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インタビュアー:岸田 / ゲスト:目方・関

子宮肉腫と膵臓がん──目方さんと関さんが語る闘病と日常

岸田 本日はゲスト二人にインタビューを行いたいと思います。お二人が病院と治療の選択どうやっていったのといったところ、そしてお仕事と両立どういうのをしていったのか、そして周りとの関係ですね。家族や友人や恋人、会社の同僚や上司、後輩などなどそんな周りとの関係をどうしていったのか、そして変わったこと、変わらなかったことといったところ、がんになって何が変わった何が変わらなかったかを聞いて行きたいと思います。

岸田 それでは、まず目片さん自己紹介をお願いできますでしょうか

目片 はじめまして目片多美子と申します。滋賀県出身で神奈川県在住です。今は専業主婦でおりまして、子宮肉腫という希少がんを患っております。現在治療はずっと続いている状態でいます。どうぞよろしくお願いいたします。

岸田 よろしくお願いします!関さんお願いできますか?

 関直行と申します。47歳で東京の出身で今は神奈川県に住んでおります!僕は膵臓がんに2013年になりまして、手術はしたんですけども、2017年に再発をしておりまして、再発しているので一応ステージ4みたいなことで言われております。再発後からはずっと化学療法をしておりまして、抗がん剤治療が今7年目ぐらいになっております。よろしくお願いします!

岸田 よろしくお願いします!はいではお二人にですね、もう少しだけパーソナリティを知っていきたいなということで、がんのことはこれから聞いていくんですけども、もしかしたら、前の放送を見慣れていたらバレているかもしれないですけど、お二人の今ハマっていることだったりとかそういったものを聞いていきたいなと思いますけれども、目片さん何かハマっているものありますか?

目片 私はハマっているというかとにかく旅行が大好きなので、なんか考えたら毎月ぐらい家族とかお友達とかと結構気がついたらすごい旅行に行ってます。治療が落ち着いたら行くとか

チャンスがある間にどんどん行こうとか思ってるとどんどん回数が増えてきて今のうちに今のうちにって感じで。

岸田 直近どこ行きました?

目方 本当の直近は先週友達4人で伊東に行きました。

岸田 伊豆の伊東ね

目片 その時はちょっとお話させてもらうと、先月も私手術したんですけど、その時の手術が大変で痛すぎて友達にどうだったっていう話を聞かれてたから、もう一人子供産んだぐらい叫んだとかいう話をしてたんですね、そしたらそのこの間の旅行先週あったんですけど、その時のお食事の後にサプライズとか言ってケーキが運ばれてきて、照明が暗くなってそれでホテルのスタッフさんがケーキを持ってくださってそしたらそのプレートのところに出産おめでとうって書いてあった(笑)

岸田 びっくりするサプライズですね(笑)

目方 出産祝いのサプライズをやっていただきましてっていう感じで楽しい旅行でした。

岸田 仲間内はね、わかりますけど、持ってきた人はね本当に出産したんだなって(笑)

目片 そうなんです(笑)もういろいろ後でお話ししました

岸田 支配人の方とは?

目方 素敵なお友達ですねと言われました(笑)

岸田 ありがとうございます!ちなみに関さん、今ハマっていることはありますか?

 今は下の長男が小学校に上がったところで、一緒に遊ぶことが多いんです。ただ僕自身はあまり外で遊ぶのが難しいので、最近はゲームにハマっています。

岸田 ゲーム?

 はい、任天堂スイッチをよくやってます。

岸田 任天堂スイッチ!どんなゲームを?

 大乱闘スマッシュブラザーズです。格闘ゲームなんですけど、どうしても小学1年生の息子に勝てないんですよ!

岸田 子供たち、うまいですよね、本当に。

 そうなんですよ。僕らの世代は十字キーとボタン2つぐらいだったのに、今はボタンがいっぱいあって脇にもついていて…正直よくわからないんです。それでも一生懸命、頑張ってます!

岸田 頑張ってますね(笑)。僕も最近「ポケポケ」っていうポケモンのカードゲームのアプリを始めたんですけど、がん教育で子供たちと接する機会が多くて、ちょっと知ろうと思ってやってみたんです。でもセレビーっていうキャラクターに全然勝てないんですよ。めちゃくちゃ強くて、困ってます!

 あはは、岸田さんもゲームに苦戦してるんですね(笑)。

病院と治療の選択──迷い、悩み、決断の道のり

岸田 続いて、お二人には 病院と治療の選択 について伺いたいと思います。どのように病院を決められたり、治療をどう選んでこられたのか。まずは目片さんからお願いします。

子宮筋腫経験者:目片多美子さんの病院選びと治療決定

目片 私は最初、本当に「お腹が普通に痛い」というところから始まりました。近くの婦人科に行って「お腹が痛いんです」と伝えたんですけど、そのときは「更年期ですよ」と言われたんです。ただ、あまりにも痛みが治らなかったので、また別の町のお医者さんに行って「お腹が痛いんです」と話しました。

