目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:相馬

【オープニング】

岸田 がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは相馬さんです。よろしくお願いします。

相馬 よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いします。相馬さん、相馬才乃さんとおっしゃるんですね。

相馬 そうです。

岸田 才乃さんって結構珍しくないですか。同じようなお名前出会ったことあります。

相馬 一度もないです。

岸田 すてきな名前ですね。もう、才能豊かな。

相馬 ありがとうございます。若干、名前負けしてるところありますが、ちっと頑張りたいと。

【ゲスト紹介】

岸田 またまた。ありがとうございます。そんな中で早速なんですけど、相馬さんの自己紹介のスライド、こちらになります。相馬才乃さん、北海道のご出身ということで、北海道のどこら辺ですか。

相馬 小樽の出身で、今、住んでるのは札幌です。今、いる所が札幌です。

岸田 いる所は札幌ということですね。ありがとうございます。そして、居住地が愛知ということで。大学生ということで、大学で愛知に来ているということですよね。

相馬 そうです。

岸田 そして趣味が、旅行と喫茶店巡り、そしてギターとありますけど。ギター結構、昔からされてるんですか。

相馬 ギターは大学生になってから始めまして。ていうのも、昔、小さい頃はピアノとかエルクトーンとか音楽に関することを習ってたんですけど、小学生の頃も吹奏楽部に入ってたりとかして、結構、音楽に触れてたんですけど。中高でテニス部、運動系に入ってしまって。

相馬 また大学生になって、新しいこと何か挑戦したいなと思って、考えてるときに、もう一回、音楽のほうやろうと思って、ギターの部活に入りました。

岸田 すげー。ギターが弾けるって、かっこいいですね。

相馬 私もギター弾けたら、かっこいいなーっていう軽い気持ちで始めて、5年がたちます。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 ありがとうございます。そして、がんの種類が卵巣がんということで、また説明していただきますけれども、卵巣がん、そしてステージが1C、そして告知年齢が18歳のときということで、今は22歳。そして治療方法は、手術と薬物療法を行っていったということになります。その相馬さんのペイシェントジャーニーを、これから見ていきたいと思うんですけれども、こんな形になっております。

岸田 ページェントジャーニー、上から上がっていって、下がっていって。ゼロの周辺のところが結構あったりとかするんですけれども、そういったときに、どういうふうに相馬さんが思っていったのか、お伺いしていきたいと思っております。

岸田 上にいけばいくほど幸せ、下にいけばいくほどちょっとバッド、不幸せみたいな感じで、つらいとかいうふうなペイシェントジャーニーになりまして。右にいけばいくほど、年がたっているということを思って、見てもらえたらと思っています。

岸田 相馬さん、最初のほう何があったかというと大学入学ということで、大学入学とありますけれども、さっきも大学で名古屋へとありましたけれども、何かあれなんですか、やりたいことがあって北海道から出てきたって感じなんですか。

相馬 一応、担任の先生に進められて。進路の話をしているときに愛知の、この大学がいいんじゃないっていうふうに言ってもらって、そこに進学することになったんですけど。通っている学校の特色として、一応、国際系なんですけど、本当に英語でいろんなことを勉強したりするんですよね。

相馬 政治学だったりとか、環境学とか、歴史学とか、言語学とか、本当に自分の好きなもの、いろんな種類の勉強ができるので、その中で自分の興味あるものを決めていけるかなと思って、幅広く勉強ができるので、そこに進学することになりました。

岸田 いろんなことが勉強できて、かつ英語とか、そういうね、を使ってということよね。

相馬 そうです。

岸田 英語は結構、昔から好きやったん? じゃあ。

相馬 小さい頃から英会話教室に行かされてました。

岸田 すごい。いい教育だと思いますね。

相馬 でも、何回か海外に行ったりとか、ホームステイとか経験しているうちに自分で英語、話せたらいいなとか、面白いなとか楽しいなとかって思って。結構、長く習ってきたので、それも生かせるような、継続していかせるような所に行きたいなと思ったので、国際系の学部を選びました。

岸田 相馬さんの本当、今後が、もう本当楽しみですね。そんな大学に入学してということで、こっから下がっていくんですよね。そこから何があったかというと、おなかの張りを指摘されるということ。これ、誰から指摘、受けたんですか。

