インタビュアー:岸田 / ゲスト:三橋

【宣告】

三橋  発覚は、子どもたちが寝静まった夜に、テレビで自己触診みたいのがあって、自分でやってみようかなと思ったら、なんか、ん?って思う所があったんです。子どももちっちゃいし、その場では乳腺炎とかそういうもんだと思ってたけど、やっぱ気になるなって思って、病院に行ったんです。
病院に行ったのも、お友達に相談をしたら「美香の中で頭の片隅にそれがあるなら、すぐ病院行って、白黒はっきり付けたほうがいいんじゃない?」って言われて、白なら白でいいけど、黒なら黒で、早めに分かったほうがいいなと思って病院に行って、発覚をしたっていう感じですね。

岸田  どんなテレビを見てたんですか。

三橋  何だろう。もう7年も前だから、よく覚えてないんだけど。

岸田  自己触診で分かりますよ、みたいなことやって、自分でやってみたという。

三橋  そうなんですよね。

岸田  触診して、すぐ分かった感じですか。

三橋  すぐ。私は右なんですけど、明らかに左とは違うものが、なんかある。

岸田  こりこりする感じ?

三橋  いや、私の場合、ちょっと軟らかくって。

岸田  ぷにぷにの上に、ぷにぷにする感じ。

三橋  うん、多分。そう。

岸田  それは上までぽこってなってる感じではない?

三橋  全然。もう本当に。ぐって、押さないと分からない。

岸田  そのときは近くの病院に?

三橋  そう、普通の総合病院。でも、やっぱり胸なので、なんとなく男の先生より女の先生がいいかなって、ネットで検索をしたら、近場になかなかなくって。

岸田  女の先生のクリニック行って、細胞診していくと。大体、何週間?

三橋  次の週、最初はエコーから始まったんですけど、次、細胞診をやろうっていって、何だかんだ、3週間後ぐらいに発覚した感じですね。

岸田  3週間後ぐらいか。それまで、結構、怖くなかったっすか。

三橋  怖かったです。なんでこんなにいっぱい検査するんだろうと思って。そこからもう、悪いほうばっかり考えて。

岸田  3週間後、それまでに電話とか来なかったんですか。

三橋  それまでにはCT撮ったりとか。また、次来てください。また、次来てください。で、最終的に3週間。

岸田  そうだったんですね。そのときはご主人と行ったんですか。

三橋  いや、私は、それこそ主人と行ったら、なんか確定みたいな感じで思っちゃって嫌だから、1人で行こうと思って。でも、下の子がちっちゃいので、下の子を抱えて。その頃は、まだ2歳ですね。そしたら、やっぱり先生には、「あんまり、ちょっと良くないものが」って言われて。最終的には「悪性です」って言われたんですけど。

岸田  そのとき、1人ですよね。

三橋  そうです。もう、ここでは、わーぎゃーわーぎゃー騒いでる長男がいて。だから、ちゃんと聞き取れない自分もいたし、聞き入れるのも怖いなっていうのもあって。

岸田  じゃあ、そこで、自分1人で受けて、現実受け止められない。

三橋  現実っていうか、死んじゃったら、この子どうすんだろうって、そればっかり考えちゃって。告知された後すぐに、看護師さんとかには、抗がん剤は絶対に通る道だと思うので、こういうふうに髪の毛とかは絶対抜けちゃうし、そういうのもちゃんと心得ててくださいみたいな、そういう話をその場でされて。でも、それより何より、「髪の毛なんて全然、抜けていいから、できる治療は全部してください」って。

岸田  結構、お子さんいたらもう、その中でてんやわんやなってると思うけど、その後の治療の話もされ。1人受け止め。

【治療】

岸田  2011年10月に発覚し、そして11月から、すぐ抗がん剤をされるんですか。

三橋  はい。主治医の先生に、「術前抗がん剤と術後の抗がん剤がある」と言われ。私の中では、やってみないと分からないので、術前で自分の細胞がちょっとでも変化していくのが分かればと思って、私は術前のほうに。

岸田  ちなみに乳がんの種類は何だったんですか。ホルモン陽性だったりとか、HER2どうたらこうたらとか。

三橋  ホルモン陽性です。

岸田  それで、11月に抗がん剤を行って、その後2012年の5月に手術となってるんですが、これは、術前の抗がん剤が効いたってことですか?

