インタビュアー:岸田 / ゲスト:西口

【宣告】

岸田 きょうのゲストは西口洋平さんです。自己紹介をお願いします。

西口 がん種は胆管がんで、ステージは4です。2015年の2月から闘病をしていて、現在3年目になります。

岸田 どういうふうがんが発覚して闘病宣告を受けてきたのかをお願いします。

西口 2014年の夏ぐらいから下痢で体重がすごく落ちていきました。夏からこの2015年の冬の間で、体重が6キロ落ちた。白い下痢がずっと続いていて、特に、油っぽいものとか、アルコールとかを摂取すると、すぐに白い下痢が出るという状態で体重がどんどん減っていきました。これは危ないということで、年明けにすぐ胃と腸の検査したんです。でも結果は異常ありませんと。でもなんかおかしかったので細胞を検査しました。細胞検査結果を聞きに行ったとき実は黄疸が出てたんです。目が黄色くなって、肌がちょっとかゆみがあった。採血をしたら、ビリルビンっていう値がすごく上がってて、これは黄疸ですねと。翌日にすぐ精密検査、入院をすることになって、入院して3日目の2月5日、2015年の2月5日にあなたはがんですと宣告されました。

岸田 そのがん告知を受けたとき、どう感じました。

西口 へえっていう感じ。僕告知を受けて直ぐに僕は母親に電話をしました。その時に初めて自分で理解できた。そこで口に出して初めて理解できた。なんか他人事みたいな感じでした。

岸田 告知を受けた病院で治療したんですか。

西口 そうです。黄疸がでた時は近所の病院に行っていて、精密検査の病院はまた違う病院です。

岸田 そこから精密検査を経て、そこで告知を受けてから…手術できなかった?

西口 2週間後告知通り手術をしたんですが、手術してみたら胆管の所だけではなくて、いわゆるリンパ節と腹膜に米粒大の腫瘍がわあっと散らばっていた。これらを切除したら米粒みたいなやつらが逆に悪さをするかもしれないから今はこれを切除しないほうがいいから、抗がん剤をぱらぱらと撒いておきましたと言われた。切開したのにがんを切除できなかった。これは相当ショックでした。当然、最初にがんの宣告を受けた時のショックはあったと思うんですけど、手術をしたら治るかもしれないという希望があったのを、切開して状況を見たら、それ以上にひどい状態だった。いよいよやばいなと思って手術前に生存率とか色々調べました。手術をしたら手術をして取り切れたら5年後は何パーセントとか手術ができなかったら何パーセントとか。そして手術ができなかった瞬間に生存率がものすごい低かった。だから手術できなかったという事実に告知のときと同じぐらいのショックがありました。

岸田 そしてそこから抗がん剤がスタートします。その後は。

西口 基本治療はもう抗がん剤しかないんですよね。僕には拒否とか選択肢がなかった。

岸田 そのときの写真も頂いてるので、ちょっとこちら写真になります。

西口 右側が退院した後通院しながらの抗がん剤治療をしている時で、左側が胆管に入っている金属の管の掃除をするためにカテーテルを入れている写真。すごい細い管を通って、胆管に管を通して、それを鼻から出すんです。この掃除の為に一週間程度定期的に入院をする感じです。

岸田 始めた抗がん剤治療も入院じゃなくて通院しながらなんですね。

西口 最初は入院したままで抗がん剤を初め去年がんノート(#39)で話した時は2種類の抗がん剤やってました。でも1年前にアレルギーで片方が使えなくなってしまったので今は単剤です。前回出演した『がんノート』の翌月5月にセカンドオピニオンに行ったんです。知り合いから紹介されて。ちょうど抗がん剤が1種類使えなくなったタイミングだったのでセカンドオピニオンに興味があり、別の病院に行きました。その先生からは本当に深刻な状態だと率直に言われました。生存率も5年で本当に数パーセントだと。改めて大変な状態なんだと、去年の5月頃感じました。

岸田 『がんノート』の放送後にセカンドオピニオンを聞きに行って深刻さを再認識したんですね。その後進展ありましたか。

西口 全くない。もう一回、手術ができないかということを聞きに行きたかったんですが、そんなんできるわけないという感じだった。何をやっても多分、手術は難しい、今の治療がベストだと思いますよということを言われました。抗がん剤だけの治療しかできないということを5月にまた改めて理解をせざるを得なくなって、またそれから今に至るまで1年間ずっと抗がん剤を続けてきています。

