目次
- 告知・発覚テキスト / 動画
- 治療テキスト / 動画
- 両親テキスト / 動画
- 遺伝テキスト / 動画
- こどもテキスト / 動画
- お金・保険テキスト / 動画
- つらかったこと、大変だったことテキスト / 動画
- 医療従事者への感謝&要望テキスト / 動画
- キャンサーギフトテキスト / 動画
- 闘病中のあなたへテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:木瀬
【告知・発覚】
岸田 本日のゲストは、木瀬真紀さんです。
木瀬 木瀬真紀と申します。私は、生後0歳のときに、網膜芽細胞腫という、目の網膜にできる小児がんを患いました。現在は35歳ですが、特に治療は行っていません。当時のステージについても、分かっていません。

木瀬 網膜芽細胞腫は、目の網膜にできる小児がんです。早ければ生後数か月、遅くても5歳くらいまでに診断されることが多く、私は生後3か月頃に母が異変に気づきました。白色瞳孔といって、猫の目のように瞳の奥が光って見える症状があり、「おかしい」と思って病院を受診し、確定診断となりました。
網膜芽細胞腫には、片眼性と両眼性があり、私は両眼性でした。当時、両眼性の場合は、見つかった時点で重いほうの目は摘出し、状態のよいほうは視力温存のために残す、という治療が一般的でした。そのため、私は生後3か月で病気が分かった時点で左目を摘出し、右目の腫瘍には、こめかみから放射線治療を行いました。
正面から放射線を当てると脳への照射になってしまうため、こめかみ側から照射して、視力を温存する治療を行います。おそらく0歳から1歳くらいの間にその治療を行い、それで治療は終了しました。治療期間自体は、それほど長くはなかったと思います。
網膜芽細胞腫は、国内では年間およそ80人ほどが発症すると言われています。そのうち、両眼性は全体の3割ほどで、残りは片眼性です。片眼性の場合は、摘出手術をすれば治療が終了することが多いですが、両眼性の場合は両方を摘出すると見えなくなってしまうため、片方を摘出し、もう片方は温存治療を行う、というケースが当時は多くありました。
現在は、両眼温存治療や、さまざまな局所治療の選択肢も増えてきており、当時の治療法だけが唯一の選択肢というわけではありません。
現在、左目は義眼です。右目は放射線治療の影響で白内障になったため、手術をして眼内レンズを入れています。視力は裸眼で0.5程度は見えますが、焦点が合いにくい状態です。
白内障の手術では、通常は焦点を合わせるのですが、私の場合はそれもうまく合わず、見える位置を自分で探しながら見る、ということが多いです。視力が0.7あり、片方の目でも見えていると、障害者手帳の対象にはならないため、学校も普通校に通い、大学にも進学しました。
ただ、就職活動で一度うまくいかず、その後大学院に進学しました。大学院に通っている途中で、急に視力が低下し、白内障の手術を受けました。
岸田 網膜芽細胞腫の手術というのは、目を摘出して、その場で義眼を入れるような形になるのでしょうか。
木瀬 私の場合は同時には行っていませんが、眼窩に転移している場合などもあります。網膜芽細胞腫は、視神経を通って脳に転移すると死亡率が一気に上がりますが、目の中だけにとどまっている場合は、ほとんど命に関わらないため、小児がんの中では生存率が非常に高い病気です。
目を摘出したあと、眼窩への転移がないかや傷の状態を確認してから、1か月ほど経って義眼を作ることが多いと思います。最初は仮義眼のようなものを入れるケースが一般的です。
【治療】
岸田 その後、31歳のとき、入籍前に遺伝子検査を受けられたんですよね。
木瀬 網膜芽細胞腫には、遺伝性と非遺伝性があります。両眼性の網膜芽細胞腫の場合は、原因となる遺伝子変異が特定されています。RB、つまり網膜芽細胞腫は、13番染色体の欠損やズレによって発症するメカニズムが分かっています。
