インタビュアー:岸田 / ゲスト:桜林

【告知・発覚】

桜林 始まりは、左胸の乳頭の所に、ちょっと傷のようなものができ始めたんです。子どもがちっちゃかったりとか、他で運動をしていたりしたので、擦り傷程度かなって、下着と擦れてしまったかなって思ってたんですけど、それがどんどん繰り返し、かさぶたになって剥がれて、今度は分泌液が、黄色い液体のようなものが出てっていうのを繰り返していって、これはやっぱりおかしいなと思って、乳腺外科クリニックを予約しました。

岸田 乳頭脇に傷ができて、そっから液が出てくるみたいな。

桜林 ひざとか転んで擦りむいて黄色い液体出てくると思うんですけど、そういうような感じで、血も出ていなかったので。

桜林 そのときネットで調べて、血混じりの液体が出たら乳がんの可能性って出てきたんですけど、血が出てこなかったんです。

岸田 いきなり傷ができて出てきた感じ。

桜林 はい。

岸田 クリニックに行くときに、どういう視点で選んだんですか。

桜林 まだ子どもが小さくて、病院に行くのも両親に預けたりしなくてはいけないので、なるべく行く回数が少なくて済むのと、時間が短く済むっていうことと、セカンドオピニオンって、もしなったときにまた時間がかからないように、どこでも紹介してもらえるようなクリニックを探したんです。

岸田 そこでどういうふうな検査をしていきましたか。

桜林 マンモグラフィーと触診とエコーをやったんですけど、実はその予約期間2週間の間に左胸の上のほうにビー玉みたいなポコッとしたしこりができてしまってたので、もう多分、自分も乳がんだろうと思って、先生にもそう初めに言ったら、フルコースの検査をして、その日にほぼ乳がんだろうという。

【治療】

桜林 事前に手術をする前に術前の治療をしたんですけども、2回でちょっとあんまり効き目が少ないかなっていうことで、手術に切り替えました。

岸田 手術をして、4月に左胸の全摘、全摘だったんですね。乳頭部とリンパに転移してるという診断があった。リンパ節の郭清をして、その後、術後抗がん剤を行っていく。

桜林 はい。手術から1カ月ぐらいたったときから、術後の抗がん剤をスタートして、3週間に1回点滴しに行ってました。

岸田 3週間に1回点滴しに行かれた。

桜林 そのときにHER2にぴったりなお薬で、分子標的薬も一緒にスタートしてました。4回抗がん剤が終わった後に、放射線治療に約1カ月ぐらい毎日通いました。

岸田 治療終了後、CT検査で肺転移が発覚。肺転移が発覚してから、CVポート手術。

岸田 その後すぐ、抗がん剤、分子標的薬、2種類治療していった。

桜林 はい。抗がん剤は、今回は1週間に1回打つ抗がん剤をして、分子標的薬は3週間に1度だったので、三つのときと一つのときとあったんですけど、それを2カ月ちょっとぐらい続けました。

岸田 それで続けていって、1月には抗がん剤いったん終了。

桜林 CT検査をして、肺の見えてた部分が縮小してそんなに見えなくなったぐらいになったので、じゃあ分子標的薬だけにしましょうってなって、また現れたらやる可能性があるっていうような状態で。

岸田 で、2月から現在まではずっと継続して、ということはどれぐらいの頻度で病院に行ってるの。

桜林 最初は3週間に1回だったんですけど、ちょっと自分の生活スタイルをよくしたくて、1カ月に1回にしてもらっています。

【家族】

岸田 シングルマザーで、治療も、お子さんの子育ても、大変じゃないですか。

桜林 めちゃくちゃ。常に終わったと思ったらやることが増えてるっていう形です。

岸田 まだ小さいと思いますけれども、お子さんにがんについて伝えましたか。

桜林 当時、3歳5歳で親は私しかいないので、お風呂とかも全部私なんです、一緒に入るのが。

桜林 なので、乳頭の変化とか痛いので触ってほしくなくて、「ちょっとママ、けがしてるから」って言って、乳がんって分かったので、「実はここ病気なんだけど」っていう。

桜林 「ママはこれを手術して取っちゃうけど、すごいかわいくていいおっぱいに変えてくるから」。っていう言い方をして。

桜林 年齢が結構小さくて理解しにくいし、先のことを言っても覚えてないので、治療前は治療のこと、手術のときは手術のことっていう、分かるような形で常に説明していて、今はがんって分かってます。

 

 

岸田 今、再建はして?

