インタビュアー:岸田 / ゲスト:松崎

【発覚~宣告】

岸田 今日のゲスト、マッチャキさんの自己紹介をまずお願いできますでしょうか。

松崎 松崎でございます。通称マッチャキと呼ばれています。僕は、肝細胞がんというがんで、ステージは一応4のBという、いわゆる最終段階ですけど、なぜか生き返ってこんな状況でおります。2009年の12月から、40歳の時にがんと宣告されて、つい先日、金曜日まで入院して、色々と治療中でございます。よろしくお願いします。

岸田 お願いします。では、どうやって発覚、まず気付いて、がんと宣告されたかをお願いできますでしょうか。

松崎 発覚がですね、2009年の12月。ちょうど40歳の時で。たまたまうちの父が、母親もがんで亡くなっているんで、40という記念に人間ドック行ったらどうやと。一回行くんだったら、ついでにオプションで腫瘍マーカーもつけて。そしたら、腫瘍マーカーだけ引っ掛かっちゃったんですね。他のところは全部健康でいたのに。だから、オプションで入れてよかったって思ったんですけど、異常がありますから、もう一回来て下さい。で、エコーで診てこれは肝硬変かなって、一応紹介状書いておくから行っといてみたいな感じで、近くの病院に行ったんですけれど、腫瘍が見つからない。

岸田 腫瘍っていうか肝硬変的な。

松崎 だから、異常がないと、画像に写らない。来月もう一回行ったら、腫瘍マーカーの数値がどんどん上がっていたんですね。でも見えないから、2カ月位かかったんですね。で、ちょっと一回全部診ましょうということで検査入院を1週間。2010年、2月位にやったけど、何にも出てこない。

岸田 検査入院って何したんですか。

松崎 検査入院は、マーカーで引っ掛かった可能性のある肝臓を何度か撮って、他に可能性がある肺とかを調べて。最終的にこの先生が診て分かんなかったら駄目ですって時に、その先生が「あるとしたらここだよ」と。それで見つかりました。

岸田 見つかりましたっていうのは、どこを指されましたか?

松崎 胆管の、見えなくなっているけど、これ肝臓の中にあるな、みたいな。だから、凄いちっちゃかったですね。凄い早期発見で、人間ドックの巡り合わせですよね。

岸田 凄いっすね。それで、宣告されて、その時にどうでした?偉いお医者さんから、がんって言われてショックでした?

松崎 2カ月蛇の生殺し状態みたいになると、逆に見つかって原因がはっきりしたほうがラッキー。はっきりしないで医療費がかかるよりはよかった。本当はその時にすぐだったら、そうじゃなかったかもしれないけど、逆にいい冷却期間があったのかな。ようやく見つかったと。

【治療】

岸田 じゃあ次に、治療のこと。そっからどんなふうな形に進んでいったんですか。

松崎 ひとまずとりましょう。そこは早いですね。2月の半ば過ぎ位に言われて、3月の頭に手術です。実は僕、福祉の専門学校の先生やっていたんです、こう見えて。でも、がんっていうと僕は死ぬと思っていたんで、取りあえずすぐ仕事辞めちゃったんですね。

岸田 もう死を覚悟したっていうことですか。

松崎 そうです。あとを、色々と迷惑掛けちゃいけないなと思ったのと、ちょっと長引くだろうと思っていたんで、辞めちゃった。それですぐ手術。最初は腹腔鏡ってやつで、ちっちゃかったんで。1週間後に、いつ退院しますか、でしたからね。あれ、もう退院なんですか、みたいなところで。取りあえず1回目の治療は、麻酔で寝ているだけで終わって何にも実感ないですね。

岸田 最初に見つかって摘出手術を受けると。そっからは?

松崎 定期検診が毎月しばらくあって、落ち着いているからと3カ月。次6カ月にしようかというような感じで。約1年たった2011年6月位に、マーカーが、また上がっちゃって。いわゆる再発の恐れありと。

岸田 再発って言われた時どうでした?

