目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:紙

岸田 ライブ配信開始という形。ライブ配信、開始しました。紙さん、今日はよろしくお願いいたします。

 よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いします。本当、今日、良い天気ですね。

 良い天気です。

岸田 紙さん、富山から・・・。

 はい、そうです。

岸田 今、入っていただいてるんですよね。今、コロナ禍でもこうやってオンラインでつなげるの、いいことだなと思いつつも、今日はみっちり、紙さんのお話をロングインタビューという形で、根掘り葉掘り、お伺いしていきたいと思います。

岸田 もし皆さん、僕が聞いていて、こういったことも聞きたいなとかコメントや感想ありましたら、YouTubeのコメント欄からぜひぜひいただければ嬉しいなということを思います。適宜、拾っていきたいと思います。

岸田 それでは、僕の自己紹介をちょっとだけさせて下さい。岸田徹と申しまして、僕は25歳と27歳のときに、胚細胞腫瘍という珍しいがんになりました。当時、抗がん剤治療や手術もろもろして、今は経過観察をしております。当時のがんの経験から、患者さんの経験談っていうのは見通しになるだったりとか、そういうところを思って、ロングインタビュー、こういうインタビューを始めていったというものになります。

岸田 かれこれ2014年からスタートしているので、もうウン年たちます。がんノート代表理事を今しておりまして、今日はMCを務めさせていただきます。皆さん、よろしくお願いいたします。セルフ拍手っていう、この形で。では、今日のゲストである紙さんの紹介に移っていきたいと思います。紙さん、ちょっとだけ自己紹介お願い出来ますでしょうか。

 はい。皆さん、今日はよろしくお願いします。私、紙雄規と申します。出身は富山県のほうで、今も富山県に住んでおります。今、現在36歳で、仕事は普通に会社員をしております。私ですが、6年前に、30歳の時に、急性骨髄性白血病に罹患しました。移植、抗がん剤、放射線治療等して、今現在は、病院のほうに4週に1回ですかね、1カ月に1回ほどのペースで通院して、治療をしております。治療は今現在、服薬治療のほうで薬のみでございます。病院に行って採血等もろもろして、状況を観察中というような状態でございます。以上です。

岸田 ありがとうございます。紙さん、別にあれっすね、今、寝起きとかじゃないですよね?

 寝起きじゃないです。ちょっとパーマの具合が、きょう調子悪いっす。

岸田 え、そのパーマって僕と同じくあれ? 後遺症のパーマ?

 いや、違います。僕の場合は小顔パーマって言ってるんですけど、顔がちょっと大きいために、顔を小さく見せるためのパーマですね。

岸田 え、それは後遺症のパーマですよね?

 じゃないですよ。かけてます。

岸田 じゃない、かけてるんや。

 かけてます。パーマかけてるんですけど、最近短くしようと思って床屋行ったんですけど、パーマ残っとったんで、パーマの感じを残しつつ短くしちゃうかっていうことで、この辺とかすごく短くしちゃって。

岸田 ほんまや。えー。

 こんなやってます。

岸田 やばい。

 こんな感じでいきましょうかね。

岸田 途中から見た人、びっくりするから。

 駄目ですか。

岸田 びっくりする。今の流れ見てたら、全然分かるけど。

 そうなんですね。こんな感じでいかせてください。

岸田 いや、こんな感じでめっちゃ面白い方なので、皆さんもぜひぜひコメントよろしくお願いします。皆さん、コメントいただいているので、ちょっとだけ読ませていただきますね。Jitsuharaさん『こんにちは』、ももさんも『こんにちは』、『origin』楽しみですと。『髪型コラボってますね』って髪型のコメントいただいていました。

 ありがとうございます。

岸田 『ロングバージョンがんばれ』っていう方だったりとか。クロダさんも、『きょうは、お昼なんですね』え、『木曜日の夜は体調悪くて救急車に運ばれ緊急入院しちゃいました』大丈夫ですか。そんな中見ていただいて、ありがとうございます。

 ありがとうございます。

岸田 jusgrimikaさん、『こんにちは』ということ言われています。髪型で頭ちゃんと小さく見えますよって言われてます。

 計画通り。

岸田 計画通り。マインズさん、『紙さんが今飲まれている薬を教えていただきたいと思っています。よろしくお願いします』ということで。先に、忘れないうちに、今飲んでる薬なんですか。

 は、免疫抑制剤のほうと、ステロイド。高血圧の薬。尿酸値下げる薬。真菌剤。先ほど飲んだんですけど。カビを防止するやつか。

岸田 そっちのね。カビのほうの。

 そう。真実の真に、ばい菌の菌か。剤。

岸田 心臓の筋肉かと思った。

紙 すいません。分かりづらかったですね。

岸田 全然。

 真菌剤か。それぐらいですかね。お薬の名前はちょっと。

岸田 全然。すごい結構、いろんな種類を。これ、毎朝?

 毎朝が多いですね。

岸田 さっきも真菌剤飲んでこられた?

 そうです。

岸田 今、口の中が苦いでしょ。

紙 クイッと。うん、イガイガしてます、口の中が。いつもならもうちょっといい声出てるんですけど、申し訳ございませんです。

岸田 じゃあ、本当いつものほうをすごく期待しちゃいますね。rinaさんもはじめましてということ。ありがとうございます。Yanagisawaさんも、Kanaさんも、『刈り上げサイコーです』ということで。

 ありがとうございます。Yanagisawaさん、前、あれでしたね。

岸田 そう。Kanaさん、出ていただいた、そうです。マインズさんも、答えてくださって、『ありがとうございます』といただいております。皆さん、ぜひぜひコメントいただいたら、ぜひ適宜読み上げていきたいと思います。

【発覚から告知まで】

岸田 それでは早速なんですけど、紙さんの闘病、振り返っていきたいと思います。『発覚から告知まで』ということで、紙さんがどんな感じで発覚してきたのか、お伺いできますでしょうか。

 発覚から告知までということですけれども。私の場合は、会社の健康診断で引っ掛かるというか、ちょっと異常がありますよということで、すぐに病院行きなさいということで、会社から電話がかかってきたんですね。もう健康診断の数日後ですかね。当時私、福井県のほうに赴任しておりまして、福井県の近くのちょっと大きい病院に行ったんですけど、やはり異常がありますよってことだったので、ちょっともう、先生の口ぶりが大変なことになっとるぞ的な口ぶりだったもんで。

紙 ちょっともしかして、入院とかせんなんがじゃないかなというふうに考えた時に、ちょっと福井県じゃ駄目だなと思って、家族のサポートとかもなかったもんで。地元の富山のほうに戻りまして、今現在も通ってる病院なんですけども、そこで検査をすると、即日入院ですよってことで、病気が発覚しました。

 福井の病院から富山行くまでも、何日間かあったんですけど、その富山の病院に行く前日に、私、富山の3000メートル級の山に登ってて。

岸田 え?

 体自体が、もう全然自覚症状がなかったんですよ。しんどいとかもなくて。本当にこれ病気なんかなって自分で思うぐらいの調子やったんですね。何ともないやろうと思っとったんですけど、富山のほうで検査すると、駄目です。まあ、駄目とは言われませんでしたけど、即日入院しましょうって話になって、入院しました。

岸田 入院していったと。

紙 そこで病気、いろいろ検査して、「白血病ですよ」という告知を受けたという流れですかね。

岸田 ありがとうございます。ちょっと振り返っていきたいんですけど。まず会社の健康診断を受けていたといったところ。それはもう年に1回あるような。

紙 そうです。

岸田 会社員がよく受けるやつ。

 そうです。

岸田 あれで、血液の値が、なんかやばかったんですね、じゃあ。

 そうです。

岸田 それで福井県の病院に行って、精密検査して。

紙 はい。

岸田 そのときは、なんか自分の中でやばいなとかっていうのはあった?

紙 いや、やばいなって感覚が全然なくて。

岸田 そうやな。あったら絶対3000メートル級の山、行かんもんな。

紙 そうでしょ、行かないでしょ。全然ピンピンして、行けとったんですよ。体力も落ちとる感じもなかったし。全然それも。僕の中で白血病とかってなると、体にあざとかできるイメージがあったんですけど、そういうのもなくて、そういう症状が出ないだけなのかもしれないですけど。

岸田 じゃあそこで福井の病院じゃなくて、富山の病院行ったんですよね?

紙 そうです。

岸田 そこは福井だと、自分一人になるけど、富山の病院だと家族もいるからっていうことで。

 そうですね、もしなんかあったときに、近くに家族のサポートがあったほうが、何かとということを考慮すると、やはり地元に帰ってからのほうがいいかなという。

岸田 病院をそのとき選ぶ時って、なんか基準ありました? それとも言われたまんま?

 いや、言われたまんまじゃないですね。僕の中で二つぐらい候補があって、富山県でも。どっちにしようかなと思って。

岸田 鉛筆転がした?

 鉛筆は転がしてないです。

岸田 けど、過去に本当に自分の治療を鉛筆で転がして決めた人がいて。

紙 そうなんですか。それもありでしょうね、確かに。でも、家から近い所と遠い所があったんですけど、結局、遠い所選びました。

岸田 え、なんでなんで? 近い所のほうが良いやん。

紙 近い所が良いっすよね、何かでも。でも、僕の中で普通の感覚ですね。

岸田 感覚?

 大学病院なんですけど、その大学病院的な所が、僕のところでレベルが高そうやなっていう勝手な認識なあったんで、そこにしたっていう理由です。理由としては。

岸田 イメージで決めていったという処もあるということね。

 そうです。

岸田 遠い所に行ったという処で、そこで精密検査を受けていって、医師から白血病ですよということを言われていく。そのときの心境とかってどうでした?

