目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:西田

【オープニング】

 

岸田 はい、それではガンノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは西田さんです。よろしくお願いします。

西田 よろしくお願いします。

岸田 西田さんは中学校の先生をされているということなのでね。きょうも優しくお届けしていきたいなということを思っております。

【ゲスト紹介】

岸田 きょうは、まず僕の自己紹介をさせてください。岸田と申しまして、25歳と27歳のときに肺細胞腫瘍という珍しいがんになりました。そのときに、医療従事者の方に病気のことは聞いたら教えてくれるんですけれども、それ以外の情報ですね。どうやってお金工面したのだったりとか、家族にどう打ち明けたのだったりとか、恋愛結婚どうするのとか。

岸田 そういった情報というのがあまりなかったので、それを患者さんに聞いたらいろいろ教えてくれたりだとかして、この情報をみんなとシェアしたらいいやん。ということでガンノートをスタートさせていただきました。

岸田 きょうはMCを務めさせていただいております。そんなきょうのガンノートminiなんですけれども。きょうのゲスト、先ほど言った西田さんでございます。西田久美子さん、出身は福井県で、今は京都府に住んでいらっしゃいます。

岸田 お仕事はさっき言ったように小学校の教諭ということでもあります。そして趣味は読書とありますけれども、何か好きな本とかあったりとかしますか。

西田 何でも読むんですけど、昔のドラマで流星ワゴンって覚えてます?

岸田 分かります。

西田 分かります? 重松清さん。

岸田 重松さん?

西田 そうです。あらためて読み直しました。涙涙で。

岸田 いいですね。そしてがんの種類は乳がんということでステージが1で、告知年齢は49歳のとき。そして現在の年齢は54歳というたところで、治療法は、薬物療法や手術をされていくということなんですけれども。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんな西田さんのペイシェントジャーニーを使って、ちょっとお伺いしていこうと思うんですけれども。ペイシェントントジャーニー、上に行けば行くほど気持ちが上がっている。下に行けば行くほど下がっている。右に行けば行くほど時間が経過するというふうなグラフになります。吹き出しもポジティブやネガティブ、そしてどちらでもない普通なこと。その後、治療などというふうな形になっておりますので。

岸田 こういうふうな形色分けされているんだなぐらいで、思っておいてもらえたらなと思います。そんな西田さんのペイシェントジャーニーこんな形なんですけども。前半がもうすごく下がってきていて、そこから徐々に徐々に上がってきているのかなというふうなことになりますけれども。

岸田 まず最初の2017年のときは普通に元気に過ごされていたと。そこから下がっていくんですよね。何されていたかというと、しこりを発見ということがあります。しこりを発見っていうのは何かテレビを見てそれをやってみたとか、そういった感じですか。

西田 いえ。2年に一遍。乳がんの検診は受けていたんですけども、そこでは異常なしでずっと来てました。でもたまたま夜にお風呂上がりにテレビを見ていたときに、右側の胸に触れたときに何かあるなって発見をして。よくよく触ってみると小さなしこりがあるというのが分かりました。

岸田 お風呂上がりにちょっと触れるなみたいな形でしこりが。

西田 本当に手がふっと当たったんですよ。そのときにコリッとした感じを感じて。

岸田 それで分かって。一応さっき言った、2年に1回は検診を受けてたんですよね。

西田 そうです。だから1年たってないぐらいですよね。1年たってないぐらいに。

岸田 そのときはなかったってことですか、しこりは特に。

西田 少なくともマンモグラフィーでは。

岸田 見つからなかったと。その1年の間にしこりがちょっと見つかって、コリッとするなというふうなところで、そこからこういった形で病院を探すというふうなところ。まずクリニックに行こうと思いますもんね。

西田 そうですね。見てもらわないとっていうのがあったので。でも本当に行ったらすぐ見てくれると思ってたんですけども、取りあえず聞いてみようと思って電話をかけたら、3カ月ぐらい先ですねって言われて。

