目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:木瀬

【告知・発覚】

岸田 きょうのゲストは木瀬真紀さんです。

木瀬 木瀬真紀と申します。ゼロ歳の時網膜芽細胞腫という、目の網膜にできる小児がんにかかりました。

木瀬 今は35歳ですが特に治療等はしていません。当時のステージも不明です。

木瀬 網膜芽細胞腫は目の網膜にできる小児がんなんです。

木瀬 早ければ生後数カ月から遅くても5歳ぐらいまでに診断されるのが多く、私は生後3カ月ぐらいのときに母親が白色瞳孔といって猫の目みたいに網膜が光る網膜芽細胞腫の特徴を見つけて、おかしいっていうので病院を受診し確定診断をされました。

木瀬 両眼性と片眼性があり、私は両眼性でした。

木瀬 当時の両眼性患者はほぼ、分かった時点で重いほうは摘出、いいほうは視力温存のために残すことが多かったので、私は生後3カ月で病気が分かった時点で左目の摘出手術をし、右目の腫瘍にもこめかみから放射線治療を行いました。

木瀬 正面から当てると脳照射になっちゃうので、こめかみから当てて、温存治療をするんです。

木瀬 多分、ゼロ歳とか1歳ぐらいのときにその治療をやりそれでおしまいでした。治療期間はそんなに長くはなかったと思います。

木瀬 1年間で国内80人ぐらい発症するっていわれてるんですが、その内両眼性が全体の3割ぐらいで、残りが片眼性。

木瀬 片方の人は手術で摘出してしまえばおしまい、両眼の子は両方取ると見えなくなるので、片方取って、片方は温存治療っていうのが当時は割と多かった。

木瀬 今は両眼温存とか、他のいろんな局所治療みたいなものも、すごい増えてきているので、それだけが選択肢ではないんですけど。

木瀬 今左目は義眼です。右目は放射線当てて白内障になったので、手術をして眼内レンズです。

木瀬 視力は裸眼だと、多分、0.5くらい見えますが、焦点が合わない。

木瀬 白内障のレンズって焦点を合わせる手術なんですけど、私はそれも合わなくて、見えるところを自分で探しながら見るっていうのが多いです。

木瀬 視力が0.7あって、片方でも見えると障害者手帳とかは取れないので、学校も普通のところ行って、普通に大学進学にもしたんですけど、就職に一回失敗して、大学院に行ってる途中で視力が急に下がって、白内障手術をしました。

岸田 網膜芽細胞腫の手術って、目を取って義眼入れるのを一緒にやる感じ?

木瀬 私はなかったんですけど、眼窩に転移してる場合とかがあるんです。

木瀬 視神経から脳転移すると、網膜芽細胞腫は死亡率が一気に上がるんですけど、目の中にだけにあるときはほぼ死なないので小児がんの中では生存率がずばぬけて高い。

木瀬 目を取った後、眼窩に転移がないかとか、傷跡を見てから、1カ月とかで義眼を作ると思いますが、最初は仮義眼みたいなやつを入れると思います。

【治療】

岸田 その後31歳、入籍前に遺伝子検査。

木瀬 網膜芽細胞腫は遺伝性と非遺伝性があって、両眼性の網膜芽細胞腫の患者は原因の遺伝子変異が特定されてるんです。

木瀬 RB(網膜芽細胞腫)は13番染色体の欠損やズレによって発症するメカニズムが分かっている。

木瀬 両眼性の患者は、2本ある13番染色体のうちの1本が子どもに引き継がれると遺伝して発症するっていうことも分かっていて、小児がんの中では結構少ない遺伝性の腫瘍です。

木瀬 乳がん、卵巣がん、大腸がん等他にも家族性の遺伝するものがあるんですけど、それと同じ。

木瀬 私は両眼性だったので、高校のときぐらいに2分の1の確率で遺伝するんだと知って、結婚する際遺伝子検査をして、13番染色体のエラーがあるうちの、どこがどう変異を起こしているか調べる採血検査をしました。

木瀬 その結果、遺伝子変異が特定できたんですが、次は、子どもをどうするかなんです。網膜芽細胞腫の患者が成人すると、次は子どもに遺伝するのをどう受け止めるか問題が勃発する。

