目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- お金・活用した制度テキスト / 動画
- 大変だったこと→乗り越えた方法テキスト / 動画
- がんの体験から学んだことテキスト / 動画
※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。
インタビュアー:岸田 / ゲスト:高橋
小学6年生で告知——医療ソーシャルワーカーが語る、急性リンパ性白血病との16年

岸田 それでは、がんノートminiスタートしていきたいと思っております。きょうのゲストは、高橋真依さんです。よろしくお願いします。
高橋 お願いします。
岸田 お願いいたします。真依さんですね。真依さん、早速なんですけど、真依さんの自己紹介のプロフィールをいただいております。こちらになります。高橋真依さん、京都のご出身で、今、愛知県に住んでいらっしゃいます。医療ソーシャルワーカーかをされていて、趣味がお菓子作り、料理、カメラという形で。これだけ見たら、家庭的な、そして、カメラを持って外に出て、アクティブな女子みたいな、理想系な感じなんですけども。お菓子作り、どういうお菓子を作られるんですか、真依さん。
高橋 お菓子は、ケーキ作ったりとかクッキー作ったりとかするのが好きです。
岸田 ケーキとかクッキーとか。得意料理は?
高橋 得意料理は、肉じゃがとか作るの好きです。
岸田 男子の作ってほしいものを全部制覇している感じの真依さんですけれども。真依さんのがんの種類、急性リンパ性白血病。そして、ステージがハイリスクという形になっております。血液の病気って、特にステージとかないですけれども、リスク分類でされてるんですよね、真依さん。
高橋 そうですね。発症した年齢とかによって変わってくるみたいなんですけど、ハイリスク区分で治療を受けたみたいです。
岸田 告知年齢は11歳ということで、小児の段階のときだったということで、今は27歳という形になっております。
治療法は、薬物療法をされていたという形でございます。
上がって、下がって、また上がって——晩期合併症・仕事・恋愛、がんと歩んだ16年間のリアルな軌跡

岸田 そんな真依さんの、どういう、小学校の6年生から今に至るまで、どのような経験をされてきたのか、それをペイシェントジャーニーという形でいただいておりますので、こちらになります。ペイシェントジャーニー、真依さんの。結構、紆余曲折ありますね。ここのね。
高橋 そうですね。
岸田 本当に上がって下がって、上がって下がってという形で、これはどうやってやっていたのか、そこをお伺いしていきたいということを思っております。ではまず、高橋さんの最初のところ、どういったところ、小学生のときだと思うんですけれども、まずこちら。小学6年生というところで、小学校6年生、このときは、6年生、修学旅行行ったりだとか、そういったところをされるような、そんな時期ですよね。
高橋 そうですね。最高学年なんで思い出つくろうかなっていうような、ちょっと楽しみな時期ですね。
岸田 楽しみな時期、そこから、だんだん下がっていくんです。何があったのかというと、ここで、頭と左耳の後ろにできものがあって、そこから真依さんは、皮膚科から小児科医、そして、リンパ腫の白血病の診断を受けていくという流れに、だんだん下がっていくんですけれども。頭と左耳の後ろにできものが、というのがあったんですけど、これは、このときに気になったという感じなんですか。
高橋 そうですね。前からあったんですけど、特に痛みとか何もなかったのでずっと放ってたんですけど。大きくなる感じがしたので、取りあえず近くの皮膚科に行ってみようというので行って。そこでは分からないからといって、大学病院の皮膚科を受診して、手術をして取って、細胞診を出したというような感じですね。
岸田 このときに、皮膚科から小児科医へっていったところで言われるってことは、もう悪性なものっていうふうな診断だったってことですよね。
高橋 そうですね。先生も、最初、手術するときは、多分、悪性のものじゃないけど大きくなったら傷口が大きくなるから今のうちに取っとこうかっていうぐらいだったんですけど。取って1週間後、抜糸で病院にもう一回行ったときに病理の結果が出てて、怪しいっていうので。ただ、皮膚科から小児科に行くのも初めてのケースだったので、取りあえず皮膚科回ってって言われて、そのまま行きました。
岸田 行ったと。そして、大きな病院に行って、細胞診をしていって、急性リンパ性白血病が診断を下っていくということになるんですけども。どうでした? このとき、まだ、小学校6年生のときだよね。どうなんですか。病院の先生から直接、あなたは白血病ですよって言われたんですか。
高橋 いろいろ検査入院して、まず白血病って分かったときに、両親にまず説明があって。お子さんに言いますかって、先生が私の両親に聞いてくれて。両親は、6年生だから隠して治療を頑張ることはできないから、言ってくださいって言ったみたいで。先生から、看護師さんとか両親とかいるときに、真依ちゃんはこういう病気でねっていうような説明を受けて。だから、今からこういう治療しないといけなくて、治療したらこういうようなことが起こるかもしれないっていうような副作用のこととかもいろいろ聞きました。
岸田 どうです? 幼いながら全部、理解度的には理解した感じっていうのもね。親御さんが、子どもに、小学校6年生だとどれくらいの理解度なんだろうとかっていうのがあったと思うんですけど。真依さん的にどうでした?