相馬 これは、母親からおなかの張りを指摘されまして。ちょうど学校祭かなんかの期間で、学校、授業休みの日があったので北海道に帰ってきてたんですよ。それで、お風呂上がった後か、入る前か分かんないんですけど着替えてたら、母親から、そのおなかどうしたのっていうふうにびっくりされて。

相馬 でも、自分では何も気付いてなくて。えっ、いつもと変わらないみたいな。でも、もう本当、母親は焦って「いや、それちょっとおかしいよ」っていうふうに言われて。そのときは自分で何も分かってないので、そういうふうに張って見えるんだっていうふうで、いったん終わってしまいましたね。

岸田 張って見えるんだぐらいで終わったっていうことですね。

相馬 はい。

岸田 そして、下がっていくことになります。一番下がっていっているところ、何になるかというと、こういうことですね。急激な腹痛ということで、おなかの張りが、だんだん痛くなっていったってこと。

相馬 急激な腹痛っていうのは、さっき言った、帰省してたんですよ、北海道に。また名古屋に帰るっていうことになって飛行機が朝、早い便だったのでちょっと疲れてて。名古屋にお昼ちょっと過ぎぐらいに着いて、お昼寝をしてたんですね。そして目が覚めたら、すっごい痛くて、いきなり本当に。それで、もう急激に腹痛を感じて、それも本当に目が覚めたら急におなかが痛くなってるっていう状態でしたね。

岸田 それは、もうおなかっていっても下腹部が痛い感じ、おなか全体?

相馬 いや、おなか全体がすごい痛くって。もう本当に人生で感じたことないぐらい、本当になんだこれはっていうぐらい痛くって。それが、もう呼吸しててもおなか、痛いし、まずおなか、痛いから、ちょっとお手洗いに行こうと思って立ち上がったんですけど、自分が歩いてトイレに向かっているときに、歩いてる振動がおなかに伝わってきて、それも痛いし。呼吸してるだけでも痛いし、もう何をしててもずっと激痛っていう感覚でした。

岸田 もう、そのまますぐ病院行かなあかんやん、すぐ病院に行った感じ?

相馬 それは休日だったので行かずに。

岸田 堪えたん。

相馬 ちょっと様子、見ようっていうことで。すぐ治るかなとは思ってたんですよ。そんなに、こんなには痛いけど、ちょっと、きょう休日だし。2、3日、様子、見てから行こうかなっていうふうにして、その日は行かずに、ずっと横になってたかなんかしてましたね。

岸田 それで痛み、引いてった?

相馬 日がたつごとに、だんだん軽くなってはいきました。

岸田 そして、そこからこうですね。婦人科で検診、その痛みを婦人科に行って見てもらったってことよね。そして、見てもらってから、名古屋の大きな病院で検査って。婦人科でなんか言われたんですか、それに関して。

相馬 婦人科に行って、まずエコーで検査しますって言われて。エコーでおなかの中を見てもらったときに「紹介状を書くので、次の日すぐ朝一で大きい病院に行ってください」っていうふうに言われて。これは、ちょっと、ただごとじゃないなと思って、次の日には学校も休んで病院に行くことになりましたね。その次の日っていうのは本当はテストがあって、それこそ。

岸田 テスト大事やん。

相馬 大事で、しかも提出物もあって。英語のレポートみたいなのを、その場で何分あります、何文字書いてレポート書いて提出しなきゃ駄目ですみたいな結構、割と重要な試験があった日だったので。

相馬 それを婦人科の先生に「ちょっと明日、すごい大事な学校のテストがあるので休めないんですけど、その次の次の日とかじゃ駄目ですかね」とか言ったら「いや、もう、そういうのはいいので、本当に次の日、早く行ってください」って、ちょっと怒られて。ちょっとやばいなと思って、すぐ大学の先生に病院に行かなきゃいけないのでっていうふうにメールを入れて、おとなしく朝一で病院に行くことにしました。

岸田 そうなんや。その単位は取れへんかったってこと。

相馬 でも、先生が確か、いろいろ考えて、後で出しててもいいよっていうふうに言ってくださって。確か、その単位は取れたと思います。

岸田 良かった。先生の配慮あって、ありがたい。大きな病院で検査をしていった中で、卵巣腫瘍の疑いが入ってくるということ。そこから、これね。北海道で治療を受けることにと、怒涛の展開になっていきますけれども、ここでも卵巣腫瘍の疑いってことは言われたってこと、名古屋で。

