インタビュアー:岸田 / ゲスト:鳥井

【発覚・告知】

岸田 今日のゲストは鳥井大吾さんです。

鳥井 よろしくお願いします。

岸田 鳥井大吾さんは、年齢は20代で、希少ながんの経験者です。自己紹介をよろしくお願いします。

鳥井 はい、鳥井大吾と申します。がん種は左下腿軟部腫瘍というものになりまして、左のふくらはぎに腫瘍ができてしまいました。ステージは2でした。闘病期間はちょうど2年前、2014年の7月から9月まで、だいたい2か月間ぐらいでした。

岸田 大吾くんが告知されるまでのところをざっと振り返っていただければと思います。

鳥井 2011年の11月ごろ、大学3年生ぐらいのとき、就活が始まるか始まらないかぐらいだったんですけど、なんか左足のふくらはぎに若干違和感があるな、というのを感じたのを覚えてます。特に痛みとかはなくて、ほんとなんか少し張ってるなぐらいの疲れだったんですね。なので、そのまま放置してました。それから3か月間ぐらいして、翌年の3月ぐらいに、右足と左足のふくらはぎの大きさを比べてみたときに、左足が若干膨らんでるかなっていうのが、目に見えてわかったんですね。ただそのときも特に痛みっていうのはなかったので、そのまま放置しようかなというふうに思っていたんですね。ちょうど就活で、その次の年には就職して働くことになってたので。そしたら母に、「学生で時間のあるうちに診てもらったら」と言われて、病院に行きました。地元の整形外科に行って、一通りレントゲンとか撮ったりしてみたんですけど、異常なしでした。ただここだとわからないから別の病院に行ってくださいっていうことで、大きな病院への紹介状を書いてもらいました。その病院でも同じような検査をして、結局腫れてるのはわかるけど、「異常なし、変なところは見当たらないです」って言われました。

岸田 違和感を覚えた時点で、不自由は感じなかった?

鳥井 不自由は特になかったですね。ただ、走ると疲れるときってあるじゃないですか。あんなのが左足だけあったみたいな。

岸田 走ると左足だけ疲れるみたいな?

鳥井 そう、そんな感じです。

岸田 お母様に言われて病院に行ったっていうことなんですけれども。このときはがんっていうことは全然思わなかったんですよね?

鳥井 全然思わなかったですね。この1年後にがんを告知されるんですけど。

岸田 2014年5月でしたか?

鳥井 はい。父が健康診断のために地元のクリニックに行くということで、「おまえも一緒に行って診てもらえよ」って言われて、そこで改めて病院行ったんですね。ただそれまでの2年ちょっとの間、 特に痛みとかっていうのはなくて、体調不良とか、そういったのも全くなくて。ただふくらはぎは、その2年前に比べて若干大きくなってるかなっていう感覚はあったんですね。特にそのときも、あんまり大ごとに考えてなかったというか、とりあえず言われたから行ってみよう、みたいなけっこう軽い気持ちでした。

岸田 それで病院に行ってみたら、ふくらはぎに腫瘍が……。

鳥井 そうだったんですよね。そこで初めてエコーで、左足のふくらはぎを見たんです。

岸田 それまでエコーはしてなかったんですか?

鳥井 そうなんです。

岸田 そこで初めてエコー取りまして。

鳥井 エコーを取って、「何かある」って言われて、小さいクリニックだったので紹介状を書いてもらって、他の病院を紹介してもらいました。その病院でもけっこう似たような検査をして。ただ、そこの病院では専門に扱ってないと言われてまた別の病院の紹介状を書かれて、その4日後か5日後ぐらいに、予約をして行ったという感じですね。その病院の初回の診断のときに「左足のふくらはぎには悪性の腫瘍があります」と。つまり、がんですっていうのを言われました。

岸田 軟部腫瘍は、珍しいので専門の医師がいるところでということですね。そして告知を受けて。そっから休職したんですね。

鳥井 はい。告知を受けたとき、びっくりしたのは母親のほうがもうボロボロ泣いちゃったんですね。

岸田 わかります。

鳥井 泣き崩れるみたいな。どっちかっていうと父親がフォローしてるみたいな感じでしたね。

岸田 ショックはショック、ですよね?

