【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:堀内

【目次】

0:00 START
00:25 自己紹介
01:05 闘病ストーリー
09:41 困ったこと
11:41 工夫したこと
14:45 学んだこと

【発覚、治療】

岸田 今日のゲストは堀内隆さんです。がんの種類は前立腺がんというがんで、がんになった年齢は48歳のときです。ステージは4でして、治療方法としては化学療法と、ホルモン療法と、放射線療法を行っているという方になります。

岸田 堀内さんはいろいろ治療を行っていらっしゃいますので、そのあたりのお話を聞いていきたいなということを思っています。それでは堀内さん、闘病歴お願いします。

堀内  闘病歴のほうを堀内から紹介いたします。2016年の10月に、ちょうど僕48歳だったんですけども、骨が痛い、歩けないって自覚症状があって病院に行って、前立腺がんだっていうことが分かりました。

堀内  そこからホルモン療法を開始しましたが、告知のタイミングではPSAが800だと言われました。

岸田 前立腺がんって、なんか高齢者の男性がなるようなイメージがあったんですけれども、結構40代でもあったりとかするんですか。若い人・・・。

堀内  めずらしいっていうふうに言われましたね。

岸田 やっぱそうですよね。ちなみにPSA800ってこれはどれぐらいのレベルなんですか、この800は。

堀内  50歳以上の人は、前立腺がん検診で測定するものらしいんです。正常値が4以下のところを僕は800だったってことで、前立腺がんだと思いますよっていうふうに一番初めに言われました。

岸田 普通が4以下で800。

堀内  ホルモン療法っていうのを一般的に始めるんだと言われて、ビカルタミドっていう薬を服用したところ、1カ月たつと正常値の4以下まで下がりました。

岸田 すごいですね、1カ月でそれぐらいまですぐ下がるんですね。そのあと、どのような治療をしていったんでしょうか。

堀内  そのあとPSA値が下がると症状も少しずつ軽くなってくるんですが、ホルモン療法が効かなくなったら化学療法をやるのかなって僕は勝手に思っていました。

堀内  しかし1月ぐらいに病院の先生から化学療法やってもいいんじゃないかなっていうお話をされまして。

堀内  僕もちょっと考えたんですけども、早いうちにやるのも一つの手かなと思って、2017年の4月にちょっと早いタイミングだったんですけど、化学療法を開始しました。

岸田 早めに手を打ったということですね。

堀内  そうですね。他のがんの方に聞かれると、早くないってやっぱり言われました。

岸田 堀内さんは、いつもプランだったりとか、いろんなものが早いんですよね。

堀内  化学療法が終わって、今まで通りのホルモン療法に戻りました。僕としてはホルモン療法、3年ぐらい引っ張れると思ってたんですけども、2018年の1月に、再燃っていうんですか、PSAが少しずつ上昇し始めちゃったんです。

岸田 再燃っていうんですね。再発とまたちゃうんすね。

堀内  そうですね。もともとが、がんがなくなってなくて、進行を止めてる状態なんです。それがまた進行し始めるっていうの再燃っていうらしいです。

岸田 で、その再燃をしていって、そのあと3月に。

堀内  そうですね、再燃し始めたんですけども、あのなんかドセタキセルを止めて、しばらく薬なしで様子見たり、他の薬を使ってみたりっというようなことをしながら引っ張ってみたんですけども、8月、いよいよ使えるホルモン療法の薬もなくなったので、去勢抵抗性の前立腺がんというエンザルタミドっていう薬で治療をしました。

