目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 病院や治療の選択テキスト / 動画
- つらかったこと(副作用や後遺症など)テキスト / 動画
- 家族のことテキスト / 動画
- 学校のことテキスト / 動画
- お金・保険のことテキスト / 動画
- 工夫したことテキスト / 動画
- 情報テキスト / 動画
- がんになる前と後で変わったことテキスト / 動画
- あの時の自分へテキスト / 動画
- 大切にしたいことテキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:渡部
「音楽は癒し」——3歳からのピアノと昭和歌謡、8歳で軟部肉腫を経験した渡部真奈美さん
岸田 それでは、がんノートをスタートしていきたいと思います!今日のゲストは渡部真奈美さんです!よろしくお願いします〜!!渡部さん、簡単に自己紹介をいただいてもかまいませんでしょうか?

渡部 はい!大阪府出身大阪府在住、34歳の渡部真奈美と申します。軟部肉腫に8歳の時に罹患しましたが、手術を終え、今は寛解してます。
岸田 はい!ありがとうございます。よろしくお願いします〜。治療はね、がんはね、8歳の時ということで小学生の時に罹患をされてというふうなことかと思いますけれども、あと趣味に一眼レフや料理、ピアノと書いてありますが…ピアノは結構昔からされているんですか?
渡部 そうですね!3歳の時からピアノ楽しそうだな〜ということでピアノ教室を習わせていただいて親に、ずっとピアノを今も趣味でやってます!
岸田 おぉっ、すごい!音楽は好きなんですね?
渡部 音楽大好きですね〜!やっぱり癒されますし、ストレス発散にすごくなるので!
岸田 結構クラシック音楽を聴かれるんですか?それともJ-POPとかロックとか?
渡部 あっ…ん〜J-POPも聴くんですけど、私結構…昭和歌謡が好きなんです!
岸田 お〜!そうなんですね〜!例えば?
渡部 加山雄三とか!
岸田 お〜!すごい!今ね、加山雄三ファンの方がおーっ!!てなってると思います
渡部 (笑)いらっしゃるんですかね?
岸田 結構幅広い年代の方に見ていただいているので(…たぶん)。
渡部 本当ですか!よかったです。
7歳の脱毛から32歳の終診まで——渡部さんが歩いたペイシェントジャーニー
岸田 ありがとうございます!そんなですね、渡部さんなんですけれども、ここからがんの話に早速入っていきたいと思います。これからお話しさせていただく内容、個人の経験談で、特定の治療を推奨しているわけではございません。また医療に関しては主治医の方にご相談いただければと思います。
これからグラフが出てきますけれどもですね、こちらの色などこちらを参照してもらえたらと思っております!そしてドン!というふうな形でですね、こちら…グラフとなっております。ここからちょっとレイアウトを変えてこのような形ですね、お話を聞いていきたいと思うんですけれども。
なかなかね…本当に今、7歳のところからスタートして今のね、34歳のところまでいただいております。真ん中のちょっと点々のところに関しては時間が経過しているところというふうな形となっております。早速なんですけども、お伺いしていきます。まず…一番初め、7歳の頃、頭部の脱毛があるということで、これは何かあれですか?病気か…何かでなんですか?
渡部 いやなんか…頭部脱毛って書かせていただいたんですけど、小学校2年生の時に前髪・まつ毛・眉毛…全部抜けちゃって。
岸田 えっ!?
渡部 そうなんですよ!それで皮膚科に行ってお薬塗って生えてきたんですけど、この時に…学校をちょっとお休みする機会が増えたっていう話なんですけど。全然…がんとは関係ないんですけど、そういえば思い返してみればそういうことがあったな〜と思って書かせていただきました。
岸田 えっ、いきなり抜けたんですか?それともなんか…自分で抜いちゃうみたいなこともあったりとかするかもしれないですけど、どうなんですか?
渡部 自分で…抜く時もあれば、でも…あんまり覚えてないんですけど、小学校2年生なんで。なんかそんな感じですね。
「あれ?すねが膨れてる」——お風呂で見つけた、熱を持つしこり
岸田 (前髪などが)抜けちゃっていったというのが当時あって。そんな中で、がんとは関係なくありまして、その後にですね、はい、こちら、左下腿部(ひだりかたいぶ)に熱感を持ったしこりを発見というふうなことを書いていただいておりますが…熱を持ったんですか?しこりが。
渡部 そうですね。初めて…自分で気づいたのがお風呂に入っている時なんですけれども、その時に…あれ?なんかすねのところが膨れてる!と思って触ったら、熱持ってたのを覚えてるんです。熱を持っているしこりを…見つけたんですけど、次の日へこんでたりとかするので、だから…どこかぶつけたのかな?って初めは思ってたんですけど、それを何回か繰り返してました。
岸田 すねのところに何かこう…しこりができたんですね?
渡部 そうです。痛みとかはなかったんですけど、熱を持っていたしこりを見つけました。
岸田 1個だけですよね?ボコッとなって。
渡部 1個だけです、はい。
岸田 それを発見し、何だろうな?と思っている中で、次こちら、整形外科を受診されていくということで?
渡部 初めどこかにぶつけたのかなぁ〜と思ってたんで、まだ子どもっていうこともあって母に言ってなかったんですよ。で、母に伝えてなくて、でも…あまりにも何回もへこんだり、で、また出てきたりっていうのを繰り返してたんで、子どもながら何かちょっとおかしいな〜と思って母に相談したら、地域の整形外科に行こうか〜ってことになって整形外科を受診しました。
岸田 そっか…ずっと最初は自分はどっかぶつけたのかなって…お母さんに相談するまで1〜2週間ぐらい?
渡部 そうですね。
岸田 じゃあ、近くの整形外科に行こうかと思って受診をされていくということで。ここで受診されていくとこちら上がっていきますが、これがガングリオンと診断ということで、ガングリオンって何ですか?

渡部 ガングリオンは良性の腫瘍なんですけれども…良性の腫瘍って診断を受けまして、で、特に…手術とかも必要ないってことだったんですけれども、(しこりが)出てきたり引っ込んだりっていうのが気になるんであれば一回手術しましょうかって、簡単な手術なんでって言われたんで、なので母もお願いしますってことで。
私も…そのガングリオンというのがなくなれば、見た目も気にならないしいいなぁと思ってて。その時は…やっと原因が分かったし、怖いものでもなかったからよかった〜ぐらいの気持ちだったんです。
「そんなところにガングリオンできないよ」——母の世間話が覆した診断
岸田 だから、その時は良性の腫瘍だっていうことを言われて、そこでもう取ってしまおうというふうな形で、それで終わるんであればっていうことでちょっと高くなってるってことですよね〜。
よし!じゃあ取っちゃおうというふうなことになった後に…これでね、終わってたらもう…この後は無事になっていくんですが、そこからちょっと下がっていきます、これが…部長が診察を…んっ?部長が診察を??