高橋 そうですね。がんっていうのが、あんまり自分の身の回りにもいなかったし、友達ががんになっているということもなかったので、自分ががんだよって言われてもイメージが湧かなかったんですけど。薬を入れたら髪の毛が抜けて気持ち悪くなってとかっていうような説明を受けると、怖さだけが出てきて。がんに対するっていうよりかは、よく分からない怖さみたいなのはありました。
岸田 よく分からない怖さ。その中で、けど、治療していかないといけないといった中で、怖いながらもしていくっていう感じですかね。
高橋 そうです。やらないっていう選択肢が、小児の場合ないというか。やらざるを得ないので、頑張らないといけないなっていう感じですね。
岸田 そうなんですね。そんな、やらないといけないという形で、この治療をしていきます。当時の真依さんの治療。薬物療法で、めちゃくちゃいっぱい、お薬のこと書いているんですけれども。これ、全部やったんですか、真依さん。
高橋 全部、点滴と飲み薬とか、注射とか、いろいろ合わせて。最初、寛解導入療法っていうので大量の抗がん剤を入れて、そこでまず白血病細胞がゼロになったら、また次のステージにっていうようになるんですけど。私が受けたときは、まだ15年ぐらい前なので、そのときにその病院でやってた、一応、最前線の治療みたいなのを受けてたので、今とまたちょっと違うと思うんですけど。私はこんな感じの治療を、入院で7カ月ぐらいやって。あと、外来で1年半ぐらいやりました
岸田 約2年をかけて治療をしてきたんですね。これを見てる皆さまには、今の治療法と、恐らく変わっているところがあると思いますので、今の治療に関しては、主治医の方に、ぜひ質問してもらえたらなということを思っております。そのとき、こんだけ治療をして、結構、入院生活、そして、その後の外来での治療、大変じゃなかったですか、幼いながらに。
高橋 そうですね。入院中は、取りあえず、毎日その日を生きるのが必死っていう感じで。起こる症状に対して、取りあえず何とか頑張るっていうような感じだったんですけど。外来では一応、中学校に通いながら病院に通院して、抗がん剤、朝から入れて、学校行って、また戻って入れてみたいな感じのことをしてました。
岸田 すげえな。学校との両立とかもしていって。そんな中、だんだん上がっていくというところがあります。なんで上がっていくのか。こちらですね。誕生日を受けて、そしてその後、卒業式終わって、その後、学校でパーティーだということで。ちょっとパーティーピーポーな高橋さんっていうことで。まず誕生日といったところ、どういったことがあったんですか。
高橋 12歳の誕生日は病院で迎えたんですけど、そのときに、朝から先生と看護師さんたちが歌を歌って病室に来てくれて。メッセージ付きのフォトブックを、先生たちとか看護師さんたちから集めたものを一冊のブックにしてくださって。それを見たときに、本当にうれしくって。忙しいのも知ってるから、忙しい中、こんなのを作ってくださったんだっていうのがすごくうれしくって。私もこういう人たちになりたいと思って。そのときに、看護師になりたいなって思いました。
岸田 このときに、忙しいながらも誕生日を祝ってくれた経験を基に、自分も看護師になりたいと思ったのがこのときだったってことですね。
高橋 そうですね。患者さんのことを一番に考えて、喜ぶようなことをしてあげられるような看護師さんになりたいなって思いました。
岸田 すてき。そしてその後、卒業式。卒業式というのは?
