目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:木崎

「スキンヘッドからウィッグまで」治療後の記念撮影とエルモ声真似|木崎さんのユニークな自己紹介

 

岸田 本日のゲストは木崎さんです。まずは自己紹介からお願いします。このお写真、インパクトがとても強いですが、どういった経緯で撮影されたものなんでしょうか?

木崎 はい。この写真は、私が白血病の治療を一通り終えたあとに撮影していただいたものです。大阪に、がん患者を専門に撮影されているフォトグラファーの方がいらっしゃって、治療が一区切りついた記念としてお願いしました。

岸田 なるほど。そういう背景があったんですね。この写真ではスキンヘッドの姿が印象的ですが、当時は髪が抜けた状態だったのでしょうか?

木崎 そうですね。当時はスキンヘッドでした。今も基本的にはスキンヘッドなんですが、今日はウィッグを着用しています。撮影のときもそうだったんですけど、「坊主でもかっこいいね」と言ってくださる方も多くて。ただ、一生残る写真だと思うと、やっぱり髪がある姿でも撮っておきたいと思って、ウィッグをかぶって撮影しました。

岸田 なるほど。記念写真だからこそ、「髪があるバージョン」でも残しておこうと。

木崎 はい。あと、冬はやっぱりスキンヘッドだと寒くて(笑)。なので最近は少しウィッグの出番も増えています。

岸田 なるほど、ある意味“ニット帽代わり”みたいな感じですね(笑)。

木崎 そうですね(笑)。でも、ウィッグの方が人間味があって、自分としても悪くないなと思っています。

岸田 確かに、今日のウィッグもとても自然で似合っていますよ。

木崎 本当ですか?ありがとうございます。久しぶりに友人と会う時なんかは、あえて最初スキンヘッドで行って、途中でトイレに行ってウィッグをかぶって戻ってくる、なんてこともたまにするんです(笑)。そうすると「昔の木崎くんっぽい!」って言われたりして。

岸田 なるほど、それはちょっとしたドッキリですね(笑)。

木崎 そうですね(笑)。ただ、初めからウィッグで会うと逆に気を使わせてしまうこともあるので、場の雰囲気を見ながら使い分けてます。

岸田 なるほど、相手や場面を見て工夫されてるんですね。とても自然で、堂々とした印象を受けます。

木崎 そうなんです。なんかそういうちょっと空気が重くなりそうだなって時は、一回トイレに行って、ウィッグをかぶって戻ってくるっていうことをしてます(笑)。

岸田 なるほど、ちゃんと空気を読んでね。

木崎 まあ、最初からかぶって行けばいい話なんですけど(笑)。

岸田 いやいや、そういう柔軟な対応ができるのが木崎さんの良さですよ。ありがとうございます。そんな木崎さんですが、大阪ご出身で、現在は大学院に通われているんですよね。そして趣味の欄に「キャラクターの声真似」とありますが……これ、もう振らないと怒られそうなやつですよね(笑)。

木崎 そうですね(笑)。ただ僕の声真似って、シラフでやるとだいたいシーンとなるタイプなんですよ。酔っ払ってる時にやると、みんな「おおー!」って盛り上がるんですけど。だから今これを見てくださってる方がシラフの方だったら、「あ、なんかよく分かんないな」って思って、次の動画に飛ばされるかもしれないです(笑)。

岸田 視聴率が下がるやつだ(笑)。

木崎 そうなんです(笑)。再生数が落ちたらすみません。

岸田 いやいや、みなさん温かく見てくださってると思うので大丈夫ですよ。

木崎 じゃあ、もしよければ「似てた」「似てない」ってコメント欄に書いてもらえたら、今後の参考にします(笑)。

岸田 参考になるとのことです。じゃあお願いします!

