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インタビュアー:岸田 / ゲスト:戸村

【発覚・告知】

岸田 乳がん経験者の戸村あずささん、自己紹介をお願いします。

戸村 戸村あずさと申します。私は妊娠期にステージⅠの乳がんになりました。2016年の5月に告知され、現在はホルモン治療中です。

岸田 妊娠期にがんが発覚して治療されたというとても珍しくて。僕もそういったお話聞くのが初めてになります。早速ですががんが発覚して、どう告知を受けたのかをお話しいただけますか。

戸村 妊娠6カ月頃だったんですけど、家でくつろいでいる時ふと左胸にしこりのような触ったことないような触感のものがあることに気付いて、ネットで調べたら、妊娠期だとそういう乳腺とかが詰まったりして、そういうしこりができることは結構あると書いてあったので私はそれを真に受けて大丈夫だろうと思ってたんですけど、それを旦那さんに話したら「すぐ病院診てもらったほうがいい」って言われて、病院に行くことになりました。

岸田 その病院は近くのクリニックとか? それとも、最初から総合病院とかに行ったんですか。

戸村 できれば近くが良かったので探したんですけどすぐ診てくれるところがなかなかなくて、妊娠中だったし心配だったから、できるだけすぐ診てくれるところを探して都内の女医さんがいて良さげなクリニックに行きました。

岸田 どんな検査を受けて、どういう話をされました?

戸村 まず触診と、エコーとかして、すぐ生検して。エコーの画像を見て、もう先生が「多分悪性ですね」って。

戸村 なんか形で大体分かるみたいです。

戸村 「悪性だと思いますけど、詳しくは検査結果で」と言われました。

岸田 エコーを見ながら、「多分悪性ですね」って言われたんですね。

戸村 良性だとまん丸できれいになってるけど、悪性だとちょっとイガイガしてる。画像でわかるみたいです。ショックでしたがその時はまだ事実を受け止め切れなかったです。

岸田 じゃあ1週間後に検査結果を聞きにまた来てくださいってなって、そこで改めて告知を受けた感じですか?

戸村 検査結果の連絡も、予定してた日よりも早く病院から電話がきて、旦那と一緒に行ったらやっぱり悪性でしたって言われてすぐに大きな病院行きました。

岸田 やっぱり悪性だと言われたときはショックを受けたのか、それともぼうぜんとしたのか、どんな感じでしたか。

戸村 きのうまで妊娠中ですごいハッピーだったのに、いきなりこの子の成長を見られなくなるの?みたいな、ものすごい深い穴に落とされたような…白黒みたいな感じでした。

岸田 一気に崖から突き落とされた感じになった。お医者さんから別の病院を紹介しますよって言われたと思うんですけれども、そのときあずささんが選ぶ基準って何でした?

戸村 妊娠期の乳がんっていうワードで検索するとここっていう病院が出てきて、もう結構決まっていました。

戸村 もしかしたら産めないかもしれないっていうのもあったから、そういう妊娠期の乳がんに積極的に取り組んでる病院っていうのでそこに決めました。

戸村 ネットで私が見た限りは、もうここしかないなっていう感じでしたし、最初に行ったクリニックの先生も候補に挙げてくれていたので。

戸村 後々、最初に行ったクリニックも良かったなと思ったんですけど、最初にもし地元の病院とかで数週間待って行ってたら、大きな病院にはたどり着かなかったかもしれなくて。

戸村 最初に行ったクリニックも大きな病院だったんですけど、私が実際かかった病院ともつながりがあったのですぐ紹介してもらえて、すぐ診察とか手配してもらえたので、最初のクリニックが良かったなって思います。

