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インタビュアー:岸田 / ゲスト:山田

33歳・会社員、趣味は旅行とテニス——25歳でホジキンリンパ腫ステージ2Bを経験した山田顕人さん

岸田 それでは、がんノートスタートしていきたいと思います。今日のゲストは山田くんです。よろしくお願いします。いや、満を持してになるんですけれども、またね、ちょっとこの話は後にとっておきたいなと思うんですけど、本当に長年の約束が果たされた(出演)っていうふうな形になりますので、ぜひぜひまたね、ちょっと後で聞いてもらえたらなと思います。
山田くんちょっと自己紹介お願いできますでしょうか?

山田 分かりました。山田顕人と言います。愛知県出身で今は大阪に住んでます。年齢は33歳。家族構成としては父母姉がいる4人家族という形になっていて、今は普通に会社員をしている状況です。趣味はテニスと旅行。旅行の話はまたちょっと後ほど詳しくできればというふうに思ってます。

岸田 了解です!ちなみに今まで行って一番良かった旅行先っていうのは?よく聞かれると思うんですけど、聞かれた時どう答えますか?

山田 聞かれた時は、もう僕は『モロッコ』っていうふうに答えてます

岸田 その心は?

山田 いろんな景色が楽しめる国っていうので、砂漠もあれば星空もあれば、なんか美しい街並みもあるっていうことでモロッコを推させていただきました。

岸田 モロッコの星空はすごいって聞きますからね。もしまた興味あれば、また皆さんもね、検討してもらえたらと思います。ありがとうございます。そして、がんのことお願いできますか?

山田 僕がなったがん種っていうのが、血液がんの悪性リンパ腫、これのホジキンリンパ腫というタイプのステージ2Bになります。

岸田 告知が25歳、今から8年前。僕も25歳の時に告知を受けているので同じ時かなと思います。薬物療法で今、寛解って書いてますけど、今はもう大丈夫?

山田 今は大丈夫です。

25歳の告知から33歳の今まで——感情の浮き沈みとともに振り返る、山田顕人さんのペイシェントジャーニー

岸田 そういった中でどんなお話が出てくるのか、ぜひ皆さん期待してもらえたらと思っています。
それではどのような経過をたどってきたのかといったところを、こういったペイシェントジャーニーの感情の浮き沈みのグラフで表していきたいなと思います。吹き出しはこのような形になっています。早速なんですけれども、こちらですね。後半ほぼほぼいい感じにいきますね。なんかV(の谷)が2つあるような感じね、谷がね、感じなんですけど早速聞いていきたいなと思います。
まずはじめ、新卒入社ということで、これは会社、今の会社に入っていった?

山田 はい、そうです、今の会社に入って。新卒で入りました。

岸田 会社員ということですね。会社員で新卒入社で、自分が行きたかったところでもあると。いいですね。まだまだね、社会の荒波に揉まれてない時ですね(笑)そこからちょっと下がっていきますが、そこから発熱をしていくということで。この発熱なんですけれども、どれぐらいの頻度とかどれぐらいの発熱な感じです?

山田 そうですね、多分告知される半年前ぐらいからなんですけど、2週間に1回ぐらいちょっと37度超える、38度までいかないですけど7度超えるぐらいの熱が2週間に1回出るんで、ちょっとなんとなく変やなっていうのを感じるぐらいっていうのがまずこの時の状況ですね。

岸田 そんな中でなんですけれども、健康診断で問題なしというふうな形。この健康診断は会社の健康診断?

山田 これは会社の健康診断ですね。半年に1回かやってるやつで、特に問題ないって出たのでちょっとだけ安心したという形です。

岸田 じゃあ判定はAみたいな感じ?

山田 そうですね。正常値っていうところで。

岸田 だからまあまあ普通のね、ところで。そこからちょっと下がってきますが、そこからはプラマイゼロのところでこちら、発疹で皮膚科へ…ということで、これはどんな感じの出来物とか?

山田 そうですね、これ結構いろんな種類があって、胸元にすごいブツブツが大量にできたりっていうパターンもあれば、その腕、二の腕のところとかにあざみたいな、ちょっと赤紫っていうあざみたいなのができたりとか、あとは虫に刺されたようなちょっとくぼみがあるというか出っ張りがあるみたいな、結構いろんなパターンの発疹が出て皮膚科に行ってみたっていうところでしたね。

岸田 皮膚科行ってみて、皮膚科の判断的にはなんかステロイド塗ってきましょうみたいな?そんな感じ?

山田 でも、もう本当にそんな感じでした。もう通常の処方薬。多分汗とかで何か出るんちゃうか〜みたいな、通常の処方薬いただいて、塗っといたら治るよみたいな感じでいただいて。一瞬治るんですけど結局すぐにまた出てきちゃうっていうのを繰り返してましたね。

岸田 それで皮膚科で行って、それで塗らないと。めっちゃ痒い?

山田 いや、痒みとかはなかったです。なんか本当に見た目だけ。

岸田 見た目だけなんや…。

山田 そういう意味では、今思うとちょっと変だったのかもしれないなっていうのは。

「39度超えの高熱、血便、足の裏の痒み——複数の症状が重なって、ようやく大きな病院へ」

岸田 今から思えばね。そんなね、それががんと紐づいているとか分かんないからね。そこからちょっと下がっていきますが、次はこちら、高熱や血便で受診とありますけど、これもすぐ高熱が出てきた感じ?

山田 それでいくと、最初の発熱が多分夏頃だったかな、多分8月9月で、皮膚科に行き始めたのが多分11月とか12月ぐらい。この高熱・血便になったのは多分1月とか2月、それぐらいやったと思ってます。

岸田 それでそこの高熱や血便って、どんなどれぐらいの高熱が出たりとか?

山田 この時の高熱は一番出たのが39度5分とか。

岸田 39度5分!?

山田 この時からは体調も少し明らかに悪いなって感じになってて、熱も前に言ったのよりももうちょっと頻度も大きくもうちょっと高熱が出る。ただエスタックイブ飲んで仕事行ったらいけるわってこともあって。
1回治まるんですよ、薬飲んで37度以下になって、じゃあ行くかって言って仕事行って、で、仕事の途中ですごいだるいわって思って熱測ったら39度5分みたいなのがあって、じゃあもうちょっと帰らなあかんわみたいなので帰ったりして。
血便なんかは、まあ1週間に1回ぐらいやったのかなって思うんですけど、なんかふとした時に明らかに色がちょっと黒いなっていうので、なんかおかしいなって。特にこの辺りからよりおかしいなって思い始めた頃。

岸田 それで受診って書いてあるから、この皮膚科がある病院みたいなところに行ったのか、クリニックに行ったのか?

山田 これは町のクリニックで内科のところに行かせていただいて、皮膚科のところにもともと行っててそこの先生に紹介いただいた内科に行かせていただいて、血液検査とかも取らせていただいて。今思えば、これも今思えばなんですけど、やっぱり血液検査の値は、もうこの時には悪かったです。

岸田 血液検査悪いって言うと、何かの数字がおかしいって感じ?

山田 CRP炎症の値とかがちょっと数値覚えてないんですけど、明らかにおかしい…。

岸田 それで内科とかへ行って検査してもらっておかしいなと?