紙 いや、もう青天の霹靂かって感じですよね。

岸田 青天の霹靂。

 えって感じです。まさか俺が?みたいな感じです。いや、こんなにピンピンして、昨日も山登っとるんに、え?って感じです。

岸田 そっか。え、もうそしたら即日入院?

 そうです。即日、何ていうんですか、ビニール1枚の病室ですか。

岸田 ビニール1枚の病室?

紙 無菌室です、無菌室。

岸田 無菌室ってことね。

 ビニール室じゃないです。無菌室です。

岸田 あー、無菌室に運ばれてったっていうことなのね。

 そこでもう、なんか自分の事の重大さが分かりましたね。4人部屋とか思っとたんで。入院とかっていったら。過去に一度、膝の靱帯切って入院したことあるんですけど、そのときも4人部屋だったんで、そんな感じかと思っとったんですけど。いざ、入院ですよって言われて、入った部屋がそんな部屋だったら、これはと思いましたね。

岸田 そっか。そこから即日入院していって、治療をしていくといったところ、青天のへきれきといったところの気持ちも。気持ち落ち着いたのって、どのタイミングぐらい? もうちょっと後?

 どのぐらいですかね。もうちょっと後ですかね。

岸田 治療してる間に?

 けどやっぱり今でも覚えてるのが、入院した日の晩ご飯ですかね。食べてたときに涙が出ましたね。そこであらためて実感したって感じですかね。近くにおった母親が泣いてくれて、「ごめんね」と。「いやいや、あなたは悪くないよ」って話をして。ていうのをすごい覚えています。

岸田 ありがとうございます。なんか自分の告知されたときって、周りの人も結構、本当ショックを受けるんじゃないかなと思います。また家族のことは、またお伺いしていこうと思っております。紙さん、全然関係ないけど、あれ? 近くで誰かがPC打ってたりとかする? パシパシって。

 してないです。

岸田 してない? パシパシ聞こえるから、誰かいらっしゃるのかと思ったんやけど、そういうじゃあ、俺だけかな。

紙 誰もいないです。

岸田 そうなんや。コメント、ちょっといただいております。『いい声ですよ』ということ。

 ありがとうございます。嬉しいです。もうちょっと良くしときます。

岸田 rinaさんから、『自覚症状ないのに、一体どこの数値がやばかったんですか?』っていうコメントいただいております。どの数値、覚えてる?

紙 血液の確か芽球の数値じゃなかったですかね。それがもう一定値以上あったはずです。

岸田 芽球の。

紙 ちょっとうろ覚えですいません。申し訳ないですが。

岸田 いや、全然。ちなみに皆さん、初めて見られた方にお伝えしとくと。がんノートに関しては、医療情報に関しては、本当に主治医さんや、がん情報サービスや、病院のご判断を聞いてください。僕たちはその周りに何があったかだったりとか、患者側の情報を発信する生活の情報だったり、そういう番組になりますので、そこのところ、よろしくお願いします。『どこに入院するか? 自分のイメージも重要な要素かも』という言葉。それからKanaさんも、『わかりますー。わたしも違う人のことを言ってると思いました』と、告知されたときね。だったりだとか、『パシパシは、しますね』って良かった。僕だけのあれじゃなかったね。

 なるほど。

岸田 もしかしてあれかな。紙さんのパソコンのファンが回ってるのかな。違う? 気のせいかもしれんけど。誰も周り、いないんよね? 誰もね。

 いないです。ねえ、いないです。本当にいない。見渡してあげたいぐらい。誰もいないっすよ。このボールペンの、緊張して、これカチカチ音する。

岸田 それかもしれへん。それかも。

紙 こう見えて私、緊張してるんで。

岸田 なんか解決した。

 解決しました? すいません。

岸田 解決した。

紙 落ち着こう。

【治療から現在まで】

岸田 ありがとうございます。じゃあ、次いきましょう。では、次お願いします。次、治療から現在のところといったところで、こういうふうな形できております。振り返っていきましょう。2015年9月は、先ほどの告知のところがあって。その後、2015年10月に抗がん剤治療、寛解導入療法が入ってきます。そして精子の保存、そして2015年12月に地固め療法をしていくということなんですけれども。告知を受けてから、あれですか。寛解導入療法という、抗がん剤が入ってきたんですね、紙さん。

 そうです。

岸田 このときの治療、どんなことしたんですか。

 このときに関しては、点滴による抗がん剤の治療ですね。

岸田 ふーん。点滴による抗がん剤、何個かある感じ、抗がん剤も。

 そうですね、抗がん剤が。ちょっと待ってくださいよ。

岸田 別に詳しいところはなくても、大丈夫よ。

 2種類ですね。

岸田 2種類の抗がん剤治療。どれぐらいの期間、やったんですか、その時は。

 1週間ずつやったと思いますね。

岸田 1? 2?

 1週間ずつです。

岸田 1週間ずつ抗がん剤治療して。

 2種類ですね。

岸田 2種類あって。結構、その治療つらかったです? 大変でした?

 いや、私にも、どうなるんかなっていう。私のイメージでいくと、もちろん脱毛ですよね。吐き気とかだと思うんですけど、それはもろに出て。吐き気は、僕そんなでもなかったんですけど、高熱が出たりとかっていうのは、やっぱりありましたね。だるさというか。

岸田 けど最初、これ、寛解導入療法として1週間ずつやっていった中で、体調も悪くなっていくじゃないですか。この時は、この後いろいろ、また治療もあるって言われてるんですよね?

 そうです、言われてます。

岸田 最初の治療でつらかったら、心折れません?

 折れますよね、やっぱり。これでこんなもんかって思いましたもんね。こんなにひどいんか。この後どうなるんやろう。これを2回、3回とやって、ましてや想像もつかん治療がまたさらに出てくるんかなと考えたときに、やっぱりぞっとしましたよね。

岸田 ずっと入院しながらだよね? さっきの入院のハウスの中に入れられて。

 ずっと入院中ですね。

岸田 ずっと入院で、その後、精子保存していく。これは妊孕性という、子どものつくる能力の温存ということで。これまた後で、詳しくお話を聞いていきたいと思います。そしてその後、抗がん剤治療の地固め療法。これ、寛解導入療法と地固め療法って違うの?

 それは寛解導入療法っていうのは、がん細胞をゼロにしていく治療だったと思うんですけど。地固め療法っていうのは、移植じゃない、放射線治療、移植の前にする最後のとどめ的な、抗がん剤の治療法だったと思っております。

岸田 詳しいことは、がん情報サービス、色々見て欲しいですけれども。これも同じあれ? 抗がん剤?

 そうですね、抗がん剤ですね。え、違いますね。これもまた違う抗がん剤でしたね。1回目も違うし、2回目も違うし、3回目も違う抗がん剤でした。

岸田 それ、今回はどれぐらいの期間やった?

紙 それも1週間ぐらいだったと思います。5日間やったかな。大体、僕、1週間だったと思っています。

岸田 やっていって。これも結構つらかった? 大丈夫やった?

 いや、同じくつらかったですね、やっぱり。だから、何回目の抗がん剤か忘れましたけど、もう考えられん色してる抗がん剤とかあって。

岸田 よく赤色のやつとか。

 そう。あるじゃないですか。マジ、こんなん身体に入って、大丈夫なんかいと思いましたもんね。身体とかも青くなったり、身体、赤くなったりしんがかなと思ったり。

岸田 入れられてね。

 そう、入れられて。大丈夫か?と思いました。けど、それだけ色、見ると、抗がん剤ってこんなもんなんだろうなと思いました。まさに毒々しいというか。

岸田 そのときね。それで、じゃあ地固め療法やって、いい感じに数値はなってったの?

紙 そうですね。目標としていたところまでいって。次、何でしたっけ?

岸田 次。

 そこ、そう。次のところですよ。この放射線治療ですね。この12グレイってところ。

岸田 放射線治療をしていくと。この放射線は、紙さんにとって、めっちゃ天敵やったんですよね。

 めちゃめちゃ天敵でしたね、これは本当に。

岸田 何ゆえ。

紙 何ゆえ、これはですね、この放射線1日目の時ですかね、確か5日間やったと思うんですけど、1日目の時に、もう40度、終わってから40度の熱が出て。

岸田 え、放射線はどこにするの? 放射線はその時。

 全身ですね、やっぱり。血液のがんなので。

岸田 全身?

紙 全身です。

岸田 うわー。それをやって、1日目は高熱?

紙 1日目で、もうその夜にもう高熱、40度ですよね。40度。それが5日間ぐらい続きましたね。そのやってる期間中。もう夜は寝れんし。寝れんって言っても、寝てましたけど、無理やり寝てましたけど。脇に挟んで、氷。鼠径部ですか、氷挟んで、ここもこの辺もかな。氷もらって替えってやってましたけど。このときが、僕一番ひどかったです。

岸田 毎日、それを何日間?

 その放射線治療しとる間中、高熱。

岸田 その放射線治療は何日ぐらい続いたんですか。

 それ、確か5日間ぐらい。

岸田 それが5日間ね。

紙 だったと思います。

岸田 いや、熱は出たらね、高熱出たらメンタルも落ちません?

