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インタビュアー:岸田 / ゲスト:武田

趣味は温泉とキャンプ——本日のゲスト・武田さんの素顔

岸田 それではがんノートをスタートしていきたいと思います!今日のゲストは武田さんです!よろしくお願いします。

武田 よろしくお願いします!

岸田 よろしくお願いします。武田さん簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?

武田 はい、私ですね、兵庫県の神戸出身でして、今現在は長野県の松本市っていうところに住んでます。家族は妻と息子ということで、仕事は今会社員をしております。趣味の方はですね、ここに書いてます通り旅行であったりとか、キャンプとか温泉を巡ったりとかそういったことが主です。

武田 私の病気としては悪性脳腫瘍の膠芽腫(こうがしゅ)、グリオブラストーマという病気なんですが、それのIDHワイルドタイプ野生型ということで、いわゆるステージということで表現するとグレード4という非常に予後が厳しい病気で。

武田 49歳の時に告知を受けまして、その後抗がん剤を使った薬物療法とIMRTと放射線療法をしまして、現在3ヶ月に1回ですね、造影MRIをして経過を観察中というところになります。よろしくお願いします。

岸田 はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。ちょっと前半のところで恐縮なんですけれども、武田さんのご趣味って言ったら旅やキャンプ、温泉巡り、キャンプなどについてはまた後でもお話いただけるのかなと思うんですけど、温泉巡り!温泉って結構ね、僕も好きだったりするんですけど、おすすめの温泉ってどこが武田さん的におすすめだったりしますか?

武田 そうですね、長野県ですと、今住んでいるのは松本市っていうところなんで、そこから比較的近いところっていうところになると乗鞍(のりくら)のところの温泉であったりとか、あと見えますかね、白骨温泉っていう。

岸田 あー!聞いたことある!

武田 結構硫黄の匂いがすごく体に染み込むぐらい、だからTシャツとか…翌日のTシャツとか硫黄の匂いがするっていう感じで、すごくなんか効いてるっていう感じの温泉なんで、そういったところに巡ってますね。

岸田 そういった温泉ね!といったところも、いろんなさまざまな、長野県以外にもさまざまに行かれてといったところがあるかなと思うんですけれども、今回ね脳腫瘍ということで。この、僕あんまり聞かないですけど膠芽腫(こうがしゅ)IDH野生型、これってどういう型なんですか?

武田 型っていうか、膠芽腫(こうがしゅ)の中で細かくみたら『IDH野生型』『ワイルドタイプ』っていうタイプなんですけど、そもそも膠芽腫(こうがしゅ)っていう病気。

武田 悪性脳腫瘍の中でも星細胞腫とか何種類か、大体150種類ぐらい脳腫瘍という種類があるんですけども、その中でもグレード4という非常に予後が悪くて、大体1年過ぎから1年半以内にはほとんどの患者さんが亡くなってしまうという非常に厳しい病気になります。

武田 実際私の仲間も私より後で罹患された方が先に亡くなってしまうとかいうケースもあったりとかいうこともある病気ですね。

岸田 そうですね、ありがとうございます。武田さんがどういうふうにがんを告知されて、そして今に至るのかお話を聞いていくんですが、ここからですね、ちょっとお話は個人の経験談でございまして。

岸田 治療方法出てきますけれども、あくまでも武田さんがご実施された、また皆さんが見られている時にはまた標準療法など変わられているかもしれませんので、詳細の病気とかそういった治療法については主治医の方にご相談いただければと思っております。

健康診断のMRIから始まった——膠芽腫グレード4・武田さんの治療と日々の記録

岸田 はい、そんな中でですね、ペイシェントジャーニーこれからお伺いしていくんですけれども、感情の浮き沈みっていったところ、上がハッピー下がアンハッピーみたいな形でとか表現させていただいたり、吹き出しですね、このような形となっておりますのでこちらね、また見ていっていただければと思います。

岸田 早速なんですけれども、武田さんのペイシェントジャーニーはこちらになります!武田さんのですね、だんだん上がってはくるんですけど、最初の方でドン!と下がってきてといったところでお伺いをしていければと思いますが。

岸田 まず初めに、仕事やボランティア活動をされていっていたといったところで、どんな仕事やどんなボランティア活動されていたんですか?お仕事は会社員ですよね?

武田 そうですね、はい。

岸田 それはあれですか?デスクワークとかですか?それとも営業みたいな形で出ていく感じなのか、どうなんでしょう?

武田 営業ではないんですけど外に出ていくっていうこともあったりとか、あとは企画管理とかの事務系のスタッフ職として今やってます。

岸田 ボランティア活動ってどんなボランティアをされていたんですか?

武田 ボランティアはですね、子どもがボーイスカウトをやり始めた時に自分もまた一緒について行ったりとかしてですね、やってた内容っていうのはボーイスカウトっていう活動、ボランティア活動ですね。

岸田 ああ、ボーイスカウトか!

武田 いろいろキャンプとか自然と親しむ、そういった感じの活動ですね。

岸田 いいですね!そんな中でですね、会社の健康診断でMRIを受けられていくということなんですけど、健康診断でMRIって受けることあるんですね?

武田 普通はないと思うんですけど、たまたまうちの会社の方ですね、40歳以上だったかな?5年に1回限り脳ドックを受ける権利があって、その時に脳ドックで通常、普通のMRIを受けたという感じです。

武田 その時に全然その…頭痛がするとか全くそんなのなくて、いたって健康な状態で、何も出ないだろうと思ってMRIを受けたって感じですね。

岸田 受けられていったということですね。だからこの時のMRIを受けられていった結果、どうなっていくのかと申し上げますと、ドン!と、がん告知を受けていく。えっ、いきなりがん告知を受けられるんですか!?そのMRIを受けて?

武田 最初は検診センターの方から、ちょっとお伝えしたいことがあるので、系列というか付随する病院の脳神経外科の方に来てもらえませんか?というようなことを電話でお伝えいただいたんですけど。すごくなんかこう、なんて言うんですかあの…どもっているというか、言いたいことがあるのにはっきり言えないという看護師さんの電話だったんですよね。

武田 それ正直どういうことですか?ということで聞いて、すごく戸惑ってらっしゃったんですけど、実はちょっとすごい大変なことの病気になっているみたいに見受けられるので、正式に脳神経外科に…外来に来ていただいてちゃんと先生の方からお伝えをさせてくださいという感じで言われましたねはい。

岸田 ほう〜。それでその先生のところに向かわれていって、告知を受けられていくんですかね?

武田 そうですね、さようですね。

岸田 その時に主治医の先生からの、この説明というのはここで治療方針といろいろ話し合っていった、そんな感じですか?