両眼性の患者は、2本ある13番染色体のうち1本が子どもに引き継がれると、遺伝して発症することも分かっており、小児がんの中では比較的少ない遺伝性腫瘍です。乳がんや卵巣がん、大腸がんなど、家族性で遺伝するがんがあると思いますが、それと同じ考え方です。
私は両眼性だったので、高校生の頃に「2分の1の確率で遺伝する」と知りました。結婚を考えるようになり、遺伝子検査を受けることにしました。13番染色体にあるエラーのうち、どの部分がどのように変異しているのかを調べるための、採血による検査でした。
その結果、遺伝子変異自体は特定できました。しかし、次に直面したのが「子どもをどうするか」という問題でした。網膜芽細胞腫の患者が成人すると、「子どもに遺伝する可能性をどう受け止めるか」という大きな課題が出てきます。
遺伝させない方法はあるのか、そもそも子どもをつくるのかどうか。そういったことを必死に調べましたが、国内の情報はほとんどありませんでした。「遺伝する可能性がある」という情報だけで、具体的にどうすればいいのかは、まったく書かれていなかったんです。
自分でさらに調べていく中で、海外では「着床前診断」という方法があることを知りました。体外受精の段階で遺伝子を調べ、異常のない受精卵を子宮に戻すという方法で、国によっては保険適用で受けられる場合もあります。ただし、日本では当時、網膜芽細胞腫はその対象疾患にはなっていませんでした。
そうなると、選択肢は「子どもをつくらない」か、「子どもをつくって2分の1の可能性に賭ける」か、その二択しかありませんでした。その中で、子どもをつくるかどうか、本当に悩みました。

木瀬 網膜芽細胞腫は、他のがんと比べて死亡率が圧倒的に低いという特徴があります。もし遺伝していたとしても、早期に治療すれば視力を残せる可能性が高いと考え、子どもを産む決心をしました。
出産したのは32歳のときです。出産後、眼底検査で子どもの網膜を調べ、遺伝しているかどうかを確認しました。生まれた子どもの臍帯血で遺伝子検査ができることが分かっており、私自身はすでに遺伝子検査を受けていたため、もし遺伝していれば同じ結果が出るはずだと考えていました。
臍帯血による遺伝子検査で、もし私と同じ型であれば遺伝していることが分かり、その時点で発症していなくても、将来的に発症する可能性があると判断できます。また、出生前に分かる方法として、胎児の羊水検査があると知り、東京の大学病院で羊水検査を受けました。その結果、遺伝していることが分かりました。そこで、産後すぐに治療ができるよう、里帰り出産を選択しました。
岸田 その羊水検査は、どれくらいの期間で結果が分かり、費用はどの程度かかるものなのでしょうか。
木瀬 羊水検査は受けられる妊娠週数が決まっており、結果が出るまでに1か月から2か月ほどかかります。現在は、網膜芽細胞腫の遺伝子検査は保険適用になっていますが、私が検査を受けた2015年当時は適用外でした。染色体検査が約1万円、染色体の詳細な検査が15万円弱、遺伝子検査は20万円未満でした。さらに羊水検査に8万から10万円ほどかかり、合計でおよそ25万円ほどの費用がかかりました。
岸田 出産後の治療は、どのように進んだのでしょうか。
木瀬 遺伝が確定しても、その時点ですぐ命に関わる状態ではなかったため、通常の産院で出産しました。出産5日目に退院し、生後7日目に近くの総合病院で眼底検査を受けました。
すると、その時点ですでに両目に腫瘍があると言われ、がんセンターの希少がんセンターに連絡が入り、生後8日目から入院となりました。
岸田 その後、34歳で成人患者が中心となる患者会を設立されたそうですね。
木瀬 子どもの治療には、結果的にトータルで約2年間通いました。治療の現場には、網膜芽細胞腫の子どもが本当にたくさんいて、目だけに抗がん剤を入れる治療や、特殊な治療法など、国立がんセンターでなければ受けられない治療も多くありました。
