【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:阿蘇

【目次】

00:00 オープニングトーク
00:20 自己紹介
01:40 闘病ストーリー
16:10 大変だったこと
18:09 副作用
20:20 治療費
24:40 工夫したこと
25:53 闘病まとめ
27:00 学んだこと

【治療】

岸田 それでは、がんノートminiスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは阿蘇敏之さんです。よろしくお願いします。

岸田 阿蘇敏之さんは製造業にお勤めの方でCADとかCAMとか、機器だったりとかPCを使ったオペレーターをされています。

岸田 がんの種類は精巣腫瘍、腹膜の胚細胞腫瘍に罹患されています。ステージは2bから3、告知年齢が20歳と43歳のときだそうです。

岸田 現在の年齢は48歳、手術と化学療法を受けられていらっしゃいます。阿蘇さんは、今サロンもされていらっしゃるということで。ちょっとだけ自己紹介も含めて、お願いできますか。

阿蘇 そうですね。僕はがんサロン、おしゃべリバティーという、要は交流会をメインにしている、がんサロンですね。これを神奈川県の相模原市のほうで開催させていただいています。

岸田 阿蘇さんの闘病歴、簡単にではあるんですけども、振り返っていただけますでしょうか。

阿蘇 僕は1992年の10月、ちょうど20歳のときに右精巣を摘出しました。精巣腫瘍ですね。その後、2015年の8月に、転移再発しまして、これが後腹膜、胚細胞腫瘍ということで化学療法をしました。

阿蘇 今度、年をまたいでリンパ節郭清術をやりました。それから去年、開腹手術で合併症、腹壁瘢痕ヘルニアという合併症を患いまして、手術しました。

岸田 20歳のころに、精巣が腫れて大学付属病院へ行くと、すぐ手術することになったようですが、精巣の腫れってどれぐらい腫れたんですか?

阿蘇 僕の気持ち的にはソフトボールぐらいに腫れ上がってましたね。

岸田 こぶし大?

阿蘇 こぶし大ですね。本当にそれぐらい腫れてて、気になってしょうがなかったですけど。恥ずかしくて誰にも言えなかったりとかしてました。

岸田 そうですよね。病院行くのも恥ずかしいですよね。それぐらい腫れたから大学付属病院に行って、そしたらすぐ手術と、いうことだったんですね。そのときはもう、精巣腫瘍だろうという見立てで。

阿蘇 そうですね。精巣腫瘍。まだその告知義務がなかったので、そのへんの悪性か腫瘍かっていうのは分からない段階ではあったんですけど。なので、取ってもらったっていう感じですかね、すぐね。

岸田 じゃあ告知されてないんですね。

阿蘇 そうですね。一応その悪性腫瘍だったとか良性腫瘍なのかなとか、そういう腫瘍に関しての説明はあるんですけど、結果、悪性腫瘍だよっていう直接的な告知はなかったような気はしますね、僕の記憶の中では。

岸田 摘出手術をして、そして入院、結婚、入院って書いて、めっちゃ気になるんですけど、これ、どういうことですかこれ。

阿蘇 これは、92年の10月には病院に行くわけなんですけれども、11月の8日に結婚式があるっていう予定だったんですね。

阿蘇 そのちょっと前に精巣腫瘍が分かって、前から腫れてはいたんですけど、本当にさっきの恥ずかしくてなかなか行けなくて、結婚前にやっぱり行かなきゃっていうことで、行ったら精巣腫瘍ということで。

阿蘇 結婚式を1週間後に控えていましたので、医師には1週間後、10日後ぐらいに結婚式があるからっていうのは伝えました。

阿蘇 医師からはその日には仮退院できるように進めるからということで、結婚式を無事やりましたね、手術から10日後ぐらいに。

岸田 バージンロード歩くの、痛くなかったですか。

阿蘇 なんか昔のその結婚式の写真見ると、顔色が青っちろいな、とかは分かるんですけど。

阿蘇 ただまあ、精巣腫瘍って僕が病気だったっていうことを、参加者さんにはあまり伝えてなかったので、身内にも親戚とかにも。お酒が飲めなかったので、新郎新婦がいるひな壇の前にはバケツを用意してもらって、お酌とかしにきてもらっても、一口付けて捨てる、一口付けて捨てる、みたいなことはやってました。