岸田 セカンドオピニオンを主治医は嫌がりませんでしたか。

西口 すごく積極的に聞いたほうがいいって言われました。僕みたいな年齢で、転移があって、抗がん剤も種類がないという場合僕が行っているがん治療専門の病院ですら、例が少なくて何がベストな治療か分からない。だからいろんな人に聞いたほうが結果的にいい選択ができるんじゃないかと言われました。いろんな病院に話を聞きに行ったら、先生方が持ってる情報はみんな同じで結局選択肢が抗がん剤治療しかなかった。

岸田 ショックでしたか。

西口 めちゃめちゃショックでした。1年間抗がん剤治療しながらも僕は元気にやってきていたわけです。それなのにやばいって言われたもんだから現実に戻された感がすごくあった。

岸田 ただ、次のお薬っていったらもうその抗がん剤しかないといわれた。

西口 もうそれしかない。

岸田 取りあえずこれを続けていって。

西口 それが駄目になるまでやり続けるという。エンドレスなんです、僕の治療って。なくならない。終わらない。

岸田 この抗がん剤は、増えるのをちょっと抑えてくれてるみたいな。

西口 進行を抑える薬なんで、もともとのがんをなくすような薬じゃなくて。

岸田 根本的な治療っていうわけではない。

西口 そう。

岸田 今その抗がん剤治療を続けてなんとか生きてる間に新しい薬ができるのを待っている、ということですね。ありがとうございます。

【家族】

岸田 次、家族のこと。親に真っ先に伝えて治療を言ったときに、このときにもうグッチさんがおえつするぐらい泣いたとおっしゃってたと思うんですけれども、今、ご両親とはどうですか。

西口 もともと僕の父が肺がんだったんです。今も元気なんですけど、父のがんが発覚した当時、僕は東京にいました。大阪にいる父が肺がんになったとき、家族みんな、誰も僕に言ってくれなかったんです。手術をする1カ月ぐらい前に、義理の姉がお父さんが来月、手術するんだよと教えてくれて僕は母親に電話をして、なんで俺に言わへんねんと言ってちょっと口論になった。そこにはお父さんの意思があって、あいつは東京で仕事、頑張ってるから、心配かけたくないということで、あいつには言うなよということを家族会議で決めていたというわけです。幸い手術もうまくいって元気なんですけれど、もしここで手術がうまくいかずに病状が悪化とかしてたらすごく後悔してたと思うんです。そういう経験があって、母親にはすぐに電話をしました。

岸田 その後お母さまとの関係性に変化とかありましたか。

西口 最初は感情的になってましたけど、今は僕もこうやって元気に生活しているのでだいぶ落ち着いてきています。

岸田 グッチさん、ご自身の家庭もあります。以前のインタビューでもこどもに自分はがんだっていうことは伝えていないとおっしゃっていました。そこら辺の変化はありますか?また、キャンサーペアレンツでいろんなアンケートもとられたかと思うので、ちょっとそこの話をお聞かせいただきたい。

西口 子供には僕からは伝えてないんですけど、妻から伝えていて、ある時一緒にテレビを見てたら、がん患者さんのニュースが流れて、これお父さんと同じ病気やんって言われて、知ってるやん!って。でもその時子供がすごく明るい感じで憶することなく言ってたので、ネガティブじゃなく捉えてくれてるんだと感じました。僕からは明確に伝えてないんです。いずれ子どもはお父さんの病気のことを知ることになるんだろうけれど僕から伝えたことはないんです。

岸田 今、小学校低学年のお子さん持たれているがん患者さんもいっぱいいらっしゃると思いますが、こどもさんはどれくらい分かっていると思いますか。

西口 病気のことは多分分かってるし、いろんなニュースがある中で、亡くなっていく人たちもいるってのは当然、知ってる。亡くなるとか死ぬとかっていうこと自体が理解できてるかっていうと、それは多分また別の話ですが。

岸田 医学的な人の死ですね。

西口 冷たくなるとか、そういうふうなことは言えるかもしれないけど、本当にはどうい
うことなのかっていうと、結構、説明が難しくて。それをどう伝えるのかっていうふうに考えれば考えるほど難しい。でも将来的に僕の体力が落ちていって入院生活も長く続いてきたりすれば伝えざるを得なくなるので、その時でいいと思っています。