正直、ただ薬をもらえればいいくらいの気持ちで行ったんですけど、そこで診てくださった女医さんが「ちょっと大きな病気の可能性があるから、大きな病院で検査を受けてください」と言ってくださったんです。そのおかげで病気が見つかりました。

ただ、とても稀な病気だったので「違うかもしれないけれど…」という感じで始まりました。とりあえず「大きな病院なら診てもらえるだろう」という気持ちで受診したら、そこで病気が分かりました。

その病院は希少がんをたくさん診ているわけではなかったと思いますが、再発が怖いとは言われつつも、当時は初発だったので「まずは子宮のあたりを全部取りましょう」という治療方針になりました。主治医の先生がとても良い方だったので、そのままそこで治療を続けていました。

もともと「再発する可能性がある」と言われていたので覚悟はしていましたが、実際に再発したタイミングでセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けるようになりました。

岸田 最初は紹介されて、大きな病院に行かれたということですね。その時は通いやすさとかで選ばれたんですか?

目片 そうです。私は横浜に住んでいて、その病院は東京だったんですけど、とにかく珍しい病気だったので「大きな病院じゃないと診てもらえる先生がいないかもしれない」と思ったんです。正直それもあって。あとは名前的に「大きそうだな」と思った病院で、友達の噂も聞いていて、なんとなくみんなが知っているような病院に行った、という感じでした。

岸田 そこでいろいろ治療をされたということですが、最初にどんな治療を受けられたんですか?

目片 本当に「この病気の可能性が高いから、まずは全部取って病理検査に出しましょう」という方針になりました。私は子宮肉腫だったので、子宮や卵巣などそのあたりを全体的に取るという手術をしていただきました。私はそれで終わりかと思ったんですけど、その病院の方針で「一応抗がん剤もやりましょう」ということになり、そこで抗がん剤まで終わらせて、そこから経過観察に入る形になりました。

岸田 子宮肉腫って、なかなか聞かない病名ですけれど、どういうものなんですか?

目片 えっと……子宮に肉腫、腫瘍ができる……感じ? そうだと思います(笑)。すみません、私も正確にはうまく説明できないんですけど……はい、多分そういうことだと思います(笑)。

岸田 どれくらい腫れていたんですか?

目片 みるみる大きくなるらしいんです。すごくスピードが速くて、バーッと大きくなって。

岸田 できた時は、こぶし大くらいあったんですか?

目片 そうですね。最初は多分5センチくらいだったと思います。でも検査を受けて、結果を聞くまでの1〜2週間の間にどんどん大きくなって、もう10数センチになっていました。

岸田 その2〜3週間の間に、触ってわかるくらいの大きさになっていたんですね。

目片 そうです。子宮肉腫って、ご存じかもしれませんが、お腹がポコッと妊婦さんのように膨らんで病院に行かれる方もいるって聞きました。最初の産婦人科でも「すぐに大きくなって、破裂することもある怖い病気だから、早く大きな病院に行きなさい」と言われましたし、大きな病院に行ってからも「もたもたしていられない、早く手術しましょう」と言われました。たぶん子宮肉腫の方はみんなそうだと思います。

岸田 それで手術をして、その後は抗がん剤治療に入ったという形だったんですね。病院の方針で進められたと。そこから再発があったと伺いましたが、どうなったんですか?

目片 はい。最初から「再発が怖い」とは言われていたんですが、実際に再発してしまいました。

岸田 同じ場所にですか?

目片 いえ、違います。最初は子宮にありましたが、再発は肺と骨でした。骨が2カ所と、肺と骨で合計3カ所です。

岸田 肺と骨に……。

目片 はい。主治医の先生も「もっと専門的にこの病気を見ている病院に相談するのも一つの方法だよ」と言ってくださって、それで希少がんセンターのある病院にセカンドオピニオンをお願いしました。

岸田 だいたい限られてますよね(笑)

目片 はい。希少がんなので、希少がんセンターのある病院にセカンドオピニオンに行かせてもらいました。それから友達が「日本で唯一、肉腫科がある病院があるよ」って探してきてくれて。私は当時ほとんど情報がなかったので、本当にありがたかったです。そこでサードオピニオンを受けました。

岸田 肉腫科?日本に一つしかないんですか?

目片 そうなんです。そこで両方のお話を伺いました。

「余命半年」と「普通の生活に戻れる」──真逆のセカンドオピニオン

岸田 2つの病院の話を聞いて、最終的にどちらに決められたんですか?

目片 実はちょうど最近がんノートでもお話ししたんですが(笑)、セカンドとサードで治療方針がまったく違ったんです。片方では「抗がん剤を続けるしかない。余命はこれくらい」と言われて、もう片方では「治療をしっかりやれば、普通の生活に戻れる」と言われました。両極端すぎて、本当に悩みました。

岸田 抗がん剤だけという方針の病院では、余命の話まであったんですよね。

目片 はい。私の場合は「半年くらい」とはっきり言われました。

岸田 半年……。それが2021年?