岸田 去勢抵抗性っていうのは前立腺がんの中の種類みたいな感じですか。

堀内  そうですね。再燃、ホルモン療法が効かなくなった状態の前立腺がんを、去勢抵抗性っていうみたいです。

岸田 知らなんだ。はい、ありがとうございます。

堀内  これが以外とそんなに長く効かなくて、12月から化学療法を開始しました。カバジタキセルっていう化学療法で、ドセタキセルよりもちょっと強い薬になります。

岸田 効きが強いというか、効きも副作用も強い感じの。

堀内  そうですね。効きも強かったですし、副作用も強かったですけども、髪の毛は抜けなかったんですけどね。

堀内  白血球の減少がやはり大きくて、注射を打ちました。白血球を増やす注射が、結構、骨が削れるように痛くて。

岸田 分かる。

堀内  しんどかったです。

岸田 ですよね。それは、背骨に入れるやつですか。

堀内  いや、筋肉注射みたいなやつでした。

岸田 筋肉注射。ごめんなさい。筋肉注射、うん。痛いすよね、あれね。なんで背骨って言ったかというと、あのあと腰が痛くなるんですよね。めちゃくちゃ。

堀内  そうなんですよ。すごい痛いんです。

岸田 白血球作るためにね。分かります、あれ。で、そのあと。

堀内  そのあと、それを、約半年ぐらいかな、やって、どうする、もう少しこの薬効いている間、延長するかいって先生には言われたんですけど、ちょっともう旅行に行く予定入れちゃってて、ちょっと休憩入れますと、こちらからお願いして。

堀内  もう一つある去勢抵抗性前立腺がんのお薬であるアビラテロン酢酸エステルっていうお薬を処方してもらいました。

岸田 じゃあ別に、カバジタキセルを続けることもできたけど、こっちに変えたっていうことですね。

堀内  そうですね。でももう10サイクル目で、本当に副作用がきつくて、もうここで止めれるっていうのがあったんで頑張れたので、また続けようと言われても、もうちょっと続ける気持ちがなかったですね。

岸田 なえてたって感じですね。そのあと放射線療法をやってますけど。

堀内  はい。ちょうど患者会の代表の知り合いから、オーストラリアにこういう治療があるんだよっていうのを進めていただいて、それで行くことにして、行ってまいりました。

岸田 どうでした? オーストラリアまで行って。

堀内  一回、やっぱり今までの化学療法とかホルモン療法とは違う、なんかそれまでここはどうしても治らないんだなと思ってたところが治って、すごくそれはうれしかった覚えがあります。

岸田 すごい。これは日本未承認の治療方法でもありますから、ゆくゆく、今、治験をやってたりだとか、そういったところで、ゆくゆくは承認されるかもしれませんけれども、ごらんの皆さまには、日本ではちょっと受けれない治療法であるということだけ御了承いただければと思います。そんな中で堀内さんの闘病のとき困ったことってなんですか。

堀内  いくつかあるんですけど、告知されたときは、やはり周りに言えなかったです。だんだん症状が良くなって、周りに言った方が気持ちが楽になるなって思った時期がありました。

堀内  職場で周知しようとして、妻に相談したんですけど、「ちょっと待って」って妻から言われて、「なんで」って聞いたら、「子どもが近所で、おまえのおとうちゃんがんなんだってなとか言われたらちょっと対処ができないんじゃないか」っていうふうに言われて、「あんまりおおっぴらに周知しないで欲しい」っていうふうに言われたときは、ちょっとジレンマでしたね。

岸田 言いたい。言いたいというか普通に言えないっていう状況があったってことですね。

堀内  そうですね。職場のみんなは、なんか、杖ついて歩いてるし、腰痛っていうことにはしてたんで、腰痛にしては長いねっていう話はされてて。

堀内  実はがんだったんですよってもういつか言わないといけないと思っているところで言えないでいるっていうのが逆に苦痛だったんです。

岸田 そうか、会社の中でもね。それカミングアウトできるようなったんですか。今こうやってお話いただいているってことは。

堀内  そうですね、ドセタキセルをやるときに、もう髪の毛ずばっと抜けるので、その前に言っとこうと思って。副作用で気持ち悪くて休んでってこともあるかなと思ったんで、抗がん剤の化学療法の前に周知しました。

【工夫したこと】

岸田 ああ、良かった。次に、闘病のとき、工夫したこと、堀江チップスをちょっと、言っていただければなと思います。工夫したことあります?

