インタビュアー:岸田 / ゲスト:あきこ

【発覚・告知】

岸田 きょうのゲストはあきこさんです。

あきこ あきこです。2017年の3月ぐらいに、乳がんのステージⅠと診断されました。今はまだ乳がん2年生という状況です。

あきこ 5年ぐらい前に全身のがん検診を受けたことがあってそのときに一回、良性の腫瘍が乳房にできているといわれ、それ以来自分でセルフチェックをしていました。

あきこ 2016年の終わりごろお風呂に入っているときに、なんか自分が今まで触ったことないようなしこりがあってそれで怪しいのかもしれないって思いました。

あきこ マンモとエコーを最近受けていないのを思い出して、会社の健康診断がちょうど2月にあったので、乳房のエコー検査を受けました。技師さんが私がおかしいなと思ったしこりの所をずっと無言ですごい真剣に超音波を当ててるので、もしかしたらやばいのかなって思いました。

あきこ 2週間後電話がかかってきて、「今すぐに精密検査を受けに行ってください」と言わて以前健診で精密検査を受けた病院にもう一回再診に行っていろいろ検査をしたら乳がんだったという感じです。お医者さんにがんっていうのを確定的に言われたのは3月末から4月の頭でした。

 

 

岸田 結果が出るまでの間って結構不安じゃなかったですか。

あきこ 覚えてないです。ちょっと生理前後でチクチクするような気もしたなあとか、マンモだとこういうふうに見えるのが乳がんだとかいうのをネットなどで調べてみたりとかしたんですけれど調べても分からないんで。

あきこ お医者さまに言ってもらうまでは不安がってもしょうがないなというふうに言い聞かせていたような気はします。

あきこ お医者さんに「比較的小さいから、結構軽く済みますよ」と言われてたので、それほど深刻にも思っていなかったんですけど、針生検で細胞を調べたときに先生の様子が険しくて「もしかしたらHER2陽性というちょっと成長が早くて再発もしやすいイプかもしれない」と分かって。

あきこ それから精密検査で手術できるかどうかの検査をしたら心電図に異常があって先に心臓の精密検査を受けないといけなくなりました。

あきこ 心電図で通らないと全身麻酔とか受けられないんですよね。結局心臓の原因はよく分からないけど、まあ大丈夫でしょうとなりました。

岸田 針生検をして乳がんと宣告されHER2陽性とわかった。そのときはどんなお気持ちでした?

あきこ そうだったんだと思ったんです。HER2陽性っていうのが悪いっていうのがあまりよく分からない。毎回新しい情報が出てきて、それが全く自分にとっては初めての世界なので。

あきこ 先生に言われてから調べて、なんかどうも良くないらしいんだという感じだった。

岸田 冷静に受け止めていったんですね。

あきこ 告知とかも全部私、一人で受けに行っているんですけれども、そういうものなんだっていう感じで泣いたりとかはないかな。

岸田 強いですね。

あきこ マンモグラフィーを受けたら、今度は右のほうも。左のほうがこの浸潤性小葉がんっていうものになるんですけれども、「右のほうもどうも広くステージゼロなのか1のがんが一気に散らばっています、右のほうが広く散らばっているので、全摘したほうがいいでしょう。

あきこ 左は部分でもいいんだけれども、バランスを考えるともう全摘しちゃってそのまま再建するのがいいです。」と言われました。それで『両側全摘』後に再建することに。

岸田 どっちもって、女性的にどうですか。

あきこ 先生が「バランスのためにはこうしたほうがいいですよ」って言われて、「そういうものなんですか。じゃあ、お願いします」って感じだった。

あきこ 私、子どもがいて授乳の時、すごく母乳はよく出たので、そういう意味では頑張ったからいいかと。お役御免でいいよって。

岸田 じゃあ、どっち頑張ってくれたからもう全部取って次の新しい乳房『同時再建』?

あきこ 手術法っていろいろなものがあると思うんですけど、私の場合横から切って中を取ってそこにそのままシリコンを入れたので胸の外の形は変わっていないです。

あきこ 乳がんの手術っていうのは、そういう形がなくなるものだっていうふうにずっと思ってたんですけれどもそういうのはなかったんですね。

 

 

岸田 シリコンって、保険適用のやつもあるし、保険適用外のやつもいろいろあると思うんですけど?