鳥井 ショックだったんですけど、告知された瞬間って特に痛くもなかったんで、あんまり実感としてなかったっていうのが正直なところですね。

岸田 「あ、がんなんだ。ふーん」ぐらいの……。

鳥井 ふーんっていうか「ほんとにがんなのかな」みたいな。全然実感なかったっていうのがいちばん大きいですね。

岸田 エコーでドクターは悪性だと分かっていたんでしょうか?

鳥井 大きさ的に分かってたみたいですね。

岸田 あーもう分かってたんですか。僕たちの世代って両親のほうがめちゃくちゃショックを受けますよね。僕も当時は、ほんとに大丈夫っていうことしか言えなかったっすね。

鳥井 しかも、あんまり知識もなかったっていうところがあったんで。

岸田 たしかに。「軟部腫瘍?なにそれ?」みたいな感じよね。

鳥井 ほんとそうなんですよね。全然、 実感が湧かなかったっていうのが、告知を受けた瞬間の僕の気持ちでした。でね、すぐに会社に連絡をして、あとは友達にもそのときにもうバーッとみんなに電話しましたね。

岸田 どう? その友達の反応は?

鳥井 やっぱリアクションに困ってたっていうのが正直なところですね。当時25歳だったんですけど、その歳でがんになる人っていうのはまず周りの友達も経験したことがなかったので、僕が言ったことに対してどう返していいのか分かんないみたいなのが友達のリアクションでしたね。あんまり不用意なことも言いづらいのかなっていう。そういう気持ちもすごくわかるんですよね。

岸田 いやー言いづらい。「俺、がんなんだよねー」って。

鳥井 僕が逆の立場で友達ががんになったら、僕は伝えてほしいなっていうのを ……もしなんかあって、会えなくなるみたいなことを考えると、やっぱり言ってほしいなっていうのはすごい思ったので、僕は電話しましたね。

岸田 全員に電話して、そっから休職し治療に入ったんですね。

鳥井 そうですね、はい。

【治療】

岸田 治療はけっこうすぐに?

鳥井 すぐでしたね。告知を受けたあとに、転移がないかを検査して結果が出るまでの期間が1週間あったんですね。そこがけっこうドキドキしたところかなっていう感じでしたね。2年間ぐらい丸々放置しちゃってたので。

岸田 そうですよね。

鳥井 なので、転移とかがあると、もっとなんか大変な手術、もしくは手術じゃない治療になってくるみたいなことは言われましたね。

岸田 なるほど。で、結果を待って……。

鳥井 それから1週間後に詳しい検査の結果が出て、幸い転移がなくて左足のふくらはぎの手術だけですみますという説明があったんですね。2014年の7月8日に入院することになりました。

岸田 ちょうど2年ほど前。

鳥井 そうです。7月8日に詳しい手術の説明があって、左足のふくらはぎを切り開いて、そこから腫瘍を丸々出しますと。その腫瘍の状況によっては、手術中の判断として左足を切断するかもしれないですっていう。

岸田 マジで? その告知けっこうきつくないですか?

鳥井 それもぶっちゃけ実感なかったので、「ちょっとヤバいな」と思いつつも。

岸田 いやいや、ちょっとだけじゃないでしょ。

鳥井 でも、ほんとにそうなっちゃうのかな? みたいな。信じられなかった、受け入れられてなかったみたいなところがありましたね。

岸田 じゃあ、術中の判断で切断になるかもしれませんと。他に何か言われました?

鳥井 その他に言われたのが、左足の血管がメイン3本ぐらい通ってるらしいんですけど、うち2本を摘出しますっていうふうに言われて。

岸田 えーっ!

鳥井 で、あと左足のすねの後ろにある骨も一緒に摘出します、っていうのを言われたんですね。

岸田 へえー。

鳥井 そっちのほうが大丈夫なのかなって思って。血管とか取っちゃって大丈夫なのかな、みたいなところが。

岸田 ちなみに、抗がん剤治療とかの選択肢は?

鳥井 状況によってはあるかもしれないっていうのは言われたんですけど、結局なかったっていう感じですね。

岸田 そうですか。で、手術に向かいますと。

鳥井 向かいますと。忘れもしない7月9日でした。

岸田 8日に説明を受け、9日。

鳥井 9日の昼の12時に手術開始です、と言われました。

岸田 手術前になにかやってたことってあります?