相馬 名古屋の大きな病院で、また検査をしたときに、ちょっと卵巣腫瘍の疑いがあるっていうふうに言われて。卵巣腫瘍って言われたら、おなかを切って腫瘍をとり出すなり何なりして、病理にかけて見てみないと良性なのか悪性なのか分からないっていうふうに言われたので。

相馬 その手術を受けるのに名古屋で受けるのか地元、札幌に帰って受けるのかっていうふうな選択をしなきゃいけなくなりまして。親も北海道の人なので、地元に帰ってきて手術を受けたほうがいいんじゃないかっていう話になりまして、急きょ、北海道に帰ることになりました。

岸田 そのときは、まだ卵巣腫瘍の良性か悪性か分からへんっていうことよね。でも、腫瘍があるよっていうことやもんね、そのときは。

相馬 そうです。

岸田 痛みとかは、それからあまりなくって感じやったん。

相馬 あんまりなかったです。ただ、ちょくちょくおなかが痛くなってくるとか、そういうのはありましたね。

岸田 そして北海道で治療を受けることにしようといった中で、下がってくるんですよね。北海道で何があったんやろう。まだ下がってないわ、ここか、ゼロのところで何があったのか。大学病院で卵巣腫瘍の診断確定、ここで正式に卵巣腫瘍ですよって言われたってことか。

相馬 はい。

岸田 そして、そこから下がっていきます。何があったのかというと手術、左卵巣の摘出ということですけれども。これも、もう摘出しましょうという形になったってことですかね。

相馬 私の腫瘍があったのが左側の卵巣でして。その手術、腫瘍をとる際に、腫瘍だけをとるのか、左側の卵巣、全てを摘出するのかっていうので。さっきも言ったんですけど、腫瘍とかを病理にかけてみないと分からないっていうのがあって

相馬 。私は、結果的に左の卵巣を全部、摘出したんですけど。腫瘍のみをとるっていう選択肢を取ると、腫瘍だけとりました、病理、検査にかけました、それが悪性でしたってなると、またおなかを開いて、今度は左側の子宮を全部とらなきゃいけないっていう。

相馬 二度手間って言ったら、ちょっとおかしいですけど、2度おなかを切って、あれしてってやらないといけなくって。結構、体に負担がかかってくるので、卵巣腫瘍って言われたときに、右は取りあえず安全だし、左だけとるってもいいかなって自分で思ったので、左側の卵巣を全て摘出しました。

岸田 そういう葛藤があって、けど卵巣がなくなるって、なんか嫌じゃなかった。そこら辺は、まだ右があるからっていうふうな。

相馬 それこそ、生理がどうなるのかとか、ホルモンバランスがとか、いろいろ考えなきゃいけないことはあったと思うんですけど。すごい卵巣腫瘍ですよとか言われたり、はい、手術しなきゃいけないですよとか言われて結構、話がばんばん早く進んでいったので、もうなんか、じゃあもう全部左側とっちゃってくださいみたいな。

相馬 スピードに流されて、もうさらっと、2度とる、結果として腫瘍だけとるって、またおなか開いて卵巣も全部ってなると嫌だから、もう一回で全部とるってくださいみたいな。特に、考えることあったんですけど、もう決断したときは、割とさらっと決断したっていう感じですね。

岸田 すげえ、そうだね。さらっと決断して、結構な決断やけどね。けど、とんとん拍子でいくもんな。とんとん拍子っていうか、怒涛の形でいくもんね。

相馬 そうですね。

岸田 摘出して、そこからちょっと上がっていきます。何かというと、ちょっと待って上がっていくねんけど卵巣がんの告知が。ちょっと待って、うん?どういうことや。しかも、これ皆さん、分かるかもしれないですけど、赤色が自分的にポジティブな感情で、青色が自分的にネガティブな感情、そして白色っていうのは、どちらでもないという感情に、ちょっと色分けしてるんですけれども、灰色は手術か治療のことなんですけど。

岸田 この白色で、どちらでもないところが卵巣がんの告知っていうのは、ちょっと、なんでしょう、無というか。自分がネガティブでもなく、ポジティブでもなくっていうのは、理由はなんでなんですか。

相馬 自分でも、ちょっと詳しい理由っていうのはないくって、それこそ自分でも結構びっくりしてるんですけど、簡単に受け入れられたことに。割と、自分が感情的なタイプの人間なので、悲しかったり、喜んだりする差が、割と日常生活にもおいて激しいんですけど。