あきこ 保険適用のものしか提示されなかったのでそれでやりました。浸潤性小葉がんのステージ1。一番多いのが乳管がんだと思うんですけれども、その2番目に多いとふうに私は聞いています。

あきこ シリコンで胸を同時再建して見た目とか形は良くなったので、それはそれで良かったなと思っています。

岸田 手術を終えてどれぐらいで退院できました?

あきこ 11日入院しましたね。

岸田 そこからの治療はどうなったんですか。

あきこ 取り出した組織を検査して、必要な治療を先生が決めてくださるんですけれど私の場合はHER2陽性なので結局抗がん剤の治療を始めることになりました。5月に手術をして、抗がん剤を始めたのが6月中旬からになります。

岸田 またじゃあ入院したんですか?

あきこ いや、全部通院でできました。抗がん剤はHER2陽性だとまず最初は徹底的にがんをたたいていきましょうということでハーセプチンっていう分子標的剤をやりました。

あきこ その抗がん剤を毎週1回を12週間というのを続けました。長いんです、点滴って。2時間半から3時間くらい。それが12週間終わった後に、今度は分子標的剤だけの単独というのになりまして。

あきこ それは3週間に1度。それも30分ぐらいで終わる点滴なので、非常に軽く早く終わりましたけれども。そんなのを、今年の6月ぐらいまでやっていました。

あきこ 分子標的単独になったところで抗ホルモン剤も始めて、今は抗ホルモン剤を毎日1錠飲むというのが私の治療となります。

岸田 このときの写真がありますので。めっちゃ髪長いですね。

 

 

あきこ すごい髪が長い人だったんです。「抗がん剤をするかもしれない」って言われていたので切るのをやめて、抗がん剤やることが決まってからあごぐらいまで切ってその切った髪の毛はドネーションしました。結構長くできたので良かったかなと思っています。

岸田 入院していた時に何かつらいことと大変だったこととかなかったですか。

あきこ 私、物心ついたときからずっと髪の毛が長かったのでまず、抗がん剤をやることになって、それでどうあがいても髪の毛が抜けないっていうことがほぼあり得ないような感じだったので、そこはすごく悩みましたね。

あきこ でも抜け始めたら、事実として受け入れて淡々と生活をするんですけれども抜ける前までがすごく不安でしたね。

岸田 抜け始めたのは、この抗がん剤をしてからですよね?

あきこ そうです。6月に始めて、「大体2、3週間ぐらいで抜け始めますよ」って言ったら、21日目に抜け始めましたね。

岸田 この抗がん剤をする前にヘアドネーションはしたんですよね?じゃあ、抜け始めたときは短かった?

あきこ ウィッグを買ってそれに替えたころです。もういろいろとヘアキャップを買ったりとか掃除するためのコロコロを買ったりとかいろいろしました。

あきこ 私の場合は、比較的長い間ずっと抜け続けたんです、最後まで。12週間ぐらいにわたって抜け続けたような感じだったので、朝起きたらいきなり枕にっていう感じではなかったです。

岸田 逆に、入院とか通院治療とかしているときに何か工夫したこととかありますか。

あきこ ウィッグは買ったら、なんか楽しくなって。四つぐらい買いました。

岸田 逆に、そういうのってどこで知るんですか。ネット?

あきこ 抗がん剤をするタイミングでお医者さんから「一回、アピアランスセンターに行ったほうがいいですよ」って言われたんですね。

あきこ アピアランスセンターってがんの治療中にいろいろ外見ケアをしてくれるところで、カウンセラーの方が専門で指導してくれるんですけれども、それが私にとってはすごく良くて、髪の毛が抜けることにすごく不安だったのですが、すごくこう明るく話しているし、「がんセンターっていうのは、治療中の人がすごく多いんです。

あきこ だから、ウィッグを付けている人が普通の街中よりも確率としては高いんですが、あなたは気付きましたか」って言われて。

あきこ 他にも「ウィッグを選ぶときは自分の今のイメージに似ているものじゃなくて、ガラッと変えちゃってもいいんですよ。

あきこ 自分に似ているようなのを探すと、今度はその自分の似てない部分っていうのがすごく気付いちゃうから、そうじゃなくて、もう全然違うのにしたほうが開き直る」って。いろいろなアドバイスされて、それがすごく良かった。

