14歳という若さでがん宣告を受けた磯さん。がん治療後も後遺症で苦しんだ学生時代。様々な困難や葛藤を乗り越え、現在も治療と向き合う中で磯さんが見つけた夢や自分の居場所とは。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:磯

更新日:2017年07月09日

【宣告】

岸田 磯さん、自己紹介をよろしくお願いいたします。

 はい。磯まなみと申します。私は、頭蓋咽頭腫瘍という、がんではなく良性の腫瘍です。なので特にステージとかは言われてないんですが、ネットで調べたところ、グレード1と言う先生もいるそうです。闘病は1999年の4月、14歳の年から現在に至るまでで、現在32歳で研究補助という仕事をしています。

岸田 どうやって脳に腫瘍が見つかって、それを宣告されたのかを語っていただけますか。

 自覚症状とかそういったもの、私、一切なかったんです。ただ、小学校の高学年から身長が全く伸びなくなって。女の子だと、特に5、6年生ってすごい成長期で、10センチとか1年間で伸びると思うんですけど、私、6年生の時の身長、伸びたのが、9ミリだったんです。それに祖父が、身長が伸びないっていう事に対してすごい懸念を示していて、「絶対どこかおかしいから早く病院に行け」って言われてたんですけど、結構両親のほうが気楽な考えというか、中学生になったら伸びるから平気よみたいなことを言ってたんですけど、祖父から強く病院に行きなさいという事があったので、中学生の時に行きました。

岸田 祖父から言われて近所の病院へ行くと。背が低過ぎるという事でしたね?

 はい。

岸田 当時、どれぐらいの背だった?

 小学校6年で132とか3しかなかったんです。幼稚園の時は後ろから数えるほうが早かったんです。4月生まれなので、段々みんなに抜かされて行くんですよ。何かありますよね、小学生で身長測定とか何か。

岸田 健康診断ありますね。

 健康診断を受ける度に、なんか背の順でだんだん私前になっていくみたいな。それが結構もう嫌でしょうがなくてっていう感じになります。

岸田 で、一番背が低かったという事で。それでそこから、背が低過ぎる、と祖父が言ってくれて。

 病院の先生が、この年の平均と比較してもやっぱり身長が低すぎるからMRI撮ったほうがいいっていうのでもうちょっと大きな病院に行きました。

【治療】

岸田 では、治療のことに入っていきたいと思います。どうやって発覚して治療受けていくのかをお願いできますか。

 はい。実際、MRIの検査を受けて、腫瘍があるっていう事で。その病院の先生から家に電話があって、ちょっと早めに来てくださいっていうような形で呼ばれたらしいです。で、私も一緒に行って、もうその場ですぐ言われました。多分、先生も考えてなかったのかよく分からないんですけど、「腫瘍があります」って。もう何もためらってなかった。むしろ、こっちが言われて困ってしまったみたいな感じ。

岸田 え? 腫瘍がありますと。で、当時、小6? 14やから中学生か。

 はい。中学1年生の冬ですね。

岸田 どんな気持ちでした?

 何がなんだか分からなくて。でも泣きました、なんか。私、病気なんだっていうので。

岸田 その時のご両親はどんな感じでした?

 先生からの告知で母が同席してたんですけど、多分、母も動揺してるっていう感じですかね。自分のことでいっぱいだったんで、ちょっと母の様子とか見てなかったんですけど、多分、動揺はしてたと思います。

岸田 その後すぐ行くんですか。大学病院に?

 はい。結構母がどういった所で手術をしたらいいかとか探して、結局、母の実家、山梨なんですけれども、祖父の知り合いのつてでっていう感じですかね。紹介してもらって、大学病院に行きました。

岸田 行ったという事で。

 そこの大学病院で初めて病名とか言われたんですけれども、その先生から最初、「中学1年生の春休みに手術をして。まあ、新学期には間に合うよね」っていう話だったんですけれども、良性の腫瘍だったため、緊急オペの方がどんどん優先されて。私、結局春休みにはできなかったんです。

岸田 入院したら手術させてもらえるもんじゃないんや。で、3月には手術ができず。4月末、ようやくできるようになる。

 はい。で、この手術も、今は技術が進んでいるので、私は実際頭を開いたんですけども、開かなくて、鼻からできる手術もあるんです。

岸田 あるんですか。

 はい。でも、それもやっぱり、腫瘍の大きさだったり、どの程度組織に癒着してるかとかそういったものもいろいろあって、できる人とできない人もいるんですけども、頭割らないっていう、鼻から管を通してできる手術も今はあるそうなんです。

岸田 当時はそういう選択肢なかったのか、それとも、難しいやつだからあえてこっちを選んだのかっていうと?

 どうだろう。でも、聞いた事はなかったですね、鼻からの手術。最近だと思います。

岸田 やけど、頭割られるとか怖くなかったですか、中学生なりに?