手術は全身麻酔で行うため、子どもは月に1回が限界です。そのため、日本全国から月に1回上京し、入院・手術・数日後に帰宅、ということを、多い人では数十回繰り返していました。
子どもの治療中、親子間で遺伝しているケースが思っていた以上に多いことを知りました。そうした方々の間では、「子どもを産むときに情報がなかった」「どうしていいか分からなかった」という声が共通していました。検索しても「遺伝する」という事実だけが出てきて、具体的な方法や選択肢については、ほとんど情報がなかったのです。
そこで、「では自分たちが、その現実を受け止める側になろう」と考えました。私と、まったく同じ思いを抱いていたお母さんと2人で、患者会を立ち上げました。成人して治療が終わっても、遺伝の問題や後遺症、二次がんなどの課題は続きます。私たち自身の経験を集め、困っている人の役に立ちたいと考え、「RBピアサポートの会」を設立しました。
【両親】
岸田 家族のことについてですが、今回はお子さんのこととご両親のことを分けて伺いたいと思います。まずはご両親について、家族構成と、当時ご両親がどのように関わってくださっていたのか、分かる範囲で教えていただけますか。
木瀬 家族構成は4人で、両親と兄、そして私です。子どもの治療はどうしても母親に負担が大きくなりがちで、当時は母がずっと一緒に病院に通ってくれていました。治療が終わって経過観察になってからも、1か月に1回くらいのペースで、再発がないかどうかを調べていました。それが、中学生の途中から高校生くらいになると、年に1回程度の通院ペースになっていきました。
再発する方や、骨肉腫などの二次がんにかかる子もいる中で、私はそうした病気にはならずに済みました。
20歳を過ぎてからは、基本的には自由意志での通院になりました。小児慢性特定疾病という制度の関係で、20歳以降はフォローを行わない病院も多いのですが、私の場合は「来たければ来ていいよ」というスタンスで、数年に1回程度、診てもらうような形でした。
岸田 小児慢性特定疾病には国の医療費助成制度があり、医療費の自己負担はありませんよね。ご両親に対して、治療や経過観察の中で、「こうしてほしかったな」と思うことはありましたか。
木瀬 子どもが治療中のお母さんから、告知のタイミングや、遺伝の話をいつ伝えるべきかという相談を受けることが時々あります。ただ、私の場合は、親から遺伝についての話をされたことはありませんでした。自分の病気に気づいたのは、幼稚園か、小学校に上がる頃だったと思います。それまでは、片方の目が見えないことで、何かにぶつかるとか、できないことがある、という感覚はありませんでした。ただ、その頃には「どうやら他の人は両方の目で見えているらしい」ということは、はっきりと認識していました。

木瀬 病名については、風邪をひいて病院に行ったときの問診票に、母が「両眼性網膜芽細胞腫、左目摘出、右目は放射線照射で白内障あり」と書いていたのを、そのままの言葉として覚えていました。
それがどういう病気で、どのような治療をしたのかを自分でしっかり調べたのは、高校生になってインターネットが使えるようになってからです。そのときに、「こういう病気なんだな」と学術的に理解した、という感じでした。
親から「あなたはこうだから、こうしなさい」と言われることは、ほとんどありませんでした。また、網膜芽細胞腫は名前に「がん」と付かないので、小学校などで聞いても、「目の病気なんだろう」くらいの認識しか持てませんでした。
ただ、通っていた病院ががんセンターだったので、そこから徐々に「これはがんなんだな」と気づいていった、という感覚です。遺伝についても、親や主治医から特別に説明されたというよりは、自分の中ですでに知っていて、あとは自分で検索して調べていった、という流れでした。
【遺伝】
岸田 お子さんへの遺伝についてお話ししていただければと思います。まず、妊娠6か月の羊水検査で遺伝が分かり、出生後ゼロ歳のときにも臍帯血検査をされていますよね。