高橋 私は、一応、いろいろ入退院とか繰り返して、最後、1月、2月に、元の小学校に転校して、支援学校の分校に、院内学級に行ったんですけど。元の小学校に戻ることができて、そこで卒業式に出るっていうのが自分の目標だったので、みんなと一緒に卒業式に出れたっていう感じですね。
岸田、それ、うれしいですよね、みんなと一緒に卒業式出れて。そして、学校でパーティー。これは、どういう理由でした?
高橋 中学2年生の秋に、外来での治療が終わったんですけど。そのときに、朝、病院行って、治療が最後入れ終わって学校に行ったら、クラスのみんなが部屋飾り付けして、先生がちょっとゼリーとか用意してくれて。みんなで合唱コンクールで練習してる歌を歌ってくれて、よく頑張ったねって言ってお祝いしてくれました。
岸田 すごい。それ、うれしいね。そっか、ごめん。完全に、真依さんが自分でパーティーを開いて、いけいけーみたいな感じにやってるのを勝手にイメージしたけど、全然現実は、もっとピュアでもっとすてきな感じのパーティーだったということです。そんなパーティーをやっていたのもつかの間というか、そっからどーんと下がっていくんですよね。真依さんの紆余曲折、第2弾。こちらになります。何これ。突発性大腿骨、大腿骨頭壊死症診断。合ってる?
高橋 はい。私、治療でステロイドを使ってた関係で。もともと特に痛みとかもなかったんですけど、私のおじいちゃんが、真依の足の動き方がおかしいって言い出して。1回整形で見てもらったほうがいいって言って、小児科の先生に相談して。同じ病院の中で整形外科に回してもらって、MRIとか撮ったら、両方の股関節の骨頭の部分が壊死してしまってるということが分かって。そこからは、また一切運動できない、いろいろ重いもの持っちゃいけないというような、また運動制限がかかってしまって。やっとみんなと同じことができると思ったら、またできなくなって。ちょうど体育祭の前だったので、一切やっちゃいけないという感じになって。
岸田 そうか。それはショックですね。
高橋。 そうですね。治療方針が、痛みが出たら手術して人工の骨頭と取り換えるしかないので、今入れちゃうと何回もこの先入れ替えないといけないから、取りあえず、入れ替えるまでの間を長くしようということで保存療法っていう感じになりました。
岸田 そうか。保存療法。保存療法ってどういうこと?
高橋 今、私の足、股関節両方が3分の1かぐらい壊死してしまってて、歪な形になってるんですけど。その状態で、取りあえずうまく付き合っていくっていう。痛みが出たら手術するっていう感じですね。
岸田 今のとこ、手術は?