松崎 最初の時は、心の準備もできてガッツポーズだったんですけどね。1回の手術で取りきって俺、すげえ幸運の持ち主みたいになっている時に、どーんと突き落とされるわけだから。一番ショックだったのは最初の再発ですね。再発しちゃったって時は、さすがにちょっとへこんでいました。

岸田 ちょっとへこんで。そっから持ち直すんですよね。メンタル的なところで。

松崎 メンタル的なところはね、鍛えられるんですけれど。再発して、ただ画像に写んないんで。僕は、特殊なんなんですかね、よく分かんないんですけど。画像には写らなくて、しばらくたって。マーカーがまた急上昇しているからって、画像に写んないから他の治療ができないんで、分子標的薬をやるんですけど。で、しばらくして出てきたら、米粒みたいなのが15カ所位出てきたんですね。そっからTACEって、いわゆる抗がん剤をこの辺(右腹部)から通して血管につめちゃうっていう。正式名称は肝動脈塞栓術とか。TAEっていうので、こっから管を入れて調べて、そこにあると、その血管で腫瘍があるところを、ばーんと打って、そこにふたして閉じちゃって、やっつけてしまえみたいな。

岸田 がんに栄養が行き渡らないようにしちゃえみたいな。

松崎 行き渡らない、兵糧攻めにするみたいな。10月位から始まったんですね。分子標的薬を10月、取りあえず飲もう、マーカーを抑えるためにと。治まんない。で、出てきたからそれもやろうというので、やったんですけど。なんせあんまり数が多い、全部やっちゃうと容量パンクしちゃうんで、できない。

岸田 どういうことですか。

松崎 薬の量も決まっているらしくて、ちっちゃいのが幾つもあるってんで、できない。そうすると、そこの血管詰めちゃうから。その後が壊死して、うまくいかない。

岸田 十何個あるから、それ全部に兵糧攻めするわけにはいかないってことですね。

松崎 全面に散っていたんで、1カ所集中じゃないんで。それやっちゃうと死んじゃうよ、とか。死なないよみたいな。それがずっと、繰り返されるんですけど。その結果が、12年10月。ぶっ倒れちゃったんですね。色々やり過ぎと、仕事のし過ぎで。僕、会社つくっちゃったんでね。

岸田 仕事辞めちゃったから。

松崎 辞めちゃって、生きているうちになんかやろうって。福祉の事業所を幾つかやっていたんですけれど。やっぱ軌道に乗せるまで結構無理があったけど、ある日、ふらふらになって病院に行ったら、すぐに入院。そしたらね、1カ月。ずっと点滴だけ。

岸田 病院側が?点滴だけを。

松崎 そうなの。何ていうのかな。毎日毎日点滴みたいな。なんかおかしいなっていった時に「

松崎さん、ちょっとご家族を呼んで下さい」。かなりやばい状況になっているんで、手術もできないので危ないって言われて。「そんなこと言わないで。じゃあ、あと1年位ですか」って聞いたら「甘いね」って。甘いって半分あるかな、みたいなことをさらっと言われて。はあ、みたいに。

岸田 余命半年。

松崎 半年くらいって感じですね。その時の病棟の先生が色々凄い検討してくれたんですよ。何カ所もちっちゃいのがあるから、できないと言われたんですけど。なぜかね、手術ができるかもしれないって言われたんですね。そしたら、急にいろんな検査が始まって。たまたま体力があったからね。で、いけるんとちゃうかみたいになって、色々検査して肝臓の3分の2取りましょう、手術しましょうっとなって。

岸田 そして、この写真になります。

岸田 これがマッチャキさんレバー。

松崎 これ輪切りにして、スライスしているやつだから。

岸田 四つにスライスしていて、この穴開いているのは、それ兵糧攻めした結果?