木瀬 遺伝させない方法はあるかとか、そもそも子どもをつくるかとかを、すごいネットで調べたんですけど、国内の情報はほぼなかった。

木瀬 遺伝するとだけの情報で、どうすればいいのかが全く書かかれてなかったので、自分でいろいろ調べたら、海外では着床前診断といって、子どもをつくる前に体外受精で遺伝子を調べて、異常がないものを着床させるっていうのが、場合によっては保険適用で受けられるけど、日本ではまだその対象の疾患ではないっていうのが分かりました。

木瀬 そうすると選択肢は子どもをつくらないか、子どもをつくって2分の1の可能性に賭けるか。

木瀬 その二択しかなくて、子どもを作るか悩みました。

木瀬 でも死亡率が他のがんと比べて圧倒的に低いっていうのが網膜芽細胞腫の特徴なので、もし遺伝してても、早く治療すれば視力は残せるんじゃないかと考え、子どもを産む決心をしました。

木瀬 出産したのは32歳です。産んでから眼底検査で目の網膜を調べて、遺伝してるかどうかを確認しました。

木瀬 生まれた子どもの臍帯血で遺伝子検査ができるんです。私はもう遺伝子検査をしてるので、遺伝してるんだったら結果が同じになるはず。

木瀬 だから、子どもの臍帯血で遺伝子検査をして、もし型が一緒だったら遺伝していて、その時発症してなくてもそのうち発症することがわかる。

木瀬 胎児の羊水検査から出生前に遺伝しているか分かると知って東京の大学病院で羊水検査をしに行きました。

木瀬 結果、遺伝してることが分かったので産後すぐに治療ができるようにと里帰り出産することになりました。

岸田 その羊水検査は、どれぐらいの期間で分かるものなんですか。どれぐらいお金かかるんですか。

木瀬 羊水検査って受けられる週数が決まっていて、一カ月か二カ月くらいでわかる。

木瀬 今、網膜芽細胞腫の遺伝子検査は保険適用になりましたが、私が遺伝子検査した2015年は適用外でした。

木瀬 染色体検査に1万円、この染色体の詳細な検査結果を見るのは15万弱くらい。

木瀬 遺伝子検査は20万いってないぐらいで、羊水検査には8万とか10万とかかかって、合計すると25万ぐらいかかりました。

岸田 産後の治療は?

木瀬 遺伝が確定してもその時点で特に何かすごい命に関わるみたいな状態ではないので、普通の産院で産んで、出産5日目に退院しました。

木瀬 生後7日目に近くのちょっと大きい総合病院で眼底検査してもらったら、もう両目に腫瘍がありますって言われて、がんセンターの希少がんセンターに連絡をして、産後8日目から入院でした。

岸田 その後、34歳で成人患者が中心となる患者会を設立と書かれていますけれども。

木瀬 子どもの治療に結局、トータル2年ぐらい通いました。

木瀬 するとすごくたくさんいるんですよRBの子が、ここには。

木瀬 目だけに抗がん剤を入れるとか、特殊な治療法とか、国立がんセンターじゃなきゃできない治療が多く、手術は全身麻酔でやると子どもは1カ月に1回が限界なので、日本全国から1カ月に1回、上京してきて入院して、手術して、数日で帰ってを、多い人では数十回繰り返す。

木瀬 子どもが治療中の人で、親子間で遺伝してる人が思ったよりいました。その人たちの間では子どもを産むときに情報がなかったよねとか、どうしていいか分かんなかったよねっていうのが共通項でした。検索しても遺伝する事実しか出ないで方法論については述べられていない。

木瀬 じゃあ自分たちでそこを受け止める人たちになりましょうと、私と全く同じ思いを持っていたお母さんと2人で患者会を立ち上げました。

木瀬 成人して治療は終わっても遺伝や後遺症、二次がん等、私たちの経験を集めて困っている人の役に立ちたいと考えて、RBピアサポートの会を設立しました。

【両親】

岸田 家族のことでも、今回はお子さんのこととご両親のこと、分けていきたいなと思います。まずはご両親のこと。家族構成と、当時、ご両親にどういったことをしてもらってたか、分かる範囲でお伺いできたらなと思います。

木瀬 4人家族です。両親とお兄ちゃんと私です。

木瀬 子どもの治療ってどうしても母親に負担が大きくて、当時は母親がずっと一緒に病院に通ってくれていて、経過観察になってからは、1カ月に1回再発がないか調べるみたいな感じでした。