山田 ただその時は結局それは別にがんとは紐づかなくて、アレルギーとかそういうのちゃうかなっていうのでアレルギー検査したりとかっていうのをやったりして、薬もらってちょっと様子見しようかなみたいな感じでその時は終わった記憶ですね。

岸田 様子を見ていくけど、そこからまだまだ下がっていくのがこちらですね。不眠、空咳、発汗、しこりなんかすごいいろんなものが出てくるとという感じですが、この時の状況を教えてもらってもいいですか?

山田 これ結構ほんまに毎日しんどかったんですけど、さっき言った1月2月ぐらいで高熱・血便が出始めて、で、最後2月の終わりぐらいからひたすら寝れない。夜 本当に寝れなくて、もう3時とか4時まで寝つけないみたいな、で、2時間だけ寝て次の日仕事行くみたいなふうになったり、ひたすら汗かいたりとか。あとここに書き忘れたんですけど、ものすごい足の裏が痒くて。

岸田 足の裏?

山田 足の裏がものすごい痒いみたいな。ひたすら足の裏をかくみたいな。

岸田 へぇ〜。

山田 本当にひたすら足の裏かいてる、寝れなくてっていう。

岸田 なかなかそういうことになるの珍しいね!?

山田 珍しいかもしれないですよね。でもそういう症状が僕の場合はあって、で、まぁそれでもだから町の内科は何件か通って、でもその時点ではまだ分からず。

岸田 何件かいろんなところに診てもらってという感じやね。そっか、で、咳ももう四六時中?

山田 そうですね、四六時中出てましたね。仕事の時電話とかしてるんですけど、電話してる相手から大丈夫?って言われるぐらいには結構ずっと出てましたね。

岸田 汗はどのタイミングでいっぱい出る?

山田 汗も結構これもずっと出てて、普通にオフィスにいる時もやっぱりちょっと脇のあたりとかなんか明らかに汗かいてるなとか、あとは寝てる時、要は寝て寝苦しくなって起きたらものすごいびしょびしょ。

岸田 あーわかる、すごいめっちゃびっしょりで本当ね。シーツが本当に自分の体の跡しているぐらい…。

山田 そうなんですよ。

岸田 そして、しこりがどこに?

山田 僕の場合は左首元に出て、ここにできたんですけど、それを触ってある日首元触ったらなんか明らかにおかしいなってなって。
それで町のお医者さんにちょっとこんなのできちゃったんですっていうのをお伝えしたら、ちょっと大きい病院で検査した方がいいねって言われて大きい病院を紹介していただいて、その流れでしこりの生検手術をしようかとということになって、そこを検査したという流れになっています。

「病名がわかって、少しほっとした——両親と3人で受けたがん告知の日」

岸田 そこでね、しこりの生検の検査をしていって、その後こちらになるんですかね、がん告知ということで、診てみたらそれががんだったということで。どんなシチュエーションでがんと告知されたんですか?

山田 そこは普通に病院で、うちの両親も一緒に来てくれて、普通に3人で病名告知されて、悪性リンパ腫でホジキンリンパ腫というものですというのを受けました。もともと生検する前から肺がんか悪性リンパ腫かもう一個何かだよというのは言われていたので、ある程度がんなのかなっていうのは自分でも認識を持った上でいけたので、そういう意味では がんだったかっていう。

岸田 だからこれ白色なのね。白色って、白色の吹き出しってどちらでもないという感じなんですけれども、ネガティブやポジティブのね。一番下がってるけどなんでネガティブじゃないんやろうなと思ったら、一応予測はできてたのか。

山田 その通りです、予測してたから。ただやっぱりがんっていうことに対してはマイナス、もちろん嫌な病気なのでマイナスだったと。ただあとは病名わかって嬉しいなっていう。僕の場合3〜4ヶ月ひたすら通院して全然わからんってなってて、なんやろってなってたのがわかったんで、その分プラスでプラマイゼロで白色みたいな感じかなって思ってます。

岸田 やっぱ今ね、もう想定はしていてっていうふうな感じでしたけど頭は真っ白になるもんですか?どうでした?

山田 正直言うと、それあんまり考えれないぐらい単純に体調がしんどすぎて。

岸田 もうそれどころじゃない?

山田 それどころじゃないっていうのが結構本音ではありましたね。そうかぐらいの感じで。

岸田 じゃあ、もう次どうするのぐらいの。

山田 とりあえず何したらいいんやろうみたいな、そんなレベルでしたね。

「告知直後にYouTubeで検索して見つけた——がんノートが、治療を頑張る目標になった」

岸田 で、その順で告知を受けていく。そこからですね、次どうなっていくのか。ちょっと上がっていくのでね、ここからはちょっと気楽に見れるんですけれども、がんノートや患者会のSTAND UP!!で若年性がんの患者会を知るということで、このタイミングでがんノートのことを知ってくれてるんよね?

山田 はい。僕はがんの告知を受けて多分YouTubeとかでがんについて調べようってなって。

岸田 YouTubeで調べようって感じだったんや。

山田 調べてたらやっぱり動画が多分ヒットして、その時からたくさん何個も見て、結構本当に入院前、治療始まる前から見始めてていろんな人の動画見させてもらって、僕はそれですごい元気もらってっていう。

岸田 すごい。この時からね、2017年ぐらいか…の前後ぐらいなので、全然ね(自分が)、CMとかにも出る前とかっていうふうな感じでもありますし、まだまだがんノートもね、なんかすごいそんなにめちゃくちゃ、7〜8年前でしょ?

山田 うん、ですね。

岸田 そう、そんな時から見てくださってます、画質の荒い時から。

山田 今、綺麗になってますから。

岸田 今、綺麗になってます。きっとこれはね、綺麗ないい画質でできてると思うんですけれども。
ということで、そこから上がっていきますが、そこから、はい、こちらですね。大阪から名古屋へと書いています。この時は会社が大阪で、就職したから大阪に行ってそれで地元である名古屋ってこと?

山田 そういうことです。なんで、告知受けてそこから治療のために名古屋に戻ってきてっていう流れで名古屋に僕は移動してます。

岸田 そういうことか。じゃあ告知受けた病院と治療受ける病院もまた違うんよね?

山田 違います。なので、告知は大阪で受けて治療はじゃあ名古屋に戻って、実家が名古屋で両親も対応できるということで名古屋で受けようと。

投薬2日後に症状が消えた——ABVd療法6ヶ月・12回、薬のすごさを実感した瞬間

岸田 一人でいるよりね、家族いた方がいいですもんね。
そこで名古屋からで治療を受けていこうといったところで、その後薬物療法をしていくということで、ABVd療法というふうな抗がん剤を複数回。

山田 4種類の抗がん剤を毎回点滴をして頭文字を取って、ABVd療法というものになっています。

岸田 どうでした?薬物療法を何ヶ月くらいやって?

山田 それでいくと6ヶ月…半年僕の場合やっていて、2週間に1回 点滴をする、合計12回点滴をするという形ですね。1回の投薬が多分2時間ぐらいですかね、やってました。

岸田 そっか、それをずっと半年間もやっていってといったところで。なかなかね、抗がん剤がね、副作用が大変だったと思うんですけど、そこからね、上がっていきます、それがこちら。治療が縮小していくというふうなところで、効果はあった?