桜林 してないです。

岸田 そこに関してお子さんからいじられるというか。

桜林 すごいいじられます。「いつ来るの、新しいおっぱいは」って言われるんですけど。「こういうのもこれからの世の中ありだから」って言って通してますけど、たまに偽おっぱい付けたりとかしてます。

【仕事】

桜林 当時働いてたんですけど、がんが分かって、そこの上司に話したら、たまたまその上司の友達が、がん患者さんだっていうことで理解があって、「籍を残しておくことはできる」って言われたんですけど、抗がん剤とかやってしまうと、毛が落ちてきちゃうと、それが料理に入ったりしてはいけないので。

桜林 自分もリンパを取ってるので重いものが持てないのもあったんですけど、髪の毛1本でお客さまに迷惑をかけてしまう可能性もあってできなくなって、後々辞めました。

岸田 それは治療中に辞めたの?

桜林 術前抗がん剤中に辞めました。

岸田 治療しながら続けるというよりは、治療をしている間に髪の毛とかそういったところで迷惑かけるからお仕事を辞められたと。その後、お仕事は。

桜林 今は、母のフラダンスの先生の手伝いをしてます。がんになってからフラダンスを始めました。

岸田 病室の上で踊ってたわけですよね。

桜林 そうなんです。そちらは、タヒチアンダンスっていうまた別のダンスなんです。

桜林 国が違う、ハワイのダンスかタヒチのダンスかっていうところなんですけど、ちょうど体調悪いときにタヒチアンダンスに出会ってそれに夢中だったんです。その後がんになって、母のフラダンスにもすごく興味を持って。

岸田 そこからお母さんを手伝おうと

桜林 そうなんです。あと、子どもと離れる時間が多くなるので、子どもとも、母とも一緒にできることとしてフラダンスが生活の一つとして続けてるんです。

岸田 お母さまのお仕事をサポートされながら、お子さんの面倒も見ながらお仕事をされているということですね、そういうお仕事いいですね。自分でもやりつつ、自分のペースでもできるので。

桜林 そうですね。

岸田 お母さんのお手伝いを始めたのは、どのタイミングから?

桜林 術後辺りです。もう普通の仕事が難しいだろうっていったときに母を手伝おう、ダンスを始めよう、本格的にやろうって思った。

岸田 最近の息抜きは?

桜林 ディズニーリゾートです。子どもが行きたいっていうことで、お金かかるのでそんなには行けないんですけど、年に1回ぐらい。

岸田 いいですね。

 

 

桜林 子どもと一緒に楽しむことが息抜き。

岸田 お子さん3人と桜林さんで。体力とか大変じゃないの。

桜林 すごい大変です。最初からもう。

岸田 ファストパス取りに行くとか。

桜林 「ちょっと行くよー」って言って、ファストパスって何っていうのを説明してる間もなく取りに行きます。「いいから走って走って」って言って。

岸田 体力大変やからちょっともうやめときいやみたいな感じでなくて、一番楽しんでる。

桜林 そうです。ずっと我慢してたんです。病気になるまで子どももちっちゃくて、私じゃ連れてけないし、子どもが楽しめる年になったので。

岸田 胸がちょっと痛いのは大丈夫?

桜林 やっぱり重い物を持つと、浮腫が出てきてしまうので、すごく対策をしていきます。

岸田 例えば。

桜林 左側を取ってるので、左のものを重いものを持てないんですけど、右はポートが入ってる。

岸田 持てへんやん。

桜林 もともと軽量のバッグでなるべく肩幅のひもとかがきつくないタイプで。キャンパストートとか、そういう感じで思ってもらえれば。

【保険】

岸田 お金。保険のことを聞きたいんですが、保険は入ってた?

桜林 保険は、告知の数カ月前にやめてしまっていたんです。 そこが一番、大後悔。

桜林 独身のときにお仕事してた頃の保険にずっと入り続けてて、そんなに高額ではない保険だったんですけども、子どもが生まれたのに切り替えとかはしなかったんで、見直そうと思ったんです。

桜林 ただ、見直してる期間にがんになると思わなかったので、1回切っちゃったんです。

岸田 切ってからちょっと見直そうと思ってた期間に見つかっちゃった。

桜林 なっちゃったんです。しかも女性特約を付けていたので。痛かったですね。

岸田 治療費とかどうすんの。

桜林 すごくありがたいことに、ひとり親で、ひとり親の自治体の医療費助成みたいなもので結構治療費をカバーしてもらえた。

岸田 市町村ごとで、シングルマザーの方に対して、医療費の補助をしてくれるってこと。

桜林 はい。

岸田 どれぐらい?

