目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 病院や治療の選択テキスト / 動画
- 副作用や後遺症テキスト / 動画
- 家族のことテキスト / 動画
- 仕事のことテキスト / 動画
- お金・保険のことテキスト / 動画
- 辛かったことテキスト / 動画
- 工夫していることテキスト / 動画
- がんになる前と後で変わったことテキスト / 動画
- 今後の夢や目標テキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:山本
- 奈良で暮らす山本小百合さん──推し活と仕事に向き合っていた日々
- 「ジェットコースターのようだった」——告知から現在までの2年間
- 「すぐ地元の病院へ」——産業医に背中を押された病院選び
- 副作用と向き合う日々を支えた、医療者のサポート
- 単身赴任の夫、85歳の母——変わらない距離感が支えに
- 「中途半端に戻って迷惑をかけたくなかった」——在宅での復職
- 高額療養費制度でも残る自己負担——お金のリアル
- 「難治性を身をもって知った」——心療内科が心の支えになった
- 日々を少し楽にするための、小さな道具
- 奈良の風景と散歩道——身近な日常が喜びに変わった
- 「活動できることが喜び」——友人と、いろんな場所へ旅をしたい
- のんびり見えて、いざとなればたくましく——鹿に重ねた生き方
奈良で暮らす山本小百合さん──推し活と仕事に向き合っていた日々
岸田 それでは、がんノート!スタートしていきたいと思います。今日のゲストは山本さんです〜!よろしくお願いします!
山本 よろしくお願いします!
岸田 よろしくお願いします!オレンジが映える感じで、オレンジが好きなんですか?
山本 いや、もう元気が出るように、今日は緑とオレンジで対比できたらなっていう。視力検査みたいな感じになりますけど(笑)いいかなと思いまして(笑)
岸田 そうなのね。明るい形で来ていただいてどうもありがとうございます。

岸田 そんな中で早速なんですが、今日のゲストといたしましてですね、山本さんになります。山本さんよろしくお願いします!
山本 こちらこそよろしくお願いします!
岸田 山本さんの簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?
山本 山本小百合です。奈良市の出身で今も在住しております。家族構成なんですけれども、私の母とそれから主人あと子ども、子どもと言いましてももう2人とも成人はしております。仕事は会社員なんですけれども、今、休職中でやっています。この8月から復職いたしました。趣味は推し活。
岸田 推し活ということで、その推し活何を推していらっしゃるんですか?
山本 BTSのテテ(V)さんです。
岸田 BTSのテテ(V)さんでございます。なんかこう、推すきっかけはなんかあったんですか?
山本 いやー、もうこのコロナの時の、私はDynamite(ダイナマイト)というところから、もう遅まきながらだったんですけれども、皆さんちょうど私たちの息子世代なんですね。で、あのメンバーさん皆さんすごくご両親愛が強くて家族想いであったりすごく誠実で、本当に真面目な方々だなっていうので、こんな息子がいてたらいいなっていうのもあって、どんどんどんどん深みにハマっていったところです。
岸田 ありがとうございます。そんな形で推していくというところで、ライブとかは全部行かれる?
山本 いや、もう釜山行きました。2022年に、罹患前ですけど行きました。
岸田 海外までも行かれるというね、そんな推している、そんな山本さんになります。
岸田 それではですね、ちょっとがんのことについても簡単にお伺いできますでしょうか?
山本 私は卵巣がんで、卵巣がんの中でも卵巣明細胞がんです。で、ステージは4B 告知は57歳の時に受けました。開腹手術と現在は薬物療法をしております。現在も治療中であります。
岸田 というふうな形で、様々な治療もされていっていったところでステージ4Bということでもありますので、そういったところも含めていろいろお伺いしていきたいなということを思っています。
岸田 それでは山本さんのこれから経験談に入っていきますが、あくまでも個人の闘病経験談でございますので、特定の治療とか薬などを推奨しているわけではございません。治療に関しては主治医の方であったりだとか医療関係者・医療者に聞いてもらえたらと思いますので、そこだけご留意いただければと思います。
「ジェットコースターのようだった」——告知から現在までの2年間
岸田 それでは、スタートしていきたいと思います。どのような経過をたどってきたのかといったところ、このような感情の浮き沈みをグラフにしてお伝えできたらと思います。まずこちら、ドン!すごいですね、なだらかな階段っていうかだんだん上がってきてっていうふうな?
山本 そうですね、急転直下してから本当にジェットコースターで言うと最初に1回転半ぐらいして、そこからだんだんとつながりで見ていくと右に上がっていってるんだなっていうのを、改めて今グラフを見ながら思ってます。
岸田 そんな中でね、ちょっとお伺いをしていきたいのですが、まず一つ目こちらが、発症以前といったところでですね、こちら、仕事でイベント企画が採用されるということで、お仕事どんなお仕事されてますか?
山本 主にですね、食品メーカー様の商品企画であるとか、それに基づくマーケットのリサーチとかですね。
岸田 なのでそういったところでイベントを企画されて、それが採用されたと?
山本 採用されましたと、本当に嬉しいな。これから制作、クリスマス付近のイベントだったので、これから制作物とかイベント会場へのすり合わせとかがある時のさなかでした。
岸田 ということですね、そこからそんなさなかに急転直下ということで、ドン!こちら。健康診断で異常あり。ただこれあれなんですね?プラスマイナスがポジティブでもネガティブでもないというような状況ではありますけど、この時どんな状況なんでしょうか?
山本 これはですね、いきなり健康診断の結果が自宅にかかってきまして、とにかく一度健康センターの方に来てくれと、会社のですね。その時は腫瘍マーカーで少し異常値が出てますっていうそれだけのお話だったので、まだ本当に緊急を要したことなのかっていうのが私自身も実を言うと把握できてなかったっていうところではあります。
岸田 会社で行ってた健康診断の値が、それで連絡が来てっていうふうな感じ?
山本 そうですね、婦人科系の腫瘍マーカーというのがオプションなんですけれども毎年やってまして、で、去年は全然異常値はなかったので急にその年に異常値が出たというところでお呼び出しをくらったという感じです。
岸田 そこでお呼び出しくらってというところ。その中で異常があってって言ったところで、そこからがん告知。えっ、早くないです?
山本 早いんです!早いんです!
岸田 ここもうちょっと詳しくお話いただきたいんですけど。
山本 忘れもしない、2023年の9月19日の朝にお電話がかかってきて、で、あのいろいろとテレワーク中だったんですけれども、いろんなちょっとお仕事の優先順位を抜けてでも一度会社の健康管理センターに来てほしいっていう話になって、そのまま午前中に管理センターに向かいました。
山本 その時の産業医の話を聞くと、もうすぐにでも産婦人科の方にですね、紹介状を書くので行ってほしいっていうふうに言われました。で、その日の午後に地元の奈良に戻って、いきなり産婦人科外来を受診するということになったんです。
岸田 産婦人科外来に行って、もうそのまま告知に至っていくんですか?

山本 その時にされた検査は経膣エコーというものだったんですけれども、それでもうその腫瘍自体がすごく大きくなっているというところまでは把握できて…で、主治医がベテランの先生だったので、多分というかもう間違いなく悪性だろうというようなことをその場で伝え聞いたというところです。
岸田 うーん。ただこのがん告知といったところがポジティブめの赤色で書かれているといったところがなぜなのかな?というのを思うんですけれども、気持ち的には下がっているんですよね?ただどういうことですか?これは。
山本 この時は主治医もすごく前向きに患者さんに伝える方だったので、本当に私の中ではそこまで深刻な状況であるっていうところを認識してなかったので、もう本当にその時は手術して全部取れるものを取ったらいいんだな、ぐらいに思ってたんですね。
山本 で、そういう中で私自身は結構のんびりと手術も年内にできたらいいぐらいですかね先生?みたいなことを問いかけたら、いやそれはもっと早めた方がいいだろうって言われた時に、じわじわと自分の置かれている現状っていうのがなんとなくやばいぞっていうのが分かってきたっていうところです。
岸田 そっか、じゃあそこの先生のこの言い方というか伝え方で、すごくポジティブめに伝えられるというか?
山本 そうですね。ですから本当にこの後いろいろと先生、セカンドオピニオンを受けて先生のお話し方とかをいろんな先生に出会うんですけれども、私の主治医は本当にそういう意味ではフレンドリーという言い方が適切かどうか分からないですけれども、本当に根太いラフな先生で(笑)本当にポジティブなところがありますね。
岸田 だからそういうそこまで真剣に…真剣にというか、深刻にちょっと思ってなかったんですけれども、状況的には?
