目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:河野

【治療】

岸田 きょうのゲスト、河野順さんに来ていただいております。製薬企業に勤務されておりまして、がんの種類が精巣腫瘍、そしてステージがIA、再発、IIAと順に上がっているというような感じで。告知年齢が50歳のとき。今、54歳。治療は手術と化学療法をされているということでした。今、りりしいノルディック的な感じの写真をいただいております。

河野 おなか出てますけど。

岸田 ばっちりいい感じだと思います。闘病歴なんですけれど、2016年の11月に、50歳のときに右精巣に軽度の膨張があって痛みを自覚して泌尿器科クリニックに行ったら、触診とエコーでがんの告知を受けたと。

岸田 そして手術、右精巣摘出といったところで、そのときはステージIだったということですね。

岸田 ただ、それから3年後、2018年12年に53歳のときに傍大動脈リンパ節転移発覚。

岸田 これどこにあるのかまた後で聞きたいと思うんですけど、ステージIIということで、県立がんセンターの紹介で受診し、造影CT、PET-CT検査を行って、どこにあるか分かってから化学療法、エトポシドとシスプラチンというEP療法を4クールしていたと。約3カ月ぐらいだと思いますけれど。

岸田 その後、2019年3月にようやく退院し、現在は経過観察中ということです。そんな感じで間違ってないですかね、大丈夫ですかね。

河野 はい。

岸田 ありがとうございます。ちょっと振り返りながらいろいろお伺いしていきたいんですけれど。まず、右精巣に軽度の膨張とありますけど、どれぐらい膨張したんですか。

河野 ごめんなさい。これ、腫脹ですね。腫れです。

岸田 しゅちょう?

河野 ごめんなさい。字が違ってるな、これ膨張になってる。

岸田 ぼうちょう。しゅちょう。

河野 腫れ。腫れでした。

岸田 腫れ。いや、ごめんなさい、僕の漢字が間違ってるかもしれないんで。軽度の腫れ、それで痛みの自覚。どれぐらいの腫れですか。

河野 当時、ジーンズはいて会社行ってたんですけど、歩いてるときになんかジーンズに触れるなっていう。普段触れないじゃないですか。

岸田 普段触れないですね。普段、ちゃんといい子ちゃんにしてくれてますね。

河野 いい子ちゃんにしてるでしょ。それがわずかに触れたんですよ。それで、製薬会社に勤めてるっていうのもあって、これが炎症性なのかそうじゃないのかっていうところで2、3日、様子見てたんですけど、これは炎症性じゃないなと。

河野 これはまずいなっていうんで、すぐ泌尿器科に行ったわけな感じですね。

岸田 泌尿器科に行ってですね、触診でエコー3分でがん告知ってどういうことですか。

河野 ベテランの泌尿器科の先生だと、精巣の、睾丸ですよね、これを触ってすぐ分かるらしいんです。エコー撮れば、見せてもらいましたけど、すぐに分かるそうです。

河野 本当に3分診療で、エコー終わった後に「ズボンはいてください。自宅は近くですか」ってまず言われて、これもうがんだなと。はっきりがんですって言われました、その場で。

岸田 まじですか。すごい。僕も再発したときは泌尿器科クリニックに行って、これがんですよねって言ったら、どうだろうねってすごい濁されましたけど。

河野 はっきり言われました。がんですって。

岸田 ショックでした?

河野 いや、僕もともと、学生時代から抗がん剤の開発研究をやってたっていうこともあって、こういう形で自分にも来たかっていう捉え方でした。

河野 2人に1人はがんになるっていうのも知ってましたから、頭が真っ白になるとかっていう感じでは全然なくて、割と冷静でした。

岸田 さすがやっぱ、ちゃんと心構えができてたって感じですね。

河野 心構えできてたかどうか分かんないですけど、でもそんな感じです。

岸田 その後ですね、手術。これは大きな病院で手術して?

