今回お話していただいたのは婦人科系のがんを経験した2人の女性。
妊孕性といった悩みについてもお聞きしました。
闘病の経験の後、CAN netにて活動中のお二方ががんを振り返って思うこととは。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:斉藤・福良

更新日:2017年12月09日

【治療】

斉藤 もともとは子宮筋腫っていうことで治療していました。一応そのときの治療は終わったんですけど、2カ月後ぐらいに自分でまたおなかになんかしこりみたいなのがあるなって気付いて、そのときの主治医だった先生に電話して、すぐ再受診ってなったんですよね。すぐMRI撮ったら、また同じ元のおっきい腫瘍の大きさに戻ってしまっていたので、じゃあやっぱり手術しようかっていうことになって、手術日を決めました。

手術の担当医に変わったときに、ちょっと大きくなり方が速いので悪性かもしれないから、至急全摘をしましょうって言われて。私的には筋腫だけ取るつもりだったんですけど、子宮も全部取らなきゃいけないのか、それはしょうがないなと思って、手術して、細胞診をしたところ悪性の平滑筋肉腫だっていうことが分かったので、その翌月から抗がん剤を6クール行いました。それで、最初に悪性かもって言われたときに既に肺にも腫瘍飛んでるかもって言われてたんですけど、そちらのほうは平滑筋肉腫とはちょっと別物の腫瘍じゃないかっていうことで、今はそちらのほうの治療をしています。

岸田 このときに病院はどうやって選ばれたんですか。

斉藤 もともとは個人病院で筋腫発見されたんですけど、そのときにちょっと子宮外にもなんか腫瘍あるかもしれないからっていうことで、地元のおっきい病院に行きました。

岸田 分かりました。ありがとうございます。では、ふくちゃん。お願いいたします。

福良 私は子どもが欲しくて不妊治療に通ってたんですけども、そのときに卵巣囊腫があるねっていうふうに言われてたんですよね。で、無事に不妊治療も成功し、娘が生まれました。2009年に。

岸田 おめでとうございます。

福良 ありがとうございます。本当に幸せなときでした。それで娘が1歳になったときに、もう一人欲しいなと思って不妊治療の病院にまた行ったんですけども。そこで、その腫瘍が変わってきてるから、ちゃんと精査をしましょうっていうふうに言われて、違う病院に紹介されて行ったところ、やっぱり悪いものだったということでした。その後に手術をして、抗がん剤治療を3クールしました。その後に手術をしました。そして女性付属器ですね、子宮と卵巣を取る手術をしました。それで今は経過観察中っていうふうになります。

岸田 自分が不妊治療で通ってた所で見つかったというところで、気持ち的にはどうでした?

福良 それが悪性に変わるんだなと思って。娘生まれたばっかりだし、ちょっとショックでしたね。

岸田 だって第2子を授かりたいってときですよね。

福良 そうですね。そんな思いで行ってたんですけど。そのときは、どうしようかなと頭が真っ白になりました。

【家族】

岸田 がんになって、そのご家族にどう伝えたかをお伺いしてもいいですか。

斉藤 私の場合は手術して、入院中に告知があったので、両親を呼んで両親と一緒に告知を受けました。一応、うちの両親が医療従事者っていうこともあって。父は医師で、母が元看護士っていう。なので、ショックだったとは思いますけど、その病気に対しての一応、知識的なところではもともと、ちょっとあったのかなと。そんなに両親がすごい落ち込んでる姿とかは私に見せなかっただけかもしれないけど、あんまり私は見たことなかったですね。

岸田 ご家族に、こういうサポートしてほしかったとか、これはちょっとやってほしくなかったなとか、あれば教えてほしいんですけど。

斉藤 抗がん剤やってたときに、やっぱりちょっと吐き気とか味覚異常とかが出てたので、食事がどんどん取れなくなっていって。そのときに母は心配で食べてほしかったから言ったんだと思うんですけど、吐き気で食べれないから「私、ちょっと食べれない」って言ったら、「吐いてでもいいから食べなさい」って言われて、なんかすごいつらくて。

岸田 工夫とかしてなかったですか。

斉藤 いや、もう私には食べれないからって、きっぱり言って。父とかも吐き気あるときは食べれないよみたいな感じになったので、母もちょっと、あっと思ったらしくて、その後は私が食べれないときはそっと見守っててくれるようにはなったので。

岸田 良かったですね。そういう食べれないときも往々にしてありますからね。ふくちゃん、どうですか。ご家族。まず、ご両親のほうとはどうでした?