山本 そうですね。ですから、余命とかそういうことは一切お口には出されませんでしたし、っていう意味では私自身もそこまで深刻に捉えられてなかったっていうのが現状ではあります。
岸田 この時はじゃあステージ4っていうことはまだ分からずですよね?
山本 まだ分からず。ただ検査していく中で、播種(はしゅ)してるっていうことは分かりました。しかも、もしチョコレート嚢胞(のうほう)っていうのがもともとあったんですね。そこからがん化した場合は類内膜がんか明細胞がんか…っていうところまでは主治医からチラっとお話は聞いてました。
岸田 そっか、じゃあもうその時点でちょっと播種(はしゅ)しているっていったところは検査して分かっていくと?
山本 はい。
動揺で財布もパスケースも忘れた——告知翌日の京都出張
岸田 その中でね、ちょっとそこからどうなっていくのか?まず財布を忘れるっていう(笑)
山本 これね(笑)いきなり財布を忘れるって何だろうっていうことなんですけど。
岸田 そうですね、これ僕も作っててどういうことやろう?っていうことは思いましたけど。
山本 9月19日に告知いきなり受けたので、お仕事の状況としてはまだまだ予定も詰まってて、その告知を受けた次の日もお客様のところに会いに行く予定っていうのがあったんですね、京都だったんですけれども。京都の駅降りた近くのコンビニでさすがに動揺してたんでしょうね、近くのコンビニってね、お買い物したのはいいけれども、パスケースと実は財布と、財布だけじゃなかったんです、パスケースも一式忘れてしまって。
山本 で、そのままお客様のところに行って、お客様からお金を借りるっていうようなことをしてしまいました。
岸田 ただこのね、赤で書いているってことは財布はあったってこと?
山本 あったんですよ。
岸田 よかったー!
山本 後日、コンビニに行ったらちゃんと保管してくださってました。
岸田 よかった。
山本 よかったです。
岸田 それぐらい動揺してたってことですね?
山本 いや動揺してました…、本当に。
良性のはずの脂肪腫から転移——ステージが3Bから4Bへ
岸田 そんな動揺の中に、次は手術が入ってきます。これはスムーズに手術を受けることになっていくんですか?
山本 いや、もう私が先ほども年内手術ですかね?みたいな悠長なことを言ってたら、いやそれはないだろうという、さすがにポジティブな先生もそこは厳しく言われて。私の中でいよいよ、やばい状況なんだなっていうのが分かってきて。最初10月の半ばぐらいが手術日だったんですけれども、先生にもっと早く切りたいですみたいなことを言っていろんな検査を前倒しにしていただいて、結果10月4日が手術日となりました。
岸田 早く手術していくっていったところなんですけど、これは開腹手術って書かれていると思うんですけれども、これはもう部位的には卵巣だけなのか、どこを取っていったんでしょうか?
山本 もうですね、婦人科がんで特に卵巣がんの場合は、両卵巣とそれから子宮とそれからそこの上に覆われている大網(たいもう)っていう、「大きな網」って書くんですけれども、ネットみたいな部分だと思うんですけど、それも全部取っちゃうという。転移しやすい場所なので取っちゃうっていうところで、手術が終わってから、後で主治医から聞いたんですけれども、山本さんはおへそのちょうど下の部分に脂肪腫があったんだと。これは多分良性だと思うけど、見てくれなんか膨らみとか気になってなかった?みたいな、それで一緒に取っておいてあげたよっていうふうに言われたんですね。
山本 で、あっそうなんだ〜と思って、先生ありがとうございますって、私はちょっとお腹もふっくらしてたんでそこは気になってなかったんですけどって言ったら、あっそうなの?っていう感じで、結構おへその横の膨らみとかも気にしていただいている先生がすごく優しい先生だなってその時は思って、逆に悠長に構えてました。
岸田 結果的にそれはどうだったんですか?
山本 そうなんです。本当に、その良性だと思われてた脂肪腫からも明細胞がんの細胞が出てきたんですね
岸田 えっ!?
山本 えっ!?なんです。それで、ステージが3Bから4Bになったんです。なので、実質臓器ではないんですが、一応もう遠隔転移をしていたっていうところで、その脂肪腫から出てきた明細胞がんがあったためにもう4Bにいきなりなってしまったと。
岸田 じゃあ、その本当に取ってくださった先生は、ナイス判断みたいな?
山本 ナイス判断だと思います。本当に私は心の中でっていうか、断捨離先生って呼んでるんですけど。
岸田 断捨離先生?(笑)
山本 本当に身近な部分で言うと、オーブントースターとかも分解してお掃除されるぐらい、すごく整理整頓っていうか几帳面なキレイ好きな先生だと思います。なので、私のお腹の中でも違和感なりがあったら、もうそこはスッキリキレイにお掃除してやろうぐらいの勢いで取っていただいたのかな!?っていうふうに思ってます(笑)
岸田 普段からね、いろんなところを隅々までやる先生だから、もう脂肪腫があったからそこもキレイにしていこうみたいな、キレイにするっていうとあれですけど。
山本 そういうふうな、そういうなんていうのかな、ご自身主治医のご自身のプライベートも少しお話ししてくださるような、すごく親しみやすい先生ではあります。
「追い出されるんじゃないか」——手術翌日のコロナ検査と陰性
岸田 手術していってステージ4が確定していくといった中で、その後に下がっているのは、こちら、新型コロナ感染の疑い。
山本 そうです。
岸田 2023年ですよね?

山本 そうなんです。手術が先ほども10月4日って申しましたが、10月5日に手術した翌日から高熱が出たんですね。それも38度5分を超えるぐらいの、まだその当時はコロナもなかなか皆さんかかる割合も多くて…。
山本 なので、いきなり手術の翌日に、まだまだお腹も痛むしお水も飲んでないし体的にはヘトヘトなところにその疑いがあって、防護服を着られた先生方と言うんですかね、検査をする方々がすごい出立ちで私の部屋にやってこられて、コロナ検査をされたのがすごいショックでした。
岸田 そのショックでしたというのは、どういう気持ちでショックなんですか?
山本 いや、もう本当に手術だけでも大変な思いだったんですけれども、それに加えてコロナに感染していたら私の体どうなるのかな?っていう。それと、病院にこのまま置いてもらえるのかな?っていうのもその時はすごく感じてました。
岸田 もしかしたら追い出されるんじゃないか?
山本 そうです、そうです。
岸田 気が気じゃないですよね。そんな中でちょっと上がっているのは陰性だった!ということで。
山本 そうです。
岸田 よかった〜。
山本 よかったです、本当に。
岸田 陰性でよかった。じゃあそのまま入院できていったということですね?
山本 はい、そうです。
岸田 そしてその中で退院をされていくということですけど、退院下がるんですよ。大体退院って上がるようなイメージなんですけど?
山本 それが本当に10日間ぐらいだったんですけど、スパルタな感じだったんですね。もう翌日陰性が分かった直後から、歩いたり立ったりお手洗いに自力で行ったり、すごく(ハイジの)クララのイメージですね、もう本当に。
山本 立った!って喜んだら歩いて!みたいな感じで、結構厳しめな、私としてはですよ、皆さんそうしてらっしゃるんでしょうけど、私自身が初めての体験だったので、すごくやることが多くてこの10日間の間で。そのぐらい自分でいろんなことをしていってた入院の日々でしたね。
岸田 それで入院中大変だったっていったところで、退院の時まで下がっていった?
山本 そうですね。
「もげそうな」しびれ——コロッケも小銭もつかめなかったTC療法
岸田 そこから上がっていきますが、次は薬物療法?おっ?TC療法をされていく、抗がん剤治療。
山本 そうなんです。10月の4日手術をして10日間、10月の半ばぐらいまでに退院はするんですけれども、1ヶ月待たずしてぐらいですね、もう10月の末ぐらいからTC療法っていう、特に卵巣がんでは絶対にこの療法、殿堂入りといったら変な言い方ですけど、そこは通る道みたいな形で薬物療法に術後の化学療法が入りました。
岸田 術後の化学療法されていって。ただね、その1回目は上がってるんですけど2回目がドーンと下がってるんですよね?
山本 いや、もうその1回目・2回目っていうのがもうワンセットぐらいな感じで、もう1回目は本当に化学療法ってどんなものかってもう全く知見もないし、ましてや自分が初めて体験するので、もうちょっと違う生き物になったのかなっていう。
山本 これも本当に個別性があるので、もう一概には言えないっていうのを前提にして、もうちょっと本当に(私の場合は)しびれるというよりももげそうな感じだったんです、1回目・2回目が。それでも入院とかはせずに点滴を受けてまた自宅に戻るっていうようなことで治療を受けてたので、化学療法、薬物療法を受けた中1日空けて3日目ぐらいにズドンってくるのが本当につらかったですね…。
岸田 そっか本当につらかった。例えばどんな症状が出たりとか?