木崎 はい、では行きます。エルモ、赤いキャラクターのエルモの声真似をさせていただきます。
(※エルモの声で)「え〜、エルモだよ。」……以上です。

岸田 あれ……やばい、俺、エルモの原型をあんまり知らないかもしれない(笑)。

木崎 結構こうなるんですよ(笑)。元のエルモの声を知らない人が多くて、「あ、そういう声なんだ」で終わっちゃうんですよね。だから最近はちょっとキャラクターを変えた方がいいのかなって思ってます。

岸田 いやいやいや、でも分かる人にはめちゃくちゃ刺さってると思う。

木崎 多分USJが好きな方だったら今「あ〜!」って思ってくださってるはずなので、ぜひコメントで反応ください(笑)。

岸田 ああ、なるほど!あの赤くてもじゃもじゃのキャラクターね。

木崎 そうです(笑)。でも逆に思うんですよ。エルモってめっちゃ有名なのに、知らない人ってなんでなんだろうって(笑)。

岸田 すみません(笑)。

木崎 怒ってるわけじゃないです(笑)。ただ純粋に不思議で(笑)。

岸田 いやいや、ありがとうございます。こんなやりづらい空気の中でもちゃんとやってくれるあたり、さすが関西人ですね(笑)。さて、話を戻していきたいと思います。ここからは木崎さんの治療について伺っていきます。がんの種類は急性骨髄性白血病。告知を受けたのは22歳、そして現在は25歳。治療としては薬物療法、手術、そして移植も受けられたということですね。

22歳で急性骨髄性白血病と診断された大学院生の3年間|合併症の連鎖を乗り越えた軌跡

 

岸田 ではここからは、木崎さんのペイシェントジャーニーについて詳しく伺っていきたいと思います。こちらのグラフには、治療の経過や気持ちの変化などが表されています。全体を見ると、気持ちが落ち込む時期が多い一方で、途中に少し上がっている部分も見えますね。では、最初の出来事から順にたどっていきましょう。まずは「大学卒業」と書かれています。現在は大学院に在籍されているということですが、大学を卒業してそのまま進学されたんでしょうか?

木崎 はい、そうです。大学を卒業して、そのまま大学院に進みました。

岸田 大学院ではどんな分野を学ばれているんですか?

木崎 大学では工学を専攻していたんですけど、大学院ではそこに経営の要素を加えた「技術経営」、いわゆるMOT(Management of Technology)を学んでいます。

岸田 技術と経営、どちらも学ぶとはかっこいいですね。そんな木崎さんですが、次の項目に「40度の発熱でトイレで倒れる」とあります。これはどういった状況だったんでしょうか?

木崎 大学を卒業した直後で、ちょうど卒業旅行なども続いていた時期でした。かなり遊びまくっていたので、最初は単なる疲労による発熱だと思っていたんです。でも熱が全然下がらず、1週間くらい寝込んでしまって。ある日トイレに行って、用を足して立ち上がった瞬間に意識がなくなって、そのままユニットバスの浴槽にお尻から“スポッ”とはまってしまったんです。

岸田 ええっ、それは危なかったですね。

木崎 そうなんですよ。救急隊の方が来られたとき、「なんでこんなところにはまってるんですか?」って言われました(笑)。どう倒れたのか、自分でも分からなかったです。

岸田 救急隊が来たんですね。

木崎 はい。母がそのとき家にいたんですけど、僕の体が大きくて一人では助け出せなかったので、救急車を呼んでくれて。隊員さんが3人くらいで足を持って“スポンッ”と引き抜いてくれました(笑)。

岸田 まさかのユニットバスで……。起き上がろうとしたら、ふらっとして浴槽に落ちてしまった感じだったんですね。

木崎 そうですね。気づいたら浴槽の中で動けなくなっていました。

岸田 そこから救急搬送されて、病院で検査を受けることになったと。

木崎 はい。搬送された時点で熱は少し下がっていたんですけど、血液検査で白血球の中の「好中球」という値が極端に低く、通常の3分の1ほどしかなかったんです。それで造血器疾患の可能性があるということで、大学病院を紹介されました。

岸田 そして大学病院で検査を受けて、「急性骨髄性白血病」と告知を受けたと。告知の時の感情を表す部分が「白い枠」になっていますが、これは「どちらでもない感情」という意味ですよね。どういうお気持ちだったんでしょう?