岸田 結構。

西田 え?って。「しこりがあるんですけど」「いっぱいなんですよ、今」って感じだったんです。

岸田 じゃあ結局、3カ月後ですか。

西田 いえ。もうそんなことしてたらあかんやろということで、3軒ぐらい病院にあたって。そのうちの1軒が、しこりがあると言ったら来週の再診の人のところに無理やり入れてあげるということで。

岸田 無理やり入れてくれたんや。

西田 翌週の木曜日ですかね。1週間後ぐらいに入れてくれました。

岸田 けど、それでも1週間って結構、長くないですか。

西田 そうなんですよ。あるじゃないです。もう気になってるのに、待つのっていう。なんできょう見てくれないの?とは思いましたね。

岸田 本当、風邪とかやったらすぐに見てくれる感じですけどね。乳がんだと、しこりあるのに1週間後って言われたら、なかなか怖いなと思いますけども。じゃあ1週間後待って、その後、生検をしてくれると。

西田 そうですね。そこではエコーをして、先生が確かにあるねって言って、ちょっとマンモグラフィー撮りましょうって言って。撮って、しこりはある。これはちょっと生検をしないと分からないから、来週生検しましょう。

岸田 また来週? そこでやってくれへんのや。

西田 すぐ週をまたぐので。

岸田 がん患者あるあるというか、クリニックあるあるですね。すぐ週をまたぎがちっていうね。

西田 来週です。明日とかじゃないんだっていう。

岸田 あるある。

西田 週明けて針生検をして、また結果待ちの1週間。

岸田 その結果待ちの1週間を不安の中、過ごし、そしてもう一度そのクリニックに行ったんですかね。

西田 電話かかってきました。

岸田 電話か。

西田 もうアウトですよね。

岸田 そうですね。普通だったら何も、電話。来るってことは何かしらあるってことですもんね。

西田 きょう来られますよねっていう電話があって。もう分かりましたかって言ったら、じゃあ病院でって。

岸田 事前告知みたいな感じですね。

西田 そうなんですよ。そっかって。これ告知ってやっぱり。家族についてきてほしいじゃないですか。

岸田 はい。ご家族の方は今いらっしゃいますかと聞かれるやつですよね。

西田 そうですよね。それ言われなかったんですけど。1人で聞くのがちょっと怖かったので、主人に「ついてきてほしいな」って言ったら、「俺、仕事で無理」って言われて。でもそう、あんまりちゃんと言ってなかったんですよね。

西田 言ったら心配かけるかなと思ったので。「多分これ、私がんだから来てくれないかな」て言って「無理」て言ってたんですけど。その日の夕方に「今から行くわ待ってて」て言ってやっと来てくれた。

岸田 よかった。一緒に告知を聞いたんですか。

西田 そうですね。でも、さらっとですよね。がんですねって感じで。そんなに重々しい感じではなく。ああもうがんだねってじゃあ治療しようねって。ステージまだ1か2だろうから大丈夫だよっていう感じで。

岸田 そこから大学病院を紹介されていくというふうな形なんですかね。

西田 そうなんです。そこで乳がんだったかと思って。まだこの時点ではそっかと思いながら聞いてたんですが。診察室を出て待合でよくよくその結果の紙を読むと、最後の1行に紡錘細胞癌を示唆するという1行があって。紡錘細胞癌って何だろうって思・・・。

岸田 聞いたことないです。

西田 そうでしょ。乳がんの中の紡錘細胞癌って何って思って。ググったんですよ。今の時代ですから。

岸田 すぐググったら出てくるからね。

西田 調べられるメリットもあって。調べたら、化生がんの一種で進行が早くて。

岸田 化生がん? それも初めて聞く。

西田 化生がんって読むんでしょうね。化けるに生きる化生。進行が早くて抗がん剤も効かない。予後が悪い。予後不良って書いてますよね。

岸田 わお。

西田 予後不良。えって思って本当、先生もう一回、聞いていいですかって。診察室戻って、これなんですか、紡錘細胞癌ってって。「いや、そんなに気にしなくてもいいよ。普通のがんだよ」って言われて。

岸田 気にする。

西田 気にし、「むっちゃ怖いこと書いてあるんですけど」って言ったんですけど先生は「僕も1回やったことあるけど、別に経過も普通の乳がんと一緒だったよ」みたいに言われたんですよ。