三橋  そうです。胸の腫瘍も、すごくちっちゃくなって。最初、2センチ弱あったものが。それが1センチ弱ぐらいになって。

岸田  半分になったと。

三橋  はい。それで私、もう一つあって。
それも、すごくちっちゃくなって。脇のリンパ節にもあったんですけど、先生が言うには、「今、肉眼では見えない」と。だから、「今、何もないものを取ってもいいけど、もしあれだったら、ないから取らなくてもいいんじゃないか」って言われて。

岸田  その選択難しいですね。もうなくなってるだろうという判断で取らなくてもいいのか、それとも、取って安心したいか。三橋先生の中では、「ここは取らなくっても、後々、もし元気になって、ここだけが大きくなってきたら、そのときにちゃちゃっと取っちゃおうよ」ぐらいの話し方だったから、最初の手術では、ここは取らずに、胸だけ。

岸田  胸だけ2個取るっていう形にしたんですね。そのときは全摘?

三橋  全摘じゃないです。ちっちゃくなったので、部分切除でできました。

岸田  了解です。じゃあ、部分切除して、そして放射線すると。7月から8月まで。

三橋  ちょうど夏休みに、上のお姉ちゃんも小学校だったので、夏休みに。

岸田  夏休みを待って、してもらったと。子育てしながらですもんね。で、放射線をやり、そしてホルモン療法を行いますと。これは今も?

三橋  今も、飲み薬なんですけど。

岸田  飲み薬。どれぐらいの頻度で。

三橋  毎日です。1回お薬を飲んでる。

岸田  飲んでるのは、今も続けているという形で。フルコース行ったわけですね。ちなみに、抗がん剤の治療は手術前までずっとしてたって感じなんですね。副作用は何を経験しました?

三橋  副作用は、私は髪の毛とか、毛っていう毛は全部抜けたんですけど、あとはちょっと気持ち悪いとかはあったんですけど、すごく寝込むとか、そんな何日も動けないとか、そこまではなかったかな。抗がん剤を打った次の日ぐらいは、ちょっとしんどかったんですけど。

岸田  ちなみに通院?

三橋  3週間に1回の通院です。

岸田  抗がん剤したら、いつがつらくなってくるんですか。

三橋  最初、打ちました。それで、2、3日は結構きついんです。その後ちょっと良くなってきて、次の週が結構、良かったりとかするんですけど、その次の週が、白血球ですか。「ちょっと弱くなる時期だ」って言われて、あんまり外とかも出歩かないで、みたいな感じで。そうすると、また次の抗がん剤がやってきてみたいな、そんな感じ。

岸田  2週目が楽なの?

三橋  ていう感じだったかな。

岸田  そのときは外出できるけれども、3週目はちょっと。

三橋  なるべくマスクしてとか。

岸田  マスクして。そうなってくると、もう次の抗がん剤が始まるという形だったんですね。そして2013年10月、脇のリンパ節。再発?

三橋  先ほどの取ってなかったものが、むくむくと大きくなってきてしまって。それは検診で分かったんですけど。先生は、大きくなってきた。じゃあ取っちゃおう、みたいな。そのくらいの勢いで。でも、すっごく怖くって。

岸田  いや、怖いっしょ。だって、ここ膨らんできたら、また違う所にも転移するんじゃないかとか思いますもんね。

三橋  そう。一応、大きくなってる。で、細胞診はもちろんしたんですけど、した後にその先生に会って。そしたら、私の中ではとにかく、他にも絶対あると思って。CTもそのとき撮ったんですけど、CT見た限りないと。でも、その話も全然、頭に入ってこないで、ずっと泣いてたら、「何、泣いてんの?」とか先生に言われて。「ごめん、泣かせるようなことしちゃってた?」みたいなこと言われて。いや、だって大きくなる、再発ですよね。いや、ここだけが大きくなってきても、他には転移しないんですって。病巣は取ってあるから、脇のリンパ節だけを残しておいても、別に。そんな怖いものじゃないから、でも生活に支障を来すし、取っちゃおうっていう形みたいです。

岸田  ちなみになんですけど、再発はどうやって分かったんですか。

三橋  3カ月に1回の検診で。今も行ってていつもエコーなんですけど。

岸田  大きくなってきてると。再発を聞いたときも1人?