高橋 してなくて。取りあえず痛みが出ないように、できるだけ運動して筋力付けてとかを
やってます。
岸田 そうなのか。そういう晩期合体症でそういうこともあったりするということなんですね。そこから上がっていきます。何があったのか。こちらです。上がっていくっていっても、バセドー病にもなってるんですか、真依さん。
高橋 そうです。私、高校3年生のときに、自転車でこけて救急搬送されたんですけど。
岸田 やんちゃですね。
高橋 そのちょっと前に、母が私の目がちょっと突出してる気がするって言って、バセドーじゃないかっていうのを言い出して。ちょうど小児科の先生に相談したから、検査をしてもらう予約を入れてたときぐらいに、ちょうど学校の帰りに自転車でこけて病院に運ばれて。
あごを折っちゃったので手術しないといけないって言われたんですけど、ちょうど甲状腺の値を検査してた日だったので、採血で。見たらすごい値が高くって。これは、全身麻酔がかけれないっていって、バセドー病の診断という感じだったんですけど。甲状腺クリーゼになる可能性があるから全身麻酔かけれないし、局所麻酔でできるだけのあごの手術をしましょうっていうことになって。
岸田 やばい。がん以外に、めっちゃあり過ぎる。バセドー病ってどんな病気なんですか、知らない方に。
高橋 バセドー病は、簡単に言うと、ずっと全速力で走ってるみたいな感じで。ずっと動悸がしたりとか汗かいたりとかっていう、すごい活動的になっちゃうんですけど。それでしんどくなったりとかっていうのがあるので、基本的お薬を飲んで抑えるか、甲状腺自体を手術で取ってしまうかっていう治療法がある。
岸田 真依さんの場合、どういう治療法を採ったんですか。
高橋 私の場合は、最初ずっと薬物でやってたんですけど、また、結構長期戦かなということになったので、20歳の成人式終わって、甲状腺を3分の2取りました。
岸田 3分の2取った。
高橋 今は、足らない分を補充してるって、ホルモン剤を飲んでます。
岸田 そうなんですね。ありがとうございます。バセドー病、診断を受けて。そしてその後、幸いにも上がっていっている。それは何かというと、こちらになります。献血のPR活動と映画出演。すごいですね、真依さん。
高橋 大学生に入って、大学に献血バスが来てたんですけど。友達が献血しに行こうって言ってくれて。私は輸血したことがあるから献血ができないので、付き添いで行ったんですけど。献血バスのおじさんに、私、輸血したことあるから献血できないんですって話をしたら、
そういう、ありがとう活動みたいなのをしてくれない?って言われて。だから、それがきっかけで県日本赤十字車のほうと、いろいろ活動することになって。映画のほうは、知り合いの方から、ドキュメンタリーがなんですけど声掛けていただいて家族で出ました。
岸田 すごい。何という映画なんですか。
高橋 『四つの空 いのちにありがとう』っていう映画なんですけど。4家族が出てくるお話です。
岸田 ありがとうございます。ぜひチェックしたいと思います。その後、甲状腺亜全摘手術ということで、これは、真依さん、さっき言った3分の2の。
高橋 そうですね。
岸田 取ったということですよね。ちなみに、なぜこのときにすぐ取らなかったかっていうと、看護師にといったところと関係があるということを伺っているんですけれども。
高橋 そうですね。これが大学2年生の1月とか2月なんですけど。大学3回生から、看護学科ってずっと実習に行かないといけないので、ずっとお茶を飲んだりとか、ずっとしんどい状況で実習に行ったら、これはしんどいなっていうのと。足が悪いっていうのがもともとあったので、少しでも同級生と足並みそろえたいっていう自分の思いがあって、この時期に手術しようと思いました。
岸田 ありがとうございます。看護師にということで、ここで看護師になれたということですね。
高橋 はい。
岸田 誕生日のときに祝ってもらって、看護師になろうということを決意して、そしてようやく看護師になった。ただ、そっから怖いんですけど、めちゃくちゃ下がっているのは、こちらです。看護師を諦めろと言われる。どういうこと? 誰にどう言われたんですか。