桜林 収入によって違うんですけど、わが家の場合は低収入なのでほぼほぼ。

岸田 ほぼ無職の状態になるわけやし、自治体がちゃんとサポートしてくれるんだったらいいじゃないですか。それは特別な申請が必要なの?

桜林 そうです。もともとひとり親になったときに申請をしていて、聞きに行ったらそのまま補助されますっていうことだった。

岸田 もし自腹で全部払ってたらどれぐらいかかってる?

桜林 想像できないぐらい。私は多分、はい、さようならぐらいだったと思います。

岸田 今も続いてるしね。

桜林 そうです。でも高額医療費とかの制度を使えれば、上額いくら、何万円とかになると思うんですけど、それでもかなり厳しい。

岸田 100万は絶対に超えてるよね。

桜林 超えてます。

【つらかったこと、どうやって克服したか】

岸田 肉体的につらかったのはどのタイミングですか。

桜林 1番肉体的でつらかったのは太ったこと。

岸田 どのタイミングですか。

桜林 せっかく告知前に、産後のダイエットができてたんですけど、術後が特にです。

桜林 吐き気止めのお薬をもらえて、そんなに吐き気はなかったんですけど、逆に味覚障害とかはあったり、あとはこのときとばかりに好きなものを食べていたら18キロぐらい太っちゃって。

桜林 自分の鏡を見た姿につらかったです。それ以外にも手のしびれとか、関節痛とか、あと菌にかかりやすい。

桜林 よく子どもがかかる溶連菌に、私2カ月に1回ぐらいかかるんです。高熱が出たりとか。喉が強烈に痛くなるんです。

桜林 食べるのも、飲むのもつらかったり。もちろんインフルエンザにもかかりやすくて。

岸田 肉体的につらかったことが、太ったっていうのは精神的につらかったっていう意味なのかな。

桜林 両方です。太ったことでダンスの服が入らないとか、通常の服が入らないとか、あと、重い。

桜林 重いと抗がん剤の副作用で体がしんどいときにそれまでと太ってからとでは、動きもやっぱり違った。

 

 

岸田 でもしゃあないよね。だって、入院中は自分の好きなもの食べたいしね。

桜林 あまり制限がなかったので、「食べたいもの食べていいよ」って言ってたのを真に受けた。

岸田 精神的につらかったタイミングってあるんですか。

桜林 精神的につらいことはあるんですけど、子どもを見なくてはいけないので、無理に上がってこなくちゃいけない。

桜林 時々、がんに対してというよりは、がんによって普通の仕事ができないとか、がんによってうまく子育てができないことに対してどーんと落ちてしまうときがあって。

桜林 菌にかかってるときに、ちょうど重なると自分でもういいやと思って、落ちるなら落ちてしまって。具合が良くなると同時に気持ちも上げていく。

岸田 体調悪いときにはちょっと下がって、体調が回復してきたらまた上がってっていうのを、今も繰り返してるってことですか。

桜林 繰り返してます。 ただ、私の場合、落ちるところまで落ちると上がってこれるので、落ちたって思ったら、落ちようと思ってます。

岸田 時間が解決してくれることもあったりとかするかも。

桜林 かも。皆さんそれぞれの上がる、下がるがあると思う。

岸田 ほかにはどんな後遺症を持ってますか。

桜林 リンパ節を取ったので、左の腕がむくみやすい。最初の1、2年が結構しんどいかもって言われていて、もうちょっとしたことでパンパンに痛いくらい膨らんでしまって、肉まんじゅうみたいな感じ。

桜林 看護師さんに流し方を教えてもらったり、腕を使うダンスを一生懸命やって改善に向かってきた。

桜林 今でもちょっと重いものを持つと痛くなってしまうので、なるべく右側で持ったりとか、手伝ってもらっている。

岸田 今は、分子標的薬の副作用でつらい?

桜林 地味にあるんですけど。抗がん剤よりは少ない。分子標的薬で、私にはなんですが、おなかがゆるくなっちゃうとか、おなかの悩みが増えてきて。

桜林 便秘じゃなくて、下痢にいっちゃう。下痢止めを飲むと、今度は上から吐きたくなってしまうので。私の場合はなんですけど。

岸田 大変。

桜林 どうしたらいいのっていうふうに。無理に今は下痢止めを使わず、流すものは流して、ただ、整腸剤とか胃薬は毎食ごとに飲んで、どうしてもひどいときは小児用の薬で穏やかにしています。あと菌にかかりやすいので、菌対策。

岸田 いい菌対策あります?