河野 これは家の近くの、中堅の病院ですかね。

岸田 そうなんですね。

河野 がん専門病院でもなしに、中堅の病院で。

岸田 手術して、結構、すぐ終わりました?

河野 予定は60分だったんですけど、私、ちっさい頃にヘルニアの手術歴があったんで、癒着があるからプラス10分かかるだろうって言われて、本当に70分で終わりました。

岸田 早っ。

河野 早いです。

岸田 そんな感じなんですね。

河野 早いけど、術後は痛いですよね。

岸田 ああ、痛い。本当痛い。あれは本当、痛かった。じゃあそれでいったん、このときは終わりということで?

河野 そうですね。

岸田 そこから約3年後。あれ、2年後?

河野 2年後ですね。

岸田 2年後か。53歳のときではあるけど2年後、傍大動脈リンパ節転移発覚ってどこですか。傍大動脈って。

河野 僕もそこら辺は医療従事者じゃないんで、正確には分かんないですけど、おなかのあたりです。精巣腫瘍っていうと一番・・・。

岸田 めっちゃアバウトやん。

河野 おなかの奥のほう。精巣腫瘍の最初に転移する場所っていったら、大体、傍大動脈らしいです。

岸田 分かった。後腹膜ってところっていわれたりとかするとこ?

河野 そう。あそこら辺です。

岸田 腹筋の裏側というか。

河野 そう。

岸田 後腹膜リンパか、そうか。に、転移して、それが発覚したと。それが2年後。

河野 そうですね。3カ月に1度のCT検査やってたんですけど、それで分かりました。

岸田 それで分かったのか、よかったですね。県立がんセンターの紹介受診、紹介されて行ったってことですか。

河野 そうですね。

岸田 紹介されて行って、CTとPET検査で分かったということですね。そこからすぐ手術じゃなかったんですね、化学療法。

河野 精巣腫瘍っていうのは多分、さまざまながん種の中でも最も抗がん剤がよく効くタイプのがんなので、化学療法です。

岸田 しかもEP療法っていう。僕、BEP療法っていうのをしたんですけど、EP療法なんですね。エトポシドとシスプラチンという。

河野 一般的にはBEPのBってブレオマイシンっていう抗がん剤なんですが、これ肺毒性が強いんですよね。

岸田 肺毒性って何ですか。肺って、あの肺?

河野 肺。

岸田 胸の肺?

河野 そう、胸の。間質性肺炎とか肺線維症なんかの重篤な副作用が出るんで、特に年齢が高いと、そういう副作用が出るっていうことで。

河野 BEP療法だと通常3クールですけど、ブレオマイシンを除いたEP療法で4クールやれば、同じ治療効果が得られるっていうことで、EP療法の選択になりました。

岸田 これ年齢によってですよね。

河野 大体、主治医から言われたのが、一つの目安として40歳を超えてるかどうか。

岸田 そんな違いがあるんや。そっか、河野さんはオーバーフォーティーじゃない、オーバーフィフティーですからね。

河野 そう。

 

【副作用】

岸田 そのまま、それ4クールやって、退院していったということになります。今は普通に社会復帰しているということなんですけど、そのときの副作用のことを聞きたいと思います。

岸田 副作用はということでですね、副作用についてこんな資料を河野さんからいただいてます。ドン。こちら、ご説明していただけますか。

河野 横軸が治療の日なんです。1、2、3、4って感じで。

岸田 これね。

河野 はい。抗がん剤投与してから何日目かって。上が体重の変化、下のグラフが副作用の強度。

岸田 強度?

河野 強度ですね。

岸田 つらさみたいな?