 いや、私としては、丸坊主にさせられるのかと思ったんですよ、頭を。髪の毛じゃまじゃないですか。実際、頭を開く時に。

岸田 じゃまだと思う。

 でも実際は、全部はそらなくて、頭切る所を放射状っていうんですか、こう円を描く。それくらいしかそらなかったんですね。

岸田 そうなんですね。

 はい。あとは、術後やっぱり脳に管とかいろいろ差すので、そこだけ円形脱毛症みたいな感じでポンポンポンというふうにそっただけで、実際は全部はそらなくて、部分的に髪の毛をそったっていうんですか。それだけで済んだ。

岸田 全部そらなくていいんや。

 はい。

岸田 じゃあ、良かったみたいな? 自分的には?

 そうですね。それは、はい。

岸田 けど、怖くはなかった?

 あまり考えてなかったのかな。

岸田 手術後は?

 結構元気だったんですよ。で、ゴールデンウイークあたりに親戚も、結構体調が良くなってきたからっていうのでお見舞いに来てくれて、みんなで食事をしたりっていう感じで。先生にも、じゃあ、ゴールデンウイーク明けにはもう退院できるよねっていう話だったんですけれども、なんかこう、病室にいて、なんか鼻水がやたらと出る。もう鼻血並みにダーッと垂れてくる事もあって、ティッシュを詰めるみたいな、鼻に。

岸田 怖いよね?

 そうですね。最初、風邪引いたと思ったんですよ。なんか鼻水って大体、風邪の初期症状にあるじゃないですか。

岸田 確かにね。

 でも、なんか違う。なんか元気だし風邪の症状もないけれども、鼻水が止まらないっていうのが起きて、なんだろうっていうことになったら、実は髄液。脳は、髄液っていう液で保護されてるんですね。それが実際、私は手術をして脳の中を開いていろいろいじったせいでそれが鼻に漏れてきたんですね。脳の中の髄液が。

岸田 それ、大丈夫なんですか。大丈夫じゃないですよね?

 大丈夫じゃない。

岸田 大丈夫じゃないよね。

 でも、この髄液は、実際、背骨に脊椎ってありますよね?そこにも流れてる液なので、鼻にこう流れてきてるものを背中に流れるように移動すれば平気だって・・・。

岸田 ええ?それ、簡単に言うけどさ、じゃあ逆に、鼻に流れてきたのを背骨に?

 なんか、背中のほうでいろいろ針とか。ちょっとあんま記憶にないんですけど、背中でゴリゴリされてるなって。何かしらして背骨のほうにこの流れを行くように。

岸田 行くようにした。

 っていう感じで。局所麻酔をして、背中から頑張って看護師さんとか、先生がこうやるんですよで。オペ室とかじゃなくてベッドサイドで局所麻酔をしながらこう引くんですよ。背中のほうに髄液の流れが行くように。これすっごい痛いんですよ。局所麻酔してるんですけども。

岸田 うわあ、痛そう。

 でも、それをすれば90パーセントその流れが背中に行くって言われてたんです。ほぼそれで大丈夫だと。でもまた後ほど鼻から漏れてきたんです、私。

岸田 マジで? 9割の人は大丈夫っていう中の10パーセント?

 うまく鼻の流れが背中に行けば良かったんですけど。駄目だったんです。

岸田 で、再手術?

 そう。だから2回、頭を開く事になり。

岸田 痛そう。え?

 それが6月ですね。2回目は結構すぐ、やっぱり。これは緊急オペ並みだったので。

岸田 もう、それでも垂れてくるから、これは脳から止めるしかないみたいな?

 そう。もっと開いたところ、実際、ここのおでこらへんなんですけど、ここにいろいろもうちょっと詰めなきゃいけないっていう事になって。漏れないように。

岸田 そのおでこに詰めたものは、取る事はない?

 おでこに詰めたものは、なんと、私のおなかの脂肪なんです。

岸田 脂肪詰めて止めるんや。なんかすごいな。

 で、2回目も、多分、詰めが甘かったみたいな感じで、もう一回やるって、もう一回取って。

岸田 いや、でも、2回も脳の所いじられるって、なんか怖いなあと思うけどね。

 で、さすがに2回手術した後はもうぐったりで。実際、2回目手術以降の記憶がないんです。手術してしばらくいて退院したはずなんですけれども、気付いたら家にいたっていう状態だったので。なんかもうそこ辺んの記憶は飛んでます。

岸田 何週間ぐらい入院してたとかは? 分かれば。

 でも、2週間くらい。

岸田 その後、もう7月に復学したんですか。

 そうなんですよ。

岸田 で、9月。放射線と通学。放射線? どういうことですか。

 一応私、悪性ではないから転移とかはないんですけれども、再発する危険性はあるんです。良性の腫瘍でも。

岸田 良性でもあるんや、再発するって。

 やっぱりそこを食い止めるために放射線はしましょうっていう事になって。で、これは通いで行きました。

岸田 どれぐらいしたんですか、放射線治療?