山本 例えばですね、まずお薬の飲み薬の方なんですけど、タブレットのちょっとパキパキした感じがもう開けづらいというか、もう開けられないしびれて。何をするにもピリピリするので、例えばおいしい揚げたてのコロッケがもう食べられない、トゲトゲした感じが触れないとか。
山本 あとお台所も包丁が素手では持てないので、手術用のブルーの密着した手袋をしたり、それは今でもちょっとつらい時はそれをするんですけれども、そういうふうなことでしないと素手では何も触れなかったし。
山本 お買い物行っても小銭がうまく扱えないんですね、しびれてしまって。だからお財布開けて小銭を取り出すのも本当に一苦労で、今となっては高齢者の方々がレジ前で色々と長くお財布と格闘されているのを見ても、もうおじいちゃんもおばあちゃんもゆっくりやってねっていう感じの気持ちになってます。
岸田 それぐらいね、手足のしびれだったりとかきつかったっていうところで。

山本 TC療法の1回目・2回目っていうのが、本当に副作用がつらくて。で、もうしびれるというか、もうもぎ取られるような感じですね。ですからもう文章には副作用としてしびれ・脱毛っていうふうに書いてあるんですが、その私が文字情報として捉えているしびれとは大きくかけ離れてたっていう感じです。
岸田 これだから、家事する時とかも結構しびれてくるものなんですか?
山本 もう何をするにもピリピリしてて、で、うまくつかめない。触るとすごく痛むっていうところで、パソコンすらもうまく叩けなかったです、その1回目・2回目は特にですね。
岸田 それってこう、ちゃんと自然にこう、戻ってくるもんなんですか?今はどうなんですか?
山本 今もじんわりビリビリっていうのは来てます。
岸田 あ、そうなんですね。
山本 でも、その当時の2023年の冬場っていうのとはもう明らかに軽くはなっているんですけれども。
岸田 あれですね、握手求められたらちょっとドギマギしてしまう感じですよね?
山本 あの柔らかいものは大丈夫。
岸田 大丈夫なんですか?
山本 全然大丈夫です。その当時、一番だから嫌だったのが包丁とかとがったもの・硬いもの、お薬のタブレット、そういうものです。なので、ミトンとか柔らかいもの布であるものとか、本当に優しい手触りのものは本当にそういう感じにはなりませんでした。
「無理しないでは悪魔のささやき」——春日の遊歩道を歩き始めた
岸田 あぁ、そうなんですね。その薬物療法されていて下がっていくんですけど、ちょっと上がっていきます。それがジムに通うということで、何がきっかけで?
山本 これはですね、ちょうどがんに罹患した頃に押川先生の「がん防災チャンネル」っていうのをYouTube上で見るようになって、そこでやっぱり運動することとか、がん患者さんには本当に家族とか周りの方々が無理しないでねっていうふうに言われるけど、それは悪魔のささやきだと思ってくださいと(笑)
山本 なので無理してでも、ちょっとでも体が動くんだったら動かしてほしいみたいなお話があって、本当にちょっとでも副作用が軽減するんであれば…っていうところで、ジムに通うのとだいたい同時期にウォーキングとかも始めたっていうところです。それが2023年のちょうど11月末・12月、冬のあたりでした。
岸田 やっぱ違います?やられてから。
山本 本当にこれだけ私、運動とか全くしてこなかった人で、もうちょっとでもしんどければすぐ車使ったりとかもう歩くのも嫌っていうようなタイプだったんですけれども、たまさか奈良市内なので奈良公園の奥に春日大社とかいいお散歩コースがあったんですね。
山本 で、罹患前は全くそういうのを無視してたんですけれども、罹患して初めて歩いた春日の山の奥の遊歩道とかがすごく景観も良くて癒されたっていうのもあるし、自分でしびれながらも歩けるんだっていう実感がちょっと気持ちを前向きにさせてくれたというのもありました。
岸田 それでね、ポジティブにもなっていくといったところで、そこからですね、お正月に家族も集合されるということでね?
山本 本当に先ほども言ったように、家族といっても主人は東京で単身赴任していて、長男は北海道に行ってて次男はたまさか奈良にその当時いまして。
岸田 この時は社会人になられている?
山本 長男は社会人でした。次男は大学生(院生)という感じです。
岸田 みんなバラバラのところにいたけれども、正月にみんな集合して。

山本 その時は私も絶賛脱毛中でしたしもうすごくしんどいさなかだったので、家族全体が…お正月おめでたい時ではあったんですけれども、ちょっとみんな覚悟をしてたっぽい…ぐらいの時でしたね。でも無事に手術も終わって集えたっていうところはありがたかったんですけれども、そんなに晴れやかなお正月ではなかったです…。
岸田 そっか、そんなお正月を過ごしていき。ただ、その中で体力もついてといったところでね?
山本 そうですね。化学療法の3回目ぐらいからウォーキングとかジムの効果が出てきて、その頃体重もどんどん増え出すんですね。一時ガクンと減った体重が、またあれよあれよという間に体力がついてくるとお腹も減って、知らず知らずのうちに体重もずんずん上がっていってっていうところで副作用も軽減されました。
岸田 おお!
山本 3回目、4回目、5回目、6回目と本当に、歩いたりジムに行ったりするたびに副作用もちょっとずつ軽減しました。
「嬉しい休薬ではなかった」——マーカー再発と、赤い薬ドキシル
岸田 じゃあ体力つけてよかったなといったところでありますよね。そこから薬物療法が終了し、そんな中でオフ会に参加されていくという形になりますけれども、こちらはオフ会、どういうことですか?
山本 罹患中にたまたま「卵巣がんざいちゃん」っていう、卵巣がんに罹患されて本当につらい目に遭いながらも今はもう経過観察されてるのかな、その方がYouTuberさんとして活動されてて、その方のオフ会はっていうのが仙台であったんですね。で、行きました、体が動くのが嬉しいので。
岸田 奈良から?
山本 奈良から行きました。2つ目の目的としてはその頃同時期にSNSで「PeerRingピアリング」っていう女性の婦人科がんのSNSの会員にもなってたので、その同じがんサバイバーさんですごく私に良いメッセージというかコメントをいただいてた方も卵巣がんのざいちゃんの会に仙台にいらっしゃったので、会えるっていうところで、同時に2つの目的が叶うなと思って行きました。
岸田 オフ会参加されて、テンションも上がってよかったなというところですけれども、またちょっと下がっていくのは休薬されていく?

山本 それが、TC療法が6回半年かけてやったんですけれども、奏功しなくて。4回目あたりからじわじわと腫瘍マーカーがまた上がってきまして、マーカー再発であるやろうということで。で、ちょっと次の治療どうするか?みたいなところもあって、嬉しい休薬ではなくて次の治療をどう決めていくかっていう1ヶ月のお休みだったんですね。
岸田 ちょっと待ってください。この2個前に薬物療法は終了していく、TC療法は終了していくんじゃないんですね?
山本 TC療法は終了しました。終了するんですけれども、普通だったら6回終了して寛解に持ち込めたり、中には根治される方もいらっしゃるみたいなんですけれども、私のがんのタイプはなかなか奏功しないので、4回目・5回目・6回目と腫瘍マーカーが連続的に上がってしまったんですね。
岸田 だから、終了してちょっと次の治療法を決めるための今休薬っていうふうな?
山本 そうなんです。
岸田 次の治療が決まっていきます、こちら、ドキシル&アバスチン。
山本 はい。もう本当にこのドキシルっていうのは赤いお薬なんですけれども、最初はですね効いてほしいなっていう思いから、スタールビーとかねスカーレットとか自分の中ではいいようなキャッチフレーズというか、あだ名をつけて頑張ろうと思ってたんですけれども、なかなかどうしてその赤いお薬が手ごわくって。
山本 本当にタンパク尿が出るわ、もう1日そのウォーキングして帰ってくると、もうすごい足とかになってるんですね。で、血圧もそのアバスチンのおかげでというか、アバスチンのせいでというかでコントロールできなかったんですね。血圧コントロールも薬飲んでもあまりうまくいかなくて、私の場合は。
山本 で、もう血圧は上がるしジムに行ったらもうそれだけで血圧上がってもう吐いちゃうしっていうのが、去年の夏場の私が一番嫌な時期でした。
3つの病院を巡り、勝俣先生の言葉に出会う——ゲムシタビンと温熱療法
岸田 そういったものが、それでちょっと下がってるんですね。ここから上がるのは、そこから日本癌治療学会に参加ということで、学会に参加されていくんですか?
