目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 病院や治療の選択テキスト / 動画
- 副作用や後遺症テキスト / 動画
- 家族のことテキスト / 動画
- 仕事のことテキスト / 動画
- お金・保険のことテキスト / 動画
- 工夫していることテキスト / 動画
- 変わったことテキスト / 動画
- 夢・目標テキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:古川
- 大阪在住・66歳、阪神ファンの古川さんのプロフィール
- 告知から自家移植、再発、治験まで——古川さんの10年の歩み
- 患者の気持ちをすくい上げてくれる先生と、一緒に治療を決めてきた
- 副作用は記録すれば対処できる——古川さんが10年の治療の中で気づいたこと
- 毎日バイタルを記録してくれた妻——支えがあったから治療を続けられた
- 総務の知識が自分を助けた——制度を知ることが治療との両立を支えた
- 1錠4万円、点滴1回40万円——それでも自己負担を抑えられた制度の話
- 約1年間、味がしなかった——治験中の味覚喪失が一番つらかった
- 自分の病気を自分で知る——情報収集が治療と向き合う力になった
- 病気になって変わったこと——体力づくりと記録、そして諦めない心
- 経験を次の一歩に変えたい——これから治療を始める方へ向けて
- 治療しながらでも、楽しんでいい——古川さんから、長期治療を続けるすべての方へ
大阪在住・66歳、阪神ファンの古川さんのプロフィール

岸田 それではがんノートスタートしていきたいと思います。今日のゲストはモトさんです。よろしくおねがいします。モトさん、自己紹介のほどよろしくお願いします
古川 名前は古川元久といいます。出身は兵庫県なんですけども、今現在大阪在住です。現在66歳ということで、家族も子ども妻含めてですね、今は私以外は健康に過ごしています。現在仕事はですね、定年を迎えまして無職の状態で、年金生活にちょうど入ったところなんですけども、そういった状態で治療をやりながら過ごしているというところです。病気の方は多発性骨髄腫ステージ1ということで、当初見つかった時はステージ1という状況で、55歳に告知されたんですけども、その時にステージ1という結果を診察いただきました。現在はいろいろ標準治療、薬物治療ということでありますけども、それを進めながら間に治験を挟み、また再発もあったりするんですけども、一応薬物治療ということで現在は治療中ということで日々頑張っているというところです。
岸田 はい、モトさんありがとうございます。趣味を飛ばしたのはあえてですかね?
古川 すみません、ちょっと忘れてました(笑)趣味は一応昔はですね、いろんな車のレースとかそういうのを行ってたんですけども、最近はちょっと年も年なんであれですけど、自然観察というかそういうものが好きになりまして。あとは気持ちを上げるという意味で野球観戦ですね、これは地元のチーム。
岸田 地元のチームと申し上げますと?
古川 なんか虎ですね、阪神ですけども応援しながら、で、現地応援も年に何回か行ったりして。
岸田 何回かじゃないですよ、何十回レベルじゃないですか(笑)
古川 いやいや、年にほんま数回です、なかなかチケットは取れなくて。
岸田 チケットはね。
古川 そういうのであるんですけど、一応行けば勝利すればすごく気持ちが盛り上がる、逆に負ければちょっと落ち込むことはあるんですけど、やっぱりね、そういう中でもしっかり楽しいこと、メンタルいうところを維持できるんで、これだけはちょっとしっかりね、こういうやりたいことをいうのか趣味を生かすのも大事かなと思ってます。
告知から自家移植、再発、治験まで——古川さんの10年の歩み
岸田 ということでね、阪神ファンでっていったところでね、そういったね、モトさんのつながりもあったりとかしている次第になります。そんなモトさんなんですけれども、どのような経過をたどってきたのかといったところですね、こちらの感情の浮き沈みのこのペイシェントジャーニーと呼ばれるですね、感情の浮き沈み、そして時間の経過、吹き出しはこのような形となっておりますのでまた見てもらえたらと思います。実際のモトさんの経過はこんな感じとなっております。基本的にプラマイゼロ、真ん中よりも低いのが多いですね?
古川 そうですね、っていうのはなかなかこの病気治りにくいのもあって、できるだけ現状を維持するための治療というかそういうものが今まで多かったと。当然新しい薬も今開発されてますので期待はできるところなんですけども、私が治療を開始した頃はまだまだそういうレベルじゃなくて、標準的な治療というものが主でしたのでそれを今までやってきたというところですね。
岸田 そんなモトさんのね、ちょっとペイシェントジャーニーに聞いていきたいと思います。まず49歳の頃、工場の立ち上げで移動されていく。これがもう、ここちょっと待ってくださいね、この49から今までのピークみたいな感じになってるんですけど。
古川 まああの仕事、当時は仕事をやっていたとおりなんですけど、新しい工場とかですね、会社の立ち上げのがあったんで一旦そこで新しいことを始めて気持ちも前向きにやりたいなということで、気持ち新たに新しい工場で働き出してそこへ移動したという形になります。
岸田 そこからちょっと下がっていきます、それがこちら、病気の疑いが血液検査で分かってくる。これは会社の検査とかそういうやつですか?
古川 一応ちょっとこの病気以外でちょっと血圧が高いとかいうのがあったりして、近くのかかりつけ医というのをよく行ってたんですけども、そこでですね、その先生がよく僕はよく患者さんの血液検査するんですって言われてまして、そういった中で検査をしてもらったら、ひょっとしたらこういう病気かもしれへんねというような数字が出たんですよね。というので、初めてここでそういう病気のことがわかったという形ですね。
岸田 こういうことかもしれへんねという、こういうことというのは具体的に血液の多発性骨髄腫みたいなことが言われると?
古川 そうです。こういうグラフが出る検査があるんですけど、血液の。その多発性骨髄腫特有のポコッと出る部分があるんですけど、それが出てたのでひょっとしたらこういう病気かもしれへんね、確定じゃないんですけどね、その時点でっていうので、疑いがあるかもしれないという話だったんです。だからある意味ここで早く、今思えばですよ、今思えばこの早期に発見していただいたというのは感謝してますけどね。
岸田 だから赤色のポジティブめなんですね。
古川 体調的には問題なかったんでね。
岸田 そこからガクンと下がっていきます、それがこちら。

古川 そうなんです。
岸田 あれ?血液と関係あるんですか?
古川 一応この病気は、多発性骨髄腫の病気は骨の異常が出たりとかスカスカになったりいう病気なんで、症状としてね、たまたま腰痛が出てひょっとしたらそうなってんちゃうとかいうような疑いもあったんでね。で、それをまた近くの病院で診てもらう、MRIみてもらったりすると、結局は病気疑いじゃなく、病気のほうの関係じゃなくて椎間板ヘルニアというのが分かって。まぁちょっとひと安心もしたんですけど、でも気持ち的にはもう激痛なんでやっぱりまあちょっと下がったってことですね。
骨髄穿刺で確定診断——「そんな深くは思わなかった」
岸田 そこから少しちょっと上がっていきます、それがこちら、がん告知骨髄穿刺。え、もう?
古川 そうなんです。一応そういうヘルニアというと分かったんですけど、ちょうどこの機会を狙ってかかりつけ医の先生が、じゃあ一度ちょっと大きい病院で診てもらえませんかという話があって、じゃあそしたら一応どっちにしてもそういうチェックはしないといけないと思いますので、大きい病院を紹介してもらって。そこで骨髄穿刺をやったらちょっと病気確定やねっていうことを言われて、ちょっとその状態でしたね。
岸田 この時確定の診断が出るっていうふうなことですけど、当時の心境的にどういう心境なんですか?まさかなのか、やっぱりかなのかいろんな心境あると思うんですけど。
古川 もともとかかりつけ医から疑いということを言われていたのでそれが確定したということになるんですけど、ただ自分的には全然体調も問題ないし生活もできているし、本当に痛い思いをしたのはヘルニアの時だけだったので。普通の生活ができるので、そんなに落ち込むというか、がんやどうしようとかいうんじゃなくて、そういう病気なんやなぁと、生活もできてるんでね、そんなに深くは思わなかったですね、この時。
岸田 その時は深くはそこまで考えず。
古川 告知はされたから間違いないですけどね。
岸田 告知はされて、ここから治療していこうという感じになるんですかね?