河野 つらさ。今までの経験した中で一番つらいよっていうのを10としたときに、どれぐらいのつらさか、程度かっていうので棒グラフで示したんですけど。毎日エクセルで入力して記録してたんです。

岸田 超まめ。

河野 それで、朝の回診のときとか看護師さんがきょうどうですかっていうときに、この表を見せて。そうすると説明しなくても一発で分かるじゃないですか。

岸田 そうですね。見たら分かりますもんね。そっか、そのために作って。

河野 グラフ見ても分かるとおり、体重がどんどん減っていくんです。これは単純にご飯が食べられないから。

河野 一昔前、二昔前だと抗がん剤イコール吐き気、嘔吐ということで食べられないっていうパターンだと思うんですけど。特にシスプラチンなんか強く出ますよね。

河野 でも今、支持療法って副作用を抑える治療法が発達してるので、僕の場合は吐き気とか戻すとかっていうのは全くなくて。

河野 むしろ下に書いてある青い棒グラフなんですけど、味覚障害で、9日目まで食べられたのがイヨカンとイチゴとプリンだけでした。

河野 それ以外は一切、受け付けなかったです。併せて、その黄色いのがしゃっくりって。

岸田 これでしゃっくりって読むんですか。きっぎゃくと思ってましたけど。これしゃっくりって読むんや。

河野 正確には何ていうのかな、音読みでなんかあるんですけど。これが多分シスプラチンの、特に男性に強く表れる副作用で、これがつらいんですよ。

岸田 しゃっくり10ってどんな感じなんですか。

河野 24時間、しゃっくりが出続けるんです。

岸田 そんなあるんや。

河野 これ抑える薬がないんで、特効薬がないんで我慢するしかないんですけど。ずっとしゃっくり続くと、もうへとへとになります。

岸田 体力も結構、使いますもんね、しゃっくり。

河野 使います。

岸田 最近、耳に指入れたらしゃっくり止まるとかっていうの聞いたんですけど、そんなんも効かない? 全然?

河野 効かない。いくつか薬ありますけど、基本、効かないです。我慢するしかなかったです。

河野 面白いことに、9日目までは体重が減るんですが、そういう自覚症状って10日目までで。11日目からぱたっとなくなるんです。

岸田 そういうこと。これなくなってるってこと?

河野 本当にないんです。で、赤がパニック発作って私の持病なんですけれど。強い、何て言うのかな、一言でなかなか言い表せないような発作が起きるんですが、これも8日目、9日目、10日目の3日間だけなんです。出るのが。

岸田 パニック発作って、パニック障害と一緒ですか。

河野 そう。パニック障害っていう病気の中の、パニック発作なんです。パニックになるんではなしに、例えば息ができなくなるとか心拍数がすごく上がるとか、いろんな、一言では言えないです。

岸田 パニック発作が3日間出たけれど、他は大丈夫だったということですね。

河野 そうですね。

岸田 その後はぱったりなくなったということで。

河野 なので、グラフ見てもらうと分かるんですが、抗がん剤治療をして体重が増えたんです、結果的に。

岸田 ほんまや。

河野 頑張って前からダイエットしてたんですけど、抗がん剤治療によって、またちょっとぽっちゃり体形になっちゃって。

岸田 これは知らん間に? 気付いたら食べてるみたいな?

河野 いや、毎日体重計、乗ってるんで、上がってるのは分かるんですが。11日目以降、本当に元気になるんです。食欲も湧くんで、ウオーキングとかで消費カロリー以上の物を食べられるんですよね。結果的には体重が増えました。

岸田 これがあれか、これが1クールですね。

河野 そう。

岸田 これが、掛ける3?

河野 4。

岸田 4か、ごめんなさい。

河野 本当、同じパターンで。これつけてると、第2クール目以降、何日目こういうふうな状況になるっていうのが分かるから、心の準備ができるんです。

岸田 そういうこと。すごい。これ1回やれば大体、9日目まできついけど11日以降大丈夫だからそれまで頑張ろうかみたいになるってことね。

河野 そうなんですよ。このグラフを見ながら頑張ってたみたいな。

岸田 ありがとうございます。

河野 このグラフのどういうパターンを示すかっていうのは、多分、人によって全然違うと思うんですけど。ただ、自分の傾向がどうかっていうのを知る上では結構、有用でした。

