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インタビュアー:岸田 / ゲスト:リディア

広東語・英語・日本語を操り、宅建にも挑戦——香港出身・リディアさんの素顔

岸田 それではがんノートをスタートしていきたいと思います。今日のゲストはですね、リディアさんです!よろしくお願いします!

リディア お願いします!

岸田 お願いします〜。リディアさんと言うからにはちょっと日本のお名前ではないのかな?と思いますけど、どちらの出身ですか?

リディア 香港出身ですが、香港とアメリカ両方で行ったり来たり育ちました。

岸田 お父さんが?

リディア お父さんとお母さんも香港人ですけど、私が0歳の時にアメリカに大学院として引っ越しました。

岸田 ああ!そういうことですね。なので、じゃあ香港語というか中国語と?

リディア 広東語と英語ができる。

岸田 そして日本語を話せるということで、トライリンガル?

リディア そうですね、日本語はちょっとまだですけど(笑)

岸田 いやいやいや、日本語すごく流ちょうなので素敵だなと思いますけど。ただ皆さんちょっとね日本語がちょっとだけ、皆さんに伝わりづらい時があるかもしれませんけど、そういう背景があるということだけちょっとご理解いただければと思っております。簡単にちょっとリディアさん、自己紹介をお願いしてもいいですか?

リディア こんにちは!リディアです。香港出身ですが、さっき言う通りアメリカと香港両方で育ちました。8年前に来日して、最初は早稲田(大学)で入学しましたけど、その後は社会人になって、去年は子宮体がんと卵巣がんになりましたので、それで本日は去年の経験を話せるようにお願いします。

岸田 ありがとうございます。そんな中でね、大学職員を今されていてっていったところだったり、趣味が旅行や本、運動、勉強、もうね、多趣味な感じではございますけれども。勉強はどんな勉強?

リディア まあいろんな勉強しましたけど、なんか最初は日本語と最近は宅建士(宅地建物取引士)を。

岸田 宅建?すごっ!

リディア なんか目標がないとやる気が出ない人なので、最近日本語もなかなか上達してない感じなので、何かゴールとして向かって、なんか宅建でもいいなと思いましたので、教科書を買いました。できるかどうか全然分からないんですけど(笑)

岸田 目指されていくっていうことですよね。そして旅行!旅行は結構いろんなところに行かれてたんですよね?

リディア そうですね。ヨーロッパとかアメリカとカナダとか香港、いろんなところに行きましたけど。

岸田 バックパックで?

リディア バックパックは大体オーストラリアだけで、それで今の旦那と出会いました。

岸田 おお!そうなんですね!それはまた家族のところで触れていきたいなと思うんですけれども、いろんな中に行った中で僕たちにここおすすめだよ!っていうのはどこがあったりとかしますか?

リディア それは、意外と私実は沖縄の。

岸田 沖縄?おお!

リディア 石垣という島がすごく好きで。

岸田 石垣島ね!

リディア 定年になる時にあそこに住みたいなと思います。

岸田 定年後にね?

リディア そうですね

岸田 いや〜石垣島か!いいですね。意外と日本だったっていうね(笑)ありがとうございます!

岸田 そんなねリディアさんのがんが、子宮体がんと卵巣がんという形になります。

岸田 これまた後でもちょっと説明はさせていただくんですけれども、子宮体がんの転移で卵巣がんになったのか、それとも子宮体がんと卵巣がん別々になったのか?というところは、もうそれも先生の見立てではちょっと分からないというかいう状況なので。

岸田 いったん子宮体がんが転移して卵巣がんってなるとステージ3Aになるんですけれども、双方子宮体がんと卵巣がん、それぞれができているという形であればステージが1というふうな形ずつらしいです。

岸田 グレードが1っていうのは進行度のちょっと遅いものというか、いったものがなっているという形なんです。ただ医療情報に関しては、皆さん先ほどお伝えしたように、医療者にしっかり聞いていただいて主治医の判断を仰いでください。

岸田 治療方法などはね、手術や薬物療法などされていって、まだがんになってから1年ほど?

リディア そうですね、ちょうど1年になりました。

岸田 というふうな形なので、この1年間のところを聞いていきたいなということを思っておりますのでよろしくお願いします。

岸田 ちょっとまた重複する形ですけれども、患者さんの個人の経験談をお伝えをさせていただきます。特定の治療とかそういったものを推奨しているわけではございませんし、なんなら標準療法といったものを皆様にはお願いしたいと思っております。治療については主治医の方にご相談ください。

「妊娠に見えるほどお腹が腫れた」——救急搬送から1年、波のような闘病の記録

岸田 ではですね、ちょっと吹き出しやグラフといったところをですね、これから見ながら皆さんとやっていきたいと思うんですけど、まずこちらドン!すごいですね!最初と最後が結構上がっているんですよ。その前がね、結構いろんなことがあったんじゃないかなということですけれども、まず初めこちらになりますドン!おっ、ご結婚されてそしてこちらですね、昇進をされて、そしてヨーロッパへ行かれていくということで。

岸田 まずご結婚については先ほどおっしゃっていただいた、オーストラリアで出会われた日本の方?

リディア そうですね。

岸田 バックパックでどんな感じで出会うんですか?

リディア たまたま同じホステルで泊まりまして、あのホステルは掃除とかやると無料で泊まれるところなので、私が最初に入って…旦那が後に来ましたけど、私が掃除の仕方を教えたんです。

リディア ホステルはみんなカップルなので、私たちだけで独身の形で、あそこで外食はすごく高いので、みんながホステルで料理をしました。だから私たちは、みんなカップルだから、私たちは独身だから一緒にある日は私が料理する、次の日は彼がするという形で仲よくなりました。

岸田 仲よくなったんですね、そっかそっか。そしてそこから出会われてご結婚されていく?それはもう日本で結婚されていく?

リディア そうです。最初はそのオーストラリアの後は、私たち両方ワーホリ(ワーキング・ホリデー)でいったんですけど、その後は彼が香港にワーホリとして行きました。でも、彼のビザがもう満期になった時は私が日本に行くしかなくて、それで一緒に同居をし始めて、それで仲がいい続いて、仲がいいから結婚しました。

岸田 オーストラリアでワーホリしてて、その後香港でワーホリをしてビザが切れるから、日本に来て結婚されたってことですね?

岸田 そんな中でですね、さっき昇進とかいろいろ書かれていたんですけど、この時のお仕事も大学職員?

リディア そうですね

岸田 大学職員のお仕事をされて昇進されて、ヨーロッパに行かれるんですね?