山田 すごい僕の中で薬ってすごいなって思ったのが、さっき発汗とか不眠とか空咳っていうのはありましたけど、1回目の投薬してもう2日後ぐらいにはその辺り全部消えたんですよ。

岸田 へぇー。

山田 ものすごいあの、いい感じに効果が出て。多分腫瘍の縮小自体を撮影したのは2回の投薬の後だったと思うんですけど、1ヶ月後に腫瘍の縮小を画像で実際に確認して。やっぱり実際に画像でも小さくなってるんで効果あったんでよかったっていう、すごいこれがプラスに働いてるっていうことになります。

岸田 小さくなってすぐ効果があってよかったですね。そこでその後そこから上がっていくのがこちら、副作用でICUに。これようやく、ようやく副作用ってそんなに待ってましたじゃないんですけど、ただちょっと強いて言うとポジティブなんだよね、赤い色でなので。ちょっとそこについて何でポジティブなのかとかも含めて(伺えますか)?ちょっと。

山田 そうですね。まず先にどんな症状というと、やっぱり抗がん剤やると副作用で高熱になるっていうので40度近く熱が出るんで、それでちょっとやばいなって、そういう時はもう気兼ねなく来てくださいって言われるんで、定期とは別で病院行って、で、ちょっとこれだとやばいんでICU入りましょうかっていうので。
正確に言うと多分ICUの病棟しかベッドが空いてないからICUになったんだったと思うんですけど。

岸田 ああ、ベッド的な問題ね。

山田 その問題でのICUだったと思うんですけど、やっぱり40度を超えると危ないんで病院に入院しましょうかっていうので病院に入院してました。
で、なんでポジティブなんていうと、僕の捉え方として副作用が出てるっていうのは治療がよく効いてると有効的に効いてるっていうふうに捉えて、だからこんだけしんどい副作用が出てるってことは治ってるはずやっていうので捉えてたというふうに思ってほしいです。

岸田 そういうことね。ちゃんと効いてる証やということでのポジティブというふうなところね。今、病院入院してって言ってたけど、この治療はずっと入院じゃないのね?

山田 ずっと入院じゃないです。通院がスタンダード。初めの1ヶ月だけはまず入院、そして2回投薬をする。それ以降の5ヶ月間・10回の投薬っていうのは、投薬の日だけ病院に来てそれ以降は基本家で過ごしてくださいっていう形になってました。
ただ僕の場合は多分4クール目、その7回目ぐらいの投薬からちょっと副作用がしんどくなってそういう高熱が出るようになって、だから多分7回目・8回目はその都度病院にまず行ってICUとかベッドの空いてる他の科のところに入院させていただいて。
最後の2クール9回目・10回目・11回目・12回目はもうあらかじめ病院、ちょっと外部と提携組んでるんでその提携組んでる病院で入院しましょうっていう、あらかじめ1週間ぐらいだから入院しようっていうのに決まってて、そこに入院して治療をするっていう形でしたね。

岸田 そういう感じなんですね。それでこの高熱が出たりとかはある程度またちゃんと入院して治っていって。

山田 そうですね。

PET-CTで腫瘍が消えた——完全寛解と、5ヶ月ぶりに外の空気を吸った先輩の結婚式

岸田 ここからいいことが続くんですけれども、その中の一つ目がこちら、完全寛解ということ。終わった時にはもう数値とかも全部大丈夫?

山田 全部大丈夫で。で、画像も見て腫瘍がなくなってる、そのPET-CT(検査)とかですかね、がんが光るっていうやつを撮って、CT撮って問題ないねっていうふうになって。だから無事に6ヶ月・12回の投薬で僕の場合は完全寛解できて治療も終了という形になりました。

岸田 よかった、じゃあ効いたんやね。そこから次はこちら、初めての外出ということで、初めての外出「はじめてのおつかい」みたい(笑)

山田 僕も見ながら思ったんですけど、言われちゃいましたね(笑)

岸田 ごめんごめん(笑)どういうことでしょう、これは?

山田 これは先輩の結婚式に出席したっていう形なんですけど、それで神奈川かな、まで来るっていうことをしました。僕本当に治療中外出一回もしてなくて、結構他の方のお話聞いてるとなんかやっぱり息抜きにちょっと外出とか出かけるっていうのを家族としてますって人多いと思うんですね。
ただ僕は本当にしてなくて、家の周りの散歩、マスクとかガンガンして家の周りの散歩とかをするって本当そのぐらい、あとは病院だけみたいな感じのふうに徹底してたので、本当に久しぶりのシャバの空気だぐらいのね、感じをできてすごい思い出に今でも残ってます。

岸田 人と会ってみたいなのも、その時本当だいぶ久しぶりというか?

山田 ものすごい久しぶりでしたね。電車乗るのも久しぶりみたいな、都心部行くのも久しぶり、知り合いに会うのも久しぶり。知り合いに最後に会ったのが治療開始前、治療開始前にお見舞いに来てくれる人たちに最後会って、そこから会ってないんで5ヶ月ぶり知り合いと会うのがぐらいのレベルですね。

岸田 逆にその、外に息抜きもせずっていうことであれば息抜きどうしてたの?

山田 息抜きはどうしてたんですかね。

岸田 ずっと家にいるわけでしょ?

山田 ずっと家にいましたね。

岸田 テレビ見るとか?

山田 でもテレビ見て。じゃあ1個はひたすら野球見てたみたいな。

岸田 あぁ、野球。

山田 特に僕、夏も治療してた時期があったんで、朝メジャーリーグ見て昼高校野球見て夜日本のプロ野球見るみたいな、一日中野球見て時間潰してるっていうのは今思えばやってましたね。で、あとはなんかもう勉強してましたね。

岸田 へー!!

山田 ほんまにやることないんで、受験勉強のテキスト買ってきて。

岸田 おかしいおかしい(笑)

山田 勉強しようっていって勉強してました。

岸田 何を目指すとかあったの?

山田 何も目指してないんですけど、もちろんもう一回大学行くなんてないんで何も目指してないんですけど、時間あるときにできることって受験勉強かーみたいな。

岸田 その発想すごいな。

山田 今でも実家に、その時買ったテキスト残ってますよ、算数・数学とか。

岸田 はぁ〜そうなんや、理系?

山田 いや、僕文系。

岸田 文系やのに数学の授業?

山田 やり直さないと忘れちゃうなって思って。

岸田 そうなんや。

山田 まぁ時間もあるし他にやることもないから。

岸田 へぇ。

山田 ただそれだけです。

岸田 ちなみに入院中はさすがにしてないやんな?そういう勉強とか。

山田 入院中…してますよ(笑)もちろん入院中もしてて。

岸田 やばい。ちなみに何の勉強。

山田 スペイン語の勉強(笑)

岸田 え、スペイン語…英語じゃない?

山田 英語じゃないですね。スペイン語の勉強をして。

岸田 それは、なんでって聞いてもいいですか?

山田 なんでは全然聞いてよくて、なんか世界中のいろんな人と話せたらいいだろうなみたいな、そういう感じの理由だと思うんですけど。

岸田 それを入院中…つらい時ですよね。副作用も出てますよね?

山田 ありますけど、まあやるかって言ってスペイン語を勉強して、で、ナースステーションでスペイン君って呼ばれてる(笑)

岸田 えっ、ちょっと待って、スペイン君って呼ばれてるの?