福良 正直に言ったかなっていう感じでしたかね。うちは遠方なので、電話でだったと思います。

岸田 ご両親の反応どうでした?

福良 父は神様はいるのかなって言ってましたね。

岸田 なるほど。深いですね。

福良 深いですね。やっぱり両親に泣かれるっていうのがつらかったですかね。一番。

岸田 ご両親に泣かれ。自分の旦那さまはどうでしたか。

福良 夫には普通に言ったと思いますね。いや、ちょっと病気になったんだけどっていう感じで言ったんだと思いますけど。夫は結構、ぼわーんとしてるので、あ、そうなの?みたいな感じで。あんまり頼りにならなかった感じでしたね。もしかしたら、もう子どもも無理かもしれないよっていう話はしたんですけど、それもちょっと、ぼわーんとしてましたね。

岸田 男性あるあるかも。結構ね。受けきれてないのかもしれないですけどね。

福良 そうですね。元気だからなのかもしれないですね。向こうはなんか実感がないというかね。

岸田 お子さんは数歳だと思うんですけれども、今はお子さんには言われてますか。

福良 うん。ママ病気だったんだよねっていうのは覚えてるし、髪もなかった写真とか、うちにウィッグとかもまだあるので、分かってますかね。あと今、ちょっとそういう活動とかもしてるので、そういうのを通じて思い出したりしてるんじゃないかなというふうに思います。

岸田 直接は伝えてないけど、写真とかで伝わってる?

福良 そうですね。でも別に、ママ病気だったの? っていうふうには言いますけどね。

岸田 そのとき、どう返すんですか。

福良 うん、そうだねって。病気だったねって。そういう話は結構、するかなと思います。

岸田 ママ今、大丈夫なの?とか絶対言われるじゃないですか。

福良 言いますね。でも、やっぱり仕事柄もそうなんですけど、いつ何があるか分かんないじゃないですか。よく本あるんですよね。ママがお化けになっちゃったとかっていう、そういう子ども向けの本だったり。そういうのを一緒に読んだり、自分も今は経過観察だけども何があってもいいように一応、娘にもちょっとメッセージじゃないけど、そういったものを送っていますかね。お互いに。愛しているよっていうことは伝えておくっていうか。

岸田 いいですね。

【妊孕性】

岸田 そのまま、ふくちゃんにいくんですけど。女性の生殖器の腫瘍っていったところもあって、第2子を授かろうとしていたときの発覚じゃないですか。妊孕性のところってどうですかね。

福良 医師に言われたのは「あなた1人いるからいいじゃない」って言われたんですよね。それはそうだったんだけど、そのとき、ぐさってきたんです。でもその先生は不妊治療してても授からなかった先生だと思うんです。多分。そういうふうに今、思おうかななんて。自分に納得させたみたいなところがあって、確かに自分は1人いるんだけども、その良かった経験を体験しているからこそ、もうこの体験がないのかって思うとすごく寂しかったんですよね。やっぱり自分ね、子ども産んで母乳が出てきて、それで育つっていう。なんかその神秘っていうのかな。それがもう楽しくて、もうそれがないんだなって思うとすごく悲しかったですよね。

岸田 ちょっと虚無感というか。

福良 そうですね。虚無感みたいなのも感じたし、先生のほうにもどうしようかって。「取りますか、取りませんか」って。「選んでいいですよ」っていう感じで言われたんですよ。一応、再発のリスクはもちろん上りますけどもって意味で、どうしますかって聞かれたので、自分でもちゃんと納得いくように、じゃあもし片っぽ卵巣残しておいたら何個あと卵子が取れるんだろうとか、そういった採血もさしてもらって、その上で全部決めましたかね。