目片 そうです。最初に再発が見つかったのが2021年の1月でした。その時、大きな病院で抗がん剤治療を勧められて、余命の話もされたんです。

岸田 一方で、もう一つの病院では「普通の生活に戻れる」と。

目片 そうなんです。でも最初は信じられなかったんですよ。だって一方では余命半年って言われているのに、もう一方では「また普通に戻れる」って。正直、嘘じゃないかって思いました。だからどっちを信じればいいのか、本当に悩みました。これが私の闘病生活の中で一番精神的に辛かったところです。「どっちを選んだら生きていけるんだろう」って分からなくて……。

岸田 そうですよね。だからもう一度、抗がん剤を選択した病院にも「他の病院ではこう言われたんですけど…」と戻って相談されたんですよね。

目片 そうなんです。本当はセカンドオピニオンで伺った病院に行こうと思っていたので、そっちの先生に「もう一つの病院ではこう言われたんですけど、そんなことってあるんですか?」って相談したりしていました。

でもやっぱりセカンドオピニオンの先生の考えは「子宮肉腫は再発がとても多いから、一つひとつ局所的に叩いていては体力がもたない。全身的に治療していかないといけない」というものでした。だからこそ「抗がん剤がベスト」という方針を伝えられたんです。

岸田 それで本当に悩みに悩んで…。

目片 はい、悩みました。その辺の葛藤は過去の私のがんノート出演でも話しているので、ぜひ見ていただけたらと思います。

岸田 悩みに悩んだ末、積極的に治療をしていこうという先生の方針を選ばれたんですね。そこからは実際に手術などもかなりされたんですか?

目片 そうですね。もともと「再発や転移が多くなる」と言われていたので仕方ないんですが、手術は何度も受けていますし、放射線治療も数えきれないくらいやっています。

岸田 今まで手術はどれくらいされたんですか?

目片 どうでしょう…5、6回くらいですかね。先月も2回手術をしました。

岸田 先月2回!どんな手術だったんですか?

目片 11月の初めに脾臓を全摘しました。その時点で4か所転移があったので、まずは脾臓を取ってから肺と骨の2か所を治療する予定でした。ところが、その後の検査で全然別の肝臓にも転移が見つかってしまって…。急いで肝臓の悪い部分を切除する手術を11月の下旬にしました。

岸田 なるほど。ということは、今も肺と骨に転移が残っているんですね。

目片 はい、残っています。でも12月の検査で大きさが劇的には変わっていなかったんです。私の病気は普通なら一気に大きくなることが多いので、それがなかったのは救いでした。

岸田 早いってことですね。

目片 はい。だから抗がん剤を始めると、一生抗がん剤になってしまうので、少しでも遅らせられるなら…ということで、今は今月・来月と少しお休みをしています。

岸田 お休みして、次の治療に備えているという感じですね。

目片 そうです。このまま大きくならなければ、そのまま続けていけると思います。

岸田 なるほど。先月も手術をされたばかりの中で、今日こうして出演してくださって本当にありがとうございます。

目片 いえいえ、全然元気です。

岸田 本当にね、皆さんから見ても「普通に生活している人」という感じで…普通って言葉を何回も言ってますけど(笑)。街中を歩いていても、全然違和感がないぐらいですよね。もっといい例えがあったら教えてください(笑)。ありがとうございます。

膵臓がん経験者:関直行さんの病院選びと治療決定

岸田 では続いて、関さんにもお伺いしたいと思います。関さんは以前にもがんノートにご出演いただきましたが、今回は改めて、どのようにがんが見つかり治療されてきたのか、お話しいただけますか?

 当時はとにかく仕事が忙しかったんです。お腹が痛くて「胃が痛いな」と思って、胃薬を飲んでいました。でもどうにもならず、例えるなら「胃を体の中から手でつかまれているような痛み」がグーッときて、動けなくなったんです。

それで急患に行ったんですが「すぐには診られないので翌日来てください」と言われ、そのまま入院になりました。いろいろ調べてもらったら「胆管が潰れている」と言われて、胆汁の流れが悪く黄疸が出る症状がありました。「これはうちでは診られない」と言われて、神奈川県内でがんセンターか、比較的近い大学病院を紹介されました。

僕自身は「もしがんじゃなかったら、がんセンターは行きたくないな」と思っていたので、近い大学病院を選びました。そこからずっと今も通っています。

岸田 なるほど。最初は「がんじゃなければ」と思っていたのに、実際にはがんだったんですね。

 はい、がんでした。

岸田 膵臓がんといえば、見つかった時には進行しているイメージがありますよね。

 やっぱりネットで調べると「生存率がすごく低い」と出てきます。一応、僕は手術ができたんですけど、それでも怖くて「手術しない方法はありませんか?」って先生に聞いたんです。

そしたら「関さん、10か所病院に行ってごらんなさい。どこに行っても全員が『手術です』って言いますよ」と言われました。それで「じゃあ、わかりました。手術します」と決めました。

そして手術後、病理検査の結果「悪性でリンパに転移している」と言われました。先生からは「いろんなところを切りました」「転移していたところも切除しました」と説明を受けました。

岸田 という形で、最初は手術だけで? それともすぐ抗がん剤も?