木瀬 羊水検査では、染色体までしか分からないので、その時点では確定ではありません。遺伝子検査は、染色体のさらに細かい配列を調べる検査で、99パーセントの精度で、ほぼ確定と言える結果が出ました。その後、生後7日目の眼底検査で、「腫瘍がありますね」と言われました。
岸田 生後10日目から抗がん剤治療が始まったとのことですが、ご自身も治療経験者として、同じ治療をお子さんが受けることに対して、怖さや困ったこと、あるいは逆によかったことはありましたか。
木瀬 今、患者会でも遺伝についての相談を受けたり、啓発活動や医療者との意見交換を行っていますが、私は「分かるなら調べたい、知りたい」というタイプなので、遺伝に関する検査を受けました。両眼性に遺伝性があることは分かっていますが、実は片眼性でも遺伝性の可能性はあります。
遺伝の可能性を知りながら子ども自身が成長し、その上で遺伝子検査をして、子どもを産むか産まないかを決めたい、という人もいると思います。人それぞれですし、知らなくてもいいという権利もあります。
私は知りたかったので、自分も子どもも検査をした上で治療を選びましたが、産んでみて、もし発症していたらそのとき治療すればいい、という考えの人もいると思いますし、そこまで悩むなら産まない、という選択をする人もいると思います。
遺伝性の病気が小児に発症する場合、治療の決断をしなければならないのは親です。そこが、乳がんや大腸がんなど、他の遺伝性腫瘍とは大きく違う点だと思っています。そのため、病気が遺伝性であるという事実は、かなり根深い問題です。私は両眼性で遺伝することが分かっていたので、調べられることは調べて、できることはすべてしよう、という考えでした。
夫は「したいようにしたらいいよ」と言ってくれて、比較的寄り添ってくれたので、このことで意見が対立することはありませんでした。ただ、どちらかの親がRB患者で、1人目の子どもに遺伝した場合、2人目を産むかどうかで揉める、という話はよく聞きます。
結局は家族の判断だと思います。決めるのは自分たちなので、遺伝性疾患の当事者には、意思決定をする権利がある。それが、社会的にも一番正しい考え方なのではないかと、私は思っています。決めるのも、決めないのも、知るのも、知らないのも、当事者が選ぶ権利があると思っています。ただ、その判断の結果として治療を受けるのは子どもになるので、そこが親としては、とてもつらいところです。
【こども】
岸田 お子さんのことについて伺っていきたいと思います。生後10日目から、抗がん剤治療としてVEC療法が始まったのですね。
VEC療法は「ベック」と呼ばれていて、ビンクリスチン、エトポシド、カルボプラチンという3種類の抗がん剤を使います。これは現在、網膜芽細胞腫に対して全身化学療法として、点滴で行われることが多い治療です。
うちの子は、生後7日目に病気が確定してすぐに入院し、生後11日目から抗がん剤の投与を開始しました。
腫瘍自体は小さかったのですが、両目にありました。まずは抗がん剤で腫瘍を縮小させてから、レーザーを当てたり、目だけに抗がん剤を入れるなどの局所治療を行っていこう、という方針でした。ただ、あまりに小さくて、自宅でカテーテルの管理などができないという理由で、45日間の入院となりました。
生まれたばかりの子どもにすぐ抗がん剤を使うというのは、親への精神的なダメージが本当に大きかったです。まだ生まれたばかりで、とても小さくて、ふにゃふにゃしている状態の子に抗がん剤を投与するというのは、親として本当につらかったです。
岸田 その後、1歳にかけて、右目の摘出を勧められることになったのですね。
木瀬 それまでの間に、目だけにレーザーを当てたり、目だけに抗がん剤を入れる局所治療を、7回か8回ほど行いました。それでも最終的に、「1歳の時点で摘出したほうがよいのではないか」と言われました。