山田 スペイン君って呼ばれてました。

岸田 ニックネーム。

山田 ニックネーム…裏では。

岸田 裏では。なんで裏のニックネームを知ってるの?

山田 なんで知ったか覚えてないですけど、絶対呼ばれてるっていう話は確定してて、スペイン君って。なんか誰か一人の方が言ってたんかな。

岸田 そうなんだね、それを聞いてスペイン君って。

山田 あだ名やっぱつけられるんだって。

治療を頑張った目標が叶った日——STAND UP!!総会出席と、7年間大切に保管したレシートの話

岸田 確かにね、しかもスペイン語の勉強をして。すごいね、資格勉強とかではないスペイン語の勉強ね。
それで外出してね、外の空気を吸って、その後こちらになります。STAND UP!!の総会出席ということで、患者会のね、若年性がん患者会のSTAND UP!!の総会に行くと。ここでいろんな患者さんに出会えるわけ?

山田 そうですね。だからがんノートで見た方、あとはSTAND UP!!の年次で発行している冊子に載っている方っていうのがやっぱり本当に出会えて。それがやっぱり、僕の場合は告知受けてすぐに動画見てその時から絶対いつか会いに行こうって決めてたんですよね。
それを半年でやるために治療をちゃんとして絶対に寛解させて行こうと決めていたので、その目標が一つ叶ったという意味ではこの12月の総会というのはすごい思い出深いです。

岸田 すごいね、その目標で治療頑張ったんや。

山田 そうですね。僕の場合、本当にそれを一つの目標にしていました。もちろん岸田さんに会うことというのも一つの目標に入っていて、実際にここで初めてお会いさせていただいたというのが流れです。

岸田 そうね、本当にあの時ね、今でもね、本当に思い出すね。やっぱこういうね、だから患者会に出るっていうのを目標にしてくださったりとかしてもすごくね、嬉しいなと思いますし。この時とかね、その後ぐらいとかにもこうね、がんノートにもね、出てよみたいな来てよとかね、というふうな観覧に来てよ〜みたいなことを話をしてたなーっていうのを思ったりとかしてます。
そうこうしていくと、本当に観覧に来てくれたっていう。そう、だって大阪、その時愛知だっか。

山田 その時は愛知に来ました。

岸田 愛知から総会に出席するために東京に来て、で、また帰って、またがんノートを見に来てくださったってことですね?

山田 STAND UP!!の総会は12月に出て、がんノート見に来たのが2月っていう形になってます。

岸田 この時は国立がん研究センター中央病院の中でも(リアルイベント配信)できていたコロナ禍前にはなるので、そういった時期だったかなと。

山田 そうですね、センターでやってましたね。

岸田 そうそう。それでその時にいろいろ話したりとかして、がんノートにも出てよみたいな形のこともあったりだとか。その時はまだ治療が終わってといったところで、まだまだ安定するまでは…みたいなね、段階ではありましたけれども。その時を考えたら2018年からだからね。

山田 これをお見せしてもいいですか?今この場で。

岸田 ちょっと今この場で見てみたいと思います。

山田 ちょっと一つだけ僕の思い出の品物を、お願いします。披露させていただきたいんですけど、これただのレシートみたいなものなんですけど、僕ががんノートの生観覧しに来て初めて国立がん研究センターに来た時の水を買ったレシート。ここに2018年2月12日って書いてあるんですけど、だからもう7年前ですか。買った時のレシート今でも大切に保管してます。

岸田 わざわざこれを!そうですね、これが2018年。

山田 今日もちゃんとここまた来たので。

岸田 今日またね、病院に来ていただいたので。

山田 水を買わせていただきました。

岸田 水を!

山田 まずは、ちょっと残念ながらセブンイレブンがローソンになってしまった(笑)あとはやっぱりお水の値段が実は19円違う。

岸田 19円?

山田 はい。

岸田 確かに127円。

山田 7年の間に物価あがったんやなっていうのを今日ちょっとしみじみと感じました。

岸田 いやー本当ね、わざわざこれを持ってきてくれてっていうね。まあ本当しみじみね、時がね、経ってますね。ただ本当にそんな、別にそんな、まあ久しぶりは久しぶりやけどそんなめっちゃね、何年も空いた感じはしないよね?

山田 なんか本当にね2〜3ヶ月ぶりぐらいの感じですけど、実は会うのは僕らが6年ぐらい。

岸田 6年ぶりぐらいですね。ちょっとなんかすごい、いやーこれが歳をとるってことか(笑)

山田 そうですよね。

寛解後初の県外旅行、そして潔癖症の発症——再発への恐怖が形を変えた

岸田 分からないけどね、まあいい意味でいい意味で年月を重ねております。
そこでその次、こちらですね。こちら、県外の旅行へということで、旅行として出るのがこう、この時がんになってから初?

山田 なんで先輩の結婚式、あとは総会・がんノートの観覧っていうので、自分の旅行みたいな感じではなかったんですけど、1年経ったかな、発覚して半年治療してそれが終わったのが10月ぐらい、治療が終わったのが10月ぐらい。そこからまた半年あけてそろそろ自分の旅行を始めてもいいんじゃないかなっていうのを考えて、治療を始めて1年なんでそろそろやなって。
で、たまたま大学時代に留学しててその時に知り合った韓国の友達がいるんですけど、その子にも病気のことは言ってて、で、なんかすごい心配してくれて、で、治ったよっていう話をしたら、じゃあ日本行くからどっか一緒に行こうよっていうので。

岸田 いい友達。

山田 来てくれて、で、初めてどこ行ったかな、長野だったかな、行ったんですけど、まあ結構それもやっぱり僕の中で一つの節目。旅行についに、県外に出たっていうので一つの節目として思い出に残ってます。

岸田 節目としてね、その旅行へ行ってっていったところで。ただここでね、ちょっと下がっているのがちょっと怖いんですけれども、ここからが何があったかというとこちらになります。潔癖症発症!?これはまたがんとかは?

山田 関係なくっていう形で。僕の場合はですけど、ちょっとやっぱり健康でいないといけないみたいな、健康でいたい・健康でいないといけないな、やっぱ再発したくないなっていう思いが強くて、それでなんていうんですかね、やっぱりきれいな状態でいないといけない。
無菌室にいた時期もあったんで、やっぱり綺麗でいないといけないっていうちょっと思いが強すぎた。それがまあ潔癖症っていう、わかりやすく言うと症状として出てきたっていう形になります。

岸田 へぇー、潔癖症。ちょっと僕あまりその周りに潔癖症の方がいらっしゃらないんで聞きたいんです。どんな感じなの、潔癖症って?

山田 うーん、本当に僕の場合は汚いものになんか触れたくないみたいな症状の出方で。例えばボールペンとかを床に落としたら、床が僕の中ではちょっともう汚いみたいな認識があって、で、ボールペン落としたらそれをもう使いたくないみたいな、ちょっと消毒してからしか使いたくないみたいな、そんなこととかもあれば。
あとは掃除、例えばトイレの掃除って汚いから掃除をするわけじゃないですか?その汚いところを掃除するのがやっぱりちょっと億劫になっちゃう。

岸田 あー、もう触れたくないってことか。

山田 それをきれいにしたいっていう側の潔癖症じゃなくて、そこに触れたくないみたいなっていう類のものですね。

岸田 じゃあずっとアルコール消毒のやつ持ち歩くとかも?