岸田 大変な結婚式でしたね、それはね。それから23年後ですよね。

阿蘇 そうですね、23年後。

岸田 次、43歳で後腹膜に再発転移って書いてますけど、これどうやって分かったんですか。

阿蘇 これは、おなかと背中がもう痛くて、症状がもう出てきてしまってたんですね。

阿蘇 それまでは気付かなかったんですけど、徐々に出てきて鎮痛剤とか痛み止めを、市販のを飲んでたんですけど、だんだんそれが効かなくなってきて、薬の量も増えるし、これはまずいぞと思って。

阿蘇 うちの家内のほうが病院行ったほうがいいんじゃないの、尿路結石とかだったら、本当に痛いんだよとかって言われて。僕、病院嫌いなんですけど、そう言われたら行かなきゃなと思って、内科に始め行きました。

阿蘇 そこで血液検査と超音波をやったんですが、超音波でかなりおっきい物があるから外科に移ってくれって。外科に回ったときに悪いものがあるよっていうことで、分かりましたね。

岸田 もうそんときは告知してもらったって感じですか。がんっていうのは。

阿蘇 そうですね。告知はしてもらったんですけど、前にも、20歳のときに精巣腫瘍っていうものがあって、それが悪性なのか良性なのか、その時点では僕もまだ分かってなかったので、分からないけれどもそういうことがあったんですよって言ったら、それはもう20年以上前だから関係なく、一応、後腹膜腫瘍っていうもので、外科的な手術をするからっていうことは言われてましたね。

阿蘇 だから胚細胞腫瘍っていう昔のがんと関わりがあるっていうのは、その時点ではまだ気付いてなかったっていうことですかね。

岸田 てことは、後でも聞きたいんですけど、関係が今後見えてくるって感じですかね。阿蘇さんが再発転移して全7クールの療法、ブレオマイシン、シスプラチン、エトポシド、パクリタキセル、イホスファミド、ネダプラチンっていうBEP療法4クール、EP療法1クール、TIN療法2クール。7クール、これどれぐらいの期間ですか。

阿蘇 それは、8月に分かって、9月から抗がん剤治療、始まるんですけれども、9月から4月の頭、3月終わりぐらいまでやってましたね。

岸田 入院しながらずっと。

阿蘇 そうですね。入院と1週間の仮退院をしながら。だからほぼ入院ですよね。

岸田 ですよね。ちょっとこれも、いろいろ大変だったと思うので、後でまた聞きたいと思います。抗がん剤終わってからですかね、後腹膜リンパ節郭清をしたのは。

阿蘇 そうですね。抗がん剤の治療が終わって、約1カ月間かけて体力を戻そうっていうことで、休養期間がありまして、そこから開腹手術の後腹膜リンパ節郭清術をやりましたね。

岸田 おなかのとこのリンパのやつだと思うんですけど、1週間ほどで退院。病院から出たくて仕方がなかったってどういうことですかこれ。

阿蘇 抗がん剤があまりにもつらくて、仮退院はあって、外の空気もたまには吸えてたんですけど、もう本当に家に帰りたかったっていう。単純にもう、本当に家に帰りたかった。それで結構、術後の歩行訓練とかは、めっちゃ頑張りましたね。気合入れて。

岸田 気合入れて。まあそれぐらいなりますよね、本当ね。その後、約3年後、開腹手術。腹壁瘢痕ヘルニアって初めて聞くんですけど、どんなやつなんですか。

阿蘇 そうですね、腹壁瘢痕ヘルニアっていうのは、僕がたまたま開腹手術をしてて、なんかあったらどうしようと思って、なかなか腹筋とかやらなかったんですけど、ちょっとやってみたんですよ、腹筋を。

阿蘇 そしたら、みぞおちの下らへんが、力を入れるとポコって動くんですよ。なんか皮があって、ポコッとかって出るみたいな、戻すとまたへこむみたいな。

阿蘇 おなかの中にエイリアンいるよ、みたいな感じになって、これやばいと思って。

阿蘇 でも痛みはないんですよ、痛みはないんですけど、なんかボコボコ動くと思って、これもなんか不安だなと思って、主治医に相談しました。そしたらやっぱり腸が出入りしてるっていう。