西田 気にしなくてもいい、多分あんまり深刻に受け止めないように言ってくれはったんだろうなと思うんですよね。これすっごい怖いがんだよって言うわけにいかないじゃないですか。

岸田 そうですね。

西田 大学病院のほうに紹介するから、また来週行ってって。

岸田 また1週間、繰り越しね。1週間、2週間。

西田 ここでもう3週間くらいたってるっていう話で。

岸田 大学病院ようやく行って。大学病院で手術を受けていくということですね。

西田 そうなんですよ。ここまですごいね。すぐなかなか進まなかったんですけど。大学病院でそのときの先生に、このがんなんですかって聞いたら、「この細胞は見間違うことがないから、多分間違いないと思うよ」て言われたんですよ。むっちゃ怖いじゃないですか。

岸田 この細胞っていうのは?

西田 特別な形、スピンドルセルって言ってね。なんか特別な形をしてるらしいんですよね。

岸田 その、紡錘細胞癌っていうやつ?

西田 細胞癌。うん。スピンドルセルって言うんですけど。それが見間違うことないと思うよって。こんなこと言う先生もどうかとは思うんですけど。だから急がなきゃいけない。急がなきゃいけない。これだったら抗がん剤も本当に効かないし、進行も早いし。「明日CTに行ってきてくださいっ」て、「定員いなかったらすぐ切ります」て言われた。

西田 ここで急に明日って言われるわけですよね。今まで来週来週って延びてたのが明日行ってきてって。もう無理やり押し込むからっていう感じで。別の病院のCT受けに行ったんです。うちではすぐ受けられないから。

岸田 じゃ次の日に、違う病院でCT受けに行ったんや。

西田 そうです。取れるところでCT受けてきてって。じゃないと間に合わないかもしれないって。

岸田 いや、その今までの1週間、何なんみたいな。

西田 そう。もっとここ急いでくれたらねっていう感じで。本当にでも、そのがんだとしたら見る見る大きくなるんですって。1カ月の間に、例えば1cmが5cmくらいに平気でなっちゃうらしいんですよ。

西田 血行性転移をするからリンパ転移なくても、遠隔転移するっていう。調べたら調べるほど3カ月でなくなったとか、6カ月でなくなったとか。

岸田 怖い。

西田 そんなのしか出てこなくて。希少がんなんですよね。もちろん。0.何%とかの。こんなところ当たらんでもいいのになっていう。もうちょっといいもん当たらんかなと思って。

岸田 せっかく当たるんならね。

西田 そう。宝くじとかにしてくれたらいいのに。

岸田 ほんまに。

西田 そんな希少なところいらないじゃないですか。本当に。もう普通の乳がんでいいしと思ってたんですけど。そこからは本当に急スピードで。CT受けて、じゃあ大丈夫だったから。19日に行って、もう26日に手術みたいな。

岸田 全摘の手術をしていって。その後、病理結果、その紡錘細胞癌どうだったんですか。

西田 結局、病理なかなか出なくて、術後病理まで持ち越したんですけれども。病理のときも本当に心臓バクバクで、死にそうに泣きながら行ったんですが。主治医は「大体違ったから、抗がん剤効くと思うんで」って。大体違った?

岸田 それ。

西田 そう。先生はさらっとそこ流したんですけど。よくよく読むとwithなんとかっていうことで。そのスピンドルセルうんぬんかんぬんが。withがついてて。病理の中にそのパーツがあるわけですよ。部分によってはそうだっていう。大方は硬がんだけれども、その部分によっては紡錘細胞癌っていう。だから混合型なんでしょうね。

岸田 一部にその紡錘細胞がんを含んでて、あとは普通の、普通のって言い方あれですけど、乳がんのあれになってるってことですか。

西田 そう。よくあるタイプの乳がん、硬がんっていう。

岸田 よくあるタイプの硬がんの形。

西田 の中に、そういう部分があるっていうふうに書かれてて。私もちょっと怖かったんです。そこは私自身も目を背けてて、大方それだなっていうほうに。違ったんだって思いたかったわけですよ。