あきこ だから今抗がん剤を受ける、受けないっていう局面に立たれている方がいたら、ぜひそういうお話を聞けるチャンスがあるなら、聞いたらいいと思います。

岸田 今、そういう外見ケアの指導ができる人たちの養成講座があって、全国に増えつつありますよね。その人たちはオレンジクローバーのバッジ付けてます。

岸田 ご自身がいろんなウィッグを買ってみて、何かおすすめなポイントとかありますか。

あきこ 最初は、自分が安心して付けられるなって思う物からスタートするのがいいと思います。

岸田 ネットで買うときって、普通にその髪型だけ見て、頭のサイズとかどう? フリーサイズなんですか。

あきこ ちょっと調節できるようなバンドが付いていたりします。実店舗出してる所までわざわざ行って、一回かぶってみてその上でネットで注文したり。

岸田 今は地毛?

あきこ これは地毛です。だいぶ伸びたんですけど天然パーマになっちゃって。髪の毛が長かったときは自分はショートも似合わない、どうしようと思ったんですけどもならざるを得ない状況になったら意外とどうでも大丈夫です。

【家族】

岸田 そして次、家族のこと。家族構成は?

あきこ 一緒に住んでるのは、娘とオカメイコです。私、もう7、8年シングルマザーで、電車で30分ぐらいの所に両親が住んでいます。

岸田 がんになりましたと宣告されて、ご両親にはどう説明したんですか。

あきこ これが一番、悩んだところでしたね。母親はすごい心配性なので、どういうふうに言おうかなと思って。

あきこ 何か不要な心配をさせたくないな、でも子どもの面倒を見てもらったりとかそういうのを考えると、ちゃんと伝えなくちゃいけないのでどう伝えようか悩みました。

あきこ 両胸の手術の告知直前に海外出張が入って、母親に来てもらっていました。そのときに、どうもがんらしくて今、どういう手術になるかを待っている状況だと話すと意外と淡々と受け止めてくれました。

あきこ 考えてみたら、父もがんで骨髄異形成症候群っていう、血液がきちんとできないっていうのを4、5年前に受けていて、入院して抗がん剤を受けてたのですが、幸い、予後が非常に良くて、全然つらそうではなくて治療も奏効している状況なので、そういうのを母親は見ているので、比較的冷静に受け止めることができたのかなと思っています。

岸田 お子さんにはどのタイミングでどう伝えたんですか。

あきこ 早い時期からちょっとずつ小学校3年生ぐらいのときですね。私がしこりを感じたときときに、一緒にお風呂入ってたから、「何かここにしこりがあって、もしかしたらこれ、がんかもしれない」と、その流れで。

あきこ 私が聞いたこととかは全部娘も一緒に受け止めてるし、髪の毛とかもバサバサ抜けて落ち武者みたいになってるときとかも全部一緒に見てきてくれているので、そういう意味では、一緒に戦ってくれたかなって。

あきこ 今は小5になってるんですけども授業中とにふと、お母さん死んじゃったらどうしようって考えたりしたとは言っていました。

あきこ でも、すごく良かったなと思ったのは、私が入院している病院で寄付があるっていうのは知っていたので、「何か寄付があるんだって」と話すと、娘が「お小遣い、ちょっと寄付したい」って言ったんです。

あきこ お見舞いに来てくれたときに、500円玉の貯金をありったけ全部持ってきて「寄付したい」って。それがすごい私、感動して。でも、それを全部使わせるのはあれかなと思って。

あきこ 「じゃあ、これも合わせてお母さんのと一緒に寄付しようね」って言って、後で、その中から1000円だけもらって、私がそこに上乗せを。頑張って、それはかなり、娘に動かされて寄付しました。