岸田 大事ですね。そしてこの写真もいただいてます。ドン。

河野 抗がん剤治療、最初の1クール目が12月27から31日、大みそかまでだったんです。

河野 翌日が元旦で、おせちが出たんですけど、この薄味、しょうゆベースっていうのが全く受け付けなくて。味覚障害で。

河野 それ以降、一切、病院食が食べられなくなっちゃったんです。抗がん剤あるあるだと思うんですけど、下のようにこってりした物が。あとはたこ焼きとか。

岸田 いいですね。僕も王将とか大好きでしたもん。

河野 あのマヨネーズとソースのかかったやつとか。こういうこってりの物が食べたくなるんですよね。だから太るのかもしれないですけど。

岸田 そんな中、一番左に、人生で一番おいしく感じたレトルトカレーっていうのが・・・。

河野 10日目まで全然食べられなかったじゃないですか。11日目から食べられるようになったので、看護師さんに好きなのを食べていいよと言うんで、コンビニに行ったんです。病院の。

河野 そこにレトルトカレーがあって。コンビニのレトルトカレーなんだけど、本当においしく感じました。

岸田 おいしかった?

河野 めちゃくちゃおいしかったです。

岸田 明日のご飯決まりやな。ちょっと買ってみよう。人生で一番おいしいって言われたら、食べてみたいな。

河野 普通のコンビニのカレーですけどね。でもやっぱり、こういうときのっておいしいですよね。

【後遺症】

岸田 次、副作用つながりでもあるんですけれど、後遺症はということで。後遺症について、この写真をいただいております。ドン。

河野 これ指サックなんですよね。シスプラチンみたいな、白金系の抗がん剤の副作用として有名な。

岸田 白金系?

河野 白金系っていう。

岸田 プラチナっていう意味?

河野 プラチナ製剤ですね。手足のしびれです。しびれっていっても、感覚がなくなるっていうよりもジンジンするような。ジンジンかな。

河野 今、1年たってまだしびれが続いてるんですが、お札、特に新札、きれいなお札がうまく取れないんですよ。あとは・・・。

岸田 全部くしゃくしゃじゃないと。

河野 そう。あと、本のページがめくれないとか。だからいつもスーパーのレジで、後ろの方をお待たせするような感じになっちゃうんで。

岸田 じゃあ河野さんももう、SuicaとかICOCAとか、ああいうICカードデビュー。

河野 そう。例えば何千円のうち、2000円だけ取り出すっていうのがすごく大変なんです。

岸田 そっか、そういうのがある。今でも?

河野 今でも。

岸田 今もそのジンジンあるということで。これはもう、しゃあないって感じですか。

河野 人によりけりです。一般的には大体、2、3年でほぼ治まってくるだろうっていわれてますけれど、どうなるか分かんないですよね。

岸田 けど、いらっしゃいます、そういう方。本当にずっとこれで苦しんでらっしゃる方も・・・。

河野 でもこれ100円しかしないですからね。

岸田 これ100均?

河野 100均で。

岸田 そっか、それじゃあコスパはすごくいい。

河野 そう。

【困ったこと】

岸田 対策です。そして、困ったことについてです。こんな画像をいただいてます。ドン。patient journey。

河野 これ、patient journeyの模式図なんですけれども。

岸田 patient journeyって波があって、自分の治療経験を旅と捉えるようなグラフみたいな感じですよね。

河野 そうですね。がん告知って左下に書いてありますけど、一般的にがん告知受けると当然、沈むじゃないですか。

河野 治療していってだんだん良くなると上がっていくっていう線をたどると思うんですけど、その線が滑らかな線じゃなしに、時々ギザギザって描いてあると思うんです。

河野 どういうことかっていうと、例えば、今の私みたいに一応、抗がん剤治療が終わりました、経過観察になりました。

河野 だからもう何も不安とかないかって、そんなことはなくて。再発の不安だったり、やっぱりいろんな人に迷惑掛けてるなっていう気持ちだったり、それが心のザワザワになるんです。