三橋  そう、1人です。私は脇のリンパが大きくなってると思ってないので。この帰り何食べようかなとか、そんなことばっかり考えての診察で。

岸田  再発のショックってありますよね。一回、終わったと思ったのに。

三橋  一応、診断書とか見ると再発って書いてあるんですけど、でも先生は、「再発っていうか、再燃って言えばいいかな」みたいな言い方をしてくれて。だから、再発っていうと、なんとなく気持ちがあれだけど、再燃っていわれれば、あ、そっかみたいな。

岸田  確かに。僕の場合も再発してるんですけど、簡単に言ったら再発ですけど、厳密に言ったら違う種類のがんなので、二つ目のがんで、ダブルキャンサーなんですよね。そのほうが、気持ち、ショックはショックですけど、楽というか。

三橋  そう。言葉一つでも気持ち的に違う。

岸田  そこから、そのまますぐ手術?

三橋  すぐ手術でした。

岸田  それはすぐ終わりました?

三橋  でも、やっぱり子どもがいたので、親とかに来てもらうとか何とか、そういう手配が必要だったので。でもまあ、すぐ。すごく信頼ある先生なんですけど、結構あっけらかんという感じのすごい先生で。たまたま、「子どもがすごい心配だし」って、いろいろ言ってたら、「ドレーン付けたまま、別に帰ってもいいけど、でもやっぱり炎症したりしたら怖いから、できるだけ入院してほしい」って言われて。でも外出とかはさせてもらいました。

岸田  何週間ぐらいで退院しました?

三橋  1週間弱。とにかく短く。

岸田  その後1年、TS-1。

三橋  そうなんです。この再発があって、ホルモン療法をやっててもこうやって再発したってことは、先生的には、他になんか原因があるんじゃないかって。一応、安心材料として、TS-1っていう飲む抗がん剤を飲んどこうかっていう話で。

岸田  そういうことね。ホルモン療法やって大丈夫だと思ったけど、ここで再燃してしまったから、もう一回TS-1っていう飲む抗がん剤をやっておこうかと。これはどれぐらいの頻度なんですか。

三橋  多分、毎日飲んでたような気がする。

岸田  多分、連日飲んで、休薬期間が空いてっていう。そして、現在ホルモン療法にて経過観察中という形ですかね。

三橋  はい。

岸田  2014年の10月ぐらいまでは治療して、今はホルモン療法だけ?

三橋  ホルモン療法で、飲むほうの薬で。

【家族】

岸田  次の話題としては、家族のことうことで。美香さんの家の家族構成、教えていただいてもいいですか。

三橋  パパ、私、長女、長男の4人で。

岸田  4人のご家庭でしたと。そしてその中で、自分の家族、旦那さんにはどうやって伝えましたか。

三橋  旦那さんは、病院出てすぐ電話で。そしたら多分、旦那さんもすっごいてんぱってたと思うんですけど、それを私に察知させないように、「大丈夫」みたいな、すごい言ってくれたんですけど。周りから聞くと、結構、泣いてたよ。私は全然、それ知らないんです。

岸田  美香さんの前では泣かない。

三橋  泣いてない。一回も見たことないです。

岸田  ただ、他の所で涙して。

三橋  それを後々、聞いたりとかして。

岸田  パパさんにこれしてもらってよかったな、とかありますか。

三橋  いや、だからそれも、特にないって言ったら変なんですけど。私は病気だからってこうしてほしいとかが、ちょっと嫌で。

岸田  分かります。

三橋  変にそういうのをされるのが嫌なのを分かってたんだか何なんだか、全くいつもと普通でした。もちろん、仕事をちょっと早く切り上げるとか、そういうのは全然あったんですけど。

岸田  それはよかった。じゃあ、旦那さんは普通に、いつもどおり接してくださって。お子さまは、けど、分かるのか。

三橋  お子さまは、分からない。だから変な話、上のお姉ちゃんは、それこそ、抗がん剤のときだから、1年生?だから、やっぱりママが丸坊主になるって。

岸田  普通じゃない、この家みたいな感じですよね。

三橋  普通じゃないなっていうのは絶対、分かるなって思ってたんだけど、そのとき、上のお姉ちゃんは何も言わなくって。一切そのことに触れず。ママ、帽子あるよみたいな、普通に接してたんだけど。後々、5年生になったときに、改めてちゃんと話そうかなと思って、話をしたら「知ってたよ」って言われて。

岸田  マジで?