武田 そうですね。病気自体がこういう病気ですよということと、具体的な治療法に関してはその後だったと思うんですけども、治療に関してこういう手段がありますというような説明を受けたという感じですね。

武田 で、先生自身もちょっと正直僕の膠芽腫(こうがしゅ)っていう病気に関してはすごく相当予後が厳しいので、すごくこう、僕のメンタルを気遣いながら聞いてきたりと告知をされたんですけど、僕も結構腹くくってたというか覚悟してたんで、落ち着いてもう全て言ってくださいみたいな感じで画像を見ながら説明を聞いた。

岸田 結構腹くくってたっておっしゃってますけど、結構あたふたしなかったですか?がん告知を受ける時とか、そういったタイミングでは?

武田 出てしまった結果は受け止めるしかないかなっていう感じで、それでこう不安になっても…、不安にならないことはないんだけど、それを淡々と粛々と受け入れる。

岸田 えっ、もともと武田さんってそういうご性格なんですか?なんかあっても動じず?

武田 ええ、だから決断は結構早いですいろいろ。うだうだ考えずにもう自分の直感をある程度。

岸田 信じて?

武田 突っ込んでいく感じですね。

岸田 そして気を遣いながら、あの…あまりよくないがんですよっていったところで、脳腫瘍ですっていったところで、治療方針の相談があったっていうことをお伺いしましたけど、ここからあれですか?手術していきましょうとかそういう治療方針とかってのがあったんですか?

武田 手術はちょっと部位的にも厳しいっていう、だから他の施設に行くかということは言われたんですけど、あとは放射線の治療の方針であったりとか、抗がん剤を使うとか、いわゆる一般的な標準治療というのはこういうものがあって…というような紹介を受けて。

武田 それは最終ご自身でどういう選択をされるか?というのはいろいろと他の先生のセカンドオピニオンを受けてみたらどうですかね?っていう感じで。

岸田 セカンドオピニオンを受けてみたらどうですかねって言われて、セカンドオピニオンをここから受けていかれるんでしょうか?

武田 僕はセカンドオピニオンは、すごく先生が勧めてくれたんですよ。セカンドオピニオンっていうのは患者の権利だから、これは患者としてそれを行使した方がいいよ!って。主治医に遠慮とかそんなのは全く必要がなくて、どういった治療がいいのかっていうのは自分でいろんなところで聞いてみて、納得をして治療に入った方がいいっていうことを先生がすごくおっしゃっていただいたんですけど。

武田 正直その…僕も病気を画像とか見た時とか病気のことをある程度調べたりとかした時に、これはちょっともともと膠芽(こうがしゅ)ってスピードが速いんですよね。

岸田 へえー!

武田 広がってくスピードが。後でちょっとまたお話しますけど、急速に広がってしまう、バタフライのような形になったりとかする、スピードがすごい速いんで、僕はもう一か八かで治療を急ぐことを優先したっていう感じで、もうセカンドオピニオンは受けずに勧められた治療を。で、もう向き合うしかないかなっていう感じで。

仲間の前でのけいれん、そして救急搬送——生検でくだった確定診断

岸田 もうスピード重視でそれ決められていった。そんな中でですね、スピード重視なのか?左指の血管腫の手術ということで、これはがんと関係が…?

武田 がんとは直接関係なかったんですけど、この指がこう…途中こう曲がらなくなって。

岸田 曲がらなくなったのか!

武田 痕ついてるかも分からないですけど、縫った痕がある。要は血管腫ができて膨らんでピタつかなかったんですよ、こういう感じまでしかいかなくて。

武田 そこを取る手術をしたんですけど。ただその手術をする時もあれですよね、全身のその腫瘍が何なのか?っていうのを調べるんで、全身をMRIとって脳に腫瘍があることも分かったでしょうけど、これ自体はちょっと受けたのが脳腫瘍で受けた施設とこの指の手術はまた別の施設でやってたんで、これ自体は脳腫瘍とは関係なかったですけど。

岸田 関係なかったんですね!ただもう先に手術の予定が入ってたから先にやったみたいなそんな感じですか?

武田 もうそこは決まってたんで、はい。

岸田 そうなんですね!それは先に決まってたんで、やってっていう感じなんですね。脳腫瘍とこれは関係ないですけど手術をしていってということですね。だから赤色のポジティブなんですね。よかった。

岸田 無事その血管腫が取れたんですかね、大丈夫でしたでしょうか?

武田 はい、それは大丈夫でした。

岸田 はい、その中で下がっていきますが、ボーイスカウト中に意識を喪失されていくっていうことで、あれ?まだ治療始まらないんですね!?

武田 そうですね、はい。血管腫の手術が終わって、翌日に夏のイベントがありまして。一般の方にボーイスカウト活動を紹介するような機会で、展示会っていうかその…自然の中でそういうやっている活動を紹介するタイミングがあったんですけど、その時に準備をしている時に夏のクソ暑い中準備をしている時にですね、けいれんが起きまして。

岸田 えっ!?

武田 で、もう全身がけいれんするような形でけいれんが起きて、意識を消失したってことなんですよ。実は脳腫瘍ができた時に脳外科の先生から画像を見て、3センチぐらいの腫瘍になってたんで、この大きさでけいれんとか経験したことないか?ってずっと言われてたんですよ、実は。

武田 いや、全然大丈夫ですって言って、ああそうっていう感じで言ってたら、本当にけいれんが起きまして、あっこれが先生がおっしゃってたけいれんってやつか〜って。

武田 脳の中からなんかもううわー!ってこうなんていうか、電波がこう飛びまくるっていうか、最初そういう感じでうわー!ってなって、で。うわー!って言ってる間にこう意識が…で、ボーイスカウトの仲間がわー!って集まってきてくれてる中で意識が消失して、起きたらもう病院のベッドだったっていう感じですね。

岸田 うわー!なんか、ただあれですね一人でいる時じゃなくてよかったですね!

武田 そうなんですよ、これ一人でいる時ベッドに寝てたら、そのまま一人でちょっと逝っちゃったかも分からないですよねっていう。

岸田 いやあ〜。

武田 本当みんなが見てる前で倒れて、すぐ救急車呼んでくれて、スタッフの中にも医療者がいたんで処置いろいろしてくれて、すごくツイてたっていうか。

岸田 そうですよね!なかなかね…そんな、本当に不幸中の幸いというか、そこで意識が失われていって病院で目が覚め…そんな中でこの生検の手術をされていくということで、生検ってあれですよね?検査のための手術ってことですか?

武田 そうですね。脳を最初は穿頭って言って刺して組織を取ってきてっていう1時間ぐらいの手術になると思うんですけど、そうする。で、その実はボーイスカウトの活動する時、してる1週間後にその生検手術をやるっていうことは決まってたんですけど。

武田 もうそのタイミングで実はもうちょっと控えて行動してればよかったんですけど、全然そこまで、全然その…脳にこう意識、頭痛がするとかそういうの全くなかったんで活動しちゃって、で、その週末に予定した生検手術まで救急車で運ばれてからそこに入院してたっていう感じですね。

岸田 そうなんですね。運ばれてもすぐやらないんですね、ちゃんと予定通りやったんですね?生検手術。生検手術をして取ってきて、ようやくそれで組織を見て脳腫瘍の詳しいことが分かっていくという感じなんですかね?