相馬 卵巣がんですって言って先生が、今までの病名は、カルテに卵巣腫瘍って書いていたものが卵巣がんって変わったときに、私ってがんなんだみたいな。もう、いろんなことが一気に進んでたので、悲しんでる暇が自分にはなくて。もう卵巣がんだったら、次、何をしなきゃいけないのかなっていうふうに、もう考えてました。

岸田 はー、切り替え早っ。ほんまー。ああ、私ってがんなんやぐらい、次、何するのかなってか、そっちね、だから。

相馬 そうですね。

岸田 けど、親御さんとか家族とかは心配した、心配したっていうか焦ったでしょ。

相馬 焦ってましたね。最初に、私が結果を聞きに行く前に母が病院に行って。卵巣がんでしたよ、とった腫瘍が悪性でしたよっていうの、聞いてて結構ショックだったみたいで、父もショックだったみたいで。でも、当の本人けろっとしてるけど、どうしようみたいな。

岸田 当の本人はけろっとして。次の、どうしていこうかといった中で、どうしていったんでしょうかというと、こちら、子宮全摘、オア、温存の選択、これ、どういうこと。

相馬 これは、がんの再発を考慮すると子宮とか、あと、右の残ってる卵巣をとったほうがいいよっていう選択肢があって。それは、再発を考えた上でのプランで。もう一つは、自分のライフプランを考えた上だと、子宮とか右側の卵巣は残しといたほうがいいんじゃないかっていう、その二つの選択肢があって、それを考えなきゃいけなかったんですけど。

相馬 これも例えば、40歳ぐらいとか、出産を終えてる方だと全摘するかなっていう選択、それを選択される方が多いみたいなんですけど。

相馬 まだ若いし、これから、いろいろあるよね、結婚だったり、出産とかあるよねって考えた上で、残せるんだったら、残しといたほうがいいんじゃないかっていうのを、家族と担当医と話し合って。私はライフプランを考えた上での選択肢、残すっていう選択をすることになりまして。残したいのであれば、大網、あとは、これは。

岸田 これですかね、この次の手術で。大網切除と虫垂の切除と、腹膜を生検するという、これの手術、子宮付属?

相馬 子宮付属器悪性腫瘍摘出っていう手術ですね。

岸田 悪性腫瘍摘出という、初めて聞いたこんなの。

相馬 これは温存の選択をして、本当に温存、残しておけるのか。自分の卵巣をとった辺りに転移をしてないか、どうかっていう確認をするための手術で、大網と虫垂と、あと腹膜をとるって、がん細胞が転移してないかっていうのを、病理にかけるための手術をすることになりました。

岸田 だから、結局、温存するにしても、それの周りの臓器を見てっていう形で手術はしたってことね。そして、その後、下がっていくってことは、薬物療法の選択ってあったから、これはどういうこと。なんか摘出したのが悪かったとか、なんかあったの。

相馬 別に摘出したのは結局、悪くなくて、転移も何もない状態で一件落着、残していけるよっていうふうになったんですけど。それを残すっていうことは、転移する可能性が残るっていうのも一つあって。その意味で、再発率を抑えるために、抗がん剤治療をするかしないかっていう選択を今度することになりまして。

岸田 よく言う、術後の化学療法っていうやつですね。それをして。ただ、めちゃくちゃこの薬物療法の治療選択で、めっちゃネガティブでめっちゃ低くなってるけど、これはどういうことなの。

相馬 やっぱり自分が、がんになると思ってなかったので。今まで、いろんなテレビ番組とかで、がんになった方をメインとしたドラマとかいろいろやってて、そういうのを見てたので。

相馬 やっぱり髪の毛は抜けるし、副作用が激しいと吐き気とか苦しいこと、いろいろあるんだなっていうのをドラマとかそういう中で見てたので。いざ、それが自分がそうなるっていうのを考えると、いやー、どうしてもやりたくないなーって思ってしまって。あとは、すっごい個人的な話なんですけど。

岸田 いいよ、個人的に。

相馬 抗がん剤、始めるのが3月だったんですよね。抗がん剤、やるなら、このスケジュールだよみたいなのを出してもらってて。3月の半ばが誕生日なんですけど、その1週間ちょっと前ぐらいがワンクール目のスタートって言われたんですよ。自分の誕生日に髪の毛ないと嫌だなとか思って、そういうのをいろいろ考えてるうちに、女の子だからっていう理由も変ですけど、自分は髪の毛あってほしいなっていうふうに思ってたので。