岸田 最悪の状況は逸したと。

西田 でもこれ調べてたら、全部がそうな人よりも、その部分が少なければ少ないほど生きてらっしゃるので。混合型で普通のがん、普通のがんっておかしいですよね。一般的ながんの部分が多い人は、長期の生存してらっしゃる感じだったので。

岸田 生存者が高めと。

西田 もしかしたらいけるかもっていう。ちょっとだけ希望が見えた。

岸田 ありがとうございます。これ、皆さん見てくださっている方。こちら、医療情報に関しては、主治医だったりとか病院に聞いていただければと思いますし、われわれはこの経験談、あくまで経験談でございますので。

岸田 治療法も、また変わったりとかアップデートもされますので。そこはぜひご理解いただければと思います。そして病理結果を分かっていって、その後、FEC療法という薬物療法されていくんですかね。

西田 そうです。抗がん剤しないと思っていたんですが、大方は効くだろうということで、トリプルネガティブはトリプルネガティブだから、しといたほうが絶対いいだろうっていうことでした。私もここが・・・。

岸田 じゃあトリプルネガティブの部類になったんですね。乳がんでもいろいろあるけれども。

西田 そうです。そのサブタイプがトリプルネガティブ。

岸田 ネガティブと。

西田 もう抗がん剤しか効かないタイプ。抗がん剤効かなかったらもう何も効かない。タイプであるっていうことで。少しでも上がるならやっぱりじゃあ受けようかなと思って抗がん剤を受けることにはしました。まだここでは私のメンタルはどん底で。

岸田 ずっと下がってますもんね。

西田 下がったまんまですよね。手術台に乗っているときも、多分ずっと泣いてたと思いますし。もう病院で入院しているときに治療されてて、髪の毛ない方とかいらっしゃるじゃないですか。とにかくそれがもう怖かった。自分もそうなるんだっていうのがすごく怖くて怖くて。受け止めきれなかった。

岸田 また、それをどう乗り越えたかっていうのは、後でもお話が出てきます。本当にこのときは辛かったというふうなところ。ここからまた治療中に、発熱性好中球減少症というものが。これどういうものなんすか。

西田 抗がん剤は、びびってたほど副作用、私自身表に出てくるのは強くなくて。吐き気とかもそんなになかったですし。これならいけるかなって思ってたんですけど。2回目のFECのときに高熱が出まして。抗生剤飲んでも治まらなくて、病院に行ったら即入院。白血球の中の好中球っていうのがもうほぼゼロに近いから、ありとあらゆる菌に感染しやすくなっているので隔離ですっていうことで即入院。

岸田 即入院。どれくらい入院するんですか。

西田 好中球が復活するまでですから、2週間くらいは入院してたと。

岸田 それを1回だけ?

西田 2回入院。1回目それに、2回目のFECのときになったので。3回目のときは白血球を上げるために、ジーラスタっていう注射を先生が使われたんですけれども。それで肝機能が駄目になりまして。そうなんですよ。3桁に跳ね上がって。先生がもしかして肝臓に転移したんじゃないかとか。

岸田 いや、怖い。

西田 そうなんですよ。だから消化器内科行ったりとかいろいろ調べて、でもどうも転移ではなさそうだ、これは薬剤の影響だろう。抗がん剤かジーラスタかどっちだろうっていう感じで、だいぶ教授も一緒に考えてくださってました。でも、恐らく1回目2回目が大丈夫だったから抗がん剤じゃなくてジーラスタだろうということで、もう1回やろうっていうことで。やったほうがいいからということでそのまま続けた。

岸田 続けたと。いうことですよね。

西田 当然また下がるので、また熱も上げられるから、熱を出すに決まっているっていう感じですね。

岸田 それでまた入院してっていう感じですね。

西田 そうです。もう想定の範囲内みたいな。出ると思うよみたいな感じで。主治医。

岸田 そこからただ上がっていきます。これが上がっていくと遺伝子検査ってこれまたどういうことです?