岸田 そうですよね。自分の中で消化するっていうか、本当に考えるっていうのがね。じゃあ、しーちゃんさん。妊孕性のところって何かあったりしますか。

斉藤 一応、今もそうですけど独身なので。発見したときも、まだちょっと頑張れば子ども産めるかなぐらいの年だったので、やっぱり子宮を取るっていうことにちょっとショックでしたね。でも取るしかなかったので。

岸田 そのときの決断って結構、葛藤しなかったですか。これから未来の旦那さんと一緒になって、子ども産めるかもしれないのに一切なくなるわけじゃないですか。

斉藤 ちょっとありましたけど、悪性かもしれないから取りましょうって言われて、手術まで3日間ぐらいしかなかったので、考える余裕も時間がなかったので、もうあきらめるしかないかっていうところかな。

【仕事】

岸田 次に、当時どんなお仕事をしていて、がんが分かってからどうしたかってところをお伝えいただければと思います。

斉藤 当時、今もそうなんですけど、薬局の薬剤師をやっていまして、しばらく入院と退院繰り返さなきゃいけないってなったときに、職場に迷惑かかっちゃうんだって思って、社長に即行電話して、辞めますって言ったんですよね。私が辞めても誰か代わりにヘルプで来てくれたりとかするだろうなと思って。

岸田 電話したらどうでした?

斉藤 電話したら、社長が「いや、そんなこと言わないで、治るの待ってるから、ちゃんと治療しておいで」って言ってくれたので、すごくありがたくて。じゃあ申し訳ないけどそのまま席置いといてくださいって言って、治療に入りましたね。そのとき辞めてたら、再就職ちょっと難しかったかもしれないなと思います。

岸田 そうですよね。それで、どういうタイミングでどう復職したんですか。

斉藤 復職は抗がん剤治療終わって、1、2カ月ぐらいで体力がちょっとずつ戻ってきて、経過観察っていうことになったので、正職だったんだけど、最初パートから。1日フルで働く自信がなかったので、最初は4時間とか3時間って決めてもらって、働いていいですかっていうことで言って。だんだん時間延ばしてって1回正職に戻り。

岸田 正職に、どれぐらいの期間かけて戻れました?

斉藤 意外と体力の戻りが早かったのかもしれないですけど。2、3カ月ぐらいで多分、正職に戻ったような気がします。

岸田 じゃあ復職するために、なんかやったこととかありますか。

斉藤 いや、特別なんかしたっていう記憶はなくて、働いたら意外と私働けるっていう感じで、時間延ばしてった感じですかね。

岸田 そこから治療は続いてますけれど、不自由なく今も仕事できてる感じですか。

斉藤 それが1回正職になったんですけど、正職でずっと続けてくと、やっぱり私、体力戻ってないんだっていうことが分かって、今は契約社員で少し時間短くしてもらって働いてます。

岸田 それは体力ないんだって、どのタイミングで気付いたんですか。

斉藤 復職して1年半とかぐらいですかね。そこまではフルでいけたけど、ちょっときついなっていうのは徐々に感じてきてて。ちょうど職場が変わるタイミングがあったので、そのときにすいませんって言って。

岸田 契約社員になると、どうなるんですか。時間をちょっと・・・。

斉藤 ちょっと短くしてもらって、足りないところに私が入るっていう感じの。

岸田 シフトを組んでもらったんですね。了解です。ありがとうございます。じゃあ、ふくちゃん。お願いいたします。

福良 当時はナース、今も同じ職場ですね。普通の総合病院で、そこのナースなんですけど、子どもがいて、子どもが2才になったときに仕事に復帰しました。病棟では夜勤もあるので、まず外来にさせてくださいってお願いをして、そしたら部分休業、育児休業付いたりして、ちょっと短い時間で働けるんですよね。夜勤もないし、そういうとこから慣れてったっていう感じでしたかね。

