インタビュアー:岸田 / ゲスト:宿野部

【発覚〜宣告】

岸田 どのように腎がんが発覚したのかをお願いいたします。

宿野部 私は3歳のときに慢性腎炎という病気にかかって、それが1971年です。そこから、治療、入退院をしてきまして、18歳のとき、1987年2月9日に血液透析を導入しています。

宿野部 そして、透析をしながら生活をしていたのですが、私は大学入って社会人になって、社会福祉士という国家資格を取りたいと思って。会社を辞めて専門学校に入ったのが2007年の4月です。その4月に入って、その年の12月に腎臓がんが発覚したという経緯です。

岸田 3歳から慢性腎炎になる。そこから慢性腎炎になって、そこから人工透析を導入するまでって結構大変でした?

宿野部 結構大変で、副作用の強い薬を飲むことがあったので、ステロイドを飲んだ副作用でムーンフェースで顔が満月のようになってしまったりとか、足腰が弱くなって登下校も親の同伴がないと荷物も持てないとか、しょっちゅう入退院もしていましたし、子どもでもあるので、かなりつらかったですね。

岸田 腎炎の方や人工透析されている方って、日本にどのくらいいらっしゃるのですか。

宿野部 血液透析している人は、今、全国に32万人ぐらい。血液透析と腹膜透析って透析には二つあるのですが、その両方合わせると32万5000人で、そのうち血液透析している人は31万人ぐらい。

岸田 ほとんどは血液の透析ですね。

岸田 腹膜透析と血液透析について簡単に説明していただきたいです。

宿野部 はい。血液透析は文字通り、血管に針を2本とおして、片方の針から老廃物や水分がたまった血液を採って、きれいにして、また戻すという血液を浄化する療法ですけれども、腹膜透析っていうのは、血液じゃなくってこの腹膜を介してやるんですね。

宿野部 1日何回か腹膜にチューブをつなげて、パックを交換するのですが、腎機能がある程度ないと腹膜透析はできないので、ずっとできるわけではないです。

岸田 僕も初めて知ったのですが、腹膜透析だと1日1回とか・・・。

宿野部 1日1回じゃないです。もっと6回7回8回とか交換します。

岸田 腹膜透析の場合は1日何回もしないといけない。血液透析の場合は?

宿野部 血液透析の場合は、基本は週3回、1回4時間以上ですね。クリニックで透析をする。私は週3回は必ず行きますね。

岸田 人工透析を導入し、その20年後ですね。

宿野部 そうですね。約20年たってから、腎臓がんになったということですね。

岸田 当時はどのような状況でしたか。その後にセカンドオピニオンもあったりすると思うんですけれども、当時、どういうふうに腎臓がんの告知をされたんでしょうか。

宿野部 最初、透析も20年やっているとおしっこが全然出ない無尿の状態でした。おしっこが全然出ないのに、おしっこが出たくなってトイレに行ったら、尿じゃなくて血液が出てきたんですね。血尿っていうようなレベルじゃなくって、完全に血液が出てきました。

岸田 ドバーッと血液が。

宿野部 そうですね。量はそうでもなかったですけど、完全に濃厚な血液が出たので。それで、びっくりして。

宿野部 それが2回、3回と続いて、その度に血液が出てきたので、さすがにまずいと思って、透析クリニックにそのことを伝えたら、「それはもう大学病院に行って検査をしてもらえ」と言われて。で、検査をして、最初の段階で「腎細胞がんです」と告知されました。

宿野部 もう最初のCTAを撮ったら、すぐ数日後の診察で、なんか告知っていうのは、私はもっとドラマ仕立てというか、ちょっと今から大切な話があるんだけどもみたいな、背筋伸ばして聞くのかなと思ったら、普通の会話の中で、カジュアルな会話の中に「腎細胞がんみたいなんだよね」とかって若い先生が言ったので、最初ちょっと聞き間違いかと思いました。

宿野部 正直がんだっていうのは、考えてなかったですね。私の中ではちょっと不勉強もあって、がんというとドラマの中で見た世界で、がん=死っていうイメージしかなかったので、真っ白になったというか、言われた瞬間、死ぬっていうふうに想像しましたね。

岸田 じゃあ、結構フランクに「腎細胞がんなんだよね」っていうこと言われて、うわっと。

宿野部 そうですね。びっくりして「何て言いました?今」みたいな感じで、もう一回聞き直したのですが、いや、腎細胞がんですと。

宿野部 結局、診察をして、診察室から出たら、ショックで、拳をこう両方の腕、拳を固めてないと涙があふれてきました。初めての体験でした。

宿野部 会計して、車で来てたので駐車場に戻って、車に乗った瞬間にもう号泣しました。もうしばらくちょっと気持ちを落ち着けて、かなり泣いて。その日その後に食事会があったので、食事会の会場に車で行かなくてはなりませんでした。