桜林 ないです。子どもはならないのに私だけなるのが結構多いので、手洗いうがいを徹底させてるんですけどまだまだ。

【後悔していること】

岸田 あのときこうしておけばよかったなということはありますか。

桜林 お金。保険はちょっと。何かしら少額でも保険があったら少し助けてもらえたのかなっていう思いがあります。

岸田 その他ありますか。もうちょっと早く行っておけばよかったとか。

桜林 もう終わっちゃったからあんまり考えないようにしてるんです。早く行っておけばよかったっていうことにつながると思うんですけど、子育て中のお母さんだと、結構自分に構えない。

桜林 「セルフチェックって大事ですよ」って乳がん検診とかでも言うんですけど、その時間がなかなか取れないというか、取れたと思ったら疲れて寝てたいとか、おせんべい食べたいとかのほうが強くなっちゃう。

桜林 それに打ち勝つのは結構難しいんですけど、自分のことをもっと。

岸田 大事に?

桜林 母親、妻とかの立場はあると思うんですけど、自分だけっていう時間を持ってもらえたらもうちょっと違ったのかなと思います。

岸田 自分の時間を作ればよかったなってことですかね。

桜林 はい。

【医療従事者への感謝、要望】

岸田 医療従事者への感謝、要望はありますでしょうか。

桜林 私がかかった病院は感謝しきれないぐらいいろいろ体制が整っている病院で、本当にありがとうございますとしかいいようがない。

桜林 一つあるとすれば、ぎりぎり若いほうのがんに入るので。そういう患者さんが周りにあんまり見かけない病院で、交流を作ってもらえたらっていうか、関わり、きっかけがあればいいな。

岸田 若い人たちの集まる場所をきっかけづくりを作ってほしかったってこと。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフト。がんになって、失ったものはいっぱいあるけれども、あえて得たものはなんでしょうか。

桜林 得たものは、たくさんあるんです。すごい人見知りをするのと、人間関係に昔悩んだ時期があって、結構お友達が少ないんですけど、がんになったことによって、がんのお友達・仲間がいっぱい増えて、それがすごくうれしい。

岸田 きょうも来てくださっています。

桜林 あとは、子育ては下手になってしまったんですけど、すくすくと育ってくれてることだったり。これっていうものじゃなくて、たくさんあります。

桜林 あと、がんは結構おっきい病気ですけど、私にとってはがんになったことで生きてく上での活力みたいなものをもらってる気がします。

岸田 得たこともあるけども、失ったこともいっぱいあるじゃないですか。

桜林 がんになって良かったとは思いたくないです。がんは大変なので。

岸田 もしならなかったら、ならないほうがいいよね。

桜林 ならないほうがいいけど、なってもたくさん楽しいこととか出会いとか、また別の面白い人生が私の場合は得られたものがとっても大きいかなと思っています。

【夢】

岸田 桜林さんの夢。今度、どうしていきたいですか。

桜林 三つあって、一つはちゃんとしたタヒチアンダンサー、フラダンサーになること。タヒチアンダンスは今、体調の具合でお休みしてるので、それに復帰したい。

桜林 二つ目は、子どもたちの成長をできるだけ長く見届けたい。

桜林 三つ目は、せっかくがんになったので、がんを生かして自分が体験したことを何かに生かせないかなと、常に思っています。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中のあなたへのメッセージをいただきたいと思います。

桜林 まずは、お疲れさまです。私がメッセージとして出せるかなって思うことはこれです。『あしたにたねをまこう!』

 

 

岸田 『あしたにたねをまこう!』これ、どういう意味ですか。

桜林 子どもたちが『パプリカ』という歌を歌っていて、終わった瞬間にこのセリフを言ったんです。

桜林 NHKが出している未来プロジェクトのキャッチフレーズで、私がすごい最近、好きだなって思っていて。

桜林 花を植えるとか土掘り返すとか、そういう作業だとちょっと大変なんですけど、種をパラパラっとまくことだったらできるかなっていう意味で、日々、結構つらいときはもう何もできないことがあると思うんですけど、少しでも明日への希望というか期待を持って、きょう1日頑張れたら、明日ももしかしたらいいことあるかなと思うかなって、この言葉を借りてきました。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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