武田 そうですね。

岸田 それはもうがん告知の時と変わらずでした?がんに関しては。

武田 やっぱりというか、ほぼほぼ、確定診断という形になるので、組織を取って病理の先生、病理医が判断して膠芽腫(こうがしゅ)ですという感じですね。

岸田 改めて膠芽腫(こうがしゅ)ですって分かっていく中で、その後復職と書いてありますが、あれ?この時はお仕事はけいれんされてからお休みされてたとかですかね?

武田 要は、救急車で運ばれてから生検手術の時までもちろん入院してますよね。生検手術が終わって、その後生検の傷が落ち着いてきた段階で無謀にも復職してます。

岸田 ほお〜、ってことは数週間お休みされて戻っていった感じですかね?

武田 生検おわって1週間ちょっとかな、10日も経ってなかったと思うんですけど。その後治療は始まるんですけど、入院じゃなくて外来で。だからもう、別に仕事が好きなわけでもなんでもないんですけど(笑)またどうせ休まないといけないとかいうこともあるんだったら…っていう感じで。

武田 そこで強引に先生も、そこまで無理しなくていいんじゃない?って、自分の勝手な判断で、会社には了解もらってますけど復職をしたといったという感じですね。

IMRTとテモゾロミド——野菜にたとえて語る、脳の奥にできた腫瘍

岸田 そんな復職をされていった中で、先ほどね、外来で治療ということもありましたが、放射線とか薬物療法をされていくということで、放射線IMRT。これ普通の放射線とは違うんですか?

武田 そうですね。これ最近は結構多いと思うんですけど、IMRTっていう強度変調放射線治療って言って、部位をピンポイントではないんですけどそこに集中させて放射線を当てるという、全脳照射というのは全体に当てるという感じなんですけど。

武田 このIMRTというのは腫瘍の部位のところに絞って他のところの線量、放射線の線量を下げてそこの部位のところに特に強く当てるという、強度変調放射線治療というのがIMRTなんですけど、それを外来で行って、30日間連続で土日は休みですけど行くという外来でやりますね。

岸田 外来でやって、そして薬物療法も、これはもうあれですか?注射なのかそれとも点滴なのかとか、そういうのでいくとどうなんでしょう?

武田 これはですね、注射剤もあるんですけども、一般的な経口剤でテモゾロミドっていう薬を1週間28日サイクルのタームで、そのうち5日間連続して飲んで休薬して…23日休薬してっていうのを繰り返していくっていう感じの薬ですね。

岸田 これどれぐらいされるんですか?それを。

武田 僕は実は2年弱やったんですけど。

岸田 そんなに!

武田 実はこれ診療方針の縛りで、一応ずっと続けることはできるんですけど、専門の施設とかだと大体1年〜2年弱ぐらいというのが多い。結構金額…目が飛び出しますけど。

岸田 そうですね!結構いきますね。そんなこの中でなんですけど、当時の治療の時というか、どういうふうに治療されていったのか、どこまで腫瘍が広がっていったところに関しては、実は武田さんからご写真をいただいておりますのでちょっとそれを見ていただきたいなと思います。はい、こちらお写真となります。ちょっとこれが…ご説明いただいてもいいでしょうか?

武田 はい。真ん中のところは造影のMRIの画像なんですけど、左からですね、冠状断・水平断・矢状断って3種類があると思うんですけど、この赤い丸がついてるとこですね。

岸田 この赤いのですね?

武田 そこが要はこの中にあるこの白い部分。

岸田 はいはいはい、これですね。

武田 これがその脳腫瘍の部位で、結構真ん中の奥の方にあったっていう感じなんですよね。で、ちょっとふざけてるって思われるかも分からないですけど、野菜でこうとか果物とかでどの部位ですよっていう。

岸田 おお!

武田 要は切った後はブロッコリーのこの水色の線が入っているところですね、真ん中は脳幹ってイメージしてもらっていいと思うんですけど、そんな感じで切って、そうですねっていう感じです。白いピンポン3センチ弱…3センチぐらいの大きさのものが脳腫瘍ですね。

岸田 このトマトはどういうことですか?

武田 トマトは上から照らすと左の深さです、深さというかその辺です。スイカも真ん中の方のそういうところを表現したんですけどね。で、脳の画像というのは左と右が逆に映るので、だから僕は左の部位が腫瘍なんですけど、この画像で見ると脳の写真って全部そうなんですけど、右になんですよ。

武田 そこはちょっと知っといても損ではないかなと思います。

岸田 左側がここの部位にがんがあったよってことですか?こっちの真ん中のやつは何ですか?これは。

武田 それも水平断っていうこの真ん中、こう輪切りにした時に上から見た時に、そういう感じです。だから、一番左の冠状断っていうのはこういう感じ、縦にズバッと頭を切った時に見える感じ。

岸田 そういうことか!

武田 真ん中はこうバサッと切って上から見た時の。

岸田 はいはいはいはいはい。

武田 矢状断っていうのはこうバサッと切って、こっち側からこうやって見たらこう見えますよって感じ。

岸田 そういうことか!同じ部位。

武田 見ると分かるっていう感じですね。

岸田 そういうことですね。切っている断面がそれぞれ違うってことなんですね!はいはいはい。

武田 ちょっと真ん中の図を見てもらったらちょっと黒い部分があると思うんですけど、真ん中の空間みたいな、そこが髄液が流れてるんですけど、髄液が流れるところに薄い壁があって、そこを突き破っちゃうと脊髄の方にずっとがん細胞が散っちゃって。

岸田 えっ!?

武田 全身にその…全身というかもう脳だけじゃなくて全部に広がってしまう。たまたまその髄液のところの薄い皮でギリギリ破れずに見つけてっていう感じで。そこ突き破ってたら多分もうちょっと進んでて、突き破ってたら指の方にずっと散っていくっていう感じで、見つけたタイミングもたまたまギリギリだったと思うんですけどね。そんな感じです。

岸田 そっか!そういうことですね。ちなみに今のお写真の中にありました豆腐みたいなの映ってたんですけど、これはどういうことなんでしょう?

武田 これを説明する時に他のとこでも使ってたんですけど、要は豆腐をすくう時って切れ目のとこって、グシャグシャ…豆腐って柔らかいから、脳をイメージしてもらうといいんですけど、グシャグシャっていう感じでスパッてきれいに取れないですよね?