 そうですね。手術のあと「補助療法として錠剤の抗がん剤を半年間飲んでください」と言われました。副作用は多少あったけど我慢できる程度だったので、先生に「もう半年続けてもいいですか?」と聞いたんです。効果ははっきり分からないけど「いいですよ」と言われて、さらに半年延長しました。

4年半後の再発──化学療法7年の道のり

 1年経って再発もなかったので、また「もう半年続けてもいいですか?」と先生に聞いたら、妻から「もういいんじゃない?」と言われて、それ以降は経過観察に切り替えました。

よく「3年の節目」「5年の節目」って生存率の話がありますけど、僕も3年目までは普通に過ごせていたので「もういけるんじゃないかな」と思っていたら、4年半ぐらいでいきなり再発してしまいました。そこからはずっと治療が続いています。

岸田 再発はどのように分かったんですか?

 最初は貧血で、座っていても立ちくらみがありました。「なんか調子悪いな」と思っていたら、ある日、通勤電車で吊り革につかまっていたときに倒れてしまったんです。駅員さんが来てベンチで休ませてもらって、そのまま仕事に行って帰宅しました。

翌日は金曜日で仕事をしていたんですが「やっぱりダメだな」と思って、土曜日に妻に「ちょっと病院に行ってくるね。もしかしたら帰ってこないかも」って冗談で言ったら、本当にそのまま入院になってしまいました(笑)。

岸田 冗談のつもりが、そのまま現実に…。

 そうなんです。結局ヘモグロビンが7を切っていて「もう輸血してください」という状態でした。まさかそれが再発とは思ってもいなかったんです。ネットで調べても、そんな症状は出てこなかったですからね。

それで入院中にあらゆる検査をして、原因を一つひとつ潰していった結果、最終的に主治医から「局所再発していますね」という結論を告げられました。

岸田 そこからは、また抗がん剤治療に?

 これはもう「手術はできないから化学療法をしましょう」と言われたんですよね。

岸田 そこから化学療法がスタートしていく感じですね。病院から提示された薬の中から選んでいったと?

 そうです。お慰めも含めて5つぐらい候補を並べられました。「これはこういう効果、これはこういう副作用」と説明を受けて。中でも一番強力なのは、40時間以上かけて3日間ずっと点滴を入れる薬で、副作用も強い。けれど「若い人にしか勧められないから関さんは対象ですよ」と言われました。逆に、70歳を過ぎた方でもよく使う薬もあって「これもベターですよ」と。ただ「先生ならどうしますか?」と聞いたら、「僕なら一番上からいきます。がんの勢いを止めるには、早いうちに強い薬で抑えるのがいい」と言われたんです。

ただ、家族からは「生活の質を考えると怖いんじゃない?」と反対されました。でも僕は「上からいく」と決めて、その薬を選んだんです。

岸田 副作用はやっぱり強かった?

関 そうですね、本当にやられました。半年・10回を目安にやってみようと言われて、ノルマの半年を終えて再発もなかったので、次は一段ランクを下げて。その後5〜6年くらい続けました。ただ副作用がだんだん辛くなってきて、治療疲れも出てきたので、さらに1ランク下げて…と、今は結局いちばん下の薬に落ち着いています。

岸田 お慰め含めた5個のうち、真ん中くらい?

 いや、今は一番下ですね(笑)。

岸田 でもその後も色々あったんですよね。

 そうなんです。がんとは関係ないんですけど、PET/CTのフォローで撮影した時に「頭が光ってる」と言われて。

岸田 頭が光ってる?(笑)

 頭の中です(笑)。下垂体に腫瘍があって、2センチくらい膨らんでいると。ずっとCTやMRIで経過観察していたんですが、視野欠損の症状が出てきて「眼鏡を作っても合わない」状態になったんです。脳外科の先生から「だんだん大きくなっているので早めに手術した方がいい」と言われ、手術を決意しました。

岸田 頭を開ける手術ですか?

 いえ、鼻から骨を砕いてアプローチする方法で、「5時間くらいで終わりますよ」と言われました。軽い手術だと思って受けたんですが、取った後に下垂体機能低下症が残ってしまったんです。下垂体からは8種類くらいのホルモンが出るんですが、そのうち3つが足りなくなってしまい、今は薬で補っています。午後になると強い倦怠感が出たり、食欲が落ちたりして、また10キロほど痩せました。

岸田 10キロも? 今は落ち着いていますか?