河野 そのザワザワをグラフで、ギザギザで表してみたんです。それは治療中も、今の治療で本当にいい方向にいくんだろうかっていう不安とか。

河野 いつも前向きの気持ちでいられるっていうわけじゃないんで、そういうpatient journeyの中でもこういったザワザワが、いろんなザワザワが起きるなっていうのが、僕の場合でも実際そうでした。

岸田 ちょっと慣れてきたら、あの人どうだろうとか、これして良かったのかな、あのときどうとかいろんなこと考えるってことですよね。

河野 そう。急に寂しくなったり、孤独感を感じたり。

岸田 そっか。だから、河野さんは・・・。

河野 ザワザワですね。

岸田 ザワザワが結構あったと。

河野 これがなかなか他人からは分からないし、なかなか人に話せないんですよね。

岸田 なかなかね。

河野 入院中でも、例えば婦人科病棟なんか女性が多いところだと、結構おしゃべりするじゃないですか。

河野 僕ら男性の多い泌尿器科病棟で男性ばっかりだったんで、そういう話もしないし、身近な家族だと逆に心配を掛けるっていうんで、家族にも話せない。

河野 誰にも話せなくて自分で抱え込んでしまうっていう、そういったつらさがありました。

岸田 そのときは耐えたんですか。どうしたんですか。

河野 話せる人に話しました。

岸田 話せる人。例えば?

河野 例えば、勤めてる会社の親しくしてる保健師さんであったり、あとはマギーズ東京って、岸田さんもご存じだとは思うんですけど、がんを経験された方が無料でいつでも訪れて、話を専門の方に聞いてもらうっていう所があるんです。

河野 そこでつらさを聞いてもらって受け止めてもらった。それでザワザワが静まってくるってな感じで。

岸田 そうですね、マギーズ東京さん、偉大ですね。

河野 偉大です、本当に。

【治療費や制度】

岸田 そういう場所が、相談できる場所があるっていうのは大事ですもんね。そんな中、治療費や活用した制度はというふうな形でさせていただいてます。治療費や活用した制度。これ、どうでした? お金とか活用した制度、何使いました?

河野 まず治療費、多分、保険適用で100万、200万かかってると思うんですけど、高額療養費制度で実際に払ったのは64万円ぐらいなんです。

河野 ただ、私が勤めてる会社の、健康保険の付加給付っていうのがあって、どんなに治療費がかかっても月2万円しか払わなくていいよっていう制度があるんで。

岸田 すご。めっちゃいいじゃないですか。

河野 それで4カ月なんで、2掛ける4の8万円ですね。治療費は。

岸田 それは河野さんの会社だからこそみたいな?

河野 そうですね。でも割と、同じような制度入れてるところって聞きます。他の製薬会社さんでもあるよっていうの聞きますし。

岸田 すごい、手厚。

河野 あとは途中、休職するじゃないですか。そうすると傷病手当金っての一般的には3分の2なんですけど、それにプラスアルファ付加給付っていうことで約9割まで。

岸田 すっげえ。

河野 なので、お金はそんな負担にはならなかったです。がん保険とか入ってなかったんですけど。

岸田 そら入らんでも全然、大丈夫なやつやわ。やべえ。

河野 賞与が休んだ分だけ減りますけれど。

岸田 ボーナスってことですよね。

河野 そう。ボーナスは減りますけれど、でも毎月のお給料はほぼ変わらないですし。

岸田 すげえな。

河野 これは先人の人たちが、会社と労働組合の人たちが作り上げてきた制度だと思うんです。

岸田 さっき、60何万ってなった話は、再発した2回のお金? じゃなくて?

河野 再発したときのお金が、支払ったのが64万で。高額療養費制度活用で。

岸田 じゃあ1回目のときは? それ入れたら。

河野 1回目のときは、手術入れて90万ぐらいですかね。でも払ったのは2万です。1回目は。手術のときは治療が1カ月以内で済んだんで2万円です。トータル10万円ですかね。

岸田 すげえ。その1カ月は傷病手当金もらった? もらわずに?