木崎 当時はまだ、白血病や造血器疾患に関する知識がまったくなかったので、どれほど深刻なのかが分からなかったんです。だから「白血病です」と言われても、あまり現実感がなく、「診断されたんだな」くらいの感覚でした。

岸田 なるほど。ご家族はその場にいらっしゃったんですか?

木崎 母が一緒にいました。僕の前では取り乱したり泣いたりせず、冷静にしてくれていたんですが、後で聞いたところ、病室を出たあとにかなり泣いていたそうです。ただ、入院の準備などが多く、すぐに行動しなきゃいけない状況だったので、気持ちを切り替えて動いてくれていました。

岸田 親御さんも本当に大変だったと思います。そこから治療が始まっていくわけですが、最初は「寛解導入療法」と「地固め療法」という薬物療法を受けられたんですよね?

木崎 はい。抗がん剤で白血病細胞を抑える治療です。無菌室で治療を受け、食欲不振や倦怠感といった副作用がありました。

岸田 どれくらいの期間続いたんですか?

木崎 寛解導入療法がまず1クール約1ヶ月で、これを3回。合計で3ヶ月ほどでした。抗がん剤を7日間投与して、その後白血球の回復を待つ期間がある、というサイクルですね。

岸田 そこからさらに厳しい局面、移植へと進むんですね。ここで気持ちのグラフも大きく下がっています。

木崎 はい。私の場合、「同種末梢血幹細胞移植」という形でした。ドナーさんが提供してくださった造血幹細胞を私の血液に入れていただくという方法です。

岸田 移植というと、体への負担も大きいと聞きます。やはり大変でしたか?

木崎 はい。これまでの抗がん剤に加えて、放射線治療も行ったので、体への負担が一気に増えました。特に粘膜の副作用が強く、口の中がただれてしまって話すことができず、しばらくはパソコンで文字を打って医療スタッフとコミュニケーションを取っていました。

岸田 それは本当に大変でしたね……。声すら出せない状況の中で治療を続けるというのは、相当な精神力が必要だったと思います。え、放射線も受けられたんですか?

木崎 はい。全身に放射線を浴びる治療でした。

岸田 自己紹介の時にはおっしゃってなかったけれど、放射線治療も経験されていたんですね。

木崎 そうなんです。抗がん剤に加えて放射線もあって、身体への負担はかなり大きかったです。

岸田 その状態で、話すのも辛い中で、パソコンで医療スタッフの方とコミュニケーションを取っていたということですが、それも大変だったのでは?

木崎 確かに大変ではありましたが、あの時は喋ること自体が苦痛だったので、指を動かして打ち込む方がまだ楽だったんです。もちろん会話のスピードは落ちてしまうんですけど、医療スタッフの方がとても丁寧に対応してくださって、本当に助けられました。

岸田 そうでしたか……ありがとうございます。では、ここからグラフが少し上がっていきますね。次の項目は「急性GVHD」とあります。これはどういったものなんでしょうか?

木崎 GVHDというのは、移植したドナーさんの免疫細胞が、僕の体の細胞を“異物”とみなして攻撃してしまう現象です。自己免疫疾患に似たような状態になります。

岸田 「急性」とあるのは、突然起こったということですか?

木崎 そうですね。GVHDには急性と慢性があって、移植から3ヶ月以内に起こるのが急性、それ以降に出るのが慢性と分けられます。僕の場合は移植して2〜3週間後に起きたので、急性に分類されます。

岸田 そのとき、具体的にはどんな症状が出たんですか?

木崎 肝機能障害と皮膚障害が出ました。肝臓の数値ではγ-GTPが300〜400くらいまで上がり、皮膚の症状としては手のひらや足の裏が火傷したようにヒリヒリして、とにかく痛くて寝られない日が2〜3週間ほど続きました。

岸田 それはつらいですね……。その症状はどうやって抑えるんですか?

