インタビュアー:岸田 / ゲスト:鈴木

【発覚・告知】

岸田 自己紹介をお願いします。

鈴木 鈴木信行です、のぶさんと呼んでください。精巣腫瘍経験者です。私は今45歳ですけど、25年前、20歳のときに発症して、手術と抗がん剤治療をした経験があります。その後4年半くらい経って24歳で再発し、腹部のリンパ節に転移して、抗がん剤治療と手術をしました。手術によって腸閉塞になった期間もあり、治療を終えて再発から20年ちょっと経った今は寛解状態です。

岸田 というベテラン経験者でございます。どうやって発覚したかというところをお聞きしたいと思います。

鈴木 私は別の病気があって、二分脊椎という生まれつきの病気なんですけれど。脊椎が開いてしまって、中の神経が飛び出してしまう病気です。これによって、いくつかの症状が出ます。まず、下半身の成長のバランスが崩れる発育障害というのがあります。それから、神経が弱っているので、足の感覚が無い。それと、排泄障害。普通の人がおしっこしたい、うんちしたいという感覚が無いんです。この排泄障害で泌尿器科に通っていたときに、そういえば睾丸の左右差があるなあと思って、普段の検診のときに先生に言ったら、「あ、これはちょっと」ということで発覚しました。

岸田 じゃあちょうど、病院に通ってたから気づいただけで。通ってなかったら気づいてない?

鈴木 そうなんです。なんか左右のバランスが違うからといって、わざわざ泌尿器科に行ったかは疑問ですね。

岸田 じゃあそこで検査して、宣告はどういうふうに言われました?

鈴木 当時、25年前(1990年)って、患者本人に「がん」という言葉を使うことはなかったですね。だから、主治医から「ちょっと悪いできものがあるので、これは取ったほうがいい」みたいな言い方をされました。

岸田 のぶさんはそれを聞いて、どう思いました?

鈴木 あ、そんなもんかって感じですね。なんか、ベルトコンベヤーに乗せられた感じ。当然手術するよね、手術が終わったら、よくわからないけど、点滴の治療するよね、っていう。「抗がん剤」という言葉も使われなかったですね。今とはだいぶ時代が違うなとは思います。

 

【治療】

岸田 たぶん精巣腫瘍って進行が早い部類に入ると思うので、そこからすぐ治療に入ると思うんですけど、その泌尿器科で治療を始めたんですか?

鈴木 その病院では二分脊椎の病気で受診していたので、とりあえず急ぎで手術をして、がんの部位である睾丸は取ったんですけど、そのあとの抗がん剤は専門性が違うということで、別の病院に転院をして治療が始まりました。

岸田 別の大きな病院に移った?

鈴木 大きいというか、経験がある病院と言ったほうがいいですね。

岸田 当時の治療は、どんなことをしたかわかりますか?点滴しますとしか言われてないということでしたけど。

鈴木 それが、わからないんですよ。でも、知りたいじゃないですか。だから、実習で来た看護学生さんに教えてもらいました。当時の雰囲気として、私から医者とか看護師に直接聞けないんじゃないかと思っていたんです。じゃあ誰に聞こうかっていうときに、ちょうど学生さんがいたので、ちょっと薬が知りたいんだけど、薬の名前教えて、と。それで知ったということですね。

岸田 抗がん剤はどのくらいされたんですか?

鈴木 最初の20歳のときは3クールで、3ヶ月。1クールだいたい1ヶ月くらいです。手術で2週間、最初の病院に入院して、そのあと3ヶ月、抗がん剤の経験がある病院に行きました。再発のときは、抗がん剤3クール、手術と腸閉塞と、そのあと抗がん剤2.5クールで、全部で8ヶ月くらい入院しました。

岸田 再発の話も聞いておきたいなと思うんですけど。

鈴木 再発は本当に、初発のフォローをちゃんとやっていたということですね。よく5年生存率と言いますけど、私、再発したのが4年半なんですよ。

岸田 惜しい(笑)。

鈴木 だから、ある意味良かったというか。5年過ぎていたら、もしかすると寛解ですと言われて、ちょっと気が緩んでいたかもしれない。4年半だったので、いいタイミングで再発してくれたなと思いますね。

岸田 それはどうやって気付いたんですか?

鈴木 これは採血で。腫瘍マーカーですね。明らかに腫瘍マーカーの値がおかしくなってきているということで、フォロー検査したあとに、主治医からの電話。あれドキドキしますね。私の実家の親のところに電話があって、親から私のところに電話があって、至急病院に行きなさいと言われて。行ったら、再発だろうということでした。

 

【恋愛】

岸田 次はのぶさんの恋愛の話を。当時、付き合っている人はいましたか?