堀内  もう治療を始めてすぐ気づいたんですけど、ホルモン療法って、男性ホルモンをぴしゃっと押さえちゃうんですね。

堀内  これまでは手足の油が、皮脂がなくなるなんてことが全然なかったんです。かさかさするってよく妻が言っていたのですが、意味が分かんなかったんですが、自分も全く同じ状態になりました。

堀内  冬は皮膚がかさかさになってかゆくて夜眠れないってことがおきまして、妻と同じハンドクリーム塗ったり、しまいにはワセリンを塗るようになりました。

岸田 基本やっぱ、かさかさなるのって、台所の作業が多かったりする女性が多いのかなみたいなイメージあったんですけど、ホルモンバランスでも変わってくるんすか。

堀内  手のひらのこの厚いところとか、足の裏の厚いところもかゆいんですよ。

岸田 かゆいのか。

堀内  あそこも塗るんですよ。

岸田 かゆくなんのきついすよね。で、それワセリン塗りまくったということだった。

堀内  塗りまくってましたね。

岸田 あと、この写真もいただいています。

堀内  南アルプスの悪沢岳ですね。

岸田 悪沢岳なんですね。

堀内  病気になって、多分そんなに長く生きてられないというのがやっぱりあって、しばらくはそれで沈んでいたんですけども、落ち切っちゃって。逆に死んじゃうんだから、それまでに後悔しないように生きよう、行きたいとこ行こうっていうふうに思って、一番に行きたい所が、ここ南アルプスだったんですね。

岸田 なんで。南アルプスがなんか自分なりに良かったんすか、やっぱ。

堀内  僕、雪山のほうが多くて、南アルプスって雪があまりないんで、行ってなかったんですよ。いつか行けばいいやって思ってたやつが、ああもう行けなくなると思ったんで。

岸田 なかなか、やんちゃなお兄ちゃんな格好して行ってますね。なんか。

堀内  そうですね。この病気のことを周知して、大学時代の友達と中学校時代の友達との3人でここの山に来ました。

【がんから学んだこと】

岸田 すてき。そんな中で、堀内さんががんの経験から学んだことは何でしょうか。

堀内  やっぱり精いっぱい生きなきゃいけないっていうふうに思っていて、後悔しないように生きるためにはどうすればいいんだろうと考えました。

堀内  やっぱりやりたいこともしっかりやらなきゃいけないし、治療もしっかりやらなきゃいけないし、ということから、治療を優先でもないし、自分のやりたいこと優先でもなくって、どっちも両立するためにどうするかっていうことをすごい工夫しました。

堀内  先生の言いなりじゃなくって、こうしようと思ってるんだけど、できるかなみたいなことを先生と相談したり、提案したりしました。そういうようなことをしながらやってきたなって思います。そういうことが学んだことかな。

岸田 やっぱり自分からも提案してって。提案するためには、めっちゃ調べないといけなかったりとかしません?

堀内  そうですね。一般的な話は調べられますが、僕の場合は旅行先などで、例えば西表島に行くとかって話になったときに、そういうところでなんか痛みがでたらどうしましょうなんて話も先生と相談しました。

岸田 すげえ。先生、困るやろな。西表島みたいなね。そういったことも自分から言って、どうしたらいいっていうもの、ちゃんと情報も収集して伝えるんでしょ。先生に。

堀内  そうです、だから行くのやめないと駄目かな、やっぱり行きたいんだけど何とか行けないかなっていう話を、相談しましたね。

岸田 行けたんですかね。

堀内  行きました。

岸田 あ、そうですか。すてき。今は治療のためにオーストラリアまで行ってるしね。オーストラリアで登らないんですか、山とか。

堀内  ほとんど水平移動ばかりですね。スリーシスターズもウルルも。ちょろっと見てきただけで。

岸田 じゃあ、もっと次はキリマンジャロぐらい制覇して。

岸田 堀内さんの学んだことをお願いします。

堀内  はい。治療は医療者の言いなりだけじゃなくて、自分からも提案することが大事なんだなというふうに学びました。

岸田 堀内さん、本当に今日はお時間いただいて、ありがとうございます。

堀内  こちらも役に立てれば。

岸田 こちらこそです。それではがんノートmini、これにて終了したいと思います。どうもありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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