高橋 もともと体力もなかったですのでみんなと同じように働いたら、どうしても無理が出てきて。ちょっと階段から別件で落ちちゃったんですけど。そのときに、足のじん帯を損傷して。病棟は忙しいから、ちょっとでもできることでやってっていうような感じで言われて、出勤もしてたんですけど。このまま続けたら自分の体が駄目になるなと思って。師長さんとかにもいろいろ相談はしたんですけど。もともとそういう病気があるんだったら、多分、私のこと思ってなんですけど、ちょっと看護師は諦めたほうがいいんじゃないっていうようなこと言われて。看護師になりたいって最初言っときに、当時の看護師たちがみんな、いい看護師さんなれるよって言ってたのに、いざなったら、なんでそんなこと言うんだろうと思って。そのときにすごいショックでした。
岸田 そうね。いろいろ考えるよね、確かにね。けど、そう言われたら、へこむよね、やっぱね。
高橋 そうですね。言ってること違うやんって思いました。
岸田 ほんまにそうやわ。そこから、言われた後、真依さんはどうしたんですか。
高橋 私が勤めてた病院で、小児科の専門のがん専門員さんがいて、その方とずっと、いろいろあったときからお話ししてたんですけど。良い悪いとかじゃなくて、全部私の話を取りあえず聞いてくださって、よく頑張ってるねっていつもほめてくださって。多分、専門家としていろんな意見はあるけど、取りあえず私の話を全部受け止めてくださったのがすごいうれしくって。私もその人みたいになりたいと思って。看護師とか職業ではなくて、私もそういう存在になりたいな、小児がんを経験した子たちとかのために何かできることないかなと思ったときに、これがやりたいって思って。その方に、何の資格を取ったらその仕事できますかって聞いたら、私、社会福祉士持ってるよって言われて。じゃあ、それ取りにいきますって言って、通信で社会福祉士の専門学校に入りました。
岸田 それが、ここの上がっていくところになるんですね。こちら。社会福祉士の勉強を開始していくということで。そういう出会いって大事ですよね。
高橋 そうですね。前を向くきっかけになった出会いだったなと思います。
岸田 そんな中、手術部へ移動ということで。看護師を続けていらっしゃる中で、手術部へ移動。こちらはどういうことですか。
高橋 病棟で働いてて。病棟だったら不規則勤務だし、患者さんの介助とかもあるから、手術部でできる範囲の手術に就かせてかせていただいて、できることやってっていうふうに病院のほうで配慮していただいて。そこの師長さんが、できること頑張ったらいいからねって言ってくださって。先輩も、私が患者さんとお話するのが好きだから、問診取るところにおいてくださったりとか、私の好きなこと、やりたいことができるように、すごいみんなでサポートしてくださったじゃないですけど、すごくいい環境だったなって思います。
岸田 よかったね。そういうところにも就かせてもらったっていうことですね。
高橋 そうですね。
岸田 そして、また下がっていくの嫌やねんけど。次、こんな感じになってます。彼氏とけんか。ようやく痴話話が出てきた。そんなことないですけれども、彼氏とけんか、これはどういうことでしょうか。
高橋 私が手術部に異動して。1年働いて、2年間、その大学病院で看護師をして辞めたんですけど。そこで新たな道に進もうと思ってて。出会った方と付き合ってたんですけど、もともとがんを経験してたような方を結婚相手に選ぶことはできないっていうふうに言われて。本人も、最初に病気のことを言って分かって付き合ってもらったんですけど。結局、ご両親とかもあんまりよく思ってらっしゃらなくて。それを言われたときに、私は、なんでそんなこと言われないといけないんだろう、自分にとって別にがんが全部じゃないのになっていうのは思ったんですけど。
でも、よく考えたら、私が逆の立場になることはできないので。もし私がすごい元気で、そういう病気の人と付き合いますかって言われたら、はいって即答、多分できないと思うから。そのときは、なんでそんなこと言うんだろうってすっごい思ったんですけど、よく考えると、私自身、逆の立場だったら分かんないなっていうのも思いましたし。病気じゃなかったらよかったのにって言われたんですよ、私が。でも、病気じゃなかったら、多分、今の私ではないので。病気じゃない私、イコール私じゃないんだなっていうふうに思えたので。そこですごいこう立ち直れたというか。私じゃなかっただけやなっていうふうに、そのとき思いました。
岸田 ていうか、あれやろう? だって、付き合うときには、がんだということはちゃんと言ってるんでしょう?