山田 持ち歩いてましたね。ウェットティッシュタイプのものもあれば、スプレーのシュッシュっていうようなタイプのものもあって、例えばこの頃はだからもう基本的には逆に旅行とかも行けなくなっちゃって。

岸田 そっか、今まで行けてたのに行けなくなっちゃうんや。

山田 自分の部屋じゃないところに行ったら何があるかわからない。それが大丈夫かどうか実際はわからないんですけど、何があるかわからないんでそういうのも控えないといけないなっていうのに駆られて、またせっかく県外旅行にも行けたのにちょっとまた後戻りしちゃったっていうような感じですね。

仕方ないよね、と思えた日——社会復帰、テニス再開、そして大谷翔平のホームランを生で見た

岸田 そういう病気になったから健全でいなあかんっていったところの、そういったところから発症しているということか。
これがどうなっていくの?社会復帰、仕事に復帰していくということ?

山田 一旦は社会復帰って書いてるんですけど、この場合はそこまでポジティブというよりは会社の休める期間がもちろん決まっているので、それに対して戻らないといけないっていうのもありました。戻らないといけないと、でもやっぱり戻っていかないと治らないだろうな、両方の気持ちはもちろん持った上で社会に復帰するという形になりました。

岸田 この時、潔癖症はそのまま?

山田 ほぼそのままですね。ただ潔癖症発症してから精神科のところにも行って、そこで薬を処方いただいて2〜3割良くなったかなという状況で社会には復帰しています。

岸田 そうか。そこでね、また会社の話は後でも聞きたいと思うんですけれども、社会復帰していってその後上がっているので大丈夫なんだとは信じたいですが、テニスを始める。大丈夫なんですか?ボールとか。ここまでであれか、2〜3年経っているのか。

山田 経っているので。やっぱり社会復帰して自分の思うように綺麗にできないような状況に置かれると、やっぱり良くなっていく。

岸田 へぇー。

山田 結果的にはもう仕方ないよねっていう気持ちが芽生えてきて、それで良くなっていって。

岸田 そうなんだ。

山田 はい。で、結果的にはおっしゃられてるようにやっぱりテニスボールとかって地面についてるし他の人が触ってるしみたいなのあると思うんですけど、だからもうそういうのが気にならないくらい。

岸田 あー良かった。

山田 数年間の間に僕の病状が自然に、その間薬とかもやってないんですけど自然に良くなっていったっていうエピソードだと思っていただければ。

岸田 よかった、ありがとうございます。
で、その後アメリカにも旅行されてたついにということで。ちょっとこの時のね、お写真をいただいているのでちょっと見てほしいなと思います。ドン!ロサンゼルス。どういう意図で行ったりだとかしたんですかね?

山田 僕はとりあえず大谷翔平が大好き。

岸田 あっそうや、だって朝メジャーリーグ見て昼高校野球見て夜プロ野球見て。

山田 元々僕は野球やってたので、野球やっててっていうのがあったので野球見るのはずっと好きで、やっぱり大谷翔平は憧れの選手の一人っていうので、生でぜひ見たいというところでドジャーススタジアム行ってきました。

岸田 これを見るために行ってきたん?試合を。

山田 これを見るために、これがやっぱり第一目標。

岸田 すごいそうなんや。見てどうでした?活躍した?

山田 大谷選手ちゃんとホームラン打ちました。

岸田 すごい。

山田 僕が見に行った試合で。

岸田 すごい!

山田 2試合実は見に行ったんですけど。

岸田 うんうんうん。

山田 絶対ホームラン見たいんで2試合見に行って、で、2試合目で打ってくれました。

岸田 そうね、すごいすごい。いやーなんか結構ちゃんとこう行ってね、自分のアメリカ旅行をしっかり満喫してっていうのが今できるようになっていたと。

山田 できるようになって。

岸田 ありがとうございます。でね、あのちょっと写真つながりになるんですけど、闘病中こんな写真もいただいております。こちらドン、結構な、この左側は?

山田 これが話していた初期症状、皮膚の症状ですねっていうところで。

岸田 左上が?

山田 ブツブツが大量にできたりとか、2枚目。

岸田 右上。

山田 だからすごい点々ができたりとか。

岸田 胸の右のやつね。

山田 左下みたいに、ちょっと虫刺さるかなんかあざかわかんないけどだいぶ赤紫みたいに出たり、あとは発汗の。

岸田 ああそうね、シーツが汗だくなるやつね。こういう初期症状が出たんですね。すっご!!これで皮膚科行ってもわからずということやね。

山田 わからずでした。

岸田 右側は?

山田 右側は僕の友達、担当医とか看護師さんに寄せ書きを書いてもらったというものなんですけど。

岸田 退院の時とか?

山田 これは入院中に書いてもらってましたね。最初の入院の時に友達も来るんで、その時にも寄せ書き書いてもらおうと思ってこれを用意しておいて。入院した時にポジティブに何か捉えたいなっていうことと、せっかくだから何かしようって思って、がんは進化の細胞っていう僕なりの名言を寄せ書きをみんなに書いてもらったという形です。

岸田 がんは進化の細胞という意図は何ですか?

山田 これ一応ちゃんとあって、まず一つは僕自身が がんになったことで何か前に成長できる進化させてくれるのを捉えようとして、進化の細胞。一応これちょっとかけてるのは、がんって結構成長速度が速い、悪い意味につながっちゃうんですけどという意味で早く進化するみたいな、それを逆に前向きに捉えたいなというさっきの意図を込めてがんは進化の細胞ということに僕はしていました。

岸田 寄せ書きを書くときに毎回どういう意味って聞かれたのかなと思いますけど。

山田 聞かれたでしょうね。ちょっと覚えてないけど、聞かれてたと思います。

岸田 みんなに寄せ書きを書いてもらって、それが心の支え。

山田 そうですね、やっぱり一つにもちろんなってました。

病院は両親が選び、治療は標準療法を選択——体がしんどすぎて、自分では調べる余裕もなかった

岸田 ここからですね、各個別にちょっと項目ごとにもちょっと深掘りして聞いていきたいなということを思います。
まず一つ目なんですけれども、一つ目はこちらになります。病院や治療の選択、SDMという、シェアード・ディシジョン・メイキングというね、やっぱり患者さんと医療者と共同して治療の選択とか意思決定をしていこうというふうな今、風潮の流れになっているんですけれども、病院はどういうふうに選ばれたのか、治療はどのように選ばれたのか、提案されてそれでOKなのか、ちょっとそういったところを教えていただけますか?

山田 わかりました。でも病院の選択に関しては僕の場合は完全に両親の選択。しんどかったんで病院選んでる余裕も正直なかった、何かを調べて病院ここがいいとかそんな言えるあれもなくて、両親がここがいいんちゃうっていうのを教えてくれてそうしようと。
両親が選んだ基準としては、家族がお見舞いに行けるところというので家から車で20分くらいのところですかね、名古屋駅の近くで病院を選んだと。たまたまそこが血液内科が強いと言われている病院だったみたいで。

岸田 確かに血液内科がある病院自体がそこまで多くないし、しっかりそういったところがあるという。

山田 そうですね、その2つの観点で選んだというふうには聞いています。

岸田 それで病院決めていって、治療はお医者さんからの提案で?