岸田 アンケートを最近、取られたときは、どんな感じでしたか。

西口 お子さんがいるがん患者の会員向けにアンケートを取ったときには、お子さんにがんっていうことを伝えているという人たちが全体の8割ぐらいで2割の人がまだ伝えてませんという感じでした。8割の伝えた人たちの中で、伝えてよかったか、伝えて後悔したかという項目では伝えて後悔した人はゼロでした。アンケートの中には、がんであることを子供に伝えてから家族関係が微妙になりましたとか、子どもが反抗的になりましたとか、ネガティブな回答もありましたがそういう人たちも伝えて後悔はしてない。やっぱり親ががんである伝えるということは大事なことで、伝えた側も自分なりの納得感を持って子供と接することができているというのはすごい結果だなと思っています。

岸田 そうですよね。後悔してる人がいないっていうのはすごい結果だなと思います。

【仕事】

岸田 次に、仕事のこと。2015年の5月に会社に復帰されましたが。

西口 仕事を休んだのは3カ月間です。

岸田 2、3、4月と三か月間休んで会社復帰。そこからは半年に1回、入院。週1回、通院もして抗がん剤治療をしている。1年前のインタビューでは人事に伝えて通院しながら働く、働きつつも、治療していくってところがあったかと思うんですけど、この1年間で何か変わりましたか。

西口 会社復帰したのが今から2年前の2016年です。社会人になってから一週間以上休んだこともなかった僕が病気で3カ月間、休むっていうのは本当にショックで、復帰できるのかすごい不安だったんです。会社復帰してからの最初の半年ぐらいはもう付いていくだけでも必死でした。徐々に治療の為の通院と仕事を両立に慣れてきた頃、ちょうど1年ぐらい前に、このキャンサーペアレンツの活動をスタートし始めました。2016年4月です。会社では営業職で働いていたんですけど、会社での役割も変更したいということと、このキャンサーペアレンツの活動も本腰入れてやりたいなということを会社に相談をして、今は正社員ではなくて、アルバイト契約で週2日、3日、会社に行って空いた時間でキャンサーペアレンツの活動をしています。週1回の通院もあるので時間の使い方を変えたいということを会社にも理解してもらい、また会社にもキャンサーペアレンツの活動のことを応援してもらっています。仕事を減らした分、当然その分収入が減るので家族はすごく不安だったと思いますが、家族にも理解をしてもらって決断をしました。

岸田 周りからのご自身の活動への理解は?

西口 一番最初、僕は会社を辞めようと思ったんですけど、まず親から「そんな急ぐな」と言われたんです。この会社は僕が新卒で入った会社で、15年ぐらいずっと休みもなく働いてきて恩もあるわけです。僕と年齢の近い社長に進退について相談しにいったら、社長のご兄弟が実は過去にがんで亡くなられていたのでがんに対する理解があって、僕の病状のことを心配してくれました。キャンサーペアレンツの活動をしたいということと、後は何か僕ができることがあるんだったら会社に対して恩返しがしたいということを僕は率直に社長に伝えたんです。社長の理解があり、じゃあ僕、頑張りますとなった。社内に社長という立場で病気を理解してくれる人がいたのは大きかったです。また、あえて言わせていただくと、信頼貯蓄っていう考え方は、僕はすごく大事だと思ってるんです。僕は病気になるまでの15年は休むことなく一生懸命働いてきて、やっぱりそこには信頼関係があったからこそ、こういう僕のわがままに対してもサポートしてくれるような関係性が作られてるんじゃないかと僕は思ってるんです。会社はしょせん会社でしょみたいなスタンスで働いてて、サポートしてくれないんですかと、サポートしてくれて当然でしょみたいな感じで接してると、それはお互い人と人だから信頼関係は築けない。そこは制度とかじゃないと思うんです。僕は大事だと思うし、いつなんどきどうなるか分からない状態の中でいうと、目の前の仕事をちゃんとやるっていうことが大事なんじゃないかというふうに僕は思っています。

岸田 大切ですよね。

西口 何でもそうですけど。家族でもそうだし、友達関係もそうだし。そういうのがないとね。そういう自分が危ない状態のときほど、それまでの生活とか人生が出てくると思います。

【後遺症】

岸田 後遺症は何かありますか。

西口 二つあります。一つはヘルニア。最初の検査の時におなかの腹筋を切ってるんですが、腹筋って完全にくっつかないらしく、この筋肉の空いた所からちょっとずつ腸が出てくるんです。それが目立つようになってきたら手術をして、これをもう一回くっつけるという処置が必要だという後遺症があります。

岸田 二つ目、ホルモンバランス。

西口 ホルモンバランスかどうかは分からないんですけど、肌荒れとか背中ににきびができたりとか。

岸田 これ以外にもありますか?