岸田 あるある、全然いいと思う。

相馬 それなので、やっぱり髪の毛が本当に抜けてしまうのかとか、副作用もすっごい大変なのもテレビで見てるし、そういう話も聞くしっていうのを考えると、自分は別に、そこのさっきの大網とか虫垂とか腹膜をとった時点で転移がなかったから、そこで治療を終えてもいいんじゃないかなっていうふうには考えていたんですけど。

岸田 けど、それでやらな、結局どうしたん。誕生日にまたがるから、ずらしてもらったとか。

相馬 いや、ずらさないで、そのまま強行突破しました。

岸田 強行突破して。

相馬 はい。

岸田 そうなのね。それが薬物療法の薬物療法、パクリタキセル、1クール目ということでなってきています。どう? 治療の副作用とか、そういったところってどうでした。

相馬 私は、自分が想像してたときよりも、自分が考えてたような想像してたようなものは一切なくて。本当にちょっと熱が出るとか、関節痛があるとか。あと、意外とアルコールにも強かったみたいで、そんなにとか。だから、想像してた、髪の毛が抜けるっていう以外の副作用としては、全然いけるなこれみたいな感じで思ったので、ちょっとグラフのほうも選択をするときから、ちょっと上がってるんですよね。

岸田 自分が想像してたときよりも、まだましやったってことね。けど、髪の毛は抜けていった。

相馬 抜けていきましたね、やっぱり。信じたくなかったですけど、抜けていきました。2週目に、ちょうど1クールが終わった2週目に、ちょうど抜け始めましたね。

岸田 抜け始めて、それはウィッグとか買って対応したとか。もう、そのまま。

相馬 ウィッグ、買いました。

岸田 買ったりとかしたんやね。

相馬 1クール目が終わって退院した、その日に床屋さんに行って髪の毛をすっごい短くしてもらって。いつ抜けてもいいようにっていうか、ちょっと頭、軽くするなり。髪の毛が抜ける準備といいますか、そういうのをしました。

岸田 したってことね。そして、このゼロの値のところで、パクリタキセルの2クール目、3クール目、薬物療法の、やっていきます。これは1クール目よりも上にあるってことは、副作用とかも、まだましやったっていうことやから。

相馬 もう1回目をやって、いけるなと思って。2クール目、3クール目は、もう大学の春休みが終わる頃とか、3クール目はちょっと差し掛かってしまうんですけど。そんなに長く入院もしてられないなと思ったし。あと、自分の出る副作用の感じとか体調とかを、いろいろ考えたら結構、体力的にもいけるなと思ったので、2クール目、3クール目は実は2泊3日で終えています。

岸田 すごい。そこの中で、そのまま、また、ここから上がっていくんですよね。何がどうなっていったのかというと、CVポート抜去ということで。CVポートが抜けて、そして大学院の進学をされていくということなんですよね。また、あれですか。そういう国際的な所を勉強するっていう感じで。

相馬 いえ。

岸田 ちゃうんかい。

相馬 今度は医療社会学っていう、自分の人生経験の中でこの出来事が大きかったり、あとは、大学の研修でアメリカに行ったときに、アメリカのがんの団体の人に取材をしたことがあって。そこで初めて、自分はそれまでずっと患者側だったんですけど、その取材をきっかけに、日本のがんの対策ってどうなってるのかなっていうふうに興味を持ち始めて。そういうのをちょっと研究してみたいなっていうふうに考えまして、あんまりメジャーではないんですけど、医療社会学っていうのを研究するなりしていきたいなと思って、この春から大学院に行きます。

岸田 すげえな、大学院って。あれですよね、今回がんノートとの接点も、相馬さんからそういう研究系のご連絡をいただいての、ご縁だったりとかしましたもんね。

相馬 はい。卒業論文でちょっとだけ取り上げさせていただいて。

岸田 といったところだって、いやーすげー、そう来るか。ぜひペラペラなんで、日本もそうですけど、海外と比較していろんな形で日本社会のこと、よろしくお願いします。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 そんな中で、ペイシェントジャーニーを終えて、そして次、こちらになります。ゲストエクストラといったところで、大変だったこと、困ったことといったところ、相馬さんの場合は大学生活があったと思うんですけど、治療どうしていくかといったところ、それをどういうふうに乗り越えていったのかというと、副作用で倦怠感が来る前に下宿先に戻るということなんですが。これ、どういうことか教えていただいてもいいでしょうか

