身近な人の乳がんをきっかけに、しこりに気付く。がんにかかったからこそ出会えた仲間と、少し先の楽しみを見つける日々の、のっちさんです。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:のっち

更新日:2018.08.24

告知

岸田 本日のゲストはのっちさんです。 今回は「リレー・フォー・ライフ」のイベントの中で、野外からお送りしています。まずは病気がわかったきっかけを教えてください。

のっち 2009年の5月に、乳がんが確定したんですけれども、その1年半ぐらい前に先輩の奥様が、乳がんになりました。その方は、私より年下だったんですね。先輩が、「君のほうが年上なんだ から、ちゃんと乳がんの検診に行ったほうがいいよ」、って言ってくれましたが、私、検診なんて行く気がなくて。でも、なんとなく自己検診をしてみたら、「なんかあるかも」って、思ったんですが半年ぐらいそのまま放っといたんです。そしたら、右胸の脇がすごく痛くなってきちゃって「しようがないから病院に行こ う。痛いのはがんじゃないじゃん」と思って、病院に行きました。

岸田 告知はどんな感じでしたか?

のっち 会社のそばの乳腺クリニックに行ったら、もう先生の顔が、パッて変わるわけです。胸を持ち上げたら、えくぼができてたっぽくて、「じゃあ、細胞取って調べましょう」「マンモグラフィー撮りましょう」「エコーもやりましょう」、そして「次に来るときはご家族と一緒に 来てくださいね」って言うわけですよ。 電子カルテが見えて、「悪性」にチェックが入ってました。「あ、そうなんじゃん」と思って。まあ、結果がちゃんと出てからって言われたので、翌週に夫を連れていって、「がんですね」って言われ て、「あ、そうですか」っていう感じ。先生の顔が変わった瞬間に、「あ、そうなんだろうな」って思ってたので、いわゆる、ガーンとか、ショックとか、頭が真っ白になるってことは、正直なかったですね。「仕事をどうしよう?」「来月のゴルフどうしよう?」ってことで、頭がいっぱいでした。

治療

岸田 どんな治療をしたんですか?

のっち まずは手術をすることになりました。先輩の奥様が、術前の抗がん剤をやっていて効果が見えたから、「やるんだったら先がいい」というアドバイスをくれたので、「術前に抗がん剤をやりたいです」って言ったら、主治医から「あなたは術前の抗がん剤はしなくて大丈夫じゃないかしら」って言われました。手術を受けたところ、主治医も予想していなかったほどリンパ節への転移があったので、脇のリンパを全部取って、抗がん剤治療もすることになったのです。温存だったので放射線治療もして、現在はホルモン療法をしています。

岸田 2009年にがんが発覚して、手術後、抗がん剤は具体的に、何をしたんですか?

のっち 抗がん剤はCAFですね。みなさんが言う赤いやつを6コースやって、 そのあとにパクリタキセル、タキソールを1週間に1回、全部で12回行いました。全て点滴です。

岸田 期間としては?

のっち 抗がん剤に関しては、3週に1回の投与だったんですけど、白血球の戻りが悪くて、4週に1回、5週に1回の状態になり、かなり長くかかっちゃったんです。普通の人は半年で終わるんだけ ど、私は結局8か月半かかっちゃって。そのあと、放射線を週5回、5週間、合計25回当てました。リンパ節への転移が多かったので、胸だけじゃなくって、首のあたりや鎖骨の上まで、当てたので、 けっこう広い範囲で黒くなっちゃいました。

岸田 そうなんですか。

のっち 手術が終わって病室に戻ってす ぐに、夫に写真撮ってもらいました。マスクもして、管もいっぱいつながったまんま。当時ブログをやってたので、なんでも写真に残そうと思っていました。

岸田 次の写真は、抗がん剤真っ最中に撮ったそうですね?

のっち はい、これは旅行の写真。体調の波がけっこうあって、楽になる時期もあったので旅行に行ってました。写真は北海道に行ったときのものです。ウィッグをかぶったまま、伊豆にも行きました。

家族

岸田 のっちさんのご家族について教えてください。

のっち 夫と、同居している夫の両親です。子どもはいません。このときほど同居をしていて良かったと思ったことはなかったですね。すごく助けられました。 毎日病院に来てくれて、洗濯物も夫の世話も全部してくれて、ほんとに助けられたなって思います。家族には感謝してもし足りないぐらい。「同居って大変でしょ」って、みんな言うんですけど、「同居って悪くないよ」ということをお伝えしたいです。普通にしててくれたんですよ。「かわいそうな人」とか「大変よね」っていうことをあんまり言わないでいてくれたのが、私にとってはとても楽で。 つらそうにしてたら、「じゃあ、食べられるもん作るね」と言ってくれて、ありがたかったです。

仕事

岸田 仕事はどんなことをやっていたんですか?