リディア そうですね、イベントで、学会のイベントの計画の担当になりましたので、ローマに行く予定です。

岸田 ローマに行く予定であったということですね。

「グルテンを控えて」——ローマでパスタを我慢した、原因不明の腹痛

岸田 そこからですね、次こちら、お腹の調子が怪しい…ということで、これはヨーロッパに行ってた時におかしくなっていったの?

リディア 実はそうですね、ヨーロッパ行く時はおかしくて、なんか食べる時、食べる時はお腹が痛くなったり下痢が出たり便秘になったりすることもあるので、ちょっと不安でいろんなクリニックに行きました。

岸田 それはさっきのローマの病院に行ってたってこと?

リディア いや、日本の病院に。ローマに行く後に。

岸田 ローマに行って帰ってきてから、様々なクリニックの病院とかに診てもらったってことね?お腹の調子が悪いから。

リディア そして最初は何、なんかヘルニアという判断もありましたけど、その後はIBS(過敏性腸症候群)?なんか…。

岸田 そうですね、IBSありますね。

リディア という可能性もある。だから、実はローマに行った時もグルテンは避けるようにしまして、でもちょっと悲しくて。ローマがパスタとかパンがピッツァが美味しいから。

岸田 そうよね〜。

リディア 行く時にあんまり食べられなくて悔しいですね。

岸田 そっか〜。そのローマの時もちょっとそれを食べるのを。

リディア なんか控えるように。

岸田 って言われて控えてたってことね?そしてですね、そんな体調が悪い時に、ただそのクリニックとかではがんとは全然言われなかったということですね?

リディア そうですね、その後なんかいろんなクリニック行きましたけどなんか裂孔ヘルニアという判断もありましたし、全然問題ないという判断もありました。

妊娠に見えるほど腫れたお腹——婦人科で見つかった20cmの腫瘍

岸田 そんな中でね、こう下がっていったりとかしています。それが何かというとこちらになります、ドン!婦人科を受診していく。これはさっきのクリニックとはまだ違うところ?

リディア そうですね。いろんな先生に行きました。最後の先生が婦人科にも行った方がいいと言われましたけど、あの時仕事が忙しくて全然時間が取れなかった。婦人科に行くきっかけは、突然にある日、ある1週間がお腹がすごく腫れてきた、妊娠に見えるぐらい腫れましたので。

岸田 だからそれで婦人科に行った方がいいということで、それがねどれぐらい腫れたかっていうのもこちら、20センチぐらいの腫瘍が、と。

リディア そうですね。

岸田 20センチぐらいのものがあったってこと?

リディア はい、そうですね。婦人科に行ってた時にもなんか赤ちゃんの頭ぐらいの大きさがありましたので。

岸田 それはもう異常ですよね。

リディア そうですね、がんじゃなくても手術で取った方がいいと言いましたね。

岸田 この婦人科はちょっと大きな病院?

リディア ちっちゃい病院で。

眼鏡も靴もないまま救急搬送——日曜の朝、突然の激痛

岸田 でも取ったほうがいいということを言われて、それでその後どうなっていくかっていうと?救急車!?えっ?救急車運ばれるの?

リディア そうですね。実は婦人科に行った後になんか、2日後にMRIに撮った。婦人科はすぐMRIをとって、その後なんか大学病院に行った方がいいという、という判断がしましたけど、まだ病院とか決まってなくて。

リディア MRIの結果次第でまあ一度帰って、婦人科に変えてその後に一緒に決まりましょうという形なんですけど、MRIのあと婦人科にいった日は木曜日、MRIに行った日は土曜日2日後、その後の日曜日で、突然に朝でお腹がすごく痛くてなんか横になれないくらい痛みがあって、そして吐いてたりしましたので、その時旦那が救急車を呼んでそれで病院に。

岸田 それで病院に行ったってことね、救急車で運ばれて行ったと。

リディア そうですね。

岸田 というのはこの時。ただなんかプラマイゼロなんですね?

リディア なんかショックの形で、婦人科に行った時になんか腫瘍がある時はすごく落ち込んだ、もしかしてがん?と思いましたけども、多分あの時も全部泣きっぱなしで、もう全部なんていうかもう頭が整理しましたから、病院に運ばれた時もただショックの状況のままかな。

岸田 そっかそっか。じゃあこの時は、婦人科に行った時は20cmの腫瘍があってショックだけども、救急車運ばれた時はもうそういうショックとかじゃなく、もう強制的に行かれるからそこまで…なんて言ったらいいの?

リディア あの日も朝の9時で運ばれたから、まだ目が覚めてない。

岸田 目が覚めてないっていうプラマイゼロね?

リディア そうですね(笑)

岸田 もう意識がもうろうとしている感じ?

リディア そうですね、眼鏡もかけてないし靴も履いてないから、何も準備もできなくて、病院に着いた後に入院・検査ということで。

「全部日本語だった」——検査ラッシュのなかで受けた子宮体がんの告知

岸田 そういうことね、意識がもうろうとしているそんな形だった。その後がんの告知を受けていくということで、これはその病院で検査したってこと?

リディア そうですね、入院していろんな、同じ日で、運ばれた日は血液検査とCTとレントゲンを全部撮りました。その後の1週間は大腸カメラ・胃カメラと、そしてPET/CTと子宮体がんの検査も受けましたから、その後の1週間で子宮体がんの告知がありました。

岸田 ただこの子宮体がんの告知もね、全然フラットな状況というか。しかも白色ってネガティブでもポジティブでもないという形なんですけれども、がん告知はショックとかなかったんですか?

リディア ショックですけど、スピードが速くて毎日も忙しくていろんな検査がありましたから、がんという認識がまだ多分分かっていない状況で。そして全部日本語なので、いろいろプロセスしながら、そうですね、そんな感じかな。

岸田 そっか、日本語だからね、余計ちょっと理解にも時間かかるし大変だしということで。

リディア 資料も多くて、毎回CTを撮る時にいっぱい書類を読まなきゃいけない。

岸田 そっか。そういう時はやっぱり旦那さんとかは手伝ってくれる感じ?

リディア そうですね。うーん、まあでも。

岸田 自分で頑張った感じ?

リディア 大体自分で頑張ってる感じですけど、なんか先生との面談の時は旦那さんが一緒に来ました。でも、入院毎日時間が長いでしょ、そしていろんな検査毎日が受けていますから、そして何、なんかビジターの時間?

岸田 面会や面会!

リディア めっちゃ短い!毎日30分だけだから、彼が来る時間も。

岸田 短かったんですね。

リディア そして私は緊急の入院と緊急の対応だから、普通は検査する時予約するでしょ。私は入院検査だから空いてる時間帯で突然に、あっこれから検査するから!