宿野部 行った先のホテルの駐車場に車を止めるときに、駐車場全然がら空きで、どこ止めてもいいぐらいの状態だったんですけど、駐車場の壁に車をぶつけたんですね、その日。

宿野部 さすがにショック受けているのだと思って、自分でも気を付けなきゃいけないなとそのとき思いましたね。

岸田 それくらいショックを受けてたっていう感じですね。

宿野部 今度はMRIかなんかだと思うんですけれども、同じような検査をして、その結果を聞きに診察に行ったときには、同じ先生だったのですが、放射線科の先生とMRIの結果を電話で話をしていて。

宿野部 目の前の先生が受話器持ちながら、私のほう向いて「なんかね、がんじゃないみたいなんだよね」って言ったんですね。

宿野部 でも、最初に告知を受けたときに、自分は相当ショックを受けて、車もぶつけるくらいのショックがあったのに、がんじゃないと軽く言えるなと思って、「セカンドオピニオンをしたいんで、検査の今までの結果とかフィルムとか全てください」と言いました。内心、もうこの人と信頼関係は結べないと思いました。

岸田 まあね。信頼関係大事ですもんね、先生とのね。

宿野部 そうですね。

岸田 そこで無理だということで。それで、セカンドオピニオンを受けたっていうことですね。結局、腎細胞がんじゃないかもしれないですっていうのは、実は間違ってた?

宿野部 そうですね。まだ初期だったので、もしかしたら診断が難しかったかもしれないんですけど。ただ、結果的には間違ってたってことですよね。

宿野部 いずれにしても、それはがんだったので、あのままセカンドオピニオンせずに、がんじゃないんだ、良かったって、自分が喜んでそのままにしてたら、進んでいった可能性があるので、セカンドオピニオンして本当に良かったなと思いますね。

岸田 そっか。じゃあ、そのセカンドオピニオンしますってなったら、セカンドオピニオン先を探すじゃないですか。宿さんはどう探したんですか。

宿野部 セカンドオピニオン先は、自分が透析を導入した大学病院に行きました。そもそも透析導入のときに入院してたりしてたので、そこに行きましたね。

【治療】

岸田 そこから、治療に入っていきたいと思うんですけど。セカンドオピニオンを受けて、その後どうしたんすか。

宿野部 手術自体は、当然ですけど、全身麻酔のオペなんですが、腹腔鏡でやったほうが傷跡も小さくて済むって話も聞いていて、その後に転移とかも少ない、まだ初期だったという話だったので、基本的には安心してオペは受けたんですけど。

宿野部 基本的に、3歳から病院通いしているのですが、痛いとか病院とか、いまだに駄目なんですよ、苦手で。オペしてから多分、1週間ぐらいで退院をしたと記憶しているのですが,退院するときもまだまだオペの痕が痛くて「痛くてもそれはもう時期治るから」って言われて退院しました。

岸田 手術して1週間で退院をして、その後は?

宿野部 手術をして、その後は半年に1回、最初のオペをしてから2年か3年ぐらいは、確か、半年に1回、造影剤CTやって。その後は1年に1回の造影剤CTを今もやっているということですね。

【結婚】

宿野部 今結婚はしています。

岸田 そのときに彼女になられる方、パートナーに、自分ががんってことはいつ伝えたんですか。

宿野部 がんだったっていうことを話す前に、透析をやっている宿野部っていうので付き合ってくださいって。

宿野部 それはもうずっと前からっていうか、以前付き合った人もそうですし、必ず付き合うときには僕は透析をしていてこういう病気なんです。それ込みでお願いしますと言って、透析患者なんで駄目ですということもありました。

宿野部 がんのことも伝えましたね。ただ、転移することは、今のところ、ちゃんと検査をしていけば、早期に見つかれば問題ないって話もしましたし、がんのことはあんまり気にせずに、透析のほうが多分ショッキングだったと思いましたけど。

