性別 | 男性 |
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がん種 | 胆管がん |
治療方法 | 手術, 抗がん剤, 放射線, ホルモン剤 |
罹患年齢 | 30代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:西口・箕輪・前田
【自己紹介】
岸田 本日はキャンサーペアレンツさんとのコラボということで、患者さんの本音を緩く、面白く聞いていこうと思います。
早速ですが、西口さん、自己紹介をお願いします。
西口 はい、西口洋平といいます。僕は今、37歳で、告知を受けたのは2年前です。胆管がんで、現在ステージ4になります。家族には一つ上の妻と8歳の娘がいます。告知を受ける前は営業職だったんですけど、今は雇用形態をパートに変えて、人事の仕事をしています。
西口 告知後すぐ手術をしたんですが、転移があったため手術ができず、現在まで抗がん剤の治療を2年半ずっと続けてきているという状況です。よろしくお願いいたします。
岸田 ありがとうございます。じゃあ、次に箕輪恵さん、お願いします。
箕輪 箕輪恵と申します。29歳のときに乳がんと告知されて、37歳で再発しました。今は39歳です。家族構成は両親と、離れて暮らしている姉がいます。仕事はインターネット通販の会社でバイヤー業務を12年ぐらいしております。闘病歴としては、2008年告知されて、ホルモン治療をしました。
箕輪 そこから抗がん剤を半年して、ちょっとがんを小さくしてから右胸の温存手術をしました。その翌年、放射線治療もしまして、いわゆる乳がんのフルコースをやりました。私たちのときは、5年間ホルモン治療の薬を飲みましょうという時代だったので、2013年までホルモン治療の薬を飲みました。
箕輪 「よし、もう大丈夫だ」と思って暮らしていたら、2年前に肺と胃、肝臓と縦隔に遠隔転移が分かって、それでちょっと声が出にくくなってます。手術はできなかったので、まずホルモン治療をやりました。
箕輪 その後、がんがあちこちに転移してしまったので、ホルモン治療をやめて抗がん剤治療に今年の3月に踏み切りました。今現在、抗がん剤継続中になります。
岸田 ありがとうございます。では、前田さん、よろしくお願いします。
前田 はい、前田美智子です。私は、は3年前の33歳のときに子宮頸がんの告知を受けました。家族は、夫と3歳になったばかりの息子が1人います。仕事は10年近く営業職をやってたんですが、今はちょっと事情もあって休職中です。闘病歴としては、卵巣と子宮を摘出する手術をして、術後に再発予防のために抗がん剤治療をしました。
前田 その後、育児とか復職したりしながら、普通の毎日を送っていたんですけどもちょうど1年前に、今度は息子の両肺に悪性腫瘍が見つかりまして、現在は息子が抗がん剤治療をしています。さらっと言いましたけど、なかなか怒涛の子育ての日々を送っております。
岸田 まさか息子さんまで、といった状況ですけれども、タブーなく、どんどん切り込んでいきたいと思いますのでよろしくお願いします。
【家族のこと】
岸田 じゃあ早速、家族について4人でトークしていきたいと思います。西口さん、まずは自分の娘さんやご自身の家族に対してどうやって伝えましたか。
西口 娘にはどうやっていえば病気のことをわかってもらえるんだろうってすごく悩みました。僕が告知を受けたとき、子どもは年長さんだったんですが、がんが何かっていうことは全然分かんなかったと思いますね。
西口 両親に関しても、僕自身は今、東京に住んでるんですが、出身は関西で、両親は大阪なんですよね。なので、ちょっと距離もありますし、両親に対してどう伝えればいいかも大変でしたね。
岸田 ご両親にはどう伝えたんですか。
西口 「手術のときには、こっちに来てくれ」って電話で伝えまして、両親はかなりショックを受けていましたね。自分の息子ががんっていうのは相当ショックだったと思いますね。
岸田 闘病にあたって、ご両親や家族からはどのようなサポートを受けましたか。