岸田 そうね。最初どこ行くかっていうのは大事ですよね。妊娠期の乳がんも診てくださる病院に行って、そこからはどんなことを治療していった感じですか。

戸村 ちょうど妊娠安定期だったので「治療も結構できます」っていうふうに言われました。

戸村 その治療は最初に手術をして患部を取ってから、抗がん剤をするというものでした。

戸村 出産のタイミングもあったので、手術してから抗がん剤1クールだけして、出産するという流れです。

岸田 ステージⅠでも抗がん剤をする判断だったんすか。

戸村 すごく迷ったんですけど、私のがんの性質が核グレードが3で、Ki67っていう数値が74パーセントっていう。

戸村 Ki67っていうのはがんの増殖するスピードを表しているんですが、私はこれがすごい高値だったので抗がん剤も「ステージ初期だけどやったほうがいいです」っていうふうに言われ、やりたくなくて悩んだけど、やっぱりやっとこうってことになりました。

岸田 2016年の5月に、妊娠6カ月のときに告知を受け、左乳房全摘の手術を受けると。

戸村 その後、抗がん剤を行って出産に至るわけですけれど、この左乳房全摘手術後に乳房を再建するのかとか、いろんな選択肢もあったと思うんですが。

戸村 私の場合は妊娠中だったので同時再建っていう選択肢ありませんでした。

戸村 同時再建をすると手術の時間が長くなってしまうので、おなかの赤ちゃんに負担がかかることで「取りあえず取って、再建は後で考えましょう」って言われて「全摘じゃなくて部分摘だけ、温存みたいのはできないんですか」って聞いたんですけど、それも「全摘をしないと再発のリスクっていうのがどうしてもあるので、おなかの赤ちゃんのことを考えたら全摘です」っていうふうに言われて、あまり選択肢がなかったです。

戸村 取るだけの手術だと全身麻酔で1時間半とか、2時間ぐらいで、不安はすごくありましたけどおなかの赤ちゃんのためにと思って頑張って。

戸村 手術後、背中が凝ってるような感覚があって眠れなかったですが、傷が本当に痛いとかはあまりなかった。退院も6日後とかでした。

岸田 全摘手術して、その後、すぐ抗がん剤っていうわけでもないんですか?

戸村 ほぼすぐですね。出産に行くまでにちゃんと体調整えなきゃいけないから、抗がん剤はもうできるだけすぐやったと思います。

岸田 この抗がん剤するとき、妊娠出産の前にするんでしょう?ここの選択肢ってめちゃくちゃ不安ではなかったですか。僕だったら、出産してから抗がん剤しましょうとか思っちゃうかもしんないですけど。このとき、お医者さんとどういう判断したんですか。

戸村 そこの病院ではこの抗がん剤は赤ちゃんには悪い影響はほぼほぼないですよっていう説明を受けて、同じような症状で抗がん剤受けてる方もみんな、ほぼ影響なく無事に出産されてますとちゃんと説明をしてくれたので、言うとおりにしようかなって思ったかな。

岸田 もうその病院で前例はあったから1クールだけ。

戸村 抗がん剤を打つと白血球が下がったりとかいろいろあるじゃないですか。

戸村 出産もいろんな傷を負うから、時期的にも1クールしか挟めないけどっていうことで。

岸田 胎児に影響がない抗がん剤があるんや。

戸村 そこもびっくりしました。がんになったときはもう産めないかもって思ってたから。一昔前だったら二者択一、本当そういう時代だったらしいんですけど。

岸田 抗がん剤をするときは副作用とか、いろんな症状とかはなかったんですか。

戸村 抗がん剤副作用は前評判というか抗がん剤イコール吐き気すごくて、もう動けないみたいなイメージがあったんですが、私の場合それはなかった、ほぼほぼなかったです。

戸村 でも脱毛はもちろんあって、それはやっぱり一番嫌だった。もう出産のときはつんつるてんだったんで。

岸田 抗がん剤をを1クールだけして、その後、特に問題なく出産ができる感じでした?