 今は低いところで安定しています。まあ、大丈夫です。

岸田 いやいや、がんの治療だけじゃなく、いろんなことが重なるんですね。

 膵臓がんの症状、それから抗がん剤・化学療法による副作用、さらに下垂体機能低下の症状――。いろんな要因が重なってしまって、今は「この体調不良が何から来ているのか」が自分でも分からないんです。そこにすごく悩まされていますね。

岸田 そうですよね。どの原因を一つずつ潰していけばいいのか、判断が難しいですよね。そうした中でも治療を続けられているということ、本当にありがとうございます。

がん治療と仕事の両立──退職の決断と働き続ける選択

岸田 そして次のテーマは「仕事との両立」です。仕事をどう続けてきたのか、あるいは続けなかったのか。職場とのコミュニケーションをどう取ってきたのかをお二人に伺っていきたいと思います。まずは、目片さんのお仕事について。元公務員と伺っているんですが。

目片 そうなんです。公務員をしていたんですけれど、病気をきっかけに専業主婦になりました。もちろん病気になっても一生懸命仕事を続けている方もたくさんいらっしゃって、本当にすごいなと思います。私も最初は仕事を続けていたんですが、検査や治療のスケジュールがとにかく早すぎて……。「明日来れますか?」「来週手術しましょう」と次々に決まっていくような感じだったんです。

岸田 かなりハイペースだったんですね。

目片 本当にそうで。頑張って両立している方もいるのは分かっているんですけど、私の場合は「またです、またです」と繰り返すのがだんだんしんどくなってしまったんです。正直、職場に迷惑をかけたくない気持ちもありましたし、結局は専業主婦という形を選びました。

岸田 治療と仕事の往復が難しくなってきたんですね。

目片 そうですね。ただ、私は外に出るのが好きなので、それで終わりにしたくはなくて。専業主婦になってからも、なるべく自分から動いて外に出られるように模索しています。

岸田 なるほど。ちなみに、一時的に復帰された時もあったとか?

目片 はい。もともとの上司の方が本当に良くしてくださって。「大丈夫だから」と言ってくださったり、環境にも恵まれていたんです。ただ逆にそれが良すぎて、毎回「また休みます」と言わなきゃいけないことが、私にとってはストレスになってしまって……。どう言えばいいか分からなくなって、だんだん気持ちがしんどくなってしまいました。

岸田 そういう背景があったんですね。両立ができる・できないというよりも、環境は良かったけれど、治療と仕事のテンポが合わなかったということなんですね。

目片 最初は治療のスピードが早すぎて、とてもじゃないけど仕事と両立できる状況ではありませんでした。結果的に退職しましたが、それを後悔してはいません。むしろ、あのタイミングで辞めていなかったら続けられなかったと思います。ただ、今も元気に戻れているので、「また何かやりたい」という思いはずっと持ち続けています。

岸田 まだまだ復帰していったりとかも考えられている、ということですね。ありがとうございます。では関さん、お仕事について伺ってもいいですか?

 最初に告知を受けて手術をした時は、ビル管理の会社で働いていました。清掃員さんや警備員さん、設備のスタッフを採用して現場に配置し、その管理をする仕事です。

岸田 そういった管理のお仕事、治療と両立するのは大変だったのでは?

 入院中も電話やメールがひっきりなしに来て、なかなか休めませんでした。ただ当時は30代で、仕事第一でやっていたので、家庭よりも仕事優先。逆にそれが生きがいでもあったんです。だから「早く手術して復帰しよう」とそればかり考えていました。

岸田 実際に復帰はできたんですか?

 はい。手術と抗がん剤を経て復帰しました。ただ、有給は使い果たしてギリギリの状態でしたし、復帰したら仕事が山積みで大変でした。それでもなんとかやりきって、3年ほど経った頃には経過も良くなってきていたので、40歳を節目に転職しようと考えたんです。

岸田 転職時に、がんのことは伝えられたんですか?

 はい。僕はがんのことを隠さず、いろんな人に話していました。転職活動の時も「こんな私でもよければ雇ってください」と必ず伝えました。その時ちょうど長男が生まれることが分かって、「黒い仕事から白い仕事へ移ろう」と一念発起しました。幸い今の会社に採用していただき、無職期間なく転職できたのは本当にありがたかったです。

岸田 今も同じ業種で続けられているんですね。

 はい。同業に転職したので仕事内容は似ています。今の会社でちょうど7年ほど経ちました。

岸田 治療は今も抗がん剤をされていたり、体調が悪い日もあると思いますが、職場でのコミュニケーションはどうされていますか?

 基本的には全員ではないですけど、関わりのある人には「僕はがんで、抗がん剤治療中です」と伝えるようにしています。そのおかげで、体調大丈夫?と気を使ってくれたり、「休みます」と言えばすぐ理解してくれる会社なので、本当に助かっています。再発が転職して3ヶ月後に分かったので、最初から伝えておいてよかったと思いますね。

岸田 そうですよね。もし言ってなかったら、居づらくなっていたかもしれませんね。

 そうなんです。だからちゃんと話しておいたのは良かったと思っています。

岸田 今も治療と仕事を続けているという中で、関さんなりに工夫していることはありますか?

 大げさかもしれませんが、「がんを言い訳にしない」ということは意識しています。なるべく他の人と同じように仕事をする。それを心がけることで、自分も普通に働けるんだという気持ちになれますし、職場でも特別扱いされすぎずに済むんです。

岸田 周りと同じ業務量を意識して取り組んでいるということですね。ありがとうございます。

子どもに何を、どう伝える?家族・友人との向き合い方

岸田 では次に「周りとの関係」について伺いたいと思います。ご家族やご友人、あるいは今の同僚など、どのように接してきたか、また接し方が変わったかどうか。目片さんからお話しいただけますか?

