【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:野口

更新日:2019年06月23日

【発覚〜告知】

岸田 早速ゲストの野口君自己紹介をお願いします。

野口 野口尚利と申します。脳腫瘍を患いました。ステージは、怖くて、自分自身とその家族は聞けなかったので、分かりません。闘病は2010年の6月、17歳高校3年生のときです。

岸田 まず、がんがどうやって発覚したか教えてください。

野口 バスケするために、高校に入って。そこで高校2年生の10月ぐらいに、汗かかない病気になってしまい、体温が調節できないので部活中は毎回体温が38度から40度ぐらいまでの状態でした。

野口 いろいろ検査しても原因が分からなくて、そのまま、時が流れていって、2010年の6月に脳腫瘍が発覚しました。

野口 部活が終わった後、バットでたたかれるような痛みが、いきなり来たんですよ、これは普通じゃないなと思って、小さい病院に行って、CTを撮ったら、ここでは判断できないと言われて大学病院に行きました。

岸田 小さい病院では何も言われてなかったの。

野口 何も言われてなくて。僕は、頭がずっと痛かったんで、寝たきりでした。体調も悪くて。

岸田 大学病院にはすぐ行けた?

野口 すぐ行きました。緊急みたいな感じで。早く連れて行かないとまずい状況、みたいなことを言われて。

岸田 不安じゃない?

野口 僕、何も考えられないくらい痛くて。次の日には、すぐ告知されて、数日後に、すぐ抗がん剤治療を開始しました。

岸田 脳腫瘍って言われたときには、どうでした?

野口 親は、脳腫瘍とは言われず、できものができたみたいなことを柔らかく言ったんですよ。

野口 僕はずっと寝たきりだったんで、できものができたんだ、みたいな感じでした。脳腫瘍とか病気の名前とか、その当時全然、分かなかったので。

岸田 抗がん剤治療の説明では、がんとか、そういうワードもなく?

野口 ワードはあったと思います。でも、深刻に考えず。でも、なんで抗がん剤やってるんだろうっていうふうに思ってて。

岸田 ちなみに、脳腫瘍の種類って覚えてる?

野口 胚細胞腫瘍って言われました。

岸田 胚細胞腫瘍の、脳にできたバージョン。

野口 はい。

岸田 抗がん剤治療の後、放射線も受けてるとのことですがどれぐらいの期間治療しました?

野口 2010年の6月から2012年の6月までの2年間の治療期間があって、その中で抗がん剤が6クールありました。

野口 1クール1カ月かかるんですけど、放射線と抗がん剤を併用したときは、2カ月間ずっと病院に入院してました。

【治療】

岸田 抗がん剤、放射線してたときに、結構、大変だったんじゃないですか?

野口 すごい大変でした。例えば、味覚が変わっちゃって、ものを食べても、変な味というか。

野口 ジュース飲んでもおいしくないし。僕が好きなものは、トンカツなんですが治療中は、胃がただれたりするので、そういう、脂っぽいものを食べられなかったから。

野口 食べたかったなっていう思い出があります。

岸田 他に副作用とかありました?

野口 吐き気がありました。きつかったですね。あと、よだれが、普通の時とは違ってすごい、ねばねばになりました。

岸田 よだれが濃厚な感じ?

野口 そうです。粘り気があるのがすごい気持ち悪かった。

岸田 そんなことがあったりしたんやな。頭のどこら辺にがんができてたの?

野口 僕は、真ん中です。松果体っていう場所にできました。

岸田 それで抗がん剤治療と放射線やって、併用でも2カ月ぐらい、行ってきたということやね。治療は、うまくいったんですか?

野口 そうですね。治療後、脳腫瘍がすごい小さくほぼなくなりかけていて放射線と抗がん剤が効きました。

野口 治療後に腫瘍がかすかに残ってるみたいなことを言われたんです。1カ月か2カ月後にまた検査してみて、その検査結果次第では手術をするかもしれないと言われました。

野口 MRIで再検査したら、そのかすかに残った脳腫瘍が消えてて、手術はしなくていいと言われて今は治療自体してないです。

岸田 よかったね。この期間中とか退院してから、大変だったことってある?

野口 何だろう。治療が長かったので。その間に友達は高校卒業、就職とか、大学に入学するじゃないですか。

野口 SNSとかで、友達が楽しそうな写真をあげていて、でも自分は、病院にいて孤独を感じました。

岸田 ギャップとか、比較とかしたら、結構つらいよね。

野口 つらかったですね。

岸田 それでもFacebookとかTwitterとか見たんや。

野口 いや、最初の頃は見てたんですけど、もう見るのやめました。人と比較しないようにしようと思って。

岸田 この後、2015年4月、日本大学入学。15年ってことは?