 いや、そうなんですよね。何も考えれんくなるっていうか。解熱剤を飲んでも、下がるのってほんの、言うたら一瞬じゃないですかね。一瞬だったんですよ。

岸田 しかも、解熱剤とかも、何時間おきにとかせなあかんから。

 そう、決まっとるじゃないですかね。それがまたひどくて。熱が下がっても上がる、下がっては上がる。繰り返して、汗は凄くかくし、何も食べれんしさ。

岸田 その5日間を乗り越えたら、だんだんましになってくる? きた?

 ちょっとずつは、ましになってきますけど。無気力でしたね、なんか。

岸田 ただそんな放射線治療して、速攻、もう末梢血幹細胞移植。

 直ぐだったと思います。これに関しては。

岸田 移植よね、これは。

紙 そうです、移植です。

岸田 自分の気を入れ替えるんちゃうわ。

 気を入れ替える。

岸田 はーって。

 気なら今でも入れ替わりそうですが。

岸田 確かに。血をね。

紙 血ですね。骨髄移植ではなくて、これは末梢血幹細胞移植っていって、普通に流れとる。普通に流れとるっていったらあれですけど。末梢血に流れとる血液を、兄弟間ですね、ここに書いてあるとおり兄弟間で、その確率が25パーセント、4分の1の確率で。

岸田 ご兄弟はどれぐらいいらっしゃるって言ったら変やな。

紙 どれぐらい。

岸田 どれぐらいいらっしゃるんですか、ご兄弟。

紙 めちゃくちゃおりそうなイメージじゃないですか、それ。2人です、2人。

岸田 2人。

 弟です。

岸田 弟さんがいらっしゃって、弟さんの血が、血がっていうか、型がマッチしたっていうこと?

 そうです。

岸田 なかなかこれ、マッチする確率25パーだったら、75パーの確率に入った人はあれ、よく聞くドナーを探すとかそういうやつになってくる?

 はい、そうなるんじゃないですかね。他にもいろいろ臍帯血の移植とか、いろいろ移植の方法はあると思うんですけど。

岸田 紙さんの場合は、この移植にしようってなったんですね。

 はい、そうです。

岸田 これ、どれぐらいの期間で、どういうふうにやったんですか。

 移植に対する期間ってことですか。

岸田 うん。

 移植自体は1日ですぐに終わりましたね。血液を。

岸田 入れて。

紙 入れて。そうですね、その日に終わりましたね、確かに。

岸田 その日に終わって、機械でいろいろウーンって回ってるやつで。

 そう。いや、そんなんじゃなかったと思います。

岸田 そんなんじゃなかった?

 そんなんじゃなかったです。普通に注射みたいな感じで入れたはずです。

岸田 そこの中で移植して、結構、じゃあ1日で終わって移植したら、その後大変じゃなかったですか。その後大変じゃなかったですかっていうのが、後でいろいろ入ってくるんですけど。移植を終え、2017年の2月や9月、発熱で入院、肺炎の疑いで入院となってきています。ちょっとお伺いできますか、ここら辺のとき。移植してからのこと。

 移植後ですね。このとき、もう一時退院してて、自宅療養中ですね、確か。そのときに、体力もなく、この2月っていうのが、ちょうど寒い時期じゃないですか。そこら辺で、なんかちょっと風邪っぽいような感じで入院しました。

岸田 え、これって1年ぐらい経ってるやん。

紙 経ってますね。

岸田 この1年間は何もなかったん?

 何もなかったですね。もちろん通院はしてますけど。特にそういう目立った行為、入院っていうのはなかったです。

岸田 1年後発熱して入院していってって感じなんや。

紙 そうですね。

岸田 入院するレベルの発熱って、結構やばかったってこと?

 いや、そんなでもないんですけど、念のためという。そのときは、39度いかんぐらいだったと思うんですけど、何があるか分からんので。移植後最初のイベント的なことやったんで、大事を見て入院しましょうかって感じで、入院した覚えが。

岸田 その時は入院しただけ?

 そうですね、入院して、抗菌剤かな、点滴して。熱は下がり、それはもう1週間ほどで確か退院しました。

岸田 その後、また9月に、次、肺炎の疑いってことは、結構肺が苦しかった?

 いや、そこまでは全然なくて。それもちょっとまた発熱があって。レントゲン撮ると、ちょっと白っぽいぞっていうことで。念のため、これも念のためですね。

岸田 入院して。それもそんな疑いなだけで、大したあれはなかった?

 そうですね、直ぐにそんなに悪くなることもなく、そういった状態でした。

岸田 そして、また約1年弱というか、2018年になって、次、なんか難しいあれなってるわ。横紋筋。

 融解症ですかね。

岸田 どういうこと、これは。

 これなんか筋肉が、全身筋肉痛みたいな感じになって。腕とか足とか。

岸田 うわ、今、僕、足が筋肉痛なんですけど。

 それは何してですか。

岸田 いや、ジムで頑張り過ぎた。

 そういうのじゃなくてですね。何もせずに、足とかがすごい筋肉痛になって、普通に歩けんぐらいになりました。

岸田 普通に歩かれへんぐらい。これはなんか、普通に歩けんぐらいになる兆候とかあったん?

 いや、なんか筋肉痛っぽいぞと。ちょっと運動もしなくてはいけませんねって感じで、歩いたりし始めた頃やったかな。体力落ちてくるんで。筋肉痛がなかなか取れなくて、2週間とか。これ、筋肉痛長いなと思って、病院行ったときに採血してもらったら、これもなんか筋肉の、何の数値だったかな、あるんですけど、CKっていう数値があるんですけど、それがもうものすごく高くて。まずいですってなって、入院しました。

岸田 そうなんや。これ、横紋筋融解症で、それで入院していくと。これ自体は治ったん?

 今ですか。

岸田 いや、この入院して。

紙 入院して治りました。

岸田 治ったんや。それもお薬飲んだりだとかして?

紙 そうですね、服薬と点滴だったと。ステロイドの点滴だったかもしれない。

岸田 そういう治療は治療で、治ったりするんですね。了解。そしてその次、こちら。2018年6月終わってから、10月に次もまた4カ月後ぐらい、GVHDで入院と。筋炎や発熱。GVHDというのは、がん情報サービスのものによると、ドナー由来のリンパ球が、正常な臓器を異物とみなし攻撃するという。これ、結構移植のされた方が悩む後遺症の。

紙 一つですよね。

岸田 代表的な一つというものなんですけれども。紙さんの場合、GVHDで入院。これはどういうことで入院して、どうなっていったんでしょうか。

 これも、先ほど申し上げたように、横紋筋融解症みたいな症状が、このときは確か足に出たんですかね。これも筋肉痛の激しい版というか、これはもう筋肉痛なんですけど、同時に発熱があって。これもう病院に行って、やっぱり血液検査をして、その検査した項目の数値で、よろしくないですねってことで、入院しましたね。ここに記載されてるように、ドナー由来のリンパ球が、正常な臓器を違うものだと見て、攻撃してしまうといった状況で。これがなかなか厄介で。今もステロイド飲んだりしてるのは、これを抑えるためなのかなと思っております。

岸田 弟さんのリンパ球が、お兄さんの身体を攻撃してるみたいなイメージ?

紙 そうです。本当は正常なものなんですけど、今まで自分の体になかったものが入り込んできてるから。それを正常なものを取り込んでますけど、今まで身体になかったものが異物だと思って、反応してしまう。

岸田 これ、入院して治療したら良くなるもん?

 治療して、まあ治りましたね、確かに。

岸田 ほんま。

紙 まさに筋炎とかすぐに治りましたね。

岸田 へー。

 ステロイドやったですね、確か。大量のステロイドですわ、点滴で。

岸田 大量のステロイド入れて、どのくらい入院したん、この時。

紙 このとき、1カ月ぐらいだったかな。いや、もっと長かったかもしれない。

岸田 あー、そのぐらいせなあかんのや。ずっとステロイド入れて?

紙 そうです。

岸田 じゃあ、それでもう1カ月、2カ月入院したら、また次、2019年3月、また数カ月後にまた入院してるよ。

 そうなんですよね。

岸田 数カ月ごとおきに入院してるね、本当に。

紙 この辺が、ほとんどGVHDでじゃないですかね。

岸田 次、血小板減により入院って書いてあるんだけど。

 このときは本当に、何ていうんですか、腕とかの血管、毛細血管がなんか切れたような感じというか。本当に斑点状になってましたね。

岸田 斑点状?

 プチプチって、なんか黒くなってて。

岸田 えー。

 この辺が。もうなんか、これ明らかにおかしいなって話してて。やっぱり通院で血液検査すると、これはもう血小板の数値がものすごく低かったんで。これも入院により治療しましょうっていうことで、これも多分、ステロイドだったと思います。

岸田 へー。これ、かゆいとか痛いとかっていうのはある?

 そういうのはなかったですね。

岸田 ただ単にブツブツっていうか、斑点が。

紙 そう。血小板が少ないから、いろんな所で出血するんでしょうね。

岸田 へー。じゃあ、もうそれで入院して。それも治療したら良くなるもん?