山本 そうなんです。それがもう本当に、きっかけ作りが、まず押川先生が日本癌治療学会は患者枠もあって本当にいろんな手厚いことをしていただけるから、患者さんもそうやって来て参加できるんですよっていうような告知案内があって。結構それまで押川先生のことはすごく私大好きだったので、あ、今の主治医が一番大好きなんですけど(笑)
岸田 全然そんな(笑)比較しなくても全然大丈夫(笑)どちらも大好きですけど、強いて言うとっていうね。
山本 そのきっかけづくりをくださってて。その前に大学の先生でキャリア教育をされている女性の先生がいらっしゃって、その方がたまたま罹患前からご縁があったので大学院生さんたちと一緒にそういう、がんになってもこういうふうに生活しているという人たちとキャリア形成と結びつけて、ざっくばらんな座談会を開催しましょうかと言ってくださったので。

山本 学生さんたちと一緒に、その方々はもう本当に、がんの経験とかもなければがんについての知識も全くない中で、私が本当にいろんな経験をしたことをお話ししてたら、いろんなやっぱり誤解があったりして。
山本 誤解っていうのはやっぱりステージ4とかだと、やっぱり末期っていうふうに思われてる学生さんたちも多いし、何をこうお話ししたらいいのかっていうのもすごく腰が引けてる中で、私がやっぱりオープンになればなるほど学生さんたちもオープンにいろいろと聞いてくださってっていう感じで、その座談会がすごく私にとっては逆に力をもらえたので。
山本 そのあたりのことをキャリアの視点と絡めて学会で発表できたらなっていうところで、もう本当に何の知見もない中でとりあえずチャレンジしてみようと思って学会の方にエントリーさせていただいたっていうのがきっかけです。
岸田 学会に参加されてみてというふうなところですね。その後にですね、セカンドオピニオン巡りに入られていくということですけど、これはあれですか?薬物療法されていてセカンドオピニオン?どういうことなんでしょう?
山本 これがドキシル&アバスチンが本当に副作用と効果のバランスっていうのが、私も体で感じたわけなんですけれども、なかなか本当に効いてるんだったら副作用をしてでも頑張れると思ったんですけど、なかなかそうではなかったので、主治医にこの治療つらいですと。
山本 ジムにも行けないしウォーキングもできないし、自分のよりどころであったことが全部できなくなるのは本当につらい…と。普段の生活ができないんだったらこのお薬ちょっとやめたいですっていうようなことをはっきり伝えました。
山本 その中で、またお休み休薬期間が1ヶ月あるんですけれども、じゃあ次どんなことをしたらいいのかっていうのも私自身も確かな情報が欲しくて。癌治療学会でもいろんな先生たちが講演もされてるし、そういうところからちょっと地道に情報も集めたいなっていうふうに思ってっていうところで、セカンドオピニオン巡りもそのかたわらやっていこうっていうふうに思って。
岸田 どれぐらいセカンドオピニオン回られたんですか?
山本 本当に関西の有名ながんセンターに回りました。それから仙台でご縁のあった「PeerRingピアリング」のお友達の紹介で、東北大学の方にも行きました。最後は本当に婦人科がんの腫瘍とかですごくお詳しい勝俣先生のところに、最後3つ目行きました。
岸田 いかがでしたか?そのセカンドオピニオン、この3つの病院言ってることが全然違うのか、だいたい似てたっていうふうな感じなのか印象的に?
山本 いや、本当にいろんな先生にいろんなお話を聞くって大切だなと思ったのは、もう本当に主治医は割と前向きでラフな先生なので、私にそういうクールな発言をするってことはないんですけれども、やっぱりセカンドオピニオンの先生はすごく厳しい現状もお伝えされます、はい。
山本 一つの病院は、そんな形で結構お薬が効かないとなると緩和ケアに行くしかないですよねとか言われますし、本当に現実を無視してた部分っていうのを改めてつきつけられる場もあったんですけれども。そんな中で、東北の方もどちらかというと同じような形で、本当にデータに基づく私を客観的に見つめる機会をくださったかなというふうに思います。
山本 最後の勝俣先生は、どちらかというと本当に患者目線で寄り添ったお言葉がけをくださいました。その中でも、やはりやりたいことがあるんだったら、もう本当にすぐ行動できることはすぐ行動した方がいいし、がんとうまく付き合ってくださいと、慌てず焦らずあきらめずという言葉をいただいて。それは本当に今でも私の中ではずっと思っているし、そうしたいなというふうに感じています。
岸田 慌てず焦らずあきらめず。
山本 あきらめず。
岸田 そのようなご助言もいただいて。最終的には病院は転院するとかはあったんですか?
山本 治験のお話とかもいろいろあって、いざとなったらと思ってたんですけれども、やはりいろんな家族のことであるとか高齢の母も私と一緒に暮らしてますし、それを考えると地元での治療っていうのを今はずっと継続しています。
岸田 その中で今、地元で治療をするというふうな判断にされたということですね。そこの中で、セカンドオピニオン巡りをしていた中でワークショップを開催されたりだとかしている。これはお仕事の中で?どういう?
山本 これは罹患前から、臨床美術といって右脳を活性化するアートワークみたいなことをずっとこうやってまして。ほとんどの事例が、どちらかというと高齢者施設さんの方でおじいちゃん・おばあちゃんと一緒にそういうアートワークをしたりとか、あと自閉症の子どもたち向けにとかっていうので開発されているプログラムなんですけど。
山本 それが私自身先ほども手足がすごいしびれて手が何も持てなかった時に、使うお道具が割と柔らかい素材、パステルだったりするんですね。オイルパステルがすごく柔らかい素材なので持ちやすくて、絵とか描けないなと思ってたところがオイルパステルがすごく使えて、で、描けたことがすごく喜びにつながって。
山本 高齢者の方々に寄り添うというような形でそれまではやってたんですけど、実際私が本当に高齢者みたいな形になって手が動かせる喜びっていうのを実感したので、そこから、これはなんて言うのかな、皆さんと一緒にやれるチャンスがあるんじゃないかなと思って。
岸田 開催されていたということですね。そういったものを開催されたりとかしていくことで今の体力もついてきたりとかして、そして仲間と熊野古道にも行かれると。どうでした?参加してみて。
山本 本当に治療のさなかの方であるとか経過観察でもう10年ご無事で過ごされている方とかご褒美で行きましたっていうような方とか、いろんなご事情を抱えた方々と皆さんからパワーがいただけました。
岸田 じゃあ参加してよかったですね。
山本 よかったです。
岸田 よかった。そして今このような形となっております。腎機能や肝機能が衰えていっているということですけれども。
山本 今ですね、2回目のドキシル&アバスチンまでいって、昨年の11月からいよいよゲムシタビンという3回目の薬に変更になって。このゲムシタビンは単剤で今粛々とやっているんですけれども、もう1年近くになるのでさすがに腎機能・肝機能もちょっとずつですけれども衰えてきているなというので、ちょっとそこは懸念しているところです。
岸田 ゲムシタビンはどこからされているんですか?
山本 2024年の11月からです。
岸田 場所的にはドキシル&アバスチンよりは後ですよね?
山本 後です後です。学会に参加して、それが去年の10月で、11月から、で、セカンドオピニオン巡りをした直後ぐらいからそのゲムシタビンに。ちょうどセカンドオピニオン巡りと同じぐらいのタイミングですかね。
岸田 じゃあ次の薬物療法されていっているというところなんですね?
山本 はい、3回目のということになります。
岸田 治療的にはそういったところですかね。何か他にはされたりとか?

山本 今ゲムシタビン単剤でずっと続けていて、今年の本当に最近なんですけれども、6月末から温熱療法というハイパーサーミアというのを今やっています。
山本 その理由としては、化学療法の底上げにもなるっていうことを聞いたので、副作用もないっていうことなので一度チャレンジ的にやってみて、やった方が効果があるのかやらなくて単剤の時と変わらないのかっていうのを自分の体でちょっと見ておこうっていうふうに思って今始めてるさなかです。
岸田 公的な保険適応内でされているということですね?