木瀬 中学校の途中か高校ぐらいからは、1年に1回ぐらいのペースになってました。

木瀬 もちろん再発する人とか、他に骨肉腫とかの二次がんにかかる子もいるのに私はかからずに済んだ。

木瀬 20歳からはもう、自由意志。

木瀬 小児慢性特定疾病っていうので20歳以降はフォローしない病院も多いんですけど、来たかったらおいでぐらいの感じで、数年に1回見てもらうかなっていう感じでした。

岸田 小児慢性特定疾病には国の医療費補助制度があって医療費はかかりませんね。ご両親に対して、治療や経過観察のときにこんなことしてほしかったとかっはありましたか。

木瀬 子どもが治療中のお母さんから告知のタイミングや遺伝の話するタイミングについての相談をたまに受けるんですけど、私の場合、親から遺伝の話はされてないんです。

木瀬 病気に気付いたのも幼稚園か小学校上がるぐらいでした。それまで片方見えないからといって、何かにぶつかるとか、できないとかはなかったんですけど、その頃にはどうやら他の人は両方見えてるらしいとはっきり認識していました。

木瀬 病名とかは、風邪をひいて病院に行ったときの問診票に、母親が両眼性網膜芽細胞腫、左目摘出、右目は放射線照射で白内障ありって書いたのをその字面で覚えました。

木瀬 それがどういう病気で、どういう治療をしたのかをはっきり自分で調べたのは、高校生になってインターネット使えるようになったときにこういう病気なんだなっていうのを学術的に認識したっていう感じでした。

木瀬 だからあなたはこうだから、こうしなさいとかはあまりなかったです。

木瀬 しかも網膜芽細胞腫って、がんって付いてないから小学校とかで聞いても、目の病気なんだろうくらいしか分からない。

木瀬 通ってるところががんセンターとて書いてあるから徐々に気付いていった感じです。

木瀬 遺伝に関しても親や主治医に何かを言われたとかじゃなくて、自分でもう知っていたんで、あとは検索っていう感じでした。

【遺伝】

岸田 お子さんへの遺伝についてお話ししていただければと思います。まず、妊娠6カ月の羊水検査で遺伝が分かり、ゼロ歳のときにも臍帯血検査されていますね。

木瀬 羊水検査では染色体までしか分らないのでその時点では確定ではないんです。

木瀬 遺伝子検査はその染色体のさらに細かいところの配列検査なので、99パーセントの精度でほぼほぼ確定されました。

木瀬 生後7日目の眼底検査で腫瘍がありますねと言われました。

岸田 生後10日目より抗がん剤を投与していきますが、ご自身も経験者であり、同じ治療をお子さんが受ける時に、怖いとか困ったこととか、逆によかったとかありますか。

木瀬 今、患者会でも、よく遺伝の相談を受けたり、啓発活動とか、医療者との意見交換みたいなのもやってるんですけど、私は分かるなら調べたいし、知りたいっていう人なので遺伝に関する検査をしました。

木瀬 両眼性に遺伝性があることは分かっているんですが、片眼性でも遺伝性の可能性はあるんです。

木瀬 遺伝の可能性を知りながら子供自身大きくなって、遺伝子検査をしてまで子どもを産む・産まないを決めたいだろうと思います。

木瀬 人はそれぞれだし、知らなくてもいい権利もある。

木瀬 私は知りたかったので、自分も子どもも検査をした上で治療をしましたけど、産んでみてから、もし発症してたら治療するのでいいっていう人もいると思うし、そんな悩むんだったらもう産まないって人もいると思う。

木瀬 遺伝性の病気が小児に発症してしまう治療の決断をしなきゃいけないのは親なんですよね。

木瀬 そこがちょっと他の乳がんとか大腸がんとか他の遺伝性の腫瘍とは違うところです。

木瀬 だから、病気が遺伝性だというのは結構、根深い問題なんです。

木瀬 私は両眼性で遺伝することが分かったので、調べられることは調べて、できることをしようっていうタイプだった。

木瀬 夫はしたいようにしたらいいよって割と付き合ってくれたので、このことで意見が対立するのはなかったです。

木瀬 でも、どっちかの親の片方がRB患者さんで、子どもの1人目に遺伝してた時2人目を産むかどうかでもめたりするっていう話は聞きます。

木瀬 結局は家族の判断ですよね。決めるのは自分たちなので、意思決定をする権利を遺伝性の患者は持っているっていうのが、世の中的には一番正しい答えなのかなと私は思ってる。