岸田 外来の看護師になって、どんな時間帯で働いてたんですか。

福良 そうですね。子どもが小さいと部分休業が2時間取れるので。8時15分から帰りを繰り上げてたので、2時45分ぐらいであがってましたかね。

岸田 そういう形なんですね。

福良 はい。2才までは。でも2才を過ぎると、またちょっと1時間延びたりとか、そんな感じでやってましたけど。

岸田 そういった仕事しながら、外来の看護師になって、今はどうですか。

福良 今は病棟勤務をしたりしています。夜勤もしたり。

岸田 体力的にどうですか。

福良 医療の世界も1年休んでると、どんどん変わってくんですよね。そういうの付いてくのが大変で、すごく体は疲れたし、子どももようやく歩くようになったっていう感じで、すごいちょっとハードだったので。体力は戻ってくのはちょっと時間がかかったかなっていう感じでした。

岸田 だって闘病終えてから子育てしながら看護師してですよね?すごいですね。なんか工夫したことありますか。

福良 母に手伝いに来てもらったりしたのもそうなんですけど、札幌のそういうサービスセンターみたいのがあるんですよね。移送を手伝ってくれるとか、保育園のときに迎えに行ってくれるとか、そういったことをちょっと頼める所があるんですよね。札幌市の社会福祉協議会とかでやってる所になるのかな。1時間700円ぐらいで。人と面接をして、サービス提供者さん側のおうちに行ったりとかしてって感じで、ちょっと預けたりとかもできるっていう、そんなサービスでした。

岸田 社会的なサービスも駆使しながらやっていたと。ありがとうございます。

【お金・保険】

岸田 お金、保険というところで、若い世代、保険に入ってない人もいたり、貯蓄もご高齢な方に比べたらそこまでないかもしれないです。保険入ってましたか。

斉藤 保険は入ってたんですね。奇跡的に。なので、一括でぼんって下りたので、大体それで治療費は全部賄えた感じですね。

岸田 1回うん百万みたいな?

斉藤 100万ぐらい。傷病手当ももらえたので、そっちのほうでもお給料の3分の2ぐらいはもらえてたので。

岸田 じゃあ傷病手当金で給料の3分の2をカバーされつつ、一時金を駆使しながら治療して。合計どれぐらいかかりました?

斉藤 うん。その当時だけで言うと100万ぐらい近くはかかってると思いますね。抗がん剤治療終わるまで。

岸田 今も肺の治療をされている中で、どれぐらいかかってますか。毎月。

斉藤 今はホルモン治療なんですけど、ホルモン1回打つと1カ月1万弱ぐらい。

岸田 毎月1万弱ぐらいは飛んでいくわけですよね。当時から今までだとそれなりにいきます?

斉藤 200弱ぐらいはいってるかもしれないですね。

岸田 これからずっとですよね?

斉藤 そうですね。一応、卵巣を残してしまったので、その卵巣が悪さしてるみたいで。なので私が閉経になるまではホルモン治療、多分、続ける感じになると思います。

岸田 ありがとうございます。じゃあ、ふくちゃん。お金、お幾ら万円かかりましたか。

福良 50万円ぐらいかな。

岸田 当時、保険は入ってました?

福良 入ってました。

岸田 一時金も出ました?

福良 一時金、出ました。

岸田 100万ぐらいの?

福良 はい。

岸田 治療で50万円かかって。

福良 でもウィッグ買ったり何なりとすると。帽子買ったりとか。あと楽しいのがパジャマ買ったりとか。そんなので使ったり。

岸田 入院のときのものとかで結構、使いますよね。ちなみに幾らぐらいのウィッグ買ったんですか。

福良 当時あんまり知識がなかったので、15万円ぐらいですかね。

岸田 なかなか、いいやつを。どうでした?着け心地とか、使い方とか。

福良 やっぱり疲れるんですよね。最初するのね。どんなに軽いのを買っても。なので少しずつ着けていく時間を長くして、そして病院でも着けれるように、働いてる時間も着けれるようになりました。

岸田 ウィッグして仕事復帰してから、ウィッグを外す移行期みたいなとこって、さりげなくできるものなんですか。

福良 さりげなくしようと思えばできると思うんですけど、自分のときはちょっともう面倒くさくて。やっぱり締め付け感とか、やっぱりあるんですよね。だから髪が短いまま、取っちゃったんですよね。

岸田 職場の人の反応は?