山本 そうですね、保険適用ありということで。
岸田 どうですか?やってみて。
山本 これがもう…けっさくなんですけど、ウォーターバッグみたいな、ハンバーガーでいうとバンズみたいなものに私が挟まれるような形で、で、40分ぐらい体の深部を温めていくんですけども、まるで豚の角煮バーガーみたいな感じ。というのが(笑)出力数なんですけど、最初300ぐらいからやって本当に耐えられる方は1500までいきますと。山本さんの場合は600〜700ぐらいですかねみたいな感じのことを言われて、で、その時単位が分かってなかったんですよ。で、改めて単位聞くとワットですって言われて、で、600ワットでもう3分も温めたらご飯なんかホカホカになるじゃないですか?
岸田 確かに確かに!
山本 だから、結構私の中では本当に電子レンジに入ってる、なんかこう本当に豚角煮状態っていう(笑)そんな感じでもうすっごくしんどいです、その40分間は。
岸田 そうなんですか?
山本 お腹を中心に当ててるんですけれども、私の場合化学療法の底上げなので本当にお腹の部位だけでいいのかどうかっていうのはまあ置いておいて、お腹を中心に温めて。外側は何の変化もないんですけど、中が42度くらいには温められてるらしい。私も初めてなんですけど、本当お腹がピリピリしてくるんですね、出力が上がると。
山本 で、もう汗だくになります、もうサウナ以上です、その40分間の中で。で、もう本当にもう修行僧みたいな感じなんですけど、もうでも終わるとなんていうんですかね、汗もかききって、で、もうほっと一息ついて、その後何か体にすごく変化があるとかっていうのはないので続けてるっていう感じですね。
岸田 まだそれの効果っていうのはまだこれから?
山本 そうなんです、8月末にちょっと検証するっていうか評価を取るみたいな形なので、私自身もこのまま続けるかそれともどうするかっていうのは、ちょっとはてな?な部分はあります。
岸田 これからっていうことですね。がんノートを見られている皆様に関しては、こちらですね、標準療法といったわけではございませんので、そこに関してはちゃんと主治医の先生だったりとか様々な医療従事者の方としっかり相談してですね、基本的には標準療法をしていただいて、そういったところでまたご判断いただければということを思っております。
岸田 ちなみに病院の先生はご存知?
山本 はい、知っていらっしゃいます。先生もじゃあ一回チャレンジしてみたら?っていう形で、どちらにしても私の今の主治医は何でも一回やってみたら?っていうふうに言われます。なので、私がしたいとかやりたいって言ったことに対してそれはダメだよっていうような否定的な言葉をかけられたことは一度もないですね。
山本 セカンドオピニオンの時もそうでしたし、じゃあ他の先生は何て言う?分かるのかなっていう形で、そういう意味でも私にとっては本当にありがたかったです。
岸田 なので(主治医が)大好き!ということでございますね(笑)
山本 はいそうですね(笑)
岸田 そしてここからですね、当時のお写真を伺っておりますのでお写真を見ていきたいなということを思います。まずこちら、ドン!ということで、こちら左側は手術の?
山本 傷跡なんですけど、もう本当に近くで見ないとっていうぐらいの、本当におへその下からスーッと一本の筋があるのがそれがもう手術痕で。開腹手術って私もっと激しく痕が残ったりするんだろうとかケロイド状になるんだろうとか思ってたんですけど、実際は全然違ってたっていうところで。
岸田 すごい綺麗ですね!
山本 はい。
岸田 さすが。
山本 断捨離先生の。
岸田 これ断捨離先生のね〜、おかげで。右側はこちら何ですか?
山本 これはですね、セカンドラインというか、2回目のドキシル&アバスチンの治療のさなかに手足症候群というのになりまして、1日歩いて帰ってきたらこんな感じになって。足とかボコボコになったり、もう爪が真っ黒になったりちょっとね、お見苦しいんですけれども、そういうのがもう1日でできちゃうんですね。足首の周りは靴下の跡が普通だったらつかないようなところも。
岸田 左側がその靴下の跡か。
山本 足の甲とかも、ちょっとスニーカーで、普通だったらなんともないようなところが、もう1日歩いて帰ってきたらこんな状況になっています。だから私のそのよりどころであるウォーキングが全くちょっとできなくなって…、すごくその時はつらかったですね。
岸田 そうなんですね。
山本 ちょうど血圧も高くなってた時ですね、アバスチンの影響もあって。2回目の薬が結構私には地味につらかったです。
岸田 そしてその次がこちらになります、ドン!4つ写真が並んでますけど。

山本 一番左はTC療法一番強いお薬をやってて、多分4回目・5回目もう完全に脱毛する直前ですね。まだひよひよとした髪の毛は残ってるんですけど、これらも全部結局は抜けちゃいますね、抜け切る直前みたいな。
岸田 一番左抜け切る直前。左から二つ目が抜け切った後?
山本 抜け切りました。抜け切ってちょっと光の加減で微妙にチクチクしているものが見えてたら、ちょっと生え出している頃かな〜。
岸田 若干、この時ね、ご主人に撮ってもらった写真があるんですよね?それがこちら。
山本 これもう何の写真!?って思うんですけど(笑)これ実は私を真上から撮った写真なんですね。で、この大きななんかもう本当にゴロンとしたものは私の頭の頭頂部、本当に真上から見たもので。
山本 で、実際私もギョッと最初してたんですけど、今から考えるとほくろがこんなとこにあったのか!とか、私の頭の形って真上から見るとこんなだったんだなっていうのが、もうこういう化学療法してなかったら実際この姿にはお目にかかれないので、私の中ではすごい発見でした。
岸田 自分の頭頂部見ることないですよね。
山本 ないですね。
岸田 その次が髪の毛生え出してきたものですかね?
山本 そうなんです、いがぐり坊主直前みたいな感じで生え出してきた。
岸田 そしてこちらは?
山本 生え出してちょっと本当にベリーショートのぐらいで、この辺りで多分押川先生とかの日本癌治療学会にも参加させていただいてたのかなっていう。
岸田 どれぐらいで生えてきたんですか?髪の毛は。
山本 これはですね、一番右が多分2024年の10月ぐらいなので、その前っていうのがこれが…9月ぐらいなんじゃないかな、2024年の9月ぐらい。この時は2024年の5月ぐらいだったんじゃないかなあ。
岸田 5月・9月・10月ぐらい?
山本 ぐらいな感じですね。
岸田 じゃあ数ヶ月でしっかりまた生えてきてっていう?
山本 きましたね、本当に!本当に新生児みたいな赤ちゃんのような柔らかい毛が生えて、今もだからそのクリンクリンしてるのは、その皆さん多分罹患された方は結構女性の方皆さんに言われますけど、割とクリクリした毛が生えてくるんですね。
岸田 そうですね、赤ちゃんみたいなね。
山本 ひよひよっとした毛が。
岸田 そんなベリーショートになっていって、そしてさっきも学会に参加された様子はこちら。

山本 そうなんです。憧れの押川先生が、お写真を撮ってもらって。本当に実際会うとすごいスタイルのいい背の高い先生なんだなっていうのを。
岸田 それまでの印象が(笑)
山本 でもね、がんの飲み会みたいなのをYouTubeで発信されてる時、実際座ってらっしゃるので。先生のものの言い方とか根太いずんぐりした感じがあってっていったら、褒め言葉良い意味としてです!いい意味ですからね?いい意味として私は背がそんなに高くない方だと思ってたんですね。
山本 実際にお会いしたら、背は長いしスタイルはいいしこんな背の高い方だったんだなって思って、今でもちょっとかがみ気味でお写真に写ってらっしゃるんですけれども、本当にそれはびっくりしました。
岸田 生押川先生に出会えて。
山本 出会えて、本当にそれはよかったです。あっ、あの主人の次によかった!!(笑)
岸田 そのフォローね(笑)ご主人の次に!ということで。
山本 次によかったです。
「すぐ地元の病院へ」——産業医に背中を押された病院選び
岸田 ありがとうございます。それではここからですね、各項目に分けてお話を聞いていきたいと思います。まず病院や治療の選択どのようにしていったのかと。最初の時には健康診断の値が返ってきてというふうな形があったと思います。
岸田 ここから、どのように病院を決めていったのか?であったりだとか、あとはセカンドオピニオン様々行かれましたけれども、どういったところに行こうと思ってそういうふうにしたのか、そして今の治療に至るまで病院や治療の選択についてお伺いしていきたいなということを思いますけれども、こちら、まずはじめの病院はどうしたんですか?
