インタビュアー:岸田 / ゲスト:西川

【発覚・告知】

岸田 どうやってがんが見つかったか、についてお聞かせください。

西川 私は乳がんなんですが、あえて詳しくは話しませんが、前の旦那さんに発見されました。

岸田 詳しく聞きたくなりますね(笑)。

西川 (笑)。でも、そういうことが多いらしいですよ。それで、自分でも触ってみたら「ホンマや!」と思って。翌日、家からいちばん近いクリニックに行って、検査を受けたんです。でも、「何もないやろ」と思ってたんですよ。なぜかというと、その半年前に会社の健康診断で乳がん検診を受けていて、異常はなかったんです。それで、クリニックで検査をして、結果を1週間後ぐらいに聞きに行ったときに、「ちょっと大きい病院に紹介状を書かせてもらいます」と言われて、「え?」みたいな。それから大きい病院に行って、検査をもう1回して。また1週間後に結果を聞きに行ったらクロでしたね。

岸田 クロだったんですね。

西川 クロでしたねー。ほんまに、「ガーン」ですよね。やっぱり泣きましたね。初めは。知識がなかったら「がん=死ぬ」じゃないですか。

岸田 そうですよね。そのガーンからはすぐに復活しました?

西川 はい、すぐ復活しました。

岸田 それはどうやって?

西川 寝れるなって思ったんです。その頃は忙しくて睡眠時間がほんとに欲しかったんで、告知されて泣いたあとに、寝れるなあっと思って(笑)。もう気持ちを切り替えて。落ち込んだのは、その瞬間だけだったかな。

岸田 すごい。メンタルが強いですね。

【治療】

岸田 2011年6月に告知を受けたあと、どんな治療を受けられましたか?

西川 はい、手術の前に抗がん剤をする術前化学療法を受けました。エピルビシンとシクロホスファミドをやって、後半はドセタキセルとトラスツズマブ。2か月ぐらいです。

岸田 抗がん剤をして、そのあとに手術。抗がん剤は効きましたか?

西川 抗がん剤は効いて、がんがちょっと小さくなりました。それから、乳房温存療法(※1)を。私の場合は、全摘ではありません。温存療法なので、「リンパもちょっと、取っといたからね」みたいな。「ちょっと脂肪あったから入れといたよ」って。「こんなにきれいにできるんだ!」っていうぐらい、胸の形はあんまり変わりませんでした。

岸田 手術は、2011年6月に告知されてから、数か月後に?

西川 抗がん剤は告知から1週間とか2週間後とかに始まって、手術が1月だったかな?

岸田 では半年は抗がん剤をやって、そこから手術をして、2012年に手術が終わってから、放射線治療をされたんですね?

西川 はい。

岸田 放射線は、予防的に?

西川 そうですね。温存手術の人は、当時は放射線がセットだったかな?

岸田 放射線はどれぐらいの期間やったんですか?

西川 1か月ぐらいやったはず、毎日。

岸田 治療は、抗がん剤、手術、放射線だけですか?

西川 はい。私は、トリプルポジティブっていう、ホルモンも陽性の、がんのタイプなんですけど、ほんとはそういう人は全部終わったあとにホルモン治療っていうのするんですよね。だけど、私、それを拒んじゃったんですよ。

岸田 お、やらない選択ですね。

西川 やらない選択。私、そのホルモン受容体というのを計ったんですよ。ホルモン陽性の人は、80以上ぐらいの数値が出て、陰性の人は0。私は30っていうすごい中途半端な数値だったんです。でね、妊孕性(※2)のことですごい悩んでたんすよ。子どもが欲しいということでホルモン療法はやらずに、そっちをがんばってみようかっていうので、先生からもOKをいただいて、ホルモン療法はなしになりました。

岸田 ちゃんと先生と話し合って、やらないっていう選択をしたんですね。「先生と話し合う」って大事ですよね。それから2013年に離婚をされたんですね。

西川 そうなんです。離婚しちゃったから、子どもも何もなくなっちゃったんですよ。急いで卵巣組織ですけど、卵巣を取って凍結しました。(※3)

岸田 なるほど。

西川 卵巣凍結して保存しとかないとと思って…。今の卵巣がいちばん若いと。

岸田 (笑)。そうなんですね。

西川 でも、結局、直後に今の旦那さんと出会うんですよ。1か月後ぐらいに会って、つきあうようになり……みたいな。 卵巣を取らんでも良かったなってね……。

岸田 卵巣凍結はいくらぐらいするんですか?

西川 (小声で)50万円。

岸田 え、50万円?