目片 はい。私は息子が2人いて、その時は上が高校生、下が中学生でした。最初の手術の時は「手術したらすぐ職場復帰できる」と思っていたので、子どもには伝えなかったんです。ところが抗がん剤治療になってしまって、その時点で夫から子どもたちに説明してくれました。

ただ、特にドラマチックな反応はなく、「頑張ってね」という感じで、泣かれたり落ち込まれたりして大変だったということもなかったですね。入院の時にはそれなりに協力してくれましたが、最近は治療や入院が多いので、家族も少し慣れてしまったようで、退院しても「おめでとう!」というより「お勤めご苦労さま」みたいな雰囲気です(笑)。

それから、実家の両親には伝えるかどうかかなり悩みました。遠方に住んでいることもあって心配をかけたくなかったので、告知の時も手術の時も抗がん剤の時も伝えずにいました。すべての治療が終わって体調が戻ってきた年末年始の帰省のタイミングで、初めてまとめて打ち明けたんです。

その時はさすがに驚いていましたね。私は脱毛してウィッグをつけていたのですが、ウィッグだとは気づかれなかったので、改めて説明しました。両親にとっては聞き慣れない病名で「それはがんじゃないの?」と混乱した部分もあったと思います。でも、抗がん剤まで受けたことを伝えて相当ショックだったと思います。表では泣いたりはしませんでしたが、心配をたくさんかけてしまったと思います。

そして夫は、本当にずっと心配してくれて、支えてくれていて、もう感謝しかないです。

岸田 よかったです。ご家族にもしっかり支えられてきたんですね。あと、ご友人がすごく助けてくださってるんですね

目片 そうですね。友人には最初、本当に親しい友人にだけ伝えました。というのも、当時は中学生の息子がいたので、「この子のお母さんは病気だから、かわいそうな子だ」と思われるのが嫌だったんです。私自身が「かわいそう」と思われるのは構わなかったのですが、子どもがそう見られるのが嫌で、近所や周囲には一切言わず、徹底的に隠していました。

ただ、その後再発した時に、友人が病気に詳しい先生を探し出してくれたんです。私自身は怖くて病気の情報をネットで全く見ていなかったのですが、友人が発信している方々のブログを読み込んで調べてくれたんですね。そのおかげで結果的に良い先生に巡り合うことができました。本当に救われたなと思います。

それをきっかけに、「今度は自分も発信していこう」と思いました。再発治療をしていた頃には、手術も抗がん剤も放射線も経験していたので、同じように不安を抱えている方に何か伝えられることがあるかもしれないと思ったんです。そこからブログを始め、周りにもオープンにするようになりました。「もし身近に脱毛などで不安な方がいたら、何でも聞いて」と体験談をシェアする姿勢に変わっていきました。

岸田 なるほど。目片さんの場合は、ご友人からの情報がきっかけで良い先生に出会えた、本当に良い流れだったんですね。では関さんはどうでしたか?周りとの関係、大変な面もあったんじゃないですか?

 そうですね。でも僕も基本的には、なるべく隠さず伝えるようにしてきました。仲間内にも「今こういう状況だよ」と話しますし、特に仕事では迷惑をかけてしまうこともあるので、必ず職場の仲間には全部伝えていました。

家族にももちろん伝えました。妻はネットでいろいろ調べていたようですし、両親も健在ですが、実は祖母も膵臓がんで、父の弟であるおじも膵臓がんだったんです。だから父からすると「周りがみんな膵臓がん」という感覚で、すごくショックだったと思います。でもちゃんと伝えたことで、家族全員が温かくフォローしてくれました。

それに妻がですね、病気になった途端にすごく優しくなるんです(笑)。普段とちょっと変わるぐらいで。「ずっと病気のままでもいいのかな」なんて思ってしまうくらい(笑)。

岸田 それはまた別の意味で大きな変化ですね(笑)。

 治療が長くなってくると、家の中も普通の生活に戻ってくるんですよね。入院して退院しても「お疲れ様」なんて特に言われずに、「あれ買ってきて」とか(笑)。でも再発の時なんかはすごく寄り添ってくれましたし、この間の下垂体の手術の時もいろいろサポートしてくれました。本当に病気をしたことで、家族との距離がグッと近づいた部分はあります。

岸田 周りから医療情報をもらったりもしましたか?

 そうですね。良かれと思っていろんな人が本をくれたり、「この病院がいいよ」とか、お茶をくれたりとか。情報もたくさんもらいました。ただ、全部を受け入れていたら止まらなくなってしまうので、「これは試してみよう」「これは合わないからやめておこう」と自分なりに選別しながら受け取っていました。

岸田 確かに、それも大変ですよね。お子さんについてはどうでしたか?