西田 まずそんな恐ろしいがんで、私、生きられないかもしれないし、トリプルネガティブで抗がん剤も効かないかもしれない。どうやったら生きられる可能性が上がるんだろうと思って、乳がん学会の市民講座を聞きに行ったときに、遺伝性乳癌卵巣癌症候群っていうもの、話を聞きました。

西田 その検査の該当に自分を含めて3人以上いるっていうのがあったので、じゃあ私、受けられるなと思う。遺伝性の乳がんかもしれないと思って、それを受けたいと主治医に申し出ました。

岸田 それは自分の中で、自分は遺伝性乳がんかもしれないなってことは、家族で乳がんの患者さんがいらっしゃったとかですか。

西田 そうですね。母とおばが乳がんをしていました。乳がんってその遺伝性じゃなくても、家族にいると跳ね上がるっていうのはずっと言われてましたので。それは遺伝性、遺伝っていうものが、本当の遺伝性と遺伝って、何となくちょっとニュアンスが違うと分かりますかね。遺伝だろうな、みたいに言ってるのと、本当に遺伝子に変異があるっていうのはちょっと別物で。

西田 そういうことかっていうのを私も学んで分かってるので。じゃあもしかしたら私の場合は、どこかに遺伝子変異があるのかもしれない。だったらまだできることがあるんじゃないかと思って。遺伝学的検査っていうのをしたいと申し出ました。保険適用前だったので。

岸田 お医者さんに言ってちゃんと受け入れてくれたんですか、それは。

西田 「そんなこと心配しなくてもいいよ」て言われて。「そんな人いっぱいいるから」て。「お金もかかるしね」て。23万ぐらいかかったかな。なかなかな額なんですよ。ここまでしなくてもいいんじゃないかって。治療が変わるわけじゃないから。この抗がん剤の種類が変わるとか何か変わるわけじゃない。

西田 もう全摘もしてたので全摘、全部、遺伝性の人はなりやすいから全摘が勧められるんですよね。残った乳房にもできやすい西田さんは全摘してるから、そこも気にしなくていいから、そんなに慌ててやらなくてもいいよっていうので2、3回スルーされ。

岸田 けど最終的にはなんかもうやりたいですっていうことで、できていくんですかね。

西田 はい。押し切って。

岸田 押し切って23万払って。

西田 そうですね。そこたどり着くまでに、まだ遺伝カウンセリングを受けてくださいって言われてそれを受けて、「意志表明をきちんとしてからじゃないと受けられません」って言われて。それも全部自費なんです。

西田 遺伝カウンセリングも自費で、なんか病院の診察室じゃないところでお部屋に行って、遺伝カウンセラーの先生と遺伝腫瘍専門医の先生と3人で、もう一度しっかりどういうものかっていうのを教えていただいて。メリットデメリットについても教えていただいて。それでも受けますかっていう。

岸田 それで受けていって最終的には下がっていきます。こちらなんかよくないことだと思うんですけども、BRCA2の変異が見つかったということですかね。

西田 結果を聞きに行くときに、カウンセラーの先生がドアの前で立ち止まって、結果見ますかっておっしゃるんですよね。見るよと。23万もかけたんだからと。

岸田 そら見るわな。

西田 でも、意思確認は大事なことらしいんですよ。最後の最後にやっぱり見ませんって言う方もいらっしゃるんですって。やっぱり見たいと思ったから見せていただいて、西田さんBRCA2のこの部分に変異がありました。だからあなたはHBOCですっていうことを・・・。

岸田 HBOCっていうのは遺伝性?

西田 乳癌卵巣癌症候群。

岸田 症候群。のことですね。

西田 はい。これをHBOCと言います。

岸田 じゃあそこから治療していくんですかね、こちら。けど薬物療法はこれで終わっていくの?