木瀬 決めるのも決めないのも、知るのも知らないのも、当事者に決める権利があると思っているんですけれど、その判断で治療するのは子どもになっちゃうので、そこがちょっと親的につらいところですね。

【こども】

岸田 お子さんのことに入っていきたいと思います。抗がん剤治療、生後10日目より抗がん剤治療VEC投与。

木瀬 ベックっていうんです。

木瀬 ビンクリスチンとエトポシドとカルボプラチンっていう、これが今、網膜芽細胞腫で全身化学療法、点滴の抗がん剤でやることが多い治療で、うちの子は生後7日に病気が確定して即入院し、11日目から抗がん剤を投与しました。

木瀬 サイズは小さかったんですが腫瘍は両目にあって、取りあえず抗がん剤をして腫瘍を縮小させてから、他の外科的な、レーザーを当てたりとか、別の、目だけに入れる抗がん剤とかで治療していきましょうっていう方針でした。

木瀬 ちっちゃ過ぎて、カテーテルとかの維持が家だとできないっていうので、45日間入院してました。

木瀬 生まれてからの子どもにすぐ抗がん剤って、親へのダメージが結構、段違いです。

木瀬 だって、生まれたばっかりじゃないですか。

木瀬 超ちっちゃいし、ふにゃふにゃしてるのに、抗がん剤をやるっていうのは…親としてはつらかったですね。

岸田 その後1歳にかけて、右目摘出を勧められると。

木瀬 それまでの間に、7回か8回ぐらい目だけにレーザーを当てたりとか、目だけに抗がん剤を入れたりする局所治療をしましたが、それでも結局1歳のときに摘出をしたほうがいいんじゃないかって言われました。

木瀬 最初、腫瘍が結構小さかったし、VECも効いたので、レーザーとかがん動注っていう、太ももの付け根から極細カテーテルを目の横の動脈まで持って来てそこでバルーンを膨らませて、他の所の血管に抗がん剤がいかないようにして、目だけに抗がん剤を注入するっていう方法を7回とかやったんですけど、どうも腫瘍が落ち着かないと言われました。

木瀬 要するに摘出しないと危ないかどうかっていうのが基準なんです。

木瀬 腫瘍が視神経に伸びていくと、その先には脳があるので、脳転移とか、別の部位に転移すると、普通のいわゆるがんと同じように転移した状態ってステージ悪くなる。

木瀬 目だけにとどまってたら死亡率は他のがんと比べて相当低いけれど、他のところに浸潤して転移した場合は死亡率が一遍に上がりますと。

木瀬 腫瘍の大きさっていうより、うちの子は右目の腫瘍から視神経のほうに腫瘍が活動活発になってしまって、視神経に入り込むか入り込まないかっていうところにいっちゃったんです。

木瀬 浸潤してるかは分からないけど、このままだと摘出が最良だと主治医の先生に言われて、実際3回ぐらい摘出手術の予定は入れたんです。

木瀬 私は、自分が片目を摘出したけど、半分は放射線治療をして今、こうやって暮らしてるので、放射線っていう選択肢で両目温存してあげることは可能なんだろうかっていうのをずっと引っ掛かっていました。

木瀬 親として両目を残してあげたいなっていうのは普通の感情です。

木瀬 放射線を当てると二次がんの可能性も上がるので、そんな危険を冒してまで本当に当てるべきかってすごい悩みました。

木瀬 命を守るためなら片方目がなくたっていいじゃないかとも言われました。

木瀬 私もそうやって実際に生き延びてるわけだし、その意見が全く間違ってると言わないけど、親として残してあげれるなら残したかったので何か方法がないのかなっていうのをずっと調べていました。

木瀬 すると放射線照射はあまり勧めないけど、悩んでるなら…と、がん研究センターの小児科の先生が、陽子線治療を提案してくださったんです。

木瀬 放射線の中でも種類がいっぱいあって、陽子線はエックス線に比べて当てる所をピンポイントで指定できる放射線なので、周りへの影響が低減されるっていうものなんですけれど、網膜芽細胞腫での陽子線治療はそのとき、国内ではやったことがほとんどないっていう状態でした。