西川 (小声で)50万。で、それを使うとき、また50万。

岸田 え、50万で保存して、50万で使うんですか? じゃ、100万円が必要と。

西川 まあ、だいたいそうですね。

岸田 そうなんですね。けっこう金額がかかりますね。さて、治療中の写真を持ってきてもらっているので、ちょっと紹介したいと思います。抗がん剤を受けた時の、髪のビフォー・アフターですね。

西川 私、初めは坊主にしなかったの。 でもやっぱり、抜けてきたときに、「嫌や!」ってなって、バリカンで剃りました。それで、ガムテープをペンッて貼って、ベリッてはがして(笑)。やってみてんけど、ちょっと、地肌に悪そうやなと思って、やめときました。

岸田 それは痛いでしょう?

西川 全く痛くない。全然痛くない。スポスポ取れるもん。そのあとは、コロコロローラーで、やってみたけど、「やっぱり地肌に悪そうやな」って思ってやめときました。

【家族】

岸田 家族のことにいきたいと思います。親御さんはどうでしたか?

西川 母には電話で伝えました。「うそー。いやどうしよ? ドキドキしてきた。ママ行くわ、そっち」って言われて、「いや、来んでええよ!」って言ったんですが、治療中、3週間ごとに抗がん剤を打つ日、毎回毎回、母が大阪から来てくれましたね。

岸田 すごいですね。

西川 負担かけて申し訳なかったなって思います。来んでいいって言っても、親って来てくれるもんなんですね。

岸田 そうですね。

西川 当時の旦那は、実家が近くだったんで、実家に帰って、母と旦那が入れ替わるみたいな。

岸田 せっかく、治療が終わったのに、なぜ離婚になったんですか?

西川 相手が、治療が終わったと同時に別れたいと言ってきました。

岸田 治療中はサポートしてくれたんですよね?

西川 彼なりには、やってくれていたと思います。でも、引いてんなっていうのはわかりました。あんまり、病院に一緒について行くよとか、そういうのはなかったです。ぶっちゃけ、がんとかそんなんじゃなくて、「この結婚生活、合ってないな」っていうのは、ずーっと思ってたんですよ。でも、結婚っていうのは、そんなもんやろなって、思ってました。

岸田 ご主人から言われたんですよね?

西川 ちょっと、ショックやった。もともと大阪で出会って大阪で結婚したんですけど、東京に来たのは旦那が転職したいということで。だから、「別れたらほんまに1人になるな」って思って。そういうので、初めは落ち込みましたね。

岸田 落ち込んでどうなったんですか?

西川 その4か月後には、もう彼氏ができてた。

岸田 出会ったんですね。

西川 出会って、ずーっと付き合って、その年の12月に私の人事異動が発表されて、大阪に異動することになりました。「彼氏と離れ離れになっちゃう……」ってなったときに彼氏が、「じゃあ結婚しようよ」って。結婚するって決まったら、ひょっとしたら人事異動がなくなるかもという期待を胸に、翌日会社の人に、「人事異動は嫌です。なんとかなりませんか?」と言ったら、あかんって言われた。でもね、ぶっちゃけ、大阪の異動先が私の行きたい部署だったんですよ。

岸田 大阪の、何系の仕事ですか?

西川 私、食品メーカーに勤めているんですけど、その自社の商品の、パッケージデザインを作る部署だったんです。大学でデザインを勉強してたんで、「やりたい」と思っていた。遠距離になりまして、でも結婚することは決めていたんで、その4か月後に入籍をしました。なぜ急いで入籍したかというと、3月中に職群変更制度があって、それを提出したら、日本中の指定した地域に行けるっていうことだったんで、結婚しといたらそれが通りやすい。というわけで、入籍し、それを申請して、それが叶ったのが12月です。

岸田 それで東京に戻ってきたと。

西川 戻ってきました。それから一緒に暮らしはじめました。仕事は職種が変わっちゃいました。地域は指定できるけど、職種は指定できないんです。

【仕事】

岸田 闘病のとき仕事は休職されていたのか、教えていただけますか?

西川 はい、休職させてもらいました。

岸田 どういうふうに上司に伝えたんですか?

西川 「がんになりました。治療をすぐしないといけないので、申し訳ないんですけど、一刻も早く休ませてください」って言って、伝えた4日、5日後ぐらいから、もう休むようになりましたね。

岸田 じゃあ、そこからすぐ治療に入ってくと思うんですけれども、治療中は仕事もそのまま休職して、いつ仕事復帰したんですか?

西川 卵巣凍結した直後の4月……2か月後から復帰しました。

岸田 仕事復帰して、つらくなかったですか?

西川 いやあ、大丈夫でした。最初の1か月間は午前、午後からの出勤で短時間勤務をしました。2か月目からは普通に8時間労働。初めはみんな気を遣ってくれるけど、すぐに容赦なく仕事を振ってきてくれますよね(笑)。

岸田 そうだったんですね。ご自身は、元の職場に戻って良かったと思っていますか?