山田 そうですね、お医者さんからの提案で基本的には標準療法でみんなこれをやるっていうのが決まっているのでそれに単純にしたっていう。
僕の場合、血液がんなんで手術っていう選択肢が基本ないんですよね。固形のがんの方だと手術するか抗がん剤するかとか考えられる方いると思うんですけど、血液がんは基本的には薬を投薬するしかないので、もう別にそれで普通かなっていうふうに思って選びました。

岸田 他の民間療法とかしたいとかならんかった?

山田 そこは考えてなかったですね、その当時。自分で気をつけれること、健康に気をつけるって意味でちょっと食事を考えるとかそういうレベル。

岸田 健康的な食事を。

山田 やっていましたけど。

腹痛、嘔吐、腕の激痛——ABVd療法の副作用と、医療者と二人三脚で乗り越えた調整の記録

岸田 特段それでがんを治そうというところは考えられていなかったですね。ありがとうございます。
そしてその次、こちらになります。副作用や後遺症のこととしまして、治療の後に今何か後遺症があるのか~だったりだとか、副作用で結構入院をしたり~だとか、そういったところがまたありましたけれども。今、何か残っているものとか何かあったりとかする?

山田 もう後遺症は正直ない。逆に言うといい意味で日常通りに戻っているっていうふうに思ってもらえるといいかなと思います。

岸田 副作用は他に、今話した以外のこととかってあったりとか?いろんなものがあったと思う。

山田 本当にいろいろあって、やっぱりもう投薬した日からお腹痛くなる。まずは夜、ちょっとやっぱ投薬した日は寝れないみたいな、お腹痛くてベッドの上でちょっとなんかうずくまってるみたいなのをしていて、投薬中に吐いたことはやっぱりありましたかね。投薬後ももちろん吐き気ちょっと続いてるんですけど、投薬中に1回だけ僕は実際に吐いたことがありますね。
ちなみにその時は4クール目の時に吐いたんですけど、僕3クール目ぐらいからちょっと吐き気が強くなってますっていう話をして、先生に4クール目にステロイドでその吐き気を抑えるためにステロイドを打ちましょうって言って、ステロイドを打って吐きました。

岸田 ステロイド打って!?(笑)

山田 ステロイド打って今回大丈夫なんだって思ったら、その時だけ吐きました。

岸田 逆にね。

山田 逆にその時だけ吐いたっていう。あともう一個ありました。僕の場合は血管がちょっと固くなってっていうのがあるんで、投薬中の投薬の時に点滴するんで、そこの点滴場所が 腕すごい痛くなるっていうのがあって。そうすると投薬のスピードをじゃあ遅めましょうかみたいな、スピードを遅めるとちょっと良くなるというのでそれはやってましたが。
あとは温めると良くなるとかだったかな、というのをやりながら投薬を続けてました。

岸田 そういう調整を、医療者の方としながらということですね。皆さん医療情報に関しても主治医の方だったりだとかがん情報サービスさんだったりだとか(みてください)、あくまでもがんの経験ですのでそこだけご留意いただければと思っています。

治療前に精子凍結を選択、8年後の今も継続中——先生からの説明があったから、動けた

岸田 その次ですね、ちょっとこれは妊よう性のことについてちょっとお伺いしていきたいと思います。妊よう性はね、子どもを作る能力といったところで、やっぱね、こう今抗がん剤をたくさんしていった中で子どもの作る精子とかね、そういったところにも影響が出てくるんじゃないかなと思うんですけど、そういった説明とかっていうのは先生からあった?

山田 僕の場合はありました。なので事前に精子凍結するか決めてくださいという話があって、僕の場合は精子凍結をして。実は今でも毎年継続しますかという連絡が来るので、実は今でも継続して凍結しているというような状況です。

岸田 治療前にそういったところをちゃんと凍結できたんや!

山田 できましたね。だから実際に自分がそういう時に、子どもをもしも授かる時がある場合に実際に何だろうな、今でも妊よう性は残っているので僕は、凍結のを使うのかどうなのかっていうのはどうするのか正直わからない。今でもとりあえず凍結を続けてる。

毎日来た母、節目だけ来た父、いつも通りの姉——三者三様の関わりが、それぞれ支えになった

岸田 続けてるっていう形に。そうなんですね、しっかり説明があってそういうところができたということですね。ありがとうございます。
そしてその次こちら、家族のことに関してなんですけれども、ご家族はご両親とお姉ちゃんがいらっしゃいましたね?

山田 そうですね。

岸田 それぞれどういうふうな関わり方だったかっていうのを聞いてもいいですか。

山田 そうですね、それでいくとまず基本的には母が毎日病院に見舞いに来てくれて着替えとか持ってきてくれたっていうのをしてました。それは個人的にはすごいやっぱり大きいことやったなと思ってて。
病院の方以外の知り合いで、だから話す人ってほとんどいないわけで。母が会いに来てくれるので、母とちょっと話すっていうのができたのは僕の中でいい気分転換・リフレッシュになってましたし、やっぱりありがたいなって感じるので、それはポジティブな気持ちが自分の中に芽生えるっていうことやと思うんで、それもすごいいいことやなというふうに思いました。

岸田 だから、なかなか母親に当たったりとかっていうのを言われる方もいらっしゃるんですけど、そういうのはなかった?

山田 それは基本なかったですね。ちょっと体調悪い時はもう話できなかったんで。

岸田 もう話ししなくてもね。

山田 もうなんか、うん、とかだけ言ってちょっと母も帰るみたいな日は何回かありましたけど、当たることはなかったかなと。

岸田 お父さんは?

山田 父は節目のタイミングでっていう形でしたかね、仕事もあるので父の場合は節目のタイミングで経過観察を見るときだけ一緒に同席してもらってみたいな形で。でも良くなるごとに、良かったな良かったなって言ってくれるような父親。

岸田 お姉ちゃんは、あまりいろいろ話聞いてたら兄弟の関わりってあんまり多くないイメージなんですけど、ありました?

山田 病気っていうことに関してはいい意味で通常通りみたいな形で、もう姉が実家は出てたので、それもあって関わる頻度っていうのが多くはなかった。別に会った時も普通、いつも通りっていう感じで接してもらって、それはそれでいいことちゃうかなと僕は思ったので。

岸田 普段通り接してくれたっていうね。

山田 そういう意味では、家族3人ともいい形で接し方を続けてくれたのかなっていうふうに僕は思ってます。

岸田 やっぱり周りの人との関わりとかっていうのはね、今まで通りに接してくれたら嬉しいとかってよく言うもんね。

山田 変に気遣われるのもやっぱりあれなんで、いつも通りでやっぱりいいのかなというふうに思います。

生検の日からそのまま3年休職——それでも待ち続けてくれた会社と、時短勤務から始めた復職の半年

岸田 ありがとうございます。じゃあ次こちらですね、その中でのお仕事のことなんですけれども、お仕事さっきね、社会復帰をしないといけなかったよってありますけれども、仕事の時はどのように会社に・職場に伝えて、どのように休んで職場復帰をどのようにしていったのか?その前と最中と後といったところを聞きたいです。