木崎 免疫抑制剤を使って、免疫の働きを意図的に弱めていきます。僕の場合はプログラフという免疫抑制剤やステロイドなどを服用して、炎症を抑えていました。

岸田 なるほど。免疫を落としてコントロールしていくんですね。そこからまた少し気持ちのグラフが上がっていますが、これは退院された時期でしょうか?

木崎 はい。移植からおよそ2ヶ月後に退院することができました。他の患者さんと比べても、やや早い方だったと思います。

岸田 そして次の項目を見ると、またグッと下がっています。「突発性大腿骨壊死症」とありますね。これはどういう状態なんでしょうか?

木崎 免疫抑制剤の副作用の一つに、骨をもろくしてしまう作用があるんです。その影響で、股関節の中にある大腿骨の先端(骨頭)が潰れてしまいました。歩くのも難しいほどの痛みがありました。せっかく白血病を乗り越えたのに、今度は治療の副作用で歩けなくなってしまうという現実に、すごく怒りや悔しさを感じましたね。

岸田 それは本当に理不尽ですよね……。骨が潰れるというのは、ある日突然起こったんですか?

木崎 はい。骨に栄養を送る血管が狭くなって血流が途絶えてしまうと、骨が弱っていくそうなんです。僕の場合はテニスをしていたとき、股関節を回した瞬間に「ゴキッ」と音がして、激痛が走って歩けなくなりました。

岸田 なるほど……。それがきっかけだったんですね。そこからさらに「慢性GVHD」という言葉が続きます。これは先ほどの“急性”の後に続く形でしょうか?

木崎 はい。退院後に出てきたのが慢性GVHDです。全身に発疹や蕁麻疹が出たり、涙が出にくくなるドライアイ、舌の潰瘍などの症状がありました。食事のときもしみて、かなりつらかったです。

岸田 その症状とは今も付き合っているんですか?

木崎 はい。今は新しい治療薬を使って症状を抑えています。免疫抑制剤3種類に加えて、新薬を1種類投与していただいています。そのおかげで発疹や痛みなどはかなり軽減して、今は普通に生活できています。

岸田 ということは、今は合計で4種類の薬を服用されているんですね。

木崎 はい。タクロリムス、ステロイド、セルセプト、そしてイムブルピカという4つの薬を使っています。おかげで今は比較的安定しています。

岸田 ありがとうございます。ご覧になっている皆さんも、薬の使用については必ず主治医の指示に従ってくださいね。これはあくまで木崎さんご自身の体験談としてお伺いしています。さて、その後の項目には「手術 人工関節置換術」とあります。これは股関節の手術ですよね?

木崎 はい。潰れてしまった骨の部分を切除して、人工のインプラントを入れる手術を受けました。おかげで今はスムーズに歩けるようになっています。

岸田 すごい……まさに下半身が“サイボーグ”ですね。

木崎 そうですね(笑)。多分、僕の顔より少し長い金属の棒が入っていると思います。

岸田 え、それって飛行機に乗るときに金属探知機が反応したりしないんですか?

木崎 します(笑)。「人工股関節を入れています」という証明書を病院からもらっていて、それを空港で提示できるようにしています。まだ飛行機に乗る機会はないんですけど、次に乗る時は確実に引っかかると思います(笑)。

岸田 なるほど(笑)。まさか治療の副作用から人工関節までいくとは……。でも、そうやってまた歩けるようになったのは本当に大きなことですね。

岸田 そういう大変なことを経て、今はもう普段通りに生活できているんですね。人工関節置換術をしてからは普通に歩けているんですか?

木崎 はい、歩くことはできています。筋力が少し落ちてしまっているので、昔のように走り回るのは難しいんですけど、スキップくらいなら全然できます。

岸田 スキップできるのはすごい(笑)。ただ、スキップする機会ってなかなかないけどね。

木崎 たしかに(笑)。でも動けるっていうのが、もうそれだけでありがたいです。

岸田 そうですよね。では、大学院生活にも復帰されたということで、ここからの項目には「大学院に対面復帰」「起業育成プログラム」「医療機器開発プログラム」とあります。復帰してから、そういったプログラムに取り組むようになったのはどういうきっかけだったんでしょう?