古川 そうです。
岸田 と言いつつ、治療しないっていう(笑)
古川 まあまあまあ。
4年3ヶ月の経過観察——進行は遅く、生活は普通に続いた
岸田 経過観察これは?
古川 これはですね、一応病気は確定はしたんですけども、ただそこから何も症状はその時は出てなかったので、大体多くの方は骨がおかしいとかいう症状はすぐ治療開始ということになるんですけども、私の場合は早く見つけてもらったということもあって、まだその治療まで行く基準には達していないということもあって経過観察ということでしばらく何年か続いています。
岸田 結果的にどれくらい経過観察になったんですか?
古川 4年と3ヶ月くらいですかね。結構当時先生も、うーんちょっとさ、進行が遅いタイプかもしれへんねというようなことも言われていて。早い人はすぐにするらしいんですけど、結構4年かかって数字的にもね、治療を開始するための数字があるんですけど、その基準までなかなか徐々に上がっていたという形でなっていたので、治療は遅い、進行は遅いかもしれませんねというようなことが言われていました。だから結構経過観察があったという形ですね。
岸田 経過観察中って不安とかもなかったんですか?
古川 いや、もうそれは告知はされているので一応そういう病気なんだと。確かにやっぱりその病気についていろいろ調べましたよ、ネットで。その当時のネットでは5年生存率が50%未満とか、ええっそんな病気なんやなっていうのでちょっと落ち込んだ気持ちはあるんですけど、ただ今の自分が普段通り動ける状態の続いてましたんでね、そんなに心配することも、落ち込みはありましたけど心配はそこそこというところですね。
治療開始、そして幹細胞採取へ——初めての抗がん剤と副作用
岸田 かなり経過観察されていった中で、ここからまた下がっていきます。
古川 そうですね。
岸田 良くないことが起こったんだろうなと思うんですけれども、それがこちらですね、薬物療法、あれ?もういきなり治療に入っていくんですね?
古川 経過観察をその4年ほど続けた中で、最終的に症状として貧血とかそういうものが出だしたというのと、IgGという抗体の数値がかなり上がってきたということで治療の基準に入りましたねというようなことを先生に言われまして、じゃあもう仕方ないなということで、じゃあ治療を始めますと。落ち込んでいるのは、初めてのことなんでやっぱりいろんな不安もあるし、抗がん剤治療というのはやったことないんでね、もちろんやったことないんで、どんなふうな治療なんやろうなというのでかなり心配していたところですね。そういう意味で落ち込んでいる形になっています。新しい標準治療というものをはじめて開始したと。
岸田 また治療のことを聞く機会がありますので、その時にも聞いていきたいと思います。標準療法をまずされていって、その後ですね、こちら、次の薬物療法で幹細胞採取とありますけれども、こちらは?
古川 当時の治療方針としては当然治療を開始して幹細胞を取って自家移植して維持療法というのがパターンなんですけども、そのパターンに当てはめた形での治療は開始しているんですけど、薬物療法ですね。まず幹細胞を取るためにまずがん叩きしましょうということで、これも強い薬だったんですけど、これをやった後すぐに幹細胞を取るようにしました。その時もいろいろ副作用がありましたけどね、一応そういう形で最初の治療から幹細胞を取るためにさらにがんを叩いて採取するということになりました。
岸田 いい幹細胞を取るために悪いやつを一回全部めちゃくちゃ叩いちゃってっていうやつを、これされているっていうことですよね?それされて、ちゃんといい幹細胞を取り出してっていうのが。この時結構下がってますけど、これやっぱ副作用とか?
古川 副作用で言うたら自家移植の時一番きついんですけども、それから2番目にきついよという話で、叩くやつはね、この両方ですけどあって、当然髪の毛抜けたりいうこともしてくるので、そういう意味のつらさがあった…。
岸田 そしてその後ですね、こちらちょっと上がっていきます、それがこちら、DRd療法・味覚改善と書いてますけれども、自家移植、せっかく取ったのに自家移植しないんですか?
古川 私の仕事の事情もあって病院に行ってちょっとずらして、本来ならばすぐに自家移植に入っていくんですけども、そうじゃなくてちょっと間空けさせて仕事の都合で空けさせているので、ちょっと取ったんです。だからその間に一番最初にやったこのVRd療法というのがあるんですけど、そこでちょっと副作用が出たりしてたのでそれをちょっと改善した新しい薬いうもので治療しましょう。その間ですね、自家移植までの間治療しましょうということで治療が始まった内容ですね。
岸田 ありがとうございます。皆さんね治療とか医療のところに関しては皆さん主治医さんだったりだとか医療従事者の方に聞いてもらえたらと思います。こちらあくまでも経験談でございますので、収録日とね、見てくださった日にちでやっぱり治療が変わっていくっていうこともたくさんありますので、そこをまたご了承いただければと思います。味覚も改善していってというところでね。
古川 味覚障害、一番最初の治療が味覚障害とか抹消神経障害こういったものが出てたので、それをちょっと出ないような薬にしましょう。それと効果がちょっとあまり良くなかったんで、新しい薬当時出たものですけどそれに変えてみましょうかということで新しい薬に変えさせていただきました。
自家移植という「一番きつい山」——無菌室での2〜3週間
岸田 それでちょっと上がって。ただそこでまた下がっていくのはこちらですね、自家移植ということは自分の細胞をまた戻していったということですね?
古川 これも本当に初めてのことなんでね、不安がすごくいっぱいでした。で、無菌室というのもほぼ1ヶ月近くかな、入ったりしたりするんで、すごく不安な状態があるんですよね。でもいろいろ皆さんのアドバイスを聞いたりしてなんとか乗り切らなあかんなということで、そういう自家移植で。当然一番きつい薬を使うので、自家移植したやつが生着するまでの間ですね、やっぱりそこが一番つらいんですよね。吐き気もあり、髪の毛抜けたりいろんな状況お腹はリセットされて、そんな状態ですごくつらい状態になるんですよね。ここは本当につらかったと思います。
岸田 やっぱりいろんな副作用が出たりだとか、やっぱり感染症にもかかりやすかったりするんですか?
古川 そうですね、当然ながら気をつけないといけない状態。だから無菌室。
岸田 どれくらいの期間入るんですか?
古川 生着が大体2週間くらいだったかな。それまでの間はほんまに免疫力も何もないんで、生着する間までは大変ですし、逆にある程度生着してもそこから白血球がちゃんと出てくるんですけども、そこからどれぐらいかな、1ヶ月弱はいてなかったと思いますけどね、2〜3週間だったかな。無菌室は2〜3週間だった、これほんま皆さん大変と言っています。この病気だけじゃないですけどね、他もいろんな病気でそういうのがあると思うんですけど、一番皆さんがちょっと不安というか苦労されているところでもあるかなと思っています。
岸田 それをなんとか生着したんですかね?この後。
古川 生着した時はね、ほんま嬉しかったですわ。なんか知らないけど自分の第二の新しい世界というか、そんな気分になりました。本当に冗談抜きにね。
薬疹・骨髄抑制・中止——維持療法の試行錯誤
岸田 そこからね、ちょっとまた上がっていきます。それが維持療法。維持療法って何ですか?
古川 一応しっかり移植が終わって、それを寛解状態なりいい状態に持っていくということでですね、維持療法をやるんですけど。
岸田 寛解状態を維持するってことですよね?