最初は腫瘍も小さく、VEC療法も効いていたので、レーザー治療や、いわゆる「がん動注」と呼ばれる治療を繰り返しました。これは太ももの付け根から極細のカテーテルを入れて、目の横の動脈まで進め、バルーンを膨らませて他の血管に抗がん剤が流れないようにし、目だけに抗がん剤を注入する方法です。これを7回ほど行いましたが、腫瘍の状態がなかなか落ち着かないと言われました。
摘出するかどうかの判断基準は、「このままだと危険かどうか」です。腫瘍が視神経に伸びていくと、その先には脳があり、脳転移や他部位への転移が起こると、一般的ながんと同じようにステージが一気に悪くなります。目の中にとどまっているうちは死亡率は非常に低いですが、浸潤や転移が起こると、死亡率は一気に上がります。
うちの子の場合、腫瘍の大きさそのものよりも、右目の腫瘍が視神経の方向へ活動的になってしまい、視神経に入り込むかどうかというギリギリの状態になっていました。浸潤しているかどうかは断定できないけれど、「このままだと摘出が最良だ」と主治医の先生に言われ、実際に摘出手術の予定も3回ほど組まれました。
私は、自分自身が片目を摘出し、もう片方は放射線治療を受けて、今こうして生活しています。だからこそ、「放射線という選択肢で両目を温存できないだろうか」という思いが、ずっと心に引っかかっていました。親として、両目を残してあげたいと思うのは、ごく自然な感情だと思います。
一方で、放射線を当てることで二次がんのリスクが上がることも分かっていました。そこまでのリスクを負ってまで、本当に放射線を選ぶべきなのか、ものすごく悩みました。「命を守るためなら、片方の目がなくなってもいいじゃないか」と言われることもありました。
私自身、片目を摘出して生きてきたので、その考えが間違っているとは思いません。ただ、親として、残せる可能性があるなら残してあげたい。そのために何か方法はないのかと、ずっと調べ続けていました。
そうした中で、がん研究センターの小児科の先生が、「あまり勧める治療ではないけれど、そこまで悩んでいるなら」と、陽子線治療を提案してくださいました。陽子線は、放射線の中でも照射範囲をピンポイントで指定でき、周囲への影響を抑えられる治療です。
ただ、当時は網膜芽細胞腫に対する陽子線治療の実績が、国内ではほとんどありませんでした。日本ではアメリカのように眼球を完全に固定して照射することが難しく、精度に限界があること、さらに温存したことで転移する可能性も覚悟できるのであれば紹介する、という条件付きでした。
それでも、陽子線治療が可能な小児がんの病院を紹介してもらい、照射を受けました。ちょうど1歳になったばかりの頃でした。その結果、現在も眼球を温存することができています。陽子線治療を選択して1か月後、左目に再発があったのですね。
右目が危ないと言われていた時点では、左目の腫瘍は不活性化して落ち着いていました。ところが、右目の陽子線治療が終わり、「これで一段落ですね」と言われた翌日、外来で初めて経過観察をしたところ、「左目、再発していますね」と言われました。
正直、「なんで、こうなるんだろう」と思いました。そこから、左目に対する局所治療が再び始まり、がん動注やレーザー治療を、さらに7~8か月続けました。ちょうど2歳になる直前くらいで、そうした手術や治療がすべて終わり、「これからは外来通院で経過観察をしていきましょう」という状態になりました。結果的に、生まれてから丸2年間、治療を続けていました。

木瀬 現在も両目は残っていますが、細かい文字や、一般的な小学校の教科書が問題なく読めるかどうかについては、正直なところ、まだ分かりません。細かい数字や本格的に勉強が始まったときには、もしかしたら何らかの支援が必要になる可能性もあると思っています。
今は3歳2か月で、経過観察として、月に1回、もしくは2か月に1回くらいのペースで、引き続き病院で診てもらっています。
【お金・保険】
岸田 テーマを変えて、お金や保険のことについて伺いたいと思います。まずご自身のことですが、小児慢性特定疾病の対象だったと思いますが、20歳以降に発症した白内障の治療などはいかがでしたか。