武田 例えば胃だけを取ってくるとかっていう感じじゃなくて、要は脳をこう…余計なところは切ってしまうけど必要なところは残さないといけない、それがすごい脳の手術で難しいんですよね。

武田 例えばイメージ、皆さん考えてもらったら分かると思うんですけど、砂場に水をまいて濡れたところをきれいに取ってこいっていう言われても、その境目って取れないじゃないですか?きれいに。

岸田 取れないですね。

武田 だからこう物理的にも結構、だから脳腫瘍とかの取るところも、ちょっと広めに取りたいけど取りすぎてもダメだしっていうような感じの、そのギリギリの線をどこで引くかっていうのがすごく先生方苦労されると思うんです。脳腫瘍というのはそういうところで手術…先生らが戦っている。

岸田 上のこの…これは生検とかで切ったところの写真ですか?

武田 最初生検の時は針を刺して数センチなところの大きさでいく予定だったんですけど、多分ちょっと出血してしまって結局ちょっと広げてちゃんと見ないとダメになっちゃったんで、結局ちょっと当初予定してたよりもちょっと切除部位が広がってしまったっていう感じですね。

岸田 だからその生検の時に全部腫瘍を取るっていうわけではなかったってことですよね?

武田 そうですね、まあ多分その位置が奥の方じゃないですか?手前の方だったらね。

岸田 確かに。

武田 比較的取りやすいと思うんですけど、結構ど真ん中っていう感じ。頭蓋底ではないけどもど真ん中っていう感じで、施設のやっぱりいろんな方針であったり経験であったりとかいろいろあるので、手術であればちょっと他の施設を紹介しますというような感じで。

岸田 確かに!ちょっと奥だから、取りに行くのもなかなか大変ですよね〜。ありがとうございます。

岸田 そういった中でね、治療を先ほどおっしゃっていただいたようにされていくといったところで、その中でだから手術で取っていくっていう、放射線と薬物療法をされていった。ここに関してはね、また後でもちょっとお伺いをしていきたいなと思います。その後ですね、ご家族や親戚がお見舞いに来てくれてって言ったところが入院中…入院してないか、そうか治療中の中での結構よかった時ですかね?

武田 そうですね。僕は今地方に住んでいて、全国転勤している身なんでいろんなところに住んでいるんですけど、もともと親戚であったり家族であったりは関西の方にいるんで、救急車で運ばれた時もさすがにすぐに近所にいるわけじゃなかったので来れなくって。

武田 結構親も高齢になってきているんで、なかなかすぐにっていうのはいかなかったんですけど、だいぶ落ち着いた段階でちょっと見舞いに来てくれて。正直まだこのタイミングだと治療は始まっているとはいえ、そういう治療をしても予後が相当厳しいっていう感じだったんで、正直今後のこととか自分がいなくなったこととかを、いろいろと相談したり伝えたりとかするタイミングでもあったんですけどね。

2年間の運転禁止と、画像上で腫瘍が消えていった経過

岸田 うんうん。そんな離れてた身内の方たちがお見舞いに来てくれて嬉しかったよっていうところからちょっと下がっていきますが、これが…2年間運転できないと説明を受けるということで、えっ!?運転できなくなっていくんですか?

武田 そうなんですよね。実は要はけいれん発作を起こして意識消失をする段階で、道路交通法の中でもそうなんですけど、要は2年間は完全に運転ができないっていう感じで。実際世の中見てると、運転中にけいれん発作を起こして大変な大事故を起こしてるってあるじゃないですか?

岸田 うんうん。

武田 だから、そういうのもあって2年間は医師の観察のもとけいれん発作を起こさない治療をしつつ、けいれんを防止する薬を飲みつつ2年間けいれんが起きてなくてこれで大丈夫だっていうことを言われるまでは運転ができないっていう。

武田 地方に住んでるので、車がないとなかなか不便っていうのもあって、ちょっと大変だなってなりました。

岸田 そんな中でちょっとね、車ないと不便ですよね〜地方だと。それでまあ下がっているということですよね。で、その下がっている中でちょっと上がっていきますが、IMRT終了ということで通われていて、そこが終わっていった中で次は造影のMRI検査ほう。

武田 これは今もやってるんですけど、まあ結果がどうなっていくかということで、一応IMRTしてすぐではなかったですけど、しばらくして画像上でも腫瘍が収縮していっているというのが確認できたということですね。

岸田 よかった!収縮していって。じゃあこれで結構結果出たということですか?治療の…。

武田 再発のリスクはもちろんあるんですけど、とりあえずよく薬が反応したのか、放射線は明らかに反応していると思うんですけど、一応収縮はしたという感じですね。

岸田 収縮したイコール画像上は見えなくなったという感じ?

武田 画像上はそうですね、見えない。残こんみたいなのが残ってるけど、これは残こんなのか放射線にあてられた後の画像なのかっていうのは、実際開けてみないと分からないので。そこはおそらく消失したんじゃないかっていうような感じですけど。

岸田 おー!じゃあ今それで経過を見られているってことなんですね?

武田 はい。

妻の免許取得、温泉でのしびれ、患者会へ——治療後の生活の立て直し

岸田 お〜よかった!そこからですね、ちょっと上がっていきます。おっ奥様が運転免許証取得されて、そっか!運転ができないから?

武田 そうですね。家に車があっても誰も運転できないっていう感じになるんで。もともと運転免許取るつもりなかったんですけど、やっぱりたちまちいろいろ困ってくるから、できるだけ車が運転できる環境を作った方が今後のことを考えると…ということで。結果的に僕も運転できるようになっているんですけど、そういうことも踏まえて。それなりの年齢にもかかわらず、そこから初めて運転免許にトライをしたっていう。

岸田 おー!すごい素晴らしい。やっぱないとね!いろんなことに必要ですからね、車はね。

武田 治療中は特に必要かと。

岸田 確かに確かに。だから病院通うのも、だって車ないとですもんね?

武田 病院も僕ツイてたんですけど、勤務先からですね徒歩10分なんですよ!

岸田 ほう!

武田 病院が!

岸田 ええっ!?

武田 だから外来を連続して行ったのも結局昼休み中に歩いて行って、決まった時間に準備してくれてて、で、昼休み時に全部会計も終わらせて1時間で帰ってこれたから長期で休まずに済んだっていう恵まれてたというか、運がよかったというか。

岸田 会社には公共交通機関に行けるんですね?

武田 そうですね、会社はバスとかで行けます。

岸田 よかったです。そんな中温泉巡りをされたりだとかっていうことで、温泉巡り!これさっき言った趣味が温泉、温泉巡りっていう温泉巡り?

武田 もともと温泉巡り結構好きだったんですけど、途中でですね、指が…指から腕の上腕の…腫瘍の体側の上腕がこうしびれる。ずっとしびれてるわけじゃないんですけど、軽くずっとしびれてるっていうのが続いて、原因はよく分からないんですけど、少ないけども抗がん剤による末梢神経(障害)っていうのはないことはない薬だったんで、それが原因かな〜と思って。

武田 でもこれ一生これまたずっとそんなの続くんかな?と思ってすごい不安だったんですけど、まあそれは結局どうしようかな〜と思って、まあいろいろと長野は温泉も多いですから、温泉に浸かってぼーっとしてて。そしたら自然に消えていってくれたっていう感じですね。

岸田 そういう温泉めぐってリフレッシュしながら、時間経過とともに治っていったって感じですかね?