木崎 そうですね。このペイシェントジャーニーの前半から中盤を振り返ると、正直「クソだな」って思う部分が多かったんです。

岸田 うん、「クソだな」ってね。

木崎 もちろん、移植してくださったドナーさんや医療スタッフの方々には本当に感謝しています。でも、やっぱり歩けなくなったり、復帰まで3年もかかってしまったりしたのは、やるせない気持ちがあって。だからこそ、こうしたつらい思いをする人を少しでも減らせるようなサービスや仕組みをつくりたいと思うようになりました。今はそのために、起業や医療機器開発のプログラムに参加して、学びながら準備をしています。

岸田 なるほど。木崎さん自身の経験をもとに、今度は「患者を支える側」になっていくわけですね。

木崎 そうですね。すぐに何かを形にできるわけではないですが、少しずつ、より良い環境やサービスを作っていけたらと思っています。次に白血病になってしまう方が、少しでも楽に闘病できるような環境を整えたいですね。……ちょっと恥ずかしいですけど(笑)。

岸田 いや、恥ずかしいなんてとんでもない。すばらしいことです。で、次にグラフが上がっている項目に「がんノート出演」と書かれていますね。これは最大限の“忖度”をいただいての上昇ですかね(笑)。

木崎 いやいや(笑)。もちろん岸田さんとお話しできるのが嬉しくて、実は撮影前日の夜は楽しみすぎて全然眠れませんでした。

岸田 本当に?無理して言ってない?(笑)「言わされてる感」出てない?

木崎 違います違います(笑)。でも本当に、自分の闘病の流れをこうして話せることが素直に嬉しいんです。治療中やリハビリの頃は、自分の病気について言葉にするのが難しかったので、こうして話せるようになったこと自体が、病気を受け入れられた証拠かなと思っています。

岸田 ありがとうございます。たしかに、木崎さんとは以前も話しましたけど、「自分のことを客観的に捉えられるようになった」っていうのがすごく大きいですよね。闘病を経て、それを俯瞰して語れるようになるのは、並大抵のことじゃないです。

木崎 ありがとうございます。うまくまとめてくださって(笑)。

岸田 いえいえ(笑)。もういつも通りフランクで大丈夫ですよ。では、ここから次の項目に進んでいきましょう。

治療の無限ループによる絶望感-「キャリア+がん」思考法で見つけた希望

岸田 はい、そんな木崎さんですが、「困ったことをどう乗り越えたか」というテーマに入っていきたいと思います。大変だったこととしては二つありますね。ひとつは「治療の副作用による合併症」、もうひとつは「人と比較して落ち込む」。それぞれどうやって乗り越えたのか、教えてください。

木崎 そうですね。まず合併症についてですが、治療をしてもその治療の副作用でまた別の治療が必要になったり、さらにその治療の副作用でまた治療しなきゃいけなくなったり……そういうループのような感覚がありました。当時は「なんのために治療してるんだろう」って思うことも正直ありましたね。

岸田 うん、気持ちが追いつかなくなるよね。

木崎 そうなんです。そういう時は、医療者の方に話を聞いてもらっていました。泣きながら話すことも多くて。最初は「20代の男が泣くなんてどうなんだろう」と思ってたんですけど、涙を流すと気持ちが軽くなるというか、少し楽になる感覚がありました。だから、もし今この動画を見ている方の中で、治療がつらくて気持ちをため込んでいる方がいたら、ぜひ医療者や周りの人に話してみてほしいです。泣くことは弱さじゃなくて、心を守る手段のひとつだと思います。

岸田 すごく大事なことですね。ちなみに、どんな方に話を聞いてもらっていたんですか?

木崎 臨床心理士の方ですね。心のケアをしてくださる専門の先生がいて、週に1回、1時間ほどお話をしてもらっていました。それでもつらい時は、日勤や夜勤の看護師さんにちょっと愚痴をこぼすこともありました。「これってどういうことなんですか」みたいに。そうやって、ためずに外に出すようにしていました。

岸田 なるほど。しんどい気持ちを抱えたままにしないで、ちゃんと人に話していたんですね。ではもう一つの「人と比較して落ち込む」というのは、どういう状況でしたか?