岸田 出入りしている。それが、腸がおなかにぼっこって腹筋を割って出ちゃうってことですよね。

阿蘇 そうですね、要は皮という膜の下で動いてるっていう感じですかね、筋肉を突き破って。筋肉が5センチくらい、手術で切ってるところの周りの腹筋が5センチくらい離れてるっていう。

岸田 ぱっかんってなってるわけですね。

阿蘇 もう本当に、ぱっかんって。この幅が5センチぐらい離れてて、放っといたら広がってくだけだよって言われました。

阿蘇 今すぐにはやらなくても、7センチとかになれば、他の3層になってる腹筋を切って、寄せて、また縫うとか、その間にメッシュを入れるとか、ていう話があったんですけど。ちょっと聞いてるだけで怖いじゃないですか。

岸田 怖い。

阿蘇 なので、若いうちにというか、体力があるうちに治療してしまえ、ということで、去年の8月に5センチ開いてる筋肉を切って、寄せて、その間にメッシュを入れる、という手術をやりました。

岸田 その手術をして、今はもう大丈夫なんですか。

阿蘇 そうですね。今は大丈夫で、合併症の腹壁瘢痕ヘルニアと精巣腫瘍、後腹膜胚細胞腫瘍の経過観察、両方とも経過観察があるので、両方とも経過観察をやりながら、日常を送ってるって感じですね。

岸田 ちなみに、このときは精巣腫瘍とまた別で後腹膜は胚細胞腫瘍っていう話で、当時は分からなかったみたいなことですけど、結局、何か関わりあったんですか、精巣腫瘍との関わりみたいなのは。

阿蘇 2015年の43歳のときに、腹痛と腰痛で後腹膜腫瘍だよって言われたのですが、そこでは手術ができなくて、また違う病院を紹介されて行きました。

阿蘇 紹介された病院の先生が、もしかしたら20歳のときの精巣腫瘍が関わってるんじゃないか、ということで、もしその精巣腫瘍だったら抗がん剤が効くということで。

阿蘇 抗がん剤も選択肢にあるんではないかっていうことを助言してくれた他の先生がいたらしくて、他にも周りに。

阿蘇 なので、後腹膜腫瘍のまま手術をするか、抗がん剤のほうの治療にいくかって選択がありますよってこと言われましたね。

岸田 それで、まずは抗がん剤治療受けようっていうことを阿蘇さんは決めたんですね。

阿蘇 そうですね、抗がん剤治療。もう本当に単純な抗がん剤。僕も本当にそういうの昔は分からなかったので、抗がん剤治療のほうが楽なんじゃないかなとか。

阿蘇 そう思ったのは、後腹膜腫瘍で手術をした場合、12時間かかって、中を開けてみないと分かんなくて、他の十二指腸とか、いろんな臓器にもあったら、関わってたら、それを切って取っていくしかない。

阿蘇 もし取り切れなかったらふさぎますよって言われてて。そういう説明を聞いてたら、抗がん剤のほうが、もしかしたら楽なのかな、とかって思って、で、僕は抗がん剤を選びましたね。

岸田 そういったことがあったんですね。助言してくれた先生に感謝ですね、本当ね。

阿蘇 今、思うと本当そうですね。

【大変だったこと】

岸田 阿蘇さん、闘病中いろんな大変だったことがあったと思うんですけれども、何が大変でした?

阿蘇 大変だったのは、やっぱり抗がん剤。泌尿器科の後腹膜胚細胞生検をやって、細胞を採って、それが後腹膜胚細胞腫瘍だよって実際に分かってからですね。

阿蘇 いざ抗がん剤をやりましょうってなったときに、その抗がん剤を受けるじゃないですか。そうすると血液の数値とか、どんどん下がってくわけですね、採血とかすると。

阿蘇 僕、抗がん剤だけをやればいいのかな、と思ってたのですが、そうではなくて、抗がん剤で血液の数値を下がってきたら、今度それを上げるための薬とか。

阿蘇 今度、肝臓がやられたら肝臓をまた正常な値に戻す薬とか。吐き気もあるんで吐き気止めの薬とか。

阿蘇 なんか抗がん剤をやるために、たくさんの薬を服用しないといけないっていうのが大変でしたね。

岸田 その大変だったのは、いろんな、この次の話もありますけど、副作用っていったところも含めて大変だったってことですか

阿蘇 そうですね。副作用も抑えないといけないしっていう、それを抑えるための薬だったりとか、要は全身、髪の毛とかもあらゆる毛が抜けるわけですけど、それ以外の副作用的なのを抑える薬だったりとか、そういう薬をやるのは大変でしたね。