野口 卒業してから4年間、間が空いてます。大体2年間、治療して、そこからまた勉強しなおして、2年間勉強して、大学に入学しました。

岸田 世間的には、2浪みたいなイメージ?

野口 そうです。

岸田 大学に入って、そこから、2015年の10月にハンドリングプロジェクト設立。これ何ですか。

野口 簡単に言うと、このハンドリングプロジェクトは、僕が病気のときに、孤独を感じたので、入院してる人たちとか、闘病中の人たちに、孤独じゃないよというメッセージを何かしらの形で伝えたいなと思ってまして。

野口 僕の全部の治療が終わったときに、副主治医の人があいさつに来てくれて。よく頑張ったね、握手しようって言われたんですよ。

野口 僕は治療がつらかったんで優しく握手したんですけど、先生は、ぎゅっと握手してくれたんです。そのときにすごいパワーをもらった感じがして。

野口 それから、握るから握手なんだよって言葉をいただいて、そのときに、じいんときちゃって。

野口 そこから、大学に入って、自分で何か社会貢献をしたい、でも、大学生だから、おもしろいことをやりたいなと思ってたんですよ。

野口 そのときに、『ドラゴンボール』をマンガで読んでて、孫悟空が、みんな、力を分けてくれっていうシーンを見たときに、ひらめいて。

野口 僕が握手で元気をもらったから、いろんな人と握手をして、元気をもらって、それを元気玉というボールにして、今、病気と闘っている子どもたちとか、そういう人たちに届けたいなと思って、始めました。

 

 

岸田 このプロジェクトを設立して、第1号が2017年8月に筑波大附属病院に、元気玉を1号、プレゼントしたと。どういうことを言ってもらえた?

野口 休憩室にボールとメッセージを添えて、置かせていただいたんですけど、結構、患者さんが見てくれています、みたいな。

岸田 ちゃんとそれは届いてるってことよね。今、何号まで寄贈できてるの?

野口 まだ1個しか届けてないです。これからいっぱい届けていきたいと思っています。

岸田 2017年に世界一周して、1000人以上の人と握手、写真に収めるとありますがこれは、1号は寄贈して,その後、世界一周に行って、世界の人たちと握手して回ってるということか。

岸田 世界一周では何カ国ぐらい行ったんですか?

野口 22か23カ国に行きました。

岸田 そんな世界一周もするような野口君から、写真をいただいております。

 

 

岸田 これ、すごい。これ何?

野口 抗がん剤2クール目のときの写真なんですけど。治療が終わってすぐバスケット部の仲間が急に来たんですよ、何も連絡なしに。

野口 そのときに、元気に振る舞えないから会いたくないって言って。でも、みんなどうしても会いたがってるよ、みたいな感じで言ってもらえて、病室に万羽鶴を持ってきてくれて。

岸田 千羽鶴じゃないんや。

野口 僕の同級生が、僕が病気になったときに、尚利に千羽鶴作ろうって言って。そのときのクラス担任が、千じゃ足りないぞ、みたいな。

岸田 すごい、熱い先生。

野口 めちゃくちゃ熱くて。僕の同級生が、僕の住んでる市内のいろんなところから、折り紙を買い占めて、学校の朝の登校のときに、生徒に1枚ずつ折り紙を渡して。

岸田 学校の全生徒が作ってくれたようなもんや。すごいやん。これを病室でもらったん?

野口 病室に3人くらいで担いできてくれてそのとき、すごく気持ち悪かったんですけど、見た瞬間に元気をもらっちゃって。俺、下に行くわって。下でみんなと会いました。

岸田 そうなんや。元気もらったんやね。

野口 すごい元気もらいました。

【家族】

岸田 家族構成を教えてもらえますか。

野口 父親と兄がいるんですけど、母親は、3年前に、乳がんで亡くなっちゃったんですよ。

岸田 ということは、今は、お父さんとお兄ちゃん。当時は、お母さんは?

野口 いました。

岸田 その家族の中での闘病中のエピソードがあったら教えてください。

野口 最初の抗がん剤治療の時は、家族が全員集合してくれて、5日間の治療中ずっと寄り添ってくれてくれました。

野口 さらに母親はずっと、入院中毎日、病院に来てくれました。

岸田 家族でずっと付き添ってくれて、よかったなって思うこともあると思うけど、逆にこうしてほしかったなっていうのはある?