 最初に告知を受けた時、長女が4歳だったので「病気だよ」と言ってもよく分からなかったと思います。ただ僕はずっと「パパは病気で調子悪いんだよ」と伝えていたので、どこかしら頭の中には入っていたんじゃないかなと。特に過剰に気を使うとかもなく、本当に普通に過ごしてくれていました。今でも長女にとっては「パパはずっと病気」という認識なのかなと思います。

長男に関しては、生まれた時から僕はがん患者だったので、物心ついた時から父親は「髪の毛がない」という姿なんです(笑)。一応「これは治療でこうなっているんだよ」と説明はしているんですが、どこまで理解できているかは正直分かりません。

岸田 なるほど。ご家族はそうやって支えてくださっているんですね。ご友人関係はどうですか?

 基本的に友人たちも優しくて、気を使ってくれます。飲み会や集まりがある時は、僕のことを考えてお店を選んでくれたりしますね。初発して手術した半年後ぐらいに、北海道で友人の結婚式があったんです。10人ぐらいで行ったんですけど、その時もキャリーケースを代わりに持ってくれたり、肩を貸してくれたり、本当にいろいろフォローしてもらいました。

岸田 まあまあ、じゃあ関さんの周りは本当にいい方たちばかりで。

 そうですね。ありがたいことに、本当に仲間や関わってくれている方々に感謝しています。

岸田 はい、ありがとうございます。

がんになって変わったこと、変わらなかったこと──がん経験者が語る本音

岸田 そんな中でなんですけれども、次はこちらになります。「変わったこと・変わらなかったこと」というテーマで伺っていきたいと思います。良い意味での変化、悪い意味での変化、逆に変わらなかったこともあると思います。目片さん、いかがでしょうか?

目片 変わったことはありきたりかもしれませんが、やっぱり「感謝の気持ち」です。病気になる前の日までの自分では気づけなかった、何でもないことへのありがたみ、人の支えの大きさ。病気になったからこそ、「これができる、あれができる」ということに感謝できるようになりました。

それともう一つ、病気を経験してから患者会やイベントなど、同じような立場の方と交流する機会が一気に増えました。それまでは全く知らなかった世界です。そこには、自分と同じように辛さを知っているからこそ優しい方が多く、さらに健常者の方や企業の方がボランティアで活動してくださっている姿に本当に驚かされました。自分の視野が狭かったんだなと感じると同時に、人のためにこんなにも頑張っている方々がいるんだと知れたことは、大きな変化です。

岸田 患者会やイベントなどに参加するようになったきっかけは、どんなところにあったんですか?

目片 もともと私は外に出るのが好きなタイプで、仕事をしていた頃もずっと外に出ていました。病気で退職した後も「外に出たい」という気持ちは変わらなかったんです。ただ、仕事はどうしても治療との両立が難しく、実際に採用が決まった仕事も「さあ行こう」というタイミングで治療に入ってしまって断念しました。

そこで「今の自分でもできることは何だろう」と考えた時に出会ったのが、ボランティアや患者会の活動でした。治療があっても「大丈夫だよ」と受け入れてもらえる場ですし、自分自身にとってもやりがいや楽しさを感じられる場でもあります。だからこそ積極的に関わりたいと思うようになりました。今は少しずつですが、そうした活動に参加しているところです。

岸田 そうですよね。最初も本当に、がんノートに「ボランティアしたい」と来てくださったのがきっかけだったりして。本当に世のため人のためにお仕事されてきた方なんだなと思います。

目片 いやいやいや、そんなことないです(笑)

岸田 ありがとうございます。では関さん、変わったこと・変わらなかったことについていかがでしょうか?

 そうですね。ちょっと視点を変えてみますけど、変わったことは「体型」です。初発の時、痛みで入院して検査して、手術までに2か月半くらい。退院まで延べ3か月だったんですけど、その間に24キロ痩せたんです。

84キロあった体重が、一時は50キロ台まで落ちて焦りましたね。XLサイズを着ていたんですけど、保険金も下りたので服を買いに行ったら「お客様はSかMで大丈夫です」って言われて。「あ、自分こんなに細くなったんだ」と実感しました。仕事用のスーツも全部買い直しましたよ。

岸田 本当に大きな変化ですよね。

 はい。だから仕事に復帰しても、体型が変わりすぎて気づかれなくて素通りされることもありました(笑)。

岸田 なるほど。じゃあ変わらなかったことは?

 変わらなかったのは「仕事量」ですね。初発の時は完全にブラックでした(笑)。

35日から40日くらい休んで復職したら、机の上が昭和か平成初頭のドラマみたいに書類で山積み。机に埋もれて僕が見えなくなるくらいでした。

部下も5人いたんですけど、入院中に2人から「辞めます」って電話が来て。「待ってくれ!こっちは大変なのに!」って思いながらも、退院まで何とか引き止めました。年明けに復職したら、今度は営業のおじさんが急に辞めたり、5月にはさらに2人辞めたりで、結局仕事がどんどん増えちゃったんです。