古川 そうそうそう、私も一旦移植した後にMRD検査で陰性と言いましたので、一応寛解状態に持っていけているということだったので、それを維持するための維持療法ということで薬を継続してやってました。
岸田 継続してされていった中で、また下がっていきます。それが薬疹。

古川 この薬疹いうのはね、これも初めて体全体になったんですけど、一番当初の最初の治療から使ってた薬なんですけども、それをずっとこの維持療法はそれ単体になったんですね、他の薬を使うということで。それを使っていると体がワーッと薬疹が出てきていうふうな状態になりました。結局その薬と血液の整合というかそれを見てもらったら、要は陽性反応ということでちょっとこの薬使えないかもしれないねというようなことになっちゃったんです。
岸田 この時の薬疹の出ているお写真みたいなのもいただいていますので、ちょっとねかなりブツブツが出てますのでちょっと苦手な方はスキップしていただければと思います。足にブツブツができている写真をお見せしますね、こちらになります、ドン!わ〜赤いですね。
古川 これ全身に出ました。
岸田 全身に!?これはなんかボコボコしてるんですか?ボコボコしてない?
古川 いや、赤くなっている。
岸田 かゆい?
古川 かゆくもなかった、痛くもなかった。
岸田 そうなんですね。
古川 そういう症状は見た目でものすごくこんなん出てるわいうので。で、たまたま同じ病院の中での皮膚科の方にこれはひどいで〜という話があってその薬との整合をみてもらったら陽性ということで、この薬ちょっと使えんかもしれんね。
岸田 そういう出やすい形で。
古川 ただ今まで使ってた薬だったんで、なんで急に出たのかなというのはね。そこはやっぱり治療の中ではいろんなステロイドやら何やら一緒にやってるんで、それでひょっとしたら抑えられてたんちゃうかなという気がしてます。そういう意味でね。
岸田 じゃあこれは治りはするんですか?
古川 治りました。もうストップしたので治りました。
岸田 そうなんですね、その原因となるお薬をストップして、そして次、また維持療法。
古川 違うお薬でまた維持療法という形になりましたね。
岸田 お薬を変更したってことですね?
古川 はい、変更した、そうです。
岸田 で、そのまま維持療法をされていたところが、中止。
古川 うん、そういうことなんですね。まあまあ気持ち的には上がってるんですけど、その維持療法での薬を変えたんですけども、その薬でも大体2〜3ヶ月かな、やりだして、骨髄抑制がかかってしまって、白血球・赤血球全部下がっちゃったんです、数字がね。そういうふうな副作用が出たんで、これもまた使えないねということで一応そういう形で中止になって気持ち的には上がっているという感じになってました。
岸田 ただその中止になっている時は、もう体調的には?
古川 全然体調は薬止めてますからね。だから気持ち的にもそんなに悪いわけでもないです。
再発、そして新薬DPdへ——治療の選択肢が広がった時代
岸田 薬止めてちょっと楽になっている時期ですね。ただ、そこからまた下がっていきます、それが、お〜再発。
古川 これ辞めたおかげ…いや辞めたおかげっておかしい、辞めたために逆に再発、また再発。同じ数字がIgGとか上がってきてしまって再発したかなということでなっちゃったんですよ。
岸田 そっか〜。
古川 だからこれなかなか落ち着かないですね。こういうのは維持療法、同じ病気の方で本当に移植されてすぐそのまま寛解状態で薬もやってない方もおられるんですけど、やはり再発される方が多いという形になってますのでね、それに私は乗っかっちゃってるという形ですね。
岸田 そうなんですね、そっか再発して。これも血液検査とかで分かっていくってことですよね?
古川 そうです。
岸田 その再発した後にやることは、やっぱ治療かな。
古川 もちろん。
岸田 治療、次DPd、なんかもういっぱいありますね。
古川 ただこの当時新しく出た薬の組み合わせの治療になるんですけど、そういう薬をやってみようということで始めました。
岸田 DPd療法これはどうでした?他の治療と比べてとか。
古川 新しい治療、これ何歳やったっけな?
岸田 これは63歳か64歳の間でしょうか。
古川 最初にも同じようなDRdとかいう治療があるんですけどそれに似たもので、それに最初の頭は同じ薬なんですけどくっついている薬がちょっと違うという程度になりますね。そういう治療を一旦やりましょうということでやりだしたところですね。
岸田 この言ってしまったら、このRがPに変わるだけで変わります?
古川 そこはもう薬が全く変わるので、何に作用するかにも変わってくるし、いうところになりますよね。
岸田 副作用の出方とかも違う?
古川 当然ちょっと変わってきますね。
岸田 ただこれはまだマシな方なんですかね?他の移植とか(比べると)ね。
古川 治療はやるものの副作用もそこそこ乗り切れる形になってますね。一番根本的に違うのは最初にもDRdいうのがあるんですけど、その時の。
岸田 こっちですねDRdですね。
古川 その時のDいうのが点滴だったんです、すごく時間がかかる。で。今最近やりだしたDPdのDはすごく早くて皮下注射の方に変わった、新しい同じ薬ですけども皮下注射に変わったという薬です。だから気持ち的には楽になります。
岸田 ってことは同じDの薬ですけど、当時は点滴だったやつが今は皮下注射ですぐできる?
古川 だから治療方法も変わってきていますね、やっぱり患者さんのことを考えて製薬会社さんもね、頑張っていただいていると思います。
治験という未知の挑戦——1年間の味覚喪失との戦い
岸田 変わってきてるんですね、すごい。そしてそこから上がってきています、それが治験のために休薬。
古川 結局このやつをやりだしたんですけども効果があまり出てこなかったというのもあって、じゃあ次新しいものに何か挑戦してみませんかという先生からの提案もあったりしたんでね、じゃあちょっとすごく不安なとこもあるけどやってみますということで一旦薬はちょっと治験のための休薬ということになりました。
岸田 治験やる前になんかまあそういう、やめないといけなかった?
古川 治験をやる治験基準というのがあるんで、それに合わすために休薬をして数字を、数字というかその基準に合わすために休薬になったという。
岸田 そしてそこから下がっていきます、それが治験。治験どうだったですか?
古川 皆さん治験ってどういうふうに思われているのかちょっと分からないですけど、僕も初めてのことだったんでね、やっぱり最初の説明聞いた時にすごい枚数の説明書というか治験をやるためのいろんな説明をいただくんですけど、あれを見てまずびっくりしました。こんな色んなことが出るんかな、出るかもなんで確実に出るとも言われないですけど、最初はこういうものが出るかもしれませんよっていうことを宣告されるんですけど、そういうので治験を始めていくという形になりました。
岸田 治験はちょっと下がってますね。

古川 そういうことだよね。なぜ下がっていくかというと、治験をやりだしてある意味気持ち的にはどんなふうに効果が出て病気がどういうふうになっていくのかということも考えていたんですけど、実際にやりだして、最初は当然確認のための入院をするんですけどもそこでいざ2〜3週間かな、確認のための入院してたの。その後じゃあ一旦通院しましょうか、通院できるんで通院しましょうかという時に退院をして初めてこれでやっと治験も開始できるわと思いながら家に期待感ありながら帰ったんですけど、その晩の食事が全く味がしなくなって。
岸田 すぐですか?
古川 すぐです。退院するまで味してたんです。病院で一旦家帰って美味しいもん食べたいなぁと思ってて、退院したこともあったんでと思って家で食事作ってもらったら全く味しなくて。で、念のためにいろんな調味料、砂糖、しょうゆ調べてみようってなめたら全く味がしなくて。
岸田 どれも?
古川 どれも。うわ〜これはえらいことやなぁいうので、それがもうどん底に落とされましたね、そういう意味では。
岸田 じゃあどちらかというと味覚の喪失がここですね?
古川 そうなんですそうなんです。
岸田 副作用がいっぱい出てくると。これは治験のそのお薬の影響ですね?
古川 治験の何が起こるかわからないので、それがあっても仕方ない話なんで。それであってもやっぱりきっちり治験用のものを受けてデータ取りしないといけないんで。
岸田 そもそも治験を受けない選択肢もあったんですか?