山田 まず会社には本当に感謝している面が強くて、僕の場合は半年間結構体調不良が続いていた。その時も結構有給取ってクリニックとかに行っていたんですね。その時点でちょっと体調が悪いというのは伝えていて、有給取って全然通院してきなよという感じやったんで、まずそこで一つすごい助かったなというふうに思ってます。
で、告知の時っていうのは、僕本当に4月1日かな、社会人3年目の4月1日に大きい病院に行ったはずで、で、もうちょっと大きい病院に行けって言われたんで大きい病院に行ってきますっていう、でもそこで生検検査をすることになりましたっていうのを伝えたら、もうだったらもうそのまま会社ちょっと休み始めなよみたいな話僕はなったんです。

岸田 すごいね。ちなみに何か言える範囲でいいんですけど、職種的なものは営業なのかそれとも何かこう肉体労働系なのか。

山田 それでいくとオフィスワークですね。結構パソコンを四六時中使っているというような仕事で、自分のもちろん担当の仕事とかもあったんですけど、それって他の人はある意味関わってない、普段関わってない。でもそんな中で、もう生検検査するっていう時からもうじゃあそのまま休んで検査結果出るまでまず待とうよって、ずっと休んでていいよって。
で、生検検査して、多分1週間後ぐらいに僕は告知受けてるんですけどその間ずっと休みで、で、告知受けた日に電話してがんって言われましたって言って。
じゃあもう、多分両親がその段階で1週間の間に調べて名古屋の病院も見つけてくれてたんで、もうちょっと名古屋で治療することになりそうですっていうのを電話で伝えて、おぉわかったっていうので、そのまま、もうそのまま本当に長期休暇。4月の1日から1回も会社に行くことなくずっと3年間。

岸田 3年休んでるの?

山田 休んでるっていう形になってます。っていうのが、まずは血液がんで治療半年ですけどちょっと療養期間も含めて1年ぐらい休みますっていうのでまず合意してて。で、その間にでも僕潔癖症発症しちゃったんで、その潔癖症の兼ね合いでちょっと治療とかそういうのをして、今社会復帰しんどいですっていうのを話させていただいて、じゃあもっと治るまでいなよっていうふうに言ってもらえて。

岸田 最長MAXが3年までしか休めなかったということですね?

山田 ものすごい正確には2年半経った段階でリハビリ出社という形で、扱い上は多分休職なのかな…になるんですけど、仕事をまず時短勤務でしていって徐々にその時短の時間を広げていって長くしていって徐々に徐々に通常の状態に戻そうと、という状態を半年ぐらい僕はさせていただいて、ちょうど3年になるタイミングで正式にもう一度復職という形を取らせていただきました。

岸田 すごいね、そこまで待ってくれるのはいい会社。

山田 感謝しかないなと、これに関しては思っています。

岸田 ただ3年ぶりに出社したら、出社というか2年半とか、リハビリあるけど仕事を忘れてるくない?

山田 仕事は全然覚えてなかったですね。全然覚えてなかったんで、ほぼゼロからスタート。なので、会社の人とかにはマイナス2年目ですみたいな言い方してて。2年働いて3年休んでるからマイナス1年目か、マイナスっていう理屈を使ってたんですけど、まあそんな形で、まあでもそれでも、ちゃんとなんだろう、もう一度ゼロから教えていただいて徐々に徐々に戻っていって、で、まあ今もその同じ会社・同じ職場で働き続けてます。

岸田 体力的にはもう大丈夫?

山田 今は、はい、基本的には問題ないです。

高額療養費後でも治療費は約100万円——25歳で入っていた医療保険が、自己負担を抑えた

岸田 問題なく働いているということですね。いや、そう、けどさ、ちょっとその次のことでもあんねんけどさ、その休んでる時のこのお金よ、これどうするのかとかさ、治療費どうするのかとか、民間の保険入ってたのか入ってなかったのか色々あると思うけど、まずちょっとお金どうしてたんすか?

山田 お金に関してはまず給与が入ってきたので、傷病手当金、傷病手当金ですかっていうのが入ってきてたので、8割なのかな。

岸田 だいたい3分の2、これそうか、一般的には多分3分の2であとはその会社によって多分。

山田 あるってことですね。多分7割ぐらいから8割ぐらい頂いてたっていうのでそこが一つあったのと、実家にいたっていうのもあるので、すいません、その辺りの賃料とかそういうのはかからないっていう意味ではかなり違いは出るかなと。

岸田 大阪の方はどうですか?

山田 大阪の方は寮を借り続けてた。元々寮だったのでそんなに金額も高くない、で、寮の方は一応そのまま残しておいて給与から引かれてはいるんですけど、寮費って住むだけやったら多分7000〜8000円だったんで、その負担がそんなに大きくはないんで部屋としてはそのまま残しておいて、また寮に戻る可能性があるんで。

岸田 そうだね荷物の搬入・搬送の方が時間かかるからね。

山田 もう残しとこうっていうのでずっと残してました。

岸田 ただ、はい!傷病手当金、基本的に1年半ぐらいまでだと思うんですけど、その後とかはもうもらわずちょっと貯金切り崩すとか?

山田 それでいった時にちょっと記憶定かじゃないところもあるんですけど。

岸田 まあざっくりでいいよそんな、綿密さをそんな求めてるわけじゃないから。

山田 たぶん病状が2個扱いに処理されたはずやなって。

岸田 潔癖症発症してるもんな。

山田 潔癖症発症してるんで、強迫性障害っていうので病気がまた切り替わったんじゃないかなと。

岸田 そういうことね。一つの症状だと同じ病気があったんじゃないけど、また違う発症してるっていうことか、そっかそっか。

山田 っていうのがあって、で、それが大きかったかなというふうには考えてます。で、あとお金・保険っていうところでいくと、僕の治療費がだいたい100万円ぐらいですかね、かかってるという、半年間で100万円ぐらいが治療費でかかっている。それに対して僕保険に入っていたので当時。

岸田 25歳で保険入っていたんですね?

山田 僕の場合は医療保険と死亡保険に入っていて。もともと社会人になった時に母から入っておきなよっていうのを言われたんで、それがあって単純に入ってたっていう形ですね。だからその医療保険で通院のたびにお金いただけるので、それが多分30万円ぐらいきっといただいてると、だから130みたいな、プラマイして 70万ぐらいっていうので負担としては終わってるのかなというような形です。

岸田 そっか、それは高額療養費制度を使った後でのその100万円がかかったってことですね。

山田 後での金額です。

岸田 後での金額ってことですね。そこから30万円ぐらいは民間の保険で払えて、70万円ぐらいが持ち出しだったという。

山田 そうですね。

岸田 貯金金崩したりだとか、もしくはご両親もサポートしてくださったりとかいうふうな感じで全部やっていたってことですね。借金はしなかったってことですね。

山田 してないです。

走ろうとしたら膝から崩れ落ちた——1ヶ月の入院で気づいた、体力の喪失と回復への不安

岸田 そんな形でね、なかなか25歳入っててすごいなと思うんですけれども。
あと2つあります、こちら辛かったこととしまして、様々ね、この闘病の経験なんか色々あったと思うんですよ。この時に、うわ、これ一番肉体的に精神的にね、別にこのグラフ感情のグラフとは関係なくてもいいので、印象に残っている辛かったことっていうと何になりますかね?