戸村 出産が絡んでたんで、どこの病院で産むかが問題で、すごく転々として大変でした。

戸村 当初はがんになったから、がんの病院で産科も、もうそこで全部診てもらってそこで産みましょうねっていう方向だったんですけど、家からすごく遠かったので、いざ陣痛が始まったらその病院だと間に合わない。

戸村 結局かかってた産科の先生が、地元の病院の先生に直接交渉してくれて、そこは普通の産婦人科だったので、そういうがんの人とかリスクがある人は本当は産めなかったけど、特別に対応してくれました。

戸村 産む1カ月前とか、もう抗がん剤は1クールやった直後ぐらいには元の病院に戻って無事に出産できました。女の子です。

岸田 女の子が生まれ、その後2016年10月から抗がん剤2クール、3クールがスタート。

戸村 その後ホルモン治療が始まって会社復帰をしていく流れになるんですが…。出産してからまた大きな病院に戻る感じですか。抗がん剤は通院で?。

戸村 通院です。生まれたばっかりだったので、子供はうちの母親とかに来て見てもらったりして通院していました。

戸村 産後、多分1カ月もたってないときに抗がん剤始めたんですが、抗がん剤は結構長くて一日仕事。大変だったかな。

岸田 体力も何とか持ちこたえるしかないみたいな形で2、3クールやって。このときは出産前と同じ療法ですよね?また違う副作用とかなかったですか。

戸村 朝起きたときに手足の関節とかがしびれて曲げられないみたいなのはありました。

戸村 起きてると動くようにはなるけど、心配になって先生にこれ治るんですかって相談したら「治る人とずっと治らない人がいる」って言われてマジかって思って。でも、今は治りました。

岸田 その後、2017年4月会社復帰と書いてあります。抗がん剤をして、もうその5カ月、6カ月後くらいには会社復帰してるってことです。治療も、子育てもしながら?

戸村 保険会社のコールセンターで、派遣の仕事をしています。会社復帰は、本当はもう少しお休みしたかったんです。

戸村 治療のこともあったし、もう少し子どもとの時間をっていうのもあったので。

戸村 でも保育園の問題があって0歳児の4月じゃないと、なかなか希望の保育園には入れないっていうのが分かってたので、本当はあと1年休んで体も元気なってから復帰したかったけどやむを得ず会社復帰を。

岸田 復帰してからホルモン治療を中断とありますが?

戸村 ホルモン治療はお薬を毎日1錠ずつ飲むだけなんですけど副作用なのか、結構気持ちの浮き沈みとかが激しかったので精神的につらかった。

戸村 それで先生にお願いして、ちょっとお休みさせて貰いました。気のせいかもしれませんが、中断したら楽になりました。

戸村 クスリの中断することで再発リスクが高くなるので病院の看護師さんとか先生も心配してくれたんですけど、私は逆にホルモン剤を飲むほうが嫌で。

戸村 再開のきっかけは、セカンドオピニオンです。

【家族】

岸田 配偶者の方とお子さんのことはまた後でお聞きしますので、ご両親、親戚の方に病気をどのように伝えて、どういうサポートを受けて、どうしてほしかったかとかをお聞かせください。

戸村 両親にはすぐ電話で伝えて、大きい病院行った告知のときも一緒に来てくれたと思います。

岸田 ご両親の反応どうでした?

戸村 母親は、「なんで」ってすごい言ってたかもしれない。私、一人っ子で一人娘に何かあったら、先生お願いしますみたいに言ってました。

戸村 お父さんもショックだったと思います。親戚は話ししたらびっくりしてましたけど、頑張って、大丈夫だからみたいな感じで言葉もらったと思います。

岸田 ご家族はどんなサポートをしてくれましたか?

戸村 母親には子どものこととか、出産後も1カ月ぐらいうちに来てくれて、家事とかサポートしてもらいました。

岸田 配偶者の旦那さんにはタイミングで言いました?サポートはどんなふうに?

