか分かんなくて。

小田村 実はその前にも、乳がんのピアサポートとかブログとか入ったりして、うまくコミュニケーション取れなくて、それでまた落ち込んだりして。

小田村 オフ会とかも行こうと思うんだけど、気持ちと合わなくて行けなくて、そこにも求められないと思って、もうすごく絶望的になってたときに、家族、要は子どもがいるがん患者でつながろうって新しいなと思って。

小田村 その切り口って、確かに今までないなって。そのときに一番、私がつらいなと思ってたのは、子どものことだったんですよね。

小田村 だからそういう意味では、そういうことを話せるかなと思って入って、思い切ってオフ会に行ってみたんです。

【家族】

岸田 がんと知ったときに両親にどう伝えましたか。

小田村 私の両親はもう母親しかいないんですけれども、一番最後でしたね。手術決まってから伝えました。

小田村 妹のときに、母がどんな反応をするかっていうのは経験済みだったので、できれば言いたくないくらいの感じでいたので。

小田村 全部材料がそろって、自分の気持ちも落ち着いてから言おうと思って。泣いてました。

小田村 母からすれば娘2人ががんで。実は義理の姉もがんで、治療中だったので、自分以外はがんばっかりみたいな感じで、しかも自分より若いのにって。

小田村 母に私ははっきり「今回は私が治療しなきゃいけなくて、私はあなたを支えられないから、申し訳ないけどちょっと距離を置いてほしい」って。

岸田 旦那さんは。

小田村 夫は医療者じゃないんですね、別に普通のサラリーマンだし、すごく心配性な人で。

小田村 口癖のように「ママ、がんにならないでね」ってよく言われてたんです。

小田村 きょう実は生検をして、聞きに行って、ほぼがんだと思うからっていうのは。

小田村 で、聞いたら報告するねみたいに言って。 もう固まってましたね。ずっと固まったまんまみたいな。

小田村 今、思うと私も余裕がなかったから、本当は家族でそういうこと一緒に悩まなきゃいけないのに、医者が患者に説明するみたいに、私が旦那に説明しちゃってたんですよね。

小田村 私の乳がんはこうでこうでって。それってちょっと変じゃないですか。

岸田 一緒に聞くとかっていう方が多いですけどね。

小田村 医者から聞くんじゃなくて、私があえて感情的にならずに、受け止めてほしくて言ってるけど、でもやっぱり感情的になることですからね。

岸田 お子さんに伝えました?

小田村 中学3年生だったので伝えました。

小田村 突然ぽろぽろって泣いて。何それ、みたいな感じで、本当にフリーズしてたので、私もそこでフリーズしちゃった。

小田村 でも、娘はそのときレストランでデザート食べてるときで、彼女、食べられず。

小田村 ちょっと泣いた後に「なんでこのタイミングなの。アイス溶けちゃってんじゃん」って怒られて。

小田村 娘はアイスちゃんと全部食べて。で、食べ終わったら、「じゃあ私、何すればいい」って。その切り替えは夫とは違いますね。

小田村 そのときは全然、泣いてなくて、すごい強いなと思いましたね。

小田村 その質問してくれたから、私もわれに返って、あなた、別に学校、普通に行っていいし、部活も行っていいし、いろんな予定してた遊びも遠慮しないで行っていいしっていう話はできましたね。

小田村 その後に実際、私が手術したり、抗がん剤していく中で、娘はこれがリアルなんだってことを、言葉じゃなくて実感していくわけですよね。

小田村 がんってこういうものなんだとか。誰かに何かを聞きたくても誰に聞いていいか分からない、誰にも言えないって時期はすごく長かったので、子どもに伝えるって、そしてその子どもをフォローするって、とても難しいなって思いますね、

【保険】

岸田 保険には入っていらっしゃいましたか。

小田村 保険は入っていました。夫が入ってくれてて。私ずっと、病気したり手術したり何回もしてて、保険はお世話になっていたので、これは絶対入っておくべきだろうって思ってたんですね。

小田村 30代のときにがんかもしれないって言われたこともあったのもあって、がん保険は入っておこうと思って。

小田村 ただ、入院して幾らとかってあまり意味ないなって。今、入院させてくれないし。

【つらい克服】

小田村 本当に体力的にも精神的にもどん底にあったときに、私はどこかで自分が看護師というプライドみたいなのが邪魔して、正しい知識とか、今までやってきた人たちのいいロールモデルをたどれば、自分も乗り越えていけるんじゃないか当てはめようとして。

小田村 それをオープンにできなかったんですね。それがどうしようもなくなったときに、人とつながったというか。

小田村 そういう出会いで自分が思ってなかった方向にいくことで、なんか違う道が開けたりして、ここまで来れたみたいな感じですかね。

【医療者への感謝】

小田村 素晴らしいなっていう医療者に出会えたのも、私ががんになって、自分が当事者になって見れたこと。

小田村 やっぱり、医療者同士で医療者が素晴らしいとか、あまり思わないから。

小田村 本当に地道に働いている技師さんですとか看護師さん、そのときしか会えなくても、声掛けとか、配慮で患者ってこんなに救われるんだなっていう経験をいっぱいさせてもらったのを思うと、本当に感謝ですね。

岸田 リクエストはあります?

小田村 自分がそうならないようにしようっていう意味で、やっぱり、自分のキャパを知るというか。

小田村 優しい言葉を掛けたけど失敗したじゃ駄目なんです、医療者っていうのは。やれること前提なんです。

小田村 それプラス、やっぱり人としての在り方ということが医療者に求められるのかな、一緒に頑張っていきたいですね。いっぱいいっぱいなのも分かる。

【キャンサーギフト】

小田村 がんになったときに、自分が歩くべき道というか、歩いてきた道というか、これからも歩こうとしていた道を、いきなり閉ざされた感じがしたんです。

小田村 今までやってきたこともできない、それも通用しないっていう中で、なんか暗闇というか。

小田村 で、私はずっと最初、元の場所に戻ろうとしてたんですね。戻らなきゃみたいな。そういう道を探していかなきゃいけない、みたいな感じだったんですけど。

小田村 いろんな人に出会っていろんな経験をさせてもらう中で、違う道が開けた感じが、今、していて。

小田村 それは本当に、それがギフトなのか分からないですけど。

小田村 もう元に戻らなくていいや、そもそも人生なんて、元に戻れないしね、過去に戻れるわけないし。

小田村 とても楽になったし、むしろこれからも別に、こう歩もうじゃなくていいのかなって。

【夢】

小田村 私、やっぱり絵本が好きなんです。看護師じゃなかったら、絵本屋さんをやりたいと思うくらい絵本が好きで。

小田村 だから絵本を、人生後半は、ナースと組み合わせたことができたらいいな、なんて漠然と思ったりしてます。

【闘病中のあなたへ】

小田村 『レット・イット・ビー』。あるがままみたいな感じですかね。頑張り過ぎなくていいかな、みたいな。頑張れなくても、何とかやってればどっかに着くかな。

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