岸田 これ印象に残ってるなとか、苦しかったなとか、何でもいいんですけど、その副作用って何かありますか。

阿蘇 やっぱり倦怠感。一番初めに出たのは全身脱毛とか、血液の好中球が減少して、大部屋だったのが個室に移らざるをえなかったりしました。

阿蘇 倦怠感とか、常にイライラとかしてしまったりとか、あと末梢神経障害とか。

岸田 どんな感じなんですか。

阿蘇 靴の中が常に砂利が入ってる感じだったりとか、ひどいときは、足つぼマッサージみたいな、ちっちゃい小石とかがセメントでくっついてるような場所があったりするじゃないですか、あれを常に歩いてるような感じだったりとか。

岸田 痛い。

阿蘇 なので、車も運転はしてたんですけど、オートマチックで、信号待ちでブレーキを踏んでるんですけど、自分では踏んでるつもりでも、徐々に足が離れていったりとか。だから知らない間に前に進んでたりとか。

岸田 怖い。それって治るんですか。

阿蘇 末梢神経障害に関しては今もあります。車に関しては、だんだんは良くなってきているので、ちゃんとしっかり踏めてるとは自分では思ってるんですけど。

岸田 いや、事故ってなければ大丈夫だと思います。

阿蘇 あとはもう、末梢神経障害では、パソコン仕事なので、マウス、チクッてやって反応するようにしたりとかはしてますけどね。

岸田 うまく付き合っていくっていう感じですよね、本当ね。

阿蘇 そうですね、これは。

【治療費】

岸田 阿蘇さん、2回、大きながんになられている、ということだと、治療費とかはどうしましたかっていうのも、保険とか入ってました?

阿蘇 保険は入っていましたね。

岸田 どんな保険に入ってました? 医療保険とか?

阿蘇 がん保険ですね。某アフラックの、がん保険。

岸田 某が意味なくなってる。

阿蘇 そう、アフラックのがん保険に入ってました。

岸田 それで治療費は足りました?

阿蘇 治療費は一応保険からというのもあったんですけど、やっぱり日本の制度的な高額療養費制度というものを使いながら、治療はしてましたね。

岸田 そういうの使って、あと保険とかで賄えたって感じですかね。

阿蘇 そうですね。賄えました。そのへんで賄えました。

岸田 20歳でもう保険入ってたんですか。

阿蘇 20歳のときは、保険入ってたんですよ。

岸田 すご。

阿蘇 そのアフラックの、今アフラックっていう名前ですけど、そのアメリカンなんとかっていう。

岸田 アメリカンファミリーのときですね。

阿蘇 はい。そのときに、うちの母親の知り合いの関係で、もう既に僕も入ってたんです。ただ僕が入ってたっていうのは、そのとき知らなかったんです。そのときは保険使ってないんですよ。

岸田 どういうこと?

阿蘇 20歳のときは。これ僕ごとなんですけど、僕が知らなかったので、その保険に入ってるっていうことを。

阿蘇 親も僕がそれを使うのかなと思ったみたいです。親がそのときは、僕もまだ20歳で、そういうなんかよく分からなかったので、親が治療費を出してくれたりしました。

阿蘇 僕全然お金なかったので。親が保険入ってるので使えばいいのに、なぜか使ってなかったんです。

阿蘇 その後いろいろ切り替えで、結婚したわけで名義も変えたりとか、いろいろ契約内容、見直したりしました。今回はしっかり保険を使ったんですけど。

岸田 当時は、阿蘇さん自身も入ってることは知らなかったし、親御さんは親御さんで、阿蘇さんが分かってると思って。

阿蘇 で、多分言わなかったんだと思うんですけど、僕は分かってないから、知らなかったんですけど。

岸田 親御さんは、じゃあ知ってたわけね、入ってるのをね。

阿蘇 それは親は、そういうがん保険に入ってるっていうのは知ってたんですけど、多分そのへんの、さっきの話にさかのぼりますけど、良性か悪性なのか分からないっていう段階で、親も告知を受けてないから、それが使えるのかどうかっていうのを聞かなかったりとか、そのへんでなんかいろいろ。