岸田 そういうことね。全部緊急やから急に入ってきたから、予定されてないところやから間に間に入って。じゃあ、救急車で運ばれた病院でがん告知を受けていくってことね?

リディア はい、そうです。

岸田 そっか!これは大きな病院?

リディア そうですね。

岸田 大きな病院で、それでそこで運ばれていって、で、告知を受けていって。だから何が…、もうやることもいっぱいだしっていうので、もうショックっていうよりはそういったものを考えられる余裕がなかった?

リディア そうですね、忙しかったですね。

岸田 忙しかったってことね。

10時間の手術、そして卵巣がんの告知——死亡率の高さにショックを受けて

岸田 そこからね。ちょっとまた下がっていきます、それがこちら、手術していくということで、子宮を全摘?

リディア はい、そうですね。子宮と卵巣と大網と骨盤のリンパ節も全部取りました。最初にいろんな検査をした時にリンパも腫れてきましたから、リンパ節に転移した可能性もあるから全部取りました。

岸田 そっか、結構大きな手術だったんじゃないですか?

リディア そうですね、10時間かかりました。

岸田 そっか〜。痛くなかったですか?

リディア すごく痛かったですね!なんか、目を覚めた時病院でよく聞かれますでしょ?なんか今の痛みは0〜10、何かあるんですか?まあ10です!目を覚めた時すごく痛くて。

岸田 ずっとね、痛いよね〜。

リディア 傷口もすごく長くて、ここまでありますので。

岸田 おへそから?おへそより。

リディア 下から。

岸田 おへそより下からみぞおちぐらいまで。

リディア そうですね。

岸田 だから、痛いから、痛かったりとかいろんなことやから一番下がってるってことなのかな?

リディア 痛みというより、自分の自由さ独立さがなくなる、なんか体も完全に動けなくなった…。座ったりもできないし立てないし歩くのも数分で息苦しくなっちゃうから。

岸田 そういった不自由さがあるから一番下がっているということですね。

リディア そうですね。

岸田 その後またね、それがまだ続いていってるんですよ、次何があるんでしょうか?次こちら、えっ?卵巣がんのがん告知とありますが、これ改めて先生から告知されたという感じなんですか?

リディア そうですね、最初子宮体がんの時は子宮体にがんがあるという告知がある。その後はあっ卵巣もがんがあるということで教えてくれましたので、あの時はすごく。多分あの時も落ち着いたでしょ?いろんな検査も終わったし、それでよく考えると、あっ卵巣がんが死亡率がめっちゃ高くない?ということで、すごく落ち込みました。

岸田 ああ、そうなんや。卵巣がんっていうことを言われて、卵巣がんのものを見てたら死亡率といったところでショックを受けたっていう感じですね?

リディア そうですね。

岸田 また先ほどね、冒頭でお伝えした、子宮体がんが転移したのかそれとも卵巣がん独自なのか?っていうところはもう先生でも分からないということみたいですので、ここはここでちょっといったん卵巣がんとさせていただいておりますけれども、どちらも類内膜がんっていうね、種類なんですよね?子宮体がんや卵巣がんの中でも類内膜がんというものみたいです。

グレード1という希望——抗がん剤治療と、リモートでの職場復帰

岸田 それがもう分かっていった時はもう下がっていきますが、ちょっと上がっているものに関してはこちらになります、それがこちら、ドン!薬物療法をしていくということで、治療していくのが上がっていくんですね?

リディア そうですね、治療をし始めるちょうど前で類膜…なんとか…がんって分かってきた、そしてグレード1なので、意外とおとなしく再発率が低いがんということが分かってきたから、抗がん剤をうけて健康に戻りましょう!という意識をしました。

岸田 さっき言ったステージじゃなくてグレードっていったところの方がそんなに悪くないよっていったところを言われて、それで抗がん剤をして、それでまた元の生活に戻っていけるか?っていうような形でちょっとだけ上がっている?

リディア はい、そうですね。

岸田 そういうことですね。

岸田 ただ、その後ちょっと下がっていっていますが、こちらになります、ドン!仕事、パート&リモートで再開と書いてます。これ結構低いのは、これなんでなんですか?

リディア これはなんかまあいろいろあるんですけど、えっとまずは抗がん剤治療中で私がかなりブレインフォグ(Brainfog)という脳が何も入ってこない、動けない状況で、すぐいろんなものが忘れちゃったりするので、仕事がかなりちょっといろいろが計画をしている仕事なので、そういう状況でシンプルな仕事しかできない状況で、前の自分と全然違うなという感じで悔しかったりしましたね。

岸田 ああ、そういうことね。これは抗がん剤治療しながら復帰したってこと?

リディア そうですね。でも、それは意外と助かるですね。抗がん剤以外に他に中心できる、自分の病気以外に他に中心できることがあるので。

岸田 それを注視できることがあるというので、がんだけを考えなくてよかったといったところでまだマシだったということですけど、「ブレインフォグ」って言うんですね。僕たちは「ケモブレイン」って言ったりとかするんですけど。

リディア そういう言い方あるんですね。

岸田 ちょっと脳の働きが低下してしまってというふうな感じで、まあ今は大丈夫でしょ?

リディア 今はまあほぼ大丈夫だと思います(笑)

岸田 当時はちょっとそういったところで簡単な仕事しかできず、それにちょっともどかしさを考えていたという形ですかね。

ブレインフォグ、患者会、リンパ浮腫——フルタイム復帰までの揺れ

岸田 その後ですね、ちょっと上がっていきます、はい、それが次こちら、おっ!患者会に参加!オレンジティさん(患者会)に参加していくということで、これどうやって知ったんですか?

リディア 手術後はリンパ浮腫という病気…になる可能性があるというと言われましたから、ちょっと慌ててがんが治った後にもそういう病気が続いて、続くあるので、慌てていろんなインターネットでいっぱい検索しましたので。

リディア オレンジティという患者会があるって見つかりまして、そしてオレンジティが月1回のリンパラボいうイベントがありますので、他のそういう病気がある患者さんとつながってたら自分も安心できるかなという思いで参加してみました。

岸田 参加してどうでした?

リディア めっちゃよかったんです!

岸田 おお!