鈴木 いましたね。

岸田 もし付き合うとか、いろんなことがあるときに、精巣腫瘍ですっていうことをどう伝えるか、たぶん葛藤があったと思うんですよ。のぶさんの場合って、たまたま両方アウトじゃないですか?

鈴木 ん?ちゃうちゃう。

岸田 え?片たま?

鈴木 左側だけ。右側の睾丸は生きてますが、副作用で、精子はできないんです。そういう意味で、女性に対してどうカミングアウトするかは、やっぱり難しいものがありますよね。

岸田 当時の恋人はどうでした?支えてくれました?

鈴木 そうですね、たぶんですけど。

岸田 たぶん?

鈴木 恋愛してる、お付き合いしてるときにがんになった場合は、そんなに大きな問題にならないような気がしているんです。だってそれまでにお互い、ひと対ひととしてお付き合いしいてるわけじゃないですか。そこに、がんというのがプラスされたからといって、人間性が否定されるものではない、というのが私の考え方です。

岸田 深いですね。

鈴木 逆もそうじゃないですか?徹君がお付き合いしている女性の方が何か大きな病気になったからといって、急に嫌いになるんですか?

岸田 もう全てを包み込みますね。

鈴木 (笑)。だから、がんになったとかならないとか関係なく、恋愛というのは別次元で進むものなんですね。

岸田 じゃあカミングアウトするのも、恋愛に発展する前に伝える感じですか?

鈴木 はい。私はもう全てオープンにする方向なので。私、たぶん精巣腫瘍として初めてホームページに自分の病気のことをカミングアウトしている人間なんです。当時、20代半ばの頃、精巣腫瘍というと私のホームページが引っかかる、私のホームページしか本人が書いているものがないという感じでした。もう全てわかったうえで、ですね。

岸田 ありがとうございます。

 

【学校】

岸田 当時、初発は大学3年生で、抗がん剤を3クールやって、学校を休んだんですよね。

鈴木 はい、後期試験を受けられず、大学3年生は留年しました。

岸田 抗がん剤しながら留年の手続きとか大変じゃありませんでした?

鈴木 入院が決まった段階で大学には休学届けを出しました。治療に3ヶ月はかかると言われていたのと、一方で、治療にスピードが必要だとも言われたので、これは諦めるしかないなと。

岸田 就活とか響きませんでした?

鈴木 私はがんであることをオープンにしてましたけど、がんだから駄目なのか、人間として駄目なのか、そこはわからないですよね。駄目だった会社はたくさんありますけど、理由を聞いたわけではないので。普通に難しかったのと同時に、最終的には製薬企業に入ることになるんですけど、製薬企業に対しては逆に、自分ががんになったことがアピールポイントになりました。治療に使われている医療機器や、薬に対して患者目線で提案ができる。そういうことができる大学生って、そういないと思うんです。そういう面では、製薬企業に対してはいい意味でのアピールになったと思います。

岸田 じゃあのぶさんの場合、就活のときにがんであることを言ってた?

鈴木 言ってます。がんになったことを、自分の数少ない経験を生かすという意味では、プラスに働いた可能性もあるのかなと思います。

 

 

【仕事】

岸田 再発のときは24歳で、仕事はどうされたんですか?

鈴木 8ヶ月の入院があったので、結果的に9ヶ月間、会社の社内規則で最大期間の休暇を頂いて、治療に専念しました。

岸田 じゃあ引き継ぎとかは?

鈴木 入社1年目の若造だったので、会社にとってはまだ即戦力ではないですから、そういう意味ではラッキーな時期だったと思います。

岸田 9ヶ月経って仕事復帰のときに工夫したことはありますか?

鈴木 私は二分脊椎という病気があって、足腰が弱いんです。一番の心配はがんそのものよりも、入院生活で足腰が弱っていて、座って仕事をするとか、荷物を持って会社に行くのが辛いだろうということでした。初発のときにそれを感じたんです。だから再発のときは、またなるだろうなと。ましてや入院期間が倍以上ですから、たぶん相当に足腰が厳しいだろうと思いました。ですから、退院が決まるちょっと前から、入院している病棟内を1、2時間ぐらいうろうろして、病院内の階段のアップダウンと敷地内をぐるっと回ってまた戻ってくるみたいなことをやっていました。自分でリハビリですね。

岸田 やっぱり違いますよね、歩くだけでも。

鈴木 違うと思うし、あとは自信になったと思います。当時歩いていた階段のアップダウンの回数が、日頃の生活の中で自分が歩けるかどうかの一つのバロメーターなんですよね。

岸田 じゃあ仕事復帰までは、体力をつけるために頑張って、復帰したあとは時短とか?