武田 そうですね、本当は正座した時にしびれるピリピリ感あるじゃないですか?あれのもうちょっとレベルが低いんだけど、ああいう感じのがこう…序盤のこの辺にきてくる、なんか不快なあの感じ。

岸田 うんうん、今はもう大丈夫なんですかね?

武田 全然大丈夫です。

岸田 ああよかった!そんな中でコロナ禍で在宅ワークに入っていき…なのでこれでね、外に出なくてよくなって。

武田 そうですね。

岸田 で、そして次はお寺巡りをされていくということで、これもあれですか?なんかこう趣味の中でみたいな感じなんですか?

武田 趣味っていうかなんですか、治療はそれなりの科学的な標準的な治療をしっかりまずやる、で、あとメンタルのところってやっぱり人間って本当神様に頼ったりとか仏さんに頼ったりとか、そういうがん封じのお寺があるといえばそこに行ってみたりとか、お札があるといえば行ってみたりとか、そんな感じで気持ちを整えるのとかもあって。

武田 長野だったら善光寺だったりとか、そんなところも含めてお願いをしてたっていう。

岸田 さまざまながん封じのお守りとかね、あるお寺いっぱいありますもんね!

岸田 そんな中で患者会に参加されたりだとか、学会にも参加されていく…。結構アクティブにがんの活動、この時ぐらいからずっとされるんですね?

武田 そうですね、やっぱりね、膠芽腫(こうがしゅ)ってやっぱり10万人に数人ぐらいなんですよね、まず罹患率。で、それの生存率は大体本当1年半ぐらいでほぼほぼ7〜8割は亡くなってしまうケースがちょっと多くて、その中で宝くじに当たっているようなもんですよね。

武田 まず膠芽腫(こうがしゅ)になるっていうのもすごい確率、10万人に数人だから希少がんなんで、それで当たるかつなんとか生存できているということは、やっぱり何か役割があるんじゃないかな?と思って。

武田 やっぱり患者会とかに関わっていく中で仲間を増やしていろんな情報を見つつ、同じ仲間のために何かができたらなと思って。

岸田 これは、脳腫瘍の患者会に参加されていったりだとか、あと学会は日本癌治療学会だったりとかそういったいろんな学会を、これはやっぱ学ぼうと思ってですか?

武田 学ぼうというのと、仲間を作っていろんながん種の人の活動を知って、どういったとか、希少がんだったら希少がん同士の活動でつながったらいろいろとできることも増えてくると思うんで、そういったこともあって活動をしています。

岸田 活動をして最終的には今は希少がんのイベントなどでも登壇されているというふうな感じなんですね?

武田 そうですね。最近ですとRCJ(RareCancersJAPAN)という、RareCancersJAPANという日本希少がん患者会ネットワーク、これね、YouTubeとかでも検索してもらったら分かると思うんですけど、そこで悪性脳腫瘍の患者として経験談を登壇したという、国立がん研究センターの研究棟の方でさせていただいたんですけど。

武田 その中で、自分の今もやってますけど振り返り、自分の罹患してからの振り返りができたし、すごく僕個人的にもすごくよかったなと…。

岸田 そういったね、発信というか自分のね、講演とか作るうえでね、いろんな整理されますもんね。今回もペイシェントジャーニー(グラフ)を作っていただく上でいろいろ整理していただいたと思いますけれども。

セカンドオピニオンより「治療の速さ」を選んだ——進行の速い膠芽腫との向き合い方

岸田 ここからですね、各項目に分けて武田さんにお伺いをしていきたいなということを思っております。まず一つ目が、病院や治療の選択といったところになります。今シェアード・ディシジョン・メイキング、SDMと呼ばれて。

岸田 今まではインフォームド・コンセント、医師から説明を受けてそれに同意するっていうことでしたけれどもね、今の時代は医師から説明を受けるだけじゃなくて一緒に考えていくっていうふうな形で治療方針を決定していく時代かと思いますけれども。

岸田 どうでした?治療方針については、先ほどもね、お話いただいた、病院のどこの病院にしようとかそういったセカンドオピニオンを受けないというふうなところもあったと思いますけれども、この…まず病院に関しては会社の健康診断から診断された病院でずっと治療も受けられていくっていう感じですかね?

武田 そうですね、結果的にそうなっています、はい。

岸田 セカンドオピニオンも提案されたけれども、それよりも治療の早さっていったところを優先してその病院で受けられていったってことですよね?

武田 はい。

岸田 その中で治療方針なんですけれども、自分なりに調べたりだとか、こうしたいとかそういったところってなかったですか?

武田 膠芽腫(こうがしゅ)って多分、皆さんも調べられると、うわあ!っていう感じの病気だと思うんですよね。

武田 その中でやれることはやらないといけないと思ってたんで、いわゆる一般的な標準治療というのを、ガイドラインとかも見てネットで公開されていますから。そういったものを見て、あとは国(立)がん(研究センター)の情報サイトとか一般的に知られているものを含めてですね、見て治療を選択したという感じですかね。

岸田 信頼できるサイトとかそういったところを見て、自分なりにこれでいこうっていったところで、先生から提案された治療もそのままやられていくっていう認識であってますかね?

武田 はい。

制吐剤で抑えた吐き気、時間とともに引いたしびれ——経験した副作用と後遺症

岸田 そんな中でですね、副作用や後遺症のことなんですけれども、治療していく中で放射線だったりとかね、抗がん剤だったりとかさまざまされていった中で、これは大変やった副作用やな〜とか、この後遺症さっきね、末梢神経障害もありましたけれども、この後遺症こう大変だったなというと何か思い出すのありますか?

武田 副作用というのは抗がん剤を飲んだ時にやっぱりムカムカ感というのがすごく出る。あと便秘が出るんですよね。で、ただ僕もともとそんなに便秘っていうか、まあどっちかというと緩いタイプなんで、ちょうどいい…ちょうどというか(笑)便秘の問題は逆になかったんですけど。

武田 最近は、ただ副作用は制吐剤を使えば結構抑えれるのは抑えれるかなっていうのは思うんですけど、制吐剤を使わずにやろうとすると結構もうっていう感じで来てムカムカって来て、もう吐きそうっていうのはあってたんですけど。でもそれはちゃんと薬をちゃんと使えば防げる、防ぎやすいかなと思うんですけど。

武田 ただ人によってやっぱり同じ薬を飲んでてもやっぱり出る、あるいはちょっと若干違う経験の話を聞いても違うっていうのがあるんですね。

岸田 この中で一応そのね、脳の中を放射線とか当てたりだとかいろいろあると思うんですけど、ご自身の機能的にこれの機能が低下したとかそういったところはないんですかね?