リディア えっとなんか、何、大体手術の後にそういう説明会があるんですね、病院から。もしリンパ節を取った後にいろんなことができないという説明ですね。温泉も入れないし虫刺されたらダメとか、ずっと座って立ってもダメだし、海外旅行も難しいと、いろいろがあるんですけど、なんかそういう患者会に参加した後にいろんな患者さんと出会って、そしてリンパ浮腫も持っている患者さんと出会いました。

リディア そしてみんながなんか、いや全然行けるよ!海外旅行とか、私が抗がん剤治療中でヨーロッパ来ましたという患者さんも出会ったからめっちゃほっとしてました、安心できました。ああ!私もできるか〜って。

岸田 そうね、いろんな患者さんを知ることでね、海外にも行っている患者さんもいらっしゃったということで、ほっとしたということか。皆さんね、実際に行く時は主治医さんとちゃんと許可をもらったりしてほしいなと思うんですけれども、そういったいろんなことを知ることができて、そして上がっていったと。

岸田 その後、フルタイムで職場復帰ができていく!ということで、この時はもうリモートやパートっていう形じゃなくて、もうしっかり?

リディア そうですね、職場で出勤することになりましたね。

岸田 この頃には、さっき言ったブレインフォグみたいなものは?

リディア まだありますけど、それは何、抗がん剤が終わった直後だからまだブレインフォグがありながらなんか復帰しましたけど、みんな優しくて、私の多分心配していましたから、あんまり大きな仕事を持ってこなかったね。そうですね。

岸田 まあまあ、簡単な仕事をしつつっていった、上がってんのはやっぱこう、戻ってきたぞ!みたいな感じで上がってるってこと?

リディア そうですね。

岸田 そっか。そこからね、ちょっとまた下がっていくんですが、それが次こちら!万博出張!あれ?下がっていくけど、結構赤いポジティブなコメントがあって、これはどういうこと?

リディア まずはかなりハードな出張なので、いろいろあったりしました、人間関係とか仕事とか体力とか。ポジティブなのは、自分の、自分がまだそういう仕事ができることが分かったし、そしてこれからどういう体のケアとかしながら、またそういう出張もできるから、分かってきたということかな。

岸田 そっか、これ大阪・関西万博よね?

リディア はい、そうですね!ミャクミャクもグッズもいっぱい買いました(笑)

岸田 大変なことはたくさんあったけど、そういったこともできる!っていったところが分かっていったっていう感じなのかな?

岸田 その後ですね、ここからまたより下がっているのがこちら、リンパ浮腫発症おー!あんだけケアしてたリンパ浮腫が?

リディア そうですね、発症しましたね。

岸田 なんでそんな下がってるのにポジティブな赤色なんでなんでしょう?

リディア そうですね、なんか発症した時点は、私は最初に発症したところは骨盤のところめっちゃ腫れてきた、そしてめっちゃ泣いてたし、その後はなんか足の足首とかそういう辺も腫れてきました。

リディア でも、自分のケアしながら、市販のストッキングを履きながら、そしてその後専門先生のクリニックを通いながら、まあなんか腫れがなくなったし、その後はいろんな治療の方法も分かりましたから、あっそういう一緒になる病気があるんですけど、自分が対応できる方法があるし、希望まだあるから、これからいっぱい人生を楽しめることがあるからポジティブな感じですね。

岸田 そっか、まだね、楽しめることがあるんじゃないかっていうことで、ポジティブになっているってことなんですね。

リディア そうですね。

岸田 ありがとうございます。

岸田 だから、リンパ浮腫でちょっとつらいけれども、まだポジティブに自分を保ってやれることもいっぱいあるんじゃないかと。

リディア そうですね。

岸田 そっか〜。けど、なんかやっぱなってしまったわ〜みたいな感じで、さっき泣いたっていうこともありましたけど。

リディア はい。

岸田 つらい部分はあった?

リディア はい、そうですね。やっぱり前の自分と前の体と違うですね、勝手に好きなことをしちゃダメだから、でも覚悟を持ってケアしながら、まあそれでもいろんなことできる。

岸田 いろんな、そんな中でもいろんなことできるっていうね、できることを探していったりとかしたってことか。

リディア そうですね。

岸田 強いなすごい!

診断から1年——「波みたい」だった日々と、いまの経過観察

岸田 そんな中で、その後こちらですね、診断から1年が経過。ちょうどどれぐらい?1年?

リディア 多分まあ、私手術受けたのはちょうど9月の6日なので、今日は4日だから。

岸田 ちょうど1年前の今ぐらいに手術を受けたってことね、そっか。この1年間どうでした?怒とうでした?

リディア そうですね(笑)波みたいですね!

岸田 波みたいやね。そんなね、今上がってきている…、上がっているってことは、今結構いい感じに来ているっていうことでもある?

リディア そうですね、去年の自分が1年後まで生きれるということが考えられなかった。先生たちからもちょっとかなりひどい判断が最初が。

岸田 あったの?

リディア あったですので。腫瘍も大きかったし、リンパが腫れてきましたから。

岸田 あまり予後みたいなところがあまりいいこと言われなかった?

リディア なかったんですね、あの時は、今の貯金したお金全部使うか!全部旦那に振り込むか!そういう考え方もあったんです。

岸田 そんな中で今ね、今全部一応取り切ってがんは今ない…見えない状態?

リディア そうですね、経過観察ですね。

岸田 そういう状況であるということですね。

岸田 はい、そしてね、当時のお写真もいただいておりますのでこちら見ていただきましょう!

岸田 こちら。え、ちょっと待って!?まず同一人物?

リディア そうです!(笑)髪の毛が長かったんです。

岸田 髪の毛長い!その髪の毛はそれは切ったんじゃなくて、あれ抗がん剤とかで抜けた系?

リディア いや、実はまあそうですね。でも抗がん剤の前にも一回自分で剃って坊主になりました。

岸田 すみません、脱線したんですけど、これはどんな写真でしょう?

リディア これは手術前に、いろんな手術後に役に立つものを揃えた写真ですね。そして一番実はめっちゃ役に立つものが、このめっちゃ長いストローでした。なんか横になってても全然水飲める。めっちゃ役に立つ!そして大きい2リットルのペットボトルに入れるので、めっちゃおすすめです!

岸田 どこで売ってんの?

リディア 私はヨドバシカメラで買いましたけど、ネットで買えるめっちゃ高いですけど、本当に!いいやつです。

岸田 数千円くらいするの?

リディア 4000円くらいした!めっちゃ高かったんですけど、なんか途中で壊れちゃったから無料で交換しましたから、4000円だけどもいい商品です。

岸田 飲みやすい?

リディア めっちゃ飲みやすい。手術の後はベッドから上がったりめっちゃ大変です。べットの寝ながら、横になっても全然水を飲める、そして漏れないですね。

岸田 すげえ!初めて見た!そういうのをね、使われて飲んでいったっていうことと。あと右側の写真は?