渡部 そうなんです。
岸田 これはどういうことでしょう?
渡部 地域の総合病院の整形外科に受診したんですけれども、母がそこの外科に違う病気で通ってまして、で、外科の部長さんに今度娘が手術するんです〜ってことを世間話といいますか、そういうのでお話ししたみたいなんです、母から聞いた話なんですけど。
そしたら…そんなところに、足のすねにはガングリオンできないよって外科の部長が母に伝えて、もう即整形外科の部長を紹介するから娘さん連れてきてくださいってことで、整形外科の部長の診察を受けることになったんです。
岸田 お〜!じゃあここの…こんなところにガングリオンできないよっていうことに気づいてくださって、じゃあ部長に診察をちょっとお願いしようということで、部長の診察を受けていくんですね?その科の部長というか、科長みたいな形ですかね?
それで診察を受けていった中で、次転院と書かれていますが、これは診察を受けた後、ちょっとここでは…みたいな感じになっていったんですかね?
渡部 そうですね〜。私が覚えてるのは、部長がまず足を触診したんですね。触診してMRI撮りましたか?って言われたんで、撮ってませんっていうことで。で、一度MRI撮りましょうって言う話でMRI撮ったんですけれども、その時に母が診察室に呼ばれて、これも母から聞いた話なんですけど、うちではもう手術できないんで即専門の病院に転院してくださいってことで言われたみたいです。
岸田 あ〜そっか!当時8歳ですもんね〜そうですよね。だからもう…また病院変わるのか〜ぐらいでしか渡部さん自身は…思わないですよね?
渡部 もう全然なんとも思ってなかったんです!正直。でも…えっまた違う病院行かないといけないの?っていうのは正直思ってましたけど。
「何も知らない状態でした」——シール交換と院内学級で過ごした入院生活
岸田 うんうん、そっかそっか。でね、病院…ここでちょっとね、他の病院に行かないといけないっていうことで、ちょっとおやっ?ていうふうな形に…手術することになっていき、そこで…生検を受けられます。生検がちょっとネガティブなのはなんか…印象があるんですか?なんか嫌だった。
渡部 いやー、なんか…この頃ぐらいから正直自分が…がんなのではないか?っていうのはうすうす気づいてたんですけど。
岸田 あっ、そうなの!?

渡部 そう…そうなんです、うすうすですけど。周りがやっぱり…がんの子どもたちだったので。でも…自分はでもガングリオンって聞いてたし、早く正直 学校に戻りたいけどまだ戻れないのか〜ぐらいの落ち込みだったんですけど。まさか自分が…なんかこういろいろと。
岸田 そういう…生検しなあかんのかということで下がっていく中で、そこでその後に残念ながらがん告知を受けていくのですが…結構ポジティブですね!
渡部 そうですね。生検の時から入院してるので、だからお友達とか病院の中でできたりとかして、結構当時シール交換とか流行っててわりと…楽しく入院生活を送っていたというか、そうなんですよ!友達とかと遊んだり、看護師さんの後追いかけて看護師さんにも遊んでいただいたりとか。
結構…院内学級とかもあったのでポジティブに、普通に3時になったらおやつも出てくるし、楽しい!くらいで思ってたんですけど。だから…ちょっとポジティブのところにさせていただいたんですけど。
岸田 これは…ポジティブで周りの環境も含めポジティブだったっていうことはあるかと思うんですけれども、このがん告知自体は…ちゃんと渡部さんにも告知されたっていうことなんですか?
渡部 いや、私は何も聞いてないです。全部母が主治医に…主治医というか病院に呼び出されて、母が全部説明を受けて、母の口からも私に対してそういう告知とかは全くなかったので、何も知らない状態でした、私は。
岸田 あぁ…そうなんですね〜。ちなみにじゃあ、がんと…告知を自分自身で分かっていくのはもう治療を受けた後?
渡部 治療…中ですね。
岸田 治療中に分かっていく…。
渡部 分かりました。生検のところで大体…もしかしたら?と思ったんですけど、まだ…どうなんやろ?まさかでも…って感じで、そうそう、そんな感じだったんですけど。
岸田 治療中に、それはなんか…親御さんから聞かされる感じ?それとも自分で何かこう…何か見てとか、お医者さんから聞かされた感じ?どうなんでしょう。
渡部 うーん…治療後ですね、治療後に親から聞きまして。まあ…そうです、通院とかもやっぱりあるんで、転移とかいろいろそういう話を聞くと、あっ、がんなんだなっていうのが後々分かってきたって感じですね。
岸田 そっか。そこのね、まだ病院に入院している…したてというか、そういった時はいろんな方と遊んでっていったことがある中で、その時のお写真をね、ちょっといただいておりますので、ちょっとこちら見させていただければと思います。ドン!はい、こちら…実家に戻っていただいて、写真も用意していただいてありがとうございます!
渡部 なんかすごい、なんか…昔の写真!って感じですね(笑)昔の写真なんですけど、古〜い感じですね(笑)
岸田 いやーいいね、あの…味がある感じで。
渡部 物もすごく量多くて。
岸田 どのようなタイミングとか覚えてらっしゃいますか?

渡部 えーなんか私…このトラって言うんですけど、この抱えてるぬいぐるみがすごく大好きで!まあ単純に…ちょっと猫抱えて写真撮って、撮ろっかー!って言われて撮ったような…記憶がうっすらと、特に何の意味もない写真ですけど。これぐらいしか でも残ってなかったんですよね〜。
岸田 まあね〜そんなね、写真バシバシは今の時代みたいに撮らないですからね〜。
渡部 そうですね〜、携帯とかもなかったので。
岸田 うんうんうん。じゃあこれは、まだ治療入る前あたりですかね?