武田 そうですね。僕の場合はそんなに出なかったですけど、でも記憶の中にあるのは、その退院して数日間はやっぱり音に対して敏感であったりとか光に対してちょっと敏感になったりとか、例えばショッピングモールとかに行ってごはん食べてる時の周りの雑音というか雑踏の音が、脳をうわーっていう感じで。

岸田 へー!

武田 というケースはある。ただそれはもう…1週間もすれば、僕の場合は消えていってますけど、中にはまだそういうの続く人がいたりとかいうのは患者会の仲間とかに聞いてたらあるのはある。

岸田 へー!そういうこともあるんですね。いやー、けどなくなっていって何よりです!それは。今なんかこうあれですか?武田さんこうやっていく中で、なんか気になる(他に)その残っている後遺症とか、そういったところは特段大丈夫ですかね?

武田 それはないですね。

岸田 よかったよかった!ありがとうございます。

「なるようになる」と支えてくれた家族——旅立った後の備えも一緒に

岸田 そして次にですね、この家族やパートナーのこと、ご家族の話、先ほど奥様が(運転)免許取られて、(運転)免許取られてっていうお話ありましたけれども、家族にどうやって伝えましたか?

武田 病気が病気なので、正直に伝えましたね。いわゆる膠芽腫(こうがしゅ)という病気がどういう病気であって、その最初の頃はおそらく1年ちょっとぐらいでは多分旅立つだろうなというのがちょっと自分の中にも正直あって。で、今後どう自分が旅立った後にも困らないために整理しておくべきこととかピックアップしたりしました。

武田 家族も子どもがまだ当時小学生だって、この子の中学校卒業だったりとか、大人の顔になっていく顔を見れないかもなっていうのはすごく寂しかったし、つらかったなっていうのはありますね。

岸田 そっか〜。家族からこういう言葉がけがあってとか、こういう態度があって嬉しかったよ、もしくは悲しかったよというのはあったりとかしますか?

武田 悲しかったというのはないですけど、受け止めてくれて、なるようにしかならんというか、なるようになるから、そこを淡々とやっていこうっていう気持ちで支えてくれたのはすごく感謝。

武田 だからそうですね、だから準備も含めて、その何かがあっても困らないようにっていうことを逆に前向きにというか、そういうふうに考えて取り組んで。治療は治療でまあやれることはやるっていう感じ。

小学5年の息子に包み隠さず伝えた——「言ってくれなかった」と後悔させないために

岸田 ありがとうございます。先ほどお話にありました子どものことなんですけれども、お子さんが小学生だったんですかね?その時は。

武田 当時小学校5年生かな。

岸田 5年生のお子さんにも包み隠さず、そのままお話したんですか?

武田 そうですね。子どもの理解力っていうのはどの程度かその辺はちょっと分からないですけど、もうちょっと軽い病気だったらもうちょっと軽く伝えたりとかしようと思ったんですけど、膠芽腫(こうがしゅ)っていう病気だけに、これはちょっと正直に包み隠さず全てを話すしかないかなって。後でこうなんか…言ってくれなかった!とかっていうことがないように。

武田 脳腫瘍の患者さんって結構進んでいくと人格が変わってしまうっていうのもやっぱりあるんですよ。

岸田 えっ!?

武田 それは何でかというと、脳の障害が出てきていろいろと認知症みたいな感じで進んでいくっていう。だからやはりその…一般のがん種の人ともちょっと違うところは、やっぱり脳がこういろいろと変化していくとやっぱりこう…人が変わっていくっていうかね、そういったことも起きるって、伝えれるタイミングで伝えるべきことはちゃんと伝えておかないと多分ダメだろうなって自分で思って。

武田 その時に伝えたんじゃ多分、結構つらいっていうかね、難しいだろうなっていうのがあって正直に伝えようとしました。

岸田 その時の反応とかいかがでしたか?

武田 彼も当時ボーイスカウドの活動に参加している途中で、親がけいれんを発作して意識を喪失していく場面を見て多分動揺してたらしいんですけど。

岸田 それ見てるわけですね?

武田 救急車に運ばれていくっていう。

岸田 そっかそっか!

武田 まずそこで多分すごい衝撃を受けたと思うんですけど、その病気はこうだったっていうところで、実はこういう病気で、予後という言い方はしないですけどもしかしたら1年以内には亡くなるかもしれないっていうこと。がんとはこういう病気であってっていうのを伝えたっていう、ずっと涙こらえて聞いてましたけど。

岸田 そうですよね、そっか!倒れたその場にいたんだったらすごい衝撃だったでしょうね〜。今はもう普通にされている感じですかね?

武田 今は全然問題ないです。

岸田 育児の面に関しては、奥様が治療中とかは?

武田 そうですね。

岸田 そっか!ボーイスカウトはそれ以降行けたんですか?どうなんでしょう?

武田 そっから、実はこの3月でとりあえず1回辞めてるんですけど、それまではずっとボーイスカウトの仲間が自分を助けてくれたと思ってたんで、ずっとそれまでは続けて活動して。

岸田 そうなんですね!続けて活動されたんですね、すごい。

武田 今は逆にその患者会とか、いろんなすごく忙しくなってきたんで、だからそういう大人を支えるっていうか、子どもたちを支えることから、今はちょっとそういった同じ仲間とかを支えるような活動をしようかなと。

岸田 おー!いいですね。そっか、ありがとうございます。

上司はがんサバイバーだった——職場から徒歩10分の病院に通いながら働き続けた

岸田 そんな中でですね、仕事のこと、お仕事をさっき職場から徒歩10分のところで通院されていったって素晴らしいロケーションなんですけど。職場にがんのことをどのタイミングで伝えてどうだったのかっていうところだったりとか教えていただけますでしょうか?

武田 その当時の上司、その人は東京勤務だったんですけど、その上司に伝えるいうことと、その伝える時に、その方ががんサバイバーであるっていうことを知ってたんですね。

岸田 えー!そうなんですね!

武田 たまたまその上司ががんサバイバーだということを知ってて、で、がんになった時に今うちの会社でどういう仕組みがあってどういうことを…ができるとか、そういうことを当時のその時の上司に、たまたま上司ががんサバイバーだったんで詳しくいろいろ教えてもらって、準備をしてっていう感じで伝えました。いろいろ相談したっていう感じですね。

岸田 その際に、職場の方々からこうされて嬉しかったよとかこうして欲しかったよかったよみたいなものあったりとかしますか?