鳥井 やってたこと……手術のときって、毛剃らなくちゃいけないじゃないですか。

岸田 自分で剃ったんですか?

鳥井 そう、自分で。

岸田 看護師の人が剃ってくれるんじゃないんですか?

鳥井 僕の場合は自分で。やりながらなんかすごいしみじみとした気持ちになったのを覚えてますね。「なんだよ、もうこれ今日で最後になっちゃうんかな」みたいなぐらいのテンションでしたね。

岸田 何時間ぐらいの手術でした?

鳥井 8時間ぐらいでした。

岸田 けっこう長かったんですね。

鳥井 はい。

岸田 腫瘍って、どのぐらい? けっこう大きかったんですか?

鳥井 けっこう大きくて、取り出した腫瘍自体はたぶん、15センチとか。

岸田 え、めっちゃデカい!

鳥井 腫瘍とその周りの筋肉も。

岸田 筋肉も取ったから。

鳥井 くいっと取り出した、みたいな。

岸田 痛かった?

鳥井 終わって麻酔から覚めた瞬間から激痛でしたね。もうずっと、痛い痛いってうめいてました……。

岸田 うめいてた……。

鳥井 すごい覚えてますね。

岸田 痛み止めは?

鳥井 全身麻酔終わったあとって飲み物を飲んじゃいけないみたいな感じなことを言われて。胃がちゃんと動いてないからと。なので痛み止めも飲むことができず、麻酔切れた瞬間、ずっともだえてたっていう……。手術がだいたい夜の7時8時ぐらいに終わったんですけど、そっからもう深夜3時ぐらいまで痛くてずっとうめいてたって感じですね。

岸田 痛いですよねー。

鳥井 ここがいちばんつらかったですね。

岸田 ありがとうございます。そのあとどれぐらい入院しました?

鳥井 入院してたのは、 20日間はいかないぐらいですね、たぶん。 16〜17日間ぐらい。

岸田 じゃあ7月下旬に退院を。

鳥井 そうです、はい。

岸田 で、そのあと、追加の抗がん剤とかもなにもなく……。

鳥井 はい。

岸田 一応取り切ったっていう説明だったんですよね。

鳥井 そうですね、はい。ただ歩けなかったので、そっから自宅療養期間があって、8月の下旬からちょっと歩けるようになったので、とりあえず体力を戻さないとなってジムに行きはじめました。

【家族】

岸田 ご家族からのサポートはいかがでしたか?

鳥井 母はけっこう毎日お見舞いに来てくれて。貧血がちだったのでレバーなんかを持ってきてくれたりとか。

岸田 へえー。

鳥井 けっこういろいろやってくれたなっていう感じでしたね。

岸田 じゃあ、入院中にレバー食べてたんですか?

鳥井 ちょろっと食べてましたね。まあ、 そもそもあんまり食欲なかったんですけど。

岸田 お母様はメンタル的なところは復活していきましたか?

鳥井 復活していった、というふうに傍から見て思ってたんですけど ……。あとでそのときの母の手帳をもらったのですが。

岸田 ほう。

鳥井 それ見てたら、「うわ、これしんど」と思って。母の気持ちが書いてあって。読んでみると、なんかけっこう気丈に振る舞ってる感じだったんですけど、でもそんなことはなかったんだなっていうのを今になって分かったっていうのはありますね。

岸田 いいお母さん。ちゃんと書いて記録取ってくれてて。そのときの気持ちを振り返れるっていうのはすごく……いいことかなと思います。

鳥井 そうですね。

岸田 お父さんは?

鳥井 まあ心配はしてたけど、そんなに母ほど、感情を表に出す感じはなかったので。

岸田 ご兄弟はいらっしゃる?

鳥井 はい、妹がふたり。

岸田 妹さんとの関係性とかは? 大丈夫でした?