西口 両親は距離があるんで、なかなかサポートできないんですよね。一つ思ったこととしては、通常の嫁と姑の関係を越えた難しさがありました。両親は両親で子どものことが心配で、妻は妻で、夫のことが心配なんですね。
西口 お互い心配してくれるんだけれども、両親は妻に対して「食事はこうしなさい、飲み物はこうしなさい」とか、いろいろ言うわけですよ。そこで姑を優先するのか、夫を優先するのかといった難しさみたいなものがありました。
岸田 がんだからこそ、重圧だったり、いろんなことが絡み合って大変だったんですね。次に箕輪さん。箕輪さんは、告知後のご家族との関係はどうでしたか。
箕輪 やっぱり、最初に伝えたときには自分が泣いちゃいましたね。泣いちゃいけないと思ったけど、知らないうちに「ごめんね」っていう、なんだか分かんない気持ちと、申し訳ない気持ちがあったかな。
岸田 ご両親はそれをどうサポートしてくれましたか。
箕輪 最初のときは9年前で、あんまり覚えてないですが、2年前の再発の時は、ちょっと前からずっと具合が悪くて、せきが止まらなかったんです。それで「ちゃんと診てもらえよ」って言われて。再発が分かって「やっぱり転移してたわ」って言ったら、「よし、また闘うぞ」みたいに家族で一致団結みたいになりました。闘うのは私なんだけど(笑)。
岸田 そのあとは一致団結して、何か家族でしたことってありますか。
箕輪 ご飯食べたりとか、みんなでよく話すようになったかな。家族の時間をすごい大切にするために、私も実家に帰ったりとかしました。離れていても心配かけるだけだし、自分としても、いろいろなことができなくなってくるので。
岸田 ありがとうございます。次に、前田さんの場合を聞きたいんですが、前田さんはご自身のことと息子さんのこともお願いします。まず、ご自身が子宮頸がんになって、ご両親に対してどう伝えましたか。
前田 私も西口さんと一緒で両親と離れているので、電話で伝えました。母からは「大丈夫よ」って言われました。母は多分、自分に言い聞かせてる感じだったんだと思います。電話口だったので、直接じゃない分、妙に明るく励まされて、それがかえってしゃくに触ってしまって。
前田 それで怒ってけんかになったりしました。「もう、他人事だと思って」っていう感じで……。私もちょっと感情が不安定になってたんでしょうね。すごい不安だったので、ギクシャクしちゃったなって思いますね。
岸田 そうだったんですね。旦那さんにはどう伝えたんですか。
前田 主人には、最初に分かったときは電話で伝えましたね。仕事中だったと思うんですけど、主人もびっくりしていて、本当に動揺してたと思います。
岸田 そこからどのようなサポートがありましたか。
前田 うちの主人は結構、家事も育児も仕事も頑張ってくれて。パートナーっていう立場は精神的にも、当事者とは違うつらさがあるってことが、今だと少し分かるんですけども。本当によく頑張ってくれたなと思います。
前田 ほかにも、義理の母が連日うちに来てくれて。ミルクをあげたりとかの子どもの世話も結構頼っていました。あとは友人がちょこちょこ来て、作り置きをいっぱい作ってくれたりとかしてくれて、そういう周りの優しさに癒やされてました。
岸田 家族以外の人たちにも支えられていたんですね。息子さんの場合はどうでした?
前田 息子の時は、主人は仕事だったんで、義理の母と一緒に結果を聞きに行きました。その時はまさか告知を受けると思わずに行ったところがあるのでびっくりしました。
前田 自分が告知受けたときは泣いた覚えはないんですが、息子の時はさすがに泣いた記憶がありますね、その後はもう「どうして」っていう言葉に尽きると思います。
岸田 今は3歳だったと思うんですけれども、息子さんは治療についてどう思っているんですか。
前田 3歳なんで本人に自覚は全くないと思いますよ。自覚症状がうちの子どもはまだ出てないので、治療の意味も分からないと思うんですよね。症状が出てたなら、「ばい菌さんやっつけるんだよ」とかって言えるんですけど、本人は元気なので、そういうのもなんか難しいなと思いますね。
岸田 いつ伝えるとか、考えたりしてます?