リディア 手術直後ですね。いろんな全然動けない状況で。

岸田 動けない?

リディア 数日間これしか見えなかったんですね、いろんなドレーンが。

岸田 ああドレーンがね。えっ、これは状況的に顔らへんから写真を撮って?

リディア 足ですね。

岸田 足か。それで、ドレーンとかを挟んでるってことなんですか?ああ、そういう状況手術の後、それしか見えなかったということか。その後の写真、次こちら抗がん剤治療の時の写真かな?

リディア そうですね、完全に坊主になりました。

岸田 すごい!左側は?

リディア 左側は抗がん剤を受けている時の写真。

岸田 右側は?

リディア 右側は実は抗がん剤が終わった、CTスキャンはクリアした写真ですね。

岸田 すごいなんか。

リディア (映画の)マトリックスみたい。

岸田 そうね、へえー!もうこれで、どっかの屋上でピースしてる感じね?

リディア そうですね。

岸田 やったクリアしたぜ!っていうふうな感じなのかな。ありがとうございます。

岸田 そしてその後ですね、こちらの写真もいただいてます、この写真は?

リディア それは抗がん剤が終わった後に職場で復帰、そして同僚が私をダイバーシティ駅伝に参加させられた、祝いのために、私を参加させられた。

岸田 祝いやのに走らなあかんの?

リディア 400メートルだけで。

岸田 あっ、400メートルだけね。え?これちょっと待って、真ん中にいるこのドジャースのユニホームを着ている選手はこれは?

リディア それはノッチさんですね、初めて出会いました、日本の芸能人(笑)めっちゃ優しかったんですね、いろんな人が彼と写真を撮りたかったんですけど、彼がみんな丁寧に一緒に。

岸田 ああ、撮ってくれたってことね。はあ、そうなんや、ノッチさんもいたっていうことね。

リディア そうですね。

岸田 っていうふうな感じかなと思います。ありがとうございます。

「先生を信じるしかない」——医療用語の壁とGoogle翻訳でしのいだ治療の決断

岸田 ここからですね、各項目に分けてちょっとお伺いをしていきたいなということを思います。まず一つ目こちら、病院・治療の選択というところでですね、SDMってシェアード・ディシジョン・メイキング。

岸田 今まではインフォームド・コンセントって言って説明を受けて、それを同意するっていう形でしたけれども、今の時代はね、一緒に先生たちと考えていくっていうふうな選択になっていくのかなといったところで、治療の方針どういうふうに決めたのかっていうところをお伺いをしていきたいんですけれども。

岸田 まず病院を決めるのは、もう救急車で運ばれたところだからもう選択権もないですもんね?

リディア 実はあるんですけど、旦那が決められました。

岸田 旦那さんが決めたのね?

リディア 2つの病院があったけど、私が婦人科で行きましたから、そして婦人…、あの時まだ分かってないですけど、骨盤に腫瘍があるので、2つの選択肢がある、ある病院が婦人科の先生がいる、それとももっと大きい大学病院があるから、大きい病院。

岸田 大きい病院にしたと、できるだけ大きい病院に決めたってことね。治療の選択については、医療者から手術をしましょうって言われたら、はい、分かりましたって感じ?

リディア そうですね、まあ時間がないからね。選択肢がほぼない緊急の手術だから。考える時間もなかったんですね、実際。

岸田 抗がん剤治療とかももうポンポンと決まって?

リディア そうですね、生きたかったからそういう選択肢しかないですね。

岸田 この治療とか病院とかさ、さっきそのなんか全部同意書とかも読まなあかんしとか、やっぱ言語が違うっていうことで苦労とかしなかったの?

リディア なんかやっぱり医療的な単語難しいですよ。日本人も分かりにくい言葉があるのでGoogle先生を使いましたけど、ある時全然通じない時もあるから、先生しか信じるしかない時も多いし。そして看護師さんにも、私は日本語はまだ日常的には問題ないけど、たまにある症状がある時には伝えにくい時もあるから。

岸田 そういう時はどうするの?スマホの?

リディア そうですね、スマホをいじりながら。

岸田 こうですみたいな感じでやり取りして?

リディア でも、ある時例えば手術の後にはすごく疲れていまして、スマホを見る体力もなかった時には、もうなんとなく自分が知っている言葉だけで。

岸田 それでも日本語で頑張ろうとされたんですね?先生と英語で喋るとかはなかった?

リディア なかったんですね。英語話せる先生と看護師さんあんまりいなかった。私の主治医が、リディアさんどこ出身ですか?私は香港と言いました。先生が香港って何語ですか?広東語ですと答えました。

リディア 先生が、広東語話せる人なかなかいないですよ。私が、実は広東語より英語が得意だから英語で全然大丈夫です。でも先生が、リディアさん日本語が私の英語より上手だから日本語にしましょう(笑)なんで聞かれましたか?って。

岸田 なんで聞いてんの?って(笑)

リディア そうですね。

岸田 英語はできると思ったら英語でやってくれるんちゃうんかと。

リディア そうですね。でも入院した時、点滴とか血液検査とか卵巣とか子宮、そういうことは全然分からなかったけど、おかげさまで日本語がちょっとだけ上手になりました。

岸田 そうよね、なかなか卵巣とか腫瘍とかっていう日本語を学ぶ機会がないもんね?

リディア 日常的に全然使えないですから。

岸田 今回を機に学んでということか。治療は先生を信じるしかないということでしていきました。

体重キープ、毎日1万歩、弾性ストッキング——リンパ浮腫との付き合い方

岸田 その後ですね、副作用や後遺症のことといたしまして、ちょっとさっきね、さらっと治療のところはいったんですけれども、手術そして抗がん剤、後遺症でリンパ浮腫などありましたけれども、まず手術ですね、手術した後すごく痛かったって言ってたじゃないですか?その痛みっていうのはだいぶ、もう数ヶ月したらだいぶ引きました?

リディア あっ、そうですね、痛みはちょっと数週間ありましたけど、痛み止めを飲みながら解決できました。

岸田 その手術の後遺症でリンパ浮腫になっているもんね?

リディア そうですね、そして一時的には失禁もありました。失禁がありました。

岸田 そっか。

リディア そうですね、それは退院した後に、私の家は階段がかなりあるので、多分その後いきなり体が動くと失禁になっちゃうから。まあでも幸いで1週間後に自然に治りました。

岸田 ああ、そうなんやね、そういうこともあるのか。あとあれは?卵巣も子宮も取ってるんよね?卵巣どっちも取ってる?

リディア 両方取りましたから、かなりホットフラッシュがありました。

岸田 ホルモンとかそういったところは大丈夫なんですか?