渡部 そうですね、生検後ぐらいだと思います。
岸田 ね〜!すごい楽しそうな一つのシーンを切り取っていただいて。
一緒に遊んでいた友だちが、会えなくなっていく——病棟で感じた怖さと罪悪感
岸田 ここから治療とかいろいろ入っていくかと思いますが、がんの告知されてからどうだったのか?というと、下がっていく。これは病院の仲間の急変、同じ病棟の方たちって感じですかね?
渡部 そうですね〜、今まで一緒に笑顔でわっちゃわちゃ遊んでたお友達が急変していって…やっぱり…亡くなる方も正直いらっしゃるし、部屋が変わったりであったり、大部屋だったのが個室になって会えなくなっちゃったりとか、いろいろそういう急変とかがあって。
この時に、私もそうなんだ〜っていうのは、もう生検の時以上に自分の中で確信はついたんですけれども、がんっていう……だけどやっぱり楽しかった…みんなでわちゃわちゃ遊んでたのが病室に一人ぼっちになっちゃったりとかで、結構…落ち込みが激しかったですね。
岸田 ああ〜そっか…。まあね、周りのね、本当…方たちがどうなっていくかっていうのもね、子どもながらいろいろ察するところありますよね〜。
渡部 やっぱり怖かったですね、すごく。

岸田 うーん、そっかそっか。その中でね、もう下がっていくのは、はい、悪夢を見るということで。これは…もう寝てる時にうなされるとかですか?
渡部 そうですね。なんか子どもながらやっぱり怖くて…寝れなかったりとか、悪夢を見たりとか、次…もしかしたら自分が亡くなっちゃうかもしれないとかそういうのもあったりとか、あとは周りの仲間がしんどい思いをしている中で私が本当に生きててもいいんだろうか?っていう罪悪感みたいなものも、すごく…自分との葛藤といいますか、そういうのも…この頃ぐらいにドッと出てきましたね。
岸田 そっか〜!罪悪感とか そういったところもあるんですね?
渡部 そうですね。なんか…やっぱり……みんな治療を頑張ってね、将来の夢に向かって乗り越えようって思ってる中で、だけどやっぱり残念な結果になってしまったりとかっていうのがあると、なんで私が生き残ってしまったんだろう?っていう、そういうちょっとネガティブな気持ちには正直になってしまってた時期はありました。
サツマイモ型に切る10時間の手術、そして3か月後の復学
岸田 そっか〜。そんなネガティブなね、状況からどのように上がっていくのか?っていったところが、次こちらになります、手術。あっ、この後に手術が入ってくるのか!
渡部 そうなんです。
岸田 告知を受けて手術するまでは、ちょっと時間あったんですかね?
渡部 そうですね、1か月ぐらい…1か月もなかったかな…半月ぐらいですかね。
岸田 うんうん。
渡部 時間が空いて。
岸田 手術、こちらに関しては広範囲切除術と書いてますけれども、すねのところを切っていく感じになるんですかね?
渡部 そうですね、サツマイモ型に切って正常な組織とともに悪性腫瘍を取るという手術だったんですけれども、10時間以上かかる結構な大きい手術でした。
岸田 おぉ…。
渡部 別に手術に対しては…その怖さとかももちろんあったんですけれども、だけど…本格的に治療が始まるって意味でポジティブにちょっとなったんですけど、このグラフでは。
岸田 結構その…すねのところを広範囲に切っていくってことは、そこの部分はどっかからこう移植してまた持ってくるとかっていうのはしなかった?
渡部 私の場合は移植とかはなかったですね。筋肉を取って、でも皮膚をこうガッと。だから…24針ぐらい塗ったのかな?結構縫ったんですけど。
岸田 へー!そっか…。
渡部 だから、どうしても…。
岸田 骨とかは取らず?
渡部 骨は取ってないです。
岸田 本当、筋肉だけをごっそり取っていったっていう感じなんですね?
渡部 そうですね。
岸田 へー!!手術自体はじゃあ…長い手術ではありましたけれども、ご本人的には…そこまで負担はなかった?
渡部 負担はあったんですけど、そこまでは…って感じですね。
岸田 手術を受けていって、その後一番ね、ちょっと上がっていく部分。ここに関してが復学という形になります。手術終わってからどれぐらいの期間で復学できたんでしょう?
渡部 3か月ぐらいですかね。あんまり…ちゃんとは明確には覚えてないですけど。

岸田 そうですね〜、当時の出来事ですからね。結構この復学が上がってるってことは、ようやく小学校に戻れるぞ!っていうことで、結構上がってる感じですよね?
渡部 すごく嬉しかったのは本当に覚えてますね!やっとお友達にも会える!みんなと一緒に勉強ができる!で、運動制限とかはあったんですけれども、運動会出れなかったりとか体育の授業出れなかったりとかはあったんですけど、でも…すごくやっぱり友達に会える!っていうのが、もうワクワクして嬉しかった気持ちはありますね!
復学の喜びから一転、小6まで続いたいじめ
岸田 そうか〜ワクワクして、じゃあ復学できるという中で、またちょっと下がっていっちゃうんですよね、それがこちら、いじめを受けるというね〜…。なかなか ちょっと…うーん…これは…もし気持ちつらくなったらあれですけれども、言える範囲でちょっと…当時の状況をお伺いしてもいいですか?
渡部 はい。復学した時に、やっと友達と会える〜と思ってすごく嬉しかったんですけど、やっぱり入院してる期間に、小学3年生っていうこともあって結構まあ…みんな女の子とか男の子でもグループ作ったりとか、もう…私抜きでのそういう…絆といいますか、なんかもう学校での雰囲気がこうガラッと変わっててなかなかなじめなかったということもありますし。
あとはやっぱり…なんであの子体育の授業参加しないの?とか、運動会とかもなんであの子出えへんの?とか、学校来てるやん!みたいな、そういう感じにやっぱり見られちゃって…。退院してからも結構な頻度で通院しないといけなかったりとかで、特別扱いじゃないですけど、そういう…ふうにされてるっていうのも見られてたり。
あとはやっぱ傷あとが気持ち悪いとか、小学生っていうか子どもって結構…ズバッと言ってくるような感じじゃないですか?だから…そういうのでいじめを受けました。
岸田 そっか〜。
渡部 孤立してしまったんですね。
岸田 いやー、つらかったですよね……そっか〜……。その中でね、上がっていくのは、それは小学校卒業するということで。結構じゃあ小学校卒業するまで、結構続いた感じなんですかね?