前田 それは考えてなかったです。いつか自分の病気のことが分かるぐらいの年齢になるまで、元気で成長してくれたらうれしいなっていうのが本音ですね。
岸田 息子さんのサポートのために、旦那さんとご自身とでどのようなことをされてるんですか。
前田 普通の子育てと一緒かなと思います。普通にお母さんお父さんをしてます。ただ、こういう状況なので、できるだけ家族と過ごす時間を確保しています。主人は仕事をセーブして、できるだけ早く家に帰って、息子と一緒に過ごしてます。とにかく一緒に過ごして楽しいことをたくさんしようって感じがサポートですかね。
岸田 ありがとうございます。家族のことで、西口さんは何かトラブルはありましたか。
西口 告知を受けた年はちょっと感情的になるので、家族で旅行とかたくさん行くんですね。でも翌年になっても意外元気だから、もうそんな慌てて旅行とか行って散財するよりも、将来のために貯蓄しとこうって話になりました。
西口 それでも一応決め事があって、子どもを含めて家族3人で毎年、旅行に行こうというのは目標としてあります。親戚中が集まる機会っていうのはそれこそ、年一回の大みそかくらいですね。箕輪さんは、どうですか?
箕輪 そうですね、家族旅行は9月に那須を予定してる。みんなで予定合わせて行こうよ、みたいな。今は、急にまた私が具合が落ち込んでいるからキャンセルしまくってるですけれども。
岸田 体調に左右されるのは、あるあるですよね。ありがとうございます。前田さんはどうですか。何かトラブルとか、家族問題とかありましたか。
前田 こういう状況だと身近な身内の誰かが病んだりするんですよね。当事者じゃなくても、例えば息子のことを心配するあまり、うつがひどくなっちゃったりとか。そういうときは、負の連鎖みたいで嫌だなって思いますね。
前田 結構、精神的なことのほうが肉体的な病状の進行よりがつんって落ちますね。だから、なるべく早い段階で、家族とか周りの人がちょっと気をつけることが大事なのかなっていうのは、すごく身に染みますね。
【仕事のこと】
岸田 それでは、次に仕事のことについて聞いていきたいと思います。告知されてから闘病して、働き方をどう変えていったかをお話いただければと思います。箕輪さんからお願いできますか。
箕輪 私の場合は再発したときの話なんですけれど。最初と違って、再発の場合って終わりがない治療なんですよね、ずっと治療していかなきゃいけないので。
箕輪 一時的に休むっていうことが難しいので、じゃあ働き続けることを前提に、どんな働き方なら無理なく働き続けることができるかっていうことを上司と社長に直接相談してみたんです。
箕輪 辞めたくはないけれど、今まで通り残業を9時とか10時までやるとか、出張ばんばん行くとか、同じようには無理ですと。じゃあ、私に何ができて、会社は何を求めてるのか、それをちゃんと話さなきゃなと思ったんだよね。
箕輪 私だけが働きたいって言ってもしょうがないし、会社もむげに辞めろとも言えないだろうしね。そこをうまくやり取りするためには、やっぱり自分から言わないといけないと思って。
岸田 相談してみて会社の反応はどうでした?
箕輪 「また、再発か」みたいにびっくりしてたけど、「週に3日でも4日でも時短でも、来てくれることで会社に貢献できることもある」って、そう言ってくれて。今、実際は週2日か3日ぐらいしか会社行ってないですね。
箕輪 あとは自宅で、貸与されてるノートPCで作業したりとか。なかなか難しいと思うんですけど、声を上げるっていうのは大事かな思います。
箕輪 実は、初発のときと再発のときの上司って違って、社長も違うんだけど。でも相手が誰でも患者から伝えるってことは同じアクションだよね。分かってもらいたいなと思うし、私だけじゃないしね。もしかしたら同僚のだれかも病気になるかもしれないし。
岸田 上司の人に掛け合うときになんか準備したこととか、これは言おうって決めていたことはありました?