鈴木 いえいえ、いきなりフルタイムでした。入院は8ヶ月だったのに、休んだのは9ヶ月で、退院して1ヶ月くらいあったんですね。この間に会社にぶらりと顔を出したり、体力をつけたりしていたので、そのあとの復帰が早かったんじゃないかなと思います。たぶん上司はいろいろ気を使っていたんだとは思うんですけど、それを私のほうではあまり感じなかったですね。

岸田 それで、その仕事はどこかで区切りをつけ。

鈴木 そうですね。13年間勤めましたけど、辞めました。

岸田 それで今は。

鈴木 「患者スピーカーバンク」というNPO法人を立ち上げました。それから、「みのりCafe」というカフェの経営をしています。もうひとつは、「患医ねっと株式会社」という株式会社を経営しています。患者スピーカーバンクは、患者さんを研修して、人前でお話ができる患者スピーカーといわれる人に育て、その患者スピーカーを企業や大学などニーズのあるところに紹介をしたり、あるいは自ら企画をして患者スピーカーの話を聞いてもらう場を作る。そんなことを手掛けているNPO法人です。患医ねっとは、患者と医療者と企業をつなげるようなイベントを多くやっている会社です。患者と医療者、あるいはそういうことに興味がある人たちが集まって、より良い医療ってなんだろうか?というのを考えていく場「ペイシェントサロン」は、この患医ねっとが手がけている事業のひとつです。「ペイシェントボイスカフェ」といって、学生さんたちに患者さんの声を届けるという事業や、その他いろいろやっているのが患医ねっとです。みのりCafeは、検索してください(笑)。年間100回から200回ぐらいのさまざまなイベントをやっているところが、普通のカフェとは違うのかなと思います。

岸田 場所はどこにあるんですか?

鈴木 東京都文京区の根津というところにあります。

岸田 はい。という3つの顔を持っていらっしゃいます。

 

【お金・保険】

岸田 当時、お金がどのくらい必要だったか、保険に入っていたかどうか、というのをお聞きしたいんですけど。

鈴木 まず、保険は入っていないです。先天性の二分脊椎という病気があるので、少なくとも当時は、相当に割に合わない保険しか無かったですね。なので保険はいっさい入っていなかったです。一方で医療費なんですけど、二分脊椎という病気は、身体障害者に認定されるんですね。そういう面で、皆さんが普通にかかる医療費と比べると格段に安い額で済んでいます。

岸田 じゃあ、障害者手帳を持っている方は医療費も安いんですね。

鈴木 条件によるんですけども。医療費が安くなる方が多いということでいいと思います。条件というのは、等級と、お住いの場所によっても違いますので。そのあたりは障害者手帳を発行されているところで、たいていサービス内容の本がもらえるので、障害者手帳を受給したときにそれを見て、医療費の安くなる制度があるんだったら手続きをすればいいかと思います。

 

【辛いこと・克服】

岸田 つらかったことと、それをどう克服したか、という話を。

鈴木 いちばん精神的につらかったのは、再発のとき腸閉塞になったこと。精神的にも追い詰められていましたね。

岸田 腸閉塞って、腸が閉塞する?

鈴木 おなかのあたりのリンパ節に転移したので、開腹手術をして、腸を1回取り出してがんを取るんです。それから腸を戻すんですけど、戻すときにやはりどうしても上手くいかないときがあって、腸がクイっと曲がってしまう。そうすると、食べ物が通らないことになる可能性が、それなりの割合であります。それで、私もそれなりの割合のほうに入ってしまい、腸閉塞になりました。何がつらいって、がんの治療が進まないことですよね。がんで入院してるのに、腸閉塞の治療に入るっていう焦り、一方でがんのほうはどんどん成長してしまうのがわかっている。この間にがんがどんどん、悪化のほうに進んでしまうんじゃないか、というところでの辛さがありました。

岸田 腸閉塞はどうしたんですか?

鈴木 結局もう1回切りました。だから私は腹部のところに2本、線が入ってます。

岸田 それはきついですね。

鈴木 まあ体の方も相当にきつかったですけど。体のほうのきつさは、抗がん剤の最後のところですね。抗がん剤の2.5クールって、中途半端じゃないですか。これは何かというと、抗がん剤を打ったときに、体じゅう拒否反応を示して、医者がこのままだと危ないと判断して、途中で打ち切りになったんです。がんじゃなくて、抗がん剤で体が持たないんじゃないかと。このときは体がつらかったのかなと思います。

岸田 つらかったときの克服方法ってありました?

鈴木 私、なんか、克服っていう概念がないんですよね。もう、ありのままというか、受け入れるしかないじゃん、という発想なので。腸閉塞になっても、もうなったならしょうがないじゃない。そこで最善を尽くすにはどうしたらいいんだろうか、っていう考え方なので、克服というよりは、気持ち的にどうしたら受け入れられるだろうか?というか、受け入れざるをえないよね、という気持ちです。

岸田 受け入れざるをえないけど、のぶさんの中では、なんで俺だけ、みたいな気持ちにはならなかったんですか?

