インタビュアー:岸田 / ゲスト:志村
【宣告】
【発覚・告知】
岸田 発覚から告知までについてお聞かせください。
志村 2012年の春、私は大学院生でした。毎年春に大学で健康診断があり、それを受けました。後日、保健センターから電話があり、「伝えたいことがあるので来てください」と言われ、2、3日後に個別に呼び出されました。
岸田 レントゲンを見せられたのですね。
志村 はい。胸部レントゲンの右下に、丸い白い影が写っていました。ちょうどその頃、別の病気で大学病院に通っていましたので、まず内科の主治医に相談しました。すると「胸部外科で診てもらいましょう」となり、CT検査などを行いました。その後、組織検査をすることになりました。
岸田 その時点では、まだはっきりとは分からなかったのですね。
志村 はい。組織検査をしても明確な説明はなく、「よく分からない」という程度でした。ただ、最初のCTから約1カ月後に再度撮影すると、明らかに一回り大きくなっており、成長していました。
診察で「これではないですか」と言われ、自分でも胸にぽこっとした膨らみを感じました。それでも当時は、がんとはまったく思っていませんでした。
岸田 手術はすぐに決まったのですか。
志村 はい。最初に「取りましょう」と言われてから1カ月も経たないうちに手術を受けました。健康診断が5月頃で、検査を重ねて、手術は8月でした。
岸田 手術はどのようなものでしたか。
志村 全身麻酔で行われました。目が覚めた後は非常に痛かったです。事前に胸を切るとは聞いていましたが、具体的な説明はあまりなく、目覚めたときに多くの管が付いていて驚きました。
腫瘍が肋骨に巻き込んでいたため、肋骨を2本部分切除していました。その説明も事前には十分に理解しておらず、呼吸がとても苦しかったです。ひたすら時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。
岸田 麻酔は効いていなかったのですか。
志村 硬膜外麻酔は入っていましたが、効いている実感はほとんどありませんでした。
岸田 退院はどのくらいで。
志村 約1週間でした。
岸田 退院後はどうでしたか。
志村 退院後1カ月ほどは強い痛みが続きました。起き上がる動作、咳やくしゃみ、電車の振動さえも痛みを伴いました。
その間に通院し、ドレーンの抜糸などを行いました。そして退院から1カ月ほど経った頃、病理検査の結果を聞きに行き、そこで脂肪肉腫と告げられました。
大学病院でも非常に珍しい病気だと言われ、「今後もフォローアップを続けましょう」と説明されましたが、そのときは「なぜ自分が」という思いと、「これからどうすればいいのか」という不安で呆然としていました。
岸田 そのとき、その病院でフォローアップを続けるかどうか、どのように判断されたのですか。
【治療】
【恋愛・結婚】
岸田 次は、恋愛・結婚について伺います。志村さんのこれまでの恋愛について教えてください。
志村 最初に病気が分かった当時は彼女はいませんでした。再発のときも、特にパートナーはいませんでした。ただ、実は去年、彼女ができまして、今はお付き合いしています。
岸田 ご自身ががんだったことは、どのタイミングで伝えたのですか。
志村 出会って2、3回目に会ったときですね。これは早めに言っておかないといけないなと思いました。それで、もしそれが理由で付き合えないと言われたら、それはそれで仕方ないと覚悟していました。
岸田 反応はいかがでしたか。
志村 全く引かれませんでした。最初は少し驚いていて、どうリアクションしていいか戸惑っている様子はありましたが、その後、態度が変わることはありませんでした。むしろ彼女なりに病気のことを調べてくれていたようで、それは本当にありがたかったです。
岸田 がんの既往があることは、お付き合いのハードルにはならなかったということですね。
志村 そうですね。少なくとも僕にはそう感じられませんでした。
岸田 妊孕性(にんようせい)についてはどうですか。抗がん剤治療はされていないですよね。
志村 はい。抗がん剤は受けていませんし、脂肪肉腫が遺伝するという話も聞いたことはありません。なので、今のところ妊孕性に関しては特に問題はないと認識しています。
【学校】
岸田 次は学校について伺います。当時は大学院に在籍されていましたが、論文や休学・復学のタイミングはどうされましたか。
志村 最初の手術後、1カ月くらいは痛みが強くてほとんど動けませんでした。徐々に復帰していった形です。博士課程は研究が中心で授業はほとんどなかったため、正式に休学することはありませんでした。
岸田 教授には伝えましたか。
志村 はい。教授にも研究室のメンバーにも伝えました。ただ、きちんと理解してもらえたかというと、少し微妙でした。
肉腫ががんの一種だということ自体が、十分に伝わっていなかったように感じましたし、「手術したならもう安心なんでしょ?」というような受け止め方をされている場面もありました。
岸田 違うんだけどな、と思いながらも、あまり深くは言わなかった。
志村 そうですね。最初の頃はSNSに長文で気持ちを書き連ねたりもしました。自分の思いを一方的にぶつけるような形でした。でも、だんだん「これは自分勝手なんじゃないか」「迷惑なんじゃないか」と思うようになって、最終的にはあまり外に出さず、自分の中にしまい込むようになりました。
岸田 書いたとき、周囲の反応はありましたか。
志村 反応してくれた人もいました。特別なリアクションを期待していたわけではないですが、「分かってほしい」という気持ちはありました。今振り返ると、内側にため込むよりは、やはり言葉にして外に出したほうがよかったと思います。
【仕事】
岸田 では次はお仕事について。今はどのようなお仕事をされていますか。
志村 博士課程修了後は、出身大学の研究室でポスドクとして3年間研究を続けていました。今年からは別の大学に移り、助教として勤務しています。