箕輪 自分にできないことははっきり伝えました。これはできませんってことをしっかり明確にすることですよね。できること、できないことを正直に言いました。
箕輪 私の場合は長時間勤務がとにかく疲れちゃうんですよ。ホルモン治療にしても何にしても、見た目が元気そうでも体力がものすごい落ちるんだよね。
岸田 箕輪さんは直談判したってことでしたけど、西口さんも直談判して、非正規になってましたよね。
西口 僕の場合は、体調とかよりも、僕の希望ですよね。キャンサーペアレンツの活動をしたいので、時間が欲しいですと。フルタイムだったんですけど、週に1回か2回ぐらいは活動に時間を充てたかったので、そんな働き方をさせてほしいということを社長に話しました。
西口 僕は新卒から14~15年間くらい同じ会社で働いていたので、関係性があったというのが大きかったと思うんですね。
岸田 もう一つお聞きしたいのは、西口さんは一家の大黒柱でもあるわけじゃないですか。それで、正規から非正規になったら当然、お給料もちょっと減るわけじゃないですか。そこら辺はご家族には、どう理解してもらったんですか。
西口 僕の家は奥さんに生活費を渡すんですけど。その金額は絶対に変えないという前提で。あとはもう貯金ですよ。貯金をとりあえず切り崩し、切り崩せないところまで行くと、実家の両親に助けてもらってました。
西口 ただ、そこに甘えっぱなしではやっぱり駄目なので、僕も頑張るっていうことは大事ですよね。自分の仕事で入ってくる分とキャンサーペアレンツで入ってくる分が合わさってうまくやっています。
岸田 ありがとうございます。前田さんは休職中って書いてますけど、これはどういう経緯か説明していただけますか。
前田 実は2回目の休職なんです。最初に自分が発病したときは、たまたま息子の育休中だったんですね。本来だったら育休は大体1年ぐらいで復職するのが一般的だと思うんですけど、そのときにはもう治療は終わってたんですよ。
前田 ラッキーなことに、このご時世で保育園にも受かっていて、もう準備万端って感じだったんですけど、結局は育休を1年延長したんですね。というのも情けない話ですけど、私ウィッグを付けて出社する勇気がなかったんですよね。
前田 私は休んでる間に病気になったので、復職と同時にカミングアウトをすることになるんですけれど、それができないなって。
前田 仕事柄、関わる人が多くって、「あのおじさまたちに言えないな」「かわいそうって思われるんだろうな」っていうのが目に見えて。
前田 多分、自分がもともとそういうイメージをがんに対して持っていたんじゃないですかね。周りからはそういうイメージを持たれるんだろうなって、すごいネガティブな気持ちで、とても言えないと思って。
前田 それで結局、育休を1年間延長したんですね。それを許してもらえる環境だったのは本当にラッキーだなと思います。1年たって、去年の春にやっと2年越しで復職しまして。その時にはもう、髪も生えてたし。ただ夏になった時点で、息子の病気が分かっちゃったので、また二回目の休職ですね。
岸田 そのときは、会社の方に息子さんがってことは伝えたんですか。
前田 はい、休職する理由が必要なので。上司が昔から何度か一緒に仕事してた人だったので、そこはちゃんと伝えました。
前田 さっきの告知の話に戻るんですけど、そのときは告知されると思ってなかったので、打ち合わせを抜けて病院に行ってたんですね。そこで「残念ながら悪性でした」って言われて、泣きながら会社に戻りまして。
前田 会社に戻ってすぐ、上司がいたので話しました。悪性って告知されて、これからいろいろ検査とかしてっていうことを全部上司には言いました。周りの人にもぽつぽつ話してって感じです。でもやっぱり、申し訳ないなっていう思いはあります。私は営業にいて、いわゆるコミッションセールスとして働いていたんですね。
前田 それで復職してすぐは慣らしみたいな感じでワーキングマザーとしてやっていて、配慮していただいてたんです。それで、いざコミッションで頑張るぞっていうときに息子のことが分かって、本当に職場をひっかき回しただけじゃないかっていう罪悪感が自分の中でありますね。
岸田 それでも会社は休職させてくれてるってわけですよね。やっぱりそれまでの会社との関係性ってのもあるんですか。