松崎 その後、結構開いていたんだね、それらしいね。他のところも色々ぶつぶつあるのは、色々兵糧攻めした後のところに胆汁がたまって、いわゆる腐っちゃった状態って。でも、肝臓って再生するんで。ただ、3分の2取っても全部にがんが散っていたから、残った肝臓にも、腫瘍らしいものはあるから、ほぼ確実に再発するよと言われてね。なんですけど、死にかけから立ち直ったから、うれしかった。で、これ見た後、感謝感激だったんですけど、そっから6カ月出られなかったですからね。

岸田 そこから6カ月、ずっと入院。

松崎 そうですね。その後、胆汁が流れなくなって、だだ漏れになって、やたら熱が出たりとかするんで。おかしいつったらその管がすぐ折れ曲がっちゃって外れちゃうと。これで何度もやり直して。やっと落ち着いたかなみたいな思ったら、試しに外出するとまた具合悪くなってみたいなので、危なくて退院できませんというのでなってくうちに、合併症で死にかけっていう。がんで痛かったこととか何もないんですよ。要するに、合併症の治療で入院している間に、顔がこんなにむくんできて、朝からぱんぱんになって。胆汁って水分ですから下に下がってね、便が茶色くなる要素みたいに分かるのかなと思うんですけれど。下がるものが、寝てたらですね、ありえないことに、肺に通路を勝手に作ったということがあって。

岸田 まじで。

松崎 息できなくて、肺が動いてないってなって、大騒ぎになって。肺に管を挿して、取りあえず抜け、みたい。あんまり体によろしくない水だから、とにかく抜かなきゃいけないけど、治療法や症例がないから取りあえず抜いてみるしかないから。これがいいのか悪いのか分かんないからって言われて。それが落ち着くまでがすごく時間かかって。で、落ち着いたと思って退院。それが死にかけ1ですね。

岸田 で、落ち着いて。それが半年後に退院できたってことですか。

松崎 そうですね。退院したと思ったら、そっからまた胆汁、胆管が詰まって熱出して震えてまた入院。1週間位するとまた治まって、ちょっと動くと、また疲れて震えてを、ずっと繰り返していくんですけどね。それでちょっと落ち着いたなって思って血液検査すると、腫瘍マーカーが上がりました。これをまた治療しましょう、治療すると合併症。ずっと追っかけっこで。

岸田 それごとにあれですか、切って取っていたんですか。

松崎 もう切れないから、塞栓術とかっていうやつをやったり。それでもやるとダメージがでかいから、もうできない。分子量的薬もちょっとダメージがでかかった感じで、どうしようかってなっていったと。

岸田 なっていくと。そして、2回目の死にかけは。

松崎 2回目はですね。元気になったと思って調子に乗って僕ね、リレーフォーライフの群馬まで行ったんですよ。

岸田 それはいつ位ですか。半年後、退院してから。例えば1年ごと・・・。

松崎 1年位じゃないかなと思う。

岸田 1年位は。いたちごっこの状況で。

松崎 ずっとやっていて。なんか悟りを開いてくるわけじゃないですか。動けるうちに、チャレンジで行ったんですね。全然平気じゃん俺、克服できちゃった、勝ち組。みたいに思って、家に帰ってきて夜になって、なんか気持ち悪いなつったら、吐き気がする。吐いたら赤いんですよ。吐血ってやつですね。ただ治療の疲れでいろんなものがあって出たらしいんですけど。そん時はICU2日位いて。これが死にかけ2。

岸田 死にかけ2で。

松崎 それで生き返りましたと。そっから急に元気になっちゃって、歩けるようになっちゃったんですね。

岸田 そこでまた、死にかけが終わり、そこから会社を手放すという。

松崎 余命半年って言われた時に、死んでから迷惑掛けたりとかで、色々ややこしいことならないように、生きているうちに手放しますみたいにやってしまって。そんなに長くもないしみたいに思っていたんですよね。そっから長かった。

岸田 ありがとうございます。そこから、2016年ドヤフェス始動ということで。こちらの写真を見ていただきたいと思います。

岸田 なんですか、ドヤフェス。

松崎 ドヤフェスというのは、僕が入院中に心を動かされたアーティストを呼ぼうというので、企画して始めたイベントなんです。僕、入院ばっかしていたんで、今度、退院できたら、なんかやろうみたいに思った時に、ちょうど岸田君なんかが頭をよぎったわけですよ。AYA世代が。