岸田 大変すぎますね…。

 でもそれが逆に「この野郎、負けてたまるか!」って気持ちになって、頑張る原動力になってました。

岸田 当時は仕事量が全く変わらなかった、と。

 はい、当時はそうでした(笑)。今はもうすっかりホワイトです(笑)。有給出せば必ず通るし、休みながらちゃんと働けています。

岸田 良かったです。本当に今は、しっかり休みながらも仕事も続けられているんですね。ありがとうございます。

「こんな未来もある」と伝えたい──がん経験者からあなたへ

岸田 という形で、最後にお二人からメッセージを伺いたいと思います。まずは目片さん。会場に来てくださっている方でも、今ご視聴いただいている方でも構いません。がんを経験されている方や、そのご家族、あるいは医療に関わる方、さまざまいらっしゃると思いますが、目片さんからのメッセージをお願いします。

目片 2つあります。

1つ目は「こんな未来もある」ということを知っていただきたい、ということです。私は「再発したら怖い」とずっと言われていて、実際に告知を受けた時も、再発した時も、本当に絶望的な気持ちになりました。今もきっと同じように、「先が全く見えない」「数か月先も想像できない」と思っている方がいらっしゃると思います。私自身もそうでした。でも実際に、予後が悪いとされる病気であっても、こうして治療を受けながら前向きに、そして病気に飲み込まれずに生活できている人がいます。そういう姿を知っていたら、当時の私ももう少し希望を持てたかもしれないと思うんです。だから、同じように今まさに絶望している方に「未来は分からない。こんなふうに生きている人もいる」ということを届けたい。それが1つ目です。

2つ目は、「病気を置いてきぼりにする時間を作ってほしい」ということです。「病気を忘れて過ごそう」とよく言いますが、正直忘れるのは難しいと思うんです。でも、一日の中で少しでも病気のことから意識を外す時間を持つことはできると思います。私は「理想の自分」を文字に書き出しています。私の場合は「スーパーポジティブウーマンになりたい」と(笑)。常に明るく楽しく、気持ちよく生きられる自分を思い描いています。その理想像に近い人をロールモデルにして、食べ物やファッション、人との関わり方などを真似してみるんです。少しずつ行動に移していくと気持ちが前向きになっていきます。そうすると病気のことを忘れられる時間が自然と増えていくんですよね。治療はもちろん必要なときにしっかり受ける。でも、それ以外の時間は「理想の自分に近づく時間」にする。そうすれば毎日が楽しくなりますし、「この楽しい時間をもっと続けたい」という気持ちが生まれてきます。

岸田 ありがとうございます。まさに「スーパーポジティブウーマン」ですね。すでにもう、なっているような気もします(笑)。

目片 あ、まだ目指してる途中です(笑)。

岸田 素敵なメッセージをありがとうございました。では次に関さん、どんな人になりたいですか?(笑)

 もう締めちゃっていいんじゃないですか(笑)。目片さんの一言で、僕は出る幕ないですよ。

岸田 いやいや、関さんもぜひ一言お願いします。

 

 そうですね…本当に長く闘病して思うのは、「焦らない」ということです。どんなことがあっても、まず自分の現状を受け止めて、そこからどうしようかを考える。それが一番大事なんじゃないかなと思います。正解はありませんからね。状況を俯瞰して冷静に見つめて、一歩ずつ選択していく。僕はそういうふうに過ごしてきました。もちろん、みんなが同じようにできるわけではないと思うので、あくまで僕自身のやり方ですけれど、参考になれば嬉しいです。

岸田 ありがとうございます。(拍手)…あ、関さん、もう一言あるそうです。

 はい。子育て世代の方に向けてです。子どもにどう病気のことを伝えるか、本当に悩ましいですよね。僕は「キャンサーペアレンツ」という、子どもを持つがん患者のコミュニティサイトに登録しています。そこでは親ががんになったことを子どもにどう伝えるかという絵本などのツールもあって、すごく助けられました。年代や家庭環境によって伝え方は変わりますし、正解はありません。でも、そういうツールやコミュニティから情報を得ることで新しい道が見えてくることもあります。ぜひ一度手に取ってみてほしいなと思います。アマゾンでも購入できますし(笑)。

岸田 ありがとうございます。こちらは?

 これはまだ試作段階なんですけれど、第2弾の絵本をパパたちで作っているところです。内容はまだお見せできませんが、活動の一例として知っていただければと思います。やはり「子どもにどう伝えるか」というのは、100の家庭があれば100通りの正解があると思うんです。その中で少しでも参考になればと願っています。

岸田 ありがとうございます。(拍手)

それでは、がんノートの公開収録をこれで終わりたいと思います。今回のキャラバンも、多くの方々に支えられてここまで来ることができました。参加者の皆さんはもちろん、ボランティアスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。この場を借りてお礼を申し上げます。

さて、お二人も緊張されていたようですが、どうでしたか?

 めっちゃ緊張しました。

岸田 そうですよね。目片さんの収録の時はマンションの一室のような貸し会議室で2人きりでしたけど、今日はたくさんの方に来ていただきました。

 本当にすごい方々の前で話をさせてもらって…最後の最後まで緊張しました(笑)。

岸田 そんな緊張の中でも、本当に率直に、そして大切なお話を聞かせていただきました。改めてお二人に大きな拍手をお願いいたします。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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