戸村 旦那さんと一緒に病院に行って告知を受けました。一番泣いてたのが旦那さんだったかもしれない。

戸村 最初に行ったクリニックで画像を見て、「多分がんです」って言われたときとか泣いてた感じでした。なんて言ったらいいんだろう。

戸村 そこまで思ってくれてるんだなって感じました。

戸村 子育てや家事等結構サポートしていただいていて、結構いろいろできる人で助かってます。

戸村 家事も掃除、洗濯とかしてくれるし。

岸田 逆に今だからちょっとこういったことしてほしかったなとか、こういったとこちょっと気付けてほしいなっていうのありますか。

戸村 私ががんで辛かったとき、結構気持ちの浮き沈みがあったので、沈んでるときにLINEとかでちょっとしたがんの話とかをすると返信に困って返ってこないときとかあって。

戸村 私的にはがんのすごい深刻な話をしてるわけじゃなくって、世間話程度をしてたつもりだったんだけど、彼にとってはどう接していいかすごい困ってたみたいで、もう少し気軽にお話ができたら良かったなとは思いますけど。

戸村 それも今となっては、本人は同じ患者同士でつながったりとか、患者会に行ったり、お医者さんとか看護師さんにお話ししてストレス発散できるけど、家族って結構はけ口がないかなと思うので、そういうのでちょっと大変だったんだろうなって思う面もあります。

岸田 子育てはどうですか。

戸村 今、思い返してみると出産のときもそうだし、育児のときも髪の毛が私なかったので、結構家に閉じこもりがちになってて。

戸村 出産、育児とかって、ただでさえ孤独。もう少し外に出ていろんなお友達作ったりしたかったんですけど、そういうのができなかったのがちょっと寂しかったかなって思います。

岸田 お子さん、今は2歳?いつかがんのことをカミングアウトとかっていうのは、どう考えてらっしゃいますか。

戸村 まだ2歳なので分からないんですけど、大きくなってだんだん理解してくると思うんで、分かる年になったらちゃんと教えていきたいなって思います。やっぱり遺伝とかも怖いので、子どもにも気を付けてほしいから。

岸田 遺伝子検査とかしてないですよね。

戸村 まだしてないです。でも、そのうちしたほうがいいって言われていて、しようと思ってます。

【妊孕性】

岸田 妊娠されているときの抗がん剤治療やその後の治療について、お医者さんからきちんとした話ってありました? 抗がん剤治療による妊孕性、出産能力について。

戸村 ありました。きっちりちゃんとお話していただいて、抗がん剤をやるっていうことは妊孕性がなくなる可能性が大ですっていうのと、治療が一段落しても2人目はちょっと諦めることになると治療の流れを決めるときに伺いました。

戸村 卵子凍結とかも方法はあるんですけど、妊娠中だったからそれもできない。

戸村 選択肢があまりなかったです。

戸村 やっぱり2人目が欲しいっていうのは常に思ったので先生に相談したんですが私のがんが女性ホルモンをえさにして大きくなる性質だったらしく、「妊娠することはやはり再発とかのリスクを高めます」と言われて。

戸村 それでもやっぱり二人目が欲しいと思って、セカンドオピニオンを受ける為に治療中でも妊娠してもいいよって言ってるような先生のところにセカンドオピニオン受けに行くよう自分で自分の都合のいいように病院を調べたんですが、旦那さんはもう猛反対だし、先生も反対。

戸村 どん底でした。

戸村 結局なかなか予約の取れないセカンドオピニオンの病院に予約までして、今の主治医に正直に話したら怒られたんですが診断書を書いてもらって全部用意したんですけど、結局行けなかったです。

戸村 セカンドオピニオンを断念してから、ホルモン治療も再開しました。

【仕事】

岸田 お仕事のことについて、抗がん剤治療が終わってからコールセンターのお仕事に復帰されたとき会社にはどう伝えて復帰したのか、仕事してるときにどういうことが大変だったかとか、お聞かせください。