古川 ありましたありました。ありましたけど、あんまり効果が他の薬も似たようなあれでないんで、じゃあもう新しいあれでいいか、二重(特異性)抗体って言っていいか、そういう新しい治療方法があるんで自己免疫での治療方法があるんでそれをやってみましょうということなんで、じゃあやってみます、期待できるものをやろうというふうに。ただ落とされたのは。
岸田 ただめちゃくちゃ落とされているということですね、味覚が喪失していって。
古川 そうなんです。
岸田 副作用も本当に。
古川 これはちょっとびっくりしましたね。
岸田 多数ってありますけど、本当にもう様々ですよね?倦怠感とかなんかいろいろ。
古川 味覚だけじゃなくて他にも皮膚障害かな爪が全部入れ替わるとかそんなんもあったりして、それはもう仕方ないことやねと思いながら乗り切っていきます。
岸田 乗り切っていったってことですね。
古川 いろいろなのはやりだして、2〜3ヶ月の間にいっぱい出てきたかな、副作用はね。
岸田 そこからちょっと上がっていきます、それが副作用のピークを超える。
古川 それが3ヶ月後ぐらい。
岸田 普通に治療をしていったらだんだん減っていく、治療はこれで終わるんですか?
古川 いやいや、当然治療はもう毎週注射を打たないといけないので、それはもう勝手に止めたりできませんので。
岸田 ですよね。
古川 治験の場合はね、そういうのがあるんですけど。そういうのをやりながらでも副作用というのは当然出てくるので、それをうまくこういう時はこうなんだよねというのをこなしながらできて、まあまあ気持ち的にはそういうので。この時の治験いうのは普段の他の薬の時はステロイドとかそういったものを使うんですけど、一切それを使わない、もうこの治験薬そのものだけなんです。逆にステロイドとかそういうのを使うと効果が落ちるということがあったので、その薬オンリーで。
岸田 やったんですね。
古川 そうなんです。そういう薬だったんですね。
岸田 それは大変。ただピークを超えていって。
古川 時期とともにピークを超えて。
岸田 副作用を改善していくと。じゃあ時期を過ぎれば副作用は改善していくと。
古川 そうです。
岸田 めちゃくちゃ上がってますね、この時は。

古川 この時はもう一応生活上そんなに負担じゃないし、ある程度毎週はやっているもののパターンも決まっているので、副作用が出たとしてもね。そういうのに乗り切れているので、こういう状態になりましたねということですね。
再発を重ねながら、それでも今日も治療を続けている
岸田 そこからちょっと下がっていきます、そこが、お〜、再発かそっか。
古川 一生懸命まあ新しい薬をやって何か期待できるとは思ってたんですけど、ちょうど1年後かな、1年後ぐらいにちょっと数字が上がってきたねっていうようなことがあって、みてみたら再発かなということになりました。
岸田 何度か再発されていると思うんですけど、その時の気持ちはどうなのか。毎回同じような感じなのか。
古川 いやもう元々治せる薬がない、そんなこと言うとおかしいんですけど、いろいろなことがあってこれは治らない病気なんだなというのを自覚しながら来たので、再発が何回か起こってますけど、これはもうその時点で仕方ないかなと。それを今度うまく再発までせずに、何度かこう自分の生活のQOLを保てるような形で維持できるような薬があればなと思いながら来てるんですけどね。そんなにびっくりするほどでもないんですけど、ただ僕の場合はほとんど骨に異常はないとかそんな状態でしたから、とりあえず薬でなんとか持ちこたえられるという状態ですんで。本当に他の人はね、大変な、骨がおかしくて大変な状態なんですよ。そういう状態じゃなかったんで、気持ち的にはまだマシだったと思います。
岸田 そこでね、またちょっとこう上がるのはこちらになります、また薬物療法をされて再発されましたからね、これは?
古川 結局だから再発、治験でも再発してしまったのでじゃあ今一番よく効くパターンの薬を一遍使ってみましょうということで、サークリサ、カイプロリスという薬。もともとちょっと私がですね、不正脈があってこのカイプロリスという薬は心臓に負担がかかるんですっていうことを言われてたので、先生も一番最後、最後って言ったらまたあれですけど、一応ちょっと後回しでよく効くんですよ、薬としては。よく効くんですけどもちょっと最後になったけどやってみましょうかと、よく効くと思うんでというのでちょっと心臓への負担を意識しながらちょっと出してもらって治療を開始したという経緯がありますね。
岸田 そうなんですね。
古川 ただ、そこにそういうのをちゃんとそういうふうに主治医さんが配慮いただけていたのは本当に嬉しい話なんですけどね。いろんな選択肢がある中から一番今ベターなものを選んでいただいたというところがすごく感謝しています。
岸田 ただちょっと下がっていくのは怖いのですがこちら、肺炎で緊急入院と。
古川 そうなんです。
岸田 全然あれじゃないですか?もうあの。
古川 違う病気ですけども。
岸田 肺炎になっちゃって。
古川 そうなんですよね。まあ皆さん多分同じだと思うんですけども、抗がん剤をやりだすと免疫力が落ちるというふうに言われてますので、言われてるんですけど、私もこの肺炎も初めてのことなんですよね。で、まさかそんな普段から手洗い・うがい、そういう免疫力落ちてるからちゃんとしっかりいろんなことはしとかなあかんでいうことは聞いてたのでやってたつもりなんですけども、何かが原因で肺炎になった熱が出ちゃってということでね。せっかく新しい治療をやりだしたんですけどね。
岸田 これでストップしたんですか?
古川 いや、しなくてそれは継続しながら肺炎は肺炎で緊急入院したんですけど、一旦2週間…1週間ちょっとかなで治して、まだ継続今の治療を継続しています。

岸田 まだ継続中ということですね。
古川 一応効果もそこそこ出てきているのでという話ですね。
岸田 ありがとうございます。いや〜結構ね、すごいこう見たらいろんな治療法されてて。あれですねモトさん、多発性骨髄腫の方が見られると思うんですけれども、この時のモトさんの治療法とまたいろんな組み合わせとか人によって全然違うんですよね?
古川 そうですね。でも基本は多分最初のVRdとかいうのはあるんですけど、最初そこからが多いと思います。ただ今最近はすごいいろんな薬が出てきてて、組み合わせした薬もあったりしてそれが標準的になったりしていますので、最初からそういう薬を使うという方も最近出てきているのが多いですね。だから将来的には移植しなくても、自家移植しなくてもというような治療も。
岸田 また皆さん、移植の部分に関しては主治医の方としっかり相談していただければと思います。写真にもう1個だけいただいているのは、こちらをご覧ください。これが?

古川 これは幹細胞取るときのものですね、こういうので。これ取るときもですね、本来普通なら1日で1回分なり2回分は取れるんですけど、4時間かかるんですけどね1回。私の場合はその前にがん叩きしてますしいうのがあって、体質と関係もあるかもしれないですけど1日では取れなかったです。だから2日かけて連続で幹細胞を取った、そういう4時間ずっとね。
岸田 血を抜かれる感じなんですか?
古川 抜いてまた戻すという。この横にある機械でぐるぐるその中から必要なものを。
岸田 取っていってということでね。
古川 細胞を取ってという形で、また戻してくれるという形で、そういう機械ですね。初めての方はあれだと思うんですけど、経験されている方もおられると思いますけど。
岸田 そして下が初めてのウィッグと書かれてますけど、ウィッグ。
古川 そうです、これ初めて私の場合、これぐらいの抜け方をしたんですけどね。最初のだから幹細胞を取る前にもそのがん叩きのをやって、それも一番きつい薬の半分ぐらいなんで髪の毛が抜けますよという話があって、初めてやった時はそういう形でやりました。どんなふうに抜けんだろうなぁ、一応髪の毛散髪して短くしてたんですけどね、ちょうど抜け始めましたね。初めてウィッグを、男性用っておかしいんですけど、つけたのを経験させてもらいました。
岸田 男性でウィッグをされる方っていうのはもちろんいらっしゃるんですけれども、女性に比べたらね、まだそこまで多くないのかなと思うんですけど、モトさんがやろうと思ったのは?