高橋 言ってます。
岸田 いやいやっていう話ですよね。
高橋 そうですね。その人だけが悪いわけじゃないので。自分は逆の立場になれないから、何とも言えないなっていうのは思いました。
岸田 達観し過ぎてる。何とも言えへんな、そこなあ。俺は、ちゃんとそこまでしっかり付き合うっていう、そういうことやろうっていうこともいろいろ思うけど。もっと、そういう意味でも、社会的なだったり、親御さんも含めてちゃんとした理解とかへ進んでいくといいですよね、本当ね。
高橋 はい。
岸田 すごくもやもやっとしつつ、次に。その次、こちらになります。講演活動開始していき、そして、社会福祉合格、名古屋へということになっていきます。こちら、講演活動開始して、そして、社会福祉合格、名古屋へと。こちらについて、お伺いいただけますでしょうか。
高橋 講演活動は、大学に入ってからほそぼそとずっといろいろやってたんですけど。社会福祉士との勉強と合わせてお仕事をしてたので、常勤ではなかったこともあって、いろいろ講演活動とかの機会をいただいて、学校であったりとかいろんなところでお話しさせていただいたんですけれども。そのときに、自分のことを客観的に見て見つめ直すことで、さっきのお付き合いしてた方の件もそうですし、病気がなかったら今の自分じゃないなっていうふうなことも思えたので。それを通していろいろ学んだっていうか、自己整理ができたなって思うのと。
社会福祉士の国家試験合格して、AYA世代のこととか、小児がんの子たちのこと何かしたいと思って。今いる病院にご縁があって、入職させてもらいました。
岸田 おめでとうございます。
高橋 ありがとうございます。

岸田 そしてその後、こちら。どんと。来ましたね。インスタを開設していくということで。インスタ、これ、どういったことを投稿したりとかしてるんですか、真依さんは。
高橋 講演活動がコロナでできなくなってしまって。何か自分が発信できることないかなって考えてて。私自身、闘病してるときに将来像が全く描けなかったので、闘病期っていうのは結構多分ブログとかでもあると思うので、ドラマとかいろんなことであると思うんですけど。サバイバーの人の話、小児がんを経験した後の今の話っていうのって、あんまり聞かないなっていうふうに思って。そういうことを、自分が今、元気にならせていただいて、その立場でどういう小学校だった、どういう治療だったとかっていうことを、自分の好きな写真っていうか、自分が撮った写真と一緒に講演活動で話してたような内容を、帽子を取るときはどういうふうに取ったよとか、お食事のこと、こうしてたよとか、今、自分はこういう考えですよとか、そういうのを投稿するアカウントを作りましたね。
岸田 今の状況どうなってるかとか、そういったところって情報少ないですよね、真依さん。
高橋 そうですね。その辺りが全然分からなかったので、今、目の前のこととかしか分からなかったので、将来どんなふうになるんだろうなっていうイメージが自分自身できなかったので。そうなれたらいいなと思っています。
岸田 解説していて、そして、最後上がっていきます。こちら。結婚。
高橋 ありがとうございます。
岸田 結婚。本当にもうすごくうれしいんですけれども。こちら、もし答えれる範囲でいいんですけど、どういうことでお付き合いした人と、どう結婚したの。どう結婚って、どういう。
高橋 それも、インスタ、闘病期のアカウントで。私がもともとカメラが好きだったので、病気になってからそのとき見たものとかを残すのがすごい好きで。どっかに行ったら写真撮ってとか、写真撮りに行くっていうのがすごい好きで。それを載せてたんですけど。それに、たまたまいいねを押してくれて、今の旦那さんが。そして、その人をどんな人かなと思ってその人のページを見たら、名古屋でカメラマンをやってる人だったんですけど、すごい優しい写真で、親子写真とか。職業は、ウェディングのカメラマンなんですけど、親子写真とか撮ってるのを見て、この人絶対いい人だろうな、名古屋に行くからカメラのお勧めスポット教えてほしいなと思って、初め、連絡取って。名古屋に来て、ご飯行こうってなって出会いました。
岸田 素晴らしい。よかった、本当に。
高橋 だから、もともと病気のことも全部知った上で会ってくれて。
岸田 そうですね。そういう出会いもある。だから、インスタからのって感じですよね。すごい。そうつながってくねんや。
高橋 闘病アカウントを作ったことで出会えたというか。
岸田 すごい。よかった。さっきのもやもやが晴れた。ありがとうございます。
小児慢性特定疾病、学資保険——知っておきたいお金の備え