山本 それがですね、一番最初はその会社の産業医さんに言われて、私はまだまだその時治療しながらも勤められると安易に考えてたので、大阪の病院に行きましょうか?みたいなことを言ったら、いやいやもう地元のすぐに診てもらえる病院にしてくださいっていうふうに会社の産業医の先生から言われて。
山本 で、地元で診てもらえるって言ったら、私その子どもを出産したその地元の病院にしか思い当たるところがなかったのと、たまたまその日の午後診があったんですね。なので、選択とか言ってるような頭の中ではなくて、とにかくすぐに病院に行かないとっていう焦りの気持ちの方が強かったので、もう選ぶとかっていうこと自体がなかったです。
岸田 その地元の病院に行かれて…。それで治療、がん告知をされていってそこからまた治療入っていきますけど、その病院でずっと治療されたってことですか?
山本 そうなんです、そこでもう実際診てもらって。割と待ったなしの状況だっていうのも分かったので、もうその時点ではもうすぐに手術をしてもらってということになりますね。9月19日に駆け込んで10月4日に手術なので、その時はもう選ぶとか治療をどう選択するとかという気持ちの余裕が全くなかったんです。
山本 予備知識も、もしかしてあったらまた別の考えが出てきたのかもしれないですけれども、その当時は本当にもう焦りとそれからもうちょっと不安でいっぱいでというところで、余裕なかったですね。
岸田 そこから治療に入られていって、選択の余地なくといったところでしたけれども、治療を進めていく上でどこかのタイミングで治療選択、迷われるだったりだとかそういったところはセカンドオピニオンらへんの時って感じですか?
山本 一番私自身が迷ったのは、そのTC療法ってすごいやっぱり強いお薬なので、それが奏功しなかったっていうところが一番私の中では迷いと不安と、じゃあ次どうするのっていうところですね。その時にターゲットになる、目に見える腫瘍っていうのはなかったので、そこも含めて私が現状播種(はしゅ)してるっていういろんな。
岸田 そういうことですね。
山本 なので、ちょっとどんな治療が次にできるんだろうっていうところで。
岸田 迷われていってっていうことか。そんな中でね治療…、播種(はしゅ)してというところもあって。この時はがん自体は一応目には見えなくなっていたんですね?
山本 手術をして、目に見えるものは取り切れましたというところはありました。
山本 ただ、播種(はしゅ)してたっていうのも知ってたので、目に見えない細胞レベルでがん細胞がいるっていう認識はありました。
岸田 そっか…その中でじゃあ治療の選択というところで迷われていった中で休薬していって。ただこのドキシル&アバスチンをされていく時はこれも先生から提案されたセカンドラインを?
山本 そうですね、その時も本当に画像が見えない中でどうしようというところはあったんですけれども、私の抱えている明細胞がんというのがそもそも奏功するお薬というのがなかなか現状見当たっていないので、やっぱりがんの総量ということを考えると増やしていくというのはあまりよろしくないだろうっていうところでセカンドラインに踏み切ったっていうところはありますね。
岸田 そうなんですね。セカンドラインされていった中でセカンドオピニオン巡りをされていくっていったところで、また抗がん剤もね、この時違う抗がん剤をされていったってお話ありましたけれども。セカンドオピニオンだったりとか、そういったところはどういうふうに決められたんですか?
山本 これはですね、卵巣がんの患者団体の片木様っていう代表されてて、すごく詳しい情報も持ってらっしゃって、その方にメールでのご相談なんですけれども、どういったところでセカンドオピニオンをかけるといいでしょうか?みたいなことを聞いておりました。
山本 すごく親切に迅速にお答えいただいて、かかっていったり、あとは自分でピアサポートのメンバーさんとかに聞いたところであるとか、自分の中でいいなと思うところを結局3つに絞り込んで。私が体が動けるのが嬉しかったので、どんどんいけるところは行ってみようと思いました。
岸田 そういうふうな形で。卵巣がんの患者会を運営されている片木さん。片木さんはがんノートにも出てくださっていただいたりとかもしまして、神ですよね?
山本 本当にあれですね、よくいろんなことをご存知ですし、明細胞がんに罹患された方のお話もちらっとメールでいただいたりとかして、本当に患者目線でいろんなサポートをしてくださるので心強い方です。実際に実はお会いしたことないんですよ。なので、また機会があったら片木様の方にもお会いしたいなと思ってます。
岸田 またイベントなどで出会えることを。
山本 ありがとうございます。
岸田 そのような形でセカンドオピニオンなども決められていって、最終的にはご自身で判断されて治療を…ということですね。で、今に至るっていうふうな感じであるかなと思います。ありがとうございます。
副作用と向き合う日々を支えた、医療者のサポート
岸田 はい、そしてですね、次になんですけれども、次はこちら。副作用や後遺症のことっていったところで、まあ髪の毛のね、脱毛のことだったりだとかまあ手足のしびれだったりだとか、あとお写真ね、いただいてそのなんでしょう。その症状みたいなところ具体的にいただきましたけれども、その他に何かこう、後遺症そういったところってございますか?
山本 そうですね、お薬によって副作用が全く変わってくるのと、あとお薬って本当にもろ刃の刃というか、実際1日で本当に体調とかが変わってくるので、それは本当に私自身も驚いたし、ちょっとこうたまげたなっていう感じではあったんです。
山本 ただ、例えば脱毛に関しては抜けていくっていうのは分かったんですけれども、やっぱり抜けているさなかが一番辛くて、まともに見られなかったなっていう感じでした。でも、そんなさなかにも私の今のかかっている病院はがん専門の看護師さんが本当に私の立場に立ってくださって、例えばつけまつげのつけ方とかもその場で教えてくださったり、今でも本当にささいなことでも力になってくださってますけれども。
山本 そういう主治医と主治医の周りの看護師さんであるとか薬剤師さんであるとか、あと腫瘍内科の先生も、実はなんか出張で来られてる先生もいてらっしゃったり、本当に私の治療環境っていうのはもう本当にいいなっていうふうに、よかったなっていうふうに思ってます。
岸田 本当に様々な方にも支えていただいてね。やっぱりこういう看護師さんたちがサポートしてくださるっていうのもね、もうそれも励みになりますよね。
山本 マラソンというか、自分の体力作りのために励みになりますね。それとか私が次いつ予約取るとかっていうのも本当に記録していただいてて、いろんなところにスッと現れてくださるんですよね。例えば化学療法室に入ってたらそこにスッと現れてお話聞いてくださったりとか、本当に自分のスケジュールを細かに把握していただける看護師さんってそうそういないので、本当にありがたいなっていうふうに思ってます。
岸田 そういった医療従事者の方もたくさん見てくださっていますので。
山本 そうなんです。だから本当になんて言うんですかね、そういう意味ではもう主治医もそうなんですけれども、周りの看護師さんであるとかその方々にいっぱい助けていただいてるなっていうのをすごく感じていて、ありがたいなと思ってます。
山本 だから副作用はいっぱいあるんですけれども、もうその度になんかこう相談したりどうしようみたいな形でお話できてるっていう環境は恵まれてるなっていうふうに感じてます。
岸田 様々なそういう医療者の方がもっとね、ケアしてくださる方がすごくもっと増えていくと嬉しいなということを思います。
単身赴任の夫、85歳の母——変わらない距離感が支えに
岸田 そして次がですね、こちら、家族のことに関しましてですね。旦那様や長男さん・次男さんいらっしゃったかと思いますけど、家族に対してはどのように伝えてどのようなサポートを受けて、もしくはこうしてほしかったよみたいなこと、そういったことありますでしょうか?
山本 いやもう本当に、うちの家族そもそもなんですけれども男の子2人で、しかももう成人してるっていうので結構自立していますし、主人も遠方にいってるっていうので、結構私ががんになっても割といい意味でですね、普段通りの生活っていうのをするようにっていうか、していくような形に自然となりました。
山本 だからまあ、病気というか罹患はしているんですけれども、病人扱いは一切されていなかったので、結構そういう意味ではスパルタな感じだったのかなと(笑)だから、やれることは全部やるし。
山本 母も本当に85歳で高齢なのでなかなか日々のお料理だとかそういうのもしづらくなっているので、そういったところは母が、じゃあ私やるわって言うんじゃなくてもういやいやお任せで私がもう頑張らないと日々のご飯も食べられないので。
山本 そういった意味では母親も割となんかいい意味でもの忘れもしてくれるから、私が開腹手術して本当にヒイヒイ言ってる時も、あなた開腹手術なんかしたっけ!?みたいなぐらいで言われるので(笑)
山本 なので、本当になんかもう認知症とかって言って厳しい言葉もありながら、なんかもう本当に嫌なことは忘れていけるのって逆にいいのかなっていうふうにも思ってて。
山本 なので、私の毎日の顔色見ながら、だってあんた元気そうな顔色してるやんみたいなことを言われて、本当に罹患前と同じように母なんかは接しますから、そういった意味ではありがたいなっていうか、必要以上になんかもう無理しなくていいよとか、なんかそういう優しい言葉をかけられるっていうことはなかったのでっていう感じですね。
岸田 そうですか。まあね、普段通りにみんな接してくれたっていうことですね。
岸田 そんな中でお子様のこともね、少し触れていただきましたけれども、あれですよね?お子様はもう成人されて?