古川 やっぱり初めて髪の毛がこんな状態になったんで、ちょっと会社行くのもあれやなとかいうのがあったりしたんで、当時は会社員だったんで。とりあえずやってみようというので。病院にも紹介していただけるところがあったんですけど、何社か行ってたんですけど、やっぱり有名なところは購入になったりとかいうので高いんで、2つ目ぐらいかな、行ったところでちょっと相談行ったら、いやそれなら買わなくていいやんいう話、一時的にねそういうのやったら別に買わなくていいやん、リースあるしということですごく好意的にやっていただいて安く費用が済んだという。それもずっとするわけじゃないんで、購入したらそれっきりになっちゃうんでね、やっぱり3ヶ月ぐらい、多くても4ヶ月ぐらいしか使わないんでリースで始めてそんなこともあるんやなと。そういうところでも費用ある程度ね、これからやられる方なり、女性の場合はそういうわけにいかないと思うんですけど、男性とか悩んで別にいうのがあれば、ちょっとそういうのでもしやりたいんだったらリースというのも手はあるねということをちょっと言いたいですね。
岸田 リースやったらやっぱり買うよりも安く?
古川 安いです、全然違います。月々なんぼやったかな?何百円、何千円か。
岸田 何百円!?
古川 何千円か。
岸田 7(千円)という(助言が)。
古川 買うより全然違いますよ、桁が違いますもんね。
岸田 買うんだったらね。
古川 一桁上がっちゃいますしね、当然。それをまだずっと持ってないといけないしいう話なので。そんな経験で初めてこれからいう方はそういうこともあってきますよということをちょっと知っておいてもらったらいいかな。
岸田 リースもあるということですね。ありがとうございます。はいそして次ここからですね、各項目に分けてそれぞれのことをお伺いしていきたいなということを思っております。ありがとうございます。
患者の気持ちをすくい上げてくれる先生と、一緒に治療を決めてきた
岸田 病院もどういうふうに決めたかだったりとか治療もどういうふうに決めていったのか、今シェアード・ディシジョン・メイキングっていうSDMって横文字なんですけれども。今までインフォームド・コンセントって言って「言ってもらったら同意します」だったんですけれども、今は「患者さんと一緒に決めていく」っていうふうな、どういうふうに治療を選択していこうか、一緒に決めていくような今の時代になってきていますので、どういうふうに決めていったのかお伺いしていきたいなということを思っております。まず病院はもう、どう決めていったんですか?
古川 最初にもお話ししましたけど、かかりつけ医の方で見つけていただいて、どうする?大学病院とかいろいろあるけどもということで2つ挙げてもらったんですけど、いやもうちょっと大学病院といったら大変そうやしなぁと思い、まあ専門のね、やっぱり地域の病院があるんでそこを選択させてもらいました、そこを紹介してもらうようにしました。
岸田 地域に専門の病院があった。そこで治療法がね、また経過観察になっていろんな様々な治療法になっていきますけれども、まず標準療法をされていくんですよね?
古川 そうです。
岸田 そこに関しては標準療法をしていこうということをモトさんも思われてやっていく?
古川 そこも先生コミュニケーション的に言うとすごく患者よりというか、患者のことを真剣に寄り添っていただいていたので、こんなんどうなるのこんなんどうやろうこういうのどうなるんやろうとかいうようなこともどんどん質問になり相談をして治療方法を決めてきたというところがありますね。だからすごく良かったと思います、ある意味そういう病院がね。寄り添っていただけたのは非常に良かったと思いますね、患者の立場でね。
岸田 ちなみになんですけど、このがんノート医療者の卵たちって言い方ちょっと良くないんですけれども、学生さんたちもたくさん見てくださっているんですけど。
古川 はい。
岸田 その先生の寄り添い的なところで言うと、こういうことを気つけた方がいいよってアドバイス、そういう先生方への?
古川 たまに僕も病院に入院していた時に新しい先生新人の方とか研修生とか来られてその時の話をよくするんですけども、やっぱり患者さんの立場をしっかり聞いてあげてねというのと。一番そういう意味で一方的じゃなくて自分の知識をこうやこうやでというそういうことだけじゃなくて、これはこうでこうでという仕組みを含めながら、この治療はこうでこうしていくからこうなるんだよとかね、そういうことを分かりやすく説明していただけることがまず一番かなと思っています。そういうお医者さんであって欲しいと思われますけど、コミュニケーションをとれる先生になるかなと思います。患者さんの気持ちをすくい上げてもらえる、一旦すくい上げてもらってそれに対する医療的な立場から考察するというか、そういうことをしていただければと思いますね。
岸田 大事なことです、ありがとうございます。次ですね、こちら、再発のこととしまして再発された時のやっぱり心境そしてそれからどう向き合っていくのか、いっぱい多発性骨髄種って再発される方多いとお伺いしておりますので、その人たちに向けてとかどうでしょうか?
古川 そうですね…再発はね、この病気でもいろいろ個人差はあるので再発の程度もあれですけど、中にはまれにね、そういった寛解までいっちゃっていることもありますけど、やっぱり再発するとどうしても落ち込んでしまうんで、気持ち的には、えっと落ち込むというか前向きな気持ちがなくなっていく形になるんですけど。そうじゃなくてある意味これはもうこの病気が再発も仕方ないんかなということを覚悟いただくいうたらおかしいんですけど、そういう気持ちで治療の方もしっかりやっていただきたいなというふうに思っています。
岸田 モトさんもある意味覚悟されているということですよね?
古川 そうですね、もう治療して再発2回も来ているのでやっぱり治らないのかな〜というのがあるんですけど、そういった中でも自分のやっぱりやりたいこともやりたいしというのもあるので。そこを見極めながら治療をしっかり主治医さんと相談しながらね、自分の生活を維持できる範囲でいけるように。気分的には落ち込むんですけど皆さん頑張りましょう!前向きに頑張っていきましょう!そういう気持ちで。
岸田 難しい質問、答えてくださってありがとうございます。そしてこちら治験といったところで、いっぱいたくさん書類読み込んだりだとかね、そのステロイド、まあその治験の種類にもよると思いますけどね、その時その他にステロイドもできなくてこれだけ(の薬)でっていうことだったりとか。やっぱそれの治験、これまたがんノートもね、いろんな人が見てくださってるんで、シンプルに治験に対して思いを述べていただいて。
古川 患者の立場から考えれば治験ってある意味未知の世界じゃないですか。新しい薬でどんな副作用が出たりつらいことがあるのかなってものすごく不安になりますよね、そういう意味では。初めて説明を聞いた時にもう分厚いんですよ。データはそんなに揃ってないんで、最初はこんな、何人中これぐらいで確率がありますよとかいうようなこともあって、これのどれかに当てはまるのかなとか思ったりもしてね。そういうので本当にびっくりすることあるんですけど、でもね、やっぱりそれを思ってたらまだ前に進まないんでね、より良い薬というものもやっぱり開発してもらわないといけないですし、そういう意味では不安材料はたくさんあるんですけども、一応そういうのにもちょっと挑戦してみるというのもありかなと思っています。本当にもうやらなくていいんですけど、挑戦して少しでも完治に向かうというような希望があるんだったらそういうのに挑戦してみてもらってもいいかなと思ったりもしてます。
岸田 モトさんの場合、治験に希望を抱いて挑戦して、ただ残念ながらまた再発してしまうということだったんですが、そこに対しての思いとかっていうのは?
古川 本当に最初は、これひょっとしてうまくいったら治るんちゃう?っていう期待はありました。こうこうこういうのを標的にしてこの薬が、あとは自分の免疫を上げて治す薬だよという話なんで、これはもう全然今までと違う治療のやつなんで、自分で治せる方向にもできるんだったらというのでじゃあ挑戦してみようという気持ちになりましたね。ただ、やりましたけどもやっぱりそれ以上はいかなかったいうところがちょっと残念でしたけどね、そういう意味ではね。
岸田 そっか。ただ今他の治療が次もあるっていったところでなんとか気持ちを切り替えていく感じですかね?