武田 淡々と、逆にこう変に気を遣うとかなく、とりあえず体動いて普段と昔と変わらずにとりあえずいるから、そっとしてるっていうか特に触れずに、お互いお酒飲みに行くっていうか、たぶん行った時に軽くしゃべるのがあったかもしれないけど、それをこう…すごく逆に、すごく重く受け止めすぎてっていうのではなくて、普通にさらっと普通通りっていうのがありがたかったかな。逆に変に気を遣わずに。

岸田 してくれたのがよかったってことですね!仕事にはその通院して…何でしょう、やっぱ放射線受けてちょっとなんか体調悪くなるだったりだとか、抗がん剤やって体調悪くなるとかっていうか、仕事との兼ね合いとかそこら辺は大丈夫だったんでしょうか?

武田 それは大丈夫。放射線に関しての副作用っていうのは僕の場合は特に出なかったんですよね。

岸田 へえー!

武田 だから頭をバーってこう…パンダみたいに脱毛したりとか、そういうアピアランスのところはすごい問題あったんですけど、そこは全部逆に丸刈りにしてしまって、そしたらスッキリして。女性はそうはいかんと思うんですけど、そういうのはあったぐらいですかね。

武田 抗がん剤を飲む時はやっぱり、その飲む時間とかその辺を考えて、勤務時間とかに影響するような時間帯に飲まないようにっていうふうな心がけはしました。

岸田 そうやって調整して仕事は続けて、だから本当に最初の生検の時ぐらいですか?ちょっと休んだのは?

武田 そうですね、生検の時だけですね。1週間の救急車で運ばれて生検を受けて生検終わって、傷がある程度落ち着いて退院するまでの間だけで、なんとかそれで済んだっていう。あとはもう外来通院っていう形ですね。

「目ん玉が飛び出る」抗がん剤費用を支えた、たまたま入っていたがん保険

岸田 そして次ですね、次こちら。お金や保険のこと治療費だったりだとか民間の保険入ってたかだったりとか、やっぱり治療に際してお金っていうのもね、切り離せないものかと思いますけれども、そこのところはどうでしたでしょうか?

武田 たまたまうちの父親も実はがんで亡くなっているんですけど。

岸田 えっ!

武田 その時に父親はずっとがん保険入ってたんですよね、20年前ぐらいに亡くなっているんですけど。当時あんまりなかったかも分からないですけど、がん保険は父親の母が乳がんになった時に当時すごいお金に苦労した、治療費とか苦労したっていうのもあって、がん保険に入っていて。

武田 僕もたまたまがん保険に入っていて、罹患するちょっと前に『生きるためのがん保険』という外来とかでも使えるがん保険に追加してたまたま入ってたんですよ。治療費…本当に目ん玉飛び出すぐらいの、抗がん剤って本当に目ん玉飛び出しますよ!皆さん(笑)びっくりしますよね!だから高額療養費とかあっても、なかなか結構クレジットカードで払うとポイントが貯まるってバカな話なんですけど。

武田 本当にそういった意味で確率論ではあるんだけど、たまたま入ってたんで、診断給付金もらった時に軽自動車でないと妻が運転できないということで、その時にちょっとお金に充てさせてもらったりとか。

岸田 あー!

武田 逆に入っててたまたまだけど助かったっていう感じです。

岸田 そうなんですね。そういったものを車…治療費に関しては高額療養費制度を使ったりとかして、民間の保険などで賄っていって。プラスちょっと民間の保険で多く出たって言い方変ですけど、診断給付金などで出た部分に関しては、車が運転できないということなので奥様の軽自動車とかでこう?

武田 そうですね。免許取るお金とかね。結構いろいろ、たまたま僕仕事が続けられてたから生活もそんな困らなかったっていうのはあるんですけど、普通はね、そこも結構1年休職とかあるじゃないですか?そういうのもあるから、っていうのもあると思うんですけどね。

岸田 そういうこともあるんですね〜。だからそれで賄ってってトントンぐらいですか?最終的には?

武田 まあトントンですよね。だから抗がん剤も毎月やっぱり高額療養費使っても月4〜5万とか自己負担するじゃないですか?

岸田 うん…。

武田 それは限度額とかそういうのもあるけども。

岸田 きますよね。

武田 結構きますよね。だからそれは潤沢な余裕があって預貯金がすごくある人はあまり関係ないと思うんです、それなりのすごい収入があって預貯金しっかりある人はがん保険入らなくてもよかったのかもしれないけど、僕の場合は助かりました。

岸田 ありがとうございます。いろんなさまざまなところで、ただ僕もちょっと、そっか!車のところは初めてお伺いしたので、そういったこともあるんだなというのを勉強になりました。ありがとうございます。

「ろくなことが書いていない」——告知後に膠芽腫を調べて落ち込んだ日

岸田 次がこちら、つらかったことっていったところになります。つらかったこと、これに関しては肉体的に精神的にがんの治療をされていった中で、一番大変やったな〜つらかったな〜ってタイミングは、武田さんの場合はがん告知だったり主治医と治療方針を決めていかれた、その時が一番大変だったんですかね?どうなんでしょう。

武田 そうですね、がん告知を受けて膠芽腫(こうがしゅ)という病気をいろいろと調べて、ろくなことを書いてない…。そこですごくこう落ち込んだというか、このタイミングで旅立つのかっていうのがすごく落ち込んだかなっていう感じですかね。

岸田 そっか!そのタイミングで、今後どうなっていくのかっていったところで、そっかやっぱ不安ですよね〜。その時さっきチラッと残すものが書かれたみたいなことで、エンディングノートみたいなこと書かれたんですか?

武田 エンディングノートっていう感じではないですけど、銀行の口座であったりとか、いろいろこういう手続きをすればこういう保険がもらえるとか、そういうのを分かるように。

武田 自分が例えば治療を進めていく中で脳の障害が逆に出ちゃって、それが伝えられなくなるリスクも脳腫瘍の場合はあるので、そういうのも踏まえてできるだけ早い段階でいったん整理して伝えておきたい。これはこうしてほしいとか。

岸田 そういうのを整理されていったりとか。あと精神的に不安だった時は、どういうふうに武田さん的には乗り越えるんでしょう?

武田 おいしいものを食べに行ったりとか、あとちょっとした小旅行をしてみたりとかして気分をできるだけ変えるように。さっきのお寺さんに行ったりとか、神様仏様お願いします!みたいな感じで、そこに救いを求めるっていうか。変な宗教とかじゃなくて(笑)

岸田 いや全然ね、もう(神社仏閣)巡ってね、自分の心の安寧をちょっとね、そういったところも大事だと思います。

「正しい情報を常に入れる」——そうなった時に後悔しないための備え

岸田 ということでされていった中で、工夫したことといったところもお伺いをしていきたいのですが、武田さんのその工夫した・していくというところがこれがやっぱり先ほどもおっしゃっていただいたおいしいものを食べたりだとかといったところで気を紛らわせていってということですか?いかがでしょう他に何か工夫したこととかありますか?入院中でもいいですし退院後でも構わないんですけど。