西田 そうなんです。薬物療法は11月ぐらいに終わって。ただBRCA2に変異があるということで、私いろいろまた調べたら、オラパリブという新しい薬が治験をやっている。抗がん剤が終わった後にそれを補助療法として受けられるんじゃないかって思います。それも主治医に聞いたら、うちの病院ではやってないから紹介するってことで紹介していただいたんです。

岸田 それを介してその治験を受けに行ったら、その治験申し込みをはねられると。

西田 また、診察室に入って私の紹介状をご覧になって。「ステージ1か。対象外だね」って言われて。え? それここまで来て聞かなあかん情報?って。

岸田 治験の情報で普通に最初から言ってくれよって話ですよね。

西田 そうなんですよ。患者が見れる治験情報の中には、ステージ1は駄目とは書いてなかったんですよ。ステージではねられることは患者が見れる中ではなくて。

岸田 え? それ最初に言、ねえ。

西田 すいません、期待してきたんですけどっていう。でも一応、そうなんです。主人が食い下がったら、ここまで来たのにっていうので。食い下がったらもう一回見て、うちでもっかい病理調べてもいいけどっていう感じで、ただ先ほど言った紡錘細胞癌ですね。「スピンドルセルか。これはちょっと予後はよくないからね」とは言われたんで。こらこらと。

岸田 もうちょっといい言い方。

西田 そう。言い方ですよね。でも私的にはすごい、もうそれは分かってることなので。それで受けられるならそれでもいいと。そうです、スピンドルセルですっていう。だから危ない人、何ていうんですか。やっぱり、再発率の高い人を優先してる治験)よね。だからステージ1のリンパ転移なしは入らなかったんだと、もう。でも、明記はしてなかったんですよ。

岸田 じゃあその後、ただはねられて、そのままくいす、終わっていったんですか。

西田 そう。だから取りあえず戻って、主治医にちょっとどういうことでしょうかっていう話はしたんですけれども。ごめんねとは言ってはりました。ちょっと治験情報ちゃんとこっちも調べてなかった。ごめんねっていう感じだったんです。

岸田 その後こちら、リスク低減手術を申し入れるって、次は違うやつを何か申し出られたんですか。

西田 そうなんです。もう抗がん剤終わっちゃった。オラパリーブ飲めない。経過観察に入るわけです。で、トリプルネガティブって。抗がん剤が終わったら本当することないんですよね。無治療の状態になって、ただ経過だけ見ていくっていう形になるので。

西田 じゃあ私HBOCで、遺伝性だからリスク低減手術っていうのができるよね。ということで、病院にリスク低減手術をしてもらうことはできますかっていうのを申し出ました。

岸田 そのリスク低減手術っていうのをあんまり聞き慣れないんですけど、これどういうやつですか。

西田 遺伝性乳癌卵巣癌症候群っていうのは、そのときではまだ今ほど分かってなかった。取りあえず反対側の乳房にもなりやすい。卵巣卵管、卵巣がんにもなりやすいっていうことで。それを取ることで生存率が上がるっていうデータだけはあったんですよね。

西田 卵巣卵管にできると乳がんとはまた違うことになるので、卵巣がんっていうのはやっぱり見つけにくいらしいんです。検診では見つけられないものなので、だったらばもう私あの年齢的にも50だったし子どももいますので。不安なものは取ってほしいと申し出ました。

岸田 申し出てその中で。じゃあその手術してくださるんですね。

西田 そうです。すぐはやっぱり病院側の例がない。これも保険適用前ということで自費になるということなので、そんなすんなりはいかなくて。主治医の先生とか教授とかが病院側に申し出て、倫理委員会っていうんですかね。

西田 正式名称忘れましたけど病院内で審議をされる。それをすることがいいのかどうか、倫理的にどうなんだ。言ったらアンジェリーナ・ジョリーと同じなんですけど、健康なもの、病気でないものを取るということですよね。それは医療なのかどうかっていうのが。

岸田 予防的切除ね。

西田 そうなんです。それを医療とみなしていいのかどうか。だって臓器として健康なわけですから。

岸田 ただそれは倫理審査委員会通って、一応できることになったということですかね。

西田 そうですね。そしてまだ本当になかなかできない、乳房と卵巣卵管を同時に取ってもらうっていう。

岸田 同時に。リスク低減手術。

西田 予防切除っていうんですけど。リスク低減手術。だって私、手術の後の麻酔とか麻酔覚めるまでのあのときとか、足ぶちゅーってされてる一晩とか。しんどいじゃないですか。分けてやったら2回同じことしなきゃいけないですよね。