 そうですね、すごく安静にしてましたね。点滴もして。

岸田 ふーん。

 点滴が全て、ほとんどステロイドとかです。本当に。だから、このGVHD関係で入院してるやつは、ほとんどステロイドです。

岸田 ステロイドで治療してっていうこと。そして、その後、ご入籍されて、恋愛結婚のところは、また後でいろいろお伺いしていきたいと思います。そしてその次。2019年6月、7月にまたなんか膵臓付近に影が見つかって手術してるけど。これはどういうことでしょう。

紙 これは定期的にCTを撮ってて。6月ぐらいに、これちょうど定期の時期やったんですね。それCT撮ったときに、膵臓の処に何かあるぞって話。先生に呼ばれて、大きくするとなんか怪しいものがあるんでっていうことで。そのとき胃カメラ飲んで、胃の中から膵臓側にですかね、生検したんですよ。

岸田 へー。そんなんできんねや。

 結局、それは悪いもんじゃなかったんです。

岸田 あー、良かった。

 ものではなくて、なんか脂肪の壊死組織みたいな感じでいわれて。要は脂肪の腐った塊ようなのがあって。そこで7月、胃にステント留置と記載してあるんですけど、これ胃に穴を開けて、塊のようなものですかね、それを胃の外側から胃に流し込んで、ステントですね、管みたいなものを、穴開けて、置いて、留置して、胃の中に流し込んで。

岸田 影のなってるもの?

 それを取り除いたみたいな感じです。そのときすごい胃カメラ飲みましたね、何回も。

岸田 うわ。え、胃カメラって、あれやっぱ、やる人によって痛いとかあるの?

 あると思いますけどね。

岸田 紙さんの場合、どうやった?

 僕の場合は全然、問題なかったです。

岸田 全然問題ないんや。おえーってなりそうやけど。

紙 おえーってなりますよ、絶対。

岸田 なる。

紙 なります。したことないですか。

岸田 ないない。

 意外ですね。

岸田 全然。健康なんで。

 さすがです。

岸田 がんなってるやんけっていう。大丈夫です。胃のステントであったものをなって。またステント取ったん? その管をどっかのタイミングで。

紙 取ったというか、もう取れてましたね。胃の中に転がり込んどったみたくて。取ろうと思って、カメラ入れて取ろうと思って入れたら、もう外れてて。

岸田 それはそれでどうなってなるけど。

 どうなんって感じなんですけど。特にそれでなんかあったわけでもないんで。ただその取ってから、胃に穴開いてるじゃないですか、取った所。そこから1カ月ぐらい、何も食べず食わずでしたね。

岸田 そこで一回、飲まず食わず。そして、6月復職していって。そして次、こちら。ワードのインパクトが激しいねんけど、ご離婚をされて。そして、富山県にある、AYA世代のがん患者会、Colorsという患者会ですよね?

紙 そうですね。よくご存じで。

岸田 入会して。なんかよく聞くんで。よく聞きますね。というふうな形でみたいでおります。そして、まず写真を見ていきたいと思います。闘病前、闘病中、闘病後と写真、こちらです。紙さん、これ説明していただいていいですか。

 説明します? これ。

岸田 スルーします?

紙 しますします。結構、見て欲しい資料ですね。左側が、病気する前ですね。このマスクをあごにはめとるやつ。

岸田 左側が病気する前。結構、ブイブイ言わせてそうな。

 そうですかね、今と変わらずブイブイ言わせてましたけどね。それは冗談として。真ん中が。

岸田 これ同一人物? これ。

 これ、闘病中ですね。まさに同一人物ですよ。

岸田 これ、闘病中でも、さっきあったGVHDってやつのステロイドを入れてる。

 そのときぐらいですね。ステロイドを大量に体に入れて、ステロイドパルスやったかな、パルス療法ですね。これした時に、むくみですね、副作用であるむくみが、これもろに出てます。

岸田 めっちゃむくんでるやん。

 本当別人。これ自分でも、これ本当に俺なんかなって思うぐらいの写真で。これ、大変貴重な資料になっております。ちょっとこのむくみが取れてきたのが、今の写真。これ、今年の3月ですね。

岸田 今年の3月というふうなところで。紙さん、髪の毛の流れが違うのは、それは後遺症とか関係なく?

 それは後遺症はあるかなと言いたいところですけど、ないっすね。髪の毛の流れは。

岸田 髪の毛の流れは違う。

紙 ちょっと違いますね。

岸田 けど本当、通称、ムーンフェースといわれるやつですよね。

紙 そうですね。

岸田 いや、こんな形になるんですね。

 これなんか、びっくりしますよね。本当に人ってここまで薬で変わるんかっていう、比較の写真ですよね。

岸田 今もあれじゃないですか。以前に比べたらちょっとふっくらしてる。

紙 そうですね。それをあんまり目立たないように、ちょっとふわっとパーマかけてるんですけど、やっぱりバレますか。

岸田 いや、大丈夫。

紙 ちょっと、なかなか取れないんですよね。

岸田 そっか。それも後遺症の一つだったりはしますよね。ありがとうございます。いろいろコメントもいっぱいいただいているので、読ませていただければということを思っています。コメントね。ちょっと待ってくださいね。『ボールペンか~い』っていうコメントもいただいております。ももさんも、『乳がんですが、赤色の抗がん剤しました』ということで。『全身放射線がピンときません』ということを言われてるんですけど、全身の放射線。全身に当てて、もう頭の先からつま先までですか。

 そうですね。

岸田 もう数分で終わります?

紙 逆に全身じゃない放射線がどういうやり方をするのか、ちょっと分からないんですけど。ピンポイントにやるんでしたっけ。

岸田 ピンポイント。

紙 それってなんかカバーとかするんですか。せんがじゃな。

岸田 カバー、どうなんやろう。

紙 普通にベッドに横になって、1カ所にだけ当てるみたいな感じの?

岸田 そう、けど結構みんな、がっちり固められて、動かないようにとかされてるイメージはある。

 うん、ベッドに横になってっていうイメージはありますね。それが全身でした。

岸田 ということです。『弟さんとマッチしてよかったですね』と。

 ありがとうございます。

岸田 『細胞移植するときに、弟さんは一発でOKしてくれたのですか』ということで。弟さん、一発でOKしてくれました?

 してくれましたね。

岸田 結構、弟さんにも負荷がありますからね。

紙 そうですよね。

岸田 いろいろ、検査や、いろいろ抜いたりね。『毎年、体調崩されて、入院されておられますが、そのとき以外は、働いておられたのでしょうか』とありますけれども。

 はい、働いてました。働いて具合悪くなって、働いて具合悪くなってっていうのが結構あったんで。先ほどの経歴。経歴じゃないですけど、病歴のところでですか。

岸田 これ、また後での仕事のところでもお伺いしていきたいなと思います。そして、写真のところも、『これは貴重な資料や』ということだったりとか、『まさかのバツイチ』ということで、これもいろいろあるんですよ。本当、また後でもお伺いしていきたいと思います。写真で、やまやんさんから、『治療前から、イケイケパーマだったんですね』ということで。

 ありがとうございます。嬉しいです。このときに、確かにパーマかかってますわ。

岸田 別に小顔やから、別にやらんでいいパーマですよね、このときね。

 これはおしゃれパーマですわ。

岸田 これはおしゃれパーマ。『罹患前は、ジャニーズにおられたのですか』と。

 うれしいです。そんなコメント。全然、富山県です。

岸田 全然、富山県。あと、ももさんも、さっきの放射線のところで、『頭固定します』ということを言われています。そうですね、固定されてとか、場合によっては、ガッツリやる、お面っていうか、あれ作ってもらいますね。

 剣道の面みたいな感じでしたよね。

岸田 そう。

 僕、それなんか覚えてます、すごい。

岸田 作った?

紙 作りました、確か。そんなん、はめてた覚えあります。

【 家族】

岸田 色々、ありがとうございます。そういった中で、じゃあ、それぞれの項目について、深く聞いていきたいと思います。次の項目、こちらになります。『家族』といった中で、先ほど、弟さんの話だったりとか、お母さんの話も少し出てきましたけれども、家族にどのタイミングでどのように伝えたのか、とかっていうのだったりだとか。先ほどの弟さんの件とか、移植してもらった弟さんとの関係だったりとか、そういったところをお伺いしていきたいなと思っています。当時、どのタイミングで親に伝えました?

 当時は、取りあえず先ほど言ったところでいきますと、福井で健康診断で引っ掛かりましたと。その後に、福井の大きい病院で検査をしました。そこは私一人で行ったんですね。

岸田 福井のときはね。

 ちょうど家に帰るタイミング、シルバーウィーク辺りだったかな、があったんで、「ちょっと健康診断で引っ掛かったわ」っていう話は、もう親にしてたんです。けど、まあ何ともないし、大丈夫だろうということで、先ほども言ってたように、前日に父親と登山に行ったと。

岸田 お父さんと行ってたんや。

紙 そうです。父親と登山に行ってた。そこで父親も、「これぐらい山登れれば大丈夫やろうと。悪くないっちゃ」って話をしてたんです。母親には、こういう検査項目で引っ掛かっとって、でもその時点で、僕、結構調べてたりしてたんです。いろいろスマートフォンとかで、これに引っ掛かると、このような病気が疑われますっていうこと。母親に、もしかしたら白血病かもしれんぞ。

岸田 そこは言ってたんや。

 そこは言ってました。病院行く前に言ってて。「ちゃんと検査してらっしゃい」って言われて、富山の病院で、そこ、母親と一緒に行ったんですよね、確か。そのときにやはり病気ですよと言われて、入院しましたといったところですかね。家族では、特に隠したりすることもなく。

岸田 普通にね、一緒に告知も聞いてと。結構さ、若い世代で、え、それ親御さんと一緒に告知も受けたってことやろ?

 そうです。

岸田 さっきね、お母さまが泣いてたっていうこともあるけれども。結構、ご両親はショック受けてた?