前田 私個人のというよりは会社として、制度が整っていたのでそういったのを利用してって感じです。それも勤続年数によって、休職の期間というのもちょっと変わってきますよね。
西口 旦那さんは、会社辞めたらって言わなかったんですか。
前田 言わなかったですね。さすがに、休職したほうがいいっていうのは言われましたが。でも、辞めるってなると、また始めるのは大変じゃないですか。だからパニックの間に、あんまり辞めないほうがいいなっていうのは思っていました。ただ保育園のほうは、もう治療だなんだってことで退園してしまったんです。
前田 その後、保育園に行けそうだってなったときに、退園したことを後悔しました。冷静に考えると、保育園にも2カ月の休園期間っていう猶予があったので、そんなに慌てて行動して決断しちゃうのは、良くないなっていうのは思いましたね。
岸田 すぐ辞めないようにっていうのは本当に心から思いますね。
【会場からの質問】
岸田 それではここからは、会場からのQ&Aに入っていきたいと思います。
A 二つお聞きしたいんですが、一つ目はがんが分かったときに、皆さんは社長さんと相談したということなんですが、そうはいかない会社もあると思うので、そういう場合は上司や人事部に相談すればいいですか。
A 二つ目が、だいたい月にいくらぐらい治療費がかかって、保険には入ってたかどうかを教えてください。
岸田 ありがとうございます。では西口さん、どうでしょう。
西口 僕は、最初は人事部長に話をしました。告知されて復帰する前ですね。人事部長に相談してから上司にどう伝えるのかを相談しました。治療に関していうと、今は週に1回通院してるんですけど、抗がん剤の治療をすると、1回あたり1万円ぐらいかかるんですね。
西口 3カ月に1回、CTの検査があったりもするので、月でいうと大体、3、4万円ぐらい、検査があるときはプラス1万円するので、4、5万円ぐらいかかります。入っている保険は医療保険だけなので、入院すると支給されるんですけど通院はカバーされないなくて、純粋に支出だけですね。
岸田 きついですね。それも貯金を切り崩しながら、やってるということですよね。箕輪さんはどうでしたか。
箕輪 私は、人事には話さなかったですね。まず、直属の上司に「仕事どうしよう?」って相談したら「人事じゃなくて社長と相談しろ」って言われまして。なので、ちょっと例外かもしれないです。
箕輪 お金ですけど、私は全く保険に入ってなかったんです。それで出費としては、経口の抗がん剤や痛み止めの麻薬なんかで大体3、 4万円ぐらいなんですよ。あとは診察と、CTだったりとかの検査があるとプラス1、2万円とか。
岸田 どう工面してるんですか。
箕輪 一応、週3で時短で働いてるし、両親と一緒に住んでるからできるんだと思う。1人暮らしだったら無理ですね。
岸田 そうか、両親と一緒だから。ありがとうございます。前田さんはどうでした?
前田 私は最初の自分の病気のときは育休だったので、誰にも何も言いませんでした。職場には、復職するときの面談で初めて伝えましたね。
前田 そのときは本当にもう、ウィッグもだし、人前でがんって言うのがすごく嫌で、今日ここでこうしゃべってるのが不思議なぐらい。当時はそのくらい言いたくなかったんですね。
前田 治療費は手術や抗がん剤の分で皆さんとあんまり変わらないですね。検査費用とかCTのときとかは別途かかったんですけど、若いときに友達の営業にそそのかされて医療保険に入ってたので何とかなりました。
前田 「貯金がないから、あんた入っときなさい」って言われて、勝手に組まれて。26ぐらいのときに入ったんですけど、結果オーライでしたね。がん特約みたいなの付けてたので、問題なくっていうか、何とかなりました。子どもの治療費も、小児慢性特定疾患の補助が手厚いので大人よりはかからなかったですね。
岸田 ありがとうございます。それでは終了の時間が近づいてきましたので、西口さん、最後に締めてください。
西口 この機会にぜひ、若いがん患者さんがいて、こういう思いを持って、勇気を持って発信してるってことを受け止めていただけたらと思います。また、自分自身に何ができるんだろうっていうことを考えるきっかけになったらいいかなと思います。きょうはありがとうございました。
岸田 ありがとうございました。