渡部 もう3年生から6年生まで、最後まで続きました。その間に…親に相談したらいいじゃないと思うかもしれないですけど、やっぱり入院中に…両親がつらくて疲れてるような顔…もちろん見せんとこうと思ってもやっぱり…子どもながらに感じてしまってて。
つらいところとか見せたらダメ!っていうのを自分の中でマインドコントロールしてたというか、強がってた……強くないといけない!っていうのが自分の中で思ってしまってたので、相談もできず、ずーっと…そうですね、もう一人で抱えてきたって感じですね。で、小学校卒業っていう時に、あっやっと解放される!って思った、その喜びがありました。
岸田 そっか〜。ちなみに その…小学校と中学校で結構続くっていうか…、地元だったらね、結構同じ方たちが中学校もいらっしゃるのかなと思いますけど、そこでは大丈夫だったんですか?
渡部 大丈夫でした!中学校はクラス替えがあるんですけど、私の小学校はもう1年生から6年生まで一クラスだったんですよ。
岸田 ああ〜!そうなのか!!
渡部 そうなんですよ!人数が少なくて。
岸田 そっか〜。
渡部 なので、クラス替えが中学校になってあったから、他の小学校の子たちも来るんで、わりとそこで救われたといいますか。
岸田 そういうことだったんですね。そこから時は流れていき、大学に入学していくというふうな形となります。大学入学していく中でにはなるんですけれども…ここから…下がっていくのがちょっと怖いのですが……。そこから学生生活は、特に問題なく過ごしていったということですかね?
渡部 はい、平凡に過ごしていました。
「気のせい」と言われて——大学で崩れた心がPTSD診断にたどり着くまで
岸田 ここからちょっと下がっていくのが怖いんですよね〜、これがこちら…気持ちのコントロールができず…ということが書かれています。気持ちのコントロールができず…これはどういうことでしょう?
渡部 小学校の時に…そのがんになって、病院仲間の急変があっての悪夢を見るってところがあったと思うんですけれども、悪夢を見出してっていうのが…実はその…小学校を卒業するまでの間でも、小学校を卒業してからもずーっと悪夢っていうのはもう続いてたんですけど。
だけど…何かしらやっぱり母とかに心配かけたらいけないっていう思いで…マインドコントロールを自分の中でして乗り越えてきたものの……大学進学と同時になんかこう自分の中で壊れてしまって…もう一人で我慢することがすごくつらくて。
岸田 ああ〜……。

渡部 なんで…その時もなんで…私は…生き残ってしまったんだろう?とか、やっぱその当時の…フラッシュバックといいますか、映像がもう頭の中でバーって流れてきたりとかっていうのが結構頻繁に出てきて。この時も親にしんどいとも言えないし、もう…生きてていいのかな〜とかいろいろ考えました。
岸田 えっ、これって…なんでしょう、大学に行ってから急に出てきたんですか?
渡部 そうですね…やっぱり…大学時代の時に一人暮らししてたんで、だから…一人で暮らしてる時に、なかなか余計に…頼れる人がいなくなったというか、自分がもっとしっかりしないといけない!って思う反面…でももういつまで…弱音吐けないんだろう?とか、強くいなきゃいけないんだろう?っていう気持ちが、もう…いろいろごっちゃになってしまって。で、もう…崩壊したって感じですね。
岸田 だからこうね、今までは実家にいて、それでね、ご家族もいてということでしたけど、大学進学して一人暮らしした中で一人になった時に、いろいろ思い返すことがあってっていうところで、結構ね、わーっ!!てなっていったんですかね〜。
そっか、そんな中でね、精神科も受診されていくっていうことで、これはやっぱ…心の問題だろうということで、精神科にご自身で行かれるんですか?
渡部 そうですね。なんかもう…本当に自分の中でも、なんか…気持ちが壊れちゃって。周りの友人とかにも相談した時に、もう…精神科に行った方がいいんじゃない?心療内科とかって言われて。で…やっぱりこう…ハードルは高かったんですよ、ハードルといいますか。
岸田 うん。
渡部 うん。でも…ね、また…なんというか……悪夢とか見るのもやっぱりしんどいし、このままずっとしんどいのも嫌だな〜と思って、何かしらなんか…楽になる方法ないかなという気持ちで精神科を受診したんです。
岸田 ただ、するが…ということなので、どうだったんでしょう?受診してみて。
渡部 『気のせい』と言われました!
岸田 ガクッ。気のせいと…。えっ!お医者さんがそんなこと言っていいんですね〜!?
渡部 いや、気のせいって…なんやねん!!って正直…(笑)思ってしまったんですけど。なんというかその…病院の先生に言われたのは、昔がんになったことも別に関係ないよ〜って、もうがんは治ってるでしょ〜っていうようなことは言われて。だからもう、それはもう気のせいだよ!いや気のせい違うねん!!って思いましたけど。
いやだって悪夢見るし…フラッシュバックみたいのもあるし、えっ、じゃあなんなん!?って思うじゃないですか!
岸田 思いますよね!うん。
渡部 思うんですけど、気のせいって…ひと言で終わらされました。
岸田 いや…気のせい……ね〜!そりゃあ…ね、どん底の時にそんなこと言われたらね。
渡部 で、気のせいって言われて、あっ、そうですか〜気のせいなんですね〜分かりました〜で帰れないし。
岸田 うんうん。
渡部 なんかすごく…なんか…しんどかったですね自分の中で。
岸田 その中でね、ちょっと上がってきているのがちょっと救いではあるんですけど、それがこちら、ピアサポートに参加ということで。ピアサポートってね、同じがんの経験者たちのちょっと仲間のサポートっていう形で集まりだったりとかね、そういった中での話したりだとかいろいろあったかと思います。これはどういったところに参加したんでしょう?
渡部 チャイルド・ケモ・ハウスのピアサポートに参加させていただきました!やっぱり小児がんっていうこともあって、わりと…こういう活動といいますか、イベントに参加するのがどうしても大きくなってからになっちゃったんですけど。
だけど…いろいろとネットで、ネットもその時は普及してたので、ネットでいろいろ調べたら、あ〜!こういう集まりがあるんだ!そしたらちょっと参加してみようかな?という気持ちで行ったんですけれども、そこでいろいろな…がん種は違っても同じくくりの病気の方とか、結構前向きな方が本当たくさんいらっしゃって。
すごく私自身も救われたし、仲間って本当にいるんだ!!っていう嬉しさ、私も頑張って乗り越えていこう!っていうふうに思えたすごい大きなきっかけでした!