あきこ 私のがんの向き合い方が正しいかどうか分からないんだけれども、ある一つのがんとの向き合い方を見てくれたっていうのは、本当、良かったなと思っています。

【仕事】

岸田 そんな中でお仕事。お子さんもいらっしゃるから養っていかないといけないわけじゃないですか。海外も行かれてたりどう工面したんですか。

あきこ 会社の制度が整ってたので、そこは私にとって非常にラッキーでした。外資系の企業なので、リモートワークはかなり簡単にできる感じで。

あきこ なるべく会社にはいくようにしているんですけれども、今でも家からビデオ会議でいろいろやったりとか、そういうのはずっとやっている状況なので。

岸田 会社にはどのタイミングでがんだと伝えたんですか。

あきこ 比較的早い段階から言いました。というのは、検査がものすごい多いので、半日抜けるっていうのがちょくちょく入るようになったので。私、上司が、日本とドイツにいるんですけれども、両方に早めに言いました。

あきこ あと、1人、私のチームにいる、私のバックアップになってくれる人にも事情を話してよろしくお願いしますと早めに伝えました。そういう意味では、私、周りが恵まれていたので良かったと思っています。

岸田 治療中はお仕事とか社会復帰とかいう面でどうしたんですか。

あきこ 手術の前に、「仕事復帰ってどのぐらいでできるんでしょう?」って聞いたら「やろうと思えば、手術の次の日からできないこともないんですよ」って言われました。

あきこ 11日入院したんですけれども、入院するときに会社のPCを持って行って、病室からずっとメールをチェックして、バックアップでお願いしてた人たちとかに指示を出してっていう感じでやっていました。

あきこ 仕事に復帰してまた世間に戻ってきたみたいなショックがなかったのは、非常に良かったです。抗がん剤が始まるときのほうが、もっと不安ではありましたね。

あきこ 腫瘍内科の先生に「仕事との兼ね合いはどうなんでしょうか」ってすごい心配して言ったんですけれども、「全然大丈夫だから」って言われて。日々ちょっとした不具合はあるんですけれども仕事はできる。

あきこ 多分、仕事してるほうがかえっていいんだと思うんです。仕事しないでずっと家にいたら、また脚の所までしびれがきているとか、何々ができないとか、そういうできないことばっかりに気がいっちゃうと思うんですけれど、仕事していると本当に集中してるのでそれが良かったのかなと思います。

【お金・保険】

岸田 次、お金、保険。当時、自分が病院に払ったお金っていうことですね。3月は9万円かかり。そして5月は『がんの摘出』と『同時再建手術』の入院のときは50万円ぐらいかかって。

あきこ そのくらい。シリコンも全部保険適用なので。50万円ぐらいでした。

岸田 その後の分子標的薬とかでまた40万円出して。

あきこ 分子標的剤って高いんですね。だから毎回4万円ぐらいかかってそれを毎週出してました。3週間に1度になったときは少し薬価が下がってだいぶ楽になりましたけれども。

岸田 今は『抗ホルモン剤のみ』で1カ月2000円程度が続いていると?

あきこ はい、大体そんな感じかなあ。ここから高額療養費制度で返ってくるのと、あと、プラスアルファで会社の健康保険によってはサポートしてくれるので、今のところ多分、全部で、自腹で結局払っているのは、50万円ぐらいかな。

岸田 当時、保険は入ってなかったんですか。

あきこ 私は入ってなかったんですけれども、母が私の分で入ってくれていたので、それで保険金も下りました。

あきこ それはすごく良かったなと思います。ただ、いろいろ保険ってあるんだなって思ったのが、母が入ってくれていた保険は、女性がんの手術にも適用になるものだったんです。

岸田 特約が付いていた感じですね。

あきこ でも、ここの所を切っていないがために、それが適用にならなかったんですね、その手術は。全摘なんだけれども、表面のここの残っているというのだとそういうのは適用にならないということで。

岸田 けど、女性特約で乳がんって、まさにじゃないですか。まさにで、それで適用されてない。

あきこ されてないんです。だから、がんって診断されたときに出る一時金とか、通院の金額は出てるんですけれども、女性特約のほうは適用されなかった。

岸田 それ、事前に知らなかったんですね?

あきこ 知らなかったです。

岸田 もし知ってたらね、先生、ちょっとだけここ1ミリでいいんでちょっとだけ切ったっていう証拠だけ…

あきこ そうなんです。そういうのがあるんだなって。あと、マンションを買ってたんですけれども、その診断で三大疾病の特約を付けていて。

あきこ 私、シングルマザーなので、これ使うことはないだろうと思ってたんだけれども、万が一のためにと思ってやってたらそれが適用になったので、残りのローンがチャラになりました。それは非常に安心ですね。

岸田 そうですよね。衣食住の住のところがもう確約されてるわけですもんね。お母さまが入っていた保険、どれぐらい出ました?