リディア 今はホルモンの補充のエストラーナテープという。

岸田 ホルモン補助はしてるってことね?

リディア そうですね。

岸田 そうですね、卵巣も子宮も摘出しているっていうことでね。そして抗がん剤の方の副作用とか、そういったところは大丈夫でした?

リディア TC治療って意外とそんなに(私にとっては)きつい抗がん剤じゃないですけど、しびれがかなり出やすい治療ですけど、私がYouTubeでリハビリの方法を見つかりましたから、毎日やりましたから、おかげさまでおかげさまかな?しびれがあまり出なかった。

リディア そして治療を受ける時にアイスグローブというやつを病院から提供してくれました。

岸田 病院がね?アイスグローブってそういうのをはめて、ちょっとでもしびれ緩和させようっていうね?やつをされたんですね。

リディア そして、その治療を受けた後の1週間が吐き気がかなりありました。それでは、吐き気止めしか飲めないですね。でも吐き気止め飲むとめっちゃダメ人間みたいになるから動けなくなるし、めっちゃ疲れやすいから。でも、その1週間が経つとちょっと元気に戻りましたからよかったですね。

岸田 そっか。そしてね、最後にリンパ浮腫に最近なられたっていったところもありましたけど、リンパ浮腫は今どういうふうに対処しているんですか?

リディア そうですね、一番やっちゃいけないと言われるのは体重が増えないということ。

岸田 体重が増えないのはやったらいけない…やった方がいいこと?

リディア やった方がダメ。体重が増やさない。

岸田 いや体重増やさないことをやる?

リディア やった方がいい、やった方がいいです。

岸田 はいはい、だから体重をこうキープするのが大事ってことね?

リディア そして毎日7000歩〜1万歩歩かないといけない、骨盤のリンパ取ったから自然に流れないということで、自分が歩くと運動するとちょっと動けるようにするから、それが必ずやります。

岸田 歩くようにしてるってことね?

リディア そして弾性ストッキングも履いてますから。

岸田 あっ、履いてるんや弾性ストッキング。どう?つけ心地。

リディア めっちゃ…最初つけ心地はきついですね。そして夏はかなり暑いから、でも慣れないことはないですね。一番大変はなんか履く、めっちゃ強く引かないと。

岸田 いけないからね、それがちょっと履くのが大変?

リディア はい、大変筋トレになります(笑)

岸田 すごい!(笑)そういった後遺症も今も続いているということですね。

リディア そうですね。

時間がないなかでの決断——子どもを持つことと、治療のあいだで

岸田 そして次こちら、妊よう性のことといたしまして、妊よう性、子どもを持つ能力のことを指したりとかするんですけれども、こちらに関してですね、ちょっとお伺いしていきたいなと思います。

岸田 まずやっぱり手術でね、卵巣・子宮だったりとかそういったところを摘出していくっていうことを言われた時は、子どもを持つ能力のまさにそこじゃないですか?そういった話ありました?

リディア チラっとありました、なんかあまり時間がないから。でもある選択肢があったと言いました。もし卵巣が腫瘍だけあってがんがなければ、多分抗がん剤をやって子宮のがんを消して、そして一度的に妊娠活動をやってもいいという話もありましたけど、旦那からはもういいです。

リディア そういう選択肢が選んだら、なんか2回手術も受けないといけない、そしてがんが再発率も高くなるということで、まあ選択してなかったんですね。

岸田 そっか、じゃあまあそういったところは、妊よう性についてもそういったところはもう家族っていうか旦那さんとの話し合いがあって、もう摘出しようと?

リディア そして結局卵巣もがんがありましたから、実はそういう選択肢もないですね。なかったんですね。

岸田 ありがとうございます。

通関士の仕事を辞めて、フルタイムで介護してくれた夫

岸田 そしてですね、ちょっと次こちらになります。家族のことといたしまして、旦那さんのこともそうなんですけど、ご両親のことだったりとかそういうところもお伺いしていきたいなと思います。

岸田 まず旦那さんのこととしまして、パートナーの旦那さんのサポート、こういったサポートしてくれたよだったりとかそういったとこありますか?

リディア すごくありました。まずは仕事を辞めて。

岸田 えっ!?

リディア フルタイムで介護してくれましたから。

岸田 えっ?旦那さん何の仕事をしている人?

リディア 通関士。

岸田 通関士?へー!

リディア そうですね。

岸田 仕事を辞めて。

リディア 介護してくれて。

岸田 介護してくれたの?

リディア 毎日午後と晩ご飯を作ったりしましたし、いつも毎日ウォーキングのリハビリとか入院した時、1ヶ月入院しました。最初はその後は、抗がん剤の入院もあったけど、最初の入院の時も毎日面会に来ました。

岸田 本当!?

リディア すごく感謝しています。

岸田 そうやね、そっか。お仕事を辞めてまでこうね、しっかりこう一緒に。

リディア そうですね、2人とも近くに家族がいないから、私の両親もアメリカにいるし彼の両親がもうない、前に亡くなりました。そしてお姉さんたちも岡山にいるから、なかなか手伝って。まあお願いしたら多分東京に来ますけど、お願いするのはちょっと難しいかな、状況で。

岸田 そっか、じゃあもう本当にもう旦那さんがフルサポートでやってくださってという感じだね?ちなみにご両親にはどういうふうに伝えた?アメリカの両親さんには?

リディア あの時は私緊急入院だし頭いっぱいになりましたから、いろんな検査とか自分のメンタル的にも。だから大体旦那から。

岸田 旦那さんから伝えてもらったんや?

リディア そうですね。

岸田 やり取りして。自分のことでいっぱいいっぱいやもんね。だからね、親にも海外やから頼られへんしね?

リディア そうですね。一時的に抗がん剤やる時に、家族、妹・弟と両親も日本に来たかったけど、抗がん剤をする時に免疫力も下がってしまうから、彼らも飛行機乗るからそれをめっちゃ感染しやすい状況だから、先生からあまりお勧められなかったんですね。

岸田 そっか、そういうことも、海外が来るっていうこともあるから、それはちょっと控えておいたっていうのもあるのか?

リディア そうですね。

岸田 そういうこともあるのね。そうやったらじゃあオンラインで話するとか?

リディア そうですねオンラインで話しました。でもなんかFaceTime(フェイスタイム)する時に両親父さん・母さんもめっちゃ落ち込んでる顔で話しましたから、逆に私から励ました。

岸田 逆にリディアさんが、大丈夫だよ!みたいな?

リディア 大丈夫です〜!これから手術です〜!とか抗がん剤するです〜!とか。

岸田 両親励まして?