岸田 神戸市にあるチャイルド・ケモ・ハウスさんの施設。私もね…これ僕もいた時ですかね?
渡部 そうです!
岸田 僕もちょっと(イベント)参加させてもらったタイミングで、一緒にこのタイミングでね、チャイルド・ケモ・ハウスさんのピアサポートのイベントに参加してといった時に、ちょっといろいろ出会わせていただいてといったことがありましたけれども。どうでした?参加してみてやっぱり本当に自分の気持ちは変わりましたかね?
渡部 そうですね〜、やっぱり…落ち込んでるだけじゃなくて、やっぱり…いろんながん種もあって、いろいろな環境とかも皆さん違うのであれですけど。だけどやっぱり…当事者として何かしら啓発していきたい!私も力になりたいな!っていう気持ちがやっぱり…高まったきっかけにすごくなりました。
岸田 その中で次こちらになります、ドン!PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断ということで、これはまた…どのような流れでなっていたんでしょうか?
渡部 精神科受診するが気のせいと言われてからも、気のせいって何!?って思って、結構いろいろな病院にやっぱり診断を求めて行ってたんですね。で、ようやくその…分かってくれる先生がいたといいますか、話を詳しく聞いてくれる先生がいて。
で、実は悪夢見るんです〜って、そういうフラッシュバックみたいなものもあるんですって言って、いろいろ本当に2時間近く話聞いてくださって、そしたらその…がんの闘病をきっかけにPTSDって診断を受けまして、やっとこうなんか…私それで…今まで苦しかったんだっていうのがすごくなんか……ありましたね。やっと…ここにたどり着いたっていうか。
岸田 それまではなんか…いろんな病院にやっぱり行ってっていう感じだったんですね?
渡部 そうですね。
岸田 うん、そっか〜。このPTSDと診断されてね、ようやく原因が分かってっていうふうなことかと思うんですが、そこから治療みたいなものはどのような感じになるんでしょう?
渡部 治療は基本服薬治療なんですけれども、今も治療中なんですけれども、だけど…服薬、薬だけじゃなくて、まあその…認知行動療法とか自分の捉え方を変える訓練であったりとか、そういういろいろな治療を受けながら。
岸田 けど、よかったですね!ようやくそういった病院に巡り会えて。
渡部 そうですね〜。なんかすごく…ホッとしました。でもホッとした反面、やっぱり課題っていうのもいろいろ自分の中では見えてきましたけど。
岸田 まあね、ただ何も分からず…っていったところからよりはね、本当やっぱりちゃんと分かってくださる方が見つかって。そして一緒にね、今も治療されているということでありますけれども。そんな中で、8歳からの病院も終診ということで、これまでずっと…定期的には通っていたっていう感じなんですね?
渡部 そうですね、同じ先生に本当にお世話になって、ずーっと8歳の頃から通ってました、定期検診で。だけど再発・転移もなく無事に終診!
岸田 いや〜よかった!
渡部 32歳の時か、うん。
岸田 ほんとじゃあ…もうかなり20年以上ね、その病院には通われていたって感じなんですね?
渡部 そうですね〜、長かったです(笑)
岸田 それはもうあれですか?(定期検診が)終わったタイミングでは、もう行かなくていいわ〜!なのか、さみしいな〜!なのか…どうなんでしょう?
渡部 いやでも…正直 第二のパパみたいな存在で思ってしまってた部分があって主治医のことを。だから…すごくさみしかったです!でも、さみしかったですけど、本当に…もう感謝してもしきれない気持ちでいっぱいですね。

岸田 うん、そっかそっか!そしてね、こちら、今は社会福祉士になるために勉強中!ということで、次のステップとして社会福祉士に今なろうとされてるんですよね?
渡部 そうなんです。やっぱり…がんになって、落ち込んだりとかっていうことが結構今までの人生あったんですけれども。やっぱり…同じ思いをしてほしくないっていう気持ちがすごく強くあって。そのために何かこう話を聞いたりとか、自分のがんの闘病経験を通して一度福祉の勉強をして社会のお役に立ちたいな!と思いまして、今通信の学校に通いながらお仕事して日々レポートに励んでおります!!
岸田 いやー!!すごい!ほんとね〜、(学校に)通いながらお仕事をされながらということでね、きっと…いい社会福祉士になっていただいて!ね、未来の悩んでいる人たちを助けてくださるのかな〜ということを思います!ありがとうございます!
転院先は病院の紹介、心療内科は自分で探した——渡部さんの病院の決め方
岸田 一通りね、いろいろお話をペイシェントジャーニーを活用して、ちょっとお話をお伺いしていきました。ここからですね、各項目に分けてちょっといろいろお話を聞いていきたいと思います。
まず病院や治療の選択という中でですね、どのように病院や治療を決めていったのか?ということがあるんですけれども、まずこちらですね、まずこのペイシェントジャーニーの中で病院を決めていくっていったところで、まずここの…始めは整形外科、近所の病院ですよね?
渡部 はい。
岸田 …に行かれていって、部長さんが診察されていって転院を検討される。これの転院に関しては病院は…こう…ご家族でこの病院がいいなっていう転院にしたのか、それとももう…この前の病院から推薦されたところに行ったのかっていうとどうでしょうか?
渡部 前の病院から推薦された病院に行きました。
岸田 それは…小児の専門の病院、もしくは…がんの専門の病院だったりとか、もしくは大学病院だったりとか、大きめな病院っていう感じなんですかね?どうなんでしょう?
渡部 国立病院です。
岸田 あ〜!そうなんですね?
渡部 私は国立病院に転院になったんですけれども、その先生が…がんの専門の病院にいらっしゃるはずで、初めそこに紹介状をって話だったんですけれども、その先生が国立病院に…。
岸田 異動になった?
渡部 そうです、異動されてたので、私も国立病院に紹介されたという形ですね。
岸田 そっか!最初はじゃあがんの専門病院を紹介される予定だったけれども、紹介先のその先生がちょっと異動になって、国立病院になっていったという感じなんですね?大阪ですよね?
渡部 大阪です、はい。
岸田 大阪で全部こう(治療を)やられていってということなんですね?
渡部 はい。
岸田 手術していこうというのは病院の先生の方針で、手術していこう!ということで合ってますかね?