鈴木 そもそも生まれたときに、二分脊椎ですからね。そういう面では、生まれたときから、ほかの一般といわれる人たちとは、違う体を持っているわけで。だから、違う部分がもうひとつ増えたか、ぐらいのイメージですよね。病気になってラッキーとは思わないですよ。アンラッキーとは思うけれど、なってしまったものはしょうがないんじゃない、というのが私の考え方です。

 

【後遺症】

岸田 後遺症について。

鈴木 さっきも少し言いましたけど、精子がね。男性不妊症というやつですね。

岸田 それはどのタイミングでわかったんですか?測るんですか?

鈴木 測りました。クリニックに行って。

岸田 それは自ら?

鈴木 自ら。やはり、そのあと結婚をしたので、はっきりしないまま、どうなるこうなるって話をしてもなんなので。精子の数をちゃんと検査できるクリニックに行って調べました。

岸田 結婚してから?

鈴木 結婚してから調べたけれど、その前に、もう無理だというのは医者からも言われていたし、自分の自覚としても、明らかに出てくる精子の量というか、精子そのものは目に見えないですけど、そのまわりも含めて、出てくるのが非常に少ないので。そういう面で、まあ無理だろうなという気はしていました。

岸田 けっこう、凹むんじゃないですか?

鈴木 でも、凹んでもしょうがないので。

岸田 強いですね。

鈴木 強いというか、どうですかね。さっき言った受け入れですよね。

岸田 受け入れるしかないと。じゃあ、奥さんの反応はどうでした?

鈴木 結婚する前から、付き合ってる段階で、可能性として子どもが生まれる率は非常に低いというか、まず無理だと思うとは伝えていました。

岸田 もう、それで大丈夫だったということなんですね。それ以外に後遺症はありますか?

鈴木 これといっては、特には無いですね。

 

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフト。がんになって失うものはいっぱいあるかもしれないですけど、逆に得たものというところにフォーカスすると、のぶさんの場合何ですか?

鈴木 私のいまの生活すべてそうですね。患医ねっと株式会社をやっている。NPO法人患者スピーカーバンクをやっている。みのりCaféをやっている。これすらすべて、私ががんを経験したから、そこに至る発想が出てきたわけです。だから、がんになっていなかったら、たぶんいま、たんなる45のおっさんですよね。

岸田 二分脊椎だけでは、どうでした?

鈴木 そこまでは発想がいかなかったですね。二分脊椎の患者会を運営していたときがありますけど、あのときは、どちらかというと二分脊椎という輪の中に閉じこもった、同じ病気の仲間しか見ない人生を送っていました。そういう発想しかなかったです。逆に、がんというのが加わったことによって、これはひとつの病気だけやっててもしょうがないなと、いまの日本全体の医療を見たときに、患者がどう動くべきか?っていうのを気付かせてくれたのが、まさに、がんという病気が私にくれたギフトだと思うんです。なので、その発想力のもとになったという意味ではありがたかったですね。

岸田 だからいま患医ねっと株式会社でされているペイシェントサロンも、患者スピーカーバンクも、別に疾患は限定しないですもんね。逆に病気の人限定でもないですし。

鈴木 そうですね、はい。まさに。

 

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今闘病中の方へメッセージをお願いします。

鈴木 はい。『病気〜マイナス→プラスを見出す発想〜病気を楽しむ意識』。病気って当然マイナスなんです。もうそれは、やむを得ないものだと思います。でもそこから、プラスはなんだろうか?という、プラスを見出だす発想力を持ってほしいなと思うんです。さらに欲をいえば、病気を楽しむという意識を持つことによって、人生が一見マイナスだけれども、そうじゃない、いままでとは違う世界が見出だされるかもしれない。そんなことを思います。難しいですけどね。闘病を楽しむ、そういう意識が持てたらいいかなと思っています。

岸田 これ、僕なりの解釈ですけど、闘病してるときは、無理にプラスを見つけようとしなくても、見つかればいいと思いますけど、ちょっと落ち着いてからでもいいかなと。

鈴木 うんうん。そうですね。

岸田 実際闘病してるときは、余裕がなかったりとかしますしね。逆にお見舞いに行く人たちが、プラスを持って行ってあげるみたいな。なんか面白いもの提供してあげる。雑誌だったり、なんでもいいですけど。

鈴木 お見舞いに行く方は、この「発想力」を持って行ってあげてほしいですね。

岸田 哲学的ですね(笑)。

鈴木 そうです。本当の親友だったら、こういうことも言える。そういう関係性がある付き合いがいいですね。たんに病気大変だね、じゃなくて、そこから得られるのはなんだろうか、ということを一緒に考える。そんな友だち関係が、たくさんあるといいかなと思います。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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