あきこ 300万円ぐらいですね。

岸田 おお。全部合計してっていうことですね?

あきこ そうです。なので、そういう意味では非常に助かりました。でも、保険はいろんなタイプがあるから。自分がどんながんになるかなんて。

岸田 分からないですよね。

あきこ がんになるかどうかも分からないから、なかなか難しいんだなっていうのを非常に感じました。

【辛い・克服】

岸田 精神的にとか肉体的につらかったとき、どんなタイミングがどうつらくて、それどう克服したかっていうのを少しお聞かせください。

あきこ いろいろと決まらない、分からない状態が長く続くのが一番つらかったですね。母に話すときにどう話したらいいんだろうかっていう、話す内容が分からないとか。

あきこ これから抗がん剤を受けるってときには、どういう治療になるか分からないし、抗がん剤を受けるときに自分がどういう反応をするのか分からないっのがつらかったり。

あきこ 実際に抗がん剤を受けて微妙に気持ち悪かったりとか、そういうのがありましたけれども。

岸田 それ、どう克服したんですか。

あきこ 一番良かったのは、一緒に入院した仲間と同じようなステージでの治療をいろいろ話したり弱音を吐いたりとかできたのがすごく良かったです。

【医療従事者への感謝&要望】

岸田 じゃあ医療従事者への感謝&要望。

あきこ それこそ感謝しかなくて。特に入院中。お医者さんも看護師も先生たちも、朝は早い時間から夜の遅い時間まで、もう本当に患者の私たちのために献身してくださったの、本当に目の当たりにして、私、すごい感動して、感謝しかないですね。

その人個人を見ているよって伝わるような声がけがあると、すごくその一言だけでもうれしいですね。通院治療で前回こうでしたよねとか言ってくださるとか、そういうのもものすごくうれしいですし。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって、失うこともいっぱいあると思うんですけれども、得たもの、得たことがあれば。

あきこ がんで治療をしたり、がんになるっていうのは大変なことだとは思うんですけれども、なってみないと体験できないというか。

あきこ そういうふうに素晴らしい医療を経験して、そういう中でいろんな仲間も見つけてということで。

あきこ がんにならなければ出会えなかったとか、体験できなかったことって本当に多くあったので。そういう意味で本当によかったと思っています。

岸田 がんになって出会えた人たちですね。

【今 闘病中のあなたへ】

あきこ 『わかち合える仲間がきっといるよ!!』ということです。本当につらいときに一番うれしかったのは、いろんな状況を理解してくれる仲間と時間を共有するとか、思いを共有することができたということで。

あきこ もしかしたら私、自分の情報を与えすぎてるかもしれないんですけれども「こういう状況なので、今はできないんです」とか、「こういう状況なんです」って言った上でいろいろとお互いに協力していくことができるんじゃないかと思います。

 

 

岸田 自分の情報をちゃんと提供して、それをシェアして。それを一緒にやっていけると。そういう人たちがいっぱいいるということですね。

あきこ 会社でも、こういう経験を共有してくださいっていうので、ビデオに出たんですけれども。

あきこ それで、それが全社的に流れたら、「実は私もそうだったんだ」って言ってくれた人がいたんですね、何人か。

あきこ その後に診断されて、「ちょっと話を聞かせて」って言ってくれたりしたので、そういうのもすごく良かったです。

岸田 じゃあ、会社の中でもそういう発信をして。

あきこ はい。ピンククローバーのときもキャンペーンの一環で出たんですけれど「実は私もそうだったんだ」って言って、それでちょっと話すようになった人もいたので、本当にそれも良かった。

あきこ きっと、自分ができる範囲で発信して。そういう中で共有していけるといいのかなと思います。頑張ってください。治療もきっと、ちゃんと落ち着くときがきっとくると思いますので、頑張ってください。

岸田 あきこさんの治療もまだ続いていきますしね。乳がんだと、ホルモン治療、10年?

あきこ そう。5年か10年ですよね。まず5年を。

岸田 また『がんノート』にぜひ出ていただければと思います。ありがとうございました。

 

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