武田 そうですね〜、情報は正しい情報を常に入れるようにして、あまり逆にこう落ち込むような情報ばかり入ってくることがあるんですけど。でも、ある意味その脳腫瘍の場合とかだったら予後がいろいろとこう…脳のいろんなところに影響が出てきて、こういうことができなくなる可能性があるとかそういうことを逆に知って、それに向かっても対応する・備えるっていうことを意識してやってきた。

武田 そうなってほしくないけど、そうなった時のために、その時に後悔しないようにだけは心がけていた気がしますね。

岸田 あと脳腫瘍の情報で言うと、やっぱり情報ね、そこもね、めちゃくちゃ脳腫瘍もいろんな種類ありますし、なんでしょう、やっぱ情報って患者会の情報とかもやっぱ大事だったりとかしますかね?どうでしょう。

武田 そうですね。患者会の情報もいろいろと同じ病気であっても予後が全然違ったりとかするし、いろんな情報を知る。また自分の経験談としてこういうこともあるよって伝えてあげることで、その人の判断の一つの材料になればいいなと思って。

岸田 うんうんうん。そうですよね!まあさまざまな情報しっかりした情報だったりとかね、医療情報はね、もちろん医療者の皆様にだと思いますけどね、やっぱ同じような人がいるかなどうかなっていうところに関してはね、患者会のところで知るっていうのもね、全然ありかなと思います。

武田 患者会もね、遺族とかの方もいらっしゃるので、そこで学びっていうか知る情報でいろいろと備えることもできると思うので。

何気ない紅葉が、立派に見えるようになった——がんを経て変わったものの見方

岸田 ありがとうございます!そして次こちら、がんになる前と後で武田さんが変わったなと思うこと。精神的にでもいいし肉体的にも構わないんですけれども、なんかがんになったことで変わったことってありますでしょうか?

武田 そうですね、すごい何気ない景色でもすごいきれいだな〜とか思うようになりましたね。だから紅葉を見たらこう…、単純に紅葉を見るんじゃなくて何気ない紅葉がすごいきれいだなとか、その一輪に咲いている花がすごい立派に咲いているな〜とか。だからこう日々の変化を、特に罹患当初はすごく感じましたね。

武田 だからこう自然の力というか、景色とかそういったものにすごい…あっきれいだなー!って。今までそこまで気にしなかった、気がつけなかったけどっていうのと、あといろんなことに感謝するようになったっていうことですかね。

岸田 うん。いや本当に日常のささいなこととかね、ささいな景色・いつも見てる景色がやっぱがんになるとこう、全然やっぱ違って見えたりとかしますもんね!

武田 で、がんになったことによって、よかったとは全然思わないけど、なったことによって知らない経験ができたり仲間ができたりとかそういったものがすごくあります。

岸田 ありがとうございます!

同じがん種の仲間を支え、患者の声を政策提言へ——「生存しているものの役目」

岸田 次こちら!今後の夢や目標。今後ね、今の活動ね、患者会の活動だったりとかそういったところもあるかと思いますけれども、今後の武田さんはどういうふうにされていかれますでしょうか?と思いまして入れさせていただきましたが、いかがでしょう?

武田 そうですね、まず自分の同じ元がん種の方たちの何か支えになるようなことをやっぱりしたいなっていうのと、それが今生存してるものの役目かな?と。今の患者会活動っていうのはある意味未来の患者さんのために、あってはならないけど、未来の患者さんのためにもなるっていうことがあるんじゃないかなと思って、そういうのを深掘りしていきたいなっていうのと。

武田 可能であれば、そういう治療のところとか患者の声とかを政策提言につなげていくような活動は、いろんながん種の人とつながってやっていきたいなってやれたらなって。それがやっぱりこう今の役目かなって、今こう普通に生活できてることのっていうふうに思っている。できるかできないかは全然違うんですけどね。

岸田 いやいやすごい!ぜひぜひ!ありがとうございます。

「そなえよつねに」——ボーイスカウトの標語と、がん防災という考え方

岸田 ここからですね、最後武田さんにメッセージを皆さんに向けていただければということを思っております。

武田 皆さんご視聴いただきましてありがとうございます!私がですね、このがんになって学んだこと、それはですね『そなえよつねに』って書いてますけど見えますかね?ボーイスカウトのマークのとこにちょっと、文字見えないかもしれないですけど、備えを常にって書いてまして。

武田 物事ことにあたるってですね、やっぱり備えるということが必要だと。がんになっていろんなことが起きてきます。それに対して準備をする、準備をして、しっかり準備をしてことに当たるということがやっぱりその治療期間で必要なことじゃないかな?と思いました。

武田 私の生まれ育った神戸ですね、今年震災で30年を迎えまして、防災というところの大切さというのも身をもって経験をしています。がん防災という考え方もあるように、やっぱり準備をしがんに向かって立ち向かっていきたいと思います。皆さんご視聴ありがとうございました!

岸田 おー!『そなえよつねに』、これボーイスカウトの言葉なんですね!

武田 そうですね、ベーデン=パウエルっていう、ロバート・ベーデン=パウエルさんっていう人が立ち上げた時に、「BePrepared」っていうところで『そなえよつねに』っていう。

岸田 いやー、なんかやっぱり準備しておくってこと大事ですね!本当ね。武田さんもがんに関して、もうねなられてっていったところはもちろんあるかもしれないですけど、まだなられてない方に備えるっていったらどういったところを備えてほしいとかありますか?

武田 そうですね、検診、すべてのがんを見つけるわけではないんですけど、検診を受けることでリスクを下げるっていうこと、で、やっぱりがんになった時に動揺することはないように、いろんな基本的な情報を普段から身につけておくとか知っておくことも必要じゃないかなと。

武田 子ども・学校教育とかもね、最近出てきてますけど、やっぱりそういったことが必要かなと。例えばがんになって突然びっくりしてしまって退職してしまうっていう、もうちょっと落ち着いて考えれば選択肢があったかもしれないのに、そこで急に知って動揺するとか、そういったことがない社会になったらいいなと思います。

岸田 はい、がん検診。本当にまだ行かれてない方はぜひね、ご検討いただけば嬉しいなと思います!

岸田 といった形でね、今日終わっていくんですけど、どうでした?武田さん。今日ご出演されてみていかがでしたでしょうか?

武田 そうですね、自分自身のがんになった時から今の生活になるまでの振り返りがすごく、どんなアップダウンがあったのかとか、すごくそういう意味ですごい振り返りっていうのはすごくできる時間だったんで、がんを経験した皆さんとか、ぜひこういった機会でやれるといいんじゃないかなと。そうしたら次の目標も出てくると思うんで!と思いました。

岸田 ありがとうございます!ぜひご出演していただいた方には、我々が(ぺイシェントジャーニーを協力して)作っておりますので、皆さんもしよければまたご出演いただければ嬉しいなと思います!

岸田 それではですね、これにてがんノート終了していきたいと思います。また皆さん、次の動画でお会いできたらと思います!それでは皆さん、バイバーイ!

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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