紙 まあ、そうでしょうね。私が思ってる以上に受けてるんじゃないですかね。

岸田 僕もやっぱ、結構両親、大丈夫やってって言ったような記憶がありますね。そして、そんな中、え、ご両親の関係は、そのままサポートしてもらったって感じ? 治療とか。

紙 はい。先ほども言ってましたけど、結構、自宅から遠い病院にしたんですけど、1時間半、かかるかかからないかぐらいですね。でも、一応、両親は結構頻繁に、病院に足運んでくれてたんで。

岸田 そっか。じゃあそこの中で、じゃあ次、弟さんとの関係といった中で。さっき、コメントでも弟さん、一発でOKしてくれましたか、ということもあったと思います。弟さんとの関係は普段から良好で、協力申し出てくれたのか。そこら辺ってどうだったんですか。

 弟との関係は特に問題はないですね。普通の兄弟より仲いいと思います。けんかとか、しないです、今でも。

岸田 すごい。

 昔からしないです、けんかとか。仲いいですね。

岸田 移植あるあるだったりとかして。険悪とかやったりするとね。

紙 その兄弟の仲が。

岸田 そう。おまえは俺のあれで、生きさせてあげてんねんぞ、みたいな言葉があるっていうことを伺ったりとかするんですけど。別にそれは。

紙 ふーん。そういうのは無いです。

岸田 いい感じの。

紙 全く無いです。

岸田 たまにそういう話とかする? 移植の話とか、弟さんと。

 いや、今は特にしないですね。

岸田 特にせず。いや、そうね、紙さんの本当、家族に対してはすごいサポーティブな。

 そうですね。

岸田 こうしておいて欲しかったなっていうことは、特に無い? じゃあここに関して。

 特にはないですね。今考えて、ぱっと思い浮かばんから、ないでしょうね。

岸田 うわ、すてき。いい家族ですね。

 うん。無いです。

【 妊よう性】

岸田 ありがとうございます。その中で次、こちら。『妊孕性』のことといったところ。妊孕性っていうのは、子どもを持つ能力のことを指したりとかするんですけども。ありがとうございます。精子保存といったところが出てきました。これは抗がん剤した後に、精子保存したの?

 そうなんですよ。抗がん剤した後やったんです。

岸田 普通逆じゃない?

 普通、逆ですよね。

岸田 やっぱそうやんな。

 そう。ただ、なんか当時って言ったらあれなんですけど、ガイドラインがまだ、順序的な、治療に関する順序のガイドライン的なやつが、まだ詳しく制定されてなくてっていうことは、先生に伺って。なんで抗がん剤治療した後に精子保存になったんですかって聞いたときに、そのような答えが返ってきて、そうですかっていう感じだったんですね。私もそういう知識があれば、それはもちろん最初に精子保存はしますけど。告知を9月、これ9月って書いてあるんですけど、9月の30なんですね。9月の30日、月末ですわ。

 この抗がん剤治療始まった、この10月っていうのが、もうこの10月の頭でした、もうすぐなんですよ。告知から最初の治療まで。その期間に言われて、治療をするまでに何をしておかんなんかってことも、もちろん知るわけないじゃないですか。自分が白血病になるなんて思ってないからね。この精子保存なんかせんなんっていうこと、全くそんな知らんし。命のほうが大事やし。生きることのほうが大事やから、直ぐに治療せんなんし。

岸田 逆にどういうタイミングで、精子保存しようとか言われたとか、しようと思ったとかなん?

 うーん、何だったかな。1回目の抗がん剤しとるときぐらいやったかな。奥さんがおるかおらんか、みたいな話になったんじゃなかったかな。

岸田 このタイミングでね。

 そう、「僕、結婚してないです」って話をしとって、「それだと精子保存しとかんなんね」って話になって、したはずです。

岸田 あー、そうなんや。治療をしているときに、医療者からそういう話があったって?

 そうです。

岸田 そっか。それでじゃあやっとこうかみたいな感じで紙さん思って。同じ病院でできたん? その保存は。

 いや、違うクリニックですね、近くの。

岸田 近くのクリニックに行くん?

 うん。

岸田 じゃあ、治療して、終わったタイミングで外出届出して、クリニック行って感じ?

紙 そうですね。それがまず1回目かな。2回、保存してるんですよ。

岸田 2回やってるねや。

 1回目は抗がん剤が終わったタイミングで、もう毛抜けてて、帽子かぶって行った覚えがあります。レディースクリニックですよね。1回目の保存で、量が足りなかったか、生々しい話ですけど、量が足りなかったか、1回目の抗がん剤した後で、良質なものがなかったかで、2回しといたほうがいいですよって言われて、2回目をしたんです。その2回目は病室で、これもちょっと生々しいですけど、リアルなところでいくと、病室で採って、それをクリニックに持っていってもらいました、親に。

岸田 ホカホカのやつを?

 そう。もうそこまでいってしまったら、もうそんなこと言ってられないじゃないですか。嫌ですよ、普通に考えたらね、嫌でしょ、そりゃ。タオルにくるんでって。順序が書いてあるんですわ。スクリューのコップに出して、タオルにくるんでみたいなことが、袋に入れてって方法が書いてあって。それはもう親に持っていってもらった覚えがあります。

岸田 へー。え、スクリューに出して? 試験管みたいなやつに出さへん? 気のせい?

 いや、試験管じゃなかったですけど。試験管じゃない。僕は試験管じゃなかったです。

岸田 ほんまに。そうか。コップみたいな? スクリューって。

 スクリューコップみたいなやつですね。

岸田 出して、それをタオルにくるんで持っていってもらうんや。

紙 そうです。確かそうやったと思います。

岸田 へー。いや、本当。え、その結果はどうやった? 大丈夫? 2回やって良かった?

 良かったですよ。これでいいでしょうって話だったんで。

岸田 2回目のやつでね。

 2回で終わった気が。終わりました。

岸田 ほんまに。え、全然なんか下世話な話で申し訳ないねんけど。レディースクリニックとか、ちゃんとラインアップはちゃんとしてた?

 ラインアップってどういうことっすか。全然伝わり難いんやから。ラインアップって何。

岸田 いや、本当これ、病院関係者見てたら、切に思うんやけど。精子を出すために、行為をするわけじゃないですか、自分でね、出す行為を。その時の。

 なるほどね。ネタね。

岸田 メインディッシュになるようなもの。メインディッシュを。

紙 ありました。雑誌がありました。雑誌だけありました。

岸田 俺、本、雑誌がさ、もう当時さ、もう、え、これ80年代か、みたいなのしかなくてさ。

紙 そうなんですか。更新されてなかったんすね。

岸田 更新されてなかったね。全然気い使ってへんやんとか思いながら。そう。

 そりゃそうだよね。あんな所、気使うところじゃないんですかね、分からんけど。

岸田 そこら辺問題なかった? 全然。

 そこら辺は特に問題なかったかもしれない。いや、こんな部屋があるんやなと思いましたね、でも。

岸田 そうね、確かに。病院にこんな、マンガ喫茶みたいな部屋があるんかみたいなね。

 でも、最初は抵抗されましたね。男である自分が、周りの人の目が気になるというか。レディースクリニックじゃないですか。あの子、何しに来とるんやろ。帽子もかぶってとかっていうことを思われとるんかなと思ったら、もう行くの嫌で嫌で仕方なかったです。

【恋愛・結婚】

岸田 あるよね。婦人科に行かなあかんとか。その場合のレディースクリニック。けど、それで採って、そしてまたベッドでも採ってということで、2回採って、それで保存したということね。ありがとうございます。後で使ったかどうかとか、いろんなところ、またお伺いしていきたいと思います。その次、『恋愛・結婚』といったところ。恋愛・結婚、こちらは当時、妊孕性保存したときも、奥さんはいないというふうなところでやっていたと思うんですけど。当時、お付き合いされていた方はいた?

 はい。

岸田 ということ。じゃあ、結構、がんのことをパートナーに伝えるっていう時には、これはどういうふうにしました?

紙 それは確かになかなか言えんだかもしれないです。

岸田 こんなにオープンな紙さんでも?

紙 うん。そこだけは言えんだかもしれん。

岸田 えー。じゃあ、もう元気やよ、みたいな感じで最初は。

 最初は、そんな感じでしたね。

岸田 じゃあ、どのタイミングで言うん? 入院の時?

紙 それは隠しとっても色々あるじゃないですか。いろんな流れというか、ルートでさ。なんか入院しとるらしいぞみたいな話から。

岸田 周りからのルートで?

 出るじゃないですか。僕、友達にも全然言わなくて。友達には全然言わんだんですよ。入院してしまったみたいな。

岸田 どう巡り巡っていくの?

 なんかそういう話ってどうやって巡り巡るんか分からんですけど、巡り巡るんですよ。でもその時、僕、野球好きなんで、野球のチームとかのLINEで、出欠、欠席とかあるんですけど。今までずっと行ってたのに欠席しとるぞ。そこでもう、怪しいじゃないですか。

岸田 なんで休むんやみたいなね。

紙 そう。いつも来とったんで、そういうところとかもあって、自分の中でもなんか苦しかったんですよね。

岸田 そっか。

 そう、言い訳を考えるのが。

岸田 え、じゃあそれで巡り巡って、じゃあ彼女さんから雄規と、なぜ休んどるんやみたいな。

紙 そうっすね。

岸田 話が来て。

 そう。実はこうなんよ、みたいな話ですかね。

岸田 彼女さんはそれで、うわっていうショックというか。

 そうですね。なりますよね。

岸田 その後、ぎくしゃくしなかった?