岸田 AYA世代って、ご存じですか。

松崎 じゃあAYA世代に対抗して、駄目なおやじ世代でどや世代を作ったろうかと思って。どや顔しようという「どや」にしようというので、ドヤフェスっていうのをやっています。

岸田 ありがとうございます。

【家族】

岸田 マッチャキさんの家族構成をお伺いしてもいいですか。

松崎 嫁はんと。高校1年生の息子と小学校5年の娘がおります。あと、うちの母が亡くなってから父も同居しています。

岸田 自分ががんって宣告された時と、あと再発した時とかも含めて、ご家族にどうやって伝えたんですか。

松崎 最初は僕、ずっと1人なんですよね。1人で聞いて。実は会社でやっていた頃に、再発した時に家出しちゃったんですよね。

岸田 家出?

松崎 そう言うと凄い感じですけれど、色々思いがあるんですけど。お父ちゃんがいない環境に、早く慣らしたほうがいいんじゃないかって思ったわけですよ。僕のお見舞いのためにお友達と遊ぶ時間を減らすんだったら、お友達と遊ぶ時間を優先してくれと。なぜなら、僕はもういなくなっちゃうかもしれないけれど、その後は周りに助けてもらいなさいと。

岸田 そうなんですね。

松崎 残された時間、色々と思い出作ろうという気持ちも、ないわけじゃないけど。こっから先の人生考えたら、彼らにとっては、友達の約束のほうが貴重かなって。

岸田 そうなんですね。逆に、ご家族にこうしてほしいこと、あったりしますか。

松崎 ないですよ、ここまで色々とご迷惑を掛けてすいませんみたいな。家族には、感謝していますね。

岸田 ありがとうございます。

【仕事】

岸田 では次にお仕事について。お仕事の話を、お伺いしてもいいですか。

松崎 福祉の学校の先生の前が介護の仕事をしていまして。そういう経験が生かせて福祉の学校の先生をやっていたんですけれど。まずは勘違いで、死ぬと思って仕事辞めました。で、再発して。学校の先生は理想を教えるばっかりってよくいわれるけど、その理想を作ってみようと思って、福祉事業所の会社を作ったんですね。いわゆる障害児の放課後活動の場所と、高齢者の訪問介護ですけどね。おかげさまで、1年位ですぐ軌道に乗って、約3年近くやったのかな。それで事業所が増えて、色々とストレスたまっちゃったんで、会社を手放しちゃった。そしたらまた元気になっちゃったわけですよね。

岸田 そっからどうしているんですか。元気になっちゃったら。

松崎 今は、資格の講座が色々と神奈川辺りで呼ばれるんで。座学の講義とか。

岸田 ただ、入退院を繰り返しながら、その講師のお仕事をしているんですよね。

松崎 そうですね。だから結局、僕がいつ入院なのか分からないっていうのがあって。その辺のスケジュール融通が利くようにフリーランスの講師なんです。

【お金・保険】

岸田 マッチャキさんは、保険は入られていたんですか。

松崎 これが、入ってなかったんですよね。僕、もの凄い大酒飲みだったんで、保険要らないから、その分ボトルだったんですけど。やっぱ人間ドックっていうと、ちょっと不安になって。僕ね、人間ドック行く朝に銀行行って申し込んだんですよ。で、宣告を受けるまでに2カ月以内になると駄目とか。診断を受けたのが2カ月経過後だったから、いけんじゃんと思ったら駄目だったんですね。だから、それ以降はもうがんって宣告受けちゃっているから、もう入れない。僕、世の中を知らな過ぎたっていうことですね。だから、それを知っていれば人間ドックを2カ月後にずらしていた。

岸田 確かにね。

松崎 毎月のように入院していたら、もう自転車操業が始まっちゃうんですからね。

岸田 1カ月どれ位払っていたんですか、その時は。

松崎 だから、1回30万とかかな。分子量的薬っていうのが、大体1日7000円なんですよ。それだけで28万です。社長で良かったのは、役員報酬が出ていて、それで保険が入っているから、傷病手当金ってのが給与の6割位で。傷病手当、もの凄い額が出ていたんですよね。けど、1年半後に切れた途端に無収入だから。そっからお金が、ずっと自転車操業ですね。

岸田 じゃあ今も、20~30万かかっているってことですか。

松崎 今は限度認定証のそれ以上払わなくていいから。

岸田 じゃあ今まで、どれ位使ってきたかざっくり。どれ位だと思います?