野口 ないですね、すごい、ありがたかったです。ずっと、いつも、一緒に寄り添ってくれました。

【学校】

岸田 学校も結構、大変だったと思うんですけれども。学校は、どのタイミングで休んで、どういうふうに復学、卒業して、日大に入ったんでしょうか。

野口 学校は、抗がん剤治療中は、ずっと休んでて抗がん剤終わったら行けるときに学校に行ってたんですよ。

野口 それで単位を取って。また、抗がん剤と放射線やるときには、病院に行って、また体調が良くなったら学校に戻って、土日でも、学校に行って勉強してました。

岸田 今も、そうやってる患者さんとかもいるかもしれないんですけど、なにかアドバイスはありますか。

野口 つらいときは、僕、すぐ保健室に行って体調が良くなるまで寝て、良くなったらまた、クラスに戻って勉強していました。

岸田 学校のクラスメートたちにもちゃんと伝えて、休みつつもずっと行っていたと。高校卒業して、日大入るまでの勉強のときは、体調はどうだったんですか。

野口 最初の1浪目のときは、予備校に通ってました。

野口 だけど、治療明けてすぐだから、朝起きて夜帰ってくるっていう生活が、すごいストレスになって耐えられなくなっちゃって。

野口 髪の毛とかもぼろぼろ抜け始めちゃって。そのときに、自己嫌悪というか、なんで俺は普通の人じゃないんだっていうふうに思いましたね。

岸田 そこから、どうするの?

野口 すごく勉強したかったので、学校に行って勉強したいけど、学校には行けないというジレンマみたいなのを親に相談したら、お母さんは、授業だけ行って帰ってきなさいと言ってくれて。なので授業だけ行って、自習とかせず、すぐ帰ってきてっていう形をとっていました。

岸田 それやったら、どうやった? 髪の毛とか抜けなくなった?

野口 まだましになりました。一日を通して、頑張ることができないなっていう、その当時。すぐ疲れちゃうし。

野口 2年目は、自宅で勉強しようってなって。予備校に通って大体、要領が分かったので、あとは自分で、マイペースに勉強しました。

岸田 大学生活はどう、大変?

野口 体力的には、学校に通う程度だったら、全然、今は大丈夫です。

岸田 体力的に、どうしても落ちちゃうから。そこを何とか、休み休み、ゆっくり乗り切っていったんですね。

【恋愛】

岸田 当時は、恋愛してましたか?

野口 恋愛してないですね。部活一本で、取りあえず頑張ろうと思って。終わったら、遊びたいなと思って。彼女つくりたいなと。

岸田 治療後、どう?

野口 彼女できました。大学入ってからです。でも、すごい難しいじゃないですか。自分の病気を伝えるのは。

野口 だから、すごい悩みましたね。彼女に甘えていいのかっていうのが。全部出し切っちゃって、重くならないのかなっていうのも考えるし。

野口 でも、自分は言いたいじゃないですか。その葛藤があり、一応伝えてみて、みたいな。

岸田 自分の病気のこと最初のほうに伝えた?

野口 付き合った後ですね。

岸田 どうでした、そのときの彼女さんの反応。

野口 よく分かんなかったような感じが。普通に聞いてくれて、深追いもしないし。

岸田 言ってよかった?

野口 いや、言わないほうがよかったのかな。まだちょっと。

岸田 どうして?

野口 弱みを見せちゃいけないのかな、とかって。

岸田 そっか。どうしたらよかったと思う。

野口 分かんないですね。相手次第じゃないですか。

岸田 次、彼女できたりとかするときは、どうするよ?

野口 相手の様子を見て、言っていいのか悪いのかっていうのを自分で定めてから、言おうかなと思ってる。どこかで、ばれると思うんですけど。

岸田 言わないという選択肢もあり得る?

【就職】

岸田 就活どうしてるの、今。

野口 7月に教員採用試験を受けようと。

岸田 何の先生?

野口 英語の先生。

岸田 中学? 高校?

野口 高校です。

岸田 教員実習、結構、大変やった? 病気の後で体力が落ちてると思うし。乗り切れた?

野口 きつかったです。普通に働いて、その後、部活をやるのですが部活まで、多分、体力ないなっていうふうに感じました。

岸田 そうね。部活の顧問とか、せっかくバスケやってたのに、できない可能性あるのか。

野口 はい。4時とか5時くらいになると、すごい疲れちゃって。

岸田 そうか。学校の先生やるとしても、夕方、ホームルーム終わって、もう帰らないと、ちょっときついよね体力的に。けど、先生を目指そうと思った意図とかなんかあるの?