 うーん、ぎくしゃくか。したかな。せんだと言えばせんだかもしれんし、したかと言えばしたかもしれんね。

岸田 もうね、振り返りたくないような。

 そうっすね、確かに。

岸田 けど、ぎくしゃくも恐らくあったでしょう。ただ、その中で、結婚していくじゃないですか。ね、この後。入籍のタイミングが、血小板が減少した2019年3月が終わって、2019年5月。これはどういう形で入籍になったの?

 どういう形といいますと?

岸田 治療しているわけ、治療っていうか、こういうことしてるわけじゃないですか。だから、そこでよし結婚しようってなったきっかけというか。

紙 きっかけか。まあ、何ていうんですかね、そろそろ結婚したいなっていう気持ちもありましたし。何よりこの苦しいときに、いろいろ何回も入退院繰り返しとるときに、いろいろサポートしてくれてたんでね。そういうのも含めといったところですかね。

岸田 じゃあ、このタイミングがお互いに結婚しようかっていうタイミングだったということですね?

 はい。

岸田 そして、じゃあ入籍していきますと。その中で、紙さん、言いづらかったら本当にね、無理って言ってもらっても大丈夫なんでね。視聴者の皆さんも、温かい目で見てくれていると思うんで。

紙 大丈夫です。答えられる範囲で答えます。

岸田 この辺が、がんノートらしさというか。

紙 そうね、生々しさがね。

岸田 等身大にね。多分、きっといろんな人がいるから、絶対見通しにはなっていると思う。あ自分だけじゃないんだ、だったりとかね。残念ながら離婚をされていくというふうなことがあったかと。2021年12月。あれ、2021年、今年って何年やっけ。

 2021年ちゃいます?

岸田 未来の日付なんで。

 これ、あるあるやね。

岸田 これ、今、2021年よね、の10月よね。未来に離婚するわけじゃないよね、これ。

 何、その予告離婚みたいな感じ、やめてくれません?

岸田 ごめん。俺もちゃんとチェック出来てなかった。本当申し訳ないです。

 いや、すいません。多分、俺もチェック出来てなかったです。

岸田 2020年の12月に、去年の12月ってことか。

 そうですね。

岸田 にご離婚されていくといったところで。これは、夫婦生活がうまくいかなかったってことなの? どういうことなの。

 上手くいかなかったというか。先ほどの妊孕性のところもありましたけど、なかなか子どもが出来なかったりとかっていうのが実態としてあって。相手方は子ども、欲しい思いはあるし。僕としては、僕ももちろん欲しいですけど、なかなか精子も復活するあれもないんですよね。て言われたのもあって。子ども作るにしても、早いほうがいいじゃないですかね、女性にしてもね。ということもいろいろお互いで話をして、こういう形になったという状況です。

岸田 ということは、先ほど妊孕性で保存した精子とかも使って、妊活をしたと。

紙 そうですね、しました。

岸田 そうなんや。それが結果的に上手くいかなくて。

紙 いかずってことですね。

岸田 いろいろ話し合った結果。それで妊孕性を、もう失ってるのか、治療とかで。

 そうですね。抗がん剤とか、放射線治療で、妊孕性を失っとるって言い方が正しいんやね? 無いんです。定期的に不妊治療の先生とかに見てもらってるんですけど。先生の話でも、「いずれ復活するかもしれないよ」って先生は言うんですけど。私の治療しとった先生は、「放射線12グレイも当てとると、無理じゃないかな」と。「多分、復活はしませんよ」って言うし。その辺も難しいところで。どっちなんかなっていうの、正直なところでしたね。

岸田 どうなるか、神のみぞ知るみたいな感じになってるかもしれないですね、今後のね。ちなみにもう2020年に修正がされております。

紙 本当だ。いつの間に。

岸田 いつの間にか。切り替わるタイミングを見た方、さすが。

紙 でも、この離婚に関して言えば、私、全然お互いに。

岸田 納得した上で。

紙 そうです。僕も別に相手方恨んどるわけじゃないですし。何より、自分が苦しかった時にサポートしてくれてたっていうのが一番感謝していますし。もちろん幸せになって欲しいっていうのありますね。

【仕事】

岸田 そういうことですね。ありがとうございます。そして、じゃあそういった恋愛・結婚のところ、赤裸々に語っていただいて、ありがとうございました。次、こちらになります。『仕事』のことといったところで。さっき、コメントでもありました。仕事を休みながら治療をしていったんですかといったところで。紙さんは、休んで仕事して、休んで仕事してっておっしゃったんですけど。そんな結構、簡単に休めるもん? そうじゃないよね、結構いろいろ話し合ったりとかした?

 話し合ったり。

岸田 最初ね、じゃあ、最初、白血病って分かってから、会社にどう報告したのかっていうことと、どういう休み方をしたか。仕事とどう両立させていったか、お伺いできますでしょうか。

 一番最初の病気に際しては、もう上司から電話がかかってきたんで。健康診断で引っ掛かってますよって情報が、私に電話があったんで。「いろいろ検査した結果、白血病の疑いがありますと言われたんで、ちょっと仕事のほう休みます」っていうことを言いました。「治療に専念してくれ」ということで、そこからは普通に、有給等を消化して。あとは、もう所有してた有給消化した時点で、もう休職扱いですね。その後も、退院しました。しばらく自宅療養します。

 主治医の方に、先生に、復職しても良いですよと、一筆書いてもらって、会社に出して。先生も仕事しても良いって言ってるから、やわやわ仕事していきますかってことで。福井にまだ籍あったんですけど、家の近くにも支店があったもんで、そこに異動させてもらって、現在に至るって感じですかね。

岸田 復職させてもらったタイミングって、いつのタイミング? 移植をした後? それとも。

 まず移植した後ですね。

岸田 まず移植したタイミングで復職して。

紙 復職しました。仕事していく内に、やっぱり先ほども病歴のところありましたけど、3、4回ですかね、一番最初に入院してから、その辺ですね17年の2月とか6月の時点で、こういう入院があるんで、ポイント、ポイントで1週間とか1カ月とか休んだりして。また復職、入院、復職、入院って形ですかね。

岸田 結構、仕事、1週間入院して、また仕事戻ってとか、結構大変じゃないですか。

 大変です。大変ですよね。

岸田 大変ですよね。え、そこどうやって?

 会社に迷惑掛かるしね。

岸田 え、工夫したことあります? その時に。

 なんか工夫したかな。でも、会社が結構、理解してくれとるというか。すごい良い対応をしてくれているんで。すごく助かっているんですよね。

岸田 じゃあ、もう会社からだったり、上司から、ちゃんと休んで良いよっていうふうなことを、ちゃんと言って貰えてるってことですね?

 そうですね。

岸田 じゃあ、1週間入院して、戻ってきたら、仕事がてんやわんやあるとかっていうわけではなく?

紙 そういうわけでもないですね。他の方がしてくれとったりとか、してもらっとったっすね。確かに。出来ることは病院でもしてた時もありましたけど。

岸田 え、じゃあ結構、休ませてもらえるような環境でもあったっていうことですね?

 そうですね。病気なんかで休むなって感じではないですね、会社としては。

岸田 めっちゃ良い会社ですね。

 良い会社です。

岸田 今も治療しながらじゃないですか。そこら辺は大丈夫? 体調的な面だったりとか、いろんなところで。

紙 そうですね、今、ちょうどコロナの時期ですけど、なかなか体調のこともあるんで、免疫力も落ちとったりってこともあるんで、私、個室じゃないですけど、別な部屋で1人で仕事させてもらったりとか、対応してもらってて。通院の時とかも、休暇あるんで、普通に自分の有給休暇とかですけど、それうまいこと使ってですかね、通院とかして。特に通院とかに支障が出るというか、そういうことは現時点でも無いですね。

岸田 そうなん。有給使って通院をして行きつつ、自分の部屋があるってすごいね。やっぱり紙さんは免疫力が低下してるから、コロナ関連でちょっとでも遭ったら、やばくなっちゃいますもんね。

 今はね、コロナもあるし、インフルエンザとかもありますもんね。

岸田 そっか。ずっとテレワークじゃ難しいんや? 仕事的に。

 なんか、テレワークする距離じゃないんですよね、会社が。

岸田 距離じゃない? どういうこと?

紙 距離じゃないって言ったらあれなんですけど。もう直ぐそこなんですよ、会社が。近くなんですよ。だから、テレワークしますとかっていうレベルじゃない。僕、その部屋の窓から会社見えるぐらいの近くなんで。

岸田 近。

 ちょっと、明日テレワークにしますとか、なかなか言いづらいっす。直ぐそこやないか。

岸田 そうですね。

 なおかつ自分の部屋も、仕事できる部屋も貰たっとったら、特にテレワークにする必要も無いかなと思っています。

【お金・保険】

岸田 ありがとうございます。今そういった形でお仕事されているということです。次、こちら。『お金・保険』というところで。治療費とかどうされてるのかなって、保険入ってきましたかだったりとか、使いましたか、どんなことに使いましたかとかっていうことをお伺いしたいんですけど。治療費、どれぐらいかかりました? 今まで。

紙 今までですか。

岸田 当時でもいいけど。

紙 今までやったら、すごいかかっとるんじゃないですか。

岸田 ウン百万?

 どれぐらいやろう。400万ぐらいかかっとるんかな。

岸田 結構、いきますね。

 もっとかな。そんなお金の、治療関するお金のこと計算したことないんで、分からないですけど。ざっとそんなもんじゃないですかね。

岸田 それをどう工面しました? やっぱり働いて?

 一番最初に入院したときは、もう無菌室やったもんで、なかなかお金の支払いも自分で行くことも出来ないので、親に立て替えてもらったりとかしてましたね。

岸田 そうね。何か保険とか入ってなかった?