三橋  だから、それをずっと口にしなかったのかなって。

岸田  偉い。

三橋  だから、その子が6歳のときには、私が寝込んだりしてると、下の子におにぎり作ってあげたりとか。だから、子どもながらにいろいろ察知して。

岸田  すごい。

三橋  やっぱり、1年生の女の子って鋭くって。遊びにきたりとかすると、あれ? うちの娘の名前を言って、なんかお母さん、髪型違くない?って。鋭いと思って。明らかに、短かったものがちょっと長くなったりとかしたから、ウィッグで。

岸田  するんや。察知。

三橋  だから、そういうお友達が来るときは、もうすかさず。声が遠くから、何とかって、あ、帰ってきたなって思うと、すかさずウィッグして。

【苦労】

岸田  子育てでどういうときが大変でした? 先ほど以外のことですと。

三橋  やっぱり、幼稚園の送り迎え。抗がん剤のときはすごく大変だったような気がします。バス停まででも、言ってないママさんたちもいっぱいいるし。だから、そこで、あんまり分からないようにやってたんだけど、それもだんだん苦になってきてて。毎日だから、それが一番あれだったかな。

岸田  つらいときでも行かないといけないってことですよね、朝。

三橋  やっぱり、幼稚園に行ってもらいたいので。家で、ぐたってしたいときもあるから。いると、まだちっちゃいから、ママ、トイレとか何とか、もーってなるから。とにかく、つらくても何でも、送り迎えだけは絶対しようと思って。

岸田  ママさんグループには、誰かには言ってた?

三橋  もちろん。3人ぐらいには。近所の3人。でも、さっきのオールウィッグのあれで、よく幼稚園に行ってたんですけど、「知らなかった」って言ってる人もいたんだけど、うそなのかな。

岸田  いやいや。知らない人も、ちゃんと演技してくれてるんでしょう。

三橋  でも、その近所のママさんたちは、それこそ、気の知れたお母さんたちで。うちに、私が抗がん剤打った直後とか、ああってなってるときに、来てくれて、おうちに。洗濯物をやってくれた。あとは、子どものご飯を作って置いといてくれたりとか。寝てな、みたいな。だから、恵まれてるなと思って。実家が遠い分、そういうお友達が、すごい。

岸田  いいお友達持ってよかったですね。

三橋  本当に。感謝です、今。

【キャンサーギフト】

岸田  美香さんのキャンサーギフトはなんでしょうか。

三橋  がんを経験してる仲間です。私の中で、やっぱりがんになって、言えるお友達が、近所のお友達はいたんだけど、ママさんで。でも、同じ経験をしたお友達っていうのが、もちろんいなくって。聞くことも、もちろんできないし。でも、こうやってお友達と会うことができて、自分のちょっとした不安だったりとか、もちろん、話を聞いてもらうだけでもすっごい安心するっていうか。

岸田  そういう安心できる人たちが、キャンサーギフト。乳がんになって出会った人たち。ちなみに、そういう人たちって、どういった所で出会うんですか。

三橋  これはね。その一番最初は、ネットで、不安ながらもいろんなブログを検索しながらも、同じ病気をした人たちで集まるみたいな。でも、たまたま自分の中で引かれたのが、女性で、20~30代で罹患をして、10人ぐらい? ちょっと小じんまりした集まりっていってて、じゃあ行ってみようかなって、そこで初めて。そこからのつながりで、いろんなお友達が。

岸田  そうっすよね。僕も、いろんなつながりでつながりましたもんね。

【今、闘病中のあなたへ】

三橋  一度きりの人生、悩んで泣いてるより、笑って楽しく、です。やっぱり最初は、もちろん私も悩んで泣いて。1年近く、うじうじずっとしてたんだけど、同じ境遇のお友達と出会えたりして、不安もだんだん取れていって、こうやって笑って楽しくご飯を食べたり。病気っていうのもちょっと薄れて、楽しいほうが勝ってくるっていうか。そうすると、全然、悩んで泣いてるときは、あん時あったなって思うけど、笑ってたほうが絶対いいですよ、人生。

岸田  いや、けど美香さん、全然、泣いてるイメージはないですもんね。いつもじゃないですけど、明るく振る舞っていらっしゃって。がん告知されて泣いてとか、全然そんなイメージないけれども。

三橋  ずっと、とにかく1人で泣くことが多かったかな。子どもたちの前では絶対、泣けない。泣いたら、やっぱね。

岸田  お母さんって偉大ですね、本当に。

三橋  だから、お母さんによって成長させられてます。

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