松崎 8年で32回の単純に5万円でどん位ですかみたいな話です。それが僕1人ですからね。他の家族の医療費や、入院費の他に色々長くなると、お金かかるんですよね。それで結構な額になってしまうと。

岸田 結構、なかなかな額行きますよね。だってその治療費に、お子さんたちもいらっしゃいますからね。そこへの養育費も。

松崎 本当にどうもすいません。

岸田 本当に色々と思うこともあると思います。ありがとうございます。

【辛かったこと&克服法】

岸田 じゃあ次に、辛かった時に、どうやって乗り越えたかを精神的にと肉体的にあれば、お願いします。

松崎 辛かった時はね、いっぱいありますよね、なんか。冷静になっちゃったら辛いですよ、今でも。自分と向き合うって大事な時間なんですけど、これだけマイナス材料がそろっていると、お先真っ暗になっちゃうのかなって。しかも退院が延期になった時、やっぱめどが立たないのが一番辛い。そこをどうやって克服しようかなって。ずっと考え続けて、こう見えても結構枕を涙でぬらしたことだってあるんですよ。それで、僕が忌野清志郎さんっていうのがすごく大好きで、高校選んだ位で。忌野清志郎さんもがんを1回克服されて日本武道館でライブをやって、その後亡くなったんですよね。この人がんになって、ここまでやってんじゃんっていうのを見て。なんで後輩のくせに、何にもやんないでくすぶっているんだろうっていう。じゃあなんかやろうって思えたのが、病院内でそのライブDVDを見て。で、やれることあるはずだって、克服できたかなと思う。

岸田 で、ドヤフェスとかそういったことを考えたりとかしてね。肉体的には。

松崎 肉体的には根本が、歩くのがつらくなって。無理すると息切れしちゃう。

岸田 ありがとうございます。

【後遺症】

岸田 今、後遺症ってなんかありますか?

松崎 後遺症っていうか、いつ胆管が炎症起こすか分かんない状態なので。ささいなことですけど、この位置がちょっとずれると全然寝られないとかね。

岸田 痛い?

松崎 痛い。だから、寝返りうって場所が悪いぞっていうんで、入院しても看護師さんにガーゼとグッズ持ってきてもらって、位置が悪いと何度も呼ばなきゃいけないから、今自分でやっているんです。

岸田 自分で位置調整して。

松崎 こう、うん、よし。みたいな感じで。後遺症、色々ありますけどね。あと、足がつるの。これはちょっと原因不明で、よく分かんないな。

岸田 足がつるのか。けど、そのまんま待つしかないですよね。

松崎 そうですね。

岸田 本当にいろんな多分ね、後遺症もあるんだと思いますけれども。

【反省・失敗】

岸田 反省、失敗といったところで、マッチャキさんがこうし時ゃよかったな、あん時、みたいなもの、あったりしますか。

松崎 反省失敗だらけなんで。まず、僕は今、これからがんになる人に向けてっていうメッセージでドヤフェスってのをやっているんで。いつも言っているのは、保険を入っとけと。僕の失敗を広げていかないと駄目だなと。それで、救われる人がいるならば、救われた金額の1割は寄付してくれよという運動をしているのがドヤフェスなんですけど、一番過信しちゃいけないなっていうのが一番の反省ですね。