 入ってました。

岸田 入ってないんや。

 いや、入ってました。がん保険入ってました。

岸田 がん保険、また珍しい。

 がん保険、入ってたんですよ。

岸田 がん保険、じゃあもう告知された時に、結構出る感じ?

 告知されて、もちろん治療終わってから。

岸田 申請はね。

 でしたね。

岸田 じゃあ、そのがん保険で賄えた? 治療費。

紙 賄えたっす。え、いや、賄えてないな。

岸田 どっちやねん。

紙 ギリギリ賄えてないわ。全体的なことを、今、想像してしまいました。

岸田 全体的なね。

 その当時のこと考えると、そうやね。

岸田 当時のこと考えると、プラスやけど、全体の今までのこと考えたら、マイナスってこと?

 全然ですね。そんなもんじゃないですか。岸田さんとかどうです?

岸田 俺、入ってなかった。

 そうなんですか。

岸田 だからもう本当にお金を借りまくりに借りまくって、ちょっとやばい状態になってた。そうなんや。え、それ今の通院とかも、もう保険出えへんのか、普通に。

紙 出ないです。

岸田 当時の治療の時だけ?

紙 入院と、がんって診断されたときだけっすね。

岸田 そうなんや。

 通院はないです。

岸田 通院費はないんや。きついね。

紙 通院がまた高いんですよね。体のことやから、仕方ないんですけどね。

岸田 1回幾らぐらいするの?

紙 一昨日、5万。

岸田 えー。きつ。

紙 薬局で薬で1万ぐらい。

岸田 うわ。

 2カ月に1回、免疫を補充する点滴をしてるんですけど。それがすごく高くて、保険利かんがなら、多分、十何万とかするやつで。

岸田 うわ。

 だから、看護師さんとかも、ルートに入っとるやつとかも、限りなく落としてくれます。「あー、紙君、これもったいないから全部入れようね」って言って。「お願いします」って言って、入れてもらってます。

岸田 そっか。いや。え、じゃあ2カ月に1回ぐらいそれで行ってるってことね?

 はい。

岸田 ありがとうございます。本当にお金大事ですからね、本当。それを紙さんは、今のお給料の中から工面してやってるってことね?

 はい。

岸田 ありがとうございます。コメントをさらっと読ませてください。お、まいこさんから。

 お、まいこか。

岸田 まいこさんね、AYAの患者会のトップの方なんですけれども、『今でも時間の余裕ない時は、取りあえず抗がん剤一度してから温存したりとかしてます』ということだったり、先ほど妊孕性の話ですね。時間ない時は、一回抗がん剤してからやっているということですね。妊孕性の温存を。ももさん、『私も告知から抗がん剤開始まで期間が短かった』『女性の場合は、排卵を促さないと卵子、取り出せないからな』と。そうですよね。タイミングありますもんね、女性は。

 女性と男性では、また違いますもんね。

岸田 ね。よしさん、『別れても、奥さんに感謝してるって言葉、すてきです』ということ。マインズさんも、『病気に理解がある職場すごいですね』ということ。『治療費、高いですよね~。分かります』ということで。ももさんも、『私も計算してない』と。治療費を計算、なかなかみんな、僕もそうですけど、現実見たくなくて、計算してないです。

 そうなんです。現実を見たくないんですよね。

【辛い・克服】

岸田 あったりとかします。そして、次、こちら。『辛い・克服』ということで。肉体的や精神的につらいとき、肉体的につらいとき、どう克服したか。精神的につらい時、どう克服したか。肉体的につらかったのはどのタイミングですか。やっぱ放射線の時?

 そうですね、その時がやっぱり一番つらかったですね、治療してて。かつて経験したことのない高熱。普通なら1日、2日で下がるものが、経験したことのない期間、長い間高熱が続くという、このしんどさ。もう何とも言えないですね。忘れたくても忘れられないです、あれは。

岸田 これは克服っていうものしようがないか、もう終わるまで。

 そうですよね。高熱出したときに、克服っていうことで言えば、まあ、そうですね。解熱剤ですかね。克服になってない。

岸田 ピンポイント。いや、いいです。じゃあ、精神的につらいとき、どのタイミングでしたでしょうか。

 精神的につらい時ね。やっぱり、そういうしんどい時とかに、そばに誰か他の患者さんとかおれば良いんですけど、やっぱり話したり出来るじゃないですか。ただ、無菌室っていうの、やっぱりほぼ個室に近い状態で。しゃべる人もいない。本当に孤独というか。なおかつ、窓からちょっときれいな景色でも見れればいいんですけど、私が入っとった部屋が、ちょっと小窓みたいなの一つあって、なかなか外の景色も見れないっていう部屋やったもんで。

紙 そういうしんどい時っていうのは、家族は病室に入れたりしたし。もちろん看護師さんとか、主治医の先生ですよね、いろいろ話し相手になってくれたりして、うまいこと自分でそういうところをコントロールして、克服出来たのかなと、今は感じています。

【後遺症】

岸田 ありがとうございます。周りの人とコミュニケーション取りながら克服っていうことで。次、こちらになります。『後遺症』のことということで。さっき、免疫のところでも色々ありましたけど。まだ話ししてない後遺症とか、他、あったりとかしますか。

 まだ話ししてない後遺症か。

岸田 とか、今これに悩んでるとか、そういう後遺症とか。

 体力がものすごい落ちてて。今まで出来てたことが出来なくなることをすごく感じてます。私、高校まで野球してたんで、運動好きなんですけど。やっぱり野球も出来んし、ハードな運動すると、また横紋筋融解症とか、筋炎じゃないですけど、また筋肉痛になって、長引いたりするんじゃないかなっていう心配も、自分の中でありますし。なかなか今まで自分の思うように出来とったことが出来んっていうのが、今現在、後遺症といったらあれですけど。

岸田 じゃあ今、運動はあんましてないの?

 してないですね。

岸田 そっか。

 激しいことは出来ないです。階段上ったりとかも結構必死に。体力が無いんでしょうね。

岸田 そっか。だから、そういうのを控えてるってことね、今はね。

紙 そうですね。あとやっぱり、先ほどの写真にありましたように、むくみですかね。後遺症としては。

岸田 むくみもね、なかなか取られへんよね。

 そうなんですよ。なかなか取れないんですよね。サウナでは無理ですわ。

岸田 サウナ行ってんちゃうの。

 サ活では無理ですわ。

【反省・失敗】

岸田 サ活で、サウナで行っても、紙さんもサウナ好きなんでね、行ってるけれども、それでも取れないということで。ありがとうございます。そんな中、次、こちら。『反省・失敗』ということで、あの時、こうしておけば良かったなっていうこと。強いて言うと、なんかあります?

 強いて言うとですか。病気ってやっぱり、病は気からっていうじゃないですか。そういうところでいくと、私、福井におるとき、すごい仕事が忙しくて、自分の中で結構大変やって。自分の中で結構、大変やって。もうなんか身体でも壊して休みてえわ、みたいな感じで思っとったときがあったんですよ。それがまさに、こういう状態になってしまったんかなっていうのは、あるんですよね。

岸田 まあね、つらいのをほっとくんじゃなくて、ほどほどにね。

 そうなんですよね。

岸田 ちゃんとね。

紙 そこがなんか、反省・失敗ではないんですけど、そういう気持ちを持ってしまうと、身体がそういうふうに進んでいくんかなっていうのを、本当に思ってます。あー、もう身体でも壊して休みたいなって思ったとき、本当にあったんで。そしたら、本当に身体壊れてしまったっていう。

岸田 いや、本当、皆さんもがむしゃらに仕事するときも大事かもしんないですけど、ちゃんと身体を労わってね。

 そう、労わってですね。やっぱり身体が資本じゃないですかね。というふうに、こうやってこういう場では言えるんですけど、いざ、仕事してしまうと、頑張り過ぎてしまうっていう。本当に駄目なんですよね。それで入退院を繰り返してしまうってところにつながるんですけど。それ、自分がよく分かってるんですけど、なかなか駄目なところです。

【 医療者へ】

岸田 そして、その次、こちら、『医療者へ』ということで。医療従事者の人に、感謝のメッセージ、もしくはこうして欲しかったっていうご要望あれば、お願いします。

 今、私もこうやって元気でこういう活動も出来ているのも、病理の先生や看護師さんのおかげもあって、今があると思っています。また、入院中も、精神的にひどい時とかも、笑顔で元気をくれたりした看護師さんや先生いましたので、身体もひどい人もいれば、精神的にですかね、元気が必要としている人もいますんで、身体の治療だけじゃなくて、患者さんと会話することで、得られるパワーもあると思いますので、その辺は、すごく感謝しております。

岸田 そして、ちゃんと患者と話ししろよってことですね。

紙 そうですね、そう。患者さんの状態を見て、仕事だけじゃなくて、ちょっとたわいもない話もしておればいいんじゃないかなというふうに思ってます。

【Cancer Gift】

岸田 ありがとうございます。いや、本当、たわいもない話で救われるって、ふとしたタイミングで救われるんで、ぜひぜひお願いします。じゃあ、次こちら『Cancer Gift』ということで。紙さんの頭が、もういろいろ大変なことになって。大変なことなってんねんけど。いろんなCancer Gift。がんになって失ったこともいっぱいあると思うんですよ。その中で、得られたこと、得られたもの、こちらについて、紙さんありますでしょうか。

 そうですね、がんになって失うこともあれば、得ることもあるというふうに私は思ってます。病気をしても、こうやって、がんノートに出たりとか。私が患者会に入ったきっかけというのも、私の病気を、こういう人それぞれ違うじゃないですか。病気をしての副作用とか、反応っていうのは全然違うと思うんで。

 私なりの見解とか、発信出来たらなって気持ちもあって。先ほど、妊孕性って話でもありましたけども。僕みたいな思いをする人が、あんまり増えてほしくないっていうのがあって。がんの患者会に入ったっていうのもあるんですよ。抗がん剤をした後に妊孕性を保存するとか、そういうことがないようになればいいなというふうに、思っています。

【夢】

岸田 やっぱりその妊孕性っていうのを、医療従事者が多く知ってもらって、適切な対処をしてほしいと思いますよね。ありがとうございます。そしてその次、こちら『夢』ということで。今後、目標だったり、夢とかってどうですか、紙さんあります?