西川 人事異動があって、すごく仕事がつらくもあったけど楽しかった。その大阪時代の1年間は、やりがいのある仕事や上司にも恵まれて。でも、また今異動してでしょ? ガラッと職種が変わったんですよ。2014年の12月から、びっくりするぐらい職種が変わって、「この年齢で新しい仕事を覚えなあかんのか」っていうので、しばらくはしんどかったんですけど、それはそれで今楽しくやってます。

【お金・保険】

岸田 では次に、医療費はいくらかかりましたか?

西川 いくらだろう? 実はぶっちゃけ、あんまり全体的な計算してないんですよね。

岸田 そう、けっこうみんなしてないんですよね。

西川 うん。ただ覚えているのは、クレジットカードの上限額が終わっちゃって、 クレジットカードが使えなくなって、楽天カードが毎月、プラチナ会員なった。

岸田 (笑)。

西川 保険、出ましたよ(笑)。会社で斡旋している保険があって、なんとなく「加入しないといけないかな?」っていう雰囲気があって、成人病の三大疾病のやつも入ったんです。でも保険に入ってから90日の間の告知というのに引っかかって。これがね、その間に見つかっても支払われないの。三大疾病のうちの、がんっていうのがそれで使えなくなって、今に至ります。

岸田 えー、せっかく保険に入ってたのに。じゃあ、治療費は自分でまかなったんですか?

西川 そう、自分でまかなったのと、やっぱり親がちょっと手助けしてくれたのと、あと、入院保険とかそういうのは入ってたんで、そういうのを使いました。

岸田 高額療養費制度(※4)でだいたい月10万円と考えたら、1年間で120万円ぐらい。

西川 そうですね。

【辛いこと・克服】

岸田 西川さんが、精神的や身体的につらかったときに、どう克服したかというのをお話ししてもらえますか?

西川 さっきも言ったけど、寝られるというのは、私の中でとてもうれしいことだったので、ひょっとしたら、精神的には、あまりつらくなかったかもしれないですね。あのね、へこんだ2週間後には、もう、「ウェーイ!」って言ってた(笑)。 次の引っ越し先がね、シェアハウスだったんです。私、すっごい楽しくって。離婚の話が出たのが、2012年の11月ぐらいなんですよ。やっぱりこう、決め事をするわけですね。離婚協議ってやつですよ。別に、子どももいないし、あんまり揉めてはないんですけど、1人で引っ越しとか、家具とかを処理しなきゃいけなかったから大変だった。

岸田 じゃあ、治療中は精神的にへこむってのは、あんまりなかった?

西川 うーん、病気に関してへこんだのは、始め「死ぬ」って思ったとき。でも調べてるうちに「死なへんねや」って思ってからは、別に。

岸田 強いですね。じゃあ、身体的につらかったことは?

西川 私の場合は、抗がん剤の吐き気止めの薬が効いて、あんまり副作用という副作用はなくって。オウェ、オウェっていうのはあるんですよ。でも実際にリバースしたことはない。あとは、ちょっと、 顔がパンパンに膨れ上がったりはしたけど、別にそれも膨れてるだけで、痛くもないんで、別にいい。

岸田 別にいい。

西川 髪の毛が抜けても、かつらはあるので、「まあいいか」と。夏場だったんで、汗をかいたら、無添加の泡ソープ1つで洗って、シャワーでバーッと流してブルッブルッとしたら、もう、楽でしたよ。

岸田 あのー、西川さんの闘病経験は、 あんまり大変じゃなかったっていう結論で大丈夫ですかね?

西川 そうやねん、どうしよう?(笑)

岸田 どうしよう(笑)。

【後遺症】

岸田 では、次に後遺症について教えてください。

西川 髪が薄くなった。

岸田 髪、めっちゃあるやん(笑)。

西川 薄くなったんです。細くなっちゃった。でもこれね、この年齢のがん患者のお友達とかと、「後遺症なのか、年齢的なものなのかわからないよね」って話したりしてます(笑)。

岸田 (笑)。後遺症でリンパ浮腫とかはありますか?

西川 今のところはない。でも、気をつけないと。リンパをちょっと取ってるから、重いものとかは持っちゃダメって言われてます。

【反省】

岸田 反省・失敗について聞かせてくだ さい。

西川 始めの、友達への伝え方はちょっとまずかったなって、反省しています。ミクシィで、軽ーく言っちゃって。「告知されちゃったよ」みたいな感じで。ドン引きする人もいっぱいおって、そこでパタッて、私に連絡しなくなった人がいっぱいいます。

岸田 そうなんですか?