のっち ブライダルコーディネーターといわれる仕事をしておりました。仕事を始めて13年目か14年目だったのかな? すごく忙しかったんですね。毎日21時、22時は普通で、土日になると終電みたいな感じで働いていたんですけれど、仕事が生きがいだったんですよ。

岸田 はい。

のっち 半官半民みたいな会社だったので、病気がわかったときに、「傷病手当 (※1)が出ますからどうぞ休職してください」と言われました。ですが、「傷病手当いりません、私、休職しないんで やれるところまでやらせてください」って言って、休まずに手術に立ち向かいました。「手術が終わったら、とりあえず1週間ぐらい休ませてくださいね」なん て言ってたら、研修があるからこの日は来て、ということになり、退院した翌々日に、もう仕事に行ってました。

岸田 あー……。

のっち ブライダルコーディネーターって、お客様と半年、1年と長くつきあうお仕事なので、その時点で担当していたお客様を、どうするかっていうことがすごく大きなポイントでした。私を選んで来てくださってる方たちになんて言おうかな、というのはあったんですけど。

岸田 はい。

のっち お客さんにも、全部本当のことを言いました。私が一線から、一瞬退きます、ということを伝え、同僚のみなさんに私が担当してた方をお願いして。会社の人も全員、私の病気のことは理解してくれて、サポートをしてくれました。 結果的に、抗がん剤と放射線治療が終わるまではシフトからすべて外れたんですね。「シフト外で好きなときに来ていただいてかまいません」と言ってもらえて。 こんなに理解のある会社、なかなかないと思うんです。ただ正直に言うと、自分が今までと同じだけ仕事ができないとい うことがものすごくつらかった。同じお給料をもらっていながら、いわゆる営業活動的なこともできないし……。自分が 「休職しません」って言ったのに、前と同じだけ仕事ができないっていうのは、 わがままなんじゃないかと思って、その時期がいちばん苦しかったですね。病気で苦しい、じゃなくて、仕事がちゃんとできない、っていうことに対して、すごく負い目を感じてましたね。

岸田 退院翌々日に仕事に復帰したときは、痛みはなかったんですか?

のっち 痛かったです、痛かったです。私、右側を手術してるんですけど、デスクの右側に電話があって、電話をとろうと思ったら手が伸びないっていう。

岸田 じゃあ、そのへんは工夫して?

のっち そう。電話は肩からいくとか。そのときは抗がん剤をやってなかったので、体力的にきついというよりは痛いだけだったから。

つらかったこと・克服

岸田 次に、身体的、精神的につらいことをどう乗り越えてきましたか?

のっち まず身体的なつらさとしては、手術をしたあとに、電話がとれないっていうこともあったんですが、とにかくリハビリを泣きながらやりました。ほんとにつらかったですけど、ただリハビリは、 効果が見える。やればやるだけ、良くなっていくのがわかるんで、そういう意味では、気は楽にやれたと思います。抗がん剤のつらさに関しては、私、ブログをやっていたので、そこにいろんなことを書くことで解消するというか、これもネタの1つだと思うと、乗り切れたというのがありました。記録を取っておくということは、みなさんにもおすすめの方法かな? 「がんばれー」とかコメントが入ってくる。今だったら、フェイスブックもあるので、そういうふうに自分のことをさらけだすのも、楽になれる方法だったなと思います。精神的につらかったのは仕事のことでしたが、元気になったら今までの倍働いて返そうって思って自分を納得させていました。 もうひとつつらかったのは、術後2年目ぐらいに、ブログで交流があったお友達が、立て続けにお空に行ってしまったこと。そのときはほんとにつらかったです。自分がいちばんつらかったその時期に事故で亡くなっちゃった友達がいて ……。だから、亡くなるってがんだけじゃないんだ。もしかしたら死ぬかもと思って、日々大事に生きられるってことは、幸せなことかなって感じて、気持ちを立て直しました。その子には、なんか、立て直し役になってもらったっていう感じで、申し訳ないというか、感謝しているというか、うん。

岸田 ああ……。

のっち 日々その人の分も、大事に生き なきゃなと思って、気持ちが持ち上がってきた感じですね。

岸田 段階もあると思うんですけども、精神的なほうがつらかったですか?

のっち うん。つらかった。身体的なことは克服のしようがあるから、見えるからいいんだけど、精神的なことって見えない。「自分の気の持ちようじゃん」と思って、自分を追い込むようなところが ありましたね。

岸田 逆に前向きになろうとしすぎて、追い込んじゃう?

のっち そしてさらにつらくなる。

岸田 そういう場合はのっちさんは、どう対処します?

のっち 女性はしゃべるとけっこう楽になるっていう生き物だと思うんです。まずは病院でできたがんのお友達とお話をすること。あと、やっぱり私にはブログがすごく大きかったです。

岸田 ブログをやって、どう良かったですか?