福良 先生たちは「髪切ったんだね」って言ったけど、やっぱり看護師は分かってるので、大体。私は病気のこと言えなかったんですけど。なんにも言われなかったのがつらかったです。

岸田 そうね。逆になんか言ってほしい。

福良 そうですね。

【辛い・克服】

岸田 次に、ご自身が肉体的と精神的につらかったときにどう乗り越えたかってことをお願いしてもいいでしょうか。

福良 やっぱり妊孕性のことがつらかった。一番。でも自分で納得いくまで調べて、それで克服したっていう感じですかね。例えば自分も子ども産めないから、じゃあ養子もらおうかなとかも考えたんですよね。そんなので、いろいろ調べたりとか。

岸田 ありがとうございます。肉体的につらかったときってあります?

福良 ありますね。体がすっごくこわくなるんですよね。だるくなるって言うのかな。
そのときは1日ベットの上でいるしかないので。そのときですかね。

岸田 そのときは、どう過ごすんですか。

福良 本読んでました。面白い本を。ギャグの本みたいなのがあるんですよ。そういうのばっかり書いてあるやつがあるんですね。そんなのを友達がプレゼントしてくれて。

岸田 ありがとうございます。では、しーちゃん。つらかったとき、どんなときですか。

斉藤 肉体的につらかったのが、やっぱり私も抗がん剤の治療中。どんどん体力がなくなってくっていうか、その倦怠感が1クール1クールでどんどん。

岸田 そうなんですよね。だんだん、ボディーブローのように効いてきますもんね。どう克服しましたか。

斉藤 克服は、駄目なときはもう寝てるしかないので。寝る。そして、ちょっと起きれるようになったら、お笑いのDVD見るとか。笑う方向に。なんか面白いものを見るとか。

岸田 精神的につらかったときは。

斉藤 精神的には、告知のときショックだったんですけど、ステージ3cだったので。これもしかしたら私、長く生きられないのかなっていうところもあって、やりたいことやらなきゃ駄目だって思って。治療中だったので、そんなにはできなかったんですけど、あんまりメンタル的にがんと落ち込む感じにはならなかったんですよね。

岸田 やりたいことやらないとと思って、やったこと何ですか。

斉藤 取りあえずは入院中、手術後に腸閉塞にもなっちゃって。食べられなかったので、退院したら食べたいものまず食べようって言って、入院中に食べたいものリストを作って。

岸田 何食べました?退院してからすぐ。

斉藤 私、ザンギが好きなので鶏の唐揚げ。母が作るザンギがおいしいので。

【今 闘病中のあなたへ】

岸田 お二人に闘病中のあなたへのメッセージをいただきたいと思っております。

斉藤 私は、病気中とか闘病中とかって家に閉じこもりがちになったりすることあると思うんですけど、調子のいいときは、いろいろな所に出掛けて、いろいろな人の考えや生き方を見ていきましょうっていうところでしょうかね。私、闘病終わってからなんですけど、CAN netに関わるようになって、いろんな人とつながるっていうことで、すごく自分の引き出しも増えたし、学びも増えたし、なんかすごく自分の財産が増えたなと思って。そういうのってやっぱり自分から動いていかないと、あんまり得られないものかなと思って。

岸田 いろんな人の考え方に出会っていくっていうの大事かなということ思います。ありがとうございます。では、ふくちゃん、お願いします。

福良 今は先が見えなくても、いつか病気を糧に少しビッグになった自分にも出会えると思うので、その日を楽しみに今、乗り越えていただきたいなっていうふうに思います。私も子どもが1才のときに病気になったときは本当に、子どもを残して行かなきゃいけないのかなっていうふうにすごく思ったし。当時、本当に子どものことしか考えてなかったような感じもありましたけども。今、ちょっと時間がたって、そういったときに私も当時は髪の毛が抜けたり、外見が変化したのがすごくつらかったんですよね。それで、がんの方への外見のケアっていうのに、今やってるんです。

岸田 こういった活動もしていって、ちゃんと少しビッグな自分に出会えると。

福良 そうですね。決して悪いことだけじゃなくて、自分にギフト、キャンサーギフトっていうのが、きっと届くと思いますので。

岸田 きょうはどうもありがとうございました。

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