渡部 はい。
岸田 その後といったところで過ぎまして、ちなみにここの精神科っていうところに関しては、さまざまこうね…ちゃんと診断してくださるところまでたどり着くまで結構いろいろ紆余曲折あったかなと思うんですけれども、いろんな病院に行ったっていうのは、それも自分で調べて行ったっていう感じなんですかね?
渡部 それは自分で調べて行きましたね。
岸田 うんうん。
渡部 でも自分の中で何の病名かとかっていうのも全然知識がなかったので…なので、とりあえず心療内科とか精神科とか…いうところを、通いやすいところでいろいろと調べて行ってっていうのを…してましたね。
岸田 こういうちゃんといろいろ話聞いてくださる先生に行き着いたのは、その病院は…ホームページを見てなのか、それとも口コミとか見てなのか…でいうとどうなんでしょう?
渡部 そこの診断してくださった病院は知人がちょっとそこに通ってて、今日受診日だからなんやったら一緒に受診してみる?っていう軽いノリで行ったんですけど。
そこの病院あることは知ってたんですけど、あれだったら一緒に診察室入ってあげるし、どう?って言われて。軽いノリで…どうせもう理解されないというか、分かってくれないだろうな〜って思いつつ…じゃあ行ってみようか〜みたいな(笑)感じで行った病院が、まあよかったという、その先生が。
岸田 そっか〜いや、そういうね、じゃあ友人の紹介で行けたっていうことですね〜。
渡部 はい。
「一種の心の後遺症だと思ってる」——抗がん剤を使わなくても残ったつらさ
岸田 いや、本当いいところ見つかってよかったです!本当。はい、そしてですね、次はつらかったことになります。副作用や後遺症などでつらかったことという形になりますけれども…どうでしょう?渡部さんは、こう…足の手術をされてそういった時に後遺症などつらかったことはいかがでしょうか?
渡部 そうですね後遺症…副作用は抗がん剤治療をしてないのでないんですけれども、学校で言えば…うーん、やっぱり周りの…同級生と同じようになじめなかった、体育の授業とか一緒に受けられなかったとかっていうのと。
あとは…どうしてもそのPTSDの影響で、当時からもPTSDあったのかなかったのか分からないですけど、その悪夢を見たりとか、自分が生きてていいのかっていうのをずっと子どもの頃から…やっぱり思ったりとかしてて。それも私は一種の…うん、心の…後遺症だと思ってるんですけれども、そういうのが一番つらかったですね。
岸田 それらがね、心の後遺症がようやくね、何十年も経ってようやく…病院に行ってっていうふうな形でね。
渡部 はい。
岸田 っていう形かと思います。なので今回ね、やっぱり思ったのは、体だけじゃないんだなっていうことも改めて気づかされました。
目を腫らした母、笑顔でいようとした8歳——お互いに言えなかったこと
岸田 そんな中で次こちら、家族のところなんですけれども、ご家族、ご両親ね、サポートしてくださったかと思いますけれども、こうサポートしてくれて嬉しかったな〜っていうことだったりとか、こうしてほしかったな〜っていうこと、もしあればお聞かせいただけますでしょうか?
渡部 すごく両親は…やっぱりすごくつらかったと思うんです。だから、本当に治療を支えてくださった両親には感謝してるんですけれども、正直…何も知らされずに、がんって知らされずに何も分からないまま入院して治療をしてっていう状況だったので、今思うと…言ってくれてたら楽だったかな〜少しは気持ちの部分で…っていうのはやっぱり思ったりもしますし、親とも時々そういう話とかもいまだにすることがあって。
でも何が正解とかそういうのがないので難しいところではあるんですけど、でも本当に親には感謝してます。
岸田 そっか〜!まあね、その…やっぱ当時8歳といってもね、ちゃんと…分かりますよね!自分がどんな状況かっていうのも。
渡部 そうですね。詳しくは分からなくても、やっぱり…ある程度…分かってしまうというか。だけど正解を知らないので答え合わせもできないし、なんかすごくしんどかった記憶が…。
岸田 先ほど治療後にね、がんということを教えてもらったよっていうことでしたけれども、教えてもらった時は…どうでした?どういう感情だったんですかね?
渡部 やっぱりっていうひと言でしたね。でも、それで…うーん、聞いて…でもつらかったとも言えず。結構母が…入院中の時も目を腫らして、周りのお母さんとかもそうですけど、目を腫らして。
でも必死にね、子どもさんの前で…笑顔を作ってるっていう言い方は悪いのかもしれないですけど、やっぱりまあ…両親も子どももみんな支える側もつらいっていうのは子どもながらにやっぱり感じてたんで、だから……笑顔でいなきゃいけないし、あの時つらかった〜とかもなんかもう言えなくて。
岸田 そっか〜…。そこね…どう……今だったらどうします?
渡部 うーん、今だったら…正直教えてほしかったなって正直に伝えて…で、やっぱり…弱音はちゃんと吐いとけばよかったなっていうのは思いますね。
岸田 うーん…そっかそっか、弱音をね、しっかり…けど難しいですよね〜、当時ね、本当ね いろいろ心配かけたらあかんな〜とか思ったりしますもんね〜。
渡部 子どもながらに…気を遣ってしまうというか親に、退院後も…。そこがやっぱり吐き出せる人が親でなくても周りにいたら、少しはこう…心の面で変わってはきてたのかな?って、いい意味でっていうのはすごく思います。
岸田 本当赤裸々に(お話いただいて)ありがとうございます。
「ピアノは裏切らない」——休み時間の音楽室が居場所だった小学校生活
岸田 次こちらですね、学校のことといたしまして、またちょっとね、おつらい話ちょっとお伺いしちゃうかもしれないんですけれども、学校のことといったところで、先ほどね、ペイシェントジャーニーの中ではちょっといじめを受けたということもあったかと思います。
その中で卒業していく…この過程…もしくは復学していくその中で、学校…まあつらいこと多かったと思うんですけれども、もうこの時は……なんでしょうね、耐えるしかないのか…どうなんでしょう?
渡部 もう日々、修行のように耐えてました。日々修行のように耐えてたんですけれども…そこが趣味とちょっとつながるんですけど、昔からピアノを習っていて。
岸田 はいはい。
渡部 音楽室のピアノをちょっと休み時間に弾かせてもらったりとかして、ピアノがお友達、ピアノはもう…裏切らない!っていう気持ちがあって、ひたすらピアノを弾いてた記憶があります!