岸田 そんな真依さんのペイシェントジャーニー、いろいろお伺いしていきました。こんな感じのペイシェントジャーニー、本当紆余曲折あったと思います、その真依さんが、ちょっとだけ、ゲストエクストラを少しお伺いしていきたいと思います。まず、活用した制度やお金のところっていったところは、小児期だったので小児慢性特定疾病という制度を使われていたりとか。学資学習保険というところで。これは、お母さまが、すごくこれがあって助かったということだったらしいです。

AYA世代が直面する仕事・結婚の壁の越え方
岸田 そして、大変だったことと乗り越えた方法といったところなんですけれども、将来の自分が想像できないということと、病気が理由で仕事と結婚を諦めなければと思ったこと、こちらを患者会への参加だったりとか、先ほどの講演活動などを通して、自分を客観的に、病気を見つめ直したことが乗り越えるきっかけになったということをお伺いしております。こちらについて、真依さん、もう少し詳しくお伺いできませんでしょうか。
高橋 そうですね。毎日生き生きるのが精いっぱいだったので、将来どうなるかとか、髪の毛生えるよって言われても、本当にこんなつるつるなのに生えるんだろうかとか、その辺りがすっごい心配で。情報がなかなかなかったので、当時は患者会に参加するっていう。外へ出ていこうって、友達とつながろうっていうふうにして、乗り越えようと思ったことと。あともう一点は、仕事とか結婚とか、いろいろAYA世代とかって、いろんなイベントがあると思うんですけど。そこで、なんでなんでと思っちゃうと、すごい自分自身つらくなっちゃうだけなので、それを客観的に振り返るきっかけになったのが講演活動だなっていうふうに思っていて。それがあったからこそ乗り越えられたというか、プラスに考えられるようになったんじゃないかなと思ってます。

「命いっぱい生ききること」「できないことは助けてもらう」——闘病が教えてくれた、二つの言葉
岸田 そうね。自分を客観的に見つめ直す、そういう機会が本当、大事だなということを思いますし。本当に、真依さん見てたら、がん以外にも、すごくいろんな闘病をされていたりとかしてるので。本当、強い、すごいな。その中でもしっかり今、生きられていて、すごく見通しになるなということを思っております。そんな真依さんの、こちら、がんの経験から学んだこととして、この言葉をいただいています。命いっぱい生きることと。そして、できないことは助けてもらい、できることで精いっぱい頑張ること。この二つを学んだということですけれども。こちら、それぞれ、真依さん、説明していただけませんでしょうか。

高橋 まず一つ目は、闘病中に友達が亡くなったりとか、そういう場面もたくさんあったので、命に限りがあるんだなっていうことが、小学生ながらに初めてそのときに分かって。それがリアルにすごい感じたので、命には限りがあるから、だからこそ毎日やりたいことやったりとか、ありがとうって伝えたりとか、今ある自分の命を大切に、命いっぱい生き切ることっていうことがすごく大事なんだなっていうことを、がんになって私は学びましたし。がんになって、晩期合併症で足が悪かったりとか、体力がなかったりとか、通院しないといけなかったりとかで、他の方同世代の方よりもできないことっていうのはたくさんあると思うんですけど。でも、できないことを伝えるばっかりじゃなくって、できないことは助けてもらわないといけないんですけど、だからこそできることで精いっぱいお返しするっていう気持ちでいるっていうのも、社会で受け入れてもらう、人に受け入れてもらうために大事なことなのかなっていうふうに思いました。
岸田 ありがとうございます。やっぱり、に自分なりに精いっぱい生きることっていうのは、本当に大事だと思います。それが、精いっぱい生きるっていうのは、人それぞれだと思いますので、それは個人さあるかもしれないですけれども、そういうふうに生きていこうと思いますし、やっぱ本当に助け合いですよね。本当。
高橋 そうですね。
岸田 いろんな人の助けがあって、今、生きているということがあると思うので、真依さんも今できることを精いっぱい頑張るということで、今、医療ソーシャルワーカーとして働かれていて、恐らくいろんな患者さんの相談に乗ったりだとか、そこでいろんな人を助けてくださってるんだろうなというふうに思っています。真依さんが、今後もいろんな人を、そして小児がん世代だったりだとか、AYA世代、そういった人たちに対して、もっともっとサポートしていってくれることを願って、きょうの。そんな堅くなくていい、大丈夫ですよ。それではこれにて、がんノートmini終わっていきたいと思います、真依さん、きょうはどうもありがとうございました。
高橋 ありがとうございました。
岸田 ありがとうございました。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。