木崎 入院中やリハビリ中に、SNSを見ていると同年代の友達が社会人になって働いていたり、遊びに行っていたりするんですよね。それを見ると「自分は何もできてない」「世の中に貢献できていない」って感じて、すごく落ち込みました。歩けなくなっていた時期は特に強く感じましたね。

岸田 あぁ……。それは誰でも感じてしまうと思います。でもそこから「キャリアプラスがん」という考え方につながったんですよね。これはどういう意味ですか?

木崎 はい。これは僕なりの考え方なんですけど、「がんの経験をキャリアの中にどうプラスに活かせるか」という視点です。例えば僕の場合、移植の時期にパソコンでタイピングを使って医療スタッフと会話していたので、自然とタイピングのスピードが上がったんです。今、大学院での研究や資料作成でもそれが役に立っています。

だから、自分の経験を一度振り返ってみて、「がんを経験したことで得られたこと」「成長したこと」があるんじゃないかと探してみるようにしています。

岸田 なるほど。がんの経験をマイナスだけで終わらせず、自分のキャリアや強みに結びつけていくということですね。

木崎 そうです。最初は「クソだな」って思ってた時期もありましたけど、よく見てみると、その中に拾える“いいもの”がいくつかあったんですよね。そうやって少しずつ前向きに考えられるようになっていった気がします。

「治療がうまくいかない=負け」ではない|闘病に勝ち負けはない理由

岸田 ありがとうございます。では、ここで木崎さんからのメッセージをいただきたいと思います。木崎さん、お願いいたします。

木崎 はい。私からのメッセージとしては、これから移植を受ける方、もしくは受けようか迷っている方にお伝えしたいです。私の場合、移植後の治療経過は正直かなりしんどい部類に入ると思います。でも、私のまわりにはもっとスムーズに社会復帰できた方もたくさんいらっしゃいます。ですので、過度に不安にならず、信頼できる医療チームと一緒に治療を進めていってほしいです。

ただ、私は移植前に「大腿骨壊死」や「GVHD(移植片対宿主病)」といった合併症の可能性を深く理解していなかったので、治療中に「こんなの聞いてない、ありえない」と思った瞬間もありました。だからこそ、これを見てくださっている方には、そうした可能性が“ゼロではない”ということを少しでも知っておいていただけたらと思います。

また、治療が思うように進まない時期もあるかもしれません。私自身、うまくいかないことを“失敗”とか“負け”だと感じて、自分を責めてしまっていた時期がありました。でも、治療って自分の努力だけでどうにかできるものではないんですよね。だから、治療が思うようにいかなくても、自分を責めないでほしい。結果が悪かったとしても、それはあなたのせいではありません。

どうか皆さんの治療がうまくいくことを心から願っています。そして、治療を支えてくださった医療従事者の方々、薬や医療機器を開発してくださっている方々に、心から感謝しています。本当にありがとうございます。

岸田 はい、ありがとうございます。いや本当にそうですよね。治療って“病気と戦う”って表現されますけど、勝ち負けの話じゃないんですよね。

木崎 そうですね。病気が治った人が“勝ち”というわけではないし、治らなかった人が“負け”というわけでもないと思います。だからこそ、自分の体と向き合うこと自体が、もう十分に頑張っていることなんだと伝えたいです。

岸田 うん、すごく伝わりました。木崎さんの言葉には、実際に経験されたからこその重みがあります。ではこれにて、「がんノートmini 木崎さん編」終了となります。本日は本当にありがとうございました。

木崎 ありがとうございました。皆さん、治療……頑張ってください。でも、頑張らなくても大丈夫です。

岸田 どっちやねん!(笑)

木崎 自分なりのペースが大切ってことを伝えたいですね(笑)

岸田 それでは、今回のインタビューを終了したいと思います。木崎さん、ありがとうございました!

木崎 ありがとうございました!

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談