リディア そうですね。難しい気分ですね、やっぱり一緒に…向こうからここの状況もあまり分かってないから、そして情報を教えるのはメンタル的にもちょっときついから、いろいろ頭いっぱいになってしまうからね。

岸田 そっかそっか。だからね、自分で全部伝えなあかんのは大変やからね?

リディア そうですね。

岸田 ただ、FaceTimeとかで交流はしてたってことね?

入院前の自分が作った資料を見て、泣いた——がんの告知より、こたえた職場復帰

岸田 そしてその中でお仕事のことについて次お話を聞いていきたいんですけれども、お仕事、大学のお仕事、職員のお仕事、それは治療中とかはお休みしたんですよね?もちろんですけど。

リディア そうですね、入院した時は全部お休みして、そして最初の抗がん剤の時の1ヶ月間もお休みしました。どんな副作用が出るか人によって違うから、自分が対応できるかどうか分からなかったから、あの時も最初は休みました。

岸田 休んで。職場の人たちも理解してくれたってことですね?

リディア そうですね。上司が実はがんの経験は実際じゃなくて上司の息子さんががんの経験者なので、上司が意外と理解してくれました。毎日いろんな、あの時抗がん剤の時いろんなものがあまり食べられなかったから、ゼリーとかジュースをAmazon(アマゾン)で届いて買ってくれました。

岸田 そっか、ゼリーとかね、食欲ない時いいよね。

リディア そうですね。でも今もう飲めなくなっちゃう!もうなんか、飲むとあの時の多分トラウマになるから、あの時の思い出になるから、ゼリーとかあの時のいっぱい食べたものがあんまり食べられなくなっちゃう。

岸田 トラウマになってるんやな?

リディア そうですね。

岸田 いやー、これも患者あるあるだと思いますね。けどすごいね、その理解ある上司だったりとかして。ただ職場復帰する時に、ちょっとその大変やったよね?あまり仕事がちょっとうまくいかないとかで?

リディア そうですね、あの時はあまりうまくできなかった。まあそしてあまり任せられなかったから、自分的にもアイデンティティとしてはちょっとなんか失ったかな?という感じで。

リディア 最初にリモートで復帰する時は、パソコンを開いた時、ある入院した前、2日の前に入院をすることを全然考えてなかった時の自分が作ったそれを見た時、めっちゃ泣いてました、なんか。自分が、ああ!そんなに大変なことがあった!と実感しました。がんの告知より、なんかあの時がなぜか分からないですけど。

岸田 なぜか分からへんけどこう開いた時に自分のがんになる前の仕事とかを見て?そうですね。

リディア そして、なんかかなり大事な仕事を任せられた、あの時はなんか、そうですね。あれもできなくなったりする、そして今も人には対応できない同僚になってしまうことを感じた。本当のことじゃないけど、あの時は本当に感じましたね。

岸田 うん、そっか〜そういういろんな感情が込み上げてきたんやね。

リディア そうですね。

岸田 今は仕事は普通に?

リディア そうですね、普通にやっています。

岸田 そういうふうな形で、最初はリモートからだったりとかそういった形で復帰していったということも先ほどお伺いしたかなと思います。

治療費は約60万円——高額療養費制度に助けられた「日本でよかった」

岸田 その次こちら、お金や保険のことといたしまして、これはリディアさんは日本のまず国民健康保険に入っているってことよね?

リディア はい、そうですね。

岸田 ということは高額療養制度とか使える?

リディア 使えました、助かりました!かなり高かったんですね、最初の治療とか入院とか手術もかなり大きい金額なので、逆になんか日本でよかったですね。アメリカだともう払えられなくなっちゃう金額になるから、意外と日本で住むとラッキーだなと思われるぐらいですね。

岸田 海外って本当にもうすごい金額って言うもんね?

リディア 救急車だけでも2000ドル、保険入っても2000ドルにいく金額になることもある。

岸田 すごいね!

リディア 払えられないですね、それだと。

岸田 じゃあトータルいくらぐらい払った?治療費。

リディア 治療費だけは…治療費は多分60万円ぐらいですね、保険の後は。

岸田 自分で払った?高額療養費を使って。

リディア その後ですね。

岸田 60万円くらい使って、民間の保険は入ってたの?

リディア 民間の保険は入ってないですね。

岸田 じゃあその60万円は貯金?

リディア そうですね。

岸田 貯金で支払った?

リディア そうですね、そうです。貯金があってよかったかなと思いました。

岸田 よかったけどさ、たださちょっとごめんね、勝手な心配で申し訳ないんだけど、旦那さんは仕事辞めてるやん?仕事はあまりちゃんとフルでできひんだったりとかするやんか?

リディア そうですね。

岸田 不安なかった?

リディア 不安でしたね。毎日どれくらいの金を使えるとか、ちゃんと計算しないといけない状況でしたね。

岸田 そっか!今は旦那さんはちゃんと?

リディア そうですね。

岸田 仕事就いて?そう、よかった。じゃあその時一時的にってことね?

リディア そうですね、きつかったですね。

岸田 貯蓄などでなんとかしたということでお伺いしました。

「人間じゃない形になってしまう」——動けない自分と向き合った数日間

岸田 その後こちら、つらかったことといたしまして、トータルいろんなことがあったと思うねんけれども、トータルでこの一番つらかったタイミングってどのタイミングだったりとかしました?

岸田 さっきのね、ペイシェンドジャーニーもいただいた時に様々つらいタイミングね、手術の時とかがん告知とかね、婦人科受診した時とかリモートで再開した時いろいろあると思うけど、一番つらかったって言われたら?

リディア 多分手術の直後ですね。

岸田 手術の直後?

リディア その日、まず手術の後その日もベッドでいられるしかできなくて、手を動かすのもつらくなるし、ベッドで寝たままでも背中が…、長い時間で寝ると背中が痛かったりするでしょ?あの時も自分が横になれない状況で、ああ私めっちゃダメ人間、人間じゃない形になってしまう状況で。

リディア 私がめっちゃ前は今でもめっちゃインディペンデント、独立的な人なの、何でも自分で一人でやりたい人間なので、あの時はメンタル的でも体力的でも一番つらかったんですね。そして失禁も出たし、歩けなくなったりするのはかなり大きなハードルでしたね。

岸田 そっか〜、自分で何もできないっていう。

リディア そうですね。歩くもできないし立つもできない、座るだけでも、まあ今言った通り横になってもなんかめっちゃ大変、ベッドのレーリングを掴みながらめっちゃ頑張って動いてたんですね。

岸田 そっか、そういう状況はつらかった。ただそれは徐々に回復してきて、大丈夫になってきたのかな?