岸田 じゃあ休み時間とか、音楽室行ってピアノ弾いてみたいな形をずっとされていたと。
渡部 そうですね!そのおかげでピアノ上達しました!
岸田 おー!!すごい!ちなみに勉強とかに関しては、それはついていくのが大変だとか、休んでた間とか、そういったところは大丈夫でした?どうでした?
渡部 幸いなことに…院内学級があったので。
岸田 ほうほうほう!
渡部 そこまで勉強の遅れは…感じなかったんですけど、だけど院内学級といっても自習勉強?ドリルとかはたくさんあるんですけど、教えてくれる先生はいなかったので…だからもう自分で独学って形ですね。復習したり独学で新しいことを学んだりっていうことの環境提供みたいな…というのが当時の院内学級だったので、私の知っている院内学級は。
で、幸いなことに勉強が嫌いとか苦痛になるっていうのは私は思わなかったんで、当時。なので、むしろ…そうですね、全然勉強に遅れとかはなかったです。
岸田 院内学級を活用したけれども、院内学級でね…自分で自習というふうな形で頑張って、特にそれで遅れはなかったってことですね〜。
渡部 はい。でも本来は院内学級…今思ったらですけど、院内学級はもちろんのこと、やっぱりその…教えてくれる先生だったりそういう方がいらっしゃったらすごくいいよね!っていうのは思いますね。
岸田 そうですね、僕も院内学級って先生が…いるイメージでしたけれども、当時いらっしゃらなかったんですね?
渡部 そうです。私の病院は先生がいなかったんです。
岸田 そっかそっか!
渡部 基本的には…。
岸田 基本的には…いるかな?と思ってはいますが。なんかちょっとごめんなさい、それはちゃんと…皆さんのちょっと病院の、なんでしょう?どうなんやろ、ちょっといいひんのかな?いるような気がするけどな。
渡部 病院によるし…その時代にもよるんですかね?
岸田 そうですね!ちょっとね〜ごめんなさい、今のまた時代が違うと思いますので、ちょっとまた詳しくは皆さんね、病院の医療者の方、もしくは病院の事務の方に聞いてもらえたら嬉しいな!と思います。
小児慢性特定疾病と府民共済——「安心して治療できる世の中に」と渡部さんが願うこと
岸田 そして次こちら、お金や保険のことといたしまして、治療費だったりだとかそういったところに関してなんですけれども、これはあれですよね?小児の時に(軟部肉腫に)なっているので小児慢性特定疾病のね、そういった医療の助成を受けてというふうな形で、医療費は基本的には無料で受けることができるのかなと勝手に思っているんですけど…合ってますかね?
渡部 そうです。でもその…小児慢性特定疾病…。
岸田 特定疾病、はい、全然いいです(笑)
渡部 小児慢性特定疾病のその制度と、あと府民共済にがんと診断される2〜3か月前に親が勝手に入れててくれたみたいで、それでも助かったんですけど。
岸田 おお〜!
渡部 でも…う〜ん、私はそこで金銭面とかあんまり詳しくは子どもの時なんで分からないんですけど、だけどそこまで…母から聞いてもあんまり困らなかったっていうのは聞きました。でもやっぱり年齢によっていろいろと…ね、狭間に…制度の狭間とかいらっしゃる方とかもたくさんいらっしゃると思うので、そこはやっぱりどうにか…いい方向に、安心して治療できる世の中になっていけばいいのにっていうのはすごく感じます!
岸田 そうですよね〜!渡部さんもね、治療自体はその時終わってますけれども、その後ね、フォローアップでずっとね、通われていてっていうふうなこともね、やっぱありましたしね、そういったところで…いろいろまたお金が必要な部分もあったかと思いますし、またそのね、心の病気のね、後遺症のところでのことでもね、あったりすると思いますのでね〜。そこら辺がね、しっかりフォローされていくといいですよね?
渡部 はい。
「泣くのは夜、一人で」——看護師さんと遊んで気を紛らわせた入院中
岸田 ありがとうございます。次こちらですね、工夫したことといたしまして、入院中でも治療後でもどのタイミングでも構わないんですけれども、渡部さんが意識してやったことっていうのはあったりとかしましたでしょうか?
渡部 工夫したこと…入院中は…とにかくやっぱり……つらくて、でも周り…親がいる時に泣いたりとかできないし、したらいけない!と思ってたんで。だからもう…基本的につらいって思う時は、もう夜一人で泣くって感じだったんですけど。少しでもこう自分をポジティブにするのに、本当に看護師さんとか看護学生さんとかがいらっしゃったので、だからもう…遊んでもらって。遊んでもらって…。
岸田 遊んでもらって、こう気を紛らわすとかね?
渡部 そうそう!遊んでもらって気を紛らわす、そう!それをしてました!!
情報源の見極め方は「公式」のひと言——講演会とピアサポートで集める今
岸田 次にですね、情報のことについてお話を聞きたいんですけれども、やっぱり小児のがんの情報、もしくはその…治療を受けた後ですね、後遺症のところへの情報だったりとか、そういった情報ってどういった形で手に入れてましたか?
渡部 うーんまあ…今はSNSとかやっぱりネットとか、病院とかに行っても結構 冊子とかが置いてあったりするのでそういうところで情報収集して、実際に聞きたいと思う講演会であったりとか、あとはピアサポーターみたいな当事者の集まりであったりとかで情報収集は主にしています。でも当時は…やはりそういうのもなかなかなくて。
岸田 そうですよね〜。
渡部 なかなか情報収集といっても…できない…状況だったので。だから今と昔とはだいぶ違いますけど…ね!(笑)
岸田 まあね、今は…しっかりこうインターネットとかでもね、さっきのピアサポーターの情報とかもね、ネットで調べてそれでチャイルド・ケモ・ハウスに行ってみたっていうのもありましたしね〜、はい。
渡部 だけど、その…ネットはでもやっぱり…間違った情報とかもあるんで。
岸田 確かに!
渡部 そこはやっぱり見極めていかないといけないんですけれども。
岸田 渡部さんなりの見極め方はあります?
渡部 公式!
岸田 公式…が出してるかどうか?
渡部 公式!もう公式ですね(笑)本当に。
岸田 公式に限る!って感じですね?
渡部 そうですね〜。
岸田 ちゃんと病院だったりとか政府だったりとか、行政がちゃんと出しているものっていうのをしっかり見ていくという感じですかね?