山田 そうですね、辛かったこと。やっぱり肉体的って意味でいくと単純に副作用しんどかったっていうのと、あとは病院で最初1ヶ月入院してその時に一瞬ちょっと走ろうとしたことがあって。

岸田 どういうこと?

山田 コンビニかどっか行く時にちょっと急いで行きたいなって思って、ちょっと走ろうって思って走った時に普通に膝から崩れ落ちるみたいな。

岸田 足がもつれてね?

山田 全然病院のベッドの上にずっといるんで、走れなかったみたいなのが結構ちょっとショックやなと思って、こんなに衰えてたのか…って。普段歩いてるだけで病院のベッドの上にいて歩くだけだったんで、体ってこんなにも1ヶ月で変化するものなんだって。

岸田 いや、そうだね、ベッドの上にいるってだいぶ衰えてくよね。

山田 気づかないんですけどね、いざってなった時に。それ結構僕の中ではやっぱりショッキングで、また元にちゃんと戻れるのかな…みたいなのを若干感じた日でもあったんで、それが少しある意味物理的にも精神的にも少しだけ来たっていう話ですかね。

岸田 それはもう、あとはもう退院とかした時にも身の周り歩いたとか言ってましたけど、そういったことで体力を回復させていく?

山田 家にいる時は毎日散歩して、ちゃんと歩かないとみたいな。1日8000歩ぐらい歩くと健康にいいよとかね、そんな話が当時聞いたことあったんで1日8000歩ぐらい目安に、8000〜10000歩かなっていうのを散歩して、30分ぐらい家の周り散歩してっていうのだけはしてました。

岸田 歩くっていうの大事ですね。

山田 大事ですね、気分転換になりますね。太陽の下にやっぱ出ないと元気出ないなって思って、それが家の周りが結構いい感じに田んぼとかもあって、散歩しやすいところやったんでそれがすごい良かったなっていうふうに思ってます。

人生のターニングポイントは『がん』じゃなくて『留学』——がんを忘れかけた頃に気づいた、普通でいることの価値

岸田 太陽の下でね、太陽の光浴びるの大事よね。ありがとうございます。
そして最後の項目、夢や目標ということでね。今後のこうしていきたいなだったりとかこういった目標を掲げているよとか、もしあればちょっと聞いていきたいなと思いますけどどうでしょう?

山田 これはでも、ほんまに普通に普通に生活していくこと、それしか僕は今ないな思っていて。すごいポイントで言うと、がんノートに1回出るっていうのは僕の当時から言っていた一つであったので、出るのは絶対なんだろう、僕の場合は病気治ってから出ようって最初に治療開始前にまず決めたんですよ。
結果的にはこうやって7年越し!?8年越しぐらいになっちゃったんですけど、それが一つの小さな目標ではあったので、それがある意味今ここで叶ってますっていうのがまず一つ。ただ、それ以外に大きい夢・目標っていうのはほんまに今のところはなくて、平和にこれからも生活できればそれでいいんじゃないかと。逆に言うとそう思ってるだけかもしれないですけど。

岸田 いやいやいやいや。

山田 僕は思ってます。

岸田 普通がね、一番難しいですからね。

山田 そう、やっぱり何て言うんですかね、ある意味がんって単語に反応しやすくなったりとかね、そういうのあると思うんですけど、そういうのも忘れるぐらい普通に戻れればいいのかなと思ってます。
ただそれでいくとちょっと1個僕思ったのが、今回がんノートに8年越しに出るってなった理由の1つが、知り合いの子ですごいエネルギッシュでポジティブな子がいて、その子に触発されて当時立てた目標っていうのを思い出してそれでまず出ようって思ったのが一つ。
その子と話してる時に、僕の人生のターニングポイントってなんだろうって話をたまたまして、僕本当に大学の時の留学やなっていうふうに。

岸田 この中じゃないんかい(笑)この中にあるのかなと思ったけど。

山田 この中にはなくて、っていうふうになってっていうぐらいある意味ちょっと病気のことを忘れかけてきてたっていうのがあって、っていうのをその話してる時に気づいて、じゃあ8年ぶりに今だからこそ話せることとかあるんじゃないかなっていうのがあって今回出演させていただいたという話になります。

岸田 自分の人生のターニングポイントって言われた時に、がんじゃなくて留学だったりとかそういったところが、やっぱりもうがんが普通の馴染んでいるというかいい意味で、普通になっているというところでじゃあ今だったら話せるんじゃないかと。

山田 そういう意味では、だからさっき僕が言った夢・目標に 徐々に徐々に近づいてきてるなっていう状況にあって、これからもそれを続けられればいいのかなというふうに思っています。

岸田 素晴らしい、ありがとうございます。ちなみに留学はどこに行ったんですか?

山田 留学は僕はアメリカに行ってました。

岸田 いいですね。そういうふうなね、だからもう英語はできるからスペイン語だったんですね。

山田 ありがとうございます、拾っていただいて(笑)

また、会いましょう——それはあなたが元気でいる証拠であり、僕自身も元気でいる証拠

岸田 そして、ここからメッセージとなっていきまして、今ね、闘病中の方だったりこの視聴者の方々にちょっとメッセージをいただいておりますので、こちらのメッセージとなります。

山田 僕からのメッセージ。また、会いましょう!! という形になります。このメッセージを選ばせてもらったのが、僕自身ががんノートを見て治療前・治療中、すごい元気をもらっていて、それがこの人たちにまた会いたいなというふうに思っていたことが強い根源にあったので、僕からもこのメッセージを伝えられればなというふうに思いました。
もう一つが、また会うということは今この動画を見ている方が元気でいてくださっているということでもありますし、逆に言えば 僕自身も元気でいる、だからこそ会えるということだと思いますので、また会いましょう!というメッセージをお伝えさせていただきたいなと思いました。
またこの動画を今日撮らせていただいて、僕の知り合いにもぜひ見てもらいたいなと思っているので、その友人たちにもまた会いたいなという意味、それも込めてこのメッセージを選んでます。
すいません、色々とありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。また、会いましょう!!ということでね、本当にそのね、夢が叶ってというか、こうやってまた会わせていただいてというふうな形でね、次はこう出る立場として今闘病中の方に少しでも何か見通しとなるような、その何かのきっかけになれば
嬉しいなということを思っています。
これにてがんノート終わっていくんですけど、どうでした?話してみて。

山田 話してみて。やっぱりまず この収録自体は楽しかった。

岸田 あぁ良かった!!

山田 一つあって…で、やっぱりなんて言うんですかね、思い出したというか、自分が動画見てた時のことを思い出してなんというか懐かしい気持ちになるなというのが一つ。
で、あとはなんですかね、自分の体験談、やっぱり思い返すと、資料を作る時に思い返すとそうだったなというので戻ってくる気持ちとかもあったので、なんというかすごい僕にとっては有意義な時間に一連としてなりました。ありがとうございます。

岸田 いや、ありがとうございます。闘病中の方もそういうふうな形になればということを思っていますので、治療を終えてそういったところを一回振り返ってみて、こうだったなっていったところを改めて山田さんの経験談を通じてちょっとお伺いをさせていただきました。
また、皆さん次の動画でお会いできたらということを思っています。それではまた、お会いしましょう。

山田 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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