のっち まずブログを書いていると、日日のネタを考えると思うんですね。

岸田 はい。

のっち そうすると、つらいこともネタだと思うと楽しめる、客観的に見られる。「つらいんだよ」って吐き出せる場所がある、ということと、それに対して、「私もだよ」と言ってくれる人たちが、 目の前じゃないけどいるって実感できたことがすごく大きかった。ものすごく支えられてました。

岸田 ありがとうございます。そういった、人と人で支えて闘病していくっていうのは、ほんとに大事なんじゃないかと 思っていて、がんノートもその中のひとつになれればいいな、と思って放送させてもらってます。

 

 

医療従事者へ

のっち 乳がんになるまで、医者は嫌いだし、病院は嫌いだったんですけど、こんなに一生懸命やってくれるんだなと実感できたのは、まあ、がんになって良かったこと。感謝しかないですね。先生たちも、すごく良くしてくれて、いろんなお話も時間がないなか聞いてくれて、とても感謝してます。

岸田 そうなんですね。

のっち 医療従事者の方へ要望、というよりは、お願いですね。体を大事にしてください。私たち患者は、やっぱり先生、医療者さんっていうのを、ものすごく頼りにしてますので、その先生に倒れられちゃったら、もう、ほんとに行く場所がなくなっちゃう。

岸田 はい。

のっち だから、とても大変だと思うんだけど、体を大事にして自分のことも考えて、養生してほしいなって。まあ、そう言いながら長く時間を取ってもらって、しゃべるんですけど(笑)。

岸田 お医者さんも人なんでね。自分のことをいたわってほしいなっていうのは、 みんな思っていますよね。ちゃんと、コンビニ弁当だけじゃなくて、お弁当作ってもらったり、いろいろ、してもらえればなと。

のっち そうそうそう。そう思います。

キャンサーギフト

岸田 がんになったからこそ得た経験は、何かありますか?

のっち がんのあとの人生全部が、キャンサーギフトだなと思ってます。「Çava !(サヴァ)」というグループを作って、乳がん患者さん向けのイベントを、いろいろやってるんです。グループは3人で、 他の2人と出会ったことが、まず私にとってのすごいキャンサーギフトだった。その中で、患者さん向けのヨガをやろうっていうことになって、勉強を始めて、ヨガをやるようになったんです。

岸田 はい。

のっち これもわたしにとってのキャンサーギフト。乳がんになる前はね、ヨガのヨの字も、考えたことなかったですね。(笑)全く別の世界の人がやると思っていたので、今自分がこうして「ヨガやりましょう」なんて言っていることが嘘みたいな感じがしますが(笑)そこから派生して、ベリーダンスもやっていて、そういう仲間たちと出会ったことが、キャンサーギフトです。

岸田 「Çava !(サヴァ)」の話をもう少し詳しくしていただければと思います。

のっち はい。さいたま市内を中心に乳がん体験者さん向けのイベントをやってます。主に、おしゃべり会。あと毎月やってるのは、リコーダー。みんなで笛を吹くの。あとは不定期で手芸やランチ会など、いろいろ楽しんでいます。乳がんになっても、楽しいことを探しましょう、っていうとこです。

岸田 これがÇava !のメンバーですか?

のっち 左側が、あーさん。そして右側 が、ゆりさん。でのっち。名付けがperfumeなんですよ。

岸田 フッ。

のっち はい(笑)。誰にもわかっても らえないんですけどね。もう、ほんとに、この2人に会えてなければ、今、こういうことは絶対やってない。

岸田 「NYOGA」というのをやっているんですよね?

のっち NYOGAという名前を付けてるんですが、これÇava !の中でやってる、 乳がん患者さん向けのヨガ教室です。参加者も、インストラクターも、乳がんの経験者です。普通のヨガ教室に行っていただくのがいちばんいいのかもしれないんですけれども、やっぱり、できない動きがあったり、ウィッグだと行きにくいなあというふうにも思うんですよね。だから、気楽に参加していただけるように、そして、いろんな話ができるようにということで、患者さん向けのヨガを、NYOGAという名前で月に7本やっています。

「今、闘病中の方へ」

のっち 少し先の楽しみを探しながら、仲間と笑顔で過ごしてください。やっぱり、5年先、10年先って、正直、考えづらいところがあるかもしれないんです。 だから、明日の友達とのランチでもいいし、1週間後の何かでもいいし。半年先のなんとかでもいいので、常にちょっと先に楽しみをおいて、その楽しいことを考えながら仲間を見つけてほしいです。

岸田 はい。

のっち そうすると自然に笑顔が出てくるので。つらいときでも、うそでもいいから笑ったほうがいいよって、よく言うんです。つらければつらいほど、口角を上げると脳みそがだまされて、ちょっと楽しくなってくるんですって。だから、それをちょっと試してほしいなっておもいます。

岸田 のっちさんの場合は、何だったんすか? どういう目標を持ってました?

のっち とにかくやっぱ仕事に戻る。仕事はきついとこもあったけど楽しかったんで、仕事に戻るというところ、仕事の仲間と一緒に笑い合うということを、目標に思ってました。

岸田 そうですね。やっぱり、元の社会に戻ってちゃんと活躍するっていうことが、1つの目標になるのかなと思います。

 

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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