古川 今もういろんなところで、標準治療が今何回か出ましたけど、それプラス治験の薬を足して、いろんな治験が出てきてるんですよね。そういう意味で可能性としてたくさん今選択肢が増えてくる、これからどんどん選択肢が増えてくるんじゃないかなと思ってますので、どんどん気持ちを諦めずにね、前向きに、ちょっとしばらく時間かかるかもしれないけど前向きに気持ちを持っていけたらなと思ってます。
副作用は記録すれば対処できる——古川さんが10年の治療の中で気づいたこと
岸田 ありがとうございます。次、こちら、副作用や後遺症のことといたしましてですね、先ほどね、自家移植した後にね、免疫が下がっていっていたところのこともいろいろありましたし、もしくは髪の毛が抜けての話もありました。
古川 普通の一般的に抗がん剤やるので当然髪の毛がいろいろ抜けて、どの治療もだいたい共通して、私の場合は例えば便秘が多いとか下痢とかこの辺も共通して必ず出てくる内容なんですけど、そういう副作用もあるんですけど、やっぱり一番きついのは自家移植なりそういったきつい薬をやった時ですね。やっぱりショックは、髪の毛抜けたりとかそういうところは、内容をダブっちゃいますけど、そういうのはつらいところでしたよね。
岸田 その時のモトさん的にはやっぱり耐えるんですか?それとも医療者に言って、お薬出してもらったりするんですか?
古川 だから治療をやりながら、いろんな治療を組み合わせたのをやってきてるんですけど、その都度自分の体調、今の体調をずっと記録していく。記録というか健康状態のバイタルから始まって、今日はこんなのが出てるこんなのが出てるとかいうような記録をしていくんです。同じ治療をやりながら、でも薬を打った後何日後にこんなのが出るよねとかいうのが分かってくるんですね。ということは、あらかじめ副作用に対して対処ができるということになるので、そういうことを考えるとしっかり自分の体調を見つめるというか記録するというか、そういうことが本当に大事かなと思っています。それは本当に大事だと思っていますね。それがあるから、ある程度副作用が出ても軽く収めることができたりとかいうことができると思うんですよ。
岸田 対処法を記録してるからこそ、こういう時こうする。
古川 何日目にこうなるから何がくるとかいうのは分かるんでね。気持ち的にもちょっと急に来るもんじゃないんで、楽になりますね。そういうの皆さんも続けていただいたらいいかなと思います。
毎日バイタルを記録してくれた妻——支えがあったから治療を続けられた
岸田 そして次こちら、プライベートの方に入っていきます。家族のことといたしまして、奥様とお子様はもう成人されているってことですかね?
古川 そうです。一応当時もう10年、宣告をされたのがあれですけども、その当時も宣告をされたものの一緒に病院に行ったんですよ。
岸田 パートナーの方と?
古川 子どもも一緒に。骨髄穿刺して結果が分かっているところまで一緒に分かったんですけどというものの、骨がおかしくて緊急事態でも余命宣告でもないし緊急事態でもないし普通の生活はできて、今後どうなっていくのか分からないところがあったけど、そんなに落ち込むような不安は家族的にはなかったと思います。ただどういうふうになっていくのか分からないところはありますけどね、その時点では全然動けるしいろんなこともできるんでいうことですね。
岸田 じゃあがんの告知された時とかは、一緒にこう家族は一緒にっていったところで。支えられてよかったなっていうことだったりとかこうしてほしかったなとかもしあればなんですけど。
古川 それは特にないですよね。その都度その都度いろんな情報を言って、一番はやっぱり妻ですかね。一番身近なところがやっぱり心配性なんで。
岸田 この画面の向こうに(撮影時)いらっしゃるんですけども。
古川 そういう意味で普段の記録とかそういうものをしっかりとってくれてたんですよね。
岸田 さっきの記録とってたのは奥様だったんですか。
古川 そうそうそう、バイタルも毎日はかって。
岸田 すごい。
古川 今日は体調どう?とかいうようなことを聞きながらメモして、そういうのはあったからこそ、あるからこそ次何か同じようなのが出た時に、過去こんなのあったよね、こういう対処できるやんとかいうふうな。すごく何かどういうのかな、治療している中でもそういうことである意味、過去こんなのあったからこの時こうしたらマシになった、これもないやんいうのはもう分かるんで、そういう記録をとってくれていたのが妻なんですね。すごく感謝しています。
岸田 いいですね!そういったところをね、しっかりね!
古川 だから皆さんでもね、そういうふうに普段の体のコンディションというかそういうものをどんどんちょっと最初はね、やっぱりそんなめんどくさいやんって思うかもしれないけど、とっていることによってちょっと普段と違うことが起こるとかいうのはすぐ分かりますんでね、そういう場合はすぐに主治医さんに相談するとかいうこともできるので、そういうこと大事かなというふうに思っています。
総務の知識が自分を助けた——制度を知ることが治療との両立を支えた
岸田 ありがとうございます。やっぱり周りの方たちのサポートって本当に大事ですよね。そしてその次、こちらの話になっていきます。お仕事のことっていったところに関しては、お仕事に関してはもう。ただ当時は仕事されてたのか。
古川 そうです。今はもう卒業してますけども、治療を開始した当時はちょうど定年前ぐらいですけど、いろんな治療になるということで、会社の方々もですね、その辺は十分理解、職場の方ですね、理解いただいてたんで。
岸田 何系のどんなお仕事されてたんですか?
古川 当時は事務系です、総務系というか事務系ですね。事務管理系の総務。
岸田 総務のことをされていた。
古川 いろんな制度もその当時、いろいろ僕はあまり総務の仕事をしていたことがなかったんですよ、当時そういう所属に変わっていたので、いろいろ勉強をさせてもらっていろんな給付やなんやらね、しっかり勉強させてもらって制度というものを分かってたんで、そういう意味での総務というのか理解をいただいててやりやすかった、という配慮をいただいていたという形ですね仕事は。
岸田 じゃあ休ませてもらえたし。
古川 そうそう、普段から治療をやっていることも上長に相談しながら、プラス健康保険組合とか産業医さんとかというのも相談しながらやってたので、例えば自家移植で休職したときなんかも割と復職するときはスムーズにいけた感じですね。こういう制度があるからこんなのも活用しいやとかいうのは分かってたんで、割とスムーズにいけたと思います。だからこれなかなか、一般の仕事ではなかなか分かりにくいんですけど、そういうこともまたそういう情報もですね、病気された方は特にそういう情報もちょっとそういう総務系の方に聞いてみるとかいうのをされたらどうかなと思ったりしてますね。
岸田 ぜひ総務系の方にもだったり人事の方だったり聞いてみる。
古川 人事労務とかね。
岸田 モトさんはこの治療経過観察終わってから、また治療入った時にも仕事をあれですかね、定年退職され60歳の時ってこと?
古川 そうそう治療を開始して、最初始まった頃やな、そうそう始まった頃から。
岸田 定年退職されて。
古川 でもその後一旦社員じゃないですけども。
岸田 再雇用みたいな形で。
古川 再雇用の形で65まで。
岸田 えっ、65まで?
古川 間近まで。
岸田 じゃあこの時ずっと再雇用で仕事してるってこと?
古川 そうですよ。
岸田 ええっ!???