河野 そのときは欠勤とかしなかったんで。

岸田 そうなんですね。

河野 積立有給休暇って、有給休暇使い切れなかったやつを病気のときに使えるっていう休暇制度があるんで。

岸田 それは手厚いな、すげえな。

河野 そうですね。割とすごく助かりました。

【工夫したこと】

岸田 ありがとうございます。そして、そんな中で工夫したことについてお伺いしていきたいということ、思っています。工夫したことはということで、こちらの写真をご覧ください。ドドン。これは何の写真たちでしょうか。

河野 入院中のプチ工夫で、左がお薬を入れるボックスです。

岸田 朝、昼とか。

河野 看護師さんが朝、お薬入れて、飲んだら飲み終わったシートをこの中に入れるわけです。

岸田 この中ってどこ?

河野 この箱の中に。

岸田 箱の中、この中に入れるんや。

河野 そう。そうすると看護師さんがお薬飲みましたよねって言うんで、シートを取ろうとしても結構、深いんで取りづらいんです。

岸田 こういうことね、はい。深いから下に・・・。

河野 下に模式図が描いてありますけど。

岸田 なんかイメージできます。

河野 見てると、看護師さんがすごく取りづらそうにしてて。お忙しい中、時間の無駄っていうか負担になるじゃないですか、看護師さんの。

河野 なんで、簡単な紙で折り曲げて、飲んだらこのレの字のような紙のところに、飲んだ後のシート置いとけば、引き上げるだけで看護師さんぱっと取れるじゃないですか。

岸田 これが紙なのね。

河野 そう。下がレの字になってるんです。

岸田 レの字なってんねや。

河野 飲みましたって書いてありますけど、飲んだら飲みましたっていうほうを手前にして。

河野 そうすると看護師さんは、僕がベッドからいなくなっても、飲んだかどうかすぐ分かるし。すぐシート、ぱっと引き出せるんで、看護師さんの負担軽減になるかなと思って。

岸田 すごい意識高い系患者ですね。すごい。

河野 いやいや。ただ単に看護師さんを観察してて、患者として少しでも何かできることないかなと思って。

岸田 いい意味で観察してることになります。本当、それは。

河野 右のほうが、本当はいつも看護師さんには感謝の言葉は伝えてたんですけど、これ『一晩お世話になりました。ありがとうございました。お疲れさまでした。こうの』って書いてありますけれど、夜勤の看護師さんが日勤の看護師さんに代わるときに、ちょうどその時間って僕、お散歩でベッド外してるときあるんです。

河野 そうするとお礼を言わずに交代されるときがあるんで、これを一筆書いてベッドの上に置いておくと。

岸田 すごい。

河野 看護師さんの中にはこれに対してお返事をわざわざ書いて、これクリップで挟むんですけど、お返事を書いてくださる方もいらっしゃいました。

岸田 それいいですね。なんか新しいコミュニケーションが生まれそうですね。

河野 やっぱり夜勤の看護師さんにもいろいろ本当、お世話になったんです。それを毎朝、お礼を言いたかったんだけれど、僕も散歩行ったりベッドから離れる時間が結構あったんで。

河野 言いそびれると申しわけないないなと思って。

岸田 あれですよね、クリップを取ってこの裏側に電話番号が書いてあるとか・・・。

河野 そう。実はそうなんですけど。あとはお散歩中ですとかいろんな、お手洗いとか、行き先表示を書いておけば捜さなくて済むじゃないですか。これも看護師さんの負担軽減になるかなと思って。

岸田 いいっすね。これ小児病棟だったら分かんないですけど、捜さないでくださいとかもいるんでしょうね、多分。

河野 やっぱり看護師さん、ドクターもそうですけど、それ以上に看護師さんって大変ですよね。

岸田 大変。本当に大変。

河野 本当に。そういう中で、少しでも患者として工夫できるところがあればっていうところで。

岸田 すげえな。患者の鏡みたいな。

河野 いや。でも結果的にそれが、患者と医療従事者との良好なコミュニケーションにもつながって、結果的に自分にとって気持ちのいい入院生活が送れるんです。やっぱり抗がん剤治療で結構、入院期間、長いじゃないですか。