岸田 透析も一緒に付き合ってくれる方っていう形ですかね。透析と一緒の人生。

宿野部 そうですね。透析ってこともちゃんと理解してくれる人じゃないとということはありましたね。

【お金】

岸田 次の話題はこちらになります。お金、保険ということで。保険入ってました? まず、そのとき。

宿野部 保険には入ってなかった。

岸田 じゃあ、お金、治療費はどうしたんですか。

宿野部 治療費は全部自分の貯蓄です。

岸田 いくらぐらい掛かったかとかざっくり分かります?入院中は個室。入院しても1週間ほどで退院されたんで、1日1万としても7万円とか。8万円、9万円、10万円。

宿野部 1泊、多分、2万ぐらいしたかもしれないですね。

岸田 じゃあ、それプラス治療費で大体あれですかね。20万から30万円ぐらいは。

宿野部 ぐらいだったと思います。

【辛い・克服】

岸田 次の話題に。つらいときはどう克服されたのか。精神的と肉体的あると思うんで。まずは肉体的につらかったとき。

宿野部 肉体的につらかったのは、オペをして左の脇腹が痛いんですけど、ただ、翌日から看護師さんがもう今から歩くからって、無理やり起き上がらせされて、病棟をとにかく歩けって言って病棟グルグル回ってっていうのがつらかったですね。

宿野部 つらかったですけど、ただ、この痛みはとにかく早く克服するしかないので、「みんな痛いので、どんなに痛くてもやんなきゃいけないんだよ」と言われて、それがつらかったですけど、

岸田 けど、それはもう歩いて体力回復させるというか、時間しかないですよね。その痛さを克服するのはね。

宿野部 そうです。それはもうこういうふうに歩いて、リハビリっていうか、「すればあとは、いずれも痛みはなくなっていくんで、しょうがないことだから」って言われましたね。

岸田 じゃあ、精神的につらかったとき。車をぶつけたときなのか..精神的につらかったときって、宿さんいつでした?

宿野部 告知されて事故っちゃってっていうのは、つらかったんですけど、そのときに誰かに相談したとかっていうのが、彼女とかもいなかったですし。友達はいたと思うんですけど、がんだったっていう話をするのも、できなかったですね。

宿野部 誰に伝えたかったのかなってよく分かんない、思い出せないんですけど。あとは、それよりも試験が間近だったので、試験の勉強で多分、いっぱいいっぱいだと思いますね。

岸田 逆に、試験勉強がちょっとそれを薄れさせてくれたかもしれないですね。

宿野部 そうだと思います。そこは本当にすごいプレッシャーで。合格率って、20パーなんですよ。なので、いや、でも、1年かけてってか、2年越しですよね。

宿野部 2年越しで受験をするので、これで落っこったら、本当にどうしようって思ってたので。その勉強は多分、もう今までないぐらいしてたので。そこがつらさとかは忘れさせてくれたのかもしれないなと思いますね。

岸田 そうですね。勉強で克服したっていうなかなかレアなケースだと思いますけれども。

【後遺症】

岸田 今、後遺症的なものって何かありますか。

宿野部 腎がんに関しては、後遺症っていうのはなくって。ただ、今も1年に1回、造影剤CTをしっかり受けるっていうことで、再発を防ぐっていうのがあるのと、透析患者が腎がんにかかる割合っていうのは、健康な健常者に比べて15倍以上っていわれてるんですね。

宿野部 なので、もう本当に定期的にしっかり見ていくことが重要で。しかも、腎がんだけじゃなくって、他のいろんながんも含めても、健常者に比べて約1.8倍がんにかかる確率は高いですよ。

岸田 2人に1人はがんになるっていわれてて、その1.8倍でしょ。結構ですよね。

宿野部 そのがんになるっていうことを透析患者がそれを実は知らない患者も多くて。私もがんになるまで、実は、透析患者が腎がんになりやすいっての知らなかったんですけど。

宿野部 なので,じんラボとかでも透析患者に向けて、しっかり毎年腎がんの検査するっていうのを啓発したいなと思ってるところですね。合併症っていろいろ透析患者あるんですけど、その中でも医療者も合併症の中に腎がんっていうのは、認識されてないので。

岸田 医療者でも?

宿野部 医療者でもっていうのを、私の主治医は結構、言ってました。検査、腹部エコーは最低1年に1回は必要なんですけれども、それをやっていないクリニックもあるので、やっぱり、患者本人もしっかりそこを知識として持っていてほしいなと思いますね。

岸田 じゃあ、結構、クリニック選びって大事になってくると思うんですけど。

宿野部 すごく大事だと思いますね。

岸田 宿さんなりのクリニック選びのコツみたいなのあるのですか。

宿野部 そうですね。しっかり検査を、血液検査はもちろんですけど、腹部のエコーだったり、透析患者が一番亡くなる原因というのは心臓なんですね。心疾患で亡くなるんですね。

宿野部 なので、ちゃんと心臓のエコーとか診てくれるとか、検査をちゃんといろいろやってくれるか。ただ、透析をするんじゃなくって合併症の検査をしっかりしてくれるかどうかっていうのは、すごく重要なのかなと思いますね。

【要望】

岸田 宿さん、透析以外のところに関しても、がんに関しても啓発に力を入れてくださって、本当にありがたいなと思うんですけれども他に要望とかあったりしますか?