木瀬 白内障の手術は、10万円くらいかかりました。それに加えて、遺伝子検査の費用もありました。遺伝性網膜芽細胞腫の患者は、子どもへの遺伝だけでなく、二次がんになりやすいとも言われています。
二次がんは、発症した目にできるわけではなく、肺がんや胃がん、大腸がんなど、全く別の部位に発症することがあります。特に多いのは肉腫系で、成長期に二次がんとして発症する子もいます。その理由として、欠損している13番染色体に、本来はがん細胞の増殖を抑える働きを持つ遺伝子が含まれているためだと説明されています。
そうした背景があるため、何か病気になったときにローン免除などが付く保険の特約には、入りにくい場合があるようです。自分自身は、親が続けてくれているがん保険がありますが、生命保険などの新規加入の審査は、両眼性の網膜芽細胞腫の場合、かなり厳しいと思います。
子どもについても、学資保険には入れましたが、けがの保険などは断られました。「病気の保障はいらないので、けがで受診した場合の骨折などの特約は付けられませんか」と聞いたのですが、それも断られてしまいました。正直、少し腹立たしく感じました。こうした課題は、遺伝性の網膜芽細胞腫の患者にとって、決して少なくない問題だと思います。
岸田 真紀さんのお子さんは、小児慢性特定疾病制度の対象になるのですよね。
木瀬 はい、そうです。現在、小児がんは陽子線治療も保険適用になっています。2016年頃からだったと思います。
通常、大人の陽子線治療は300万円くらいかかりますが、子どもは放射線への感受性が高く、照射範囲もより限定できるという理由から、保険適用になっています。
うちの子も、ちょうど制度が始まってすぐのタイミングで対象になり、ありがたいことに治療費そのものはかかりませんでした。ただし、交通費は別です。関西から治療に通っていたので、入院のたびに新幹線代がかかりました。
全国から通院している方の中には、毎月何度も飛行機で通っている方もいますが、そうした往復交通費は補助の対象になりません。すべて自己負担になるので、決して安い金額ではないと感じています。
【つらかったこと、大変だったこと】
岸田 これまでのお話の中で、特につらかったこと、大変だったことは何でしょうか。
木瀬 一番つらかったのは、子どもへの遺伝でした。自分自身は、今は普通に暮らせていますし、見た目のコンプレックスや、いじめ、運転免許の問題など、つらいことはありましたが、正直「しょうがない」と受け止められる部分もありました。
でも、子どもへの遺伝は、自分ではどうしようもできないことで、それが本当につらかったです。だからこそ、こうして人前に出て話そうと思いましたし、患者会を作ろうという気持ちにもなりました。
患者会を通して情報発信をし、仲間と一緒に乗り越えていく、という選択をしました。
私の場合、とにかく「情報がない」ことが一番つらかったです。出生前診断ができるのか、着床前診断は日本ではできないけれど海外では可能なのか、そういった基本的な情報すら、きちんと得られませんでした。
結局、自分で英語のサイトを調べて、ようやく分かったことも多かったです。
年間およそ80人が発症する中で、数十人は遺伝性だと言われています。つまり、一定数の人は、発症を止めることができない、という現実があります。
網膜芽細胞腫は、がんの中でも生存率が高い病気です。そのため、必ずどこかのタイミングで、男女問わず「子どもを持つと遺伝するのか」という問題に直面する人たちが出てきます。
だからこそ、個人のブログのような形ではなく、公式に、責任をもって情報を発信できる団体を作りたいと思い、患者会を立ち上げました。本当に、子どもへの遺伝や、その治療の過程の中で、自責の念に押し潰されそうになったこともあります。そのときは、「生きていること」そのものが、一番つらいと感じていました。
【医療従事者への感謝&要望】
岸田 医療従事者への感謝や、要望についてお聞かせください。