岸田 転職の際、ご自身のがんの経験は伝えましたか。
志村 はい。現在のボスである先生には、面接の段階でお伝えしました。「こういう病気を経験しています」「定期的に検査で病院に通う必要があります」と説明しました。
岸田 反応はいかがでしたか。
志村 「そうなんだ」という感じで、特に問題視されることはありませんでした。検査で時々休むことがある、という点も含めて理解していただけました。

【お金・保険】
岸田 学生だった当時、お金のことはどうされていたんですか。また、保険には入っていましたか。
志村 抗がん剤治療などの長期的な治療は受けていませんでしたし、通院も経過観察が中心だったので、継続的に大きな支出が発生することはありませんでした。一番大きな出費は手術のときですが、それも一時的なものでした。結果として、お金の問題で困ることはほとんどありませんでした。
岸田 保険は入っていましたか。
志村 いいえ、全く入っていませんでした。
【つらかったこと】
岸田 つらかったことについて伺います。肉体的な痛みと精神的なつらさ、どちらが印象に残っていますか。
志村 肉体的に一番つらかったのは、やはり最初の手術後です。痛みが強くて本当に大変でした。ただ、肉体的なものは時間が経てば回復していきます。少なくとも僕の場合はそうでした。
それよりも、精神的なほうがずっとつらかったです。脂肪肉腫と告げられて、「今後どうなるんだろう」「周囲にはどう伝えればいいんだろう」と考えることのほうが、長く尾を引きました。
岸田 そのときはどうしていたんですか。
志村 SNSで発信しました。でも、周囲も反応しづらいテーマだったと思いますし、自分自身もまだ気持ちを整理しきれていませんでした。途中からはあまり発信しなくなり、自分の中にしまい込む時期もありました。
岸田 再発のときはどうでしたか。
志村 再発のときもSNSで伝えました。そのときの反応は、最初のときとは少し違いました。「大変だと思うけど、治ることを信じてるよ」といったコメントをもらったりして。うまく言えないのですが、以前よりも自然に受け止めてもらえた感じがありました。
もしかすると、最初の発信から4年が経って、周囲の中でも時間をかけて理解が進んでいたのかもしれません。
岸田 逆に、傷ついたこともありますか。
志村 あります。「またできても取ればいいんですよね」とか、「もう取ったなら大丈夫なんでしょ」とか、「がんじゃなかったんでしょ?」と言われたこともありました。特に最初のころは、そういった言葉に傷つくことが多かったです。
【後遺症】
岸田 今は後遺症などはありますか。
志村 特にありません。たまに手術した傷のあたりがぴくっと筋肉がけいれんすることはありますが、日常生活に支障はありません。歩くのも問題ないですし、走ったりスポーツをしたりもできます。
岸田 スポーツも?
志村 はい。手術を受けたからといって、できなくなるのは悔しいなと思って。学生の頃から下手なりに始めたサッカーを、体が動くようになってからちゃんと復帰して、今も続けています。
岸田 肋骨を一部切除されたとのことですが、不便さはありませんか。
志村 意識すれば多少突っ張る感じはあります。でも、もう慣れました。普段はほとんど違和感なく生活できています。
【感謝・要望】
岸田 医療従事者の方々への感謝や要望はありますか。
志村 まず、説明はきちんとしてほしい、という思いはあります。患者は、突然“特殊な環境”に置かれるわけです。診察室で「肉腫です」と言われた瞬間、もう途方に暮れてしまうんですよね。
そういうときに、「こういうサポートがありますよ」「こういう相談先がありますよ」と、その場で情報を差し出してもらえると、とても助かると思います。
岸田 再発のときはどうでしたか。
志村 再発と告げられたときは、すぐにメンタルケアの窓口につないでもらいました。それから、若い世代の患者さんの集いの場があることも教えてもらいました。
岸田 メンタルケアも受けられたんですね。
志村 受けました。大まかに言えばカウンセリングです。
病気そのものの状況は、自分では変えられないじゃないですか。検査結果もコントロールできない。でも、それ以外の部分――精神面や生活面のサポートで、どれだけつらさを軽減できるかは、とても大事だと思います。
いろいろな方面から支えてもらえると、それだけでだいぶ救われます。
【キャンサーギフト】
岸田 がんになって得たもの、いわゆる“キャンサーギフト”はありますか。
志村 時間の捉え方が変わったことですね。
それまでは、時間があるのが当たり前だと思っていました。でも、病気を経験してからは、「その時々をちゃんと使おう」「悔いのないように、その瞬間にできることをやっておこう」と思うようになりました。
例えば、患者会のお手伝いをしたり、自分にできそうだと思ったこと、やりたいと感じたことには、できるだけ積極的に関わるようにしています。
やれることは、やれるうちにやっておきたい。そういう気持ちが強くなりました。
【闘病中の人に対して】
志村 「一緒に頑張りましょう」。
シンプルですが、それに尽きると思います。
病気になってから、いろいろ考えました。でも、何か明確な結論が出たわけではありません。今、闘病のどの段階にいるかも人それぞれですし、僕にできるサポートは本当に限られていると思います。
それでも、一緒に頑張って、人生を楽しくやっていけたらいいなと思っています。
僕は「たんぽぽ」という患者会の活動をしています。社会に少しでも貢献できていると感じられることが、自分のメンタルを保つうえでとても大きな支えになっています。
誰かのために、みんなのためにやっていることが、結果的に自分のためにもなっている。患者会の活動を通じてつながりを感じられているからこそ、僕自身が救われています。
岸田 本日は90分、ありがとうございました。
志村 ありがとうございました。
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