山本 いてたんですけど、長男なんかはすぐさま戻ってきてくれるし、私が歩くことっていうのをすごく気持ちのモチベーションにしてたので、なのでウォーキングシューズを買ってくれて、そのお正月集った時に。今日履いてるのもそれなんですけど、毎日このウォーキングシューズと一緒にっていう形で。この先なんですけど、山登りもしたいなと思っているので、ストックも今年の冬は買ってもらいました
岸田 そうなんですね!
山本 それが励みですね。次男は本当に毎日付き合っているので、私のお散歩コースに神社が2つあるんですね、赤乳神社・白乳神社といって。赤乳神社というのが本当に私のお腹周りの神様であるらしいですけど、そこに私が通ってるのを知ってかそこをマラソンコースにしてて、メッセージカードを神社のほこらに置いていってくれるようになりました。
岸田 マラソンされてるんですか?
山本 マラソンというか自分の体力作りのために毎日ランニングしてるみたいなんですね。だから、私が歩くよりも早くにバーってランニングに出てそのほこらにメッセージを置いていってくれて。
山本 今では私よりも毎日そのランニングは欠かさずやってくるみたいで、私がたまにこうサボってたらもうメッセージカードがブワーって溜まってて、ちょっとそれはそれで私にかなり圧がかかってるんですけど、そのメッセージカードを回収してって変な言い方なんですけど。
岸田 見て?すごい!だから、メッセージにはまあなんでしょう、お母さん頑張って的なことを書いてるわけです?
山本 そうなんですよ、毎日。今日はご飯美味しかったよとかなんかいろんなことを書いてくれてて。で、私も全部回収するんですけど、やっぱり本当にちっちゃなほこらの下の方に置いてくれてるので、あのいろんなものが来るんですよ、野鳥とか。
山本 で、一回本当にそこにあの狸かなんか知りませんけど来て、糞をしてそのメッセージカードの上に。それだけ、私も回収したいけど回収できひんかったわみたいな感じで。暴風雨とかあったら、たまには1枚・2枚吹き飛ばされてる時もあるのかなっていう感じで。
山本 私以上に継続力がある次男なので、そういった意味ではある種プレッシャーにもなるし、そうなんです。
岸田 次男さんは大学生(院生)?
山本 はい、来年(大学院)卒業。
岸田 素晴らしい!本当にね、家族の心温まる。
山本 いやいやいや、本当にでもなんかもうそれが溜まってるんだろうなと思うと、私がウォーキングに行けてないなっていうことの証なので、ちょっとすごいプレッシャーを感じてるので。
岸田 まあね、だからしっかりウォーキングをね。
山本 そうそう、歩かないとって思うんですけど。
岸田 ありがとうございます。
「中途半端に戻って迷惑をかけたくなかった」——在宅での復職
岸田 そして次こちらですね、お仕事のことといたしまして、お仕事されていた中で休職されたのか復職どのようにされていったのか、そういったところもお伺いをちょっとしていきたいなと思うんですけれども。お仕事は休む時は、もう上司に言ってというところですか?
山本 そうです、もう急な話だったので多分上司・上長の方もびっくりされてたと思います。ただちょっと抜き差しならない状況っていうのは分かってもらえてたので、もう2023年の9月まではいてて、10月から本当に直近までお休みをいただいてて。
岸田 休職っていう形ですかね?
山本 そうですね、最初は有給とかそういうのを使いながら最終的にはもう休職をしてっていう形で。その中でもお客様とかもすごく心配をしていただいて、個人的におつながりのあるお客様とかにはお守りをもらったりとか、本当にいろんな関係の方には多大なるご心配とお心遣いをかけてもらったっていうことが実感ですね。だから、本当に復職はしたかったんです。
岸田 したかったんです?え、できてないの?
山本 したかったんですっていうのは、8月20日から復職が在宅で決まったんですけど、それまで本当に沈黙してたので、自分の体がある程度ちょっと安定するまではなかなか踏み切れなかったっていうのもあるし、なんか下手にまた復職を中途半端にしてまた迷惑をかけるっていうのは絶対避けたいなっていうふうに思ってたので。
山本 で、自分自身の体がちょっとでも安定していくであろうっていうふうに自分で思えるところが、ギリギリこの8月のタイミングだったっていうことですね。
岸田 そっか、で、復職される際もね、今テレワークでやったりとかっていうところで。あれですよね?実際に会社に行かなくてもいいような形で配慮してくださった感じなんですか?
山本 そうですね、在宅勤務っていう形で1年間をちょっと目処として在宅勤務をさせてもらって、その中で出勤する時もあるんですけれども、そこはもう本当に直近の上長との相談みたいな形でということですね。
岸田 実際に復職してみてまだ数日かもしれないんですけれども。
山本 もう本当にお慣らし保育みたいなところから始めてて、本当にもうね、できないこととかもうやっぱりケモブレインってよく最近皆さん言われますけれども、本当にそれも私実感してますし、もうタスクをね、3つ4つやってたことから比べると本当に一つずつっていう感じなんですけれども。
山本 それでもやっぱり復職させてくれたっていう会社にはもう本当に感謝しかないですし、周りのサポートなければここまでたどり着けなかったんだろうなというふうに今本当に思っているところです。
岸田 これからも、じゃあ在宅で仕事されていく?
山本 体調がよければ本当に在宅・外勤問わずやっていきたいなと思っています。ただ、皆さんに安心していただくっていう意味では、もう日々の積み上げでしかないなっていうふうに感じているので、もうそこはちょっとゆっくりゆっくり自分の体と相談しながらっていう形ですかね。
岸田 このままお体と付き合っていきながらお仕事されていくということで。
高額療養費制度でも残る自己負担——お金のリアル
岸田 そして次がですねこちら、お金や保険といたしまして、治療費どう工面したのであったりだとか、あとは民間の保険ですね、入られていてそういったものを駆使したのかどうかであったりとか、そういったところをお伺いしたいんですけれども、いかがでしたでしょうか?
山本 いや、もうこれが私本当にがんになるって自分で1ミリも思ってなかったので、がん保険も入ってなかったんですね。なので、本当に最初は面食らいました。お薬もやっぱり高額になりますし、いろんな医療費の制度があるっていうのも治療しながらだんだん知恵はつけていくんですけれども、最初にやっぱり保険入っておけばよかったなっていうのが率直な感想ですね。
岸田 じゃあ今はあれですか治療費は?ご自身の貯蓄だったりとかそういったところから?
山本 そうですね…本当に。
岸田 今トータルで高額療養費制度など使われてますよね。どれぐらいの治療費ってかかっていたりとか?
山本 かかっているのがね、今絶賛計算中なんですけれども、やっぱりかなり出ていっていると思います。セカンドオピニオンとかは実際遠方に赴いたとしても医療費控除には関係しないので、そういった意味では結構カウントできないお金っていうのもあるからかなり使ってるんじゃないかなって思いますね。
岸田 それらを入れたら100万は超えてそう?
山本 超えてると思いますね。
岸田 かなり使われて?
山本 使ってます。
岸田 これからもね、またかかってきますね。
山本 ただね、もう活動できるっていうのが私の喜びでもあるので、もうそこはなんていうんですかね、今はそれは置いといてっていう感じで。ただ、ちょっとやっぱりがん保険とかしっかりしたちょっとよりどころになるものは、本当に防災っていう意味から考えてもやっておけばよかったなっていうのがもうちょっと反省点でもありますね。
岸田 またそういったところもね、お金とか切っても切れないところでもございますしね。ありがとうございます。
「難治性を身をもって知った」——心療内科が心の支えになった
岸田 そんな中でですね、次こちらつらかったことといたしまして、様々なね、ちょっと治療経過をお話しいただきましたけれども、いやこのタイミングが一番つらかったわってタイミングはどのタイミングですか?
山本 やっぱり一番最初のファーストのTC療法が。
岸田 ここですね。
山本 ガイドラインにも奏功しづらいっていうのは書いてあったんですけれども、私の明細胞がんの場合。ただやっぱりその通りに奏功してないんだなっていうのを目の当たりに感じた時は、もう本当にちょっと次の治療ってどうなるんだろう?と、そもそも明細胞がんってちゃんと奏功するお薬っていうのがいまだにない状況なので…。
山本 ですから、そういう意味では難治性っていうふうに言われているのがまあ身をもって分かったっていうところなので、そこが一番気持ちと体をどう持っていくのかっていうところがすごくつらかったですね。
岸田 そこそれをどう…まあ乗り越えてなのかうまく付き合ってなのか分かんないですけど、それをどうこうなんて言うんですかね、山本さんの場合はこうされていったんですか?