岸田 長い。

河野 2週間ずっと入院してって。いろんな看護師さんにお世話になるんで、やっぱりいい人間関係を保つっていうのが、いい入院生活を送る上では大切かなと思って。

岸田 ちょっとまとめをさせていただければと思います。闘病まとめ。治療期間、2016年の1カ月と2018年から2019年の約3カ月、4カ月といったところで。50歳のときと53歳のとき。手術は精巣の摘出手術と化学療法を二つ、EP療法をされていた。経過は再発を1回経験されて、今は経過観察中ですけれど、化学療法のときの副作用で食欲不振だったりパニック発作、耳鳴り。耳鳴りもしてるんですか?

河野 そうです。今でもそうですね、ずっとツーンってしてます。

岸田 そっか。普段のお仕事とかには影響ない?

河野 影響はないですね。

岸田 それだったらよかったです。しびれも、さっき言ったしびれもあるということですね。利用した制度とかは、高額療養費制度とか健康保険補助、これは会社の補助のやつってことですよね。傷病手当金などを使って、なお、保険などに入ってなくても大丈夫だったという。ありがとうございます。

【学んだこと】

岸田 そんな河野さんの学んだことについてです。どんなことをがんの経験をとおして学んだのかというのをお伺いしたいと思います。河野さんの学んだこと、こちらになります。『人は、人によって支えられ自分らしさ・自分の力を取り戻し自立できる自分の人生を展開できる』ということ、いただいていますけれど。こちらどういうことでしょうか。

河野 当然、人って自分の力だけで生きてるわけじゃなしに、周りの人の支えがあって今があると思うんです。でも元気なときってなかなかそれに気付かないじゃないですか。

河野 それを病気をしたことによって改めて気付いたんですけれど。その一例としてお茶を飲んでる写真を載っけたんですが、これ、抗がん剤治療を明日から受けるために入院するんで、きょうが最終出社日ですよっていうときに、これ私のオフィスのデスクなんですけど、同僚がお茶をたててくれたんです。

河野 それは戦国武将が好んでお茶をたてたそうなんです。いつ自分が死ぬかもしれないっていう中で戦に出てって、戦に勝って元気に生きて戻って来られるようにっていうことでお茶をたてたそうなんです。

岸田 そういうことなんですか。

河野 らしいです。なんで、千利休とか重宝されたらしいんです。私の同僚で茶道部の、お茶をたしなんでる社員がいて、その方が私の抗がん剤治療がうまくいってまた元気に今の職場に戻って来られるようにっていうことで、その戦国時代の当時のお茶をたてるっていうのに掛けて、わざわざこれ業務時間中なんですけど、お茶を・・・。

岸田 業務時間中に?

河野 そう。周りみんないるんですよ、みんながいる前でお茶をたててくれたんです。それがすごくうれしくて、そういう人たちに囲まれて、自分はいるんだなと。これがすごく励みになりました。

岸田 また戻ってくるんだと。

河野 そう。

岸田 すごい、いい同僚の方をお持ちで。

河野 これはほんの一例で、当然、支えてもらえるのは家族であったり、さっき話に出たマギーズ東京の方だったり同じがんサバイバーの方だったり、いろんなかたがたいらっしゃると思うんですけれど。

河野 そういう人たちがあって、今の自分があるんだなって改めて気付きました。

岸田 みんなに支えられてるっていうことですよね、本当。『人は、人によって支えられ自分らしさ・自分の力を取り戻し、自立できる自分の人生を展開できる』というお言葉をいただきました。どうもありがとうございます。河野さん、本当にきょう、いろいろ話してくださってありがとうございます。

河野 とんでもないです。

岸田 では、きょうの『がんノートmini』以上になります。どうもありがとうございました。

河野 ありがとうございます。

岸田 バイバーイ。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談