鳥井 ひとつ思ったのは、僕が病気してから家族が若干まとまるようになったかなっていうのはありますね。今まであんまり家族で出かけたりっていうのがなかったんですけど、ちゃんとそれぞれが予定を空けるようになって。

岸田 じゃあ家族の関係もより良好になった、まとまったっていう。

鳥井 はい。

【仕事】

岸田 次に仕事のことですが。

鳥井 当時は社会人2年目で、ようやく仕事も覚えてきたぐらいだったんですね。 けっこう会社自体も若くて、僕が入社したときなんて4人しかいなくて。病気で休むみたいな社員っていうのは、もちろん僕が初めて。

岸田 会社にはどの時点で言ったんですか?

鳥井 告知を受けたその日の夕方ぐらいに言いました。病院に行ってることは、報告してたんですけど、結局がんになって入院することになりましたって言った時は社長もびっくりしてました。ただ保険のこととか、社長にとっては初めて自分の部下がそういうふうになったっていうのもあったと思うので、いろいろ調べてもらって、「書類書いて」と渡してもらったのを覚えてますね。

岸田 復職のときに気を付けたこととかあります?

鳥井 左足の血管を取ったせいで、満足に左足を下ろしておくことができなくなったんですね。それで、仕事が終わったあと全然立ってられないぐらいだったんですけど、9月ぐらいにはある程度は歩けるようにはなってました。だけど、足を下ろしとくとちょっと辛いので、台の上に左足を乗せて、できるだけその足を下ろさないようにして仕事してました。

岸田 今は大丈夫なんですか?

鳥井 はい、大丈夫です。

岸田 それは違う血管がその役割をしてくれるから?

鳥井 そうですね、皮膚の下を走ってる違う血管が、だんだんと身体に適応してくるっていう。それでもう9月からは普通にフルタイムで仕事に復帰しました。

【夢】

鳥井 がんになってもあんまり普通の人と変わらないんだよっていうのを、自分の身をもって体現していきたいなとは思ってます。もうこれは完全に僕自身の偏見なんですけど、がんになったって言われた瞬間に「死ぬんじゃないか」とか、抗がん剤とかの治療を受けてて、けっこう末期というか、がん患者について、ほんとにそういうような勝手なイメージを持っていたんですね。もちろん知識も何もなかったっていうのもありますが。ただ、そうじゃないっていうことも分かったし、治療も入院だけじゃなくて普通に日常生活とか仕事とかしながら治療を続ける方もいるし。治療を受けていると、仕事ができなくなるかっていうと全くそうではないし、今までやりたいと思ったことができなくなるっていうわけでもないんだなっていうのを、僕自身も思ったし。あと、僕の周りの人たちを見ても、がんになった人なんだって思えないぐらいけっこう元気な方って多くて。なので、がんになっても他の人と変わんないんだなっていうのを自分自身の身をもって体現していきたいなっていうのが、僕の夢ですね。がんのイメージをちょっとでも変えていけたらいいんじゃないかなと思ってます。

岸田 おお、大吾くんががんのイメージを変えてくれると。

鳥井 まあ、僕を見てくれる範囲の人であれば、「この人がんだったんだ」みたいなのを「えっ、そうなんだ」って驚いてもらえるように、僕が元気よく働いていればいいのかなと思いますね。

岸田 ほんとにね、「へえ、がんだったんだ」と思うぐらいにバリバリ働いて、バリバリ活躍してるっていう人がいれば。

鳥井 がんと告知されました、がんに罹患しましたっていう人が見ても、「なんかあきらめなくていいんだな」って思ってもらえたらいいんじゃないかなとは思います。

岸田 いい夢ですね、ありがとうございます。

【今、闘病中のあなたへ】

鳥井 「今あるものに目を向ける」というのが僕からのメッセージです。がんを告知された瞬間とか、告知されたあと手術や治療を受けているときに、先が見えなくなるっていうのがあるかなあと思うんですね。たとえば、告知された瞬間に数年先の未来が見えなくなっちゃったりとかっていうのは、けっこうあるのかなとは思うんです。そういう先を見ることも大切なんですけれど、それだけじゃなくて、じゃ今の自分に何ができるのかっていうのを、目線を下げてもらうというか、自分の足元を見てもらうというか。 それをしてもらえたらすごいいいんじゃないかなとは思います。やっぱり僕が今も元気に働けてるっていうのもあるし、 がんの経験を活かして今の仕事もできてるっていうのもあるので、先ばっかり見るのも大切なんですけど、今あるものに目を向けてあげるっていうのも大切なことなんじゃないかなと思います。

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