岸田 できれば1回で終えたほうが。

西田 そう。できれば1回で取れませんかっていうことで。病院側としてもなかなか大きい決断だったんではないかなと。

岸田 その手術を行い、もう、じゃあ全部、適出したってことですよね、西田さんも。

西田 はい。だから胸はフラットのままだし、卵巣卵管は取ってしまった。ただ、まだ卵巣卵管取っても腹膜にできることがあるそうなので、定期的な診察は一応・・・。

岸田 しているということで、その後クラヴィスアルクスに入会。これはどういうものですか。

西田 これはHBOCの当事者会ですよね。遺伝性乳癌卵巣癌の当事者の人たちが集まって作っている会。太宰牧子さんという方が理事長でいらっしゃるんですけれども、遺伝性だということが分かってネットで調べたときに、ヒットしたのはここだけだったんですよね。近くになかったので、取りあえずちょっと入会はためらってましたけれども、4月から入らせてくださいっていった。

岸田 入ってその後、西田さん自身も、つばなの会っていうものを立ち上げられたと。どういうこれは、病院の患者会?

西田 そうですね。クラヴィスで仲間としゃべることのありがたさっていうのも感じましたし。自分の病院でもやっぱり泣いてる方がいらっしゃるんじゃないかなっていうことで、何とか患者会というものが作れないかなと思って。いろいろ考えて病院のカウンセラーのカヤノ先生っていう先生と一緒に立ち上げました。つばなって茅の花なんです。茅の輪くぐりのとか。

岸田 なんか聞いたことある。

西田 あります? それにもカヤノ先生とやったっていうのもあるんですけれども、いろんな願いも込めて。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 そういう会を立ち上げられているということですね。ありがとうございます。そして西田さんのですね、こちら、大変だったこと困ったことっていったところ。それはがんであることを受け止めることと。じゃあそれをどうやって乗り越えていったかっていうと、カウンセリングや精神治療科の受診と書かれています。

岸田 これはこの最初のところであった、この下がっていっているところ。序盤の下がっていったところは、さっきつらかったということもおっしゃってましたけど、それをこういうふうな形に乗り越えたっていうことですかね。

西田 そうですね。もうとにかくもう私、紡錘細胞癌かもしれないっていうあたりで、ちょっとおかしくなってまして。目の前に死が来てるような気がして、怖くて怖くてもうひたすらなんか調べて、暗くなって泣いて。もう眠れないけど起きたらまた思い出して泣くみたいな。

西田 もう自分がもうすぐ死ぬかもしれないっていう恐怖と、いや、でもがんってなんか噓じゃないのって。こんなに元気だもん、なのにって思うと。とにかく、その受容までなかなか行けなかったんですよ。2週間って言うじゃないですか。

岸田 がんを受け入れる。

西田 受容。そう。2週間じゃそんなんどうにかならへんっていう。だってその1週間2週間の間に告知とかなんやかんやんね。もう3週間以上引っ張られてるわけで。そっからまた病理とかが来るので、何を受容するのか分かんなくて。

西田 もうとにかく本当に自分自身が前向きになれなくて、もうひたすら暗黒の世界にいて。誰にも会いたくない誰ともしゃべりたくない、もう私ががんだなんて誰にも言わないでっていう。本当に駄目だったんですよ。駄目駄目な感じで。こんなに駄目な人いるかなぐらいの。

岸田 今はね。今見たら、めちゃくちゃ明るくされてるので全然そう思わないですけど。当時だったりだとか、やっぱそう受け止めるっていうのは難しかった。ただそれをカウンセリングとか、精神治療科に行ったんですか。

西田 私もう、それすら嫌だったんですよね。誰かに知られるのも嫌だったから、そんな精神科に行くとかも考えもしてなかったんですけど。抗がん剤の最初のときに泣いてたんですよね。そしたら薬剤師の方がちょっと不安定だっていうことで、がん専門看護師の方と話をする時間を作ってくださって。