 夢か。

岸田 そんな、もう夢なんてねえよみたいな、そんな。

 あんまり深く考えるなって。

岸田 深く考えてくれてるんだね、ありがとう。

紙 自分が今まで出来とったこと、出来るようにはまずしたいですね。例えば、自分が好きなスポーツですとか。体力が落ちてるので、体力を戻して、色々なことにチャレンジとかしていきたいとは思っています。

岸田 いろんなことにチャレンジしていって、本当ゆくゆく、その野球チームとかもまた、運動出来るようになったら良いですよね。

 そうですね。少年野球とか教えれたり出来るように。それが夢かもしれん。いいですね。

岸田 紙少年野球団。

 野球団。なんや、その海賊団的な感じ。

岸田 ね、教えれることになれば良いですね。ありがとうございます。

 そうですね。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そして次、こちら。紙さんの『ペイシェントジャーニー』ということで。紙さんの今までの闘病歴を感情の起伏も含めて、振り返っていきたいと思います。こちらになります。もうね、いろいろ今お伺いして来たことを時系列的に並べていました。まず2008年に、紙さんの今いらっしゃる会社に入社してから、転勤していって。転勤、これが福井の転勤ですね。

 はい。

岸田 そこから腰痛。腰が痛くなったんですね、最初ね。

 そうなんです。腰が痛くなったんですよ。かつて痛くないぐらいの腰の痛みがあったんです。それが関係しとるかどうか分からないですけど。

岸田 そしてそれで、いろいろ病院行って、急性骨髄性白血病の告知を受けていくといったところ。そして、そこから寛解導入療法の薬物療法をしていって、妊孕性保存、精子保存をしていく。そして、その後また抗がん剤治療、地固め療法をしていってから、先ほどつらいと言っていた放射線療法をしていったと。この後に、ちょっと上がっているっていうのは、末梢血幹細胞移植といったところ。これ、なんで上がってるの、移植に至ったときって。

紙 これは、兄弟で型が合ったっていうところで、良しっていう。

岸田 そういうね。

紙 なかなか見つからない人は見つからないっていう話も聞いたことあったんで、ドナーの方が。そういうことを考えたら、身近な兄弟だったっていうのも結構嬉しかったですね。

岸田 ありがとうございます。そしてそこから、発熱の入院や、肺炎の疑いへの入院。そして、横紋筋融解症での入院で、GVHDでの入院だったりとか、血小板の減少での入院。もう退院しては入院して、退院しては入院してというふうな怒涛の時期を過ごしてから、ご入籍をしていく。ただそこから、膵臓に影があったりだとか、先ほど、手術、胃にステントを入れての治療をしていって、そして復職をしていく。このときの復職は、がっつり。え、この前にも復職はしてるんよね?

 そう、復職はちょいちょいしてます。

岸田 このときの復職は、もうがっつりの復職?

 そうですね。今現在に至る直前の復職というか。

岸田 という意味での復職。そして、先ほどあったご離婚もされていてというところで、本当に、入籍のハッピーのところと、ご離婚のアンハッピーのところが、本当にいろんなことを経験されて。そして、富山県のAYA世代の患者会のColorsさんにご入会されてというったところで、今、現在治療中といったところになります。ありがとうございます。他に何かこちらで付け加えることありますか、大丈夫ですか。

紙 大丈夫です。

岸田 ありがとうございます。じゃあ、ちょっとだけコメントを振り返ってから、紙さんの最後の一言に移っていきたいということを思います。コメント、色々いただいております。Erikoさんから、『妊孕性、恋愛、結婚、仕事、お金、リアルなお話をありがとうございます』といったところ。『私は主治医に妊孕性のこと聞かれず』おお、『治療が進んだので、残念でした。医者がよく言う「命を優先」はわかりますが』ということで。そうなんですね。言われずということもあるみたいです、紙さん。

紙 そうですね。あるんでしょうね、そういうのは。

岸田 まだ本当、しっかり。ようやく補助金も付いたりとか、今年からしておりますので、もっともっと活用が広がっていけばなということ、思っております。やまやんさん、『医療者は生命優先ですが、生きていくのは患者で、生きてく上で、妊孕性はとても重要なものですよね』コメントいただいております。『福井県の時の倦怠感は、自覚症状ではないのですか』と言われていますけれども。

紙 いや、それは僕の中では自覚症状ではないと思っていて。ただの仕事の疲れだと思ってるんですよ。ただ見方としては確かにそれが自覚症状に当てはまるのかもしれませんよね。

岸田 そこら辺ね、微妙なところですよね。そして、Erikoさん、また『その気持ちわかります。私も仕事しんどくて、仕事帰りの駅で、「階段から落っこちたりでもしたらいいのに」とか思ったことがあります』というふうに。いや、ありますよ。生きてたらね、もうこのまま身を投げたらどうなるのかとか、いろんなこと考えちゃうときありますよね。分かる分かる。そんな中でも、しっかり紙さんは治療されて、今も生きて、今も仕事もバリバリ頑張られているということですよね?

 バリバリ仕事してます。

岸田 良かった。良かった。

紙 頑張ってます。

岸田 ありがとうございます。それでは、改めてもう最後の終盤のところ、いきたいと思います。まずこのがんノートに関して、ご協賛いただいている企業さまを紹介させていただきます。「生きる」を創るアフラック様。そしてグローバル企業のIBM様。そして、i-TONGUE様にご協賛いただいております。どうもありがとうございます。また見てくださっている皆さまも、いつもありがとうございます。応援ありがとうございます。そしてこちら、がんノートからのお願いになります。

岸田 今、アンケートの回答のお願いといったところ、概要欄や、今チャット欄に、アンケートのURLが貼り付けられます。そちらにクリックしていただいて、アンケートに答えていただけますと、幸いです。そのアンケートに答えていただくと、コメント欄で、コメント入れるところがあります。それ、紙さんへのメッセージになっておりますので、後で紙さんにメッセージを纏めて、紙さんにお渡し致しますので、番組終了後、ご協力いただけますと幸いです。といった中で、もう終わりになってまいりました。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 紙さんに、次、最後、こちらのコメントをいただきたいと思っております。『今、闘病中のあなたへ』といったところで。今、入院のベッドで見てくださっている方や、通院中、そして家事をしながら見てくださっている方、いろんな方いらっしゃると思うんですけれども、闘病中の方に対してコメントいただけますでしょうか、紙さん。こちらのコメントになります。紙さん、お願いします。

紙 はい。『自分のペースで頑張り過ぎない』ということです。今、闘病中のあなたへということで、私も闘病中はもの凄くしんどかったこと、覚えています。私の場合ですけども、しんどいことばかりではなく、しんどい日々の中にも、調子が良い日ですとか、明るく過ごせる日がありました。

紙 そこで、頑張りなさいという声を掛けられると思うんですけど、これ以上、頑張んなんかと思う人もおれば、よし、頑張ってやろうと思う人もおると思うんですね。そこで、自分のペースで頑張り過ぎずと。あくまで自分のペースで治療してくことが大事なんじゃないかなというふうに、私は思います。

 また、今、インターネットとかSNS、いろんな情報を得ることが出来ますけど、同じ病気であれども、同じ治療法をしていても、人それぞれ体で感じる反応、副作用とか全然違いますので。あくまでも自分もこうなるんかなって考えではなくて、あくまでも参考ということで、明るい未来を想像して、治療を、自分のペースでしていただければ良いかなと、私は思っております。そして、元気になった暁には、私と岸田さんと一緒に、がんノートに出ていただければと思いますので、よろしくお願いします。

紙 私はまたいつもお願いしてるんですけど、私、急性骨髄性白血病っていうことで、治療中、たくさんの輸血をして命が助かったっていう思いもあります。このコロナ禍ではありますが、献血ですね、不要不急の外出には当たらないということですので、また見ていただいている人で、献血行こうかなって思われる人、おれば、あなたの血液で救われる命がたくさんあると思いますので、ぜひ献血のほうに行っていただければ嬉しいです。本日はどうもありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。もしこの放送見てくださった方で献血に行かれる方、もしいらっしゃれば幸いです。また、最後にコメント、いろいろAsanoさんだったり、やなゆかさんだったりとか、Kanaさん、やまやんさん、Jitsuharaさん、色々様々なコメント、他の方も含めいただいております。本当ありがとうございます。全て目を通させていただいております。では、originこれにて以上となって参ります。また来月もやりたいと思いますので、またこのお昼の時間帯に見て貰えたらなということを思っております。今日は皆さん見ていただいてありがとうございました。

紙 ありがとうございます。

岸田 そして、紙さん、どうもありがとうございました。それでは、ライブ配信、終了していきます。バイバイ。またね。

紙 ありがとうございます。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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