西口 ずっとあるのは、膨満感。吐き気じゃないけど、なんかおなかいっぱいやなみたいな、そういう感覚がずっとある。たまに吐き気もきたりするのでそれがやっぱりつらいかな。

【キャンサーーギフト】

岸田 去年のインタビューで聞いたときは「嫌なことは嫌と、シンプルに考えるようになった」ことがグッチさんのキャンサーギフトだとをおっしゃってたんですけれども、今はどんなキャンサーギフトがありますか。

西口 嫌なことが嫌というか、「やりたいことをやりたい」っていうこと。これはすごく大切だと僕は思う。人からかっこいいと思われることを積極的にやろうと思うし、かっこ悪いことはやりたくないと考えてます。がんサバイバー同士のつながりとかいろんな出会いとかみたいなものはすごく大きくて、それは多分、僕ががんにならなければ出会えないような人たちもたくさんいたので、それが一番うれしい。僕が病気にならなければこうやって

岸田君と出会うことなんて多分なかったわけです。そういうのはすごく大きなギフトだと思います。

【夢】

岸田、今のグッチさんの夢は。

西口 これは一年前と変わらないし、個人の思いとしてはやっぱりこれ。「少しでも元気に長く生きていたい」です。今、キャンサーペアレンツの活動やってく中でいうと、やっぱりいろんな思いが湧き、あふれ出てくる。

岸田 キャンサーペアレンツについてちょっと説明していただいてもいいですか。

西口 これはがんの親という造語なんです。子どもを持つがん患者さんのつながりのことをキャンサーペアレンツと僕らは名付け、インターネット上のコミュニティーサイトを運営しています。僕自身ががんになった時、同世代の人たちとかお子さんの年齢が近い人たちとかそういう人と分かち合いたかったんだけども、分かち合える場がなかった。だったら自分で作ろうということで、お子さんがいるがん患者さんのつながりを作る目的で立ち上げたのがこのキャンサーペアレンツという会です。今、1000人ぐらいの会員がいらっしゃって、お子さんへの伝え方についてのアンケートを取ったりとか、あとは、仕事とかお金とかみたいなことのアンケートを取って、世の中にどんどん僕らのリアルを伝えていく活動をしています。これらの活動を通じて、まずは病気のリアルを知ってもらって、がんになっても生きていきやすいような社会をつくっていけたらいいなと考えて、活動をしています。

岸田 キャンサーペアレンツを通しての夢はありますか。

西口 このサービスが形を変えているかもしれないけれども10年後、20年後、50年後、100年後もずっとあり続けるのが僕の夢なんです。将来なにかのきっかけでがんという病気に出会ったとき、このサービスとまた再会することになると思うんです。そのときにこのサービスに助けられる人がいるってことを僕の子どもが目にしたときに、このサービスを作ったのがお父さんだということを知ったとき僕は誇らしいなと思うわけです。それが今の僕の夢です。

【闘病中のあなたに】

岸田 最後に一言。今、闘病中のあなたに。去年のインタビューでは「行動すれば変わる」とおっしゃっていました。今、闘病している人に対しての西口さんからのメッセージをお願いします。

西口 「行動すれば変わる」というのは1年たった今でもすごく大事なことで、僕が元気でいれる理由はこれなんです。僕が変わると言っていたのは、僕の体調や、キャンサーペアレンツの活動、僕を取り巻く家族との接し方や、仕事等たくさんある。僕が行動してきたからこそ、いいように変わってきたということが改めて感じる1年だったと思うので、伝えたいメッセージは一年前と変わらないです。いろんな状態とか状況とか、メンタルとかあると思うんですけど、何かアクションすることでプラスに変わっていくことのほうが多いと思う。だから僕は改めて、行動をするということは大事なんだろうと感じています。行動したからこそ、こういうような出会いもある。改めてこの1年後も行動すれば変わると思っています。

岸田 そうですね。1年前も1年後も今こうやって本当に西口さんが行動して変わっているように、また来年もいい方向に変わっていくかもしれないですね。

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