相馬 これまた勢いというか、強行突破したみたいな感じなんですけども。先ほど申しました、3クール目のときには学校が始まっていまして。そこで学校の単位も落としたくない、でも、最後の抗がん剤治療だから、期間を延ばさずにやっておきたいということで、3クール目は抗がん剤を打ってから、3日後から倦怠感が来るっていうのが、1回目と2回目の抗がん剤治療で分かっていたので。3回目は、学校が始まってて、その中で、3回目終わって退院して、その次の日に名古屋へ戻ってっていうふうな強行突破スケジュールで終えたんですけども。倦怠感・・・。

岸田 相馬さんの、3クール目のときには学校がもうスタートするっていったときで、それで数日後には倦怠が来るから、北海道で治療してるけれども、それまでに名古屋に戻ってきてたら何とかなるかもしれないっていうふうな感じで。

相馬 そうです、ありがとうございます。そんな感じで。

岸田 強行突破娘ですからね。

相馬 そうですね。抗がん剤治療やって、その次の日に退院をして、退院した次の日には名古屋に戻ってっていう。名古屋に戻った次の日から倦怠感が。

岸田 来るように。

相馬 ちょっと逆算してるような形になるんですけども、やっぱり3クール目終わって、名古屋に戻って1人じゃ何もできないっていうので、そこは親にも協力してもらって、一緒に母に付いて来てもらったっていうのはありますけど。

岸田 そら倦怠感の中、1人でいたら何もできへんしね。

相馬 そうですね。結構長く、倦怠感も3、4日続くので。だんだん良くはなっていくんですけどね。

岸田 ありがとうございます。そんな乗り越え方、そして相馬さん次の、こちらになります。

【メッセージ】

岸田 こちらメッセージと、今、見てくださってる方や患者さん、ご家族、そして一般の視聴者の方、皆さんに向けてこちらのメッセージをいただいております。早期発見が大切と、自分の体に変化があったら病院へといただいております。これの意図をお聞かせください。

相馬 早期発見が大切ということで、今、見ていただいた私のジャーニーなんですけども、結構、強行突破してる感じで。治療期間でいうと2017年の11月から2018年の4月っていう、結構短い期間で一気に詰め込んで治療をやったんですけども。

相馬 この短い期間で治療を終えられたのは、最初、自分の体の変化に気付いて2、3日、空いてしまったんですけど、その後すぐ病院に行ったことが大きかったなっていうふうに思っています。

相馬 がんは、早期発見、早期治療が大切というふうには言われてるんですが、本当にそのとおりだなというふうに自分でも実感しました。このメッセージというところでは、その早期発見が大切っていうのを、皆さんにお伝えしたいなと思いました。結構、自分の体の変化に気が付いていても、時間がないからとか、いいかなとか思って、そのまま放っておく人も多いという話を聞いたりするんです。

相馬 病状がまたひどくなったら、病院に行こうかなっていうふうなケースが多いっていうのも聞くんですけど、やっぱり最初から行っておくと、早めの早期発見だったり、短期治療だったりそういうものにつながっていくので、何か自分の体に変化があったら、すぐ病院へ行くことが一番、早期発見につながる行動なのではないかなと思います

岸田 ありがとうございます。ちゃんと腹部が腫れてから、しっかり痛くなったらすぐ病院に行って、そして治療ができたというふうな形ですもんね。相馬さんの場合もね。なので、卵巣も左側だけでよかったり、もしかしたら、もっと遅れていたら他に転移があったかもしれへんもんね。

相馬 そうですね。

岸田 だから、皆さんも何かちょっとでも変な感じをしたら、病院に行ってみて、そしてチェックを受けてもらえたらなということを思っております。そんな相馬さんの今までの闘病経験でございましたけれども、そこから相馬さんが自分は患者側だけではなくって、そして、また学んで、そして日本社会を支えていってくれるということなので。

岸田 それにね、本当、才乃さんの才覚に期待して、きょうのがんノートmini、終わっていきたいなということを思っております。相馬さん、本当にきょうはお時間いただきまして、どうもありがとうございました。

相馬 こちらこそ、ありがとうございました。

岸田 それでは失礼します。

相馬 ありがとうございます。

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