戸村 会社復帰は出産前に働いてたところでさせていただけました。

戸村 派遣会社だったので、派遣の担当の方に全部お話しして、乳がんだったのでお休みしますと伝えました。

戸村 会社は事情を全部分かってくれてたので、戻ったときにも現場のリーダーの方とかもすごい気を遣ってくれて、すごい助かりました。

戸村 復帰して1年ちょっと結構休んで、いろいろ忘れてたので、復帰後仕事の頭に戻すのに、お勉強とか情報とか気遣ってくれました。

岸田 同僚の方とのコミュニケーションとかはどうでした?

戸村 同僚、一部の人にはお話ししたんですけど、ほぼ多分知らないかな。

岸田 今もそのお仕事は続いている?仕事中につらいかったり大変なタイミングとかありますか。

戸村 今はだいぶ落ち着いてるので、あまりそう思うこともなくなってきましたけど、ホルモン治療をやめたり、再開したりで揺れてるときは、メンタル的には結構大変だったです。

戸村 育児もしつつ時短で。4時で上がらせてもらって、保育園ダッシュみたいな。

戸村 今は家族のサポートもあってお仕事しながら子育ても順調にできていると思います。

【お金、保険】

岸田 保険は入ってましたか?

戸村 全く。お客さんにはがん保険のお話とかもしたりしてたのに、自分のこととは思わず全く入ってなくて、今となっては残念に思います。

岸田 じゃあ、お金は結構かかったんじゃないですか。

戸村 かかりましたね。

戸村 最初は検査で1日2、 3万とか請求の日もあって、こんなんで続くのって思ったんですけど、手術は高額医療費とかで限度あったので、どうにか貯金を崩してやりくりしました。

戸村 ざっくりだと100~150万いかないかくらいかかりました。

戸村 あと、お金のことで言うと、がんの告知を受けた病院で「経過もちゃんと見たいから、産科もここでまとめてください」って言われて、その大きい病院は、地元の病院よりも出産費用が40万ぐらい高くて、結果的には地元の病院で出産することになったんですけれど、がんとはまたちょっと違うところのお金の問題もありました。

戸村 補助ありますけど、あってもプラス40万。

戸村 保険入っとけば…と思いました。

【つらかったこと】

岸田 精神的・肉体的につらかったタイミングと、それとどう向き合ったかについてお聞かせください。

戸村 肉体的には、私の場合、抗がん剤3クールだったので、そこまですごいつらいっていうのはなかったんですけど、手足のしびれとか、若干お薬飲んでるけど気持ち悪いなとかがあったりはしました。

戸村 出産と絡んでたんで、どれがどっちっていう状態です。最近マラソンを再開したので、体力はついてきたかなって思います。

岸田 最近マラソンをやろうと思ったきっかけっていうのは、なんかまたあったりとかしたんですか。

戸村 SNSで病気をカミングアウトをするちょっと前かな。

戸村 自分の殻に閉じこもってるのがすごい嫌で、何か外に出したいって思ってて。マラソンまた始めたら、ちょっと前向きになれるかなと思って始めました。

戸村 精神的につらかったのは、やっぱり2人目を諦めなきゃいけない時が一番つらくて悩みましたかね。

戸村 実はまだ乗り越えてなくて、もしかしたら、2人目産めるときがくるのかななんて、勝手に妄想してます。

【反省・失敗】

岸田 反省、失敗。あのとき、こうしておけば良かったなということはありますか。

戸村 抗がん剤を受けるか受けないかで、すごい悩んだとき、Oncotype DXていう、すっごいお金がかかる検査があるんですけど、それを受けて抗がん剤の適応を調べることもできますよっていう提案を、病院から受けたんです。