リディア そうですね、2ヶ月後かかってリハビリとかいろいろしながら、それで元気になりました。

4000円の長いストローとマジックハンド——寝たまま動けない時期の必需品

岸田 ありがとうございます。そしてちょっとその次にお伺いしたいのがこちら、工夫したことなんですけど、工夫したこともさっきね、めっちゃ長いストローとか言ってもらったし、他なんか工夫したこととかあったりとかする?

リディア いろいろありましたね。長いストローとかクロー?(爪)これ、長いなんか物を掴むやつ(マジックハンド)。

岸田 ああ掴むやつね?長いやつね。

リディア あれもめっちゃ役に立った。病院のベッドでテーブルがあるんですけど、でも手術の後もテーブルで置いたものが手で届かない時にはクロー(マジックハンド)で。

岸田 取ってっていうふうにね、そういうのを使ったりとかしたんですね。

リディア そして抗がん剤の時は前言った通り、リハビリとか毎日ウォーキング、抗がん剤の時は食事もめっちゃ旦那が料理をしてくれたし、ちょっと食べられる時はちょっと健康的なものを食べて、毎日もできる時は歩いたりしました。そしてリハビリですね、手足のリハビリ、しびれ予防で頑張りました。

岸田 リハビリもYouTubeとか見てやったり?

リディア そうですね(笑)

岸田 すごいな!そういうこともされていたということですね。

毎日を楽しむ人になった——「どれくらい時間があるか分からないから」

岸田 そしてその次ですね、がんになる前と後で変わったことは何か?ということで、これはメンタル面でももしくは日常生活面でもいいんですけど、がんになる前と後で何か変わったことありますか?

リディア そうですね、性格としてはだいぶ変わりました。前はちょっとめっちゃ敏感的に人の考える…何?どうやって言うの?人をめっちゃ気を遣っている。

岸田 人はどう思っているのかなとか?

リディア そうですね。そうですね、なんか私は何をする時人がどんな思いがある?とめっちゃ気を遣っているけど、なんか今はちょっとなんか大体。もちろん丁寧に扱っているけど、やりたいことをやる、言いたいことを丁寧に伝える人になっています。そして抗がん剤の後は思いついたことをやっちゃう。

岸田 思いついたことはね?

リディア そうですね、自分がどれくらい時間があるか分からないから、毎日を楽しんでいる人になっています。

岸田 いやー、いいと思いますよね。この一瞬一瞬をね大切に生きられてというところで。ありがとうございます。

駅伝、着物、金髪——「やったことないことをやってみたい」

岸田 そしてこちらですね、今後の夢や目標、今後どうしていこうとかこういうふうに生きていこうみたいなそういった夢や目標ありますでしょうか?

リディア とってもシンプルですけど、なんかやったことないことをやってみたい!

岸田 おお!例えば?

リディア 例えば最近いろんなことをやりましたね、例えば今さっきも言いましたけど、駅伝も。

岸田 駅伝ね。

リディア 初の駅伝とか初の両親との着物とか。

岸田 着物!

リディア 初の金髪も。

岸田 これもその中の一環なんや?

リディア そうですね。これからも大学の授業も初めて教えることになるし。

岸田 授業で教鞭取るの?授業で教えるの?

リディア そうですね。

岸田 何教えるの?ちなみに。

リディア SNSマーケティング。

岸田 おお!すごい。

リディア 初めてムービーに行ったり、これから初めて東京ディズニーランド・ディズニーシーに行くとか、大きな夢と目標はないけど、いろんな小さいのやってみたいな。

岸田 しかも宅建もね?勉強されていく。

リディア チャレンジしてみる。

岸田 いろんなチャレンジされていくようなリディアさんですけれども。

「私たちは思うより強く、思うより愛されている」——リディアさんからのメッセージ

岸田 それではですね、ここから最後メッセージとなりましてですね、見てくださっている患者さんやご家族それぞれの人にメッセージをいただきたいなと思っております。リディアさんからのメッセージはこちらになります。

リディア 英語なんですけど、We are stronger than we think. We are more loved than we believe. 理由は、まず日本語は、私たちが思ったより強くてそして思ったより愛されているということで。

リディア なぜかというと、私が手術を受けた時に女性外科という病棟に入院しまして、そのところその場所は、いろんな手術を受けた患者さんが同じ時に入院されました。

リディア そして看護師さんがめっちゃお勧めしたことは、手術を回復するために廊下で歩かないといけないことで、そして最初に入院した時はみんながドレーンを抱きながらいろんな…抱きながらゾンビみたいで、歩いてるけど(笑)めっちゃ歩いてる姿がすごいな!と思いましたから。自分もそう感じられましたから、励ましてくれました。

リディア 2回目の文は、私は治療を受けた時にいろんな人からプレゼントとかメッセージを受けました。10年ぶりに会ったことないクラスメイトとか、全然会ったことない人から応援のメッセージを受けましたから、みんなを頑張っている皆さんも、後ろから応援している人もいるから、今めっちゃ大変きついと思いますけど一緒に力を合わせて乗り越えましょう!

岸田 はい、ありがとうございます。We are stronger than we think. We are more loved than we believe.ということでね、素敵な言葉をいただいたかなと思っています。やっぱりこうね、周りに支えてくれる人もいますしね、そういった人たちのことが、僕が言ったら絶対ダサくなるな、ちょっとやめとこ(笑)本当に素敵な言葉をいただきました。ありがとうございます。

岸田 という形でですね、リディアさん、収録終わっていくんですけどどうですか?出演されてみていかがでしたでしょうか?

リディア よかったです。そしてめっちゃ日本語の練習もなりましたから。

岸田 いやいや、すごい素敵でした、素敵な日本語でした。

リディア そして初の日本語のインタビューなので、とてもよかったです、ありがとうございます。

岸田 こちらこそです。本当めちゃくちゃ流ちょうな日本語で、本当分かりやすくどうもありがとうございます。

リディア めちゃ優しいです岸田さん。

岸田 みんなには伝わったと思います。やっぱりね、母国ではない中でちょっと日本で治療されて頑張っていくというところも、結構いろんな大変なところあったと思うんですけれども、もうね、Googleの翻訳もだったりいろんなものを駆使してね、そして大体(医療者から)日本語で接せられるっていうね、本当に大変だと思いますけれども、本当にこれからもまずは宅建の合格応援しておりますが。

リディア 頑張ります!

岸田 それではこれにてがんノート終了していきたいと思います。皆さん、次の動画でお会いしましょう。それでは皆さん、バイバーイ。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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