木瀬 国内ではアメリカのように眼球を固定して照射できないのでそれほど精度が高くないということと、、もしそれで眼球を温存したことによって転移する可能性も覚悟ができるなら紹介はしてくれるっていうので、陽子線ができる小児がんの病院に行って、照射をしました。

木瀬 ちょうど1歳なりたての頃です。それで今も眼球の温存ができています。

岸田 陽子線治療を選択して1カ月後、左目に再発とありますが。

木瀬 右目が危ないって言われてた時点では、左目は落ち着いてて、腫瘍が不活性化してたんですけど、その間に右目の陽子線治療も一応うまくいってやっと治療終わったと言ってた翌日、外来で初めて経過観察したら、「左目、再発してますね」って言われて。

木瀬 なんで、こうなんだろうって。今度はまた左目の局所治療の続きです。

木瀬 がん動注とかレーザーとかを7、8カ月また続けて、ちょうど2歳になる直前ぐらいにそういう手術とかが全部終わって、これからは外来通院で経過観察していきましょうっていう状態になりました。

木瀬 だから、生まれてから丸2年、治療してましたね。

木瀬 今も両目は残ってますが、細かい字とか、普通の小学校の教科書とかを読めるかって言われたら、ちょっとまだ分からない。

木瀬 細かい数字とか勉強を始めたらもしかしたら何か支援が必要かもしれない。

木瀬 今3歳2カ月になって、経過観察で月1回か2カ月に1回ぐらい、まだ病院で見てもらってるっていう感じです。

【お金・保険】

岸田 テーマを変えて、お金、保険のこと。ご自身とお子さんのことをお聞きしたい。ご自身のときは小児慢性特定疾病で、20歳以降に発生した白内障のとき等は?

木瀬 白内障の手術は10万ぐらい必要でした。それと、遺伝子検査で。。

木瀬 遺伝性網膜芽細胞腫の患者は、子どもへの遺伝の他に、二次がんになりやすいといわれています。

木瀬 それは発症した目にできるんじゃなくて、全く他の肺がんとか胃がんとか大腸がんとか、多いのは肉腫系が、成長期の頃二次がんとして発症する子もいたりします。

木瀬 その理由として欠損してる13番染色体の遺伝子ががんを増殖させることを抑制する遺伝子らしいんですよね。

木瀬 がん細胞の増殖を抑え込むっていう働きをしてる遺伝子が欠損してるから、二次がんになりやすいようなんです。

木瀬 なので、何か病気になったときにローン免除みたいな特約が付くものは入りにくかったりすることがあるらしいですね。

木瀬 自分自身は、親が続けてくれてるがん保険がありますけど生命保険とかの審査は両眼性の網膜芽細胞腫だと厳しいと思います。

木瀬 うちの子も、学資保険とかには入れましたけど、けがとかの保険も断られました。

木瀬 病気でお金を出すのは要らないので、けがをして受診したときに、骨折とかの特約は付けられないんですかって言ったら、それもお断りしますって言われたので、それはちょっと腹立たしかったんですけど、そこの課題は遺伝性のRBの人はゼロではない。

岸田 真紀さんのお子さんは小児慢性特定疾病制度で?

木瀬 そうです。小児がんは今、陽子線治療も保険対象になっているんです。2016年ぐらいから。普通、大人の陽子線治療って300万ぐらいかかるんですけど、子どもは放射線への感受性が強いし、より少ない照射部位で済むという理由で保険適用になっていて、うちのも保険適用になったすぐくらいに制度を受けられたので、ありがたいことにお金はかからなかったです。あとは、単純に往復の交通費とか、関西から治療に通ったので入院のたびの新幹線代とかが結構かかりました。全国から来てる人は毎月飛行機で十何回通うけれど、その部分って何の補助対象にもならない。往復交通費は全部自腹で安くはないですよね。

【つらかったこと、大変だったこと】

岸田 つらかったこと、大変だったこと。

木瀬 子どもへの遺伝が一番、つらかったかな。

木瀬 自分は今普通に暮らせてるし、例えば、見た目のコンプレックスとか、いじめとか、免許っていうつらいことはあるけど、しょうがないで済む話だった。

木瀬 でも子どもへの遺伝はどうしようもできなくて結構つらかったです。

木瀬 だからこそ、こうやって人前に出てしゃべろうっていう気にもなったし、患者会とかをつくってみようっていうことにもなった。

木瀬 患者会を作って情報発信して、仲間と乗り越えていくというか。。

木瀬 私の場合、情報が取りあえずないのがつらくて、出生前診断ができるかどうかとか、着床前診断が日本では今、できないけど、海外はできるとか、そういう情報すら、きちんと得られなくて、結局、自分で英語のサイト調べて分かった。