岸田 ちゃんと、やっぱ人間ドック行く日に保険に入るんじゃなくてね。ちゃんと2カ月前…。

松崎 2カ月ってそういう知識とかも、やっぱり生きてく上で必要な知識だなっていうのを、これは本当に学んだなと思うんで。失敗は本当にいっぱいあり過ぎて。

岸田 ありがとうございます。

【医療従事者への感謝、要望】

松崎 感謝はね、さっきの写真でお見せしたあの肝臓の手術。あれ普通だったらやらないんですよ。

岸田 どういうことですか、普通やったらやらない。

松崎 その時はね、がんがリンパ節転移もしていたんで、そうなると、もう手術はがんの標準治療としてはできないんですよね。で、それを腐っているものを取るんだっていう解釈をしてくれたのか。何だかの理由を付けてくれたんだと思うね。だから凄い真剣に向き合ってくれて、あの手術に踏み切ってくれたことは、一番の感謝ですね。あと、看護師さんね、いわゆるルーティンワークじゃないところで話してくれたっていうのは、とても助かったし。

岸田 逆に要望みたいな、こうしてほしかったなとかあります?

松崎 もっと優しくしてほしいですね。

岸田 それ個人的な主観でね。

松崎 そうですね。

【キャンサーギフト】

岸田 あと、キャンサーギフト。がんになって失うこともいっぱいあると思います。その中で何か得たもの、得たことってなんかありますでしょうか。

松崎 多分こういう病気にならなかったら、やらなかった経験いっぱいさせてもらっていますね。特に学校の先生なんか、ルーティンワークの最たるもので。起業するっていう選択肢は、その時の人生になかったんですよね。でも、やったれよみたいに一歩踏み出させてくれたのは、この病気なのかなって思うし。その後、こうやって生きてきて、開き直ってこんなイベントなんかして、俺は生きたいように生きるんだというのを、言えるようになったのはこの病気のおかげですね。

岸田 自分の人生をちゃんと、周りに気にせず生きていくということですね。ありがとうございます。

【夢】

岸田 今後どうやっていきたいか。

松崎 どや顔していきたいですよ。がん患者ってよくチャリティーで受け手になることは多いですよね。受け手として見られるっていうのは、対等じゃないじゃんって。要するに、ドヤフェスは、じゃあ、僕からチャリティーしちゃえばいいんじゃん。

岸田 患者から逆にチャリティーする。

松崎 いわゆるアンチテーゼ的にやってみたら、どういう反応があるのかなと思って。この業界だと、よく2人に1人は将来がんになって、3人に1人がんで死ぬと。そんな数字覚えたって、なってないと全然意識しませんから。だけど、これからなるかもしれない位にすると、ちょっと冷静になるんで。意外とそっちが残るのかなって。

岸田 おっしゃるとおりですね。

松崎 かもしれない人に、俺からのチャリティーだってほうが、結構面白い反応が起こるんじゃないかなって。それで僕も一歩踏み出せたんですね。がん患者がいつもお涙頂戴じゃなくて、なんかやれるんじゃないのっていうことをやれたらね。面白いかなと思って、それを夢見てやっております。

岸田 ぜひドヤフェスを広げていくっていうことを、本当にマッチャキさんお願いしたいと思います。ありがとうございます。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 そして最後、今闘病中のあなたへ。マッチャキさんがこうやって8年間闘病からのメッセージをお願いします。

松崎 『あわてるな、そんなすぐには死にません。デイドリームビリーバーでいこう、どや』マッチャキでございます。

岸田 ありがとうございます。その意図は。

松崎 そんなにすぐには、死にません。だから、慌てて仕事辞めたり、慌てて色々準備したりしても、選択間違っちゃうことも多いのかな。だったら、そんな慌てず自分をしっかり見つめた上での、リアルな自分に正直になる意味で慌てないで。でも、保険に入るのは慌てた方がいいと思います。

岸田 そんなすぐには死にませんっていう言葉ね。今日はこうやって、本当強く見えますけどね。もしかしたら枕を涙で何回かぬらしたこともあるかもしれないけど、前向きに本当に生きて、いろんな活動しているマッチャキさんのこの言葉が、今闘病中の人に何か伝わればいいなということで、ありがとうございます。

松崎 ありがとうございます。

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