西川 「あー、引かしてしまった!」と思って、それは反省しました。

岸田 友達が減りましたか。

西川 減った。すっごいよ、5割ぐらいは減った。私もそれに気付いてから、連絡しにくくなっちゃって、連絡をしなくなった人はもっといます。でも、がんになったことによって、新しく知り合った友達っていうのは、すごくたくさんいます。

【医療従事者への感謝&要望】

岸田 次に、医療従事者への感謝・要望 とか、何か言いたいことはありますか?

西川 はい。私の場合は、お医者様も看護師さんも助けてくださいましたけれども、いちばん心の支えになった存在というのは、ソーシャルワーカーさん。先生には聞きたいことを聞けない。そういうときに、ソーシャルワーカーさんに相談したら、ソーシャルワーカーさんが先生に聞いてくれるの。「ごめんなさいね。 こんなんばっかり言って」って私が言ったら、「そのための私なんで、そういうのが仕事なんで。ソーシャルワーカーになんでも相談してください」って、めっちゃ動いてくれた。

岸田 素敵ですね。

西川 いい人やなって。私が行ってる病院のソーシャルワーカーさんは、ほんとにそんな人でした。本当に感謝してます。

【キャンサーギフト】

岸田 では次は、キャンサーギフトにつ いて。がんに罹患して、何か得たことや、プラスになったことって、何でしたか?

西川 よくある話ですが、友達。

岸田 友達ですね。

西川 軽くがんについて言っちゃって、友達がワッと去っていった。代わりにウワッ! と友達が増えた。やっぱり同病者。全員バックグラウンドが違うので、なんか軽く異業種交流会みたいな感じです。あと、「STAND UP‼」(※5) っていう若年性がん患者会に入っているんですけど、そこの人は若いのにしっかりしてる子たちが、揃っていて、私がこの年のとき、こんなしっかりしてなかったなって思います。私も頑張らなって思って勉強なりました。

【夢】

岸田 今の夢は?

西川 夢は、お母さんになりたいですね。やっぱり、あきらめられないんですよね、そこが…。妊娠できるその確率っていうのが、下がってしまった。私の場合は、シクロホスファミドという抗がん剤ですよね。これを使った人は著しく卵巣機能 が低下して、なかなか、子どもができにくいというか、卵巣年齢が上がっちゃうんですね。私、たぶん40歳後半ぐらいなんです。乳がんの治療で、抗がん剤なしのホルモン療法だけの人とかね、いらっしゃるんですけど、そういう方で子どもを授かったっていう話は、何回か聞くんですけれども、抗がん剤をした人で、子どもを授かったって話っていうのが、あんまり。でも何人かいる。私の知り合いでも。だからそこを目標というか夢。

岸田 じゃあ子どもを作るっていうのが、 今の西川さんの夢。

西川 そうですねえ……欲しいー。

岸田 卵巣凍結は、使わないんですか?

西川 うん。これは、いわゆる生理が終わっちゃったら、いよいよこいつを出してこようかなとは思っていて、保険で今は残してます。

岸田 使ったら、どれぐらいのパーセントで、妊娠できるとかわかるんですか?

西川 わからへん。でもそれを使って、卵子を取り出すところから始まるから、遠い道のりですよ。

岸田 妊娠できたら報告してくださいね。夢がかなったっていう形で。

西川 ね、ほんとね。

岸田 はい、応援しております。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 では、西川さんから、今、闘病中の方にメッセージをお願いします。

西川 「楽しくやっていこう」。いやー、軽くてごめんなさい。

岸田 (笑)。

西川 (笑)。楽しくやっていこうぜみたいな。落ち込むのもありです。私もこう見えても落ち込みます。部屋の片隅で体育座りになって、落ち込んでるときもあります。けれど、落ち込みつづけてても前に進めないですし、自分の中で、「前向きになれる方法ってなんだろうな」っていうのを見つけてほしいです。私の場合は、ボサノバを聞きながら紅茶を飲む。もしくは寝る。

岸田 はい。

西川 この2つですね。何か自分でストレス発散とか、前向きになれることを見つけて、前向きにがんばっていきましょう。得ることもあるよ。がんになって、何かあるはずや、何か得たことがね。


※1 乳房温存療法……比較的初期の乳がん患者を対象に、乳房を全摘出するのではなく部分的に切除し、乳房の変形が軽度になるよう形を整える手 158 術。切除後、放射線治療を行う。

※2 妊孕性……妊娠のしやすさ。

※3 卵巣凍結保存法……卵巣の機能を低下させる治療を始める前に卵巣を摘出し、凍結して保存する方法。病気の克服後、体内に移植して卵巣機能 を再度回復させる。

※4 高額療養費制度……同一月にかかった医療費の自己負担が高額になった場合、自己負担限度額を超えた分が、あとで払い戻される制度。

※5 STAND UP!!……35歳までにがんにかかった、若年性がん患者による若年性がん患者のための団体。

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