古川 気持ちはハイじゃないですけどね。その間もだから職場の人には迷惑をかけたりしてるんですけど、それは仕方ない。やっぱり体調のことを考えていただいて。
岸田 この時は仕事されてたんですね。で、65になったらここら辺で、まぁあの今はあの卒業されているわけですね。そっか、いや〜そうなんや。
古川 つらい時ですよ。
岸田 いや、そうですよね。
古川 ほんまにつらい時です。
岸田 職場の人の理解もありつつ、できるところを仕事を出勤したりとかして仕事をしてということですね。
古川 休み休み、治療をね、通院もしないといけないですね。休みを取ったりしないといけないですけど、それもちょっと理解いただいてたり。なかなかね、普通の職場では難しいかもしれないですけど。
岸田 モトさんのところは理解があったということですね。
古川 そういう意味では周りの皆さんに、病院の先生含めて家族で会社の皆さん、もうなんかうまいことどうですか、助けてもらってるじゃないんですけど、もう感謝しかないですわ。
1錠4万円、点滴1回40万円——それでも自己負担を抑えられた制度の話
岸田 そういう、ありがとうございます。そんな中でなんですけれども、次こちら、お金や保険のこと。民間の保険入られてたかだったりだとか、あとお金どう工面したかだったりだとかそういったところをお伺いしたいなということを思っております。
古川 基本的にこうなって治療がこうやからって困ったことはないんですけど、一応治療に関しては当然ながら高額医療とかいうのがあるんでそれを活用してやっていくんですけど。あとは保険の方はですね、生命保険がん保険ありましたのでそれを活用させてもらいました。一応治療、入院とかそういうものは出るのかな、昔の古い時からのがん保険なんで。最近はいろんな保険がありますけど、一応入院した時でも何でも出てるんで一応負担はなかったかなと思ってます、給付があったんで。
岸田 じゃあ治療費と相殺されてる感じですね?民間の保険で。
古川 そうですそうです。あとは普段の高額医療のね、それだけはちょっと負担になりますけどね、毎月のね。それぐらいですね。
岸田 しかも、あれ退職されてっていうか、された後ってどうなるんですか?保険とかそういったところ、民間じゃない方の。
古川 普通の健康保険とか一応定年の再雇用でも同じなんですよ。だからその間も同じ制度を使えるということになるんで、給付ももらえるしっていう形になるのでそんなにそこは心配してなかったです。
岸田 今は?今もう再雇用終わってますよね?
古川 終わってるけど、これも今も前の健康保険組み合わせて、それ2年継続できるんですけど、もう今年で終わりなんですけどね。終わりなんですけど、それを活用してたんで、例えば高額医療であれしても給付が必ずあるんです。自己負担がなんぼ以下というふうになるように返してくれるんです。だから、なんぼ高額医療払いますけどもさらに給付で返してくれるっていうのがあるんで、だからそこは良かったと思っています。国民健康保険そういうのはないので、ちょっと今後はどうしようかなと。
岸田 今後の課題ということですね。
古川 思いながらね。ただ、まださらに健康保険を継続するとなったら負担金がちょっと上がっちゃうんで、それもありながらちょっと今そこは検討しているというところですね。だからそういう意味で、どんどん会社の組合、健康保険とか活用できるんだったらできるだけ活用してもらうのもいいかなと思ったりしています。
岸田 ちなみにもうざっくりでいいんですけど、今トータルで治療費ってどれぐらいかかってるんですか?結構だって道のり長いですよね?
古川 年間60万〜100万ぐらい。
岸田 年間60万〜100万ぐらい。
古川 かかってると思います。
岸田 まあまあそんな…。
古川 あれなんですけど、変動はありますけど実際の費用はね、そんなの関係なしに実際どんだけか、一番最初に記憶残っているのは最初初めて治療した時の1年間はね、1700万円ぐらいでした医療費が(苦笑)まあ高額医療で。
岸田 まあ戻ってきますけどね、全額払ったらってことですね。
古川 すごい世界やな〜と思いました。こういう初めてのね、あれですけど、皆さんもっとひどい方もおられると思うんですけど、ある意味でこういう世界なんやな、薬1個注射したら50万円とか点滴1回やったら40万円とかすごい世界だな。1錠の飲み薬でも4万円とかね、それを20日間続けるとかすごい世界やなっていうのを初めて知りました。まあまあ皆さんご存知だと思うんですけどね、こんな話じゃないですか。ただこういう世界なんやな、今本当に。これからいろいろそういうので病気の人の話をいう方なんかもね、そういうのちょっとそういうところを考えていただいて、費用かからないように考えていただくことも一つあるかなと思っています。
岸田 今後の日本の医療費、一番は効くやつがベストっていうところあります、もちろん。そういう高額療養制度もね、今ね、揺れてますからね。
古川 本当にびっくりしましたね。
岸田 負担がね。今後どうなっていくのかというところも考えていかないといけないなということも思います。ありがとうございます。
約1年間、味がしなかった——治験中の味覚喪失が一番つらかった
岸田 そして、はい、次こちら、つらかったことといたしまして、これが一番つらかったなってところを教えてください。
古川 やっぱり副作用かな…。副作用で味が全く、治験の話ですけど、約1年間味に悩まされたというか、あれが強かったと思いますね。他のいろんな副作用ありますけど、やっぱり人間って食べるね、ああいう三欲の一つでありますからね、食欲。それをどうしても落とされるとやっぱり落ち込んでしまいます。これどんだけ我慢したらいいんだろうって思いながら本当につらかったというのは記憶に残ってますね。今となってはの話ですけどね。
岸田 それを当時はどう乗り越えるんですか?
古川 これもね、もういっぱい調べました。調べたというかセミナーとかそういう味覚障害のセミナーとかいうのもあったりして、どんどんそういうのを聞いたりセミナーに参加したりいうので、そういう専門の方おられますからね、味覚障害のそういうのも聞いたりして。どういうふうにしていくのかというと、まずは食べれる・食べれないいう分析から始まって、そういうのをやりながら食べれるものは食べれる。普通の食べ方じゃダメなんですよ、食べれるのはね。当然ながら味がないんで、そんなもうしないからもうええわ、こんなんいらんわってなっちゃうので、本当に少量で食べれるものを少量で区分けして、ちょっとずつ食べれる時に食べるっていうようなやり方があるんですね。そういうのも知っておいていただいたら、味覚障害の方も結構おられるんで参考になるので、食べれるものをまず多く食べない、食べれる分だけ食べるというふうなことも参考にしていただけたらいいかな。本当にあれ苦労しましたわ。一番苦労したのは嫁さんですわ。
岸田 何も何やっても食べれないから?
古川 そうそう、何を出しても、いやこんなの食べられへんっていうのがずっと続いたんでね。
岸田 (奥さま)苦労しましたか?すごい苦労したみたい…。
古川 ちょっとね、そんなん言うたらせっかくね、料理作ってくれてるからね、やっぱりそういうこと言ったらダメなんでしょうけど。でもやっぱり我慢できないものは我慢できひんしいうのがあるんで。だからね、それよく耐えてくれたと思いますわ、そういうね。そういう中でも、そういう人間の身体への味蕾細胞が再生して分かるようになってくるのは僕は初めて分かったんで、人間の身体ってそういうふうに再生能力持ってるんやねということもね、改めて分かったんでね、今回は。諦めないということですね。
自分の病気を自分で知る——情報収集が治療と向き合う力になった
岸田 ありがとうございます、諦めないということですね。そして工夫したことといたしまして、治療中・入院中、なんかありますか?