山本 えっとですね、ちょうど治験を探している時にですね、東京の方で進行がんの患者さん向けのCALM療法っていう、新しい腫瘍内科の治験がちょろっと出てたんですね。そういうお薬ではなくて心療内科さんの方でもこういう治験あるんだと思ってお問い合わせしたら、もうそれは外来の診療になってますから治験ではなくて外来診療が受診できますよというふうに言われて。
山本 で、それを受け出してから気持ち面では本当にいろんなことを広くお話聞いてもらえるので、すごくメンタル面ではよかったなっていうふうに思ってます。
岸田 そういったところに対し心療内科で、受診されてっていったところなんですね?
山本 そうなんです。たまたま私関西在住で東京なんでって思ってたんですけど、よく考えたら主人がずっと上野の方に暮らしてるし、月1回診療と主人ともいろいろ話ができるっていうので、一石二鳥って言うんですかね、押川先生で言うとついで作戦みたいな感じもあって。
山本 私としてはそういう意味では治療するのつらい!じゃなくて、心療内科の先生にお話聞いてもらえるっていうのがすごく心の強さにはつながったのと、あと息子であるとか主人であるとか一緒に受けられたんですね。
岸田 へえー!
山本 そうなんです。それもすごく私には言えなかった家族の思いとかも引き出してくださるので、今もそれはずっと続いてるんですけれども、それが割と心の励みというか強さにはなったなっていうふうに思ってます。
岸田 今もされているってことなんですね?
山本 そうなんです。
日々を少し楽にするための、小さな道具
岸田 ありがとうございます。そしてその中でですね、工夫したことなんですけれども、治療中ないし今でも入院中でもいいですし、普段の生活でもいいし工夫していること何かしらあったりとかしますでしょうか?
山本 そうですね、工夫っていうのは、そのウォーキングとかジムとか本当に言うまでもなく、あとその日々のその暮らしづらさとかはその言ってたように手袋とか、本当に手袋はよく使うようになりました。あと今かぶってる帽子もですね、まだまだひよひよ毛は頭頂部はなかなか薄毛で悩んでたりするので。
山本 で、帽子とかもすごく量は増えましたね。ウィッグで使ってた時もあるんですけど、やっぱりこの時期すごい蒸れるし暑いしで、帽子の使い方とかあと手袋っていうのはすごく量が増えたなっていうふうに思うのと。
岸田 なんかおすすめの手袋とかあるんですか?
山本 だから、もう施術用の水色の薄いピタッとした手袋、あれはもう本当最強ですね。何か家事やったりいろんなことするに。パソコン叩く時もそれを使ってた時もありますし、今でもあんまりつらかった時はそれを使ってますね。
岸田 そうなんですね。手袋だったりとか。
山本 キャップ帽であるとかそういうのは、若い人たちのキャップ帽の使い方とか参考にさせてもらって、これだったらおばさんでもできるなという(笑)
岸田 そういったところで工夫されているっていうことですね。ありがとうございます。
奈良の風景と散歩道——身近な日常が喜びに変わった
岸田 そしてこちら、次、がんになる前と後で変わったこと。意識的なところでもいいですし生活習慣でもいいですし、何か変わったこととかってあったりとかしますか?
山本 いや、もう本当に自分自身ががんになるって思ってなかったので。奈良っていうすごく環境の良い場所に住みながら、自分の身の回りになんかこんなにいい風景とかいいお散歩道があったのっていうのもがんになってから気づいたし、本当に日々の何て言うんですかね、季節とかの移り変わりにすごく目が行くようになりました。
山本 だから2024年は2月6日にウグイスが鳴いたのに…とかね。今年はウグイスの鳴く日がちょっと遅かったなとか、もう本当に昔の歌詠みの人じゃないですけど、そういうなんか微細なことになんかこう気がつくようになって。
山本 夕日の色であるとか、もう言ったらなんかすごいロマンチストさんみたいに思われそうなんですけど、いや本当にそういうところに、なんか私も今日歩けてる!とか景色見られてる!とかっていうので、すごくそれを喜びに感じるようになりましたね。
岸田 そういうね、微細なところまでちょっと分かるようになっていったんですね。
山本 なりましたね、本当に。
岸田 ありがとうございます。
「活動できることが喜び」——友人と、いろんな場所へ旅をしたい
岸田 そしてこちら、質問としては最後になります。今後の夢や目標なんですけれども、今後このようにしていきたいなとかこんな生活していきたい、そういった目標や夢ありますでしょうか?
山本 本当にいろんな治療を受けながら、自分の体がここまで丈夫になった、まず自分を褒めてあげたいなっていうのもあるので、できるだけ今活動できることを利用してというか、いろんなところに行きたいなと。お友達もすごくどこかに行こう!っていうふうに誘ってくれるので、がんに罹患しても変わらず付き合ってくれるお友達がいるので。
山本 やっぱり自分が心を開かないと、なかなかやっぱりがんを抱えている身としては、お友達も腰が引けてくるっていうのが現状なんで、私が言えばすごい付き合ってくれるんだなっていうのが今分かってきているので、そのお友達と一緒にどっかいろんな旅に行きたいなって。
岸田 いろんなところにね。
山本 思ってます。
岸田 行かれていくというふうなことでね。今日もね、わざわざ東京まで来てくださってね?収録に参加してくださってということも、ありがとうございます。
のんびり見えて、いざとなればたくましく——鹿に重ねた生き方
岸田 そして最後メッセージをですね、山本さんから視聴者の皆さんにいただければということを思っていますので、山本さんからのメッセージこちらになります。

山本 奈良公園の鹿のように生きる!です。私が普段お散歩で見ている奈良公園の鹿というところなんですけれども、表向きは大人しくて本当に餌をいただいてのんびりしているように見えるんですが、その実毎朝お散歩しているとすごくあの鹿さんたちはたくましくてですね、本当に駆け出すと競争馬ぐらい力があります。
山本 そして軽の車だったらそれもはねのけるぐらいに勢いよく、交通事故現場を見たことあるんですけれども、本当に脳震とうも起こさずさっそうと立ち上がって駆けていったっていうのも目の当たりにしてて。
山本 だから、普段は大人しくて本当に飼われてるっていうイメージが強いんですけれども、その実野生の力をすごく持っているっていう、そのたくましさっていうのに私は痛く自分を反映させるようにしてて。普段はのんびりしてるように見えるけど、いざとなったら、ちゃんとたくましく生きられるようなそんな人生がいいなっていうふうに思って、それを奈良公園の鹿になぞらえてこのようなメッセージにいたしました。
岸田 ありがとうございます。なかなかね、動物のように例えるっていうのをなかなか新しい視点だなっていうふうな。
山本 これは毎日のお散歩のたまものだと思います。すごく動物とか観察するのが好きで、で、あの子たち本当に公園にいる時には観光客の人と大人しく餌をもらってしてるようで、実際はかなりやんちゃさんですね。
山本 なので、逆に言うと人の民家の芝生とかそんなもパクパク食べてるし、実を言うと次男の行っている大学のキャンパス内にもずっといるんですね、大学内に鹿さんがいたり、で、その近くに私が通っている病院もあるんですけど、そこの敷地にもお邪魔してますっていうぐらいたくましさも持ち合わせて。
山本 でも皆さんに嫌われてなくて、本当にいるだけでほっこりするような鹿の生き方っていうのが、私自身もそうなりたいなっていうふうに思ってます。
岸田 鹿のように生きる!すごく素敵なメッセージいただきました。
山本 本当にすみません。
岸田 これにてがんノートを終了していくんですけれども、どうですか山本さん、お話ししてみていかがでしたでしょうか?
山本 こういうのが初めてで、でもどこかで普段通りの生活を営んでいる人がいらっしゃるんだろうなというふうに思っています。私みたいにちょっと心を広げてもらって、なんかこう私もこんなふうにして普段通り生活を送ってるよっていう人に一人でも二人でも出会えたらいいなっていうふうに感じてます。
岸田 ありがとうございます、ね。少しでもこうそういった方に出会えたりだとか、またね、その方たちのなんかヒントになれば嬉しいなということを思います。
岸田 これにてがんノート終了していきたいと思います。また皆さん、次の動画でお会いしましょう。それでは皆さん、バイバーイ。
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