 通いで20回ぐらいやってました。1カ月間くらいは。

岸田 そんなに。

 それでもまだ今、1年に1回は再発してないかどうかのMRIを撮り、あと3カ月に1回だったり、1カ月に1回なんですけど、薬を頂くために通院はしてます。

 

【家族】

岸田 最初の時にご両親と宣告を受けて。で、ご両親のことは覚えてなかったと思うんですけれど。お母さんにこうしてほしかったなとか、お父さんにこうしてほしかったなとか、もしあればお願いします。

 あるは、すごいあるんです。母親になんですけど。結構母は厳しい人だったので。ホルモンが全部出なくなってるのでだるいんですよ。もちろん、中高なので、部活にも入ってるので、本来ならば部活して帰ってくるっていうのが通常の学生の流れだと思うんですけど、私はどうしても体がつらかったりして、部活を休んで帰ってきてしまって寝てたりっていう事もあるんです。そういった時に、ああ、この子またサボって早く帰ってきて寝てるわっていうふうに思われちゃってた時期が結構あったんですよね。なので、なんで私の体のことをあんまり理解してくれないのかなっていうので、結構、母親との関係で悩んでた時期がありました。

岸田 ああ、後遺症のところね。治療中じゃなくて、その後っていうことね。

 そうですね。なんかこう、脳腫瘍って言っても、私は全部髪の毛をそったわけでもなく。なので、一見もう、退院してしまうと普通なんですよ。後遺症も、ホルモン的なものなので、見かけとしてはほとんど健常な人と変わらない。けれどもやっぱり、体の中ではいろいろな変化があって。でもそういうのって分からないじゃないですか。他の人にも。やっぱそういったとこの葛藤っていうのは常につきまとってました。だからといって気を遣われたくはないけれども、気にしてほしいって。ちょっとぜいたくな悩みですね。

【お金】

岸田 次、お金、保険といったところで。当時ね、14歳とかだったと思うので、小児慢性特定疾患のお金があったと。

 そうですね。ありました。

岸田 保険に入っていたかとか、お金どれぐらいかかったかっていうのは、ざっくりでいいんですけど、分かったりします?

 当時、小児慢性特定疾患っていう一部の病気に限って、私の時は20歳まで医療費は無償だったんです。で、子どもだったので保険は入ってなかったです。で、今も保険は入れません。

岸田 入られへんか。

 今も薬を飲んでいるっていうことで。

岸田 はねられる。お金ためるしかない?

 はい。あと、私、難病指定に入ってる。

岸田 ええ?

 後遺症があって。

岸田 ああ、後遺症が。じゃあ、当時の小児慢性特定疾患のほうで、治療費としてはかからなかったと。

 ほぼそうですね。

【つらい克服】

岸田 つらい克服といったところで、肉体的にとか精神的につらかった時にどう克服したかとかありますか。

 私は、家でも居場所がなく、学校でも居場所がない時にたどり着いたのが・・・。
教会だったんです。母が子育てする時に友達から誘われて。だから私も行ってたりはしてたんですけど、あんまメッセージとか聞かずに何かお絵かきしてるとか、そういった感じで、そんなにはちゃんと通ってなかったんです。けれども、病気をきっかけに。この手術をする時に牧師さんとかがお祈りに来てくださったんですよね。そういったこともあって、また、退院してからも教会に行くようになって。で、初めて、そこで居場所っていうのが作れたんですよ。学校にも居場所がないので、同年代としゃべれる機会っていうのもなかなかなかったんですけれども、教会にはそういう同年代の子、お友達がいて。唯一会話ができる所だったんですね。私にとっては。

さらに、兄弟の真ん中っていう事で、勉強にしてもスポーツにしても、できる自分が認められるんだっていう認識が私の中にはあったんですよ。だからこの手術をして、体力的にも何もできなくなり、勉強も最初はできなくなるじゃないですか。追いつかない、っていった時に、そこで初めて人生の挫折っていうの経験して。何もできない自分を誰が認めてくれるんだ。存在価値、私、ないんじゃないか。そこがもうつらかったですね。優秀じゃなきゃ認められないっていう固定観念っていうか、そういうものを自分の中に植え込んでいたので。何もできない自分は何も価値がないって、自分の中で決めちゃってた。何もないそのままの自分でいいんだよって教えてくれたのが、やっぱ、教会の周りの人たちだった。そのままの自分でいい。そのままの自分でも愛してくださる方がいる。それを実感できたのが同級生での交わりっていうか、そういった交流ですかね。

岸田 そうなんですね。じゃあ、クリスチャンなんですね?