戸村 でも、高額だったので、悩みました。

戸村 私の場合は検査を受けても「抗がん剤したほうがいいっていう結果になる可能性が高いよ」って先生に言われたんで結局その検査は受けなかったんです。

戸村 でも、もし受けてたら、抗がん剤受けなくても良かったのかもって思ったら、今となっては受けとけば良かったかなって思うとこもある。

岸田 けど、40万とか50万とかだったら、悩みますよね。遺伝子の検査だったりとかすると、もうすぐ保険適用になるかもしれませんよ、今年の夏ごろぐらいに。必ずしも受けれるかどうかわからないので、主治医の方に相談してもらえればいいと思います。

【医療従事者への感謝】

岸田 医療従事者への感謝、要望といったとこで。

戸村 病院の看護師さんがすごく親身になってくれて、行く度に個別に先生と会う前に呼び出してもらって話を聞いてくれたりする方でした。

戸村 私がホルモン治療中断したり、問題児だったのもあると思うんですけど、その方にはとても助けられました。

戸村 精神科もちょっとかかったりしたんですがそっちの先生はさらっとしてて、看護師さんのほうが親身になってくれた。

戸村 主治医の先生も、私がセカンドオピニオンを受けるってかみついたときに最初はすごく説得されて「子どものことを考えて」とか言われたんですけど、私の意志が固かったので「分かりました」って言ってくれて、最後、病室出るときに私の前に来て両手をこうやってつかんで、「ちゃんと考えて決めてね」って言ってくれて。

戸村 それはすごい心に残ってて、その後、またこの先生にお願いしようって思いました。

岸田 さらっと言ってたんですけど、精神科にも通ってたんすか。

戸村 通ってました。お薬もらったりとかしてたんですけど。

戸村 「そういう薬と併用して大丈夫だったら、ホルモン治療飲むのもありだよ」っていうふうに言われたので。同じ病院で精神科、初めて行ってみました。

戸村 あまり、私にはちょっと合わなかったかな。

岸田 それよりも、看護師さんのほうが良かった。精神科でお薬もらうじゃないですか。今も通ってらっしゃる?

戸村 今はもう薬も全然飲んでないです。最近はもう。ホルモン治療を開始してからは飲んでない。

戸村 要望としては抗がん剤治療を開始する際、私のおなかに子供がいたので2人目を「諦めてください」っていうふうに言われたんです。

戸村 私はそれを選択肢がないですって言われたみたいに受け取っちゃって、決め付けて判断をするんじゃなくて、もうちょっと受け手の身になった言葉が欲しかったですね。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフト、がんになって得たもの、得たことというものは何がありますか。

戸村 すごく考えたんですけど、私の場合、やっぱり子どもかなって思います。

戸村 乳がんって発見される大きさになるまで10年とかかかるみたいなんですけど。

戸村 妊娠中ってホルモンいっぱい出るから急速に大きくなるっていうふうにも言われているみたいで、子どもが私に乳がんだよって教えてくれたのかなと思って。そのために来てくれたのかなって勝手に思っていて、そう思うと子どもがキャンサーギフトです。

【闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中のあなたにというメッセージをお願いします。

戸村 全てのことに意味はあると思います。

戸村 がんになったことで自分の死を意識して、生きることがもっと充実してきたこと、2人目を諦めなきゃいけないのも、今いるこの子に愛情を注ぐため、あと、自分の時間ももっと充実させていいんだよっていうことだったと思えたらなんかちょっと気持ちも上がってきたので。

戸村 大抵のことは、こういうふうに思えたら乗り越えられるかなって最近思います。

戸村 でも、すごい落ち込んだときは我慢しないで泣いたり、叫んだり、落ち込んだりしていいと思います。

戸村 そっからちょっと上に上がってきたときに、何か違う方向から物事考えられたらいいかなって思います。全てのことに意味はあると思いたい。

岸田 願望も含めて、こういうことがあるから、こういう結果になったんだといったところで、その意味に気付くってところが大事なのかなと思います。すてきな言葉、どうもありがとうございました。

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