宿野部 がんの告知を受けた患者って、今は2人に1人ががんになるとか知識とかでは分かってるんですけど、やはり、がんを告知されるっていうのは、そのステージに関わらず、ショックを受けると思うんですね。

宿野部 なので、そのときの患者の気持ちをもうちょっと察して、言葉の掛け方とかを考えてほしいなっていうのは自分の経験では思うことですね。

岸田 そういうやっぱり、患者さんとの関わりみたいなところもお医者さんに勉強してほしいですね。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフトとは、がんになって得たこと、得たものですね。。宿さんの場合のキャンサーギフト何でしたか。

宿野部 やっぱり、私の場合は、自分の選択でセカンドオピニオンをして、がんを見つけてオペをしたっていうことで、そのときのことを思うと、いかに自分の命は自分で守るっていうことを、改めて気付かされた機会だと思ってるんですね。

岸田 自分の命は自分で守る。

宿野部 はい。もし、そのままがんじゃないって言われて、何もしなかった自分がいたら、で、後からまたがんが進んで見つかったら、すごく後悔をしていたと思うんです。

宿野部 けれど、そのときに自分で気付かされたというか、気付いたのは、「自分の命は自分で守る」とか「自分の治療の選択は命の選択」だっていうことで、改めて胸に焼き付けたような思いだったですね。

【夢】

岸田 宿さんの今後の夢はなんですか。

宿野部 私はもう腎臓病と向き合って、ずっと生きてきた人生なので、私は腎臓病透析に関わる全ての人の幸せを目指したいっていうのがスローガンであって。

宿野部 患者ももちろん、悩んでいる患者もいっぱいいて、その患者をサポートしたいっていう気持ちもありますし。また同時に、医療者だったり、あとは、お薬だったり、医療機器を取り扱う企業の人もいるわけで。

宿野部 医療に携わるいろんなステークホルダーのみんなが幸せになることが、結局、患者も幸せになることにつながるし、医療が未来に向かって進むっていうことでもあると思うので。そこに自分が役に立ちたいっていう気持ちがあります。

宿野部 今こうやって話してることも、一つの夢の実現でもあるし、すごいありがたいことだなと思ってますね。

【今闘病中のあなたへ】

岸田 それでは、最後の質問。今、闘病中のあなたへ.

宿野部 病気の体験と思いにはマイナスを補ってなおあまりあるプラスがある、という言葉を闘病中の皆さんに伝えたいなと思います。

宿野部 これは、もちろんがんで闘病されてる方、いろんな病気で今、闘病されてる方がいると思うんですけれども、私自身もずっと病気で生きてきて、やはり、病気はそんなに楽しいことではなくって、つらくて大変な思いを僕もしてきましたけれども、そのときは自分の人生の中でのマイナスとしか捉えられないんですけど。

宿野部 ただ、今、こういう活動をしたり、放送でいろんなことを話すっていうのは、誰かにプラスを与えられてるんじゃないかと思っていて。そうするとマイナスだけだと思っていた中に、実はプラスっていうものがあった。で、そのことを自分で感じたとき、すごい感動したんですね。

宿野部 いろんな活動で、自分だけじゃなくって、いろんな患者さんにも協力してもらうんですけど、やっぱり、協力してくれる患者さんも今言ったようなつらかっただけだと思っていたけれども、何か人に気付きを与えられたってことをすごく感動される患者さんも多くって。

宿野部 そういった意味では、もちろん病気は大変だけれども、その中できっと誰かに気付きや喜びを与えられる、プラスがあるっていうふうに思ってもらえたらなと思います。

岸田 宿さんの中でのこの原体験の中でのプラスっていうのも、数えきれないぐらいありますよね。

宿野部 そうですね。一番はもちろん「じんラボ」を自分の体験と思いからスタートして、いろんな方に協力してもらって、もっと大きなつながりを持てていることが一番大きいかなと思いますね。

岸田 がんの治療以外の部分の情報っていうのは、まだまだ本当に少ないと思ってるんで、やっぱり、そういったところをちゃんと伝える、お届けするってことは、誰かのプラスになればなという思いで活動させていただいております。宿さんの言葉でした。ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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