野口 さっき、万羽鶴の写真出たじゃないですか。そのときに、担任の先生が教員を勧めてくださって。

野口 そこから、先生やりたいなと思いました。その担任の先生が、すごい大好きだったので。

岸田 今後、先生になっていくわけね、ぜひ、そうなったらまた、報告、お願いいたします。

【苦痛からの克服】

岸田 肉体的につらいとき精神的につらいとき、どう克服したか聞かせてください。

野口 肉体的に抗がん剤してた2年間は、すごいつらかったですね。

野口 友達と会って、しゃべるだけでもすぐ疲れちゃうので、疲れたらもう休むっていう形で過ごしていました。

岸田 今はだんだん体力は付いてきてるの?

野口 体力を増やそうと軽く運動、ジョギングとかしています。

野口 前は一日、朝から夜まで活動することができなかったんですけど今は、普通に生活できてます。

岸田 精神的につらいときは、どういうふうに克服しましたか。

野口 本とかを読んで、その中から、いい言葉をもらっていました。

岸田 どのタイミングが精神的につらかった?

野口 僕、治療もそうでしたけど、治療後がすごくつらかったです。

野口 なぜかというと、普通の人と同じような生活ができなかったので、みんな元気にできてるのに、俺だけすぐ疲れて、みたいな。周りに合わせられなかったりとか。

岸田 どう克服してるの。

野口 自分を律してますね。

【医療者へ】

岸田 当時の医療者への感謝や要望を聞かせてください。

野口 僕の担当医とかには、ものすごく感謝しております。要望は、僕、脳外科だったので、看護師さんとかも含めてみなさんすごく忙しそうにしていらっしゃいました。

野口 抗がん剤治療中は、おしっこをためて計量しないといけないんですがそのにおいがすごい臭くて、さらに自分で機械に入れるっていうのが、すごいつらかったです。

野口 おしっこを出したときに、すぐ看護師さんに入れてもらいたかったなって思いました。

岸田 そういったことを看護師さんに言ったりした?

野口 してないです。

岸田 そうか。困ってることない?とか、聞かれんかった?

野口 あんまりコミュニケーション取らなかったんですよ。

岸田 そうなんや。それは、看護師さんが忙しかったから。

野口 もあるし、自分も体調悪かったんで、あんまりしゃべれなかったんです。

岸田 そこのコミュニケーションって難しいな。主治医にはどういったところを具体的に感謝してる?

野口 僕の家族は、怖くてあえて自分から病気のことについてあまり聞かなかったです。

野口 だけど、それを主治医が察してくれたのか分からないですけど、必要最低限の情報だけをくださいました。

野口 精神的に、いろんなことを聞いちゃうと、家族がめいっちゃうのでそれが逆に良かったのかなと思っています。

【がんで得たこと】

岸田 がんになって、いろんな失ったものもあるかと思いますが、あえて、得たこと、得たものはありますか。

野口 自分がやりたいことが明確になったというか。自分を優先して、自分がやりたいことを取り組めるようになったと思います。主体的に。

野口 今は自分がやりたいことに人生を注いでいます。

岸田 そんな中の夢、それがあれか、握手で集めた元気を元気玉にして、病気と闘う子どもに届けたい、ということ。ここからどうしていく?

野口 これを広めていって、生きる力になってもらいたいなと思っています。

野口 今、自分ができることを、取りあえずやっているので先のことは考えてないです。僕はただ、今、やりたいことをやっているっていうのが現状です。

岸田 今を大切に、今、やれることとか、やりたいことをやっていくということですね。

【メッセージ】

岸田 最後に、今、闘病中のあなたへ、メッセージをいただけますでしょうか。

野口 今、闘病中のあなたへ。僕が伝えたいのは、ありのまま生きれば勝ちということです。

野口 闘病って、どうしたら勝つのか、何をしたら、どうなったら勝つのか、勝ったときっていつなのかっていうのを、僕はずっと考えていました。

野口 ありのままの自分で、病気をしてても生きれれば、それは闘病に勝ってるのかなと僕は思っております。

岸田 自分がありのままね。今は勝っている状態であるということで、いいんですかね。

野口 はい。

岸田 これを、今、闘病中の人たちに向けて、今ありのままで生きていれば。

野口 それはもう、闘病に勝っているということを伝えたいなと。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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