木瀬 子どもの治療過程において、先生や看護師の皆さんは本当に献身的でした。その点については、心から感謝しています。一方で、遺伝に関することについては、患者会として、医療従事者の方々と頻繁に意見交換を行っています。
例えば、さまざまな検査や制度について、網膜芽細胞腫に関する議論が行われていますが、そこに患者が参画していないことが多いと感じています。議論は医師同士の間で完結してしまっていることが多いんです。
患者は、常に受け身の存在でいなければならないような構造があります。医師の言うことは正しい、という前提のもとで、「どちらを選びますか」と選択肢は示されますが、こちらから要望を伝えることは、特に治療に関しては、とても言いづらいと感じます。
治療を受ける立場ではありますが、やはり実際になってみなければ、医師であっても患者の気持ちは分からない部分があると思います。私自身、治療を受けて成人し、今は普通に生活していますが、患者としての不安や、遺伝に関する悩みを、遺伝カウンセラーや小児科医、眼科医の方々に話すと、「そんなふうに考えていたんですね」と気づいてもらえることもあります。
ですので、医療従事者に対する要望というよりも、患者が当事者として、自分の意見や要望をきちんと伝えていける土壌を、社会全体としてつくっていく必要があるのではないかと感じています。

【キャンサーギフト】
岸田 がんになって、得たもの、得たことは何でしょうか。
木瀬 「つらくてもいいんだ」と思えるようになったことです。これは、患者会の中でも、かなり議論になったテーマでした。私たちは不幸なのか、という問いを、患者会の中で話し合ったことがあります。がんになってかわいそう、後遺症があってかわいそう、子どもに遺伝してしまってかわいそう。そう言われることが多い中で、「私たちは本当に不幸なのか」ということを考えました。
確かに、周囲からは「かわいそうに」と思われがちです。でも、「今、人生は楽しいですか」と聞かれたら、私は「楽しい」と答えます。がんを経験した方や、何らかの障害を持っている方に聞いても、「日常生活は楽しいよ」と答える人は多いと思います。
だからといって、つらいことがないわけではありません。後遺症もありますし、偏見もありますし、治療や制限もあります。苦しいこと、つらいことは、確かにあります。
それでも、「じゃあ不幸なのか」と聞かれたら、「それでも幸せです」と言っていいんだと、最近、友人たちとの会話の中で、ひとつの結論に至りました。つらいことがあっても、「幸せです」と言って何が悪いんだろう、と今は思えるようになりました。そう思えるようになったこと自体が、私にとっての「キャンサーギフト」なのだと思います。
【闘病中のあなたへ】
岸田 今、闘病中のあなたへ。

木瀬 私からのメッセージは、「ActionあってのReaction!!」です。私は生まれたときからがんでしたが、「がんなんです」と人に伝えることは、正直とてもつらいです。周りを困らせてしまうのではないか、と思うこともあります。
でも、発信しなければ、周囲からの手助けや意見、コメントは入ってきませんし、必要な情報も集まりません。「情報が必要です」と声を上げなければ、誰にも届かないんです。言えなくて悩んでいる人、隠していてつらい人は、言ってしまったほうが、楽になることもあると思います。ネガティブなことを隠し続けるのは、とても苦しいことです。
元気じゃないのに、「元気だよ」と言い続けるのも、すごくつらいと思います。言ってしまえば、「大丈夫?」と声をかけてもらえるだけでも、特に闘病中は、気持ちがまったく違ってくると思います。だから、自分の気持ちは、思い切って言ってしまったほうがいい、と伝えたいです。
岸田 ありがとうございました。それでは、本日の『がんノート』は以上となります。本日もご視聴いただき、誠にありがとうございました。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。