阿蘇 親は入ってはいたけど使わなくていいかっていう判断に至ったんだと思いますね。

岸田 入ってるけど使わなくていいかっていう。

阿蘇 なので、20歳のとき、仮で出してもらったわけなんですけど、今回は悪性だっていうの、ちゃんと分かったので、保険会社のアフラックさん。アフラックさんもそれを言ったら、20歳のときに入ってて、20歳のときなったんですよ、みたいなこと話したら、さかのぼって申請されますかとかって言ってくれたんですけど。

岸田 すごい。

阿蘇 すごいですよね。言ってくれてて。

岸田 さかのぼれた?

阿蘇 今回のでいいですって。なんか悪いな、申し訳ないなと思ってて。

岸田 奥ゆかしき日本人ですね、本当ね。

阿蘇 はい、もう典型的な日本人です。

【工夫したこと】

岸田 工夫したこと。写真もいただいてるので、それをお見せしてもいいですかね。

阿蘇 これは抗がん剤治療中の仮退院が1週間、全部で7クールやってる間に1周間、仮退院があるんですけれども、そのときに、僕、紅葉が好きで、うちから車で1時間ぐらいで高尾山に着けるんですけど、娘に運転してもらって行きましたね。

阿蘇 そのときの写真がこれです。工夫っていうのは要は気持ちが落ちてるときに、家に帰ったときぐらい、気を晴らしたいので、出掛ける。それを心がけてましたね。

岸田 出掛けてね。本当もう完全武装みたいな感じですね。

阿蘇 帽子もニット帽深くかぶって、おっきいマスクしてみたいなね。

岸田 こういう外、出てっていうの大事ですよね、本当。

阿蘇 そうですね。

岸田 闘病歴まとめ、なんですけれども。治療期間としては1992年の10月と、2015年の8月から2016年の4月、2回ですね。

岸田 20歳のときと43歳から44歳のとき。手術はこれらの3種類の手術と、あと化学療法も1、2、3、4、5、6種類の化学療法、種類的にはBEP療法とEP療法とTIN療法をおこなっていたと。

岸田 経過としては再発1回。そして今は経過観察中ということになります。合併症、後遺症としては腹壁瘢痕ヘルニアと、あと末梢神経障害が、今も残っているということで。

岸田 保険としてはアフラックさんの保険に加入されていた、ということであったということですね。

【がんから学んだこと】

岸田 阿蘇さんの、がんの経験から学んだこと、こちらの言葉をいただいております。阿蘇さんお願いします。

阿蘇 はい。今を楽しむということですね。

阿蘇 これはもう本当に、病気、がんというものを経験して、一時期長い期間が空いてからの転移再発なんですけれども、その間を楽しまなかったわけではないんですけれども、楽しいことがなかったわけではないんですけれども、また転移再発して、本当に死んでしまうのかな、とかって思ったときに、なんかまだやり残したことがある、ではないけど、なんかもっと楽しいことがあっても良かったんじゃないかな、とかっていろいろ考えてるときに、先延ばしにせずに、今を、一日一日を楽しんでもらいたいなと思いますね。

岸田 先延ばしせずにね。ついつい日常生活に戻ったら先延ばしがちになっちゃいますからね、人ってね。

阿蘇 そうですね。

岸田 阿蘇さんは今も先延ばしをしないと。NO先延ばし人間。

阿蘇 もう宣言します。先延ばししません。いろいろこう言われても、気にせずに楽しみたいと思います。

岸田 すごい。見習います。ありがとうございます。阿蘇さん、きょうは本当に、お時間いただきまして、ありがとうございました。がんノートmini以上となります。どうもありがとうございました。

阿蘇 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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