渡部 はい。
「明るくいなきゃいけない」——マインドコントロールが崩れた大学時代
岸田 そして次にですね、がんになる前と後で変わったことってあるんですけども、こちらに関しては8歳の頃に罹患されている渡部さんなので、もし…がんになった後、こういった気持ちで生活しているよ生きているよっていうのがあれば教えていただけますか?
渡部 変わったことは…がん闘病中に明るくいないといけない、やっぱり周りを…悲しませたらいけないっていうので、自分はもう元気な姿を見せないといけない!っていうのでマインドコントロールみたいなのをしてしまってた部分っていうのは正直あって。
だけど、その後…もうずーっとなんとか自分の中で耐えてきたんですけれども。大学時代の時にもう崩れ…メンタル的に崩れ落ちたっていうのがあって、だからやっぱり…今思うと。
岸田 うん。
渡部 今思うとその時に…話せる方とかがいたらいいな〜っていうのを、すごく思います。
岸田 その時に話す方っていうのは、なんかこう…何でしょう、まあそっか当時…そうよね、そんないないですよね?医療者か家族かぐらいですよね?
渡部 当時はそうですね〜。私の時はでもそうなんですけど、だけど…私の話っていうのはだいぶ昔の話で、今とはやっぱり制度とかも変わっているので、なのでやっぱり医療であったり教育であったり福祉であったり、いろんな方にやっぱり相談というか悩みとか全然関係ない話とかでもいいから、とりあえず話せる人を身近に作ってほしいっていうのは本当に私の思いですね。
岸田 そのためにもね!こう、渡部さんがね、社会福祉士となってね、いろんな方のね、相談にも乗ってほしいな!っていうこと思いますしね。
「つらい時は泣いてもいい」——耳が痛くなるまで8歳の自分に言い聞かせたいこと
岸田 そして次こちらですね、あのときの自分へということで、当時8歳の時の自分でもいいですし、小学校の卒業する前までの自分でもいいですし、なんかあの時の自分に…今だったら こういう声がけするなっていうと、どんなことをお伝えしますか?
渡部 やっぱり…すごく正直孤独だったんです、闘病中・闘病後も。なので…つらい時は本当に泣いてもいいし、楽しい時は笑ってもいいし、自分の気持ちに素直になることがとても大切だよっていうことを言いたいですね。大人の方にもうちょっと頼っておけばよかったなっていうのは、すごくあの頃の自分へもう言い聞かせたいぐらいです、耳が痛くなるまで!うん。
岸田 だからもっと頼ってもいいよ!ってことですね。もう今見てる方もね、ぜひいろんな人を頼ってほしいなということを思います。ありがとうございます。
「強みは当事者であること」——何でも話せる相談員になるという夢
岸田 次ですね、こちら、大切にしたいこと夢や目標などということでね、今後ね、社会福祉士の資格を取ってというふうなことをおっしゃっていただいていましたけれども、社会福祉士の資格を取ってやりたいこと、もしくはこういうふうに働いていきたいな!みたいな、そういった理想の姿はありますでしょうか?
渡部 自分の強みはやっぱりがんの当事者っていうことだと思うんです。やっぱり…マイナスなイメージが世の中にはあると思うんですけど、がんっていう言葉が。だけどそうじゃなくて、やっぱりがんになっても…今まで通り生きることができる…安心して暮らしていけるような社会づくりにやっぱり私も参加していきたいっていうのもありますし。
やっぱり当事者として何でも話しやすい、そして悩んでることを小さなことでも解決していけるような寄り添っていける相談員になっていきたいなっていうのが今の夢です!
岸田 ぜひ!ぜひそれを大阪の地で。ぜひぜひ!もっとね、素晴らしいこう…相談のできる相談員になっていただきたいと思いますし、ぜひそのね!地域の中でも変えていってほしいな!ということを思います。ありがとうございます。
「あなたは決して一人ではありません」——渡部さんが伝えたい言葉は「笑顔」
岸田 それではこちら次はですね、渡部さんに視聴者の皆様へのメッセージをいただいておりますので、次こちらになります。

渡部 はい。私が皆さんに伝えたい言葉は笑顔です!がんになると不安なこととか、自分自身で気持ちの整理がつかなくなる時とかできなくなる時ってたくさんあると思うんですけれども…私の(闘病)当時と違って、今はがん相談支援センターとか公的な場所、相談場所も たくさんできてきているので、ぜひそういうところも上手に活用していただきたいと思います!
そして、やはり問題としてはなかなかそういう相談場所とか制度とか、なかなか認知されていなかったりとかっていうのもあるので、当事者として私もこれからいろいろと啓発活動を行いながら、皆さんが…一人で悩まない場所を作れる力になるよう頑張っていきたいと思います!あなたは決して一人ではありません!皆さんが笑顔になれるよう、私もたくさん笑顔をばらまいていきたいと思います!ありがとうございました〜!
岸田 はい、ありがとうございます〜!たくさん渡部さんが(笑顔を)ばらまいてくださる!ということですので、ぜひね、あやかりたいと思います!
渡部 (笑)なんか変な菌とか入ってないんで大丈夫ですよ(笑)
岸田 思わないですって!!全然!全然!素直に素晴らしい笑顔を受け取っていきますので、そんな!
渡部 受け取ってください!(笑)
岸田 受け取っていきたいと思います〜!
渡部 ありがとうございます、すいません。
岸田 いえいえいえ、ありがとうございます!このね、渡部さんのこの明るい経験談っていったところがね、当時は本当大変だったと思いますけれども、今こうやってね、明るくされている、そういった姿に励まされる方もいらっしゃるんじゃないかな?と思います!
はい、といった中でですね、がんノート終わっていくんですけれども、渡部さん、この時間いかがでしたでしょうか?
渡部 いやとても…なんか緊張はしたんですけれども、だけど当時のことを振り返ることができてすごく貴重な時間を過ごさせていただいたと思いますし、これを通して自分自身も今後…がんに関わる啓発活動とか、そういうことをやっぱり積極的に今後していきたいな!という気持ちが高まりました。本日はありがとうございました。
岸田 こちらこそ、素敵な経験談をありがとうございました!あの…皆さんもね、何か渡部さんのこの経験談で何か知る、もしくは行動する何かしらのきっかけになってもらえたら嬉しいな!ということを思います!
これにて、がんノート終了していきたいと思います。また次の動画でお会いしましょう!それでは皆さんバイバイ!
渡部 バイバーイ!
岸田 バイバーイ!
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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