木瀬 年間80人発症する中で数十人は遺伝性だということは発症を止められないということ。

木瀬 がんの内でも生存率が高い病気なので必ず適齢期には、男でも女でも子どもを産んだらまた遺伝するのかとかこの問題にぶつかる子たちは一定数出てくるはず。

木瀬 そういう情報を個人のブログとかではなくてオフィシャルに発信できるような団体をつくりたいと思って、患者会をつくったんです。

木瀬 本当に、子どもへの遺伝やその治療の過程において、自責の念に潰れそうになった時は生きてるっていうことが一番つらかったですね。

【医療従事者への感謝&要望】

岸田 医療従事者への感謝、要望。

木瀬 子供の治療過程において先生や看護師さんは、とても献身的だったけれど、遺伝に関しては、患者会として頻繁に医療従事者との意見交換をしています。

木瀬 例えば、いろんな検査とか制度について、RBに関するいろんな議論があるんですけど、そこに患者が参画していない。

木瀬 議論は医者の間だけなんです。

木瀬 患者って常に受け身の存在でいなきゃいけない。

木瀬 お医者さんが言うことは正しくて、それをどっちか選ぶのって言われたときに、選ぶ権利はあるけど、こっちから要望ってあんまり、特に治療とかのところでは言いにくいんです。

木瀬 治療を受ける立場だけど、なってみなきゃ医者だって患者の気持ちは分からないわけで、自分自身が治療を受けて成人して、今、こうやって普通に暮らせてるけど、患者としての心配事や遺伝の悩みなんかをいろんな交流の中で遺伝カウンセラーや小児科医とか眼科医とかに話すと、そういうことを考えてたんだねって気づいてもらえることもある。

木瀬 だから、医療従事者への要望っていうよりは、患者がもっと当事者としての意見・要望を伝えていく土壌を社会全体としてつくるべきだなとは思います。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって得たもの、得たこと。

木瀬 つらくてもいいんだってことです。これ、すごい議論になったんです。

木瀬 われわれは不幸なのか問題を患者会の中で議論したんです。がんになってかわいそうとか、こういう後遺症があってとか、子どもに遺伝して、われわれはかわいそうなのかって。

木瀬 大抵かわいそうにって思われるんですけど、今、私、人生楽しいかって聞かれたら楽しいんです。

木瀬 いろんながんになった患者さんとか、何か障害を持ってる方とか聞いたら、でも日常生活は楽しいよって言うと思うんですよね。

木瀬 だけど、だからといって、つらいことがないわけじゃないじゃないです。

木瀬 後遺症とか、偏見とか、治療とか。

木瀬 苦しいとか、つらいこともあるけど、じゃあ不幸なの?って言われたら、それでも、幸せですって言っていいんだなって最近、友達との間で結論が出たんですね。

木瀬 だから、つらいことがあっても、別に幸せですって言ってて何が悪いのって最近、思えるようになったことが、キャンサーギフトかなと思います。

【闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中のあなたへ。

木瀬 『ActionあってのReaction!!』です。

木瀬 私はもう生まれたときにがんだったんですが、がんなんですって人に言うのってつらいんです。

木瀬 周りも困るかなって思うかもしれないけど、でも発信しないと周りからの手助けとか、意見とか、コメントとかも入ってこないし、情報も必要ですって呼びかけないと集まって来ない。

木瀬 言えなくて悩むとか、隠していてつらいっていう人は言っちゃったほうが楽になる。

木瀬 ネガティブなことを隠してるってつらいですよね。

木瀬 元気じゃないのに元気だよって言い続けてるのもつらいと思うので、言ってしまえば、大丈夫?って言ってもらえるだけでも、闘病中は特に気持ち的に全然違うと思うので、自分の気持ちを言っちゃったほうがいいよって言いたいです。

岸田 では、きょうの『がんノート』、以上になります。どうも、皆さん、ご視聴いただきましてありがとうございました。

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