西田 そこからがん専門看護師の人が、これはちょっと医療的ケアが必要だと思われたんでしょうね。心理師のカウンセラーの、と話をつないでくださって。そこからその先生が週1回のカウンセリング。じゃあ来週会いましょうねっていう感じで。

岸田 カウンセリングしてくれた。

西田 本当になんかカウンセリングしましょうっていうよりは、次、来週いつ会いましょうかみたいな感じで。少しずつ私の中の、引き出して整理をしていってくださる。何が不安かっていうのを整理をしていってくださってくれたなと、今なら思う。

岸田 けど、それをやることで西田さんは少し和らいだってことですもんね、そのときの状況だったりとか。

西田 そうですね。自分の中でも話すことすらできなかったので、口に出して話すっていうことで、まず一つ自分の中の整理がついていった。それをきちんとまた整えていってもらって、本当に不安になっていいことと、そこは考え過ぎなんじゃないっていう、そこは今、考えても仕方ないことっていう感じで、きちんと整理をしていってくださって。

岸田 それをやっていろいろ乗り越えていかれたと。

西田 そうです。ちょっとお薬の力を借りることも必要だよって。

岸田 もちろん。

西田 そこに特別な、そんなことまでって思わなくていいって。ステージ1だったじゃないですか。だから私ごときの今のこの状況で、そんなことに甘えていったらあかんのじゃないかなって。やっぱちょっと思ってたんですよ。もっとひどい人いっぱいいらっしゃる。もっと私より辛い人いっぱいいらっしゃるのに、これぐらいで私が何を弱音を吐いてるんだっていう思いもあって。甘えたらいけないっていうのはあった。

岸田 でも、そういうこと全然、関係ないですからね。本当。本当に、人のがんがこうだからっていうんじゃなくて、自分が、見てくださってる皆さんが辛いと思ったら、すぐそういう、医療従事者を頼ってもらえたらなっていうのはすごく思います。ありがとうございます。

西田 ありがとうございます。

【メッセージ】

岸田 そして、西田さんに最後こちらをお伺いしていきたいと思います。今見てくださっている視聴者へのメッセージになります。西田さんからこちらのメッセージをいただいております。西田さんよろしくお願いします。

西田 はい。がんになっても終わりじゃないよっていうのは、私が2018年にがんになって、それも進行の早いがんかもしれないってなったときに、私はパニックになりました。もうこれで私、死んじゃうんだ、もう終わりなんだっていう恐怖で、本当に眠れぬ夜を過ごしました。

西田 でも正しい知識、正確な知識は、私は持っていなかったと思います。がんになったらどうしたらいい、がんってどういう病気なのか、がんになったらどうしたらいいのか。それを知ることで、自分は落ち着いていったと思います。

西田 本当にがんと宣告されて今つらい方に伝えたいのは、終わりじゃないです。私たちには味方がたくさんいます。支えてくれる方がたくさんいます。本当に誰とも話したくないときがあるかと思いますけれども、私たちには支えてくれる人がいます。がんになっても本当に終わりじゃないです。一緒に頑張っていきたいなと思います。

岸田 ありがとうございます。がんになったからといって、そこで閉ざすっていうんじゃなくて。こういうふうに西田さんの精神、カウンセラーの人たちにも頼ったりだとか、あと他の患者会の人たちに出会っていったりだとか。そして今は、西田さんはそれを、患者会も立ち上げてサポートする側っていう形にもなられているということで。

岸田 本当にがんになったからといってふさぎ込む、もちろんふさぎ込む時期もあってもいいと思います、それに関しては。いろんな時期もあってもいいと思いますけど、それだけでは終わりじゃないよということのメッセージだったかと思います。あってました? 大丈夫です?

西田 はい。本当に私、駄目駄目だったんで。そんな本当に駄目駄目だった私でも、こんなに元気にしゃべれるようになってるので。必ず大丈夫です。

岸田 ありがとうございます。これにて、がんノートmini、終了していきたいと思います。どうも、ありがとうございました。

西田 ありがとうございました。

岸田 バイバイ。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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