 に、なりました。

岸田 すごい。そうなのね。やっぱ、自分の居場所っていうのね、確かにね。

 やっぱり、同世代がいるっていうのは結構大きいと思うんですね。同級生との交流もなかったら、そこで私、信者になったかどうかっていうのもちょっと分からないですけど。やっぱりそこに同じ年齢の子たちがいて、その子たちとしゃべって受け入れられたっていう経験が大きかったなって。

岸田 はい、ありがとうございます。そっか、肉体的には大丈夫?

 結構、倦怠感ってありますよね。出なくなったホルモンに副腎皮質ホルモンってあるんですけども、あれって健常の人でも1日の中で体内変動してるんですよ。でも、私たちみたいな人って朝1回投与するだけで常に一定なので、そういった変動についていけない 。この副腎皮質ホルモンっていうのは、ストレスに対応する機能っていうのがメインにあって。特に手術の時なんか、300倍も必要になるんですよ、通常の。体へのストレスに対して、たくさん出るホルモンなんです。

岸田 300倍ぐらい出るのね。その時はね。

 だから、風邪をひいた時とかも、体にストレスじゃないですか。だからその時は2倍飲みなさいって先生に言われてた。

岸田 じゃあ、自分でコントロールするんや。

 はい。で、それが少なくなってくと、昏睡状態になる。

岸田 そうなん?

 少なくなっちゃうと。はい。で、最悪の場合、死んじゃうんです。

岸田 ええ?

 本当に。ストレス対応するホルモンなので。で、体の機能を維持するホルモンなので。

岸田 じゃあ、それも服用してコントロールすると。

 はい。だから私は絶対、外に出るたびに携帯しなきゃいけない。もうこれは私の栄養剤みたいなもの。でも絶対欠かしてはいけないものなのなので。

 

【キャンサーギフト】

岸田 自分ががんになって失ったこともいっぱいあるけれども、何かギフト、得たもの、得たことってありますか。

 やっぱ、いろんな方との出会いですね。よく、がんになって闘病された方もおっしゃってると思うんですけれども、この病気にならなければ出会えなかった方ってすごいいっぱいいるなあっていうのを感じていて。で、今の生活も周りがやっぱり、病気をしたからこそ出会えた方々で、今のこの日常生活が成り立っていますし。
あとは、自分自身を早く考えるきっかけになったっていうんですか。多分、就職する時に皆さん、自分は何がしたいのかとか、自分はどういう人なのかっていうのを考えると思うんですけど、私はそれが早く、高校生ぐらいの時から、自分は一体何者なのかっていうのを考えるきっかけになったのかなと思ってます。

岸田 だいぶ早い時期にね、自分も落ち込みつつ本当にいろいろな事を考えてたと思いますけど、それも一つのギフトだったと。ああ、すごいなあ、そこまで考えるって。

【夢】

岸田 じゃあ、次今のまなみちゃんの夢。

 今、子どもの病院にいて、まだ診断が付かなかったり、治療法が見つからないっていう子どもたちの遺伝子とかを見て研究をしているんですけれども、やっぱり、生活していく上で薬ってすごい大事だなあっていうところはあるんですね。
で、今、自分のやりたいことは、生まれてきたからには標準治療といいますか、土台を一緒にしたい。やっぱこの私の経験上、中学生の時に元気だったならば経験できたことができなかったっていうのを、すごい、大人になってからも引きずってるんですね。子どもの経験する1年って、大人の経験する1年と全然違うんですよね。大人の1年っていうのはあっという間に過ぎちゃうんですけれども、中学1年とか2年とか、小学生だったら特にそうなんですけど、1年の間にたくさんの行事とかあるじゃないですか。それをやっぱり経験できないっていうのは、この同じ地球に生まれてきたのに何でそこが違うのかなっていうのが私の中にはあるので。せめて病気になったとしても、薬とかで補えて、標準と同じ生活をしていってほしいなっていうのがあって、今はそういった治療に向けて研究で何かお力になれればなというところはあります。

【今闘病中のあなたへ】

岸田 最後、今、闘病中のあなたへっていったところですね。

 はい。存在自体に価値があるのだということ。私の経験からもそうなんですけれども、どんなに自分が病気になって何もできなくても、自分の存在自身に価値があるっていうのを本当に気付いてほしいなと思います。何もできなくても、あなたがいるだけでいろいろ勇気をもらったり元気をもらっていたり、そういった力になっていることってすごいあると思うんですね。その生きざまを見て誰かの励みになっていることってたくさんあると思うんですね。だから、自分ができなくなったことに対して卑下したり、駄目なんだって思うんじゃなくて、本当にもう、いるだけで価値があるんだよっていう事を気付いてほしいっていうふうに思います。

岸田 ありがとうございます。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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