古川 病気になって、やっぱりいろんな病気の情報いうのをね、しっかり自分でおさえたい。勉強するわけじゃないけど、自分の病気ってどういうものなんやいうのをしっかり自分自身で自覚することも必要ですので、そういった正しい情報をしっかり得ると言いますかね、そういうことも大事ではないかと。治療への関心をどんどん高めていただくということに結びつけていただくというのをちょっと工夫したりしています。
病気になって変わったこと——体力づくりと記録、そして諦めない心
岸田 ありがとうございます。そしてその工夫したことの後にこちら、変わったこと。がんになる前と後で意識が変わったとかこういうことするようになったとか、そういったものがあれば教えてください。
古川 いろんな経験をしてきて皆さんに、私の意識も変わった、行動も変わってきたというのがあるんですけども、そういう中で健康な時は何も思わないんですけども、やっぱり体力作りとかそういうものを意識して。どうですかね、やっぱり治療をやりだすとどうしても体力が落ちたりとかメンタル面で落ちたりしますので、そういうのをできるだけ余計に落ち込まないようにするためにもしっかりと体力作りをする。
これは当然ながら治療をやるといろんな意味でできない方もおられますので、もちろんそういう方は無理をせずにですね、体が動かせる方を中心に無理をせずにできれば体を動かしてもらいたいなと思っています。それをつけることによって、治療の時にもですね、しっかりと治療に対する体力をつくっていうか治療に対しても対処できる形の体になったりもするので、そういう意味でしっかり無理せずにできる範囲で体を動かしてもらう。思うだけじゃなくてちょっと行動に出してもらう。
私の場合は毎日簡単なんですけど、歩くだけですけどもウォーキングをやったりして、これ全然違いますわ。今となってかなりやってるんですけど、やっぱりね、ちょっとしたそういうことですけど、入院にした時とか含めてね、やっぱり体力が落ちていくんで。やっぱり歩いてる、歩いてそういうのを維持してこういうのが非常に大事かなと感じてます。
それ以外にも、自分の体を記録して記録を取るという、変化点を見つける、普段から自分の管理をするというところもぜひやってほしいなと思ったりもしています。それによって変化点が、治療によって感じる変化が分かるので、それに対する対処もいろんな意味で相談したりとかできるので、そういうこともぜひセルフメディケーションですかね、そういうのをやっていただきたいなと思っています。
もう一つは、本当に諦めない気持ちということで。これはもうさっきからずっと言っている内容ですけど、この病気がやっぱり長期、今はまだ新しい治療薬もどんどん出てきているという過渡期の状態なんですけども、そういった中で本当に諦めずにね、きっと治る薬が出てくると信じて今を頑張っていきたい。頑張っていくというかね、諦めずに皆さん、大体普通はもうええわこんなの、どうせ治れへんのやろとかいうふうになっちゃうんですけど。そうじゃなくて病気だからといってやりたいことをしないようなこともないんですけど、できるだけそういうやりたいこともやりたいし、病気であってもそれを維持しながら長期の治療をやりながらでもやっていきたいので、まずはその長期治療に対して頑張って新しい薬がどんどん出てきているのでとにかく頑張りましょうと。そこである程度維持できたら、次はやりたいことというものもちょっとやってみましょうよというふうに気持ちを切り替えていただきたいなと思っています。そういう変化というか変わったこと、気持ちが変わってきましたね。
岸田 変わってきたことね。
古川 すみません、うまく話せなくて。
岸田 いやいやモトさん、めちゃくちゃ準備してきてくださってね、本当にありがとうございます。いやいや、もう。言いたいことは全部お伝えしましょう!いやいや本当に。
古川 すみません。
岸田 全然全然。もうこの中でもどれか一つでも見てる方が。
古川 そうですそうです。
岸田 それぞれ一つで刺さったら。
古川 そういえばこんなのやってないなとか、お医者さんと相談するときやっぱり普段の健康管理じゃないけど記録いうのも必要なんやなというようなことをちょっとでも分かってもらえたらね、いいんかなと思ったりします。
経験を次の一歩に変えたい——これから治療を始める方へ向けて
岸田 ありがとうございます。そしてですね、もう終盤になってまいりました。今後の夢や目標、今後こうしていきたいなとかそういったものっていうのはモトさんの中でどうですか?
古川 基本年も年なんで、若い方で同じ病気の方もおられますけど、私の場合はある程度いい年来ちゃったんで、せっかくこういった機会をいただいたのでできれば自分の経験なりメンタルを含めてそういう経験を。これから治療を開始しようとしている方とかどうしてもこういうのはちょっとあれな方のために経験とかそういうものは聞いてもらった上で、こうなんやなとかちょっと気持ちを切り替えてもらえるようなことができたらいいかなというふうに思ってます。
岸田 本当にね、多発性骨髄腫の情報とか経験談とかめちゃくちゃ少ないんですよね。
古川 私もだからこれ見て、この病気のあれ(体験談)ないなと思って。ひょっとしたらやっぱりこういう情報もしっかり皆さんにお知らせしないとと思ったようにしています。
治療しながらでも、楽しんでいい——古川さんから、長期治療を続けるすべての方へ

岸田 ぜひよろしくお願いします。それでは、ここから最後メッセージに移っていきたいと思います。
古川 私からのメッセージですけども、一人で悩まずしっかり相談、そして治療しながらでも今を楽しみましょうということですね。要するに病気になってですね、やっぱりいろんな不安やら悩みやらいろんなことが出てきます。これは病気されてるから当然なんですけども、そういう中でですね、やっぱりどうしても気持ちがネガティブになってしまいますし、逆に落ち込んでしまう、メンタルも落ち込んでしまういうことで、逆の効果、逆に病気を悪い方向へもっていってしまうようなことになるんですけど。そうじゃなくて、本当に一人で悩まず、いろんな周りの方がおられますのでぜひ相談してもらう。当然主治医、医者、医療関係の方含めてですけど、相談していただくとということが大事かと思います。
私の場合もこの治療をやりだしてですね、これってどういうふうに始めてどんな治療でこんな移植ってどんなふうにやっていくんやろ、全く分からないすごく不安な状態になったんですよね。そういった中でですね、同じ病気の先輩いうたら怒られるんですけども、そういった方々からのアドバイス、これはほんまに気持ちが安らぎました。こういう時はこうしてこんな場合もあるけどこうだよというようなことで、いろんなね、心を柔らかくしてくれるというか、悩んでいることをちょっとでも飛ばしてくれるというか、そういうね、周りにたくさんおられると思います。
だから本当に悩まずにしっかりいろんな方遠慮せずに相談していただいたら、医療関係者はもちろんですけど、こういった同じ病気の方を含めてですね、別に病気が違ってもいろんな治療いうのはありますけど。そういう中でも気持ちいうのはしっかり通じるものがありますので、そういうのもね、どんどんいろんな方に悩みを打ち明けてもらうというか、そうすることによって和らぐんじゃないかなと思っています。
そういう中にもですね、治療をしていく中にも治療していかなきゃゃいけないんですけども、しっかりでもやりたいことはやりたいよね、落ち込むだけじゃなくて今やりたいことを楽しむ気持ちもちゃんと思って治療も進めたいな。私たちのこの病気は特に治らない完治できないことが多いので、そこはもう気持ちを切り替えてですね、でももう今治療は治療ということで、やりたいこともしっかり楽しみたいなという気持ちを切り替えてどんどんやっていっていただきたいなと思っています。本当に病気になったからといって楽しむことを諦めるんじゃなく、健康の時にやってたようなことでもいいんで、少しでも気持ちをハイに前向きに向けているような気持ちに切り替えてですね、今を楽しみたいなと思っています。
私もこれからまだまだ続くと思ってますので、いろんな楽しみ方はありますけど、一番メンタル向上できるものとかそういうものを含めて向上できたらいいなと思ってますので、どうか皆さん一緒にそういうのを気持ち切り替えてやっていきましょう!というふうに申し上げたいと思います。すみません、ちょっとうまく話せなくて申し訳です。
岸田 お疲れ様でした!ありがとうございました!様々な人に相談するっていうことだったりだとか、あとね、今を楽しむという大切なお言葉いただきましてありがとうございます。そんなモトさん、これにてがんノート終わっていくんですけれども、いつも見てくださっている側でコメントくださったりとかしていて、今日は出る側の立場でということでしたけれども、いかがでしたか?
古川 こういうの初めていうこともあるので、すごく緊張して本当にすみません、思いが伝わったかどうかちょっと分からないですけど、そういうのでちょっとでも参考にしていただければと思っています。まあちょっと本当に緊張しています(笑)どんどん、同じ病気の方もなかなか少ないので、できたら本当に同じ病気の方なんかもね、遠慮せずに(がんノート)出ていただいたらなと思っています。
岸田 ありがとうございます。本当にもうなんか本当に緊張されていて今日の朝もめちゃくちゃ早く起きられてっていうふうな形でね、本当に。
古川 (出演者)皆さんどうされてるのかなって思ってしまいますけどね。
岸田 ありがとうございます。しっかり情報だったり思いが伝わったと思います。本当にありがとうございます。これにてがんノート終了していきたいと思います!今日はですね、最後になりますけど大阪からお届けしておりました。またね、次の動画でまたお会いできたらと思います。それでは皆さんバイバイ〜。
古川 ありがとうございます!
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